連載記事3





健康で生活するために 無駄遣いをしない
健康で生活するために なんと言っても食生活
健康で生活するために 耐寒能力を付ける
健康で生活するために 好奇心を絶やさない
健康で生活するために 発酵食品
健康で生活するために 禁酒禁煙
健康で生活するために 記憶力改善
健康で生活するために 加齢を諦めない
健康で生活するために 断捨離反対
健康で生活するために 絶対断酒、禁煙
健康で生活するために 新しいことにチャレンジ
健康で生活するために 清潔であること
健康で生活するために 積極的に身体を動かす
健康で生活するために 依存症のセルフチェック
健康で生活するために 自家製味噌
健康で生活するために 自分を縛らない
健康で生活するために 人の振り見て
健康で生活するために 物を造る意味
健康で生活するために やはり日頃の心がけ
健康で生活するために 老後の蓄え
健康で生活するために 食べ物の好き嫌い
健康で生活するために 食べ物の好き嫌い
健康で生活するために 腹も身の内
健康で生活するために 運動量を考える
健康で生活するために お茶
健康で生活するために 健康過信
健康で生活するために 食べ物の好き嫌い
健康で生活するために 自分でやる
健康で生活するために 健康モニタリング
健康で生活するために 時には羽目を
健康で生活するために 病気との付き合い方
健康で生活するために 体が硬い!
健康で生活するために 偏食は悪いことなのか
健康で生活するために 時間の空回り
健康で生活するために 徹底的な掃除
健康で生活するために 偏食の勧め(?)
健康で生活するために 体重管理
健康で生活するために 電子レンジで作る料理
健康で生活するために ダイエット
健康で生活するために 物作り
健康で生活するために 危機感
健康で生活するために ゴミ処理
健康で生活するために 健康診断
健康で生活するために 毎日の散歩
健康で生活するために 健康管理
健康で生活するために 掃除
健康で生活するために 気分転換
健康で生活するために 語学学習
健康で生活するために 低温生活
健康で生活するために 小食
健康で生活するために やはり歩くのは良い
健康で生活するために 体重管理
健康で生活するために 時間感覚
健康で生活するために BGM
健康で生活するために 水分補給
健康で生活するために 脳トレ
健康で生活するために やはり清潔第一
健康で生活するために 薄味


健康で生活するために 楽観的思考
健康で生活するために 捨てられない物
健康で生活するために 食べ物の好き嫌い
健康で生活するために BMI
健康で生活するために お茶を飲む
健康で生活するために 体が硬い
健康で生活するために 毎日の健康管理
健康で生活するために 継続は力なり
健康で生活するために 運動をすること
健康で生活するために 物忘れ
健康で生活するために 食べ物の好き嫌い
健康で生活するために 語学学習

健康で生活するために 外食嫌い
健康で生活するために 自分で料理
健康で生活するために 筋力を鍛える
健康で生活するために 健康記録を付ける
健康で生活するために 断酒
健康で生活するために 定期健康診断
健康で生活するために 記憶力の維持
健康で生活するために 水を飲む
健康で生活するために 無理な我慢をしない
健康で生活するために 好奇心を維持する
健康で生活するために 家を修理する
健康で生活するために 時には気を抜いて
健康で生活するために 神経質は逆効果
健康で生活するために 試しに飲んでみた
健康で生活するために 体重管理
健康で生活するために 心構えも大切
健康で生活するために 専門分野に関心を持つ
健康で生活するために 暑さ対策
健康で生活するために 食欲調節?
健康で生活するために 食べ物の好き嫌い
健康で生活するために 加熱式煙草
健康で生活するために 野草を食べる
健康で生活するために 体重管理
健康で生活するために 心構えも大切
健康で生活するために 専門分野に関心を持つ
健康で生活するために 暑さ対策
健康で生活するために 食欲調節?
健康で生活するために 食べ物の好き嫌い
健康で生活するために 加熱式煙草
健康で生活するために 野草を食べる。
健康で生活するために 適度な疲労感
健康で生活するために 完全断酒
健康で生活するために 人間誰でも年をとる
健康で生活するために 脳の体操 読書や外国語学習
健康で生活するために 毎日血圧体重など記録<
健康で生活するために テレビを観ない生活
健康で生活するために あらためてコロナ肺炎対策
健康で生活するために 新しいことに興味を持つ



健康で生活するために 体重管理
健康で生活するために 日記を続ける
健康で生活するために 健康を過信しない
健康で生活するために 健康記録を付ける
健康で生活するために 栄養バランスは無視出来ない
健康で生活するために 体重管理現在
健康で生活するために 家庭菜園
健康で生活するために 健康であるためには
健康で生活するために 脚がまず基本
健康で生活するために 語学は脳の体操
健康で生活するために 物作りをする
健康で生活するために 手抜きの奨め
健康で生活するために 椅子を作る
健康で生活するために 定期検診
健康で生活するために 旅行に行っても歩く
健康で生活するために 我慢もほどほど
健康で生活するために 妄想の効果
健康で生活するために 水を沢山飲む
健康で生活するために 長寿社会は良いけれど
健康で生活するために 歩き中毒
健康で生活するために 健康診断を受ける意味
健康で生活するために 文章書き>
健康で生活するために アルコールは一滴も飲まない
健康で生活するために 詐欺メール
健康で生活するために 余り神経質にならない
健康で生活するために 歩きすぎは駄目か
健康で生活するために テレビを観ない
健康で生活するために 誰でも年をとる
健康で生活するために 山菜を食べる
健康で生活するために 習慣を見直す
健康で生活するために 絶対断酒(NEW)












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健康で生活するために 危機感

人間(だけでは無いだろうが)とは色々な物にすぐなれてしまうのが普通だ。それは生きて行くために必要な能力なのだろうが、危機にもなれてしまうことが問題だ。例えば災害の多い日本では、災害の報に触れる度に、自分も災害に備えて準備をしなくてはならないと思う。非常持ち出し袋を用意したり、家族でバラバラにならない様に集まる場所を決める、避難警報が出たらすぐに避難をするなどなど決心するのだが、それが長続きしない。

それによって、いざとなって大きな被害を被る人が後を絶たない。オレオレ詐欺に引っかかるなども、自分は大丈夫という意識があり、本来しなければならない用心を、慣れによってしななくなるからと言う指摘もある。

これは健康面でも言えることなのだ。食事を管理しダイエットを順調に進めている時、それが本来自らをきちんと管理しているから出来る事なのにそれが自然に出来ているかの様な錯覚に陥る結果、今日はもう少し食べよう、たまには息抜きであるいは付き合いで満腹になっても食べよう、明日からまた減らせば良い、と考えると言うより無意識にそのような感覚になってせっかく続けている習慣を途切らせてしまう。

それが結果としてリバウンドや、前よりも状況が悪くなることになり、それを何度も繰り返す様になる。

体重管理も私はそう考えている。体重管理とは一度決めたら常に意識して続けなければならないと思っているのだが、それでも無意識に運動が少なくなったり食べる量が多すぎたりカロリーの取り過ぎなどをしていると自覚することがある。

幸い今のところ、予定通り体重は理想値に近づいているし、最近受けた診断では採決の結果問題になる数値は全くなくなっていたのと、その数値も今までは上限に近い物があったが今は平均値に大分近づいている。ダイエットと言っても、見た目で分かるほど痩せたわけではない。毎日体重を量っているがそれで分かる程度だ。またそれ以上のペースでやると体に無理だし続かない。

つまり、急激なダイエットなどではないのだが、それでも油断をしないで常に記録を取り監視をしているから続いている。

大げさかも知れないが、危機感を持ち続ける必要はあると考えている。

by ロクスケ











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健康で生活するために ゴミ処理

私の家には物置が二つある。が、長年の間に大量の不要品が詰め込まれ物置として使えなくなっていた。そこで、清掃業者に訊いてみたら処分するのに数十万するらしい。それは馬鹿らしいので、自分で物置からガラクタを引っ張り出し、普段のゴミの日に出せる物を分類して専用袋に入れ、それを順次出したら結構多くを出せた。家具はばらして、また古い自転車や絨毯、トランク等など本当にこんなにどうしてため込んだと思うほど大量の大型ゴミがあったが、それらを規定の大きさにそろえてゴミ処理券を貼り付け業者に回収依頼したらほとんど処理できてしまった。

今では二つの物置はすっきりとして広く開いている。ゴミ処理にかかった費用はおそらくゴミ袋とゴミ処理券だけで数千円と言ったところか。

物置はかなりすっきりしたが、家の中には本当に使わない物がびっしりとある。もう絶対に着ることのない衣料、古い布団、家具、本(今は紙の本はほとんど読まなくなった。なにしろ読書端末に一千冊以上の本が入っているし、紙の本もスキャナーで多くそれに取り込んでいる)、食器などなど、よくまあこんなに沢山、と思うほどあるがかつては使う為に買ったのだ。

近頃断捨離という言葉を聞く。身の回りの要らないものをすっかり捨ててすっきりとした生活をしようという話だが、私はそこまでは割り切れない。今は使わないが、それでも思い出があるし、写真などは現実には使わないが使わないから捨てろと言うことでもない。

ということで、私がやろうとしているのは断捨離ではなく、本当に使わない物、例えば数十年前の現役時代の背広など捨てている。万が一必要になったらその時に買えば良いと考えている。

ということで、あと一,二年かけて本当に捨ててもよい物は捨ててもう少しすっきりしたいとは思っている。捨て方のコツが分かったので、特に金も掛からない。

by ロクスケ











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健康で生活するために 健康診断

私は毎年健康診断を受けている。精密な人間ドックなどではなく、簡単な物だが、肺機能、心臓、消化器、後は血液検査などで、幸い今のところ問題は見つかってはいない。

ただ、私の知人にも、健康診断でとりあえず問題は無いとされた直後に心機能停止で亡くなった人とか、健康診断で無罪放免の筈が体調が悪くて改めて検査の結果進行癌だった等という例もある。

健康診断で問題なしとされてもそのようなことはあるが、ただ何も検査をしない場合よりは問題を早期に発見できる可能性は高い、と考えて受けている。だから健康診断の結果がよくてもそれで何の問題も無いとは考えないし、自分で自分の健康を管理するしかないとは理解している。

毎日体重を量り、血圧を測り、食事の記録を付け序でに食事の写真を撮っている。運動量(歩数)を記録し、排泄の記録までしている。いわば、毎日自分で健康診断を毎日している様な物だ。

金も必要だが、最終的には健康が一番必要だと痛感しているのは、かつて大病を患い生死の間をさまよった経験があるからだし、近親者を病気で亡くしているからだ。本当に天寿を全うして亡くなった近親者は唯の一人も居ないし、友人知人にも居ない。

長生きはしたいが、生きているだけの状態では御免被るので、死ぬまでは元気でいたいというのが今の心境だ。今のところ、幸い血圧も低いし体も動くし、頭も自覚している限り(あくまで自覚している限り)まあ、大丈夫だろう。健康診断というより、健康管理のたまものと思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 毎日の散歩

私は毎日買い物がてら歩く様にしている。目標は一日7千歩だが、使っているスマホのステップメーターがかなり不正確で、2時間歩いて30歩などと表示されると全く信用できないが、それでも使っている。大体私の場合一時間歩けば十分7千歩になる様だが、それは有る距離を歩きながら歩数を自分で数えることを何度かして、まあステップメーター+30%くらいが目安になる様だ。

歩く時はとにかくかなり早足で、イメージとしては会社に遅れそうなサラリーマンの歩調くらいだろうか。歩くのは基本的な運動としては最も優れているとはよく聞くが、実際に自分でやってみて幸い体調が優れているのはこの毎日の歩きの故と思っている。更に、体がだるい時などは歩くことで体調が確実によくなる。休むことで体調が改善するよりは、運動をする方がよほどよい。むろん、明らかな危険を冒す様ではならないが。

ことし一念発起して体重を10キロ落とすことにしている。まだ9ヶ月目だが既に体重は目標値になっているのでこれを維持するためにも運動はしなければならない。もともと、一寸肥満かなと自分でも思っていたが、個人差があるし健康診断でも特に問題が無かったのだが、10キロ落としてみたら最新の血液検査でほぼ全てが良好になっていた。以前から血圧も全く問題は無かったが、体重を落としたら理想値になった。検査結果は、前も良好だったが中には上限値に近い値もあったのだ。体力的にはそれほど自覚はないが、言い換えれば加齢による劣化も自覚していない。知力は自分では分からないが、まあ今のところまだ大丈夫だろう。風邪も全くひかないし、異常な体力不足も経験しない。健康診断以外では病院に行ったことがない。薬も飲んでいない。自分では結構なことだと思っている。

何度も書いているが、金がないのは辛いが健康がなければもっと辛い。したがって、私は金よりも健康を優先してきたが、その選択は間違っていなかったと思う。誰もが年を取るがその年齢になった経験はないのだから、その年齢のその健康が標準なのかどうかも分からない。

が、確実に高齢化する。どうしようもないが、健康維持で高齢化がマイナス要素にならない生活はしたいと思っている。

by ロクスケ











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私は基本的に外食をしない。むろん、以前会社勤めをしていた頃などは人と食事をするなどほとんど毎日だったし、いまでもたまには人と食事をするが、自分一人で食事に行くことはよほどのことがない限りしない。基本的に味が濃すぎるのだ。

子供の頃は北国で育ち、濃い味付けが普通だったのだが、私は味が濃いものを食べなかった。味噌汁などはお湯を足せばよかったしおひたしは醤油をかけなければよいのだが、煮物などはお湯を足しても具材自体に味がしみこんでいるので、食べるのを嫌がったそうだ。余り自分では覚えていないから、よほど幼い頃からだったらしい。おそらく、生まれつきそのような体質だったのだろうと思う。

その為親は私様に薄い味付けの煮物などを作っていたが、かなりの手間だったろう。学校給食も同じだったが、その頃は人と一緒に食べる事になれていたし、なにしろ育ち盛りで空腹だったから、給食を残すことはなかった。しかし、塩辛い汁物などには時々お湯を入れていたし、パンやミルクの時は苦労が少なかった。

独り立ちしてからは自分で作ったが、結婚してからもしばらくは味のことでかなりもめた。が、その頃は人との食事も頻繁であって、それなりに食べていたが、今会社勤めをやめるとそんな義理もないので本来の薄味にしている。

それでも体力的には別に問題も無いし、その為かどうかは知らないが血圧も極めて低い。毎日血圧を測り体重を量りそのたの健康管理を表にして記録しているが、毎日二回測る血圧では上がせいぜい高くて120台後半、大体は110台、低い時は100台くらいであり、下は60−70程度だ。まあ、低すぎるのも問題なのだが、特に自覚症状はない。

おそらく一つの理由に塩分を取らないこと、動物性を余り採らないこと、野菜が主食と言って良いほどで、それも一日二食で済んでいるから体重管理にも有益だし、おそらく毎日の歩きと共に血管の若さがキープされていると思っている。

外食を採らないとは、美食とは無関係だと言って良い。というより、もともと食べることに余り興味が無く、空腹になるから食べると言ったあんばいだからか、食べることに時間もエネルギーも使いたくない。わざわざ外に行って美食を尋ね歩くなどごめんだし、何時間もならぶなど人との付き合い以外やったことは無い。

とはいえ、まずい物よりは旨いものの方が良いのは他の人と同じだろうが、ただ旨い物の判断基準が極めて異なる。私の食べているものを食べた人が、味がない、と言ったが、無論私はそれなりの味を感じている。私なりにどうせ食べるならまずい物より旨い物が良いのは同じ事だ。

しかし、健康には差し支えないと思っているので、今後もこのやり方を続けるつもりだ。

by ロクスケ











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健康で生活するために 健康管理

私自身もう若いとは到底言えない年齢だが、体力年齢は結構若いだろうと思っている。その感を強くしたのは、最近数十年来の友人と会った時だ。友人とは言え、遠くに住んでいるので滅多に会うこともなく、時折電話やメールの交換をするのが常だったが、今年の夏、久しぶりに会って驚いた。

彼は私より二,三歳若いのだが、二十代の初めからかなり煙草を喫っていて今でも一日三箱を喫うと言う。また酒もかなり飲み今でも毎日飲んでいるという。見た目にもでっぷりと太り、おそらく肥満も危険レベルだろうと思った。

まあ、人のことだからとやかく言うこともしなかったが、久しぶりだから酒を飲もうと言われ、それは断った。昔は一緒によく飲んだのだが、今は私はほとんど飲まない。では食事だけというのが、天麩羅やステーキで、申し訳ないが到底お付き合いできないし、本来私は昼食を取らないからとまでは言わなかったが結局老舗の豆腐料理屋に行き、ノンアルコールビールでお付き合いをした。

ただ、見た目には肌つやも良いし健康そうなのだが、血圧がとうに危険レベルを超しているしそもそもほんの目と鼻の先に行くにもタクシーを使うので、歩かないかと誘ってみたら、歩くなどかったるくていつもは車で移動している。今日は飲むつもりだったから車で来なかった、と言っていた。

もう良い年だし傍からとやかく言うことも無いのでそれに対し私は何も言わなかったが、友人ながらこのような生活をする人間がいるのだとつくづく思った。彼が言ったわけではないが同じ様な生活をしている人間が、残された短い時間、好きなように生きて楽しんで、その為に早く死んでも悔いはない言うのを聞いたことがある。むろん、自分の人生、一人ならどの様に生きても構わないが、ただそのように生きた人間が天寿を全うするとは限らない。高血圧で心筋梗塞、脳卒中などのリスクは飛躍的に高まるし、それで瞬間的に死ぬならともかく、重い後遺症で動くことも離すことも出来ずに寝たきりになる可能性もある。喫煙で肺がボロボロになりまともに呼吸が出来なくなれば外歩きもままならない。

好きに生きて一瞬に死ぬならあるいは本望かも知れないが、動けなくなって生き続ける可能性があるなら私は御免被る。むろん、どんなに健康に気をつけても事故で半身不随になるかも知れないが、それを言っていたら切りがないし、そもそも健康を保つことで体がそれなりに自由に動き、疲れず、必要な力や俊敏性が保てるなら日々の生活自体が非常に楽になるし、精神面でもその恩恵は計り知れない。

私はかつて酒もかなり飲んでいたが、それを我慢してやめたのではない。酒を飲むよりも飲まない方が快適だからだ。食事に気を遣うことで美食を諦めたというより体力を保つことで普通の食事が美食になる、味わえるならその方がよほど良いと思うからだ。

久しぶりに会った友人を見ながらつくづくそう思ったが、しかし彼に言っても仕方が無いとは思った。実は私の身内にも年だからと色々諦めている者が居る。が、決してそうではないのだと言っても実感できない様で、ただあんたは元気だねぇ、いつまでも元気でいなさいよ、と言われる度にありがとうと言うだけにしている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 掃除

 掃除については私は余り偉そうなことは言えない。非常に不得意であり、それでもかなり工夫してそれなりに出来るようにはなっている。が、最初から計画を立てて始めても中途半端になるのがいつものことだからだ。生活していればとにかく色々やることが次から次へと出てくる。外を歩く時間も確保しなければならず、日常のための必要な事も沢山有る。となると、掃除はまあある程度手抜きをしても良いかと言うことになるが、ついつい手抜きをしすぎる事になる。

それでも以前のカオス状態になることは無いし、それなりに片付いているつもりではいる。確かに掃除をして綺麗になっていれば気分は良いし、なにしろ捜し物に手間取ることも無い。

前々から物置にそれこそガラクタが大量にたまり、これは粗大ゴミでも出せないような物ばかりで、ある程度たまってから清掃会社に頼んで引き取って貰うしか無かった。一月ほど前か、それを纏めて引き取って貰ったところ、物置がすっきりしたが、そこへ家の中からガラクタを持ち込んだら元の木阿弥になった。しかしまあ、家の中がそれだけすっきりしたと思えば良しとしなければならないだろう。

それにしても、大量の衣類、寝具、家具、家電製品、本、その他その他と、あきれるほど大量にある。全て自分で買った物なのだが、何故こんな物を買ったのかと自分でも不思議なくらいだ。幸い、今はこれらは分類してゴミとして出せる物も多いし、それらを出せば再度清掃業者に頼むのはかなり先になるとは思う。

掃除をすれば気分が良い。これは当たり前のことだし、いかに手際よく掃除をするかもネットなどには情報が溢れている。が、ネット通りに出来たことなどないし、だれもが生活に何を必要としているかは違うのだから当然だろう。

また毎日毎日家の中をそれこそピカピカに磨き上げている人などもたまに紹介されたりしているが、その為に費やす時間を考えると真似は出来ない。掃除は生活を快適にするために行うのであって、掃除のために生活をしているのではない。

そう割り切って、多少の散らかりは目をつぶることにした。それになれすぎるのは恐ろしいが、結局は自分で納得できるレベルを自分で管理できれば掃除はそれで良しとすべきと考えている。それは食事、健康管理等などに言えることで、それらは大切だがそれらのために生活が成り立たないのでは本末転倒と言うことになるからだ。

by ロクスケ











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健康で生活するために 気分転換

規律正しい生活は精神的にも身体的にも健康を保つためには大切だとされている。むろんその通りだと思うが、人間はそれに従うようには出来ていないようだ。だから、分かってはいるけれど食べ過ぎたり飲み過ぎたり寝なかったり動かなかったりを繰り返し、後でそれを悔やむ。

私自身の事を観ると、おそらく今は、生きてきた中ではかなり規則正しい生活をしていると思う。あくまで私自身のことであって、人と比べているわけではないから、それぞれの人は必要なら自分で考えてみた方が良い。

さて、今の私は過食はほとんどしない。一日二食で十分足りるし、それぞれも野菜中心で極端に薄味だ。

薄味なのは生まれつきの体質なので当たり前に思っているが、現役時代はそういうわけにもいかずかなり苦労をしたもののいつの間にかそれもなれてしまっていたようだ。なにしろ、仕事柄毎日外食だしまた接待などが連日あり、味の濃いもの、油の多い物、肉食、そしてあきれるほどのアルコールと良く続いたと思うほどの乱れた食生活であり、また仕事柄移動は全て車だったから歩くなどほとんどしなかった。歩く時間など無かったし、当然体を動かすなどもほとんどしなかった。見かけはそれほど太っていたとも思わないが、現実にはかなり肥満していたはずだ。

無論、体力は最悪最低で、年がら年中風邪をひき腹を壊し腰を痛めあれでよく仕事が出来、更に接待の連日暴飲暴食不眠が出来たと思う。それなりに若かったこともあってなんとかなっていたのだろう。

今の食生活や生活一般は当時の反動とも言える。おかげで、もしかしたら駄目かもと思っていた健康を取り戻すことが出来、毎年受ける健康診断でも全く問題は見つかっていない。なにしろ、自分で体力が衰えたとの自覚が無い。重い物も持てるしその気になれば十数キロくらい早足で歩いて疲れを感じない。私より若いはずの人がかなり弱っているのを見ると、自分が努力をして体力を保っている事に改めて自信を持つ。

が、

たまに気分転換をしなければ挫折するのではないかと思い、ある時試しに気分転換をしてみようと評判の良いレストランに行って食事をしてみた。そして、分かった。かつて毎日飲み食いしていた食べ物はまずくて食べられない。高い金を出したので結局食べたし飲んだけれど全く気分転換にならなかった。つまり、体が拒否していたわけだ。

今、毎日何の気なしに食べているものが体に合っていることを再認識したと言うことだ。酒も付き合いなどでは飲むことはあるがせいぜい日本酒一合、ビールグラス一杯で十分だ。酔う事は無いがそれで楽しめるなら、気分転換もそれで良い。

by ロクスケ











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健康で生活するために 語学学習

健康で生活するために 無駄遣いをしない

これは上記の記事とも重複するかも知れないが、今の私は決して金が余っているわけではないが、別に足りなくもないし、自分が欲しいと思う物はそれなりに買える。が、元々あれを買いたいこれを買いたいと言うことが余りなくなっている。

食べ物着る物に金を使うことはほとんど無く、おかげさまで病院で無駄時間や金を使うこともない。冷暖房に金をかけることはない。

すると、私が欲しいものと言えば、本とか工作材料、工具くらいの物で、今考えてみても特に欲しいものがない。まあ、年に一度くらいは小旅行をするとか、もう少し性能の良いパソコンに乗り換える、そのためのソフトなども買う、等のことはあるがたかは知れている。

この様に無駄に金を使わない生活は、結果としてかなり健康な生活をもたらしてくれるようだ。食べ過ぎたり飲み過ぎたり煙草で寿命を縮めることがないし、年中同じ物を着ていれば耐寒能力も付く。車を使わなければ歩く量が増えて体調が格段に良くなる。

かつて、仕事では歩くなど到底時間が無く、それで結局常に車で移動していたし、出張続きで毎日外食しかしていなかった。その頃の体力は、今考えても良く生きていられる物だと背筋が寒くなるような状態だった。当時から確実に私は年を取っているのだが、体力は確実に増強している。もしかしたら死なないのではないかと・・・まあ、それは無いが、今はまだ動けなくなる心配はしていない。

贅沢三昧で元気に長生きする人も無論大勢いるのだろうが、私は金をかけない生活で私なりに充実し健康ならそれで良いと思っている。人に言わせると、せかせかしていて余裕がないとの評もあるが、自分では自覚していない。

結構、散歩の途中で風景や花や虫などを眺め、写真を撮り、気が向けば絵を描いたりしている。気が向けば何時間でも歩くが、そもそもそれだけ歩いて別に疲れもしないし、夜熟睡出来るなら自分なりに余裕のある生活だと思っているし、人と比べる気などさらさら無い。人は人、それぞれで楽しめばよい。グルメでも着道楽でも旅行でもなんでも楽しめれば良いことだ。

by ロクスケ











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健康で生活するために なんと言っても食生活

今のところ、幸い私には健康上の不安はない。毎年受けている地域の健康診断でも特に問題はないし、また自覚症状もない。何度も書いていることだが、日課としている早歩きの散歩や、薄着、脳トレなどと共に欠かせないのが食生活だと思っている。むろん、喫煙はしないし、酒もまあたしなむ程度。月に2,3回日本酒換算で大体1合程度。

外食をせず、野菜を中心とした薄味の物を一日2食食べているが、以前からやっていることでこれも書いておくべきだと思うのは漬け物と野菜スープだろうか。漬け物は、もう10年以上糠漬けを漬けているが、毎日食べるわけではない。あと、特徴として極めて薄塩で漬け、そして乳酸発酵の物を自家製で作る。これだと、塩分は殆ど水として出てしまい、殆ど塩辛さが無くなる程度であって、食物繊維をとるには打ってつけだろうと思う。また、時々だが、人参、玉葱、大根、ピーマン、セロリなどを適当に刻んで電子レンジで3分ほど加熱してから、熱い内にオリーブオイルと酢、そして胡椒だけで漬ける。塩は入れないが充分良い味になる。これは一度作ってからかなり気に入って、結構繰り返し作っている。ごま油などでもいける。

さらに、特筆したいのは、野菜スープだが、何のことはない、調理で出た野菜屑を煮たスープであり、野菜なら何でもとにかく最初に洗ってから皮、へた、尻尾、種などは片端から放り込む。そしてぐつぐつ煮て、網で濾したスープを、様々な料理に使うわけだが、これらの部分からは実によいだしが出る。野菜屑が出るたびに足して行き、ある程度溜まったらだしを採りきった物はまとめて捨てる。大根の皮などは、干して置いて刻んで煮物にしたり、漬け物にしたりもするが、だしを取るのも実に良い。

この様なだしを使うと、塩分が本当に要らない。もともと薄味になれている為もあるだろうが、恐らく塩分過多の心配はしなくても良いのではないかと思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 耐寒能力を付ける

私は夏冬同じ服を着ていることは何度も書いているが、以前札幌の雪祭りに同じ服装で行ったことがある。即ち、アンダーシャツと作業シャツのみであり、その時は比較的札幌としては暖かかったが、確かマイナス8℃だったと思う。夜はもっと気温が下がったが、私としてはあまり寒さも感じず、方々を歩き回った。確かに人目は引いたと思う。季節に合わない服装をしていると認知症が疑われるそうだが、どう思われたかは知らない。

しかし、この様に寒さに慣れておくと、確かに風邪を引かないようだ。昔、私は常に風邪を引いていて、一度引けば2,3ヶ月治らず、咳やくしゃみ、鼻水、節々の痛み、頭痛と散々だったが、忙しくて医者に行くこともろくに出来ず、といって薬も嫌いだったので飲まず、とにかく治るまで我慢をしていた。よくまあそれで無事だったと思うが、酷いときは一度治っても直ぐに次の風邪を引いて年がら年中風邪の状態だった。

インフルエンザはかからなかったと思うが、もしそうだったら多くの人に伝染していたのかも知れない。当時はそれが当たり前のような気にさえなっていたが、今思えば良くもあれで我慢をしていたと思う。

風邪を引かなくなってからおそらく10年ではきかないと思うが、周りではいつも引いている人がいるし、インフルエンザワクチンを必ず摂取する人もいる。私は、ワクチン摂取はしたことがないが、幸い今のところ何ともない。

むろん、過信して引くことはあり得るのでそれなりに注意はしているが、一番効き目があるのが、耐寒体質を作っていることだと思う。また、別にやせ我慢をしなくとも寒さを感じることはないし、何時のもの様に早足で歩くと、体も温まる。

小学生などを見ると、中には半ズボン、スカートに半袖シャツの子までいる。親によって着せる服装が違うのだろうが、一度真冬にランニングシャツの子を見てびっくりした。が当人は寒そうにも見えず元気いっぱいだった。確かに子供は新陳代謝が大人より激しい分寒さを感じなくても済むのだろうが、同じ季節、縫いぐるみのように重ね着をした子もいる。やはり親の考え方の違いだろうと思う。

今の私は自分の考えで薄着をしているが、寒くないのかと訊かれれば、まあ動けば大丈夫です、と答えている。おかげさまで風邪も引きません、と言ってもじゃあ自分もそうしようとする人はいない。確かにいきなり私の真似をしても大変だろう。

何年もかけてならしてきたから出来る。そしてそう出来るようになったことが非常に良かったと思っている。

風邪を引かない、これだけでも計り知れない恩恵だと思っている次第だ。

by ロクスケ











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健康で生活するために 好奇心を絶やさない

以前も書いたが、子供の頃は時間経過が極めて遅く、ほんの一年居ただけの札幌の生活がまるで十数年も過ごしていたように思っていた。毎日毎日見る物聞く物が全て好奇心の対象であり、強烈に記憶に残っているためだ。つまり人間にとって、時間経過とは単に時計の針が進んだりカレンダーがめくられるだけではなく、精神的にどれだけ好奇心が満たされ新しい記憶が刻み込まれてゆくかにかかっている。子供の頃の一年と今の一年が時間経過としては物理的に全く同じでも、その精神的な長さが何倍も何十倍も違うのは当たり前のことだ。

さて、幸いというか、私は極めて好奇心が強い方で、他の人が意識しないでそのまま見過ごし聞き過ごしていることに非常に惹かれることがままある。たとえば、毎日散歩に行くのでもカメラを持って行くし、その途中で目に付いた花や虫、景色などを撮る。またほぼ毎日日記を書いているがどうでも良いことでも気になると詳しく延々と書いたりする。

大人になって好奇心が薄れるのは、ある意味当然の心の成長の結果であり、一つ一つの小さな事に気を取られていては集中して仕事が出来ないからだし、そして本当に知らなければならないことを知るには気が散るのは決して良いことではない。

それは知っているが、それでもふとした事に興味を駆られる事は悪いことではないと思っている。むろん、仕事で何かをやらなければならないならそれはある程度封印するが、そうでないなら思い切り興味の対象を観察する。

それが自分でも度が過ぎているのがありとあらゆる事に興味を持って語学や物作り、読書、文章書き、散歩、旅行などに向く。おかげさまで退屈するなどないし、むしろ時間が足りない。

集中して何かを成し遂げる為には、不必要な物は好奇心の対象から自動的に外すのは、大人として当たり前のことだが、それが過ぎて何を見ても好奇心の対象にならないのではこれもまたつまらないと思う。

程々がよいのだろうが、私の場合はどうも好奇心に囚われることが多すぎるようだ。が、それでも結構楽しく生活をしていると思っているから、それで構わない共思っている。ただし、本来集中しなければならない整理整頓などが疎かになっていることは認めざるを得ない。

by ロクスケ











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健康で生活するために 発酵食品

私は薄味好みで恐らくそれは生まれついているものらしい。北国育ちで、家では味付けの故意料理が当たり前で、母親は私の分だけ薄味にしてくれていた。ずいぶん手間がかかったろうが、自分では記憶のない幼い頃から濃い味にすると私がいやがって食べなかったからだそうだ。

みそ汁などは私だけお湯をさし、お浸しなどは醤油をかけない。私自身はそれが薄味だなどと思っていなかったが、他の家族の物は味が濃すぎて到底駄目だった。それは今でも続いており、私が作った料理は他の人は味がないと言い、そして外食も殆どしないのはそのためと言っていい。

が、その私が好きなのは漬け物であり、これは自分でよく作る。買った漬け物はしょっぱすぎて駄目なので、自分で作るのだが、塩漬けと言うより発酵食品と言うべきだろう。最低限の塩で漬けて、付け汁は全て捨ててからヨーグルトや酒粕、米麹などをいれて乳酸発酵した物か、塩漬けのままでも極端に薄味にしている。あるいは酢漬けやピクルスなども作るが、塩は殆ど入れない。

漬け物と言うより発酵食品が好きなのであって、自分でヨーグルトや味噌などを作るし、どぶろくなども作る。漬け物もその延長でしかない。

別に健康の事を考えて発酵食品を摂るわけではないが、結果としてそれはかなり体調改善に関わっているのだろうと思う。

私の薄味好みと発酵食品好みが関係あるのかどうかは知らないが、考えてみると子供の頃冬は野菜不足になるため、殆どの家で大量の野菜を漬け込むのが当たり前だった。家でも母や祖母が、トラックで配達されてくる大量の白菜を庭の筵に広げたり、大根を軒先にぶら下げて干した物を当時の私がすっぽりと入って余裕がある大きな樽に二つも三つも漬け込んでいた。真冬は物置の漬け物がすっかり凍ってしまうくらいだから塩を余り使わなくても腐ることなどなかったし、一方そんな低温でも乳酸発酵はする。つまり私が食べつけていた漬け物は乳酸発酵した漬け物であり、家族はそれに醤油をかけて食べ、私はそのまま食べていたのが今でも続いているというわけだ。

ヨーグルトなどは日向に置いたりするが、漬け物は夏なら冷蔵庫で作る。

結果として食物繊維と乳酸が摂れるが、これが自分の体調に幸いしていると私は思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 禁酒禁煙

私はもう数十年前になるが短期間、ほぼ1-2年と思うがかなりのヘビースモーカーであり、缶入り50本の両切りピースを毎日一つずつ開けていた。が、ある日これは駄目だと思い、その日に禁煙をし、それから一本も喫っていない。禁煙が難しいとはよく聞くし、いよいよ駄目だと医師の力を借りるらしいが、私の場合、自分では全く当たり前と思っていたのに人に言うと良くそれだけのヘビースモーカーだったのが一日で辞められたね、と感心される。却って、そんな物かなと不思議に思った。

また仕事での付き合いもあって、とんでもない酒飲みだった。これはほぼ数十年続き、一度に一升瓶やウイスキー一本を飲むような量だった。良くまあ肝硬変にもならなかったと思うが、体調は最悪だった。

しかし、ある時から一時完全に酒を止め、一滴も呑まない時期が恐らく1,2年続いた後、今は少し呑んでいる。月に2,3回、一回に日本酒一合或いはビールのショート缶一本くらいであり、これも別に呑まなければ呑まないで構わない。自分ではアル中だと思っていたが、あまりにあっけなく禁酒出来て拍子抜けしたのを覚えている。

今、気分によってはおつきあいなどで呑むが、量は本当にたしなむ程度であり、健康診断の時など、医師にもそれくらいなら全く問題はないと言われている。また暑い日などは確かに風呂上がりなどにビールは旨い。

煙草も酒も人一倍多かったのがある時本当に完全に止めて、別に苦痛でもなかったのは何故なのか自分でも分からないし、そして誰もがそう出来ると思っているわけではない。が、煙草を止め、そして酒をたしなむ程度にして確実に体力は格段に付いた。少なくともこの十年、風邪を引いたり具合が悪くなったという記憶がない。

老後に金がないのは辛いが、私の場合は身体が言うことが聞かなくなればそれが一番辛いだろうと考え、とにかく体力を保つことを最優先してきた。その選択は本当に正しかったと密かに思っている。金は相変わらず無いが、身体が自由に動き好きなことが出来るなら、金のないことはさしたる問題ではないとさえ思っている。食生活や運動、脳トレなど様々な方法を取り入れているが、なんと言っても禁煙禁酒は最優先すべき物だろう。

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健康で生活するために やはり徹底した掃除は必要

世の中には私などさえ想像も付かないほどゴミをため込み、或いは汚部屋というほどすさまじいゴミ部屋で生活をしている人がいるらしい。時々ネットなどで見聞きするが、中には部屋にゴミが1メートル以上も積み重なり、その隙間で寝ている人などもいるとか。そうなると、到底理解出来ないが、実際にゴミ屋敷などが話題になるし本当なのだろう。

食べ物などが腐って酷い匂いがしたりハエやゴキブリが無数にいる部屋で生活するなど到底出来ないが、そうしている人がいるのは事実だ。

さて、私は掃除が苦手だが、だからと言ってゴミの中で生活するのは到底我慢が出来ないから、それなりに掃除はする。掃除の手順をマニュアル化し自分でそれに従って掃除をするようにして、ある程度成功しているつもりなのだが、気が付くとやはりゴミが溜まっているような有様だ。

昨年暮れ、自分なりに徹底した大掃除をした。多分一月くらいかかったと思うが、まだだだ完成にはほど遠い。それでも呆れるほど捨てる物が出てきて今のところ物置にまとめてある。集積ゴミに出せる物は出すが、それでは出せない物が無数にあり、それが今までゴミが溜まった理由の一つだ。物置も無限に貯められるわけではないので、業者に依頼してまとめて処分して貰うために、もっと出せるゴミを次の掃除で出すつもりでいる。

むろん、それらが最初からゴミだったわけではないが、使わなくなった家具、電気製品、衣類、寝具、本、食器などなど、もし方法が有れば他では使える物が無数にある。が、今の時代、そんな物を引き取ってくれるところもないし、結局捨てることになるのだが、またゴミの占めているスペースも結構もったいない。

人によっては断捨離でありとあらゆる物を捨ててしまう人がいるが、私はそこまでは出来ない。ある程度は必要なのだが、恐らく今持っている物の10分の一も要らないはずだ。絶対に使わないと分かっている物がたくさんあるのだ。

今回の大掃除では、例え新品でも高かった物でも、二度と使わないと決めた物は全部捨てるつもりで掃除をした。そうしたら結構沢山残っていて、次の掃除ではまた悩みながら多くを捨てることになるのだろうと思っている。なにしろ、パソコンを数えてみたらノートブックも含めて7台あった。今使っているのはノートブック以外デスクトップ2台のみで、他のは捨てても良いはずなのだが、どうしても捨てられない。使えば使えるからだが、使うことは絶対にないだろう。

いずれにせよ、かのうな限り少ない物で豊かな生活が出来れば、それが健康な生活なのではないかと思っている。

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健康で生活するために 記憶力改善

誰でもそうだろうが、ど忘れと言うことが間々ある。元々私はそのど忘れが結構激しい方で、メモをつける習慣が出来たのも一つはそれが理由だ。が、本当のど忘れの時は、メモに書こうと思った瞬間に忘れているなどと言うことがある。

一般の記憶力はそれほど悪い方だとも思っていないが、これは生まれつきであり直しようがない。そもそも、人間の記憶には短期記憶と長期記憶があり、まず脳の中の海馬という場所に記憶され、その後大脳の記憶中枢にその記憶が移ることで長期記憶になるのだが、その記憶を長期記憶にするためには何度も繰り返して記憶をし直す必要があるという。

試験前の付け焼き記憶は、試験が終わると消えてしまうが、真剣に繰り返し勉強したことは生涯残る記憶になる。と、それは理屈では分かっているのだが、覚えなければならないことが覚えられずに忘れてしまうなどは日常的にある。

また、子供の記憶力は大人の想像を超えたもので、一度見聞きした物を完全に覚えてしまうなど普通にあるが、誰でも昔は子供だったのであり、誰もがそのような記憶が出来たからこそ、今普通に言葉が話せ、文字を読め、新しい物事を理解することが出来るわけだ。

さて、前置きが長くなったが、私自身ど忘れは何とかメモなどで補うしかないが、年齢と共に長期記憶も怪しくなってきている。誰もが加齢に伴って記憶力が落ちるのは当然だが、当然だから仕方がないと言っていては生活に支障が出る。

しかし、考え方を変えてみると、年を取れば記憶力が衰えるのは仕方がないと諦めるのは一寸違うと思う。近くには大きなスーパーやホームセンターがあり、頻繁に行くが、そこで働いている人の多くはパートであり、更にかなりの年輩者が多い。無論体力に自信があるからパート勤めが出来るのだろうが、感心するのは彼らが広い店内の何処に何が置いてあるかを極めて詳細に記憶していること、商品についても良く知っていることだ。

仕事なのだから当たり前というのは簡単だが、例えばある人が勤め始めてから2,3ヶ月で客の問い合わせに的確に答えられるようになるのは、仕事なのだから当たり前と言うだけでは済むまい。つまり、責任感がそれらの記憶を達成させているのであって、実は誰でも自分の仕事関係では意識しない間にかなり細かいことまできちんと記憶している例が多い。

私もそうだったし、そうでなければ同業者達との話も協力も協議もろくに出来ない。さらに、英語などは中学校から習ったが殆ど身に付かず、社会に出てから英語が理解出来なければ仕事にならない状況になって、かなり急速に身に付いた。初めて一人で海外に行ったとき、不安で一杯だったが、一週間もしない内にそれまで学んでいた英語が自然に口から出たし聴き取れるようになって自分でも驚いた。要するに必要が有れば記憶出来るのだ。

アジア諸国から日本に働きに来ている人達なども、2,3ヶ月で本当に日本語が上手くなる例など、今では普通に見聞き出来るのではないか。

子供の頃と違い、大人になれば必要のない物は記憶出来ない、が必要のある物は子供以上に系統立てて記憶出来る。

老化に伴い記憶力が衰えるのは、ある程度仕方がないのかも知れないが、だから記憶力が衰えるのに任せてはならないと思う。生活に必要な情報として取り入れる意識が絶対必要なのではないだろうか。

by ロクスケ











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健康で生活するために 加齢を諦めない


誰でも年を取る。年を取れば体力が衰え、記憶学習能力が衰え、物忘れが激しくなるし、病気にもかかりやすくなる。しょうがない・・・と言ってしまってはそれでおしまいなのだが、むろん、私もそれなりの年齢を重ね、昔と比べればつい年を取ったかなぁと思うことはある。

が、誰もが同じように年を取るわけではない。年齢は自動的に増えてゆくが、それ以上に老けて人の介護がなければ生きて行けなくなる人がいる一方、何時までもかくしゃくとして活動的な人がいる。同年齢とは思えないほど見かけも違うし、行動力も好奇心も大きく違う。それなら、年齢が増えるのは当然として老けるのは当然ではないと考えるべきだと思う。

私は、老後に金がないのは辛いことは知っているが、むしろ身体が動かなくなることがもっと辛いだろうと早くから思っていた。そこで、金を貯めるのは二の次で(どうせ大して貯まらないし)体力を保ちあわよくば強化することに力を注いだ。おそらく、それがうまく行っているのだと思う。

幸いこの20年くらいは風邪を全く引かないし、病気になったことがない。毎年健康診断を受け、医師からこの状態を保つように言われている。一日数十qを歩くことも苦ではないし、10qなら徒歩移動範囲、50qなら自転車での移動範囲であり、毎日数キロ早足で歩いて疲れなど残らない。よく寝られるし、快食快便だと思っているし、自分では脳が衰えたという自覚はない。パソコンやネットをそれなりに使い、今になって語学学習を始めてそれなりの進歩を自覚出来る。自分ではと言うだけだが、同年輩の人々からうらやましがられているのは事実だし、実際の年齢を言えば驚かれる。若く見えるのだそうだ。

その状態を得るために、それなりの心がけを持っていたつもりだし実行もしている。酒を殆ど飲まず、無論煙草など喫わず、毎日早足で歩き車には乗らず、薄味の野菜中心の食事に徹し、外食をせず、薄着を通している。毎年健康診断を受け、その結果からネットで健康年齢をチェックしてみると、非常に若いとの結果が出て、これは嬉しい。

誰もが年を取る。それは受け入れざるを得ないが、老けることは別に受け入れなくとも良いはずだし、加齢イコール無気力化虚弱化と考える理由もないだろう。

それなりに努力はしなくてはならない。が、十分に努力をする甲斐はあると私は思っている。



by ロクスケ











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健康で生活するために 断捨離反対

少し下火になったようだけれど、しばらく前に断捨離が大流行で、何もかも捨て最小限で、使う物だけを持って生活をすればすっきりすると言うことだった。海外の報道だが、自分の物を一切持たず、それこそ最小限の物も持たず、全て何かをしてその謝礼で最小限のものを貰って生活をしている人が居て、着る物でも食べるものでもストックは持たない、住む場所もその時に居させてくれる人のところに居させて貰うと言うことだった。尤もしばらく前の話で、今その人がそれで生きているのかは分からないが、ものに対する執着心がなければ心が自由になると言う話だ。私自身は、そんな心境になりたいなどと全く思わないから、相変わらず使いもしない見込みもないガラクタに取り囲まれて生きている。それでも本当に無駄だと思う物は結構処分してきたつもりだ。

結論から言えば私は何もかも捨てる断捨離はする気はないが、ただ全くのゴミ、全くの執着心の対象外のものは可能な限り捨てて、それだけでもすっきりしたいと思ってはいる。

可能な限り捨てているつもりだが、一方、衝動で色々な物を買っている。前に書いた筆記具などは可愛いもので、本なども頭を痛めている。尤も最近はネットで読んだり、ダウンロード版を買って済ませることも多いし、図書館で借りることも結構ある。新刊書で読みたい本が最近は余りないと言えるし、第一、一度も中を覗いたことのない本がたくさんあるのだ。おそらく、今後絶対に読まないだろう本が殆どと言っていい。が、捨てたいけれど捨てられない。着なくなった古い服もかなり捨てたつもりだがまだ残っている。

が、それらは単にものというのではなく、思い出が絡んでいるのだ。だから捨てられないのだろう。多くの人が断捨離をして後悔をしているとも聞く。思い出も捨ててしまったからだそうだ。

合理的に物を捨てるのは良いだろうが、物には思いがこもっている。それを無視してはならないだろうとも思っている。結論だが、これもまた健康な生活の一つの方法ではないだろうか。

by ロクスケ











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健康で生活するために 絶対断酒、禁煙

昔、一時期私はかなりのヘビースモーカーで、ピースの両切り50本入りの缶を毎日一つずつ開けていた時期があった。だが、それも後から考えてみると2年間程度で、ある日きっぱりと止め、それから一本も喫っていない。

酒の方は、仕事上どうしても接待酒があり、最も飲んでいたときはほぼ毎日ウィスキーなら一本、酒なら一升を飲み続けていたと思う。多分、20年くらいは続けていたのではないだろうか。が、20年ほど前に禁酒した。実はアル中ではないかとかなり心配していたのだが、そんなこともなく完全に止めることが出来、その後まあ多少は良いかと、月に4,5回一合程度を飲むようにはなったが、今年になってからはそれも止め、恐らく今年は一滴も口にしていない。せっかく造った果実酒もそんなわけで全く飲んでいないが仕方がない。

煙草を止めたとき、そして大酒を止めたときにはっきりと自覚したのは極端な体力の回復だった。実は、大酒飲みの仕事中毒だった頃は、ほんの目と鼻の先への移動も全て車であり、殆ど体を動かす等しなかったこともあって、極端に体力が無く、年に2,3回は酷い風邪を引いたり腹をこわし、腰を痛めたりしていた。が酒を止めたきっかけは、出張で訪れた地方のさる神社の石段を数段も上れないことに愕然としたからだが、むろん、酒だけではなく全てを外食で済ませていたことなども影響しただろうし運動不足も寝不足も影響していただろう。

退職してから本格的に酒を止め、食事に気を遣い運動をするようになってほんの数ヶ月で見違えるように体力が回復し、今では少なくとも十数年風邪を一度も引いたこともないし腹をこわしたこともない。

全てが禁煙や禁酒のためではなく、それなりに運動をしたり食事に気を付けたりなどの努力をしたこともあるだろうが、しかし禁煙禁酒の効果が最大であろうとは思う。程々なら良いだろう、気分転換も大切だ等と言うようなことではない。絶対に止めるべきだと信じている。

2,30年前よりもそれだけ確実に年を取っているが、しかし確実に体力は向上している。今では場合によって2,30キロ歩いても疲れないし、京都駅の大階段なども一気に昇って別に疲れない。病気にならず、医者にも今の状態を維持するようにと言われる。

前にも書いたことだが、金がないのは確かに辛い。が、身体が動かないのは悲惨だと思っている。その意味で私は豊かな生活を手に入れたと信じているが、そのスタートは絶対の禁煙禁酒にあると信じているわけだ。

by ロクスケ











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健康で生活するために 新しいことにチャレンジ

私は年齢の割にネットやパソコンには親しんでおり、今までおそらく80年代からネットをやっているし、当時は売っていなかったパソコンは自分で造った。今でも、自分で組み立てたパソコンを使っているし、HPやブログなども初期からやっている。

が、ネットもパソコンも技術進歩が極めて速く、当然ながらその技術変化には付いて行けない。それでも、必要なことはその都度ネットで調べるなどして、かなり使いこなしているのではないかと密かに自負している次第だ。

新しい技術には付いて行けないから諦めると言う気にはならない。必要な知識はいくらでも学べるのだから、可能な限り学ぶべしというのが私の流儀であり、結果として今も恐らく必要な知識は得続けていられると思う。

むろん、私が開いている個人のホームページも動画もブログも到底最新技術とは言い難いが、それで間に合っているなら別に問題はないし、そのために私が必要としている技術は得ていると思っている。

おそらく、この様な姿勢は思考を柔軟に保つ効果があると思っている。思いがけない、到底理由の分からないトラブルが起きることがあるが、そこで諦めてしまっては先に進めないので何としても解決すべく色々調べる。時にはそのために一日費やすこともあるが、最終的に解決出来れば、それまでに使った脳への刺激は相当な物だろうと思う。

よくその年でパソコンをやると言われるが、80でパソコンを学び始めそしてゲームのためのプログラムを開発した人もいる。年だから出来ないと考えたとしたら、その時は本当に年を取ったのだ。私自身は未だ自分が年を取ったとは考えていない。

by ロクスケ











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健康で生活するために 清潔であること

私がこの話題を持ち出すのはちょっと忸怩たる思いがあり、自分自身現代の清潔感覚に沿っているとは考えていないからだ。ただ、むろん私も毎日顔を洗い髭を剃り歯を磨き、下着を取り替え風呂にも入る。部屋はそれなりに掃除しているがただし、毎日ぴかぴかに磨き上げているわけではないし、一日何度も手を洗いアルコール消毒をしているわけではない。私自身がこれで良いだろうと思う程度の清潔度を保っているつもりだが、それかあらぬか特にそれが原因での食中毒などは経験がないし服装を見て多分人が眉をひそめることもないだろう。むろん、口に出さないだけかも知れないが。

さて、世界でも日本は突出した清潔な国であり、大都市である東京の道路にゴミが落ちていない、人々が清潔な服を着ているなど最近ネットなどでは話題になっているようだ。これは自分で海外に出てみて本当だと思う。ロンドン、ニューヨーク、パリなどの道路がゴミであふれているのに衝撃を受けたり、歩きながらものを食べ、食べかすをそのままポイ捨てしている人達を見たときなどは信じられなかった。尤も、そのような人は地元でも眉をひそめられているが、日本では見たことがない。

日本は江戸時代の初めから極めて清潔であり、外国人が驚いている。なにしろ、当時から上下水道がきちんと機能していたのは世界でも江戸だけであり、ヨーロッパでコレラやペストで人口が半分以下になったとき、日本にもそれらの病気が入ってきたが、殆ど大流行もせずに収まってしまっている。江戸時代の頃、ロンドンでは糞尿を窓から道路に投げ捨てていたし、エリザベス一世は生涯に二度風呂に入ったことで清潔だと言われたそうだ。

当時の江戸っ子は殆ど毎日風呂に入っていた。

閑話休題。日本人の寿命が長く、健康寿命も世界のトップクラスだが、むろん医療技術の高さ、国民皆保険、国民の意識の高さなど様々な理由があるだろう。が、清潔であることもその一因であることは間違いない。

ということで、私自身現代人の目で見ればとりわけ清潔な生活をしているのではないだろうが、まあまあのレベルなのだろう。神経質になればそれが却って厄になる。つまりは、自分で納得出来るレベルであればよいとは思うのだが、むろんその納得出来るレベルには人目という要素も大きく含まれていなければならない。

by ロクスケ











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健康で生活するために 積極的に身体を動かす

幸いなことに私は年齢の割にも身体が動くし、健康状態も良い。むろん、そのための努力を意識してしている事もあるが、一番それに効果があるのは、やはり身体を動かすことではないのか。といっても、それほど一日中身体を動かしているわけではない。もっぱら歩くことを主としているが、同時に重い物を持ったり、身体をほぐすようなことをしたりなどを積極的にしている。今でも、毎日数キロは最低早足で歩き、時には十キロ、二十キロ歩いても全く問題はない。

身体を動かすと、多分頭も動くようになるらしい。だから、今回別記事で書いたように、家のリフォームなども身体と頭を働かせてやることが出来る。

先日人と話していて、いつの間にかテレビの話になり、私がテレビを観ない、それ以前にテレビを持っていないと言ったら相手はびっくりしていた。嘗て私もテレビを持っていたが、知らない内に一,二時間もテレビを観ていて、時には数時間も観ていることがあって、そのあと何を観たかもろくに覚えていない。何も考えない時間がテレビのために過ぎてしまう。

ある日それがあまりに腹立たしく、テレビをそれこそぶちこわして粉々にしてしまった。あれほどすっきりしたことは滅多にない。テレビはある種の中毒であり、アル中が問題になるならテレ中も問題になるべきだろう。

それはともかく、テレビがない間、様々なことが出来るし、何より外に出て歩き回ることが出来る。繰り返すが、身体を動かすと頭も動く。

身体と頭を動かすと、精神的にも若々しくいられる。これは自分だけの思いこみではなく、身体を良く動かしている年輩者は話をしていても極めて思考が柔軟であり豊かに見える。

取り敢えず、テレビを捨て、空いた時間で身体を動かすことを是非おすすめしたい。

by ロクスケ











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健康で生活するために 依存症のセルフチェック


前回、禁酒禁煙のことを書いたが、酒や煙草だけではなく、自分では抑制の出来ない悪癖は結局依存症と言っても良いのではないか。ただ、問題は、多くの依存症は自覚出来ない点だ。

最悪の物としてはドラッグ依存などがあるだろうが、それほどではなくとも競輪競馬パチンコ、麻雀、暴飲暴食などなど、自分では気が付かない依存症は多々ある。これらは明らかに生活を破壊し、家庭を破壊し、人間関係も破壊し、下手をすると廃人になりかねない。

これらは、人から注意されるだろうし、或いは自分で気が付いているかも知れない。それで止められるなら良いのだが、問題はその害悪に気が付いていても抜け出せないから依存症なのだろう。

私は自分で考えてみて、上記にあるような依存症は全くないと思っているが、自分では悪いとは思っていない依存症があるかも知れないとは時々考えてみる。

最近ちょっと気がかりなのはパソコン依存症ではないかとの点だ。例えばノートパソコンやデスクトップなどで合計7台のパソコンを持っていることに最近気が付いた。常時使っているのは1台だが、2台目もデスクの上にあっていつでも使える状態になっているし、予備の形などで使っている。

旅行や外出に持ち歩く小型のノートや、滅多に使わない古いOSのパソコンなどもある。こそして、朝起きると真っ先にパソコンに電源を入れ、メールをチェックし、報道などを読み、後は文章を書いたりHPを更新したり、様々な物を調べたり、図面を描いたりデータをチェックしたりで、長いときは一日7,8時間はパソコンを使っている。ゲームなどは一切やらないし、フェイスブックはアカウントは持っているが使わない。

パソコンは本を読んだり、語学の勉強をしたり等にも使っている。

が、それでもパソコン依存症ではないのかと最近気になっているわけだ。が、今更パソコン無しでは自分の生活が成り立たない様な気もする。

酒や煙草は一回で完全に止められたが、パソコンはそもそも止めようと言う気がない。ただ、少しは減らした方がよいかとは考えもするが、その調整が上手く出来ないのは、或いは依存症なのかも知れないとは思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 自家製味噌

味噌は日本独自の調味料であり、日本食には醤油と共に欠かせない物であろうが、その味噌も日本各地で、それぞれ独自の風味がある。嘗て仕事のために日本各地を歩き回り、各地の食事をしたが、醤油や味噌のそれぞれの土地独自の風味の違いに興味を持った。

私は北海道で育ったために北海道独自の白味噌が未だに基本となっている。昔は流通が発達していなかったし人の交流も盛んではなかったから地方独自の味噌が発達したのだろうが、今は流通も人の交流も発達しているので、全国どこの味噌でも、全国どこでも手に入る。が、私は、自分で味噌を造っている。

ほぼ2年に一度くらいだが、大体25kg位ずつ造り、2年ほど寝かせて完成する。ごくたまに失敗するが、大体は非常に旨い味噌が出来る。一度完成すると、小分けにして冷凍保存し、熟成を止めることで、大量に造ることが出来るようになった。それまでは精々毎年7,8Kg造るのが精一杯で、食べ終わる前に熟成が進みすぎて食べられなくなるからだ。北海道の白味噌は塩分がとにかく低いのが特徴と言える。麹の甘みが適度に有って、体にも良いと言える。

むろん、北海道味噌も今はどこででも買えるが、自分で作った味噌とは比べられない。それほど、自家製味噌は旨いし、なにより無添加であることは保証済だ。

自分なりに何度も経験してそれなりのノウハウを持っているつもりだが、今ではネットなどで簡単に材料も買えるし作り方も分かる。自分が育った味の味噌を自分なりに造るのはかなり楽しいし、かなり簡単に出来る。それに、安い。なにしろ高級味噌はかなり高いが、自家製味噌は量にもよるだろうがかなり安上がりだと言っていい。

糠漬けなどにも言えるだろうが、自分の味覚にあった発酵食品は自分で作るなどすれば、同時に身体にも優しいのではないだろうか。 

by ロクスケ











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健康で生活するために 金で買える健康

幸い、私は健康だろうと思っているし、二十年くらいは風邪も引かないし腹もこわさず、毎年の健康診断でも問題はないと言う状況が続いているのは本当にありがたいと思っている。何度か書いたが、そのために意識して食生活や運動などなどに気を遣っているのだが、それらはいわば無償で出来る事だし、むしろ節約にさえなっている。美食をしないことや歩くことで気が付けばかなりの金を節約出来ているのは実に有りがたい。むろん、酒や煙草などで金を使うことなど無いし、着る物もいつも薄着なので金はかからない。

結局、健康のためには金は要らないということだが、ただ健康のために金を使うことも私は積極的にやっている。毎年健康診断を受けているがそれなりに金はかかるし、時には病院に行く。そのたびに気のせいだから放っておけばよいと言われるのだが、それを無駄遣いだとは思わない。直接は関係がないかも知れないが趣味のために金を使い、旅行に金を使うのもいわばそれが健康を維持する動機にもなっているのだろうし、使える金があるなら使う。

基本的に健康を得るには金はかからないと思うが、金で健康が買えるならためらうことなく使うべきだろうと思っている。ただし、そのために怪しげなサプリメントを買ったり、怪しげなトレーニングを受けるために散財することではないし、健康不安は現代人には普通にあるだろうからそれに付け込む悪徳商法の被害者になるなどご免被る。私の知人にサプリメント中毒者が居て、常に山のような高額のサプリメントをとり、まともに食事も出来ない有様で、止めた方がよいと何度も言ったのだが、これで自分は健康を保っていると言っていた。が、残念ながら癌が手遅れ状態で見つかり、手の施しようがないまま亡くなった。

むろん、これをサプリメントの摂りすぎが原因だ等とは言わないし、本当に有効なサプリメントもあるのだろうからそれに金をかけるのが悪いとは思わないが、ただ、基本は自分で理解し、健康のために努力をすることが先で、金を使うのはそれを補助するためだと思うのだが。

by ロクスケ











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健康で生活するために 自分を縛らない

幸い私はかなり健康であり、この2,30年、病気をしない。風邪も引かない。前にも書いたが、それなりに努力をしているとの自負がある。食事や運動、生活様式などなど私なりに考えている最良の方法をとっているのだが、私の場合、美食を我慢している訳でもなく、元々食べることにあまりこだわりがなかったことが幸いしていると思っている。可能なら食べなくてもよいのだが、無論それでは生きてゆけないので食べていると言うだけだ。外食は全く興味がないので、よほどのことがない限り外で食べるなどしないし、食べるとしても簡単な定食や麺類くらいで済ませる。それで全く不満はない。

酒も今はほとんど飲まないが、最近付き合いでかなり飲んだ。幸い悪酔いもせず、翌日にも残らなかったが、自然に飲まない生活ができるなら幸いだと思っている。なにより、食事の質にしても外食にしても酒にしても、我慢をしているなら、それが大きなストレスになり、却って健康を損ねるのではないかと思うこともある。

それは人それぞれなのだろうし、私は一回で禁煙できて全くストレスがないし、一回で禁酒し、それも全くストレスがなかったので、今では人とのお付き合いくらいだとそれなりに飲むことにしている。今のところそれで飲酒習慣がついたなどは全くない。

野菜食にしても薄味にしても我慢をしているのではないが、もし我慢をしてそうしているならそれがストレスになるだろうと言うことだ。あくまで食生活にしても禁酒にしても運動にしてもそれがストレスにならない程度、つまりたまには良いか、というのも許されるのではないか。ただし、それで元の木阿弥になるなら話は別だが。

by ロクスケ











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健康で生活するために 人の振り見て


前号でも書いたが、いくら健康に気を付けていても現代で未だに原因の分からない病気にかかったり治療法が見つかっていない病気にかかることはあるかも知れない。癌にしても、日本人の死因の半数近くが癌だそうで、大半は本人の責任とは到底言えない部類だろう。

現在出来ることは定期的な検診を受け、早期に発見することくらいだろうしまた以前と違い癌の治癒率は相当上がっている。また、日本人に多い胃癌の多くがピロリ菌によるものだとの発見から今では保険でピロリ菌の除菌が出来るようになり、胃癌の発生自体がかなり減ってきたとも言われている。むろん、ピロリ菌だけが原因ではなく、喫煙や酒、塩分過剰など他の理由もあるのだろうが、喜ばしいことだ。

それでも理由の分からない病気はかかってもどうしようもないとしか言えないが、罹患率、病状の深刻さ、治療の結果の治癒率や予後などは、日頃の体力の状況によって大きく違うのではないか。とすれば、やはり日ごろの努力でそれらを回避或いは軽減出来ると私は思っている。

さて、それでも不安なのがずばり認知症なのだが、現時点では発生メカニズムが不明であり、したがって、明確な予防法も無く、更に治療法もない。したがって、一旦発症したら進行を遅らせ生活の質を高めるべく支援体制を整えるしかないというのが現状だ。

私にとっては、やはりそれは意識しなければならない年齢であり、しかも定期診断では分からないし自覚も無い場合が多い。自覚した頃には手遅れとさえ言えるだろう。

どう考えても物忘れは増えてきているし、それも瞬間的に今考えていたことを忘れるなど多々ある。昔から瞬間的な物忘れは多い方だったが、いまそれが増えてきているのかどうかははっきりは分からない。例えば、以前は自分が書いた一千作余りの短編小説は、タイトルを見るだけで内容を完全に思い出せたのが、最近はどうも怪しくなってきた。

だから、私が出来ることは新しいことを記憶出来るかの確認になる。メモを書くのもそのためだし、本を読むのも新しいことを学んでいるのもそのためだと言って良い。幸い、それらで新規記憶に問題があるとは思っていないが、単に自覚していないだけではないのかとも思うことがある。

まあ、このサイトを維持し、文章を書いているのもその確認作業の一つと言えるかも知れない。

by ロクスケ











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健康で生活するために 物を造る意味

私は物作りが趣味であり、専用の工作室を持ち、それなりの工作機械なども持っている。今までどのくらいの物を造ったかは分からないが、千点や二千点では利かないだろう。むろん、それが実利に結びついていることは無数にある。家のリフォームなどは業者に頼むと数十万から規模によっては数百万かかるが、自分でやれば数十分の一ですむ。水道工事や外壁塗り、屋根塗り、土台の補修等々、自分でやることでどれほどの費用を節約出来たかは空恐ろしいほどだ。

やったこともないしやるつもりもないが、恐らく自分で家を建てることも可能だろうと思う。

また各種のアンプやパソコンなどの電子製品も自作しているし、家具なども作っている。が、これらのものは大半は実は買った方が安い。昔は真空管アンプ、今はトランジスタやICを使ってのアンプなども作るが、間違いなく買った方が安いし、通販で買えば自作の数十分の一くらいで買える物さえ有る。

が、それでも私は自分で作る。理由の一つは材料が手持ちであるからだ。今まで色々買い集めた真空管やトランジスタ、ICなどなどの電子部品がそれこそ山のようにあるからそれを適当に使って組み立てている。昔はパソコンが百万でも買えなかった頃は自分で作ることで持てたし、なにより理解するのに役だった。今は、むろん、買った方がよほど安い。規格が代わるので手持ちの部品の使い回しも出来にくくなった。

自作するもう一つの理由は、なんと言っても楽しいからだ。自分の好みや環境に合わせ自分の手持ちの材料で作るのはそれなりに工夫が要る。結局作ってしまったらそれで目的を達したものも多い。作ることが目的で使うことが目的ではないものをかなり作っている。というより、作った物の大半がそうだと言っていい。最近は自分のホープページに載せる場合もあるし、動画を作ってUPすることもある。尤も、レビューは嫌になるほど少ないが。

最近ポータブルのアンプを三,四台作ったが、一度鳴らしてそれからは一切使っていない。

不必要でも作り、作っても使わず、いずれ捨てる。が、それでも作る時の楽しみ、工夫して出来上がったときの喜びはやはり得がたい物であり、私が物作りを続けるのもその喜びのためだ。

これは結構精神的に健康維持のために大きく役立っているのだろうと信じている。

by ロクスケ











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健康で生活するために やはり日頃の心がけ

人間はいつかは死ぬ。例外はないので、誰もが自分はいつかは死ぬと思っているだろうが、ただどうせ死ぬなら安らかに、苦しむことなく、そして死ぬときまで心身共に健やかに過ごしたいものだと思っているのも普通だろう。

昔は、信長の言うように(本当は謡曲の中の言葉だが)人間五十年だったろうが、今は七十、八十まで普通に生きるし、なにより百歳まで生きる人も昔ほど珍しくなくなった。一方、成人する前に死んでしまったり働き盛りに死んでしまう人もいるし、その場合は到底寿命とは言えまい。事故は現実には本人にはどうしようもないケースが殆どだろうし、病気でも遺伝性だったり今でも原因の分からない病気などで死ぬことも多い。この様な場合、運が悪かったと思うしかないのだろうが、場合によっては、絶対に本人の責任ではないのかと思えるケースが多数有る。

例えば、高血圧、糖尿病、脳梗塞、癌などでむろん、原因も分からないし全く体質的な物の場合はこれも仕方がないと言うしかないが、一日何箱も煙草を吸う、カロリー制限も全くしない、野菜を食べない、深酒をする、運動をしない、寝ないなどなど生活習慣から取り返しの付かない病気を招き、その結果からだが動かなくなったり失明したり衰弱して動けなくなったりなど悲惨な状況に陥って死ぬと言うケースもある。

繰り返すが、高血圧糖尿病などなど上記に挙げた原因などが全て本人の責任だというのではない。遺伝的にどうしてもそうなってしまう事もあるのだが、多くの場合は日頃の体調管理により自ら呼び寄せた病気も相当数有ると言うことだ。これは、全く本人の責任と言わざるを得ないだろう。

やはり元気な内から、煙草は吸わない、深酒はしない、適度な運動をする、野菜を多く摂る、過分な肉食や塩分過多、糖分過多は避ける、体重管理をするなどなど意識して心がけた生活を続けていれば、年をとってもそれほど病気にはならないものだ。むろん、どんなに努力をしてもやがて死ぬし、八十まで生きても百まで生きても、それまでは年齢並みに健康でありたいと私は思う。

どんなに健康に気を付けても、どうしても避けられない病気や、治療の出来ない病気などになるかも知れないが、それ以外は、健康で生きられるかどうかはあくまで自分の責任だろう。その責任を果たさなければ自分がその結果がどうなろうと自業自得だと言うことではないのだろうか。

by ロクスケ











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健康で生活するために 無駄を省く結果

考えてみると、私は今ずいぶん金のかからない生活をしているようだ。まず食事で、外食が嫌いなので自分で作って食べているが、毎日同じものしか食べない。ということで、食材の無駄が出ないし、また野菜が主であり、それも季節のものを食べているだけだから、食費自体が結構安い。むろん、量もかなり抑えていると思う。

酒は飲まないし煙草も吸わず、間食などもしない。

着る物は夏でも冬でもシャツとズボンだけ、それをとっかえひっかえ洗濯しては着ているだけで、コートもセーターも着ない。つまり着飾ろうという意識がない。それにより、冬もシャツ一枚で外を歩くためか、この2,30年風邪も引かないし、そもそも病気で病院に行ったことがない。病院では年一回の健康診断だけで、健康に問題は全くないと保証されている。病院代などは全く今のところ不要になっている。

暖房なども最小限で済んでいる。また以前は100メートル先のコンビニでも車を使っていたが、今は車に乗ることはない。毎日1時間ほど早足で歩いているし、先日は一寸旅行して10日ほどの間毎日10-15キロほど歩いた。一日寝れば疲労は全く残らない。

以前はテレビがあったが、テレビを観ていると本当に後で腹が立つほど時間が無駄になり、そして番組の内容など全く残らない。新聞も似たようなもので必要な情報はネットで入るし、テレビや新聞と違い、膨大な量の情報量があるから、自分でその情報源を探し正確度を確認出来る。テレビは分解してごみとして出したし、受信料を払わなくても良い。新聞もむろん取っていない。

ついでに、人との付き合いも最低限に抑えている。

こう言う生活をしていると、自分でも驚くほど金がかからないのだが、自分ではかなり充実した生き方が出来ている。体力が有れば、新規に学ぶことも億劫ではなく、確実に外国語の能力などが上がっているし、読書量なども文章を書く量も確保出来ている。

人それぞれライフスタイルは違うし、何を楽しみにするかも無論違う。が、私は今の生活が気に入っており、そして今の生活を維持出来る能力を備えていることが嬉しい。

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健康で生活するために 老後の蓄え

誰でも考えることだろうが、普通は年を取ると体が弱り、病気がちになりそして収入は減る。下手をすると認知症になったり身体が動かなくなって、人の助けがなければ生きて行けなくなる。それに備えて人が考えるのは金を貯めることだろう。

最近、オレオレ詐欺などで大金をだまし取られる高齢者が絶え間なく報道される。それに対し警察や金融機関などが繰り返し繰り返し注意をするように呼びかけているのにそれでも騙される高齢者が後を絶たない。

様々な理由があるのだろうが、高齢化に伴い金の不安が高まってきているときに儲け話などをされるとそれにすがってしまう心理や、そもそも高齢化に伴って判断力が低下するとか、もともと社会情報に触れる機会がないから、警告を身近に感じていないなどなど有るだろう。

幸い私はそのような被害にあったことはないが、騙されるような金も持ってはいないからその点の心配はしていない(金がないことの心配はしているが)

さて、話がいつものようにそれたが、私も例外無しに高齢化を迎えているし、幸い年齢からすれば相当健康で、全く病気もしていないし生活に不安を持つような体力でもない。その気になれば一度に25-20qくらいは歩いても全く平気だし疲れもしない。前にも書いたが、それは私が老後に備えて金を蓄える以上に体力を蓄えることに主力をそそいできたからであり、病気になったらどうしようというのではなく病気にならないためにはどうしようと考えてきたからだ。その選択は今では全く正しかったと思える。

むろん、それと共に金が貯まっていれば御の字だろうが、あいにく私は美食にふける趣味もなければ着飾る趣味もない。特に生活に金を使わなくてはならない事は今のところ無い。また、もし体をこわしてしまえば、どんなに金があってもそれを使って楽しい老後というわけには行かないのだ。毎日毎日病院通いしかできない、或いはそれも出来ずに一日ベッドの上というのでは、本末転倒だろう。念のために書いて置くが、不可抗力あるいは自分ではどうにもならない理由で病気を持つ人もいることも理解しているし、私自身がそうなる可能性が皆無だと考えているわけではない。

老後に備えて金を貯めるのは無論大切だと思うし否定はしないが、それ以上に私は体力をため、維持することを重要視したい。今のところ、それで間違っているとは全く思わない。

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健康で生活するために 食べ物の好き嫌い

自分では食べ物に対して好き嫌いはほとんどないはずだと思っているが、人から見ればかなり偏っているらしい。とにかく私は外食嫌いで、可能な限り自分で作ったものしか食べない。人とのお付き合いでは何を食べても同じなのでお付き合いで同じものを食べることが多いが、別に食べたいものを主張しないので何でも食べる人間と思われているかもしれない。

正直を言えば、霞でも食べて生きていけるなら食事など別にしたいとは思わないし、買い物、調理、食事、後始末の時間がかなり負担になっている。食べないわけにはいかないので食べているが、毎回コンビニ弁当など御免被る。

そこで、それらの時間を最小限にすべく、毎日毎日同じものを食べることになるが、それでは偏食になるので多くの食材で同じものを作って毎日加熱しながら適時材料を加えて居ることになる。おそらく今の煮物はそうやって作って一年くらいたつと思う。

主食は野菜だが、とにかく季節の野菜を細かく刻んで二日分位を炒めるか電子レンジでチンして密封パックに入れ冷蔵庫に入れて保存、ご飯はまとめて炊いて小分けにして冷凍保存などなど、人から見ればとんでもない食生活をしている。が、これでかなり便利になっているのは事実で、何より今日は何を食べようかなどと悩む必要がない。調理も後片付けも最小限で済む。そしてこれは自分でも考えているが野菜主体でほとんど塩分を使わずに調理をしているので特に栄養が偏っている自覚もないし、定期の健康診断でも問題はないようだ。

食は人間にとって快楽の一つだが、どういうわけか子供の頃から私にはその欲望がなかったとしか思えない。かつて仕事で世界各地にゆき日本中も回り、当然外食や接待などの連日前夜の飲めや歌えの毎日だったが徹底的に体を壊した以外、美食を堪能したという満足感など何一つ無い。フランスでカタツムリを食べメキシコで羊の脳みそを食べても珍しいものを食べたとの感慨もない。お付き合い以外では二度と食べたくはないと思っただけだ。

美食を追い求めることは生きている目的の一つだと言っていいのだろうが、私にとってそれは当てはまらないことが今の健康を与えてくれているのだと勝手に思っている。

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健康で生活するために 自己診断

毎年簡単な健康診断を受けている。気休めにしかならないかもしれないが、現実に医師からこの状態を維持するように言われているのだから、とりあえず隠れた重大な病気は今のところ多分無いようだ。多分だが。自覚症状も特にない。むろん、日によってかったるい日もあるし、風邪でも引いたのかと思えるようなときもある。実際は鼻水くしゃみが出ても1時間ほどで収まるので単にその時の体の反射のようなものだろう。

ところで、以前から瞬間的な物忘れをする傾向があり、今もそれが非常に気になるときがある。すなわち認知症が気になるわけだ。4年ほど前か、専門病院に行って認知症の検査を受けたが、全く問題は無いと言われた。

それでも一度気になれば不安になるのは、身近に実際に認知症になった人が居るからだ。そこで、それも気休めかもしれないがネット上の認知症自己診断を時々やってみる。幸い、今のところ大丈夫なようだが、あくまでネット上での自己診断なので本当に気休めだ。

自分で考えてみて、例えば新しいパソコンの知識を取り入れ自分用のパソコンを組み立て設定して使えるようになっていること、YouTubeなどを利用して、現役時代から極端に落ちていた時よりも英会話能力は確実に上がったと思えること、フランス語やドイツ語、スペイン語なども現役時代には遠く及ばないが、以前よりはましになったと思えること、あくまで思えるだけだが、外国語会話の集会などに行って自分で考えているよりも通じることを実感したりすると、まあ認知症はまだ心配しなくても良いのかとは思う。それに、誰もが認知症になるわけでないし、100歳を過ぎても現役の医師や芸術家だった人などもたくさん居る。周りにも私よりずっと年長ながら極めて明晰な頭脳を持っている方も居る。認知症はなるときはどうしてもなるのかもしれないが、年をとったら頭脳が衰えるから仕方が無いとは思わないことにしている。

ただ、それでも以前に比べて瞬間的な物忘れが増えたような気がして仕方が無いのだが。

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健康で生活するために 寒さに耐性を保つ

今年の夏は平均ではさほど例年とは気温が変わらない夏だったそうだが、ただ、記録破りの暑い日があったかと思えば、夏とは思えないほど寒い日もあったとかで、つまり気温の平均化が非常に壊れていたという。これは地球の温暖化に伴って生じた現象であり、暑い日はとんでもなく暑いのに、寒い日はとんでもなく寒くなるということで、実際に9月に北海道では平地で雪が降っている。これもかつて無いほど早いふゆだそうだ。

人間の体は、徐々に気温が上がったり下がったりするにつれて次第にその温度になれて行くように出来ているが、今年のように極端に暑い日と寒い日が急激に入れ替わったりすると体がそれについて行けず多くの人が体調を崩したり、風邪を引いたりしやすくなる。

ところで私は以前からあまり暑さ寒さも応えないほうだし、真夏でも真冬でも下着の上にシャツ一枚で過ごしている。特にそれで暑さでバテたりもしないし、冬に凍えたり風邪を引いたりもしない。さすがに今年の夏は少々応えたが、これから寒さに向かうとむしろ体調は良くなる。

これは以前から寒さに体を慣らす様にしていたからであり、20年ほどはこのスタイルを続けているし、そして風邪も本当に引かない。室内暖房もよほど冷え込まない限り使わないし、確かに真冬は手袋、マフラー、耳当てなどを使うが、シャツ一枚の服装は同じで、近所の人も最初はあきれていたようだが私が風邪一つ引かないのを知っているからか、特に何も言わない。人がどう見ようとかまわないが、とにかく寒さに耐えられるように体を慣らすと、なにしろ寒いときでも体が動くし、縮こまるようなことが無い。なにしろ風邪を引かないのは何にも代えがたいし、人が見るほど私自身は寒さを感じていない。

考えてみれば、江戸時代は今よりも寒い機構だったし庶民は本当に着物一枚で過ごしていたし、暖房など火鉢か炬燵くらい、隙間風の吹き込む薄い壁の家で生活をしていた。それが当たり前だったし、江戸時代で無くとも私の子供の頃に比べ暖房もずいぶん発達し家の断熱も進んで、確かに寒くて震える様なことは無くなった。因みに私は子供の頃北海道に住んでいた。子供の頃はマイナス十数度でも今のような暖かい服装など無いまま雪の中で転げ回って遊んでいた。

その気になれば、子供時代から数十年経っても同じような生活が出来る物であり、私にとっては着ぶくれて暖房にしがみついているよりよほど快適な冬を過ごしているつもりだ。


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健康で生活するために 腹も身の内

たまたまYoutubeでフードファイターの動画を見た。6キロ以上もあるラーメンや大盛りのカツなどを30分くらいで食べてしまうのを見て驚いた。6キロ分の食料と言えば私の一週間分くらいの食事量では無いだろうかと思う。一日2食だが、朝晩合わせて1キロも食べていないと思うし、それでも満腹になり食べ過ぎたと後悔することもままある。

6キロもあるラーメンが体のどこに入るのかは知らないが絶対にまねをしたいとは思わない。まあ、フードファイターという分野があり、食べる量を競っているそうだが、見ていて気持ちが悪いだけだ。

かつては私も結構食べていたし、むろん育ち盛りの時はそれに応じて食べていた。また現役時代は付き合いでほぼ毎日大酒を飲みながら食べていたせいでかなりぶよぶよになっていたし運動能力は全くなく、健康状態も最悪だった。育ち盛りや体を使う仕事ならそれに応じて食べなければならないだろうが、不必要な大食は百害あって一利なしだろう。

私の場合は普通とは違うとは自覚している。なにしろ、食べなければ生きてゆけないから食べるのであって、そのためなら可能な限り効率の良いものを食べるようにしているが、あれこれ何かを食べたいという願望は無い。むろん、まずいものを食べたいとは思わないが、人がうまいと言っているレストランや料理屋の食べ物をうまいと感じることはあまりない。

毎日毎日同じ物、ただし材料の種類は多い、を食べそれも極めて薄味のものしか食べない。私は別にこれで不満を感じたことは無いが、人との付き合いで食べるのはあまり好きでは無い。むろん、それを口にすることはないし、うまそうに食べている人の前ではそれなりにうまそうな顔をする様にはしている。

が、いくらうまいものだと言われても、フードファイターのまねは絶対にしたくない。

その私の食生活で、今のところ毎年受ける健康診断では何ら問題が無いとされているのだから、私自身は変えるつもりはない。

by ロクスケ











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健康で生活するために 運動量を考える

先頃の体育の日にラジオで放送されたことだと記憶しているが、80歳を過ぎてフルマラソンを3時間前半で完走した人が居る。因みに、世界にはかなりたくさん居るらしく、また100歳でフルマラソンを完走する人まで居ると言うから驚く。

その一人がラジオで言っていたのだが、毎日10キロを走るのが日課だそうだ。私身、健康には気を遣っているし、そのためか今のところ体を動かすのに不自由は感じていないし、走ることも出来る。が、フルマラソンは今まで経験が無いし、なにより完走する自信などあるわけも無い。が、それを目標としているわけではないから別に残念とも思っていない。が、ただ、80,90でフルマラソンを普通の人も及ばない記録で走れる身体能力はむろん素晴らしいし、あやかりたいと思う。

が、毎日10キロ走る気にはならない。走るばかりではなく、常人が到底及ばない身体能力を持っている高齢者もいるが、そのために毎日どれだけの努力をし、時間をかけているかを考えると、私はそれをまねようとは到底思わない。時間をかけて身体能力を高めても、それで何をするのかを考えると、その時間でやりたいことがたくさんあるからだ。

したがって、私がやっている運動と言えば毎日30分から時には3時間ほど早足で歩く事くらいしか無い。それで今の健康と(むろんほかにも食事などで気をつけているが)身体能力を確保できているならよしとしている。健康を維持する努力はしているが、そのためにやりたいことを犠牲にするなら、本末転倒と思っているからだ。

人それぞれ、何を目的とするかはその人次第なので、毎日10キロ走りフルマラソンを好記録で走り通す人は無論尊敬する。が、同じ事はしたいと思っていない。

また、体の健康は無論大切だが、精神の健康も劣らず大切だと思っているし、脳の活性化も無論大切だと思っている。むろん健康だから脳も健康という事はあるが、体だけでは無く脳も積極的にトレーニングを続けなければならないと思っているわけだ。

何度も書いているが、私の場合は思考の道具である言語を磨くという作業、そのための文章書き、読書、外国語学習、また工夫を必要とする物作りに精を出すのはそのためだ。

それらを犠牲にして毎日10キロを走るのは、私の選択では無いと言うことであり、その選択をして強靱な体を維持している高齢者を尊敬するのとは別の事だろう。

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健康で生活するために お茶

私は大体一日3,4リットルの水を飲む。といっても、大体はお茶であり、またコーヒーやジュースなどで飲むこともあれば食事でとる水分もかなり多い。が、常に机の上に置いておいてひっきりなしに飲んでいると言えばやはり緑茶だろう。

お茶は別に高い物ではなく、普通の緑茶、煎茶、番茶、玄米茶とそろえ、その日の気分で飲むだけだが、味わって飲むと言うより、気がついたら急須にポットからお湯を注いで、大きな湯飲みに入れて飲んでいるだけで、何かをしながら無意識に飲んでいるような形だ。

これで、おそらくお茶だけでも1,2リットルは飲んでいるだろうが、これは昔からで好きだからというより単に癖なのだろう。

だが、最近日本茶の効能が言われているようで、曰く癌の予防になる、ぼけ防止になる、脳の老化を防ぐ、性格が良くなる(これは聞いたことが無いが)などなど良いことずくめだ。幸い、私は今のところ健康に不安は無いし、脳が衰えたという自覚も無い。自覚していないだけかも知れないが、現実に毎年受けている健康診断では問題が無いと言われているのだから思い違いでは無いだろう。その理由の一つが日本茶の常用だと、自分では思っているし、実際見聞きした限りでは日本茶を飲み過ぎて問題があるともされていないようだ。

水を飲むのも良いだろうがそれならお茶の方が良いだろうと今更ながら思っている。いずれにせよ、水はある程度の量を飲む方が良いとは色々な人が言うし読みもする。お茶ならもっと良いと言うことだ。

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健康で生活するために 健康過信

何度も何度も書いているように、私は健康には問題は無いと思っているし、実際毎年健康診断を受けていて問題が見つかったことは無い。病院に行くようなことは健康診断以外は無いし、薬も飲まない。

むろん、自覚できていない、あるいは検査でも見つからない病気があるかもしれないが、それはどうしようも無いことであり、今は健康だと思っている。何より幸いなことだと思っているが、ただ健康だから無茶をしても大丈夫とは考えていない。

その気になれば一日20キロくらいは結構な早足で歩き続けるし、それで疲れが出ることも無い。必要なら数百メートル走っても別に息も切れないが、だからといって何をしても大丈夫と思っているわけでは無い。健康だから何を食べても飲んでもしても大丈夫などと言うのはとんでもない間違いで、健康とは細心の注意を払って維持しなければならない物だと思っている。

昔は一時期だがかなりのヘビースモーカーであり、大酒飲みで、大食いだった。夜遊びの連続でそのために体力は極限まで落ち最悪の健康状態だったが、多分自分では若いし健康で無茶をしても平気だと思い込んでいた節がある。なにしろ、周りのほとんどの人が似たような物だった。

多分、今タバコをすっても大酒を飲んでも大食いをしても夜更かしをしてもおそらくかつてのようにすぐに風邪を引いたり腹を壊したり頭痛を薬でごまかすような必要性は無いだろう。当時に比べて今の方がよほど体力があると思うからだが、一瞬でもそんな馬鹿なことをするつもりは無い。それは自分でも臆病なほどだ。

年に一度くらいは付き合いで知らない間に大酒を飲むことが2,3年前まであったが全く悪酔いなどしなかった。だから飲んでも平気だとは思っていない。いま、健康だからそれで済むが、いい気になって飲み続ければ、年齢の故もあっておそらく昔よりもひどいことになるだろう。

健康でいるためには過信せず、臆病なほど生活を律していかなければならないと思っている。そして、健康を手に入れてみると、そんな生活も決して不自由では無いし、何かを我慢しているなどというストレスも無い。むしろ、健康であれば、ストレスを感じないで済む。

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健康で生活するために 健康診断

私は毎年簡単な健康診断を受けている。血液検査、尿検査、各種の癌検査などだが、幸いなことに今のところ異常も無いし、実際自覚症状も無く、風邪も引かなければほかの病気も無い。よく寝られるし、排泄なども極めてすっきりとほぼ毎日ある。

だからといって、全ての病気がこの検診で発見できるわけでは無いだろうし、癌なども初期だと見落としは結構ある。また私の知人は入念な人間ドックを受けて多少問題はあるがすぐにどうこうと言うことでは無いので体調管理に気をつけるようにと言われて、一安心していたその直後、まさに人間ドックを受けて一週間後に心不全で死んだ。検査でも心臓に異常が見つかっていたわけでは無く、あまりに突然の事にみんなびっくりした。

もう一人日頃から健康自慢で風邪一つひかなかった知人が、ある朝台所で死んでいるのを奥さんが見つけたケースがあり、まだ40代だったので、あまりの突然のことに押っ取り刀で葬式に駆けつけたものの、奥さんにかける言葉も見つからない状態だった。死因を究明するには解剖が必要だと言われ、奥さんは断ったそうだが、死因が分かっても生き返るわけでは無いのだから遺体を傷つけたくないとの思いだったそうだ。それはともかく、何故突然死をしたのかは分からない。脳卒中や心不全などなのだろうが、あくまでその前兆などは無かったし発見もされていなかった。

さて、話を戻すが、要するに私が毎年健康診断を受けて健康だと言われても、私が上記の彼らと同じ状況にならない保証など無い。が、それを言えば、誰にも保証など無いし、交通事故などで命を落とさないとは誰にも保証など無い。

その上で、少なくとも今差し迫って命に関わる兆候は無いと言うのだから、それで良いと思っている。その状態を続けたいから、食事や運動などに可能な限りの努力をしているが、前回も書いたように習慣になってしまえば別に何かを犠牲にして健康を得ている訳では無い。

健康を得るために確かに時間は使っているが、健康であるために得られる時間の方がよほど多い。それは、やってみるとよく分かる。

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健康で生活するために 食べ物の好き嫌い

自分では食べ物の好き嫌いは無いつもりでいたが、それは現役時代付き合いでほぼ毎日外食で過ごした時期があり、それも接待などでは相手の好みに合わせて食事をしていたから、好き嫌いなどいっていられなかった為もある。

ただ、この時期の暴飲暴食がたたって健康を徹底的に壊した経験から、接待をしなくても済む時期になって、最優先で健康を考えた食事をした。そうしたら外食が無くなった。そうしてみて、わたし自身かなり食べ物に好き嫌いがあることに気がついた。あるいは、好き嫌いが出来たのかも知れないが、いずれにせよ味の濃いものはだめで、特に甘みの強い料理、肉料理、脂っこいものが全く駄目になった。と言うことは外食が駄目になったと言って良い。

酒も同じらしい。かつては付き合いで毎晩大酒を飲んでいた。酒をやめられるだろうか、と自分でも不安だったが、あっけなく一日で完全にやめられた。つまり好きで飲んでいたのでは無く、単に仕事の付き合いで飲んでいただけなのだ。

好き嫌い無く何でも食べろとは子供の頃から散々言われ、それがおそらく自分では好き嫌い無く人に付き合って何でも食べられる様になったのだ、と考えていたが多分そうではなかったのだろうと、今では思う。今年の正月も特別な料理を食べようとも思わなかった。正月でもいつもと同じものしか食べないが、べつにそれで寂しいとも侘しいとも思わない。

そして最終的に食べること自体が好きでは無かったのだと、今になって思うようになった。むろん、食べなければ死ぬから食べるのであって、可能なら食べないでいたいと思うことが多々ある。なにしろ食事は買い物、準備から後始末まで時間がかかるのだ。空気も吸わなければ死ぬから吸っているが、別に呼吸をやめても時間が増えるわけでは無い。食べなければ死ぬから食べるが、食べなくて済むなら時間がずいぶん使える。むろん、同じ食べるならまずいものよりわたし基準でうまいものの方が良いのは、同じ吸うにしてもドブ臭い空気より高原の空気のほうが良いのと同じだ。

拒食症ではないしどうせ食べるなら食べやすいものを、とは思うが、メニューを考える時間も面倒くさいので毎日同じものを食べている。姉などがわたしの食生活を知って絶句していたが、現実にわたしの方が圧倒的に健康なのだから(油断は出来ないとしても)かまわないと思っている。

食べることが人生の楽しみだと言う人は多い。そのような人たちに話は合わせるし否定もしないが、食べなくても済むならそうしたいと思う人間もいると言うことだ。

by ロクスケ











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健康で生活するために 自分でやる

世の中便利になって、費用さえ負担すればほとんどのことをやって貰える。むろん、自分自身が忙しくてそんな時間をとれないなら金で誰かにやって貰うのは当然だ。が、自分で時間がとれるなら、自分でやるべきだと思っている。むろん、専門家しか出来ない事もあるだろうし、技術が必要なこともあるだろうが、やってみると自分でやってもかなり出来るものだし、自分でやったというひいき目から満足も出来る。

一つの例だが、わたし自身居間の庭に面したガラス戸には従来圧遮光カーテンを掛けていた。が、本来カーテンはあまり好きではないのと、従来洋風だった居間を和風に変えたことから、このカーテンも障子に変えた。ただし、ここにきちんとはまる障子など既製では無いしさらに障子は半分しか開かないから従来のカーテンのように全面開放というわけには行かない。

そこで、障子を作ってしまった。それもアコーディオン式にしたので全面開放が出来る。おそらく専門家に頼めば数十万かかるらしいが、手持ちの材料を使ったので二,三千円で出来た。とうぜん、材料としても本来の障子用の柾目杉板では無く、建築用の2x4だが、わたしには全く不満は無い。

これは勿論費用の節約になるが、なにより自分の満足感は極めて大きく、それが最大の収穫だと思っている。床の張り替え、壁の塗り替え、屋内水道工事などなど、色々調べやり方を工夫し材料を買って自分でやってみる。この、調べて工夫する時が楽しい。むろん、思惑通りには行かないことも多々あるが、何度でもやり直せばよい。

出来ないと思うことでも自分で調べ工夫してみると結構できるものだし、今ではネットでいくらでもやり方を調べることは出来るし、材料なども通販で買える。

こうやって自分でやることで、わたしにとっては考える能力が必要でありやり遂げる体力なども要る。これが結構脳トレ、老化防止、そして健康に役立っていると思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 常識外れの体力

先日BGMとしてかけているラジオに某有名冒険家が出演し、おもわず聞き入ってしまった。彼は世界的なスキーヤーであり、70台を過ぎてヒマラヤ登山を複数回したなどで知られているのだが、現在86歳で南米の最高峰、アコンカグア登頂に挑んでいるそうだ。

私は、彼が常日頃大変な節制をし、また鍛錬をしているのだろうと思っていたが、本人の話ではそうではないとのことだ。かなり前からメタボであり食生活の節制をほとんどせず、血圧は200を超え、深刻な不整脈で何度か手術もし、医師に余命半年と言われたそうだ。そこから決心して節制をし、ヒマラヤ登山をしたというのだから尋常では無い。余命半年と言われたら後は出来るだけ寿命を延ばすためにおとなしく生きるのが普通だろうと思う。実際、ヒマラヤ登山途中で心臓発作を起こしたりしたが最終的に登頂したのだとか。

彼ほどではなくとも、70,80でフルマラソンを完走したり腕立て伏せや懸垂を何十回もやる人は確かに居る。日本は急速に高齢化が進み、また平均寿命も世界トップクラスだが、健康年齢の高さでも世界有数なのだそうだ。他の先進国も平均寿命は高いが、日本ほどではないし国によっては平均寿命の低下が始まっているとか。ただし、これは急速に途上国からの移民が増えている為もあるから、その国の本来の平均寿命が低下したとは必ずしも言えない面もある。

いずれにせよ、私は上に挙げたようなスーパー高齢者にはなれないだろうし、なろうと思っているわけではないが、ただ自力で生活できる体力は維持していたいと思う。考えてみれば10年、20年前に比べて体力が落ちたという自覚が無い。もともと体力が無かったのだが、それが向上してきた自覚はあるので、差し引き衰えを感じないというところだろうか。

むろん、いつまでも今後何十年も今の状態を続けられるとは思っていないが、ただ年を取ったら体力が無くなり病気になり動けなくなり人の世話にならなければならなくなる、と普通に考えられているようだ。が、それは違うと思う。実際にその年になってみなくては分からないが、少なくとも駄目になるだろうとは私は考えていない。

by ロクスケ











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健康で生活するために 健康モニタリング

幸い私は日常生活を送る分には不自由しないくらいの健康は保っているし、特に病気もしないし今のところこの状態で良いと思っている。が、もちろん日によって体調が優れない時もあるし、食欲が無い、あるいは意欲がわかない、眠れないなどの日もある。常に完全無欠の状態では無いが、それも気にしても仕方がないとは思っている。

例えば、血圧正常値はいくつからいくつまで、体重の標準を決めるBMIはいくつ、尿酸値、血糖値、なんとか値はいくつからいくつまでなど様々な指標がある。むろん、それらの指標は多くの人から集めだデータに基づいて作られた指標であり目標値として間違いは無い。が、そのために一日何キロカロリーの食事をして、何時間寝て、何時間運動をしてとのこれも目安がある。これもまた完全に無視して良いものでは無いだろうが、ただ、人間の体は機械ではない。消化吸収率一つとっても人によって違うし、また年齢や日頃の体力等などで大きく変わる。従って、目安は目安として、あくまで自分の体の反応で決めるべきではないのか。

20代の頃、私は極端な痩せ型で体重が40キロ台であり、ウェストが60センチ無くてズボン一つ買うにも苦労した。今は両方とも非常に増え、実は標準を超えている。これではならじと一時期減らす為にかなり節食し運動をした結果かなり成果があったのだが、同時に驚くほど体力が落ちた。

そこで元に戻したら体力も戻ったのだが、実は今少し戻りすぎている。それでも体力や健康状態は問題ないのだから、痩せれば良い体重を減らせば良いというものではない。骨密度や筋肉量などで同じ体重でもサイズでも同じ健康と言うことでは無く、あくまでその人に合った体重やサイズと言うことなのだろうし、それも年々変わる。

したがって、私はあくまで自分の体調の変化を目安として体重、サイズを調整するようにしている。とはいえ、今は少し減らした方が良いとは思っている。

体重やサイズは自分で分かるし、血圧も測ることが出来る。が、血糖値や尿酸値、なんとか値などは病院で無ければ分からないから知らないうちに増えたり減ったりしているのを年に一度(私の場合)知るしかないのだが、体の調子は自分で分かる。結局体の調子を自分でモニタリングし最良の状態になるように体重やサイズを調整するのが一番確実なのではないだろうか。それに合わせて食べるものの種類や量、運動量などを決めるのは言うまでもない。

by ロクスケ











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健康で生活するために 時には羽目を

私自身健康維持にかなり気を遣っていると思うし、実際そのおかげで健康状態は極めて良いと思っている。少なくとも生活に不自由を感じる事は無い。ただし、昔と違い生活の内容が変わっていて昔のように遅刻しそうになって全速力で駅まで走るなどの必要は無いし、徹夜を三日続けて仕事をする事も無いので、今当時と同じ事はしたくても出来ないとは知っている。

さて、そのためには酒を飲まずタバコもすわず毎日歩き、薄味の野菜中心の食事にし、間食をせず、積極敵に頭を使うようにしている。健康でいられるのはそのおかげなのは間違いは無い。が、そのような生活に縛られてしまって余裕が無くなるのは本末転倒だと思っている。酒を飲まないのは我慢をしているのでは無く飲みたいと思わないからだし、煙草はそばですわれるのも嫌だ。肉は嫌いで濃い味も嫌いだから別に無理をして今の生活をしているわけでは無い。

それでも、お付き合いで月に一、二度一、二合程度の酒は飲むが時に飲み過ぎたかと思うこともある。お付き合いで多分三年ほど前にラーメンをがっつり食べたこともある。間食で知らない間にとんでもない量を食べたこともある。が、それをいちいち後悔もしない。まあ、人間、特に私は完全無欠ではないのだから決めたことが完全に出来るわけも無く、普段気をつけていれば良いだろうと思っているわけだ。実際、普段も今日は食べ過ぎたかな、歩く距離が短かったかなと思うことは多々あるが、それが習慣にならない限り、別に問題は無いと考えている。だからこそ、今の基本的な生活が続いているのだろう。

完全無欠などあり得ないとしても、もう少し自分を律することが出来ていたらもう少し自分の人生も変わっていたかなどと考えても仕方が無い。本来かなりいい加減な性格でありそれを強制的に直そうとしてもストレスが溜まるだけだった。それは今の健康を得て維持するための生活にも言えるだろうから、健康維持のためにストレスになっては逆効果なだけだ。そう思うことでむしろ意識せずに楽に今の生活を維持できると思っている。いつまで続くかはともかく、それもあまり気にしても仕方が無い。

by ロクスケ











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健康で生活するために 個人差を知ること

健康であるかないかを知る目安として各種の指数がある。例えば、今ではBMIなどとして、体重(Kg)/{身長(m)}^2が25である事が望ましく、±いくつまでは許容、それ以外は警戒等などとされている。血圧は120-85内に収まるのが理想などなど。

無論それは各種の統計などから得られた医学的な根拠を伴った数字であり、無視はすべきでは無いが、あくまで参考値であることも理解しておかなくてはならないだろう。同じ体重でも体脂肪率はどうなのか、骨密度はどうなのか、筋肉量はどうなのかなど様々な要因があるのだし、年齢による基礎代謝率の問題もある。したがって、それらを総合して、自分にとって目標とすべきはどの数値なのかを理解すべきだろう。

例えば成長期の子供は沢山食べるのに太らない傾向があるが、それでも食べた分太るのなら成長期でも何か問題がある。また、その時期にとにかく痩せなければならないと思い込みまともに食べないと、生涯にわたって大きな禍根を残す。

運動をする人間としない人間が同じ量を食べても太る率は極端に違うし、体質で消化吸収率が違えばその結果も違う。BMIはあくまで平均目標であり、自分にとっての理想的な体重はあくまで自分の体に訊きながら求めて行かなくてはならない。

同じ健康でも個人差がある。自分の体が平均とは違うことを認識して各種の数値、BMI、血圧、血糖値、コレステロール値、尿酸値などなどを参考にすべきだ。例えば数字の上でこれらの数字を理想値に保っても不健康であることは当たり前にある。最終的には自分の体がどのような状態か、どれくらいの体重でその状態が良くなるかを確認しながらコントロールする必要がある。

私の場合、これらの数字は必ずしも理想値ではないが、今のところインフルエンザにかかったことは無いし、それ以前に数十年風邪をひいた記憶が無い。病気で具合が悪くなった記憶も無いし、よく眠れるし排泄はそれだけなら3秒で済むし色も形も全く問題が無いし、二十キロ位早足で歩いても疲れず、2〜300メートルなら走っても息切れしない。毎日よく眠れるしかなり筋力もあって数十キロの物なら普通に持ち上げることも問題なく出来る。つまり、自分では健康状態に全く問題は無いと思っているが、BMIはかなり多い。嘗て痩せたことがあるが,そうしたらかなり耐久力が落ちたので、元に戻した。医師には太りすぎではないが、もう少し痩せた方が良いのでは、と言われることがある。が、基本的に今の状態で問題は無いから維持するようにといわれている。

幸いこの状態を保てているが、何も健康指標を目標としているのではなくあくまで自分の体調をモニタリングしている結果だ。大きく健康指標とずれることは無いが理想値では無い。それを守るための生活をしているわけでは無い。

参考値はあくまで参考値、自分の体調をモニタリングして調整すべきだと思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 病気との付き合い方

私は自分が健康であり、今の生活を維持し、自分がしたいことをするための体力は十分にあるし、知的能力も落ちてはいないと思っている。が、それでは私が完全無欠の健康を維持しているかと言えば、無論そんなことは思っていない。私なりに健康を維持し増進するために、食べるものや運動などには気を遣っているし、頭が衰えないために知的な刺激も可能な限り与えるようにしている。

つまり、今の状態を維持するためにもそれなりの努力をしているのだが、それでも知らないうちに癌になっているかも知れないし何か問題が生じているのかも知れない。毎年健康診断を受けているが、知人に健康診断で問題が無いと言われた直後に急死した者が居るし、常日頃健康を自慢していたもう一人も、朝台所で亡くなっているのを家族が見つけた。死因究明はしなかったが、おそらく脳溢血か何かだったのだろう。

さいわい、毎年の簡単な健康診断では特に問題は無いといわれているが、それでももう少し体重を落とした方が良い、もう少し血圧を下げた方がよいとは言われるようになった。一年をかけて10キロ程度体重を落とすように心がけているが、急速に体重を下げて体力が落ち、そしてリバウンドをした経験が何度かあるので、あくまで一年で10キロを目指している。今のところ病気と名付けられる物は持っていないが、厳密に言えばその予備の兆候はある。体重をコントロールすれば改善すると言われているが、体力が衰えるのは嫌なので、病気の予備軍をだましだまし、時間をかけて退散願うしか無いと思っているし、またその警告があるから健康維持に真剣になれると思っている。

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健康で生活するために 体が硬い!

最近額然としたことがある。体が硬い!それも生半可な堅さではなく、これではいずれ日常生活も不便になる。考えてみれば今生活をするための体力は十分にあると思っているし、歩行速度などもかなり速い。力も十分ある。が、柔軟性がこれほど失われているとは思わなかった。

体の柔軟性が失われると、何より怪我をしやすくなる。例えば転んだ時など体が硬ければ受け身が出来ずに頭を打ったりする。重いものを持つ時、立ったり座ったりする時不自然な力がかかって腰を痛めたりする。力士でもレスラーでも体を柔らかくすることが最初に始めるトレーニングだと聞いたことがある。

柔軟性が失われていることは以前から気がついていたが、これほどとは思わなかった。別に体操選手並みの柔軟性は目指さないが、昔の柔軟性はある程度取り戻したい。誰でも同じだろうが、赤ん坊の頃は自分の足を舐めたりしていた(そうだ、自分では覚えていない)し、子供の頃は股ぐらから頭を出すくらいは当たり前に出来ていた。

足を舐めたいとは思わないが、前屈で手のひらを床につけるくらいの柔軟性はほしいと思う。確かに普段の生活でも体が柔らかいと無駄な力を使わないためか、疲れにくいとは言われている。私より遙かに年上の人たちが驚くほど柔らかい体をしているのをネットなどで見ると、確かに若々しいし、動きも軽やかだ。

そこで私も体の柔らかさを取り戻そうと、外を歩きながら人目のないところで大きく足を振り上げたり、上半身をひねったり等をするようになった。家の中でもやっているが、今のところあまり効果が見えない。しかし、一年を目標に体重削減と体の柔軟性の確保を目指したい。とにかく、頭も体も柔らかいに越したことはない。

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健康で生活するために 偏食は悪いことなのか

一般常識で食べ物の好き嫌いは健康に良くないとされ、また子供の頃から野菜でも肉でも魚でも好き嫌いせずに食べなさいと教えられてきた。基本はそれで正しいと思う。実際、アレルギーなどで食べられない場合は別だが、単に好き嫌いで食べないのは確かに健康を損なうのでは無いか。

私の友人でもう無くなって久しいが一切野菜を食べない人物がいた。とにかく肉や魚系しか食べないし、サラダなどは無論、付け合わせの野菜も一切口にしない。子供の頃からの友人だったが、記憶に有る限り子供の頃からそうだった。家で親がそれを気にしていたのかしなかったのかは知らないが、学校給食でも先生に野菜を食べろと言われ、歯を食いしばって抵抗していたのを覚えている。

社会に出てからも同じだったらしいが、見かけ上は健康に見えたし特に太っても痩せてもいなかった。血色も悪くなかったし、普通に結婚し、普通に子供も出来ていたが、働き盛りに急死して驚いた。朝起きてこないので見に行ったら布団の中で亡くなっていたそうだ。奥さんも同じ部屋で寝ていたが、先に起きて色々台所仕事などをしていたが、いつも起きてくる時間に起きてこず、起こしに行ったら、寝ているとばかり思っていたのに亡くなっていたとか。すぐ119番通報をしたが、その場で亡くなっていると言われたとか。ただし、手続き上医師の診断が要るので病院に搬送し、正式に死亡が確認された。

朝奥さんが起きた時、すでに亡くなっていたのか生きていたのかは分からないが、死因究明はしなかったので、とりあえず急性心不全にしたのだとか。

話がずれたが、彼の死因がどうしても彼の野菜嫌いと関わっているような気がしてならない。ただしそれを奥さんに言ったわけではないが。

翻って、昔はともかく今の私は肉類をほとんど食べない。嫌いなのだ。ただ、動物性タンパク質として魚はよく食べるし、肉にしても全く食べないわけではない。今はそんなこともないが、昔は付き合いでステーキも食べたし、ハンバーガーなども食べていた。

私が明日にでも知らない間に死んでいることが絶対無いとは断言しないが、ただいまからそれを恐れているわけではないし、おかげさまで今の生活に必要な体力は十分にあると思っている。傍から見れば私はかなり偏食しているのだろうが、体力的にそれなりに不安もないので良しとする。

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健康で生活するために 時間の空回り

時々、今日は何をやったろうと考えてみて何もやっていないと思い至ることがある。むろん一日寝ていたわけではなく、それなりに日常のことはやっているのだが、今日はこれをやったと成果が確認出来るようなことがない。そういう日は、後から考えてみても全く印象がなく、結局知らない間に時が経ってしまったということになる。このような状況を、私は時間が空回りしたと表現するのだが、そんな思いをするのが嫌で例えば日記を書いたりしているわけだ。ただ、その日記も後から見たら書かない日があるなどで、即ち日記に記すようなことが何も無かったということだろうか。

ただ、私が毎日やっているのは朝起きて洗顔から夜寝る前の歯磨きまで意識しないでもやっていること、調理をしたり後片付けをしたり掃除をしたり洗濯、散歩、買い物、ネット、ブログ、小説書き、物作りをしたり、とにかく毎日何かをやっているのだが、毎日やっているから意識に登らない、すなわち心に留まるようなことがないという意味だ。

おそらくこれは経験のためだろう。子供の頃は何を見ても聞いてもやっても全て新しい経験であり強烈に意識に刻み込まれるから、時間の経過が本当に長かった。例えば、私は四歳から五歳にかけて一年ちょっとほど札幌で過ごした。しかし、長い間私は札幌で十年も過ごしていたと思い込んでいて、ある時実は一年しか札幌に居なく、札幌のあれだけ強烈に印象に残っている冬はただの一回しか経験していないのだと気がついて愕然としたことがある。

その後何十回も夏も冬も過ごしたが、札幌時代の強烈な印象はほとんど無い。札幌だけではないが、幼少期とは誰でも強烈な印象の連続で過ごす時期であり、それこそ現在の一年を十数倍にも感じていたのだ。

願わくは、現在、幼少期のような感覚で時間を過ごしたいと思っている。

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健康で生活するために 徹底的な掃除

元々掃除は苦手だが、それでは困るのでかなり力を入れて掃除の訓練をした。そのおかげか、自分ではまあまあといえるくらいの掃除は常にしている。が、年がら年中徹底的な掃除をしていたら時間が無くなるので、普段は目に付いた場所をそれなりに片付け、掃除機をかけ、雑巾で拭くくらいのことしかしていない。人様の家では、それこそ虫眼鏡でもゴミが見つからないほどピカピカに磨き上げているお宅があるが、その為に割く時間や労力を他で使いたいので、まあ自分が気にならなければ良い位のレベルだから推して知るべしだ。

ところで、先日風呂に入っている時に風呂場の隅が黒っぽくなっているのを見つけた。備え付けのブラシでこすってみたら少しは良くなったがきちんと綺麗にならない。一度それが気になると何としてもそこを綺麗にしたくなり、古い歯ブラシに洗剤を付けてゴシゴシやったらそこだけは綺麗になったが、風呂場全体の隅々となると到底入浴の途中では出来ない。

改めてみると、天井の隅もそうだし、蛇口も曇っている。蛇口の付け根に黒い汚れが付いている、シャワー金具も同じで、床のタイルの目地(本当のタイルではなく、ガラス繊維入りの樹脂)も汚れている。バスタブの肌も湯垢が付いている。

不思議なもので、結構頻繁に風呂掃除はしていたつもりで、それなりに綺麗になっていたと思ったが,隅々に目をこらしてみると結構汚れが目に付き、一度それが気になるとどうしても気になる。

が、例えば黄ばんだタイル目地やお湯の鉄分が染みついたバスタブは、本当に取るとすれば研磨剤を使うか、サンドペーパーでこするしかなく、そんな事をすると却って汚れが付きやすくなるしそもそも材質を痛める。本格的には床材壁材バスタブを交換しなければ本当に綺麗にはならない。

ということで自分を納得させ、汚れは見ないことにしたが、多分そのように自分を説得する必要はあるのだ。普段は慣れで気がつかないが、一時にすれば家の汚れなどどこにでもあるし気になる。どこで妥協するかが大切なのだとは思っている。それが出来ないと、家中の障子を張り替え、ふすまを取り替え壁紙を貼り替え、壁にかんなをかけ、床を張り替えトイレも作り替えなければならなくなる。最終的には家の建て替えまで必要になる。むろんそんな事は不可能で、慣れる必要があるのだが、どうも私はそのような慣れが不得手のようだ。

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健康で生活するために 偏食の勧め(?)

人から見れば、私はかなり偏食をしているようだ。まず、外食が嫌いで、よほどのことがない限り家に帰ってから食べるし、家に帰れない時はせいぜいコンビニおにぎりとお茶くらいで済ます。人との付き合いでは外食もするが、自分一人で外食をするとすればよほどの理由が必要だ。

そして、自分の家で食べるものは、一日二食、とにかく野菜が大半であり、肉はほとんど食べない。魚は時々食べるくらい。ご飯は茶碗半分。そして基本的に味を付けない。少なくとも極端な薄味であり、主として食べる野菜の本来の味で十分に満足している。

昔仕事柄毎日付き合いや接待でほとんど飲んで過ごし、食事も全て外食だった。家に居なかったのだから当然だが、その時期は移動も全て車であり、運動など全くしなかったためもあってとんでもない肥満だったし、運動能力はほとんど無く、階段を上るのも途中で休むていたらく。いつもいつも何らかの健康問題、風邪を引いていたり腹を壊していたり腰が痛かったりで到底長生きは出来ないと思っていた。

その後、一人で仕事をするようになってから、それまでの生活を全て見直し、とにかく一日一時間は早足で歩く事から始め、食生活も完全にただし徐々に変えた。酒も一時は完全にやめたが、今は月に3,4回くらいビールの350ml缶一本かワンカップ一個くらいをたしなむ。今では気が向けば一日十-十五キロ歩くし、一度二十五キロ歩いてみて全く体に支障は出なかった。かなり早足なので同年配の人とは歩調を合わせるのが大変だ。

食事は先に書いたとおりにした結果、野菜中心味なし食事に落ち着きとんでもない偏食だが、健康状態はすこぶる良い。二,三十年風邪を引いた記憶が無く、病気で医者に掛かったことがない。健康診断は毎年受け、ちょっと怪しい数字が出ることもあるが気をつければ治る程度で治療の必要は無い。

昔より年を取ったはずだが、体力的には非常に若返っていると思う。少々なら走って息切れもしないし、階段も二段飛びで駆け上がれる。体力が向上すれば精神的にもエネルギッシュになるし、あれもこれもとやりたいことの整理に困るほどだ。

偏食と言っても、成長期とか病気などの条件によりその偏食は同じではないだろうが、自分の体調の結果を見ながら調整していけば良いと思う。私の偏食も、結果として現在の体調、健康状態があるなら、その甲斐があったと言う物だ。

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健康で生活するために 体重管理


私は毎日体重を量っている。それだけではなく、血圧、心拍、食事の記録、歩数計の数字、その他色々記録し続け、必要に応じてグラフにしたりしているが、そうするだけの価値があると思っている。

毎年健康診断を受け、今のところ特に問題は無いし、日常生活においても別に不便は無い。体力も幸い必要なだけあると思っているが、ただ気になるのは体重が増加傾向にあることだ。今では標準体重を少し超過しているし、それに関わっているだろうが血圧も多少上がってきている。むろん、年齢を重ねればそのような兆候は避けられない。なにしろ新陳代謝能力が下がってきているのだから。

かつて体重を減らそうと何度か挑戦したことがあり、時に一月で十数キロ落としたことがある。が結果は散々だった。まずとんでもなく体力が落ち、何をするにもいちいち気力を奮い立たせる必要があり、そしてそれを維持することが 不可能となった時、とんでもないリバウンドに見舞われた。

それほどでは無いにしろ、体重管理、リバウンドを繰り返し、近年では体重がなかなか減らなくなってきている。

むろん、体重とは個人差があり、同じ体重でも体脂肪率が高いとか、筋肉量が多いとか骨密度が高いか低いかなどで大きく健康状態は変わる。下手に体重を落とすとまず筋肉が減り、リバウンドでは脂肪が増える。飢餓に対する人間の正常な反応の故だ。

そこで、自分なりにリバウンドを招かないペースで体重を減らすように今心がけている。目安は一月一キロ、年間で十キロが目標となっていて幸いその率で体重を落とすことに今のところうまく行っているし、体力的には向上しているような気がする。なにより良いと思えるのは食事量を特に減らすこともしていないと言うことだ。ただ、内容は変えて今では食事の大半は野菜であり、動物性は極力減らしている。まあ、もともと肉嫌いだし特にそれで問題も無い。

薄味は元からだがそれを更に徹底し、間食は徹底して取らないことにした。以前から一日二食だが本来なら少量ずつ三食が良いとは言われている。が、私は元々食べることがあまり好きではないし食事で時間を取られるのが嫌なので、出来れば一食にしたいくらいだが、そうなるとリバウンドが激しくなるだけなので、いまのペースで良いと思う。

幸い、多分に季節の為もあるのだろうが血圧も下がってきた。とはいえ、あくまで自分の体調と相談しながら最も良いと思うところでキープさせようとは思っている。標準体重とかBMIは参考にはなるだろうが、それは先に書いたように個人差があるし、私の場合は血圧値や疲労感などで適正体重を決めることにしている。

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健康で生活するために 電子レンジで作る料理

基本的に私は食べることがあまり好きではないが、むろん拒食症というわけではないし、同じ食べるなら食べたいものを食べたい。が、味の濃いものは駄目で外食はよほどのことが無ければしない。結局家で食べるものも味の薄い、そして野菜中心の物になる。

以前からやっていたのだが、最近少しやり方を整理して出来るだけ簡単に食べられるように工夫した。私は一日二食であり、それほど沢山も食べないので、結局作るとしてもごく少量の物になる。それを毎回作るのは面倒くさいので以前から大量に作って毎日同じ物を食べ続けることにしていた。しかしそれだとバラエティにかけるので、もう少し工夫が要ると思ったのだ。

結局落ち着いたのは電子レンジの多用だ。と言っても、季節の野菜を細かく刻み、少なくとも十種類くらいの野菜を大きい耐熱容器に詰め込み、ラップで蓋をしてレンジで5−8分ほどチンする。

一回に作る量は四食分くらいだから、一日二食二日分と言うこと。それを冷蔵庫に保管しておいて、スープにしたり炒めたりサラダにしたり色々な味付けで食べることで圧倒的に手間が省け、更に野菜中心という食生活にマッチしている。

味付けはごま油にポン酢やオリーブオイルに酢、ケチャップや時にはマヨネーズなど、好きなようにして食べれば別に飽きることも無い。もともと、同じ物を何日食べようと飽きないから同じだが。

主食はトースト一枚、ご飯なら茶碗三分の一、麺類なら半把と言ったところ。他に小品、例えば短冊に切った大根と塩昆布を耐熱容器に入れ、少し水を足して五分ほどチン。塩昆布の代わりに梅干しもいける。刻んだニンジンのオイル和え等など、その場で思いついて何でも出来る。

簡単にできて十分野菜も採れるし腹も膨れるので、今のところこの食生活は成功していると思っている。

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健康で生活するために ダイエット

毎年健康診断を受け、今のところ問題は無いと結果が出ているが、しかし数値的にはどうも悪化しているような気がしていた。例えば血圧は今は上が120、下が60程度で現在厚生省辺りが推奨している上が130以下、下が80以下を下回っている。それでも時々は上が130を超えることがある。その頻度が増えてきたような気がする。毎日朝晩血圧を測り食事量や体重、そして歩いた歩数などをスプレッドシートに記録しているが、その血圧範囲が正常値内ながら上がってきたような気がする。それに体重がどうも減りにくくなっていて、最近は標準のBMI(これは正常値が18.5-25とされているが)を超えている時がある。

そこで、今年の初めから計画的にダイエットを始めている。減らそうと思えば一月数s落とせるが、そんな事をすれば体を壊すしリバウンドするだけのことなので、今年の年末までに10s落とすペースでやっている。今のところ年初から6s落ちているのでまあまあ目標通りだろうが、更に余裕を見ておけば4,5s落としても良いと思っている。何しろ平均体重がBMIで18.5-25.0の範囲だそうだ。まあ、22位にしておけば良いとは思うが。

が、気をつけているのは、単に減食で体重を落とすと筋肉が衰えそれ以上に体力が衰え危険なので、食事量は減らしてはいるが決して飢餓状態にならない程度で、偏らずに食べるようにしている。さらに、運動量を少し増やしているが、私の場合はもっぱら歩くことで、早足で1−2時間毎日歩き、それも上記の記録に付けている。

体重は落ちてきたが、体力が衰えた自覚はない。先日は旅行先で10日間毎日10キロ程度歩き続け、毎日爆睡し、結局疲れも全く残さずに毎日歩いていた。私は歩きながら見ることで体に記憶をしみこませるのが旅行の目的であり、食べ歩きは一切しない。

私のダイエットが最良かどうかは分からない。が、今のところ体力的にも更に余裕が出てきたのではないかとの気もする。するだけだが。

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健康で生活するために 物作り

特に健康を維持していたわけではないが、私は物作りが好きで、それが講じて専用の工作室を作り、様々な工作機械をそろえている。子供の頃からいくつのものを作ったか数え切れないが、とにかく無数に作った。むろん必要に迫られて作った物は多いが、単に作ってみたくて作った物も無数にあり、現在手元に残っている物はほとんど無い。作ってしまえば目的が達せられるので持っている意味が無いからだ。

さて、健康を強く意識する様になって、物作りは結構健康維持に役立っているのではないかと思う様になった。まず、物を作るには色々考えなくてはならない。どうせ専門家でもなし技術も道具も材料もそして環境も限られている。その中で最も効率よく良い結果を出すにはどうすべきなのかを色々工夫するわけだが、それが脳をかなり刺激しているのだろうと思っているわけだ。

私は飽きっぽいので、同じものをいくつも作る気にはならない。商品なら別だが、自分で使うなら一個有れば良いし、作るだけが目的なら作り終えた時に目的も終わる。その為、いつも新しいものを作るわけだが、その為にはそれなりの勉強もしなければならず工夫もしなければならない。それが脳を刺激し活性化させていると自分では思っている。同じことは、例えば文章書きなどにも言えるが、書いた文章が目的なのでは無く、書くことで脳みそに刺激を加えることが目的なのだ。むろん気に入った文章があればそれを何度も推敲し完成に近づけることもある。物作りもまさに同じであり、作品が目的よりも作業が目的の方が結構多い。

その為には普段から何かヒントになることを思いついたら纏めておくために、手帳にとりあえず書き留め、それからそれ専用に用意してあるノートに書き写す。簡単なスケッチなども付け加える。そのような思いつきならその専用ノートにもうびっしりとあるが、その中で実際に作る物は案外少ない。

言い換えれば、実際に作る物はそれなりの推敲を重ねているわけで、仮に作らなくともその推敲が楽しい。多分脳の活性化につながっていると思う。

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近年、日本人は英語を話せなくてはならないかのような風潮が広まってきているのは、私自身は苦々しい思いでいるし、日本人が英語を話す必要など無いと思っている。最近はスマホで日本語と英語を通訳してくれる機能も入れられるし、一般の日本人が外国人と接する機会は、都会ならともかく地方ではほとんど無いと言って良い。貴重な若い時期に使いもしない英語を学ぶことで時間を無駄にすべきでは無い、というのが私の持論だが、むろん、好きで学ぶならそれこそ自分の意志で学べば良い。そうすれば身に付くだろう。仕事で必要な人もそうなってから学んで十分に実用レベルに達するのに1年もあれば十分だと思っている。日本に来る外国人には3ヶ月で普通の意思疎通が出来るようになる人も居る。

さて、それとは別に、私自身は英語を話さなければならない仕事に就いていたので、一時期はそれなりの英語力はあったと思うし、一人で長期出張した時などは一日中英語でしか会話をしなかった。が、その仕事を離れてからは嫌でも英語力が落ちたと自分でも諦めていたが、近年ネット動画などでふんだんに英語に接することが出来るようになってかなり英語力が回復していることに気がついた。

ごくたまに外国人と話すことがあるが、特に不自由も感じないレベルなのに自分で驚いている。が、これも頻繁にネット動画を観たり、映画で字幕の物を、生の会話を聴きながら字幕を見ないで楽しんでいるおかげだろうと思う。

今の私に語学は生活の上では全く必要が無い。が、一つの理由で私は自分の英語力を失わない、出来れば高める努力を今もしている。それは、脳の活性化の為だ。

人間は言語で物を考える。私たちは当たり前に日本語で考えているが、同じことを英語で考えてみると同じ結果になるとしてもその道筋や色づけが異なる事は前から気がついていた。また言語野を使っているのは当然だが、日本語と英語では異なる言語野を使っているとされている。

外国語を使うとは、普段使っていない脳の部分を使うことになり脳に刺激を与え活性化することになる、と言うことを期待して今でも英語、そして他の言語を四つほど(英語には遠く及ばないが)折に触れて聴いたり話したりしている。

実際どのくらい効果が上がっているかは知らないが、自分ではそれなりに脳の体操になっていると思っている。


by ロクスケ








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健康で生活するために 低温生活

私は真冬でもまともに暖房を点けないし外歩きも基本夏と同じ、肌シャツの上にシャツ一枚だけだ。以前札幌の雪祭りに同じ格好で行ったがかなり人目をひいた。その時気温はマイナス2℃だったと記憶している。札幌にしてはかなり暖かい日だったし晴れてもいたから私は当然と思っていたが改めて周りの人たちがぶくぶくに着ぶくれているのに驚いた。

まあ私が気温の変化に余り煩わされないのは昔からだが、年齢と共に温度感覚が鈍くなり寒くても暑くても気がつかない、だから年配者は熱中症になりやすいなどとも言われる。もしかしたらそうなのかの知れないと気にはしている。

更に室温が低いところで生活をすると血圧が必要以上に上がり脳卒中などの危険性が増すと言うし、統計的にも北国の人の平均寿命は南国の人に比べておしなべて短いともされている。昔は食べるものの味が濃く食塩の取り過ぎが原因だとされていた。確かに東北北海道は様々な漬物が発達していたがそれは冬場に野菜が採れないため冬に食べる野菜を漬物にしたのが理由とされている。私の出身地北海道では昔、確かに秋には本当に大量の野菜を漬物にしていたし、冬は毎日大量に食べ、お茶請けにも漬物が普通だった。

むろん、塩分の取り過ぎもあるだろうが、冬の運動不足や低温での生活が寿命を縮めるとも近年言われてきた。しかし、近年は防寒仕様の住宅が普通だし暖房も進んできて、外は車で移動するから北国の人の方が寒がりだとも言われつつある。

話を戻すが、私は普段の冬の生活に暖房を余り使わず厚着もしないから確かに毎日測っている血圧も冬は高くなる傾向がある。

別にやせ我慢をしているわけではないが、少し生活スタイルを変えなくてはと思いもしている。が、北海道で冬に室内を真夏状態にして下着姿で生ビールやアイスクリームを食べるような生活はしたくは無い。まあ、ある程度は室温を上げ着る物を一枚増やすかな、と最近考えている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 小食

私は今は一日二食だが、それでも体重は別に減らない。一食で結構食べていると思うが、それでも年齢の為もあろうが一時期の半分以下だろうと思っている。

今は一時ほどではないようだが、いわゆる大食いチャンピオンなる人々がいて、ネットなどでもそれを動画にしてあげている場合がある。見ていて気持ちが悪くなるほど食べるのだが、特に太っているわけではない。つまりは、食べた大半がそのまま排出されていると言うことなのだろう。

むろんそれは人それぞれ好き好きだから大食いをしたい人にやめろと言うつもりもないし、また現実に体を動かす人や成長期ならいくら食べても足りないような事もあるだろう。私自身もかつてはかなり食べる方だったと自分で思っているし、また仕事で毎日付き合いをしていたこともあり、今から考えればよくまあ保った物だと思うほど食べていた。

当時はまた移動は全て車で仕事はほとんど体を動かす物ではなかったので、体調は最悪だった。

今、その時の反省があるので一日二食にしたが、体調は極めて良い。健康診断の結果も全く不安がないのだが、それでも時々一食一食で食べ過ぎたかなと思うことはある。本当はもっと減らす方が良いかとも思っているのだ。

世の中には一日一食の人も居るし、毎週一日何も食べない日を設けているという人も居る。そして体調は極めて良いというのだが、むろん体調が良くなった人がそう言っているのであって、全員が一日一食で体調が良くなるかどうかは分からない。唯、自分で考えてみて、かつての大食いの時から今は食べる量を激減して、健康状態は予想を超えて改善されている。無論食べる量だけではなく、食べるものの種類や運動量なども影響している。

それなら、もう少し減らしても良いかとも思っているのだ。手始めに、何日かに一回位、一日一食で始めてみるかとも考えているが、ただ、小食でも習慣化しないと飢餓感が強くなるので徐々に減らして行くことはしなければならない。そして、当然健康状態や体力の観察も欠かせない。来年の目標の一つだ。

by ロクスケ











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健康で生活するために やはり歩くのは良い

幸い、私は今のところ健康体力に問題が無いと思っているし、毎年受けている健康診断でも特に指摘される注意点も無い。私自身、むろん加齢と共に生活の質の変化を考えているが、幸か不幸か金は無い。とは言え、じぶんでやりたいことをするだけはあると思うし、そして別に豪華絢爛たる生活をしようとは全く思っていない。それより自分でやりたいことをやれる体力、運動能力、好奇心に知力があれば金は必要だけ有れば良いと考えているので、つまりは今のところ生活に不安はない。

金と健康のどちらを選ぶかと問われれば迷うこと無く健康と答える(但し、全くの無一文は困る)。その為に私自身可能な限りの努力をしているつもりだが、食生活は今のところ上手く行っていると思う。後は運動だが、結局歩くことが私にとって最善の運動だとの結論に至っている。

毎日、よほどの悪天候でない限り、一時間ほど毎時五キロ位の速さで歩くことにしているし、天気が良かったり気分が乗れば十キロ位歩く。何年か前だが、二十五キロを五時間で歩いてみて、全く疲労を感じなかったことに我ながら満足した。

歩くことは北海道にいた子供の頃から好きで、また遊び回るのに近くの山へよく行った。近くと行っても今地図で見ると往復で十数キロ位坂道を上り下りしていたようだし、また別の近くの山は散歩コースの曲がりくねった道路があったが、私は麓から頂上三百四十メートルまで一気に直線の斜面をほとんど駆け上がることを楽しんでいた。

社会に出て、移動がほとんど電車、汽車、車になりある事がほとんど無くなって極端に体力が落ちた。むろん、付き合いと称する暴飲暴食も原因だが、ある時出張先の神社に行ってみようと階段を上りかけ、十数段でへばって上れなくなったことに愕然としたのが、体力喪失の恐ろしさを実感した最初だと思う。運動能力だけではなく年がら年中腰が痛い足が痛い風邪をひいた腹を壊したを繰り返していたが会社は休めない。

その後、付き合いの飲み食いはある程度やむを得なかったし、仕事での移動を車でしないわけにはいかなかったが、それでもとにかく時間を見つけて歩くことを始めた。少しずつ歩ける距離や速さが上がってきて、それなりに体力が回復したとは思っていた。

本格的に歩くことを日課にしたのは、退職してからだが早めに退職して自営を始めていたので思えばそれが日課に出来る時期はまだ早かったのだろう。むろん、いくつになっても良いのだが。

今も毎日数キロ以上歩いている。色々な生活習慣の改善もあるだろうが、私自身は歩くことが一番効果があると思っている。一日歩かないと(よほどの悪天候など)確かにすっきりしない。

走ることはしないが、歩くことは誰にでも出来るしどこでも出来るしいくつになっても出来る。一人で出来る。大いにお薦めしたい。

by ロクスケ











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健康で生活するために 体重管理

正月にどうしても人とのお付き合いで色々食べたり飲んだりした。まあ、短期間 だし、直ぐに元に戻せるだろうと高をくくっていたのが、二週間経っても体重が 元に戻らない。

元々BMIの上限である25のギリギリ位だったのが、あっという間に26台にな ってそれが元に戻らないのだ。一度そうなると、どうも体調が優れないような気 がする。

もともとBMIは健康の目安であり、同じ体重でも皮下脂肪が多いのではなく、筋 肉量や骨密度が高いのであれば特に問題は無い。BMIが低くても皮下脂肪が多い、 骨密度が小さい、筋肉量がない場合は問題は大きい。

つまり、BMIとは目安であって、私の場合は少々高めでも結構筋力はあるし、骨 密度も高いとされているので特に問題は無いと思っていた。実際、血圧も安全レ ベルだし毎年行う健康診断で、血液尿検査共に問題を指摘されたことはなく、そ して歩くにしても何かをするにしても特に体に負担を感じることはなかった。風 邪も二、三十年ひかず特に病気にもならないのでBMIの高めなことはあまり気に していなかった。

しかし、今のように明らかに食べ過ぎで体重が増えたのなら大半は皮下脂肪が増 えたことを意味するし、実際に見かけでも太ったな、と思わざるを得ない。

昔は暴飲暴食をして体力を最低状態にしていた反省から、今は一日二食、野菜を 主として気をつけた結果、今の健康状態を得たと思っているのだが、それが食べ 過ぎであっという間に体重が増えるのはまずい。一日二食でも一食の量が増えて いるのだ。

世の中には、一日一食という人が居る。それで非常に体調が良いというのだが、 それも人それぞれだし良いと言う体調が実際はどの様な物か自分と本当の比較は 出来ない。結局私なりに出来るのは一食の量を減らすこと位だろうと思う。試し に一日一食にしてみることもやるかも知れない。

が、嘗て極端に食事量を減らしたら確かに体重は減るが、目に見えてスタミナが 落ちたような気がしてやめた。体重を減らすのが目的なのではなく、体調を最も 良い状態にするのが目的なのでありそれは個人差があるから自分で感じ取るしか ない。

今は自分で太りすぎだと思っているからなんとかしなくてはならないだろうが、 とにかくやたらに減らすことが良いと思っているわけではない。

by ロクスケ











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健康で生活するために 時間感覚

以前も書いたが、時間経過が年齢と共に早くなるのは、子供の頃に持っていた好奇心が無くなったからだ。以前はテレビを観ていたが、気がついたらそれで何時間か過ごし、しかし思いかえしてみてもほとんど何を観たか覚えていない。つまりその間時間を意識していなかったとも言える。

それでは確かに意識しない時間を過ごすことで残りの時間はかなり短くなるはずだ。そう思うと、テレビを観る気が全くなくなったし、その間本でも読んでいた方が良い。さらに文章を書いているのも良い。つまり何かをしているという自覚が有れば、その間の時間経過も自覚でき、時間を意識しないで無駄にすることも無くなるはずだ。

しかし、それが理屈でも現実にそれが続かないのは、つまりは本来やる意味も無い事をやっているからだろうとは容易に理解できる。と言うことで、今私が主として時間を使っているのは、上記の文章の読み書きの他に外歩きでカメラを持ち歩きとにかく何でも写真を撮ること、早足で意識を集中して歩くこと、その間語学や音楽などを聴いていることを心がけている。また現在生活には使わない外国語を学んでいるのは、脳の活性化に有効だからだし、そして今は英語の動画が聴きながら好きなだけ観られるので、実は考えていたよりも役に立っている。

あと、肝心なのは物作りだが、これも本来使いもしない物を作ってみることが目的で作ることも大切だと思う。なにしろ、物作りは本当に様々な工夫が要るので、これも時間を無意識に過ごすことは無い。確かに熱中して何かをやれば時間を忘れるとも言えるが、その間に精神が集中しているなら忘れた時間が無意識に費やした時間と言うことではないだろう。

まあ、私がどれだけ時間を感じながら生活をしているかは、人とは比べられない。が一つだけ気がついたことが有る。

買い物のレジなどで、年配者が金額を言われてから財布を取り出して数えて払い、釣りを貰って数えてから財布に入れてその財布をしまってやっとレジを離れるなどを観ていると、確かに時間感覚がなくなっているのだろうとは思う。また体力も衰えるだろうから、体の動きも遅い。これはやむを得ないが、おそらく脳の中で思考が流れる速度も遅くなっているから買い物のレジでの行動などが出るのだろうとは思っている。

私自身がどうかをチェックし、そうではないようにと心がけてはいるのだが。

by ロクスケ











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健康で生活するために BGM

普段外に出て歩くとき、いつも音楽を聴いている。昔はカセットレコーダーやCDプレイヤーなどを使っていたが、持って歩ける曲数も限られているので、不便だとは思っていた。今はそんな事は無い。胸ポケットに入る小さな音楽プレーヤーにおそらく一千曲以上のありとあらゆる音楽が入っている。いちいち選んで聴くこともなく、ランダムに再生するのを唯聴いているだけだが、それでも気に入った曲は自然に頭に入るようだ。

歩くときだけではなく、家に居るときは普段はラジオをかけっぱなしにしているが、最近は音楽プレーヤーを自作の小型ステレオにつないで鳴らしっぱなしにするようになった。音質を云々するような聴き方ではない。本当に楽しむときは本格的なステレオ(幸い電気関係の自作が得意なので、いくつものアンプを自分で作っているし、中には結構良い物がある。真空管の物やトランジスタの物、そしてICの物など)を使うし、そんな時は正式なカセットレコーダーやレコードプレイヤーにレコードを乗せて聴いたりしているが、最近はそれがほとんど無くなり、音楽プレーヤーにイヤホン、あるいは自作の手のひらに載るようなステレオで聴いている。

まあ、本格的な音を楽しむ、その為に本格的なステレオを使うだけの聴覚が無くなっていると言うことだ。

人によっては、真空管アンプでなくてはならない、レコードでなくてはならない、竹針でなくてはならないとこだわる人が多いが、そういう人たちもそんな事が出来るようになった年齢では聴覚が衰えているから、本当は良い音でもそれを聴き分ける能力はないのが普通だ。あくまで気分の問題なので別に自分が満足すれば良いことであり、私は手軽に簡単に聴ける方法にさっさと切り替えている。音楽そのものを鑑賞するより、音楽で精神的に楽になる方向に移ってきているらしい。

そうやって、今パソコンで文字を入力している背中にオペラカルメンの独唱が聞こえてきている。本格的に音楽を楽しむと言うのとは違うが、それでもまあ良いかと思うようになった。なにしろ、気分的に負担がないのが嬉しい。

by ロクスケ
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健康で生活するために 水分補給

以前は一日に四リットルは水を飲もうと決めていた。食事で水分をかなり採る方なので、実際に飲むのは二,三リットルだろうが、大体は緑茶やコーヒーなどで、時たま紅茶を飲む位。しかし、何かに熱中しているとあまり飲んでいないことはある。

それでも夏はからだが要求するから飲み忘れは無いが、冬などは結構気がついたら飲んでいないことがたまたまある。ところで、水を飲まないと確実に体に異変があるようで、近年やたらにこむら返りをするようになった。

こむら返りとは寝ているときなどにいきなりふくらはぎが硬直し息が止まるほど痛む現象であり、たいていの場合は硬直したふくらはぎをマッサージすることで短時間に治るし、後を引くことは無いが、ただいきなり襲われるのでなんとかしたいとは思っていた。

こむら返りの原因を調べてみると、血圧や肝臓腎臓などの疾患などがあるようだが、他に水分不足、運動不足、加齢などがあるし、また原因不明の場合もあるので上記の様な疾患が無い場合、根本的な治療は難しいとなっている。私の場合は毎年の健康診断でこれらの疾患は無く、またむろん運動と言うほどでも無いかも知れないが、毎日数キロ早足で歩いているし、普段も別に不自由なく動けるから運動不足すぎることはないと思う。となると、後は加齢と水分不足だが、加齢はいかんともしがたい。私に出来るのは水分不足の解消だけだろうと言うことで、この数日意識して大量に水を飲み、さらに寝る前にコップ一杯は飲むようにした。そうしたら今のところこむら返りは無くなった。

昔、水飲み療法というのがあり、水を毎日一升飲むべしと言うのだが、一升とは1.8リットルであり、今私が一応目標としている半分にも満たない。

以前はマラソンなどでも運動でも途中で水を飲むのは駄目とされていたが今は積極的に水を飲むようになっている。結局、水は年齢にかかわらず飲んだ方が良いそうだ。ただし、余り大量に飲み続けると水中毒になり命を縮めるとのことなので、自分の体の反応を見ながらある程度の量を飲むようにするべきとも言う。四リットル目標で(食事の分を合わせて)だから、結局一升という所なのかも知れない。

by ロクスケ











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健康で生活するために 脳トレ

日頃体力を保つためにある程度のトレーニングをしていることは度々書いているが、当然ながら体が丈夫でも脳の機能が衰えてはこれも悲惨だ。しかし、体力脳力共に年齢に従って衰えてくるというのは普通に言われているが、生活に必要な体力脳力は年齢によって変わってくると思えば、必ずしも衰えているとも考える必要は無いのではないか。

それに昔から別に百メートを十秒で走ったり百キロのものを持ち上げる必要に迫られたことは無い。それなら今の年齢で必要な脳力を保っていれば十分と考えている。むろん、それでも鍛えれば年齢を超越した体力を得ることは出来るのかも知れないが、その為に様々な物や金や時間を費やすことを考えると、自分なりの必要な体力を保てば十分だと思う訳だ。

しかし脳力となると少し違う。むろん、記憶力などは十歳までの物覚えと比べても仕方が無いし、それどころか三十,四十台の頃と比べても仕方が無いと思っている。なにしろ、生活で記憶力が必要なことは年齢と共に減ってくる。それを補うのが経験だと考えているからだが、ただ経験を活かすためにも学習能力はある程度必要だしそれ以上に応用力が必要になっていると思う。

人間の脳の機能は実際は百二十歳まで伸び続けるという研究もある。ただし、あくまで順調にいった場合で、体外は年を取れば物忘れが激しくなり新しいことを理解できなくなると当たり前に考えられているようだ。

ただ、私は百二十歳まで脳の機能は伸び続けるという説を信じたいし、なんなら証明したいと思っているくらいだ。その為に私がやっているのは物作り、文章書き、読書、語学学習だ。

物作りはとにかくその場その場の工夫が無ければ出来ない。私の場合はあり合わせの材料を使って作り方を工夫しながら作るようにしている。工具も道具も熟練も無いからそれを補うのは工夫しか無い。そうやって、実際は使いもしない物も多く作っている。これは楽しみでもあるし、多分効果があるのだろうと思うことにしている。

毎日ブログや日記、メール、小説書きなどで四百字詰め原稿用紙五枚〜十枚相当の文章を書いている。文章を書くとは頭の中で様々な内容を纏めながらやる作業なので、これは脳機能UPに極めて都合が良い。書き慣れているので、質はともかく一、二時間あれば十分だ。読書も同様の効果がある。

そして語学学習は何度も書いているが言語は思考の道具であり、日本語のみならず外国語を学ぶときは外国語で全く脳の違う分野を使っている。幸い、現在ではネットで好きなだけ外国語に接することが出来、嘗て退職してから遠ざかって駄目になっていたと思っていた外国語がまたそれなりに回復し、映画なども原語で楽しめるようになっている。実生活では全く外国語など使わないしそのつもりも無いが、ただ、脳のトレーニングには極めて有効な手段だと私は思っている。

脳トレが出来ているというのは私個人の思い込みだろうが、まあ私がそれで良いなら良いだろうと言うことだ。

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健康で生活するために やっぱり野菜

かつては好き嫌いがない事もあって、それこそ何でも食べた。ただし、肉は嫌いとまでは言わないが、決して自分から食べたいとは思わないもので、お付き合い位でしか食べなかった。また、外国に行くと何から何まで肉しか無い様なところもあり、そのようなときは肉しか食べなかったと思う。

今は、よほどその気にならなければ肉を食べることはない。その気になるとは、たまには動物性タンパク質もとらなくてはならないだろうと思ったときだが、大体は魚を食べているので動物性タンパク質も足りてはいると思うのだが。

と言うことで、今は食事の大半が野菜だ。それも可能な限り多くの有色野菜をとるようにしているので、結果として丼一杯の野菜を食べることになる。食べ過ぎではないかとも思うが、今のところ特に問題も無いようだ。毎回野菜料理も面倒くさいので、二日分くらいを一度につくって冷蔵庫に入れるのだが、なにしろその季節の野菜を細かく刻み大きなフライパンでそのまま炒めた物を密閉容器で冷蔵庫に入れておいて、それを様々に調理して丼一杯食べるわけだ。

そのおかげなのかも知れないが、とにかく通じは理想的であり結果として極めて体調も良い。野菜だけが理由では無いだろうが、ほとんど味を付けない薄味が元々の私の好みなのでつまりは単に炒めただけの野菜にポン酢などをかけて食べる、あるいはスープで煮るなどが毎回のメニューとなる。

今年は庭でもっぱら小松菜を冬まで作り続けるつもりだ。小松菜は雪が積もっても枯れない位寒さに強いし、放っておいても伸びるのでせいぜい沢山食べることにする。ただし、手入れをほとんどしないので、味の方は気にしても仕方が無いが、もともとあまり気になる方でも無いので、それで良いだろう。

by ロクスケ











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健康で生活するために やはり清潔第一

どうも私は偉そうに言えないが、日本人が世界でも突出して清潔だとは昔から言われていた。ただ、日本人はそれを知らない。毎日風呂に入り、下着を替え、手を洗い家の中では靴を脱ぎ、ましてベッドの上に靴のまま上がるなどあり得ない。

トイレではきちんと水を流し、トイレを出たら手を洗う、トイレのスリッパと廊下のスリッパは換える。当たり前だろう、というのは日本人だけだと言って良い。なにしろウォシュレットがこれほど普及しているのは日本だけだし、水道の水が飲めるのも世界ではごく少数の国だ。因みに、嘗て連れがフランスで水道の水を飲んでいたらやめろと言われた。私は観ていなかったので知らなかったがむろん知っていたらフランスでは瓶入りの水以外飲むんじゃないと最初に言っておくべきだったと後悔した。一方、米国では本当は飲むなと言われていたが、底辺の人たちは普通に飲んでいた。

最近はネットでも来日した外国人が、日本の町のあまりに綺麗なことに驚くという。なにしろ道路にゴミが落ちていなく、川の水が綺麗で下水に鯉が泳いでいるなどと紹介されている。私たちからすれば道路にゴミが無いのは当たり前だろうと意識すらしていないが、実際にヨーロッパでも町の道路にゴミが散乱しているのをみると確かに驚く。直ぐになれてしまうが、歩きながらものを食べ、食べかすをそのまま道路に捨てる人間をみたりすると何だろうこいつは、と思うのが普通だろう。最近では多くの外国人が日本に来るが、中には自国にいるのと同じように食べ歩きをしてゴミを捨てる者が確かに居る。

なにより、無論ごく一部だろうが本当に不潔な人間が居て服が明らかに汚かったり近寄ると臭かったりで日本ではあまり見かけない人が結構普通に居る。

なにしろ、観光名所のある場所でトイレがあまりに汚く入るのがためらわれた。安ホテルや安レストランの汚さも慣れない限り我慢できない。

ということで、日本は極端に清潔なのだ。これが今回のコロナ肺炎流行で改めて明らかになったようだ。人口に比して、日本では感染者も死亡者も桁違いに少ない。未だに感染は拡大しているが、先進国と思われている欧米では桁違いに感染が拡大し桁違いに多い人が死んでいるのだ。

今後のことは分からないが、おそらく日本の被害が一番少ないだろう。嘗て世界では病気の大流行は何度もあったのだが、日本はその感染者数、死亡者数はいつも最低レベルだった。

根本的には日本人の真からの清潔度がその結果を出しているのだと改めて思う。むろん、個人でもそれは同じだろう。

by ロクスケ











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健康で生活するために 薄味

私は生まれつきの体質のためか、家族でも一人だけ極端な薄味好みだった。元々子供時代は北国で育ち、当時の北国はとにかく食べ物の全てが濃い味付けだった。なにしろお茶請けに漬物を食べるのが当たり前で、冬になる前にそれぞれの家では白菜や大根胡瓜などそれこそ大きな樽にいくつもつけ込んでいた。今と違い、冬には野菜が無いので漬物で野菜を採っていたわけだし、ご飯のおかずが漬物と味噌汁(自家製の味噌)などと言うのが普通だった。

誰もが子供の頃からそんな食事なので特に食べるものを塩辛いとは思っていなかったようだが、私はとにかくしょっぱいものを食べないので、母はわざわざ私一人分には薄味の物を用意するのが毎日だった。漬物などはあらかじめ長時間水に浸けた物を用意してくれた。ほうれん草のおひたしなどに醤油をかけず、納豆や卵掛けご飯に醤油を使わない私を家族は困った顔で見ていた。私にしてみれば味付けをしないことで材料の味が楽しめる、そんな感じだったと思う。

大人になってからは人との付き合いで外食もするが、本当はあまり味の濃い外食はしたくは無い。

今でこそ、塩分を少なくするのは健康上大切であり、北日本では特に血圧の高い人が多いことで塩分をとらないようにやかましく言うようになった。むろん、子供の頃の私も、そして家族もそんな知識は無かったが、今私の血圧はかなり低い。毎年受ける健康診断でも問題が無いとされているのは、おそらくは塩分をとらなかったことが大きいと思っている。塩分だけでは無く甘い物も酸っぱい物も辛い物もとにかく味の濃いものが嫌いなのだ。

それでも全く塩を使わないわけでは無いし、自分で味噌などを造ったりする。ただ、味噌造り以外では一キロの塩を買ってもいつ買ったか忘れるほど何年も使い続けている。

世の中には食道楽、グルメを楽しんでいる人が大勢居るし、それが人生の大きな楽しみだという人も普通に居る。私も自分なりに好きなものを食べるが、それが人とは大きく違うので、グルメとは言いがたいだろう。

結果として血圧が上がらないならそれで良しとしている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 楽観的思考

最近は寝ても覚めてもコロナウィルス肺炎がどこでも一番関心を集め、また新しく北海道から東北沖海底で巨大地震が近いうちに起きる、大津波が東北日本を襲う、南海トラフでも近いうちに巨大地震が起きる、富士山が噴火する、外国では戦争になる地域がある、世界経済が記録破りに落ち込むなどなど気の滅入る事ばかりが重なっているようだ。

仕事が出来なくて極度に金銭的に困窮する人が増え、在宅勤務や家に閉じこもることからストレスがたまり家庭内暴力が増えている等、これもまた憂鬱な報道が多い。

確かにそれらを気にし始めれば切りが無いのだが、人間うまく出来ていてたいていの人はそれらを楽観と言うことで無視するように出来ている。本当は人間が気にしようがしまいが巨大地震や津波、噴火、台風などは来る。しかし、どの様に人間が努力をしてもこれらを未然に防ぐことが出来ないのであれば、どんなに気をつけても運が悪ければ巻き込まれるわけだ。とうてい安心など出来ないのが本当だろうが、実際には割合早く人間はそれらを気にしなくなる。そうしなければ生きてゆけないから人間はそのように出来ている。

しかし、それでも個人差があり細かいことにいつまでもくよくよする人も居れば、ほとんど気にせず次の事に意識を向ける人も居る。後者の方が楽に生きていけそうだが、同じ失敗を繰り返す可能性もある。くよくよするとは同じ思いをしたくないから失敗をしなくなることにつながるが、失敗を恐れて新しいことにチャレンジをしなくなると言うことでもある。楽観的な人は失敗を恐れず新しいことにチャレンジすると言うわけだ。

どちらが良いかは程度問題、環境、能力などなど様々な要因に依るだろうけれど、私は自分では後者だろうと思っている。だから同じ失敗を何度でも繰り返しながらそれが意識に残らないのだと最近やっと気がついた。失敗を失敗と認識してその原因を考えるのは大切なことの筈だが、私はそれが出来ていない様な気がする。なにしろ失敗をしてもそれを覚えていないのだ。失敗で苦い思いをすれば感情的な記憶は無意識レベルでも長く続くから失敗を繰り返さなくなるのだが、最近になってやっと気がついた。私は失敗を失敗と認識していないのだ。だから同じ失敗を繰り返しているのだと思う。楽観しているのだと思っていたが、どうも違う気がする。

人間は悲観主義より楽観主義の方が楽に生きられる。が、もし楽観ではなく単に失敗を認識していないのだとしたらこれは困る。それに気がついたのは良いことだとは思うが、楽観は捨てたくはない。

by ロクスケ











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健康で生活するために 好奇心の維持

人間年を取ると好奇心を無くすると言われている。確かに子供の好奇心は大人からすれば到底付き合いきれないほど旺盛だが、と言って無視していては子供がまともに育たない。

私がまともに育ったかどうかはともかく、子供の頃の好奇心は人並み外れていたようだし、そして今の好奇心も同年配とは全く話が通じない位だ。同年配で自作を含めPCを何台も持ちネットにつなぎ、絵描きから表計算、文書、動画、ブログ等などありとあらゆる物に手を出しているのは知る限り余り居ない。

前にも書いたがあまりに色々な物に手を出したので結果として何一つ奥深く極めた物は無いようだ。それでも、私は何かを極めるより、色々な物に手を出し好奇心を満たす方がよほど生きがいを感じる。それも人それぞれで、私のこのやり方が今の生活を予想を超えて豊かにしてくれていると思うのだが、まあ人と比べてもしょうが無いし人の評価も気にしていない。

無論人それぞれの生き方があり、一つのことを究極まで突き詰めようとしている人に私は尊敬の念を持っている。日本人の職人気質が例えば工場で作る製品や手作りの伝統家具など様々な分野で日本人特有とも言われる拘りで技術を突き詰めた結果が同じ製品を作っても日本製の完成度の高さとして知られるようになったし、結果として日本が世界でも冠たる技術大国になった。それはそれに関わる人たちの突き詰める姿勢にあるので、それを十分に認識した上で、私は全く違うやり方で生活をしていると言うことだ。

新しいことに次々に興味を示しとりあえずやる。例えば私は物作りが好きで、家具でもアンプでもとにかく作るがこれらの分野でも普通は素人がとにかく究極まで突き詰め傑作を作る事を夢見る。私は可能なら手抜きをしてでも常に新しい物をとりあえず私が良いと思うレベルで作る。

その代わりありとあらゆる物に興味を持ちありとあらゆる物を作る事に主点を置いている。本も分野を特定することはないし、語学なども英語は仕事で必要だったからおそらく仕事で問題の無いレベルにはなったと自認しているが、他の言語はやってみた、その結果なんとかなったというレベルで、英語も含め母国語のようなレベルになるつもりなど思ったことはないし、他言語は到底実用レベルとも思わないがそれでも残念とも思わない。

結局、ありとあらゆる物を広く浅くやることで私なりに人生を楽しんでいるなら、一つのことを突き詰める人が人生を楽しむのと変わらないだろうと思っている。つまり、好奇心が最優先されているのだ。

by ロクスケ











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健康で生活するために 捨てられない物

いつも鳴らしっぱなしにしているラジオで、たまたま捨てられない物というのをリスナーからメッセージとして集めて紹介している番組があった。多くの年代の人たちが、子供の頃に大切にしていた玩具を未だに50も過ぎているのに捨てられない、とか趣味で集めた○○を捨てられない、旅行のお土産で買った物が捨てられない、昔着ていた服が今は到底柄もサイズも着られないが捨てられないなどなど様々な声が紹介されていた。

私の母は、とにかく何でもかんでも取っておくのが癖だった。買い物で貰った袋、包み紙、紐、穴の空いた片方の靴下、すっかりちびたげた、着られなくなった服などなどとにかく母が亡くなってから整理してみたら家の隙間という隙間に様々な物が詰め込んであり、故人を偲ぶ物は別だが、袋や包み紙紐などは相当量処分した。

母が特別なのだと思っていたが、聞いてみるとどこにでもそのような人が居るらしい。私は本当は捨てようと思うのだがそれを忘れて使いもしない物を大量に保存する癖があり、どうも母の影響ではないかと思っている。

しかし、今は昔の思いでの物も含めて可能な限り捨てるようにしたら、捨てられない物など無いと思うようになった。それで、前回も書いたように大量の本や衣類家具や食器ありとあらゆる物を使う分だけ残して捨てつつある。仮にまた使うことがあっても新しく買った方が良いと考えるようになったし、さらに買わないようになった。それでも気がつけば要りもしない物を買うことはあるが、それでもかつてよりは減った。

思い出の品も結構だが、観なければ思い出さない。旅行で買ったお土産など、私はほとんど買うことがないが、買ってもお土産以外はほとんど無い。昔は現地でしか手に入らない,あるいは食べられない物なども有ったが、本当に欲しければ今では最終的にはネットで買える。

つまり、物を保存しておく意味があまりなくなった時代なのだと思うし、なにより私の意識が変わったのだろう。

by ロクスケ











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健康で生活するために 食べ物の好き嫌い

幸いなことに私は食べ物の好き嫌いがあまりない。が、言い換えれば食べたいものもあまりない。つまり、極端に言えば食べ物に関心がないとも言える。関心が無いと言いながら勿論食べなければ生きてゆけないので食べはするが、グルメ嗜好はないので結局自分が一番抵抗なく食べられるものを毎日食べることになる。

私にとって抵抗がないものとは、味の薄いもの、脂っこくないもの、肉を使っていない物、ということになり外食はほとんどしない。かつては仕事の関係上ほとんど毎日人と飲み食いしていた。なにしろ費用は会社持ちだが、自分が好きな物ではなくあくまで相手が好きな物に付き合うのがほとんどだったから好き嫌いなど言っていられなかったし、好き嫌いがないことも幸いして別に苦痛とも思っていなかった。

しかし、今自分で食事の管理をするようになると、かつてのような人の好みに合わせたグルメなど到底口にする気にはならなかった。

仕事上日本中、そして外国にも頻繁に行きその時々で相手に案内されてその土地の名物を食べることが多かったが、それでまた食べたいと思うような物は覚えていない。おかげで、好き嫌いもないから普通日本人が食べないようなものも平気で食べていたが、言い換えれば何を食べても関心がなかったのだと今は思う。

かつては私は大酒飲みで、絶体にアル中になると思うほど飲んでいた。体質的な物なのか、一升酒を飲んでもウィスキーを一本開けても別に泥酔した記憶もない。そしてほぼ毎日それだけ飲んでいた。

が、一旦生活を変えようと食事を全て今のスタイルにし、そしてアルコールも完全に止めた。自分では酒を止めることが出来るなどと本心では思っていなかったが、これが自分でも驚くほどあっさりと、本当にいきなり完全に止めることが出来た。つまり酒も単に習慣で飲んでいたのであり、好きで飲んでいたわけではなかったのだ。それは嘗てかなりヘビースモーカーだった時期があって、一日で完全に禁煙し数十年煙草に手を出していない様な物だ。

今は月に2,3回、酒を一合、あるいは缶ビールを一本位飲む。がそれが増えることはない。

結局私にとって食事もアルコールや煙草のような物なのだろう。ただし、食べないと死ぬから食べているだけで、もし食べなくとも生きてゆけるなら面倒くさい食事はさっさと止めるだろうと思う。

by ロクスケ











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健康で生活するために BMI

BMIとは肥満指数であり、体重を身長(M)の二乗で割った数字であり、標準は18.5〜25とされている。きっちり25未満でなければならないわけではなく前後の許容範囲があり、更にその前後に要注意、更にその外側に注意そして危険など様々な範囲があるわけだ。

私の場合、今は26をかすめる程度であり、一寸大きいけれど特に問題は無い、ただ、もう少し減らすのが望ましいというレベルであって、今すぐどうこうしなければならない数字ではない。ただ、人間の体は様々な条件があり、同じBMIでも体脂肪率や骨密度が低いか高いかで健康度は変わるから、単にBMIが25以下なら良いというわけではない。因みに日本ではBMIの標準は23であり、22が最も病気にかかりにくいそうだ。

ただ、年齢や性別、病歴などなど様々な因数があり、あくまでBMIは目安でしかない。実際、私はもう少し体重を減らさなくてはならないと頑張ってダイエットをした。そうしたら極端に筋力が落ち、更に非常に疲れやすくなり、とんでもないとダイエットを止めた。普段からそれほど食べないし、一日二食だし野菜中心なので、それをあまり減らすのは健康に悪いとつくづく思った。

昔はBMI等と言う概念が無かったが、今から考えれば当時は私のBMIは14〜15だったのではないか。若いと言うことは凄いことで当時は今とは比較にならないほど食べていたし飲んでいた。今は食べようと思っても(思わないが)当時の半分も食べられない。

年齢とともに代謝率がどうしても下がる。それを無視して唯BMIを減らすことを考えるのは間違っていると思うし、現実に毎年受ける健康診断では問題なしと言われている。

今は私なりに普通に食べているし、普通に動き、上記のBMIを維持しているか、おそらくこの一年で数キロは体重を落とし体力は維持していると思う。BMIは目安であり無視はしない方が良いが、それを維持することよりも健康を維持する方が大切だと理解する必要がある。

by ロクスケ











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健康で生活するために お茶を飲む

基本的に緑茶。

おそらく一日に2,3リットル位飲む。一時期、水飲み健康法なる物が有り、一日に昔の単位で2,3升飲むべしというのが流行ったことがある。つまり、一日に3.6リットルから5.4リットルの水を飲むことが健康に繋がるとされた。今ではあまり聞かないが、それでも必要十分な水分を取るのが良いとは言われているようだ。

ただし、水分と言ってもアルコールの入った水分は別の話であり、また糖分の入った飲料などは糖分過多が問題になるのでこれは駄目、コーヒーなども一日に2,3杯以上はカフェインが影響しすぎて駄目という。となると、飲むのはただの水ということになるが、日本人の場合は緑茶や番茶などを日常的に飲む人が多く、それはかなり健康に良いとされている。

それが理由ではないが、私は元々お茶を大量に飲むが、ただしあまり濃いのを沢山飲むと茶当たりを起こしたりするので、大体は一日二回位急須のお茶っ葉を入れ替えて後は出がらしをひっきりなしに飲む。朝、四リットルの保温ポットに熱湯を入れ、大体それの80%位を急須に注いで飲むのが普通だ。他に食事時に水分を採っているので、結局一日に4リットルは飲んでいるようだ。季節によって変わるが、冬でもそれなりに大量に飲んでいる。

人によれば水分をなるべく採らないようにする人も居るそうだし、特に夜中トイレに起きるのが辛くて夕食後は一切水分を取らないと決めている人が実際に知人に居た。

それが理由かどうかは知らないが、彼は今非常に体調が悪く、結局誰かの世話にならなければ生活が出来なくなっている。介護する人は水を飲ませようとしているが彼は頑として飲まないのだそうだ。

それは人それぞれが自分で決めることではあろうが、私は平均よりもかなり水分、それも出がらしのお茶を飲み、寝るまで飲み続けている。私の場合は、それこそ子供の頃からそうだったので、今更水分を減らす気にもなれないが、ただ以前より増えたのは事実で、それがどれほど関係しているかはともかく体調は極めて良いと言える。

by ロクスケ











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健康で生活するために 体が硬い

自分では十分健康だと思っているし、毎日数キロをかなりの早足で歩き続け、そ れで披露することもない、むしろ朝何かだるいと感じるときなど直ぐに外を歩くようにしている。するとだるさは全くなくなる。食事もかなり管理し、体重も管理して結果として血圧も極めて正常、などなどまず文句のない健康体だろうと思っていたが、気がついたら体がかなり堅くなっていた。

少し前まで、前屈して手のひらを床に付けることが出来たが、最近やってみたら足首まで手の先が届かなくなっていて驚いた。色々やってみた結果、例えば片手を肩越しに、もう一方を脇から背中に回して組めない、脚が前にまっすぐ水平以上に上がらないなど、驚くような有様だった。

つまり体が極めて堅くなっている。これは怪我をしやすくなるなどかなりまずいことなので、とにかく体を柔らかくするやり方を考えることにした。むろん、体操選手のような柔軟性が必要だとは思わないが、例えば体が硬い場合と柔らかい場合では同じ自動車事故に遭っても怪我の程度が雲泥の差だし、時には命が助かるか駄目かなどの結果に結びつく。さらに日常生活でも体が硬いとかなり無理をした動きになって、結果として更に体をゆがめることになる。

誰でも年齢を重ねると体が硬くなる。が、それが当然だから仕方が無いということではなく、積極的に体を柔らかくする努力が必要になる。まあ、今まで別に体が特に硬いとは思っていなかったが、柔らかくする努力はしていなかったようだ。力を付ける努力はしており、エクスパンダーやダンベルなどはよく使っているが、柔軟性まで考えなかったことは残念だ。

年内位に前屈で手のひらが床につく、あるいは背中で手を組める位にはしておきたいと思う。なお、頭の方も知らない内に堅くなっているかも知れないが、今のところそれを自覚するには至っていない。自覚できないのかも知れないが。

by ロクスケ











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健康で生活するために 毎日の健康管理

年を取ってから金がない事は非常に辛いと思う。まあ、私も金があるわけではないがそれほど金が欲しいとも思っていない。今は自分がやりたいことがそれなりに出来ているからと言える。むろん、昔と今ではやりたいことが違うから今なりにということだ。

ただ、無論金も欲しいが私にとって今最も欲しいものは体力であり、健康だと言って良い。当然ながらその為の努力もそれなりにしているが、今のところまあ生活に不自由はしていないと思っている。あくまで健康面の話だ。

必要なだけ体は動くし、別に疲れないしとりあえず問題は無いとは思っているが、当然ながらそれを維持するためにはそれなりの努力をしている。毎日のウォーキングを主とした運動もさることながら、食生活には相当気を使い、更にこの十年ほど、毎日朝夕血圧を測り、食事を記録し、食事の写真を撮って残し、体重を量り,排泄状況を記録している。更に毎年健康診断を受け、今のところ健康に問題は無しと言われている。

今後もこれが続くかどうかはともかく、毎日自分の健康状態、即ち上記の記録を付けることで今の生活習慣を維持する動機にはなっていると思う。

折から新型コロナウィルス肺炎感染者が増加し続け、特に持病を持っている人、高齢者にとってかなりハイリスクになっているとされているが、私も安心できる年齢ではない。ただ、幸いなことに持病と言えるものが無く、健康状態も医師にこの状態を維持するようにと言われる状況では、それなりにリスクは低いだろうとは思っている。むろん、それで油断は出来ないが。

人間誰でも死ぬし、確実に私も死に近づいている。それは人間全てがそうなのだが、子供の頃は全く念頭に無かったし今より若い頃もそれを考えたことは無い。そして今も別にそれを考えて居るわけではない。ただ、それがいつの日かは知らないが、その日までは生きている意味を自分で実感できる状態でありたいとは思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 継続は力なり

昔からとにかく私は飽きっぽかった。とにかく何でもかんでも飛びつき、ある程度身につけると途端に飽きてそれを続けることが出来なくなる。そのせいで、とにかく多趣味ということになり、おそらく今までやった趣味と言えば二十や三十ではきかないと思うが、おかげで多少の知識はそれぞれ得ているし、確かに今も役立っている物もある。が、到底人様に私はこれが得意ですと言うレベルではない。ま、その為にある程度頭が柔軟になっているかとは思うが、自分でそう思いたいだけなのかも知れない。

しかし、我ながらこれだけは継続しているという習慣があり、これはもう趣味とは言わないだろう。たとえば、ウォーキングがあるが、子供の頃からとにかく歩くのが好きで、また田舎育ちで少し歩けば山、海、川がありとにかく気が向くと何時間でも歩いてそこへ行った。後年地図などで確かめてみると、ほんの十歳かそこらで一日十キロくらい歩いていたようだ。それは今もよほど天気が悪くない限り毎日続けてており、それが体調を保っている効果は計り知れない。ただ、以前は歩く時間も取れなかったことから、数分歩けば行ける場所でも車で移動していた。当時は生活が不規則で毎日かなり飲んでいるなどもあって、非常に体を壊していたが、一念発起して酒を止め歩くようになってから健康不安は全く消えた。

また、文章書きも子供の頃から毎日やっていて、かつては自分の原稿用紙を作って毎日数枚以上は書いていたが、今ではPCで日記、ブログ記事、小説など軽く原稿用紙十枚以上は書き続けている。文章を書くことは自分の思考を纏めるのに非常に有効で、私なりにその効果を実感している。

後は語学だろうか。かつては仕事で必須の能力だったが今は単に脳トレの意味でやっている。人間は言語で物を考えるのであり、つまり外国語を学ぶことで脳の思考する分野を刺激することになるし、むろん、記憶力も必要になる。確かに、一時はほとんど英語でも実用レベルでは話せなくなったと思ったが、ネットで好きなだけ接することが出来るようになってから積極的に接し始めた。今ではネット動画なども別に不自由なく聞き取れるようになったが、実用性と言うよりあくまで脳の刺激と言うことだろう。その意味で、ほとんど実用性はないが、フランス語やドイツ語など数カ国語を気まぐれにやっている。

昔の何でも飛びつき直ぐに止めた趣味と違い、これらは確実に役に立っていると私は思っているし、そう思うことで持続も出来ていると思う。

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健康で生活するために 運動をすること

幸いなことに私は今のところ健康には問題が無い。無いとは言っても別に鋼鉄製の体ではないのだから、日によってはかったるいとかやる気が起きないなどと言う日はある。が、それでも例えばこの数十年間風邪をひいた記憶が無いし、なにより病気で病院に行ったことはないと言って良い。むろん、何かの薬を飲み続けるなどもしていない。

毎年健康診断のために病院に行くが、結果はこの状態を維持するようにと言われる状態だ。つまり、健康上問題が無いという結果だ。当然ながら、年をとってから金が無いのは辛いが体が動かないのはもっと辛いと思っているから、毎日それなりの運動をしているし、食べるものも相当気を使っている。飲酒喫煙も無い。

が、世の中には80代90代になってかくしゃくとし、中にはフルマラソンを走りきるなどと言う人が居る。私もいつだったか上野公園で、おそらく70は過ぎていると思える人達が鉄棒で懸垂や大車輪をしているのを見てびっくりしたことがある。そういう人達が集まってそのようなことをしているそうだ。

本当にうらやましいほどの体力だが、私はその人達と同じ能力を身につけようとは思わない。なにしろその為に費やす時間がもったいないし、そして私にはやりたいことが無数にある。第一私の性格では続かないだろう。だから、上記の様なとにかく病気にならず、医師にこの状態を保てと言われる健康状態で、確かにかなりの力仕事などをしても十数キロを歩いた後でもそれで疲れが後々残ると言うことが無いのであればそれを維持したいと思うだけだ。そして体力だけでは無く、頭の柔軟性なども学習能力も保っておきたいから、別に書いたように文章を書いたり語学を学んだり、パソコンをいじくり回したり物作りをしているし、そしてそれを長期間楽しみたい。

どんな年齢でも本格的に鍛えれば想像も出来ないほどの体力が身に付く。それを目標としている人はそれなりに尊敬するが、私はそうしたいとは思わない。外にしたいことが沢山有るからだ。

とにかく、可能な限り病気にはなりたくないし、可能な限り必要なことが十分出来る体力を保っていたい。その為に何をするかは個人個人で違うのだろうけれど、私は毎日数キロ以上を早足で歩き、野菜中心の薄味の食事を続けることでその状態が得られているならそれでよしと思っている。

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健康で生活するために 物忘れ

人間誰でも年をとると物忘れが激しくなる。これは自然の摂理であり、幼い頃は必要不必要関係なく、理解するしないも関係なくとにかく何でも記憶してしまうが、それはその後成長してから本格的に知識を吸収するための基礎であって、その時期にそれが出来ていないと、成長してからも何も学ぶことが出来ない。良い例がインドなどで赤ん坊の時に行方不明になり動物に育てられた子供が発見されることがかつて相次いだ。そのような子供達は必要な時期に言葉を覚えることも人間の習慣も覚えることも出来なかったので、発見されてからどの様な教育を受けても、四つん這いでうなることしか出来なかったという。

前置きが過ぎたが、その時期を過ぎると、記憶は無意識に取捨選択をするようになり、自分が必要と思わないことは努力をしても覚えられなくなる。それは普通に有ることで、例えば仕事上などの人間関係、手続き、技術などはいくつになっても覚えられるが自分の生活に必要の無い例えば趣味関係などは自分でもあきれるほど覚えられない。

スーパーなどでパートで働いている人たちなどは子育ても終わった年齢の人が多いが、その年齢で広い店内のどこに何があるかを覚えている事が多い。○○はどこにありますか、と訊くとその場に連れて行ってくれたりする。商品は度々入れ替えるのに良く覚えるものだと感心している。一方自分は同じ物を度々買っているのに場所を忘れることがあるのとは大違いだ。

と言うことで年齢とともに物忘れが激しくなるとは、実は不必要なことを取捨選択している、その範囲が狭くなっていると言うことだと考えると納得出来る。が、それでは人生の幅を広げることが出来ないので、私は物覚えを保つ工夫はしているし、それなりに効果はあると思っている。

今回書いているメモの件もそうだが、必要があって覚えるのだと自分に納得させることが最も効果的なのではないか。私の場合、ブログを毎日書いているが、その為には相当新しいことを学ばなければならず、また以前書いたこととの照らし合わせも必要なので、それなりに覚えることはかなりあるが、結構覚えていると思う。つまりスーパーなどのパート従業員と同じなのだろう。相変わらずどうでも良いことは直ぐに忘れているが、それは気にしないことにしている。

まあ、自分の名前など忘れたら、それは直ぐに病院に行かなくてはならないだろうが。

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健康で生活するために 食べ物の好き嫌い

私自身は食べ物の好き嫌いはない方だと思っている。むろん、世界には思いも寄らない食べ物はあるし日本でも地方によってかなり変わった食べ物があるが、今までこれは駄目だ、と言う物は無かったと記憶している。ただし、進んで食べたいと思う訳ではないが。

しかし、気がついて見れば今の私はかなり偏った食事をしていると人から見えるかも知れない。なにしろ、肉を殆ど食べない。食べられないわけではないが好きでもないし食べたいとも思わないからだ。味の濃いものは食べない。余り脂っこいものは食べない。甘い物は食べない。

食べ物とは違うだろうがかつては自分でも心配するほど大酒飲みだったが、今は殆ど飲まない。人との付き合いなどで月に一、二回、一合程度飲むかどうか。したがって酒の肴に類するものは殆ど食べない。結局、外食は殆どしないし、旅行などで自分で作れない場合はコンビニや地元のスーパーなどで食べられるものだけを食べている。

これは好き嫌いというのかどうかは知らないが、食べたいものを食べ食べたいとも思わないものは食べない食生活で自然にそうなった。

以前仕事で毎回外食だったときは(当然運動不足もあり、少しの移動も車を使っていた)体調が最悪で年がら年中風邪をひき腹を壊し、むくみ、膝が痛くてまともに歩けなくなるなど散々だった事から、退社してからは本当に食べたいものだけを食べるようにして、今では少なくとも健康には不安が無い状態になっているし、毎年受ける健康診断でもこの状態を維持するようにと医師に言われている。風邪は20年はひいていないと思うし、病気と言える体調不良は無い。むろん、過去の反省もあるし、また意識して毎日それなりの距離を早足で歩く習慣も大きいだろうが、自分が食べたいものを食べ食べたくないものを食べないことの結果だと思っている。別に我慢して食べたいものを食べないわけではない。食べたいものだけを食べたらその結果が健康体と言うことだ。

これは好き嫌いとは言わないのではないか。習慣から食べているものが本当に自分で食べたいものなのか一度見直してはどうかと思うのだが。

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健康で生活するために 語学学習

何度か書いているが、私はほとんど毎日語学を学んでいる。といっても文法などは最初から無視し、音声とテキストをPCに入れているし、音声は音楽プレーヤーに入れて散歩の時などはイヤホンをいつも耳に付けている。

確かに昔は英語が私の仕事上必須であり、それなりに努力をして仕事上では特に不自由がないほどの能力を身につけたと思うし、日常会話でもビジネスでも特に問題は無かったと思う。が、当然ながら学校で習っていたときは将来そんな事になるとの想定がなかったので全く英語などには興味がなかった。したがって、仕事で必要になったときはこれが自分かと思うほど必死に学んだし、まともにしゃべれないときに海外に一人で放り出されたときはべそをかきながら必死にやっていた。相手もそれなりに合わせて話してくれるのでなんとかなったが、いつの頃からか会話にはそれほど不自由しないようになっていた。慣れとは恐ろしい物だと我ながら思った。

その後退職し、英語とは関係がなくなり、それこそあっという間に会話能力を失っていたが、ネットで英語の記事に接したり後に動画などで英語に接するようになりせっかく身につけた英語をそのまま無駄にするのは惜しいと思い、ある程度積極的に英語の訓練をしてみた。なにしろ、ネットでは教材に不自由することはない。

不思議な物で、英語を使わなくなってかなりの時間が経つのに、それなりに英語能力は回復したと思う。なにより、英語のネット記事がそれほど困難もなく読めるし、英語の動画などもわかる。時たま外国人と会話をするが特に不自由は感じない。全く新規に学ぶのとは違い、以前の能力がこれほど簡単に甦るとは期待していなかった。

改めて洋画なども字幕版を観るようになり、結構その方が良いと思うようになった。

さて、英語だけではなく、同時にフランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語なども今又学び直してある程度回復したと思っているが、英語と違いこちらはそれこそ初歩の初歩レベルだし、何より今これらの外国語を身につけても実生活には全く役立たない。

それでも語学を私がやるのは脳トレのためだ。人間は言語で物を考える。日本人は日本語で理論を頭の中で組み立てている。それが即ち思考であり、読書をする文章を書くなどの作業は思考力のトレーニングとして必須なのだ。

外国語で会話するときは私は外国語で考えている。結局日本語では使わない脳の部分を外国語で考えることで刺激できるわけだ。これは脳トレとして極めて優れた方法だと思っている。

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健康で生活するために 自分で料理

私は外食嫌いだと前にも書いたが、気がついたらかなり食べるものが偏っている。なにしろ薄味の野菜が主で、たまに魚を食べるくらいだろうか。となると、本当に外で食べる物が無い。時々遠出をして外で食べなければならないときは和食の定食が主だが、それでも味がくどすぎると思っている。したがって、コンビニでサンドウィッチや果物、あとお茶などを買って公園などで済ませる事になる。大体は食べないで家に帰ることが多いが。

私の作ったものを食べた人はたいてい、味が無い、という。まあ、そうかも知れない。おひたしに醤油をかけないで食べたり、納豆などもいつもでは無いが醤油を使わない。

簡単に野菜を刻んで炒めたりレンジでチンした物を冷蔵庫に入れておいて、それを再度チンしてミルクをかけて食べたりしている。人から見たら何をやってるんだと思うだろうが、結果として今の私は毎年受ける健康診断で全く問題がないと言われている。食べ物と、後はほぼ毎日やっている外歩きの故だろう。天気や時間の余裕にもよるが、最低5キロ、多いときは10キロ位を歩くし、最近25キロを歩いてかなり早足だったのに疲れを感じなかったときは嬉しかった。

嘗ては仕事で毎日車で移動が当たり前で、それこそどこに行くにも、目と鼻の先でも車が当たり前だった。仕事の付き合いで毎日飲み外食を重ね、運動不足もあって酷い健康状態だった。医師にも長生きできないよ、と脅されたものだ。

今は当時が本当の事だったのかと思えるほど健康状態は良い。当然当時より年を取っているのだが、体力的には当時よりかなり若返っていると思っている。

毎日の早足歩きもあるだろうが、私としては今の食事が役立っているのだと思う。薄着も役立っているのかも知れない。むろん、酒を飲まないのもその理由だろう。

ただ、外食は体に良くないとの思いが私は強すぎるかも知れないが、実際には外食をしたいという気が今は全く無い。たまに外食をしても美味いと思えないのだ。つまりは体が要求するものだけを食べるようにしたら結果として今のような薄味の野菜中心の一日二食になったのだろう。別に我慢をしてそうしているわけでは無いが、いつの間にかそうなっていたのだ。

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健康で生活するために 筋力を鍛える

タイトルにあるほど大げさなトレーニングなどはしていないが、例えば速く大きな歩幅で毎日歩くなどはもう十数年は続けていると思う。そのほか、簡単なバーベル上げや、強力なバネ棒の押し曲げ、腹筋、腕立て伏せなどをやっているが、それぞれ数回から十数回程度で、いわゆる筋トレ等と言えるレベルではない。しかし、たったこれだけでもやるとやらないとでは大きく違い、それなりに筋肉は落ちていないと思う。

筋骨隆々とはほど遠いがそのようになるつもりなど最初から無く、生活に必要なだけの力が維持できれば良いしそれを維持していれば日常でも体を動かすことが別に面倒ではない。

実はこれは極めて大切なことで、動くのが面倒になって動かなくなると体力は急速に衰えるし、もっと悪いのは精神的に不活性になるのだ。

体と精神は切っても切り離せないもので、体が不調だと精神的にも極めて不調になり、体が快調だとそれなりに精神的にも活発になる。したがって、体を動かせるように日頃から努めていることで結果として精神も活発になると私は思っている。

むろん、人それぞれで体と心は別という人も居るかも知れないからあくまで私はそうだ、としておく。

特に何かのスポーツをするつもりは無いので、体を鍛えるという意識は無い。しかし体力を維持する、あるいは向上させることは精神的な余裕のためにも必要だと思うから疲れすぎない程度に体を動かすことを続けている。

また、体を動かすことで、例えば消化吸収排泄も今のところ全く問題は無い。そしてよく寝られることも生活のためには大切だ。毎日バタンキューで寝られるわけではないが、概ねよく寝ているし昼間に眠くなることもほとんど無い。絶体に無いわけではないが昔仕事で寝たくとも寝られない、あるいは布団に入っても殆ど寝られないなどということが今はない。もちろん仕事で頭がいっぱいで悩んでいたのとは違うということもあるだろうが。

結局、積極的に体を動かすだけではなく意識して筋力を付ける様に動くことで、心身共により快適に生活できることを言いたいわけだ。

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健康で生活するために 健康記録を付ける

私は毎日起きると体重を計り、朝と夜血圧を測り、それらを毎日記録している。一緒に脈拍数、排泄、食事(これはもう数年食べるものを写真にして毎日残している)、歩いた歩数、更にその日の体調などを記録しているが、計算ソフトで表を作っているので、たまにはそれらのグラフを作ったりしている。

何度か書いているが、私は自慢ではないが金がない。しかし金がなくともなんとかなるとして、なんともならないのは病気になることだ。事実、親しい友人などが病気で亡くなったり殆ど外出もままならない状態になっている事がかなり多い。特に近年はそのような報に触れるに付け、これはいくら金があってもどうしようもないとなおさら思うようになった。

そこまででなくとも、食べたいものが食べられない行きたいところにゆけない等やりたいことが出来ないとなれば金がいくらあっても寝たきり等になってしまえばどうしようもないだろうとの負け惜しみから私は金儲けもさることながら体力作り、体力の維持に努めることにしている。その一環が、上記の記録だ。もう十数年続けているが、そのようにしていると自分の体調の変化がよく分かる。むろん、人間だから常に絶好調と言うことはないが、毎日の体調の変化とは別に体力自体が弱くなったか強くなったかがこれらの記録で分かる。

私は毎年簡単な健康診断を受けているが、上記の記録を参考に運動や食事などを可能な限りコントロールしているためか、今のところ体調に異常は見つかっていない。

誰でも健康は大切に思っているだろうが、気がつかないうちに健康を損なうようなことをしているものだ。私もかつてはそうだったし今でも百バーセント完全なわけはないが、嘗てよりはかなりましになっていると思うし、その一つの理由がこの健康状態の記録付けだと信じている。

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健康で生活するために 断酒

昔、とくに会社勤めをしていた頃は付き合いや接待で毎日大酒を飲んでいた。そ うなると、付き合いや接待でもないのに自分で飲むようになり、結局いつでも飲 んでいたことになる。案の定医師に、いい加減にしないと取り返しがつかなくな ると何度も言われたが止めることが出来ず、結局体がボロボロになった。ボロボ ロになったのは酒だけが原因ではない。とにかくつい近所のコンビニに行くのも 車を使い、最終的には家の中でトイレに行くにも車・・・にはならなかったがと にかく歩かなかった。

酒と一緒に毎日外食でそれもカロリー塩分一切無視して食べていたから体重は今 から考えるととんでもないほど増えていて、なお歩かなくなるなどの悪循環だっ た。

ある出張先で地元の山の上の名所として有名な寺に行ってみようかと階段を上り かけ、自分が殆ど上れなくなっているのに気付いて愕然とした。そばを遥かに高 齢の人たちが普通に上り下りしているのにだ。

このままではいずれ病気で死ぬ、とその時真剣に考え、とにかく体重を落とすこ とを考えそして酒を減らす決心をした。食べ物も考えたが、かゆをすすっている わけにも行かない。つまりは退社して自分で仕事を始めるまでは結局は量を減ら したものの酒と接待食が状態が続いていたが、退社しても仕事の関係上車は使わ なくてはならず手放すわけには行かない。

が、以前と違い接待は無いので酒と外食を止めることが出来たし、可能な限り歩 くように勉めた。おそらくそれで十年経った頃だったか、ほぼ異常が無いとまで 健康診断で言われるようになったが、それでも今に至るまで毎日の散歩、酒の削 減そして現在は完全な断酒を実行し、食事も野菜中心の薄味だけにして外食をよ ほどの付き合いでもなければしないことにして、さらに二十年以上過ごした今、 当時よりかなり年齢が上がったのは当然として体力は当時よりおそらく三,四十 年若返っているし、何より二、三十年風邪をひいた記憶が無い。毎年受ける健康 診断でも問題なしと言われるようになり、今金が無くとも健康があれば何も不安 が無いと改めて感じている。

断酒だけの理由ではないが最も大きな理由が極端な節酒、最終的な断酒だったと 自分では信じている。

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健康で生活するために 定期健康診断

昔会社勤めをしていた頃は、毎年健康診断があった。毎回私はレッドカードが出て、気をつけないと本当に取り返しがつかなくなると医師に言われ続けていたし、その頃は確かに年がら年中体を壊していた。なにしろ、風邪をひいていないのは年のうちに三分の一もあるかどうかという状態だった。

早めに会社を辞めて自営を始めた頃から心機一転して健康管理に努め、今ではまず健康面では不安が無いと思っている。少なくとも三十年は風邪をひいていないし、他の病気で医師にかかったことは無い。

毎年受けている簡単な健康診断でもこの状態を長く続けるようにと医師に言われる状態だ。つまり、全く問題が無い状態だと言える。

むろん人間だから加齢に伴って体力は落ちる。が今でも二,三十キロを歩いてとくに疲労を感じないのだからまずまずではないのか。むろん、それでも知らない間に癌にかかっているかもしれないし、最近も知人が癌で入院し最初に異常を覚えて受診したときは手遅れでありおそらく余命は一年無いといわれたとのこと。本人は割り切っていると言うが、実際は死と向き合うことが簡単だとは思えない。

他にも癌で亡くなった知人はおそらく十人ではきかないだろうし癌と闘っている最中の人も居る。癌だけではなく様々な病気を抱え毎日大量の薬を飲んでいるとか、定期的に病院通いをしているとか、介護を受けている人たちも普通に居る。

むろん、全てが本人の責任等と言うわけは無いが、可能な限りリスクを下げるのはやはり本人の心がけだと思う。それでもある日癌が発見されるかも知れないし、心臓発作を起こすかも知れない。長生きはしたいが寝たきりにはならないように死ぬまで元気に生きていたい。

定期的な健康診断は、それなりの安心を得るためにかなり有効だと思っている。

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健康で生活するために 記憶力の維持

人間どうしても年齢と共に記憶力が落ちる。それは嫌と言うほど実感しているが、だから仕方が無いと諦めるつもりは無いし、筋力と同じでそれを長く維持することはできる。場合によっては向上もさせられる。いずれにせよ、記憶力が落ちるのは仕方が無いと諦めるのはまっぴらごめんだしすべきでは無い。

記憶力を高める努力として特にその為に何かをやっている意識は無いが、例えば毎日社会問題などをブログで更新している。記事は400字詰め換算で4,5枚程度の物だが、記事の内容を常に多くの記録で裏付けなければならないので、その為にはかなりの物を読んでいるしそれを記憶もしなければならない。また過去に書いた自分の記事もある程度覚えておかなくては記事も書けない。

ということで、ブログの更新がそれなりに記憶力を保つ方法になっている。文章自体は4,5枚なら一時間もかからないが、その裏付けを纏めるには相当な時間をかけていることになる。

もうひとつ語学学習をしている。英語は嘗て仕事で使っていたからそれなりに使えたが退職してからは急速に忘れていた。しかし近年は動画などで簡単に触れられるし外国人とも話しも出来るので気がついたらかなり英語力が回復していた。また全く使う理由も場も無いのだが、フランス語を気が向いたときにやっていたらかなり昔の能力を回復して、少しだが動画なども聞き取れるように戻ってきている。調子に乗ってドイツ語やスペイン語なども頭から引っ張り出すことを考えている。

つまり昔覚えたことは忘れたと言っても無くなっているのではなく出て来なくなっているだけなので刺激をすれば又出てくるのだとわかった。と言うことで記憶力を保つとはこういう、つまり昔の記憶を引き出しやすくする能力を高めることもあるのだと理解した次第だ。

むろん、新しいことを記憶する事も大切で、それは例えばIC工作やパソコンの自作、ネットなどでそれなりに、あくまでそれなりに出来ていると思う。

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健康で生活するために 水を飲む

私は基本毎日4リットルほどの水を飲むことを習慣としている。毎回は買って飲んでいるわけではないから日によって多かったり少なかったりはするだろうが、4リットル入りの保温ポットのお湯で茶を飲むのが大体の目安と言うことになる。外に出るときは小さな保温ポットに茶を入れて持って行くし、あるいはペットボトルの水を持って行くこともある。

その結果かどうかはともかく、健康状態の良好な維持にはそれなりに役立っているとは思うし、体調も良い。いろいろ調べてみると昔から水を飲むことが健康維持に必要不可欠とは普通に有るようで、医師などでも水は飲めと奨めているようだ。但し、多くは1.5−2リットルくらいとすべしと言うのが多いようだし、水の飲み過ぎは健康を損なうとの説もある。したがって、私の4リットルが無条件で良いと言っているのではないことは念を押しておく。

私の場合は、自分でやってみてこれくらいになったと言うことでありそれぞれ自分で決めれば良い話だ。

例えばボクサーなどが試合前の計量のために水を飲まない等と言うのが良くあるが、結果としてかなり体力を落としているようだ。昔はスポーツの練習などでは一切水を飲まないのが普通だったし、マラソンでもそうだった。今では練習中は十分に水分補給をしなければならないとされているしマラソンでも途中に何カ所も水の補給所がある。

それをわきまえて飲む方が結果として良いと言うことだ。

夜などトイレが近くなるから飲まないと言う人が居るが、それは考え直した方が良い。特に年齢が高くなると夜中にトイレに行くのは煩わしいのは分かるが、それで水を飲まないことで損なう健康はかなりの物だと言われている。有名芸能人がビールを飲むのが楽しみだからとサウナに入りながら水を飲まなかったのが死を早めたとの説もある。

基本、生物は水を飲まなくては生きてゆけない。

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健康で生活するために 無理な我慢をしない

生活改善のために自分でルールを決めて、例えば酒を飲まない、味の濃いものを食べない、食べ過ぎをしない、きちんと体を動かすなどを自分に科す。しかし、時にそれがストレスになり、摂食をしているのがあるとき暴食に走り、元の木阿弥以上に悪くなるなどがある。

精神的なストレスになるほどの節制を自分に科すのはむしろ結果が悪くなるだろうし、私自身経験している。例えば嘗て私は仕事の付き合いから毎日今から考えれば驚くほど酒を飲んでいたし、ウィスキーを一本開けるなどざらだった。

今は、全く一滴も飲んでいない。ある日いきなりそうしたわけではないがそれに近い実行をして失敗した。結局徐々に減らすやり方で、完全に断酒したのは10年以上かかっていると思う。むろん、かつては自分がアルコール依存症なのではないかと恐れていたが、幸いそうではなかった。

食事も一気に減らせば反動で食べ過ぎもあるだろうから、徐々に減らす、たまには意識して我慢するなどで減らし、減らすだけではなく食べるものの種類も自分の体に合わせた物にしてゆく、例えば肉食を減らして野菜を多くとる、濃い味を止めて薄味にする、油を減らすなどして行けば何年かのうちに成功するようだ。失敗しても自分を責めずに何故失敗したかを考えその理由を排除するなどで取り組めば良いし、その記録を毎日付けるなども私はよい結果に結びついたと思う。

わたしの決めたことが全て正しいかどうかは分からないが、結果から言えばよかったのだろう。先年末に受けた毎年の簡単な健康診断では全く問題が無かった。年齢による悪化もなかった。誰でも年はとるが私の場合は嘗てが酷かったから、今の方がよほどましと言える。

結局無理な我慢ではなく、自分自身をならして行くことが出来たからだと思っている。

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健康で生活するために 神経質になりすぎない

人に指摘されたことがあるし、自覚もしているがわたしはある意味無神経なところがある。誰でも自分の価値観や生活習慣を基に様々な判断をしているはずだが、その価値観や生活習慣が周囲の人たちと同じであるわけがなく、結局自分の価値観判断基準と人のそれは違う事を考慮に入れて判断、特に人間関係のための判断をしなければならないとは思う。

が、誰でも自分の生活がある。人の判断基準を考慮するのは必要だとしてその為に自分の生活をどれだけ割けるか、犠牲に出来るかを考えなければ最悪自分の生活自体が破壊されてしまう。

ただ、わたしの場合は年齢や生活スタイルの為もあり、人のための判断基準をおそらく最低レベルにまで下げているとおもうし、わたしの生活が気に入らないならお付き合いは結構ですと割り切っている。人のために時間を割く、エネルギー を割く余裕は自分には無いと思うからだ。むろん、限度はあるが。

以前は仕事柄接待が多かったし、また職場での付き合いで飲みに行くなどがかなりあった。当時はそれが必要だったし、本音を言えば飲み食いは好きだった。自分でそれが好きすぎて自分の健康や時間をかなり犠牲にしたとの反省から、いまはそれを最低限というより、事実上ゼロにしている。なにしろ今は外食嫌いだし、酒も一滴も飲まない。タバコは喫わないが煙を吸わされるのもごめんと言うことで、今の生活がそれを必要としていない事もあってお断りしているわけだ。

その意味でご近所づきあいも最低限だが、わたし自身は別にそれで不自由もしていない。そのいみで、神経質になりすぎないとは人付き合いに対しての意味だが、案外自分で自分のルールを見直してみればかなり今まで自分に科していた物を捨てても不自由は無いようになってきている。わたし自身の変化の故だが、それで良いなら神経質になる理由が無いとも言える。なにしろ、人目を気にするなどは最低限(この基準を自分で決めるのだから結果の責任は自分でとるのだが)でよいと今は思っている。

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健康で生活するために 好奇心を維持する

人間誰しも年をとれば体力と知力が衰えてくる。が、その衰え方は個人差が大きく、八十、九十でもかくしゃくとしている人も居れば六十代ですっかり衰えてしまう人も居る。むろん、生まれつきの体質や持病などいう問題はあるだろうが、自分での努力も大きく関係するとわたしは思っている。

さて、何度も書いているが幸い年齢の割には健康状態は良いとわたし自身は思っている。思っているだけではなく、今のところ毎年受ける簡易健康診断でも特に問題は無い。ただし、体の健康と同時に年齢と共に衰えてくるのが精神的な物でまた記憶力は確かにかなり衰えていると自分でも自覚しているが、人と比べることも出来ないからあくまで自分ではそう感じていると言うことだ。

記憶力もさることながら、好奇心が衰えてしまえばそもそも生きている意味が半減するのだろうと自分でも思っている。ということで、わたしが意識的に心がけているのは好奇心を維持することだ。

これも自分で評価しているだけだが、好奇心はそれなりに維持しているだろう。それが過ぎて未だにネット中毒の傾向があるきらいはあるが、別にゲームや漫画を観ているのではなく、主として思考に関係のある内容に凝っていると言えるだろう。たとえば、このサイトで記事を書き続けているなどもその一環だろうし、体力を幸いに時々旅行に出かけ、とにかく毎日歩き回る。体を動かして直接目で見ることで、その土地その場所が直接の記憶として頭に焼き付く。これがお仕着せの団体旅行などでバスなどの移動を繰り返すと殆どその旅行の印象が残らないのだから、自分の足で歩き回り目で見る旅行がそれなりの意味があるわけだ。

物作りもわたしの趣味だが、手元にある材料や道具を工夫して作ったことの無い物を作り上げることは出来がどうであろうとかなり満足感がある。

結局、体力維持も必要だが、この好奇心の維持も絶対に必要だとわたしは思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 家を修理する

なにしろ住んでいる家が本当に古くてぼろ屋なので、様々な修理が必要になっている。家の修理を業者に頼むとそれこそため息が出るほど高額なので、時間が出来てからは極力自分でやることにしている。

最近では、といってもこの2,3年だが、ある部屋の床の角が歩くと引っ込むので数日かけて畳と床板を全部剥がし、腐っていた土台を入れ替え、根太を交換し、新しく床板を貼って畳の代わりにスチロール板とベニヤ板を重ねてその上に絨毯を敷いて、ついでに壁や天井を全て塗り替え、照明を変え、最後に襖を作り替えて全く新しい部屋にした。

家中の窓にかけてあったカーテンが古くて汚れているのが気になり、全て捨てて代わりに自分でサイズに合わせて作った障子をはめ、これも印象を一新した。本来の材料を使って障子を作るなど元々わたしに技術があるわけでは無いので一般の1x4を加工して使っているが、元々わたし自身が木目が好きなのでそのまま塗装せずに使い、今は本当に替えて良かったと思っている。これは業者がオーダーメードの障子を引き受けてくれるかどうかはともかく、天文学的な負担になっていたはずだ。

そのほか、外壁の塗り替えなども一つのプロジェクトとして実行し、これもやって良かったと思っている。

そうやって本来専門業者に頼む家の修理を最初から素人が出来るはずがないなどと考えずにどうすれば出来るかを考え、幸い今ではネットで素人がそのような作業をしている記事がいくらでもあるし、材料も近所に無い物は通販で買える。

結局自分で家の修理をすることで計算上はかなりの金額が節約出来るし、なにより気持ちが良い。出来は当然専門家に及ばないが、自分が納得すれば済むことで、むろんそれは人それぞれだが、わたしの場合は単に費用の節約ではなく金では買えない満足感を得ることが出来た。それに自分でそれが出来る体力を持っていることが証明出来ることも大きな収穫と言える。

今後も更なる計画があるので、続けて行きたいと思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 時には気を抜いて

年のせいなのかも知れないが、最近は時間の経つのが本当に速く感じて時に愕然とすることがある。それこそ幼かった頃は、後から考えて精々2,3年の出来事がその時はそれこそ10年以上もの出来事だと思っていたことにあらためて驚くことがある。つまり人間誰しも年齢を重ねるにしたがって時間経過が非常に速く感じるようになるわけで、別にわたしだけのことではない。

一つは子供の頃と違い様々な経験を積んでいるので新しい経験という意識がないし、観てはいても意識しないことが普通に有る。したがって、時間経過も意識しなくなるからだ。

次に、子供の頃はとにかく遊んでいれば良かったし、体験すること見ること聞くこと全て初めてであり、それを記憶して行く時期だ。またそれなりに記憶力が極めて高く、遊びと言いながら実はそれがその後生きて行くための大切な学習でもある。つまり意識しないで全力を注いで情報を得ているわけだ。

一方年齢が高くなれば一つのことばかりはしていられない。私生活から仕事、人間づきあい、そのほか様々とにかく毎日色々なことを同時にやりながら生きていかなければならずその為にも頭を瞬時に様々切り替えながら生きて行かなくてはならない。そうであればいちいち見聞きしたことを記憶に留め判断するなどは到底出来ず、結局必要なことを取捨選択している。つまり見聞きした物のごく一部だけしか意識しないのだ。これが時間をも意識しなくなっている理由だろう。

わたし自身、とにかく時間がないからなおさらあれもこれもと様々な計画を立てては挫折するのが普通だが、最近は出来なくてもよいことはやらないでおこう、そして本当にやりたいことをやろう、でもそれに集中することはある程度にしておこう、つまりもう少し気楽にやろうと考えるようになった。

考えるようになったからそうしているとは言えないが、そのようにした方がその間にしたことを意識出来るのではないかと思う訳だ。前号でも書いたが、半月ほどかけて家の徹底掃除をしていてそろそろ終わる。今までも掃除はしていたが、今回はとにかく要らない物は徹底して捨てた。とにかく衣料から様々なガラクタ、本などあきれるほど捨てたが、まだまだ大量に残っている。

掃除も徹底してやってみると到底完全には出来ないことが分かった。今回掃除が終わったらあとはまた手抜きでいい加減な掃除をするだけにしている。いつも徹底した掃除などしていたら他のことが出来なくなる。手抜きをすることで生活に余裕が出来るなら時間経過ももう少し実感出来るのではないだろうか。

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健康で生活するために 神経質は逆効果
わたしは自分が神経質なのか無神経なのかよく分からない。例えば掃除だがある日散らかっていたり汚れていたりするのが急に気になって知らない間に買ったガラクタを纏めて捨てたり、掃除をしたりしている。

また本質的には掃除が苦手だが、これは大昔から問題にしていて、職場などでは神経質なほど自分の机や周囲を掃除をしていた。家の中もそれなりに掃除や整理をしていたが下手なのは変わらなかったからいつの間にかガラクタが貯まっていたり、ある日気がついたら汚くなっていたなどが日常茶飯事だ。

前回の記事でも書いたが、最近徹底した家の掃除をして、かなり綺麗になったが、まだ全部は済んでいない。一時にしてみると、どれほど掃除をしても完全無欠に綺麗になる訳がなく、これで凡そ一月ほど掃除をしているのにまだまだしなければならない場所がある。また最初に掃除をした場所がまた汚れているし、壁紙などは掃除をしても綺麗にならないほど古くなっている。

それを気にしていたら何日掃除をしても時間はないしそんな時間など使えないので、ある程度済んだらあとはまたいつもの通りの掃除パターンにすることにしている。

今はまだ徹底掃除が済んでいない場所、最低限改造しなければならない場所が残っているが、それもおそらくあと一月で終わるだろう。本当はその場所の徹底掃除をしなくても生活には全く支障は無いのだが、そこは区切りを付けたいだけだ。

むろん、掃除をすれば気分が良いし、綺麗になった部屋での生活は快適だが、貴重な時間を掃除に全て費やすわけには行かない。そこである程度は目をつぶる、つまり神経質にならない事を決めているが、それが案外上手く行かないのが今のところ悩みと言えば悩みだ。一度気になったらそれが頭から離れなくなるのも困った問題だとは思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 試しに飲んでみた
わたしは嘗ては大酒飲みだったが、おそらくこの二十年以上は非常に酒量を抑えている。飲む回数も精々月に2,3回、量は多くても一合程度、あるいはビール一缶程度にしていたが、去年の夏頃から一滴も飲まないようにしていた。

嘗ては毎日とんでもない量を飲んでいたのが嘘のように一滴も飲まない生活が出来たことに自分でも驚いているが決して我慢をしているのではない。飲まなければ飲まないで別に飲みたいという気が全く起きなくなったと言うことだ。

先日、おそらく一年ぶり位かと思うが、お付き合いでお銚子一本程度を飲んで、又驚いた。本当に酔っ払ってしまったのだ。泥酔というのではないが、こんなに効くのかと我ながら信じられないほどだった。昔大酒を飲んでいた時は、一度にウィスキーを一本空けても別にこれほど酔った記憶が無い。

一年ほど飲まないだけで体質が本当に変わったのだろうとあらためて思った。確かに去年の暮れに受けた検診では全く問題が無いほどの健康状態で、嘗て大酒飲みだった頃の年がら年中ひいていた風邪を少なくともこの十年はひいていない。無論酒だけではなく、食事の質や量、運動などを積極的に取り入れている成果だろうが、減酒、断酒の成果もあったろう。

先日お付き合いで一合位飲んで、その効きに驚いたが二日酔い等は全く無かった。

これからもまず飲むことは無いだろうし、お付き合いでもおそらく飲まないだろう。今回飲んでみて、別に楽しくも無いし特に美味いとも思わなかったのだから、それなら飲む必要など全く無いし、お付き合いでもそれを通そうと思う。

少量なら酒は百薬の長と言うが、全く飲まないことが百薬の長だろうと、今では思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 体重管理

この一年半ほどでおよそ十キロの体重を減らした。かなり食事の量を減らしたと思うが、余り急に体重を落とすと健康被害が大きいし、リバウンドが来るし、体重を減らした場合まず筋肉が落ち、リバウンドでは脂肪が増える。

ということで、急速な減量は避けてきたし、それと運動量はむしろ増やした。また今は一日朝夕の二食であり、野菜中心でそれも薄味であり、かなり効果は上がっているし、リバウンドもないし、更に体力が落ちているとも思えない。

ただし、そのように自分が思い込んでいる節もあり、とにかく体重を落とせば良いという物でも無論ない。標準体重はBMI25以下とされているが、わたしの場合も今はこの基準を満たしているとは思う。しかし、この基準はあくまで平均値であって、人によって志望が多いのか少ないのか、筋肉が多いのか少ないのか、骨の密度が高いのか低いのかで同じBMIでも全く違う。

つまり骨密度が下がって筋肉量が減ってBMIが下がってもそれは絶体に良いことでは無く、むしろ木積度や筋肉量が十分にあるなら多少BMIが大きくてもむしろその法が良い。

相撲の力士は大体が極めて太っているし太鼓腹だが、実際は筋肉が大半で、脂肪太りとは違う。むろん、特殊体型なのは力士としては有利だからそうしているのだろうが一般人が目指すことでは無いし、その意味では筋肉隆々のボディビルダーも、見せるための筋肉であって、本来の健康度とは違う。筋肉を増やせば良いという物ではないが、もちろん生活を楽にするためには筋肉量は必要なので、見せるための筋肉は生活には有利ではないようだ。いずれにせよ、わたしの筋肉量は必要なだけはあると言うレベルだが、今はそれで十分だし、生活には不自由はしない。

それらを全て考慮して体重管理をすべきだと思う。単に痩せれば良いという物ではないことだけは心しておくべきだろう。

by ロクスケ











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健康で生活するために 心構えも大切

生活上健康を維持するのは極めて大切なことは言うまでも無いが、健康状態を保てても何の為に健康が必要か、健康を維持して何をするのかは当然考えなければならない。体が健康でもそれで一日中テレビを観ているようでは(むろんそれは人それぞれなのであくまで自分にとってだが)単に不快感が無いから健康でいるというだけのことだ。それは全くの健康で居る目的では無い。

ということで、毎日何をするか、一月で何をするか、一年で何をするか、十年で何を成し遂げるかを常に意識していることが大切だと思う。つまり、目的を常に自覚していて初めて生きている意味があるのではないだろうか。

とはいえ、例えば子供の頃には偉い科学者になるとか、プロ野球選手になって活躍するとか皆がそのような夢を持っていたし、それが当たり前のようだった。むろん、私が知っている範囲でその夢を実現した者は居ないと思うがわたしが知らないだけなのかも知れない。わたし自身、偉い科学者になってノーベル賞を貰うのが夢だったが、残念ながら今の結果はほど遠い。というより、全く縁もゆかりも無い。

しかし、それでも今生きている為の目標は持っている。確かに今からノーベル賞は目指さないが、生きている限り頭をきちんと働かせ、体も動かせる状態を保ち続けること自体が目標になっているかも知れないが、可能ならこれからも収入を得られる様な技術を磨いている最中ではある。

昔と違い、目標を立てその為の努力の結果目標の仕事に就くことを今から出来はしないが、今立てられる目標はあるし、幸い人生の経験も積んでいるのでそれなりの可能性や方法を取り入れて努力する事は出来る。

結局、目標を持ち続けるから生きている意味があると、それも健康を保って生きている意味があると思う。

by ロクスケ











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健康で生活するために 専門分野に関心を持つ

専門と言ってもわたしの現役時代の専門は電機屋だった。この業界は近年のIT化もあって、とんでもない早さで変化しており、今のわたしは到底ついて行ける物ではないし、そもそもついて行こうなどとはつゆほども思っていない。

ただ、基礎的な電気の知識はあるので、オーディオ装置を作ってみたり電気で動く機械を作ったり嘗てはパソコンも部品を集めて作っていた。今は既製品の部品を買い集めて組み合わせて自分の使いやすいパソコンを作っているが、プラモデルのような物で、昔はプラモデルの部品も自分で作っていたのとは全く違う。

いずれにせよ、電気関係はかつてはそれを職業にしていたし今では趣味に活かしているがそれとは別に全く違う専門分野を身につけようとも思っているし、今それを実行しつつある。とうぜん、仕事に使うわけではないので現役の専門家のようなレベルになろうとは全く思っていないが、アマチュアとしてもそのように努力をして成果を上げるのと上げないのでは結果は大きく違うはずだ。

今取り組んでいる一つは料理だろうか。ただし、自分の健康維持を考えてそれに合わせた料理という意味だが、わたし自身は外食をしない。味が濃すぎたり油がきつかったり、根本的に肉は余り好きでは無いし甘い物も苦手だ。ということで、自分の味覚に合わせた料理を作る事にある程度熱中している。それでも他にすることが毎日嫌になるほど出てくるので、料理に時間はかけたくない。だから時間をかけないで作れる物になる。

そもそも食事自体に時間をとられるのも嫌なので今は一日二食であり、毎回新しい物を作るのも面倒なので大量に作って毎回食べるような物が多くなる。つまり美食探求では無く、手間を省き必要な健康を維持出来る料理で、しかもわたしの味覚にあった料理を作る事に取り組んでいるというわけだ。結果として、わたしにとっては美食探求なのだが、一般の料理研究家が聞いたら、それは料理ではない、ただの食べ物だと言うだろう。それで結構。わたしはそれで楽しんでいるし、それが関係していると思うが健康状態は極めて良好だ。

何でもそうだが、どうせやるなら自分のための専門家になるつもりでやった方が良いと思う。とはいえ、掃除の専門家にはまだまだ遠いが。

by ロクスケ











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健康で生活するために 暑さ対策

毎年毎年気候変動が激しくなったような気がするし、また記録を見ると実際にそうらしい。台風の来襲も増えてきたような気がするし、なにより気候変動が年々酷くなっているのではないか。実際、この連日の酷暑は嘗てこれほど酷くなかったような気がする。年齢のせいかとも思うが、事実記録を見ると世界各地で同じ様な極暑が記録されているようだ。

この記事が載る頃はピークを過ぎているようだが、今年は夏になると毎日のように熱中症対策が呼びかけられている。それでも熱中症で亡くなる人が絶えない。高齢者が多いが、多くのケースで冷房設備を使っていなかった等ああるようだ。どうも年齢が上がると気温の変動に鈍くなり、自分で気付かないうちに熱中症になって意識がもうろうとなるとのことだ。

また痛ましいのが幼い子供達が車内に放置されて死ぬケースが絶えないことだが、くれぐれも子供の熱中症は親が責任を持って注意しなくてはならないだろう。子供にはどうしようもない事なのだし。

しかし、健康な大人だから安全だ等と言えるわけではなく、知らない内に手遅れになるケースもある。つまり、自分で常に熱中症に対する警戒を怠らず、それに対する手段を講じておく必要があると言うことだが、必要のない限り日中には外に出ない、どうしても外に出る時はつばの広い帽子をかぶるとか日傘を差すなどをする。最近では男性でも日傘を差すようになったそうだが、それはかなり有効だろう。さらに、室内でも冷房に注意をする、などは基本だろうが、あとは、とにかく水を十分に飲む。一時間毎にコップ一杯の水を飲むようにとも言われているが、わたしの場合はひっきりなしに飲んでいるし、外に出る時もポケットにペットボトルの水を入れている。

また、暑いと食欲が落ちて、例えばそうめんや冷やしそばなどを食べることが増えると思うが、おかずには十分気をつけて栄養バランスを考えること、冷えた物を飲食すると却ってからだが火照るので、案外熱い飲み物の方が飲んだ後すっきりする。わたしは熱いお茶を頻繁に飲んでいる。それに食事も結構熱い物の方が良いようだ。

同様、水風呂や水のシャワーもほどほどにしておいた方が良いようだ。但し、医学的には熱中症対策として身体を冷やすために冷水を飲むなどが必要ともされているので、わたしが書いているのはあくまで体感温度や自分はこうしていると言うこと。

また外出しないからとテレビなど観ていないで、室内でも掃除や片付けなどで積極的に身体を動かす方が良い。だるいからと言って動かないとますますだるくなる。だるい時はむしろ身体を動かす方がしゃんとする。それによく眠れる。

わたしも夏バテ気味だと思うが、まあ今のところ大丈夫だと思う。

by ロクスケ











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健康で生活するために 食欲調節?

このところ、体重がどうも減りすぎたような気がして気になっていた。確かに夏バテの影響があるとは思うが、自分では特に食欲が落ちた気はしていない。が、念のため、今までは食べなかった昼食として、オープンサンド一枚をこの二三日食べてみた。食パン一枚に、野菜炒めとして纏めて作ってあるただ炒めただけの刻み野菜を載せ、それにマヨネーズ、ケチャップ、ウスターソースを少しだけかけて焼いた物だ。ほんの五分で出来る。

それを食べてみたが、別に体重が増えることも無い。ただ、体調自体に問題があるとも思えず、それなりに毎日早足で散歩は出来るが、何しろこの暑さ続きで以前のように気が向いたら二,三時間歩くなどは到底出来ない。精々一時間弱くらいだし、それでも歩くペースはいつもと同じだ。

体重が落ちたと言っても、現実には標準体重以内だし、むしろ良いことなのかも知れない。大体、人間は夏には体重が減る傾向がある。反対に冬は増えることで脂肪を増やし、体温を保つように出来ている。それはわたしもそうなのだが、今年は特にそれが気になった。ただ、今年は極めて暑いからかも知れないが。

夏、と言えば血圧も夏には下がる傾向があり、本来わたしは血圧が低い方だが、今年はいつもより低くなっている傾向がある。毎日朝夕血圧を測って記録しているのでこれははっきりしているのだが、先日などは高い方が81を示し、まさかと計り直してみたが、90だった。繰り返すが、高い方がそうなのであり、低い方は40-50台が普通だ。冬は確かにもう少しあがるが上が130を超すことは滅多に無いし、毎年受けている簡易健康診断でもこの状態を保つようにと毎回言われている。

ということで、体重が落ちて血圧が低くなっても、異常を感じなければまあ余り気にしない方が良いかとは思っている。

とは言え、人間誰でも年をとれば体力は落ちる。それはわたしも例外では無いが、生活に取りあえず支障が無ければ気にすることもないだろう。

by ロクスケ










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健康で生活するために 食べ物の好き嫌い

今、自分では真面な食生活をしていると思っているが、かなり偏っているとも言われる。野菜が主で、非常に味が薄い。品数は多い。が、毎日殆ど同じ物を食べている。毎日違うものを食べるのが面倒くさいからだが、同じ物でも食品数は多くするようにしている。当然それぞれの量は極めて少ない。

そして一日朝夕二食。健康状態は、嘗て好きなだけ食べて飲んでいた頃、また殆ど歩かずに直ぐ目の前のコンビニでも車で行くような生活をしていた頃とは当然それだけ年齢も重ねたにもかかわらず想像も出来ないほど健康だと言って良い。自分なりに想像も出来ないほどという意味で、それほど当時は酷かったと言うことだ。なにしろ一年の大半は風邪をひいていたし歩けば腰が痛かったし下痢や便秘などがたまに無いとどうしたんだろうと思うほどだった。当時はそれが当たり前だったので、しょうが無いかと思っていたが、今は当時の体力がまるで嘘のように健康になっていると思っている。

全く一滴も酒を飲まないなどもあるだろうし、毎日歩くからと言うのもあるだろうが、上記にあるように人から見れば偏食というか好き嫌いの激しい食事がその健康の理由だとも思っている。

好き嫌いと言うより、例えば酒は飲んでも美味いと思わなくなったし甘い物も付き合い以外は口にしない。外食はよほどの場合でない限りしない。昔はこのラーメン屋のラーメンは美味いと言われるとわざわざ行ったりしたが、今は全く興味が湧かない。と言うことで、自分では食べ物の好き嫌いなど意識していないが、かなり人から見れば偏食のようだ。それで結構。大いにこれからも好き嫌いをはっきりさせて行こうと思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 加熱式煙草

わたしは煙草を全く吸わないので、最近急速に普及してきた加熱式煙草も無論喫ったことなど無いし、興味も無い。だが、確かに最近ではその加熱式煙草を喫っている人を頻繁に見かけるし、以前のような煙もほとんど無いようで、その意味では見かけ上人に迷惑をかけていないとも言えるのかも知れない。

コンビニなどでもこの種の煙草は沢山売っているし、煙草屋にも普通に有る。いずれにせよ煙草を喫わない、興味も無いわたしにとってどうでも良いことだとは思うが、ただ最近ではかなり気になる記事が頻繁に目につく。そこで、あらためて興味が湧いたので一寸調べてみた。

いやはや、良いことが一つも無い。普通の煙草でも発がん物質が非常に多く含まれており、本人だけならともかく周囲にもその悪影響を広げているのはもう常識だし、しかも本人よりもむしろ周囲の副流煙を吸わされる人の方が大きな被害を受けているともされている。また発がん物質もさることながら肺機能が極端に損なわれ、場合によって肺機能が大きく失われ、常に酸素ボンベが必要になる。実際に酸素マスクを付け、ボンベをひいている人をごくたまに見かけるし、わたしの知る範囲でも医師に喫煙をやめるように言われながら吸い続け、肺機能回復治療をしながら喫煙を続けている人物がいる。もうかなりの年で本人は諦めているし、禁煙で苦労するよりましとでも思っているのかも知れない。

通常の煙草もそうだが、加熱式は更に様々な化学薬品が加えられており、実際にはまだその毒性が明らかになっていないとは言われている。普及が余りに急速だしそもそも加熱式の誕生がまだ新しいからだが、それでもその添加されている化学薬品にとんでもない毒性があるともされている。

思い出すのは嘗ては普通に建材として使われていたアスベストが禁止されてからもそれが原因の肺癌患者が続出していることだ。極論を言えば全ての新しい食品や嗜好品などにそのようなことが言えるだろうが、煙草自体の歴史は古いし、電子式であろうと従来式であろうと弊害は十分にある筈だ。

それでも喫煙が停まらないのは、確かに精神的な落ち着き等のメリットはあるからだろうが、弊害の方が大きすぎるのは事実ではないのか。まあ、酒やパチンコ、博打、極論では覚醒剤など人間はどうしてもそのような面があるとは思うが。

by ロクスケ











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健康で生活するために 野草を食べる

わたしは毎日散歩をしているが、時に近くの野原や川縁などに行った時、あるいは道ばたにあるタンポポ等を良く摘んでくる。場所によってはミツバなどがあるし、セイタカアワダチソウなども場所によっては密生している。

それらを摘んできて、食べるわけだ。タンポポなどもそうだが例えばセイタカアワダチソウなどは極めて灰汁が強く癖があるので、入念にあく抜きをし無ければならないが、慣れてみればけっこくやみつきになる。

おおよそ、野草の大半は食べられる。ただし、食べられるから食べると言うことでは無い。旨くも無い野草を別に食べる必要は無いが、季節によっては蕗の薹、蕗、場所によってはノビル、などなどいくらでもある。

ただし、自分で確認出来ない植物は絶体に口にしてはならない。野生の水仙などがあって、時にノビルなどと間違うそうだが、これは毒がある。場所によってはスズランなどもあるだろうがこれも毒だし、彼岸花など猛毒だ。また何処ででも見かけるアジサイも猛毒だし、福寿草なども毒だ。芹によく似たドクゼリなどもある。

極めつけはキョウチクトウなどで、よく庭木として植えられているが、触ることもだめだし、焚き火に入れて煙を出してもその煙が猛毒になる。

毒草はまだまだ沢山有るが、大半の野草は食べられるとしても、絶体に確信出来ない物を口にすることはしないように気をつけなければならない。そのうえで、食べられることを確認した野草を調理するのは楽しい。

キノコなどにも言えるし、嘗ては茸狩りなどにも行ったが、今は仮に食べられる見かけでも採らない。安い栽培キノコが八百屋、スーパーには沢山有り、よほど趣味でもない限り野生のキノコには手を出さない方が良い。食べられるキノコによく似た猛毒キノコがあるし、毎年キノコ中毒の派生が報道されている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 体重管理

この一年半ほどでおよそ十キロの体重を減らした。かなり食事の量を減らしたと思うが、余り急に体重を落とすと健康被害が大きいし、リバウンドが来るし、体重を減らした場合まず筋肉が落ち、リバウンドでは脂肪が増える。

ということで、急速な減量は避けてきたし、それと運動量はむしろ増やした。また今は一日朝夕の二食であり、野菜中心でそれも薄味であり、かなり効果は上がっているし、リバウンドもないし、更に体力が落ちているとも思えない。

ただし、そのように自分が思い込んでいる節もあり、とにかく体重を落とせば良いという物でも無論ない。標準体重はBMI25以下とされているが、わたしの場合も今はこの基準を満たしているとは思う。しかし、この基準はあくまで平均値であって、人によって志望が多いのか少ないのか、筋肉が多いのか少ないのか、骨の密度が高いのか低いのかで同じBMIでも全く違う。

つまり骨密度が下がって筋肉量が減ってBMIが下がってもそれは絶体に良いことでは無く、むしろ木積度や筋肉量が十分にあるなら多少BMIが大きくてもむしろその法が良い。

相撲の力士は大体が極めて太っているし太鼓腹だが、実際は筋肉が大半で、脂肪太りとは違う。むろん、特殊体型なのは力士としては有利だからそうしているのだろうが一般人が目指すことでは無いし、その意味では筋肉隆々のボディビルダーも、見せるための筋肉であって、本来の健康度とは違う。筋肉を増やせば良いという物ではないが、もちろん生活を楽にするためには筋肉量は必要なので、見せるための筋肉は生活には有利ではないようだ。いずれにせよ、わたしの筋肉量は必要なだけはあると言うレベルだが、今はそれで十分だし、生活には不自由はしない。

それらを全て考慮して体重管理をすべきだと思う。単に痩せれば良いという物ではないことだけは心しておくべきだろう。

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健康で生活するために 心構えも大切

生活上健康を維持するのは極めて大切なことは言うまでも無いが、健康状態を保てても何の為に健康が必要か、健康を維持して何をするのかは当然考えなければならない。体が健康でもそれで一日中テレビを観ているようでは(むろんそれは人それぞれなのであくまで自分にとってだが)単に不快感が無いから健康でいるというだけのことだ。それは全くの健康で居る目的では無い。

ということで、毎日何をするか、一月で何をするか、一年で何をするか、十年で何を成し遂げるかを常に意識していることが大切だと思う。つまり、目的を常に自覚していて初めて生きている意味があるのではないだろうか。

とはいえ、例えば子供の頃には偉い科学者になるとか、プロ野球選手になって活躍するとか皆がそのような夢を持っていたし、それが当たり前のようだった。むろん、私が知っている範囲でその夢を実現した者は居ないと思うがわたしが知らないだけなのかも知れない。わたし自身、偉い科学者になってノーベル賞を貰うのが夢だったが、残念ながら今の結果はほど遠い。というより、全く縁もゆかりも無い。

しかし、それでも今生きている為の目標は持っている。確かに今からノーベル賞は目指さないが、生きている限り頭をきちんと働かせ、体も動かせる状態を保ち続けること自体が目標になっているかも知れないが、可能ならこれからも収入を得られる様な技術を磨いている最中ではある。

昔と違い、目標を立てその為の努力の結果目標の仕事に就くことを今から出来はしないが、今立てられる目標はあるし、幸い人生の経験も積んでいるのでそれなりの可能性や方法を取り入れて努力する事は出来る。

結局、目標を持ち続けるから生きている意味があると、それも健康を保って生きている意味があると思う。

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健康で生活するために 専門分野に関心を持つ

専門と言ってもわたしの現役時代の専門は電機屋だった。この業界は近年のIT化もあって、とんでもない早さで変化しており、今のわたしは到底ついて行ける物ではないし、そもそもついて行こうなどとはつゆほども思っていない。

ただ、基礎的な電気の知識はあるので、オーディオ装置を作ってみたり電気で動く機械を作ったり嘗てはパソコンも部品を集めて作っていた。今は既製品の部品を買い集めて組み合わせて自分の使いやすいパソコンを作っているが、プラモデルのような物で、昔はプラモデルの部品も自分で作っていたのとは全く違う。

いずれにせよ、電気関係はかつてはそれを職業にしていたし今では趣味に活かしているがそれとは別に全く違う専門分野を身につけようとも思っているし、今それを実行しつつある。とうぜん、仕事に使うわけではないので現役の専門家のようなレベルになろうとは全く思っていないが、アマチュアとしてもそのように努力をして成果を上げるのと上げないのでは結果は大きく違うはずだ。

今取り組んでいる一つは料理だろうか。ただし、自分の健康維持を考えてそれに合わせた料理という意味だが、わたし自身は外食をしない。味が濃すぎたり油がきつかったり、根本的に肉は余り好きでは無いし甘い物も苦手だ。ということで、自分の味覚に合わせた料理を作る事にある程度熱中している。それでも他にすることが毎日嫌になるほど出てくるので、料理に時間はかけたくない。だから時間をかけないで作れる物になる。

そもそも食事自体に時間をとられるのも嫌なので今は一日二食であり、毎回新しい物を作るのも面倒なので大量に作って毎回食べるような物が多くなる。つまり美食探求では無く、手間を省き必要な健康を維持出来る料理で、しかもわたしの味覚にあった料理を作る事に取り組んでいるというわけだ。結果として、わたしにとっては美食探求なのだが、一般の料理研究家が聞いたら、それは料理ではない、ただの食べ物だと言うだろう。それで結構。わたしはそれで楽しんでいるし、それが関係していると思うが健康状態は極めて良好だ。

何でもそうだが、どうせやるなら自分のための専門家になるつもりでやった方が良いと思う。とはいえ、掃除の専門家にはまだまだ遠いが。

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健康で生活するために 暑さ対策

毎年毎年気候変動が激しくなったような気がするし、また記録を見ると実際にそうらしい。台風の来襲も増えてきたような気がするし、なにより気候変動が年々酷くなっているのではないか。実際、この連日の酷暑は嘗てこれほど酷くなかったような気がする。年齢のせいかとも思うが、事実記録を見ると世界各地で同じ様な極暑が記録されているようだ。

この記事が載る頃はピークを過ぎているようだが、今年は夏になると毎日のように熱中症対策が呼びかけられている。それでも熱中症で亡くなる人が絶えない。高齢者が多いが、多くのケースで冷房設備を使っていなかった等ああるようだ。どうも年齢が上がると気温の変動に鈍くなり、自分で気付かないうちに熱中症になって意識がもうろうとなるとのことだ。

また痛ましいのが幼い子供達が車内に放置されて死ぬケースが絶えないことだが、くれぐれも子供の熱中症は親が責任を持って注意しなくてはならないだろう。子供にはどうしようもない事なのだし。

しかし、健康な大人だから安全だ等と言えるわけではなく、知らない内に手遅れになるケースもある。つまり、自分で常に熱中症に対する警戒を怠らず、それに対する手段を講じておく必要があると言うことだが、必要のない限り日中には外に出ない、どうしても外に出る時はつばの広い帽子をかぶるとか日傘を差すなどをする。最近では男性でも日傘を差すようになったそうだが、それはかなり有効だろう。さらに、室内でも冷房に注意をする、などは基本だろうが、あとは、とにかく水を十分に飲む。一時間毎にコップ一杯の水を飲むようにとも言われているが、わたしの場合はひっきりなしに飲んでいるし、外に出る時もポケットにペットボトルの水を入れている。

また、暑いと食欲が落ちて、例えばそうめんや冷やしそばなどを食べることが増えると思うが、おかずには十分気をつけて栄養バランスを考えること、冷えた物を飲食すると却ってからだが火照るので、案外熱い飲み物の方が飲んだ後すっきりする。わたしは熱いお茶を頻繁に飲んでいる。それに食事も結構熱い物の方が良いようだ。

同様、水風呂や水のシャワーもほどほどにしておいた方が良いようだ。但し、医学的には熱中症対策として身体を冷やすために冷水を飲むなどが必要ともされているので、わたしが書いているのはあくまで体感温度や自分はこうしていると言うこと。

また外出しないからとテレビなど観ていないで、室内でも掃除や片付けなどで積極的に身体を動かす方が良い。だるいからと言って動かないとますますだるくなる。だるい時はむしろ身体を動かす方がしゃんとする。それによく眠れる。

わたしも夏バテ気味だと思うが、まあ今のところ大丈夫だと思う。

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健康で生活するために 食欲調節?

このところ、体重がどうも減りすぎたような気がして気になっていた。確かに夏バテの影響があるとは思うが、自分では特に食欲が落ちた気はしていない。が、念のため、今までは食べなかった昼食として、オープンサンド一枚をこの二三日食べてみた。食パン一枚に、野菜炒めとして纏めて作ってあるただ炒めただけの刻み野菜を載せ、それにマヨネーズ、ケチャップ、ウスターソースを少しだけかけて焼いた物だ。ほんの五分で出来る。

それを食べてみたが、別に体重が増えることも無い。ただ、体調自体に問題があるとも思えず、それなりに毎日早足で散歩は出来るが、何しろこの暑さ続きで以前のように気が向いたら二,三時間歩くなどは到底出来ない。精々一時間弱くらいだし、それでも歩くペースはいつもと同じだ。

体重が落ちたと言っても、現実には標準体重以内だし、むしろ良いことなのかも知れない。大体、人間は夏には体重が減る傾向がある。反対に冬は増えることで脂肪を増やし、体温を保つように出来ている。それはわたしもそうなのだが、今年は特にそれが気になった。ただ、今年は極めて暑いからかも知れないが。

夏、と言えば血圧も夏には下がる傾向があり、本来わたしは血圧が低い方だが、今年はいつもより低くなっている傾向がある。毎日朝夕血圧を測って記録しているのでこれははっきりしているのだが、先日などは高い方が81を示し、まさかと計り直してみたが、90だった。繰り返すが、高い方がそうなのであり、低い方は40-50台が普通だ。冬は確かにもう少しあがるが上が130を超すことは滅多に無いし、毎年受けている簡易健康診断でもこの状態を保つようにと毎回言われている。

ということで、体重が落ちて血圧が低くなっても、異常を感じなければまあ余り気にしない方が良いかとは思っている。

とは言え、人間誰でも年をとれば体力は落ちる。それはわたしも例外では無いが、生活に取りあえず支障が無ければ気にすることもないだろう。

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健康で生活するために 食べ物の好き嫌い 今、自分では真面な食生活をしていると思っているが、かなり偏っているとも言われる。野菜が主で、非常に味が薄い。品数は多い。が、毎日殆ど同じ物を食べている。毎日違うものを食べるのが面倒くさいからだが、同じ物でも食品数は多くするようにしている。当然それぞれの量は極めて少ない。

そして一日朝夕二食。健康状態は、嘗て好きなだけ食べて飲んでいた頃、また殆ど歩かずに直ぐ目の前のコンビニでも車で行くような生活をしていた頃とは当然それだけ年齢も重ねたにもかかわらず想像も出来ないほど健康だと言って良い。自分なりに想像も出来ないほどという意味で、それほど当時は酷かったと言うことだ。なにしろ一年の大半は風邪をひいていたし歩けば腰が痛かったし下痢や便秘などがたまに無いとどうしたんだろうと思うほどだった。当時はそれが当たり前だったので、しょうが無いかと思っていたが、今は当時の体力がまるで嘘のように健康になっていると思っている。

全く一滴も酒を飲まないなどもあるだろうし、毎日歩くからと言うのもあるだろうが、上記にあるように人から見れば変色というか好き嫌いの激しい食事がその健康の理由だとも思っている。

好き嫌いと言うより、例えば酒は飲んでも美味いと思わなくなったし甘い物も付き合い以外は口にしない。外食はよほどの場合でない限りしない。昔はこのラーメン屋のラーメンは美味いと言われるとわざわざ言ったりしたが、今は全く興味が湧かない。と言うことで、自分では食べ物の好き嫌いなど意識していないが、かなり人から見れば偏食のようだ。それで結構。大いにこれからも好き嫌いをはっきりさせて行こうと思っている。

by ロクスケ











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健康で生活するために 加熱式煙草

わたしは煙草を全く吸わないので、最近急速に普及してきた加熱式煙草も無論喫ったことなど無いし、興味も無い。だが、確かに最近ではその加熱式煙草を喫っている人を頻繁に見かけるし、以前のような煙もほとんど無いようで、その意味では見かけ上人に迷惑をかけていないとも言えるのかも知れない。

コンビニなどでもこの種の煙草は沢山売っているし、煙草屋にも普通に有る。いずれにせよ煙草を喫わない、興味も無いわたしにとってどうでも良いことだとは思うが、ただ最近ではかなり気になる記事が頻繁に目につく。そこで、あらためて興味が湧いたので一寸調べてみた。

いやはや、良いことが一つも無い。普通の煙草でも発がん物質が非常に多く含まれており、本人だけならともかく周囲にもその悪影響を広げているのはもう常識だし、しかも本人よりもむしろ周囲の副流煙を吸わされる人の方が大きな被害を受けているともされている。また発がん物質もさることながら肺機能が極端に損なわれ、場合によって肺機能が大きく失われ、常に酸素ボンベが必要になる。実際に酸素マスクを付け、ボンベをひいている人をごくたまに見かけるし、わたしの知る範囲でも医師に喫煙をやめるように言われながら吸い続け、肺機能回復治療をしながら喫煙を続けている人物がいる。もうかなりの年で本人は諦めているし、禁煙で苦労するよりましとでも思っているのかも知れない。

通常の煙草もそうだが、加熱式は更に様々な化学薬品が加えられており、実際にはまだその毒性が明らかになっていないとは言われている。普及が余りに急速だしそもそも加熱式の誕生がまだ新しいからだが、それでもその添加されている化学薬品にとんでもない毒性があるともされている。

思い出すのは嘗ては普通に建材として使われていたアスベストが禁止されてからもそれが原因の肺癌患者が続出していることだ。極論を言えば全ての新しい食品や嗜好品などにそのようなことが言えるだろうが、煙草自体の歴史は古いし、電子式であろうと従来式であろうと弊害は十分にある筈だ。

それでも喫煙が停まらないのは、確かに精神的な落ち着き等のメリットはあるからだろうが、弊害の方が大きすぎるのは事実ではないのか。まあ、酒やパチンコ、博打、極論では覚醒剤など人間はどうしてもそのような面があるとは思うが。

by ロクスケ











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健康で生活するために 野草を食べる。

た時、あるいは道ばたにあるタンポポ等を良く摘んでくる。場所によってはミツバなどがあるし、セイタカアワダチソウなども場所によっては密生している。

それらを摘んできて、食べるわけだ。タンポポなどもそうだが例えばセイタカアワダチソウなどは極めて灰汁が強く癖があるので、入念にあく抜きをし無ければならないが、慣れてみればけっこくやみつきになる。

おおよそ、野草の大半は食べられる。ただし、食べられるから食べると言うことでは無い。旨くも無い野草を別に食べる必要は無いが、季節によっては蕗の薹、蕗、場所によってはノビル、などなどいくらでもある。

ただし、自分で確認出来ない植物は絶体に口にしてはならない。野生の水仙などがあって、時にノビルなどと間違うそうだが、これは毒がある。場所によってはスズランなどもあるだろうがこれも毒だし、彼岸花など猛毒だ。また何処ででも見かけるアジサイも猛毒だし、福寿草なども毒だ。芹によく似たドクゼリなどもある。

極めつけはキョウチクトウなどで、よく庭木として植えられているが、触ることもだめだし、焚き火に入れて煙を出してもその煙が猛毒になる。

毒草はまだまだ沢山有るが、大半の野草は食べられるとしても、絶体に確信出来ない物を口にすることはしないように気をつけなければならない。そのうえで、食べられることを確認した野草を調理するのは楽しい。

キノコなどにも言えるし、嘗ては茸狩りなどにも行ったが、今は仮に食べられる見かけでも採らない。安い栽培キノコが八百屋、スーパーには沢山有り、よほど趣味でもない限り野生のキノコには手を出さない方が良い。食べられるキノコによく似た猛毒キノコがあるし、毎年キノコ中毒の派生が報道されている。











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健康で生活するために 適度な疲労感

わたしの毎日は、机に向かってネット、文章書き、読書などが多いが、それでは健康を損なうばかりなので、心して運動をすることにしている。家の中の階段を上り下りしたりするのは天気の良くない時。良い時は可能な限り外を歩くことにしている。

それこそ家の近く地図上では半径10キロ位に及ぶ場合もある。連日毎日一時間はかなりの早足で歩くし、気が向けば二、三時間歩く。年に一度位だが、今までの記録では一度に二十五キロ歩いただろうか。今年も計画を立てている。

今年の三月だが、花見をするために歩き回り、二週間ほど毎日十キロ以上を歩いた。幸い疲れがたまってグロッキーになることも無く、歩きながら方々を楽しんだし、結局体力的にもかなりよかったと思う。

よく聞く話だが、ウォーキングを習慣にしていると成人病の殆どは無縁になるし癌にもならないなどと言われている。それが事実かどうかはともかく、体調が良いのは事実だ。わたしの場合はウォーキングだけではなく、水を沢山飲んだりアルコールを一切採らない、塩分や脂肪分を減らす、菜食を主とするなども心がけているし、別に我慢して酒を飲まないのではなく、全く飲みたいと思わないのだ。以前は自分でもアル中だと思っていたほど飲んでいたのが信じられない位だ。むろん、タバコは喫わない。

食生活はともかく、運動は適度にすることで極めて健康ばかりでは無く精神的にも休らぐ。なにしろ歩きながら毎日数十枚の写真を撮るが、同じ場所を歩きながら採るのだから同じ景色の写真でも、日々太陽光、植物の変化、等などで微妙に変わる。それを見続けていることで同じ景色でも同じには見えないのが又楽しい。余談だが、わたしは観光旅行でも観光スポットには行かない。人混みと、客の呼び込みで作られた雰囲気が嫌いだからだが、離れた土地でも何気ない路地裏、町角などでも歩くことで体が覚えるというか細かく記憶に刻みつけられる方が楽しいからだ。さらにポケットプレーヤーで、語学や音楽などを聴きながらだから時間はあっという間に経つ。

つまり身体を動かすことで記憶力も研ぎ澄まされるし、適度な疲労が心地よい睡眠を作ってくれる。動くことが百薬の長だと思う。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 完全断酒

上記の記事でも書いたが、今のわたしは一滴の酒も飲まない。おそらくその状態は一年位前からだろう。その前もたまにお付き合いでお銚子一本、缶ビール一本位は月に一、二回飲んでいたが、今はそれも全く無い。

現役時代は仕事関係のお付き合いなどで今から考えると背筋が寒くなるほどの大酒を毎日飲んでいた。仕事のお付き合いで散々飲んでから、お客さんを送り届けた後自分で飲み直したなどがほぼ毎日だった。一升酒やウィスキー一本など普通に開けていたし、恐ろしいものでそれだけ飲んでも自分ではほろ酔いくらいにしか感じていなかった。

自分はアルコール中毒だと思っていたし、また知っている人にアルコール中毒だと思われる人が何人か居た。いずれ自分もそうなのだと思っていたがそれでも仕事上酒は欠かせなかった。今では若い人で酒の付き合いを一切しない人が居てそれでも構わないケースがあるそうだからうらやましいが、当時はそれが通用しなかった。

退職し自分で仕事を始めた時には飲酒を減らすことを心がけ、ある程度成功したと思っていたが、今から考えればそれでもかなりの酒を飲んでいたと思う。

本格的に酒を減らしたのはおそらく二十年位前か。はっきりしないが、いきなり断酒したのではなく次第に減らしたということだ。それが出来たとは、アルコール中毒ではなかったのだろう。同時に身体を動かすようにし歩ける時は歩くようにし、同時に外食を減らし、薄味で菜食を増やすようにしていた。煙草の方はある日いきなり止めた。それから無論一本も喫っていない。

気がついたら風邪をひかなくなり、前のような極端な体調不良もなくなり、それどころかよく寝られるし病院に行くことも無くなっていた。

タイトルは完全断酒だが、同時にウォーキングの習慣化、外食を止めて菜食主体にしたことなどが全て今の年齢にすれば問題の無い体力を得ている理由だろう。

生きている間は自分で必要なことを自分で出来る生活を続けたいと思っている。金は欲しいが金があっても使えない生活などは絶体にしたくないと思っているわけだ。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 人間誰でも年をとる

当たり前だが、人間誰しも年をとる。それによって体力が衰えてくるのは避けられない事実であり、ただ個人差が極めて大きいとは言える。わたしは歩くのが好きで、毎日それなりの早足で5キロ位、多い時は10キロ以上、時には2,30キロを歩く。

同年配の人には、もう五百メートルも歩けない、早足で歩けない、直ぐに躓いて転ぶなどから歩くのを止めてしまった人も居るし、一方毎日早足で歩き続けている人とも散歩中などに良く逢う。

むろん、人それぞれの体質や生活習慣などがあるから、身体の弱い人、身体を動かせない人が自分の責任だ等と言うつもりは無い。しかし、わたしの場合は、若い頃かなり体力が無かった反省から、今は一滴の酒も飲まないし、食事の内容にも気をつけている。そして身体を動かすことに努めている結果だと思うが、おそらく同年配の中でもかなり体力があると思う。毎年受ける健康診断でも問題なしとされている。

体力があることで精神的にも非常に前向きになれる。わたしはテレビを持っていないが、テレビを観て時間を潰す気には到底ならず、それなりに何かをしていないと気が済まない。

体力はそれで良いとして、年齢を重ねると、誰もが避けられないが記憶力が衰え考え方が狭くなる、つまり頭が固くなる。これも人に因るがわたしの場合は兎に角文章書きで物を考え整理する習慣を続け、物作りで想像力を保たせるようにし、読書で脳をつつくようにしている。また本来生活には必要の無い語学学習をしているが、言語は脳の基本機能を刺激するのでそれが目的だし、現実にネットでも他言語の動画を楽しむことが出来る。

それでも年齢による記憶力の衰えなどは嘆かわしいが、今の生活は十分楽しめていると思う。足りないのは金だが、余り気にならない。

ということで、誰もが年をとるが年をとっても意欲を持って生きられるならそれなりに長生きをしたいと思う。特に早く死にたいなどと本気ではないにしろそんな事を言う高齢者を見ると、絶対に自分はああはなりたくないと決心を新たにするわけだ。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 脳の体操 読書や外国語学習

日常生活では使わない外国語、例えば英語の他に、フランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語などを学ぶ。嘗ては仕事で使っていた。

今生活に必要ではないが、ただ人間は言語で思考するので結局言語を学ぶことで言語野を刺激し、結果として思考力を維持する。効果は自分では判断出来ないかも知れないが、何も考えずにテレビなどを観ているよりはましだと思う。

更に日本語でも日本人は日本語で物を考えるので、本を読むことは非常に脳を刺激することになり脳の活性化に役立つ事が証明されている。しかし、読むだけでは無く書くことも別な方法で脳の言語野を最大に使うことから文章を書くことが脳の活性化に役立つ。

現実に作家などは本当に高齢になっても優れた作品を出し続けるなどが普通に有る。

読む、書くは習慣として身につけたい。わたし自身は日記を書いたりブログに記事を毎日書いたり小説などを書いたりしている。小説は想像力も極めて刺激するのでわたしとしては好きだから書いているが、結果として本当に役に立っていると思っている。

つまり言語野を刺激することが文章で物を考える人間にとって、毎日身体を動かして身体の健康を保つのと同じ意味があると思う。外国語を学ぶのは言語野を違うやり方で刺激しているのかもしれない。わたしはそれなりに手応えがあると感じている。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 毎日血圧体重など記録

幸いわたしは今のところ健康に問題は無いと思っている。無論人間だから日によってそれなりに具合が良くなかったり良かったりはするが、基本良くない時でもそれで何か支障が起きるようなことは今のところない。その為にはそれなりの努力もしているつもりだし、食事に気をつけ、一切アルコールを摂らずタバコも無論喫わず、そして毎日積極的に歩くなどをしている。

そして取り敢えず自分で出来る健康チェックとして、毎日体重を一回、血圧を朝晩測っているが、血圧も全く問題が無いし、体重も十分に標準レベルに収まっている。

自覚として自分ではそれなりに健康だと思っているが、この様に血圧測定をし続けるなどをすればさらに健康状態チェックに確実さが増すと思っている。一般人が出来る健康チェックはこのくらいの物だろうし、あとは自覚症状だろうが、その自覚症状は徐々に悪化している場合など案外気がつかない物だ。わたし自身今は健康状態が続いているとは思っていても先に書いたようにその日その日で自覚している感じは変わっている。そして人間は慣れてしまうことが普通だから、仮に一寸具合が悪いと思っていてもそれが深刻な上レベルでなければ、そして急変でもしなければ、何時しか多少体調が衰えてきてもそれを自覚出来ない。

良い例が、誰でも年をとり、年をとれば疲れやすくなるとかキビキビと動けなくなるとか身体が硬くなるなどがあるが、それは個人差が極めて大きい。しかし、自分でも気がついたらずいぶん身体能力が落ちていると愕然とすることがあるが、若い頃に比べて劣ったと思っても同年配の他の人に比べたらまだまし等と自分を慰めるようだ。

だが、人と比べるのではなく、自分でどれほど能力が落ちたか落ちなかったかを自覚することも大切だと思うし、たとえば昔より歩けなくなったと思ってそれが当たり前だと思うか、それなら能力を取り戻すために努力をするかが大きな結果違いになるだろう。

その一つが血圧体重の測定だと思う。何より数字で出てくるのだから、自分で思い込んでしまって知らない内に劣化しているのに気がつかないととは違う。それでも年齢による劣化は避けられないが、どれほどそれを遅らせることが出来るかが大切なのだと思う。

そして気の持ち方、つまり高齢化したから仕方がないと思うのと、それを克服しようと努力するのでは、精神的にも若さを保つ大きな違いを生むとわたしは思っている。

by ロクスケ
























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健康で生活するために テレビを観ない生活

わたしはテレビを全く観ない。もう何年になるか覚えてもいないが、一度テレビを観始めると、気がついたら何時間も観ていて一日ほとんど何も出来なかったことが度々ありつくづく嫌になったのがきっかけだ。

今ではネットがあるからテレビを観ないという人もかなり多いようだが、ネットが出来る前からテレビを観る時間本を読んでいた方がよほど充実していたし、本は出かける時でも簡単に持って行けるし、更には出先の本屋で暇つぶしに読む本を買っていたりした。それが当たり前だと思っていたが、今考えて見ると一日二、三冊読んでいた時もある。

自分で記憶しているのは、確か小学五年位の時、父の本棚にあった吉川英治の書いた三国志で多分十数冊あったと思うが、それを夢中になって読みふけったのが最も満足した最初の読書だった。父もそんなわたしを褒めてくれたし、そして自由に自分の本棚から選んで読んでも良いと言っていた。その前から本は読んでいたが、その後一度熱中するとその本を読み終わるまで遊びにも行かないし御飯も食べないし寝る時間も読んでいたので、親から何度も続きは明日読みなさいと言われた。

よくまああの時期にそれだけ読書に熱中したと思うし、家には子供向けの本もあったがむしろ大人向けの本を結構読んでいたと思う。大体は中に書いていることを理解していたわけでは無いが、大人になってから読み返して理解出来る部分が増えてきたし、そして何度も読み返すとそのたびに深く理解していたと思う。

世界の名作でも家なき子や三銃士、ああ無情など原作を忠実に翻訳した本などは本自体がかなり分厚く、文字も小さくびっしりと印刷され、それが二巻三巻という作品が普通に有った。当時は目も良く、そんな小さな文字も読めたしそして一度読み始めると本当に熱中出来た。今では到底そのようなことも出来ないし、活字も眼鏡をかけてもかなり目が疲れる。子供時代に比べれば読書量はかなり減ったが速読技術は未だに衰えず、それで助かっている。

テレビを観ない話から読書の話になってしまったが、読書の奥深さを考えると、テレビで何も考えない時間を浪費するなど到底する気になれないということだ。

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健康で生活するために あらためてコロナ肺炎対策

今世界中で特に主要国ではコロナ肺炎が正に爆延している様だ。先進国ではワクチンをそれなりに接種しているはずだが、それでも今度は新しいオミクロン株などという新型がまた拡大を急速に広めている。

コロナ肺炎は寒冷期に感染が拡大するとされ、主要国はほとんどが北半球に有るため事態は深刻だが、その中で日本だけは世界が理解不能と言われるほど感染拡大を押さえ込んでいる。

確かに油断は出来ないが、結局考えられる理由は日本人が他人に迷惑をかけないと言う基本的な文化を持っているからだと思う。そのため、このコロナ肺炎の前vから日本人は普通にマスクをしていたし、密集を避け、決まりを良く守って兎に角人に感染させないことを通常の生活習慣にしている。また、ワクチン接種などもそれなりに積極的に受けているそうだ。

要するに人に迷惑をかけないようにするという意識を日本人が標準の価値観としていれば結局は人からも迷惑をかけられない、即ち今回のような感染を抑えていると言うことになる。

確かに歴史上欧米ではペストやコロナなどの病気の大流行で時には人口が半減するようなことも有ったが、同時期の日本は今ほど医学水準が発達していなかったにもかかわらず世界では例外的に感染拡大を回避してきた。ひとえに、当時から日本人が日頃から清潔で人に迷惑をかけないとの意識が普通に有ったからだろう。なにしろ、地域にもよるだろうが、ほぼ毎日入浴し、トイレもきちんと始末をしていたのは、当時の世界では日本だけだったとされている。

当時日本を訪れた外国人が様々な記録に、日本人のこの清潔さを驚いて書いている。

今のコロナ肺炎でも、結局はこの日本人の特質が大きな他国との違いを作っているのだろう。あらためて、わたし達もそれをかみしめて兎に角人にうつさない、結果人にうつされないマナーを意識しておきたいものだ。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 新しいことに興味を持つ

よく聞く話だが、定年退職をして一日24時間が全部自由に使えるようになって、暇を持て余し、何も考えずにテレビを観て過ごしている等と言う人の話を聞いたことがある。かなり前のことだが、確かにそのような人が居ることは知っていたが、実際にそのような人が居て、本当に何もしないでごろ寝をしているかテレビなどを観て一日を過ごしているそうだ。

私としては実感が湧かないのだが、精神的になんともないのだろうか。私自身はテレビを全く観ないし、朝起きてから一日の予定を確認するのが毎日だが、やりたいことが沢山有りすぎ整理しておかないと結局何も出来なくなる。整理していてもやれないことが沢山有るのだから、何もしないで一日起きてテレビを観て食事をしてごろ寝をして又寝るなど完全に想像を超えている。

人間誰しも一日は24時間で同じだが、例えば会社勤めをしている時などは何をやっても時間が足りなかった。仕事に慣れてくれば確かに要領も分かるし、効率は上がるが、効率が上がればやらなければならないことが又増えてくる。結局時間が余ることなどない。

退職した後でも自分の時間をフルに使ってやりたいことをやるようにしている。つい、やりたいことが多すぎて時間が足りなくなるのだが。

24時間何もしない人ではないが、気がついたら何時間もテレビを観ていて自分で驚いた、と言っている人と話したことがあるが、結局後から考えてみて実はテレビの内容など理解もしなかったし、一寸時間が経つと何を観たかも覚えていないそうだ。実際は何も考えずに観ていたと言うことだ。そして気がついたら一日が経っていて、一日24時間などと言う感じは全くしないとも言っていた。

どんな人間でも生きる時間は限られていて、一日の時間は同じ24時間なのだから、その24時間を意識して使う事が、意識しないで過ごす場合と比べて結局その時間生きているということだ。意識しないで過ごすとはその時間存在しないのと同じだからだ。

かなり大げさに表現したとは思うが、どうせ同じ時間を生きるなら、意識して生活するのとしないで生活するその違いを書きたかった。しかし、人間同じことをしているといつの間にか無意識にそれをするようになる。つまり時間を意識しなくなる。だから、常に新しいことに挑戦することの意味があるわけだ。ただし、長続きしないで直ぐに放り出すのとは全く意味が違う。仕事でも趣味でも生活でも全部そうしていたらそもそも生活が破綻する。とうぜん、新しいことに挑戦とは自分の生活を全うしてのことなので、そこは確認しての事だ。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 体重管理

二十代、三十代の頃の私は異常に痩せていて、なんとか肉を付けようと頑張って食べたりしたが駄目だった。もともとそれほどの大食ではなかった為もある。

その私が、中年過ぎ辺りから太り始め、一時は標準より遥かに太ってそれまで着ていた背広の前ボタンがはめられないほどになった事がある。仕事上毎日接待外食や付き合いの食事で三食全てが外食であり、そして大酒を飲んでいたからで、医師にも脂肪肝だけれどこのままでは肝臓癌になるかも知れないから体重を落とせと何度も言われた。

一念発起して自営を始めた頃からは食生活を変え外食を殆ど止め、酒もお付き合いで時々飲むように努めたが、それでも思ったようには体重が減らなかったが、一時期の過重体重からはかなり減ってはいた。それでも標準体重にはまだまだ遠かった。

そして二、三十年前位からか、更に食事を改善し、量を減らす一方、運動量は増やすようにした結果、それだけの時間がかかって今ではなんとか標準体重に収まるようになっている。ただ、標準体重、つまりBMI25には収まっているが上限ギリギリで、もう少し減らして、但し筋肉量や筋力などは落とさないようにすべく努力をしている。

いかんせん、年齢と共に体重管理は極めて難しくなるがそれは新陳代謝が衰えるからでやむを得ない面もある。それでも運動をすることで身体能力を少しは改善は出来るので、差し引きそれほど代謝率が年齢ほどもおちていないとは自分では思っている。実際はどうなのかは分からないが、現実に嘗て悩まされた腰痛などは一切無いし、この二、三十年以上前から全く風邪をひいていない。

体重管理が目的だったが、結局食事や運動の改善がこの様な結果を出していると思うし、嘗てよりも食事量で体重管理が容易になったような気がする。気がするだけだが。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 日記を続ける

私は小学校に入る前、文字を覚えた頃から日記を付けていた。その日記は時には途切れることもあったが概ね続いている。ただし、古い日記は殆ど無くしてしまったが、それでも30年前位の物は残っている。またパソコン以前にワープロが出来た時代、早速大金だったが買って、それで日記を付けるようになった。それが大体今でも残っていてかなりの膨大な物になっている。

今ではワープロソフトを使っているので嘗ては日記帳(とは言っても普通のノート)のようにかさばることもなく、20年以上の物がUSBメモリー一本に簡単に入ってしまい、いつでも好きなように読めるはずだが、殆ど昔の日記を読んだことは無い。

ただ、それでも日記を付けるのは、あくまで一日にしたことを整理すること、そして文章を書くことが自分の考えを纏めることに極めて大きな意味を持っているからだ。同時に私はそれなりに本を読むが、本を読むとは、自分の脳に直接読み込むことであり、同様文章を書くとは自分の脳から直接書き出すことだと考えて いる。

したがって、私が文章を書く場合、ある意味極めて速い。そうだろう、自分が考えている同じ速度で書いているとも言える。昔はそれを手で書いていたから、思考に追いつくためには非常に速書きになり、結果文字が酷く崩れる。時に自分でも読めない位だが、綺麗な文字で書いていたら思考に追いつかないのだ。

だから、今はパソコンで書くことでかなり思考と同調して書けると言うことになる。幸いワープロ時代からかなりキー入力は力を入れて練習してきたので、今もおそらくタイピング速度はかなり速いのだろう。

結局日記を付けるとは、その日の出来事を考えそれを纏める為につけていると言うことになる。いつまで書き続けるかは知らないが、続けられる間は続けられると思う。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 健康を過信しない

私自身、むろん毎日同じ体調というわけではなく、体調が良い時もあれば悪い時もある。が、おしなべて問題は無い様だ。この数十年位風邪をひいたことは無いし、不具合で寝たとか何も出来ないなどの記憶は無い。

このところ毎年簡単な健康診断を受け、問題は無いからこれを維持するようにと言われている。が、だからといって自分は健康だから問題は無い等とは思っていない。知らない間に何かの病気に冒されているかも知れないし、ある時いきなり症状が出るかも知れない。

最初に其の記憶と言えば、高校時代生徒に好かれていた先生がある日急死して大騒ぎになった事がある。独身でアパートの一室で亡くなっているのを、電話連絡も取れないことから見に行った人が見つけたとのことだ。

現実に私の身近にも友人にも人間ドックで問題なしと言われたと言っていた正に其の直後心筋梗塞で死んだとか、別の知人はある朝何時までも起きてこないので家族が見に行ったら亡くなっていたなどの出来事もある。彼の場合は本当に健康そのものに見えていたが、ただ、毎日とんでもない量の酒を飲んでいた。

昔はかなり飲んでいた時期があったからまあ私も人ごととは言えない。今は一滴も飲まないが、それはさておき、この毎日大酒を飲んでいた友人は確か四十代の頃か、上記の様にある朝布団中で亡くなっていたとのことだ。死因はわざわざ調べなかったそうだが、おそらく脳溢血あるいは心筋梗塞などだろうと言われていた。しかし死ぬなど誰も予想などしているわけが無かった。

其の意味で、私も今のところ医師には問題は無いと言われてはいるし、自分自身自覚症状もないが、絶体に自覚症状なく大きな問題が体内に生じていないとしても、健康診断でそれが見落とされているだけと言うこともあるだろう。医師の診断が百パーセント正しいわけではないだろうし。

だから、医師が大丈夫だと言ってもなおさら自分なりに健康維持に気をつけ、体調の変化を馬鹿にしないことが大切だと思う。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 健康記録を付ける

私は毎日朝起きたら体重を量り、朝夕血圧脈拍数を測り、排泄の観察記録、食事の記録、ウォーキングのステップ数、そして何か気になる身体状況があれば記録している。おそらく20年位は続いているはずだ。昔はノートに付けていたが、今はPCの計算ソフトを使っているのでなおさら便利になっている。

別にそれが理由なのではないだろうが、幸いというか毎年受けている健康診断では特に問題が無いのでこの状態を維持する様にとの診断を受けている。

だからといって絶対安心などとは思っていない。私の知人でも何日か入院して綿密な人間ドックにかかり其の結果、少しの問題はあるが今のところ深刻ではないし生活を工夫すれば改善するから大丈夫だとの診断結果があったそうだ。かなり以前のことなので今と診断技術も違っているだろうが、本人は本当に安心していた。そして記憶では其の結果が出た数週間、多分一月以内だと思うが心筋梗塞で急死した。

別の知人、多分20年位前か、勤め先で毎年受ける健康診断で全く問題なしと言われたという。確かに私の知る限り健康に問題があるとも思えなかったし健康そのものだった。が其の診断が出て数ヶ月位か、家の中で亡くなっているのを家族が見つけて救急車を呼んだが、結局死亡が確認されただけで、朝何らかの理由で起きて寝室から出て急死したらしい。死因は家族が知っても仕方が無いと死因究明をことわったそうだが実際なんで亡くなったのかは私が聞いていないだけかも知れない。

つまり、健康診断を絶対だとは思わないことにしている。今のところ私の健康には問題が無いとされているが、無論人間だから身体の状態も好不調様々有る。そこで、いつもと違う状況がそれなりに続く場合は早めに診断を受けることにしている。実際は今のところそのような状況にはないと思うが、人間不調が続くと無意識のうちにそれが当たり前になってしまう。だから健康記録を付けているのだ。体重が異常に減りすぎていないか、血圧が高くあるいは低くなりすぎて長く続いていないか、食事がきちんととれているか等などだ。

これで全て解決ではないだろうが、ただ自分の思い込みを少しでも防げることになるならそれなりの効果はあると思う。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 栄養バランスは無視出来ない

幸い私は今のところ健康に問題が無いとされ、先日も受けた簡易健康診断でもこの状態を続けられれば良いと医師に言われた。幸い、年齢よりも身体能力もあるし、十数キロから二、三十キロ位早足で歩いてもよく寝られる位で体がどうこうする状況にはならない。よく寝られるし、それなりに食事もきちんと採れている。と、何から何まで問題なしのようだが、いろいろチェックしてみるとどうも栄養が偏っているような気もする。

特にビタミンC、ミネラルなどが不足しているかも知れない。計算上は採っているつもりでも、やはり年齢と共に吸収率は衰えるし、また嘗ての様に沢山食べることも無い。大体私は一日二食だが、自分では十分に食べているつもりでも考えて見ると確かに一昔前よりはかなり減っていると思う。一日食べなくとも得に空腹でもないこと自体、どうもまずいのではないかと考える時もある。

暫く前まではBMIは25を若干超えていて、分類上は多少肥満しかし問題も無いとされるレベルだったのが、今は24台になっている。それは良いとしてあまり体重を減らすのは年齢的に良くないともされているので、大体このレベルを維持したいとは思っているのだが。

また体力が落ちていない、健康だと思っているとしても自分がそう思っているだけで実際は衰えているのかも知れない。現実にどう考えても20代、30代の頃の運動能力は当たり前だが無くなっているし、走ること一つ採っても、当時はそれなりに長時間走り続けられたのが、今ではおそらく数分程度だ。というより長距離を走る気にならないこと自体が、自分で体力の衰えを容認しているのだと思うことがある。

まあ、誰も年齢と共に体力は衰えるし、私も其の年代になっているのは自覚しているが、単に年齢だけではなく、上記の様に食べる量がどうしても減りながら栄養吸収率が衰えているせいもあるような気がしてならない。神経質になるのはどうかとも思うが、だからといってネットなどにありふれている栄養サプリなどを採る気には一切ならない。と言って、これ以上沢山食べるのは却って負担が増えるだろう。

ある程度食べるものの選択をする必要があるのかもしれない。とはいえ、食事は薬ではないのだから楽しむと言う要素を食べ物の選択で犠牲にすることも度が過ぎてはならないと思っている。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 体重管理現在

およそ3年半程前、私のBMIは28.3位だった。体調自体は悪くはなかったが、もう少し引き締めた方が良いとは思っていたし、確かに腹回りなどは少しだらしがなかった。そして今現在、BMIが23台になっている。つまり標準体重になっているのだが、特に減食をしたつもりもない。が記録をたどってみると、確かに食べる量自体は減っているようだし、なにより脂肪分が非常に少なくなっている。年のせいで好みが変わったと言えばそれまでだが同年配には見た目でもかなり肥満の人が多いし、それなら私は体重管理に成功したと内心得意になっている。

むろん、体重は単に減らせば良いという物ではなく、健康維持のために体重管理をするのだから、食事を減らせば体重が減ると簡単に考えると、とんでもないことになる。私の知人でも嘗て食事量を兎に角激減させ、確かに一月ほどで見違えるように痩せたが、見た目だけでも体力的にはかなり劣化したようにしか見えなかった。行動が緩慢になったし何より顔色が本当に悪くなった。

しかしある時から彼が急に太り始め、あっという間に減食を始める前以上の肥満体になったのを観た事がある。いわゆるリバウンドだが、人間急に減食をすると体が出来るだけ食べたものから栄養分を吸収するようになる。それが、反動で食べ始めた時も続き、結局リバウンドが起きるのだが、それを繰り返していると、確実に体を壊す。

私はそれを恐れていたので、BMIを落とすのに時間をかけた。だから成功したと思っているし、痩せたからといって大食いになった事も無いしましてリバウンドもしていない。

一つ困るのが、ズボンがぶかぶかになった事位だが、ズボンをはくためにウェストを太くする気は無い。痩せたと言っても若い頃とは体型が違う。が、何より嬉しいのは身体が軽くなって動きやすくなったことだ。それで、毎年受ける健康診断で問題なしとされているなら言うことは無い。ただし、今以上に痩せようとは思っていない。年齢にも依るが、痩せすぎはやはり体力を損なうことも理解しているつもりだ。今位の体重を維持出来ればと思っているが、もしこれからも痩せるようなら、食べる量や内容を変える必要があるのかもしれない。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 家庭菜園

私の家にも狭いが庭があり、殆ど手入れなどしていないが、それでも荒れ放題は気になるので、最低限の手入れはしている。

以前は家庭菜園などをしていた。一時期はビニールハウスなども作って、トマトや茄子、キュウリなどを心がけたが自分には其の能力が無いと見極め、それからは野菜作りなどは止めた。近所の家などには、本当に見事な野菜を沢山作っている人がいるが、本当に朝から晩まで畑仕事をしているし、そして培養土、肥料、種、苗と相当の金を使っている。

確かにそうやって作った野菜は新鮮だし美味なのだろうが私にはそこまで時間、労力、金を使う気には到底なれない。天気の良い日など、家庭菜園で殆どの時間を過ごしている人を見ると、むろん、その人達がそうしたいからそうしているのであり、わたしはそこまでして野菜作りをしたいと思わないだけの違いだ。

ということで、私は余り荒れ放題にしている庭を私の出来る範囲で野菜作り出来るようになれば良いと言うだけの理由で今年はそれなりに春から畑を作っている。そして、手間をかけなくても勝手に出来る野菜だけを選んで作ることにしていて、まだ結果は分からないが、出来なければ出来なくても別に構わないと言う全く無責任な家庭菜園を心がけている。だからわざわざ培養土など買いもしないし肥料も本当に適当にやっているだけだ。

もう何年前だったか覚えていないが、色々作った畑で、小松菜などが殆ど手入れをしなくても結構伸びて重宝したことがあるが、今回はおそらく小松菜などが主だろう。が、出来ると言って食べきれないほど出来ても結局枯らしてしまうだけなので、作る量もそれなりに抑えている。

また出来なくてもまあ構わない、放っとけば良いということでカボチャなども計画している。余り手間がかからないのだそうだ。結果は分からないが。

冬は野菜が高いが、家庭菜園でも野菜は出来ない。夏秋は野菜が安いから家庭菜園で費やす肥料、時間を考えると買った方が良いし、最近の野菜は農薬も無害な物を使っているとのこと、気にしないで買っている。つまり私の家庭菜園は、荒れ地にしておくよりは良いだろうというだけのことだが、やってみればそれなりに楽しいことは楽しい。野菜も上手く出来ればよいが、出来なければそれだけのこと、もっと上手く作れるように時間をかけるなどは一切する気が無い。割り切れば、無責任家庭菜園も結構楽しい。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 健康であるためには

私は毎年簡易ドックを受けているし、定期的に癌検診なども受けている。幸いなことに今のところ人格以外は問題が無いとされているが、むろんそれで絶対に大丈夫とは思っていない。私の知人でも、健康診断では全く問題が無いとされていた何人かが急死したり癌が見つかったりなどもあり、それはそれで誰にでもあり得るし、健康でも事故などに巻き込まれることもあるかもしれないのだから、そこは割り切ることにしている。

私なりに食生活、運動、禁煙禁酒、減塩など気をつけているが、さらに毎日様々な健康記録を付けている。

朝夕血圧、心拍数、排泄、睡眠、体重、食事、その他体調などを表計算ソフトで記録していて、自動的にBMIや脈圧などの計算も出来る様にしているが、おそらく10年以上それを続けている筈だ。

また毎日日記を付けたり、実際はもう生活で使うことの無い英語やフランス語などの外国語などで記憶力などを磨くなども心がけ、自分ではそれなりに効果があるのだろうと信ずることにしている。いずれにせよ、あくまで自分でその効果を信ずることも大切だとは思う。

記録を付け、其の記録の推移で自分では気がついていない変化を知ることも有意義だと思うから上記の様な記録を付けているわけだが、とはいえそれに余りに神経質になることも却って逆効果だとも思っている。神経質になることも無く時には飲酒も食べ放題も構わないだろうとはよく聞くが、どういうわけか私自身リラックスしている時でも、飲酒をしたいとは全く思わない。かつては自分でも心配するほどの大酒飲みだったのが嘘のようだ。食べ放題したくとも、胃袋が今はそれなりのサイズになっているからか、大食など出来ないしそれ以前にしたいとも全く思わない。

幸い今では標準体重、すなわちBMI25を切っているが、これも余り落としたいとも思わない。筋力や骨密度を下げたくないからだ。

人間誰もが年をとる。年をとれば体力は衰える。自然の摂理だが、現在の日本人の平均体力年齢は五十年前から20歳若返っているともされている。出来るだけ其の水準は保っていたいものだ。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 脚がまず基本

先日行って来た地方都市でおよそ二週間を過ごしたが、あちこちを見るのに兎に角徹底して歩いた。自分でも大丈夫かなと思うほど毎日歩き回りあちこちを見ていたのだが、予め地図でコースを決め、スマホのステップカウンターで歩数を計り、また歩き回った時間から大体何キロ歩いたかを確認してみた。

結果、二週間弱の殆どは快晴で、但し二日ほどは雨だったがその日も含めて兎に角歩き回り、結局最も歩いた日は二日ほどあり、いずれも30キロを歩いた。大体は20キロ前後、短い雨の日などで15キロ。

つまり二週間弱の平均では、一日20キロは優に歩いており、トータルで200キロ以上歩いた計算になる。

昔は何処に行くにも車を使っていたが、ある日何かのきっかけで自分の脚がかなり弱っていることに気がつき、それからは徐々に歩くようにしてきた。

それでも30キロ歩くなどは近年は無いし、二週間弱毎日15-30キロ歩くなど自分でも予想はしていなかった。歩けたら歩こう位のつもりだったのだが、後から纏めて見て自分でも驚くような歩き方をしていた。

其の反動が帰ってきてから出てきているのではないかと思われて気が気ではない。部屋の中を歩くのも何かかったるくて仕方がないのだが、実際には外に出ても普通に歩けるし階段の上り下りにも問題はない。

様々な健康法が言われているが、私としてはまず歩くこと、それから酒煙草には近づかない、野菜を沢山食べ、塩分を控えめにする、外食はしない等これらの健康手段も別に必要だからそうしているのではなく、今では意識もしないで普通にやっている。其の結果としてと思うが、自分でも何かの間違いではないのかと思うほど歩けるのだと思う。

長生きはしたいが、動けなくなるのはまっぴらなので、実際はどうなるかはともかく歩ける状態を最後の最後まで確保しておきたいと思う。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 語学は脳の体操

嘗て私は仕事の関係上英語を話すのが必然で、その為に様々な苦労をしながら英語の勉強をした。今のようにネットで直ぐに英語を聴けるような時代ではなかったから、レコードやテープの教材を買い繰り返し聞いては真似をしたり、時には英会話学校などにも行った。

そして実際に海外に行き、何年か経ってそれなりに英会話は不自由しないレベルに達したと思っている。同時に、他の国の言葉も話せるほうが何かと便利で、何カ国語かをそれなりに学んだ。英語のレベルにはほど遠いが、日常生活ではなんとかなる程度の能力を身につけたと思う。

しかし、現在では日常生活で英語も他の言語も使うことは全く無くなり、それこそ自分でも驚くほどそれらの外国語を忘れている。しかし、私は今でも英語や他の外国語を趣味という形で学んでいるし、今はネットに好きなだけ教材があるし、また様々な機会に外国人と話すこともたまにだがある。仕事では使わないが、嘗ては動画などで自分の英語を話していたこともある。

そこまで外国語を学ぶのは頭の体操のためだ。人間は言葉で物を考える。日本人は当然物を考えるにしても頭の中で日本語を使って考えている。私が毎日文章を書くのも結局日本語を纏める事で脳を刺激し頭の訓練になっているからだ。書くだけではなく、勿論読むのも極めて脳を刺激する、つまり訓練になっている。

そこで、外国語を今でも学ぶのは、自分の言語野を刺激し訓練するためだ。日本語と外国語では、私のように成人してから本格的に学んだ人間では使う言語野が異なるのだそうだ。つまり脳をそれだけ刺激していることになる。

其の意味で、それぞれ異なった言語で異なった言語野を刺激することが、脳のいわば体操と言うことになるだろう。

どれだけ効果があるかどうかはともかく、年齢と共に体が衰えるのを適当な運動で鍛えるのと同様、衰える脳を鍛えるための言語学習は私自身は役に立っていると思う。あくまで私が思うだけだが。それ以前に、なにしろ楽しい。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 物作りをする
私の趣味と言えば、いろいろあるが今回は物作りを例に挙げたい。

物作りと言っても色々な分野があるだろうが、わたしの場合は鉄工細工、木工細工、電子工作などが主な分野だろうか。ただ、私はあくまで素人であり、素人の趣味としてやっているので、一つの技術を繰り返して磨くなどと言う気は更々無い。

ただ、自分で作った物も、使用目的で作る物はそれなりに有るが、技術もない、設備も無い、材料も無い状況ではそれなりに工夫する必要がある。で、今は例えばそれなりの事務机、パソコン、書類棚などは自分でつくってそれなりに満足している。既製品と比べるつもりなど更々無いが、自分で作る物は、例えば机だが、自分の体格に合わせて、また自分が使いたい仕様で作る事が出来たから、高い既製品を買うよりもよほど気に入っている。見た目を比べる気は更々無い。

同様、パソコンも過去に作ったパソコンから取り出した使える部品は使っているし、ケースなどは自作品だ。書類棚も、机の脇に置いて使いやすい様に自分で設計して作ったから、気に入っている。

それを人に譲ろうとしても、体格の違いや部屋の配置等など様々な理由で使いにくいだろうと思う。つまり自分のために工夫をして作る。それならいかに手抜きで良い物を作るかが頭の使いどころで、それが楽しいのであって、使う目的で全ての作品を作っているわけではない。

例えば今製作中の鉄工旋盤は、様々な金属加工のために便利に使えると思うが、到底既製品のような使い勝手や精度はないだろう。同じくのこぎり盤、グラインダーなどなど本来既製品を買えばとんでもなく高い機械も、自分で作っている。精度などは既製品と比べても仕方が無いが、私の作る物、技術に見合った物は作れるし、なにより作る事自体が目的なのだからそれで良い。その為には自分なりに様々な工夫をし、材料としては手持ちのガラクタ、いわゆるジャンク品をどの様に加工し組み立てるかを精一杯考える。この考えることが大切であり、目的なのだから、作品の出来は私自身がこれで良しと思えば良いと言うことだ。

技術を身につけるつもりは無いが、それでも少しは一般人よりも技術はあるのだろう。それは結果であって、自分がそうしたいと思ったことなど無いし、結局工夫することが様々な工作の目的だとあらためて自分で思う。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 手抜きの奨め

趣味として私は物作りをしている。その為の工作室も今ではかなり充実しているようだ。ただし、工作室にある様々な設備、機械などは殆ど自分で作った物だ。工作台と言う頑丈な机はその上で様々な工作をするための大体畳一畳位の大きさであり、またのこぎり盤、帯鋸盤、旋盤、各種グラインダーなどなどは全て私の自作機械だ。

工作の趣味のためには、今ではネットが非常に役に立っているが、嘗ては専用の雑誌や本があり、今でも多くが書庫にある。今は殆どネットを参考にしているが。

中には素人ながら専用の機械などを多数買い其の工作の過程を動画にしている人たちも大勢居るが、私は其の専用の工作機械自体を趣味の一環として作る事に決めていた。ただ、言うまでもないが私は素人だし技術など全く無い。が、技術がなくとも自分で使うぶんには構わない、別に売るための商品ではないのだから見かけも性能も二の次と割り切って作った機械ばかりだ。が、おそらく既製品の機械の十分の一もしない費用で出来たろうし、多くが様々な廃材や壊れた機械などを利用して創っている。つまり、それが楽しみと言うことだ。

だから、それらの機械で色々な工作物を作っているが、使えればあとは自分で納得出来るだけの仕上げであれば良いと割り切り様々作っている。中には実際に日常で使う物も、たとえば自分の体格と必要性に合わせたベッド、事務机、椅子類、書類棚、パソコン、ラジオ、アンプなども創っている。もしこれらに職人技を極めて作ろうとしたら私にとっては楽しみでもなくなるし趣味にもならないから、私なりに手抜きでごまかしながらいかに実用性を高めるかで作っているわけだ。

作る事が目的だから、作った後は全く使っていない物も無数にある。

去年だが、二階に物置があったのを改造してロフトにした。二畳間くらいの大きさでネットなどではよく観られるロフトだが、実際には冬は寒いし夏は暑苦しいしで殆ど使っていない。使う事が目的ではなく、作る事が目的だった(ただし、自分では使うつもりだったが)。

つまり、私にとっては手抜きをするから趣味として楽しめるということだ。これも楽しみ方の一つとしては良いのではないだろうか。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 椅子を作る

多分この記事がでるときには完成していると思うが、今私は椅子を作っている。普段机に向かっているときの椅子も良いが、座布団を二、三枚重ねて乗せてみたり、足を少し切ってみたりで体格と机の関係、疲れない姿勢をとれるように様々加工している。この椅子自体はもう何十年も前から有る物を何度か修理して使っている。他にもいくつか椅子はあるが、毎日使っているのはこの椅子だけだ。

しかし、それでも既製品の椅子であり私の体格や姿勢、癖にはぴったりときていないので、決心して椅子を作っているわけだ。

幸い、ネットで買った、家具製造工場から出た家具用の端材がかなりあるので、それを使って作ることにした。今まで気になっていた部分をいかに身体に合うように作るかが最大の設計の基本だが、この椅子は回転椅子にした。

嘗て回転椅子を使っていたがこれは色々な面で使いやすいとは思っていたが、ただ自分の体格姿勢には今一だし、そしてなにより鉄製の事務用椅子だ。重いし、金属椅子だと加工もままならない。

そこで、今作っている椅子は木製で、しかも回転椅子だ。既製品にも木製回転椅子はあるが、買ったとしても、また改良しなくてはならないだろうし、となれば自分が最初から木製回転椅子を作れば良いという結論に至ったわけだ。今までも手軽な椅子などは作ったことがあるが、今回は毎日使うのだし、それなりに見かけも良くしなければと、かなり設計に時間をかけ、それぞれの材料の下処理にも時間をかけ、今調整しながら組み立てて、塗装をした。其のできあがり写真を載せるが、見かけはともかく座り心地はやはり良くない。今後何とかしようとは思っているが。





by ロクスケ
























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健康で生活するために 定期検診

幸いなことに私は今のところ健康状態は良いようで、日々特に不自由なく生活出来ているし、それなりにやりたいこと、例えばネット関連、ウォーキング、様々な物を製作するなど楽しんでいる。とはいえ、誰でもそうだが、私も年々年齢を重ねて行くし年齢に応じてどうしても身体能力の衰えや体調にも衰えは感じる。今の私と20代、30代の頃の私と比べても仕方がないし、また同年配の人達と比べても意味はない。要するに私が納得出来る体力を持っていれば良いと言うことだ。

その為にも食事や生活習慣などに気をつけているが、毎年一般の簡易健康診断を受けている。主として各種の癌、血管などの老化状況、血圧などなどで、本格的な人間ドックとは全く違うが、今のところ特に問題はないと言われているので、加齢による体力の衰えは気にしすぎないようにしている。

其の意味で私は私なりに健康を保っているとは思うが、その日によって体力が異なるのは人間誰しも同じだし、私もよく寝られなかったり、歩いたら疲れるような感じがするとか何かけだるい等と言う日はそれなりにある。余りそれが続いたり深刻になった場合は何か病気でも持っているのではないかと病院に行くのだろうが、現時点ではそのようなことは無い。

だからといって、私が全く癌にもかからない、脳梗塞にもならないなどの保証などあるわけが無いから、毎年の定期診断を受けているわけだ。それで特に問題が無ければ、その日による体調不良は気にしないことにしている。

医師の診断が完全に正しいなどはありえない。一般に医師の診断の80%は誤診だなどと聞いたことがあるし、特に気にならない限り一般の病院で簡単な検査を受けているだけなのだから、医師も見逃した重大な病気を持っているのかも知れないがその時はその時だ。それに、何かの事故で死ぬこともあるかもしれないし。

昔のことだが、親しくしていた年配者が人間ドックで念入りな検査を受け、少し胃の具合が良くないが食生活と薬で治る、あとは全く問題が無いとの結果だったと喜んでいた。が其の直後、心不全で亡くなったことがある。また別の知人だが、普段から兎に角何処にも体調に問題は無いと言っていた、本当に見るからに健康そうな男性が、ある朝家族が起きたら、彼が居間で倒れていて、救急搬送をしたが、死亡診断だった。原因が何かは解剖しなければ分からないと言われて、家族はことわった。死因は分からない。だから、私は、今医師が簡易健康診断で大丈夫だというならそれをそのまま受け入れていると言うことだ。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 旅行に行っても歩く

以前、メルマガ529の記事”連載 第495回 健康で生活するために”では「脚がまず基本」と書いているが、その為にも私は可能な限り歩きまわることにしているし、おそらく年齢にしてはかなりの早足で長距離を歩いていると思う。先日も地方都市に行った話を書いたが、その時も毎日十数キロ以上歩き回ってきたし、今でも気が向けば一日に2、3時間歩くなどはざらにある。

むろん、歩く目的は健康維持のためだが、どうせ歩くなら楽しみながら歩けば、それだけ疲れも余り感じないし、歩く意欲も衰えない。その為には出来るだけ景色を楽しみながら歩くわけだが、そうすれば別に名所旧跡に行く必要も無い。それこそ家の近所を歩くだけでも季節により天候により時間により、そして自分の心身の状態により毎日見ている同じ景色が全く違う景色に見える。同じ場所を歩きながら新鮮な景色を楽しめるわけだ。

むろん、私も他の人と一緒に観光旅行などに行ったことはあるが、そういうときは歩いて観光というより、同じ時間で出来るだけ多くの観光名所を見るためにバスやタクシー、車などを使うことになる。するとその時は確かに楽しいし名所旧跡を観光したという満足感はあるが、其の満足感は直ぐに色あせてしまう。

私の場合は歩くことで身体で景色を感じていると思っている。身体で景色を感じると、何度同じ場所で名所でも旧跡でもない普通の町の通り、山道を歩いても身体にしみこむ景色は十分にある。だからこそ同じ場所を先日歩いた地方都市もそうで、観光都市だが観光名所もむろん自分の足で歩いたし、地図で予め調べた郊外の山道や裏道などを散々歩き回った。だから体が其の場所を覚え、又行くことになる。

また、昔はフィルム写真でそうはいかなかったが、今は簡単にスマホで写真を撮りまくる。これは旅行に行ったときだけではなく毎日の散歩道でも同じ場所を撮っているから、例えば今年はまだ八月も終わっていないが、元旦初日から数えてみると、2万2千枚を遥かに超している。このような事を始めた頃からの累計だと、数十万枚になっているだろう。

写真を見返すなど滅多にしないが、同じ場所に時間が経ってから行ってみると身体が覚えていることをはっきりと自覚する。景色を楽しむとは、私にとってはこういうことだ。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 我慢もほどほど

私も若い頃は仕事の関係上(ということにして)かなり酒を飲み、好きな物を食べていた。体力的にそれほど衰えているとは思わなかったが、なにしろそれも若かったからだろう。が、ある時にこのままではまずいなと自覚をしたのは、会社などの年配者が結構健康診断などで医師にこのままだと危険だと警告されたなどの話を聞いたからだろう。

その後、一念発起をして兎に角健康体になろうと可能な限りの努力をしたのだが、其の甲斐あっては今のところ毎年受ける簡単な健康診断では得に異常はないと言われ、確かに体調も極めて優れていると思う。むろん、誰でも年をとるから若い頃と比較しても仕方が無いが、おそらく2、30年、風邪をひいた記憶も無いし、深刻な病気にもなっていない。おそらく年齢の割には極めて体力もあるようだし、なによりほぼ毎日それなりの早足でかなりの距離を歩いている。むろん、今は酒を飲まないし、塩分も極めて少ないし、脂肪分も採らない。しかし、自分では我慢をしている自覚はない。

ただ、最近少し考えが変わってきた。健康のために禁酒する、塩分を減らす、脂肪分を採らない、酒は飲まない、あれもしないこれもしないというのもそれが過ぎるとしたいことを我慢することで、またしたくも無いことを無理にすることでストレスがたまるのではないだろうか。むしろその方が害がある場合もあるのではないかと考えるようになった。しかし、わたしの場合、別に酒を飲まないことで我慢をしているわけでは無いし、もっと塩っ辛いものを食べたいのに我慢をして食べないわけではないし、歩きたくないけれど義務として歩いているわけではない。

したがって、我慢をしてストレスを溜めているという自覚がない。だからそれも人に因るのだろうが、健康になるために歩くことを義務とし、食べたいものを我慢して食べず、飲みたい酒も飲まないという人と話したこともあるが、どうもイライラするし自分がそれで健康になったかも知れないが生活が面白くないというのだ。

それこそ人に因るだろうが、余り我慢をするとそれがストレスになる。時にはほどほどに酒を飲み、ほどほどに食べほどほどにグータラすることでストレスが解消するなら、その方がより健康になるのではないかと言うのも一つの考え方ではないだろうか。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 妄想の効果

私は趣味として小説を書く。これは小学生の頃から作文を書くのが好きで、日記もその頃から書いていた。それ以前から色々な絵本を読むのが好きだった記憶がある。作文はあくまで事実が原則だが、絵本に書いてあることが現実ではない事にいつから気がついたかははっきり覚えていない。とにかく、作文とは別に自分が想像した話を書くことも始めていたようだ。

その頃書いた作品は残ってはいないが、それでもかなり前に書いた想像した話、つまり小説は残してある。ネットがかなり普及し始めた頃、自分のホームページを開いて(当時はブログなど無かった)そこに毎日短編小説を書き載せていた。400字詰めで2,3枚の作品だが、一千作を書くのが目的でおよそ三年間それを毎日続けた。そして一千作書き上げたのを機に止めた。他にも中長編を数十作書いている。いくつかは電子版で出版しているがそれはあくまで切りをつけるためだし、自費出版などと違い無料なのでやっただけだ。自分でもそれで作家デビューするつもりも無い。今も、折があればいつ終わるか分からない長編小説を何編か書き続けている。

つまり私が小説を書くのは売る為ではなくあくまで頭を柔らかくするためであり、小説とは作り話なのだからどんなでたらめを書いても構わない。つまり極めて自由な発想が出来るから頭を柔らかくするのには最適だと自分なりに思っているわけだ。

むろん、妄想と現実の区別をつけての話で、あくまで妄想を楽しみ、頭を柔らかくするための小説であり、それを職業にするつもりは一切無いから、読者に気に入られるようなストーリー展開などは全くしない。面白いかどうかは私が判断すれば良いことで人の判断を気にする理由が無いということだ。これはまた無制限に頭を使えると言うことになる。

繰り返すが、現実生活は無論こんな訳にはいかないし、妄想と現実はきっちりと分けている(つもりだが)、自分個人では思考の柔軟性を保つためには最適な方法だと思っている。趣味なのだから楽しみでもある。

体力維持のために毎日それなりの距離を早足で歩いているが、それが私の楽しみでもあるから続いている。妄想を小説にするのも同じことだろう。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 水を沢山飲む

以前も書いたが、私はかなり水を飲む。単なる水もあるが、大体は緑茶が多い。緑茶には様々な効能があるとされるが、それはともかく、もともとお茶が好きなのでそうしている。むろん、毎日がぶ飲みするのだから高級茶などではなくスーパーなどで買える安いもの、例えば葉の軸を主としたお茶などを飲んでいる。だから味わって飲むという感覚は無く、とにかくお茶なら良いというだけのことだ。

ついでに紅茶、これも安い物、番茶、ほうじ茶など様々飲むが、手間暇をかけてお茶を入れる気にもならないので、実にいい加減に入れて飲んでいるが、気にならないのであればそれで構わないだろう。

人間は年齢と共に体内の水分量が減ってくる。私も当然毎年年齢を重ねているのだからそれなりに体内の水分量は減っているはずだが、見かけ上はそれほどしなびた感じもしていないと思う(思いたい)。 だから絶対に大丈夫などとは思ってはいないが、今のところ得に病気の自覚症状も無いし、毎年受けている簡易健康診断でも、得に問題も見つかっていない。血圧、血糖値などなど様々な指数があるが、今のところ全て許容範囲内にあるから、医師にもこの状態を続けるようにと言われている。だからといって私が絶対に病気にならない、癌の発症はないなどと思い込んでいる訳ではないが、取り敢えず問題が無いとされているなら気にしても仕方がない、だから気にしないというわけだが、その為にも水、得に緑茶を大量に飲むのは良いと思っている。体内老廃物を効率的に排出出来るからだ。

あくまで私がそう思うだけで、人それぞれ、自分でそれは判断して欲しいが。

ということで、おそらく水、お茶などでおそらく一日2〜3リットル、他に食事でも採っているから、おそらく4〜5リットル位は飲んでいるだろう。別にそれを目標にしているのではなく習慣になっているので無意識に飲んでいるのだが。それなりに排泄量も多いが、尿検査でも問題なしということにはなっている。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 長寿社会は良いけれど

日本は世界でも最も平均寿命の長い国とされており、また高齢者の健康状態も極めて優れた国とされている。それは本当に嬉しいことだし、この状態をずうっと保てれば良いと思う。

が、それでも単に長く生きれば良いとばかりも言えないだろうし、私も人ごとではない。幸い、毎年受けている簡単な健康診断では、特に問題は無いとの結果を得ているし、確かに年齢の割には元気だろう。先日一ヶ月の旅行に行き、兎に角その間毎日歩き回ったが、歩き回れたこと自体非常に良かったと思う。

帰ってきてからも毎日数キロから十数キロをかなりの早足で歩くのが日課で、それが出来る事で体力があることを自覚している。歩くばかりではなく、食べる物にも気をつけているし、身体だけではなくどうしても年齢によって衰えてくる。例えば記憶力や学習能力も保っていたいために、色々な工作をしたりパソコンを自作したりネットをやってみたり、使う当ての無い語学の勉強を数カ国語続けている。嘗ては仕事で使っていたが、今ではネットで使えるようになりそれなりに役立っているのは予想外だった。さらには無論本も読むがこのサイトのように毎日文章を書いている。

日記はもう数十年書き続けているし、さらに、小説なども書き続け電子出版などをしたりしている。結果はともかくそのように頭を使うことはそれなりに頭を活性化しているのだろうと自分では思うことにしている。実際はどうか分からないが。

誰しも年をとる。それは当たり前だが、生きている間兎に角最善の状況で居たいと思うのが普通だろう。が、私の周りにも、何かその意欲自体が無くなっているのでは?と思える人もかなり居る。移動を全て車にしたり、朝から晩までテレビを観ていたり、大酒を飲んだり煙草を喫ったりと私からみれば少しは気をつけた方が良いのにと思うが、むろんそれはあくまで本人が決めることであって、私が家族でもないのに別に口出しする理由はあるまい。

日本が世界一の長寿社会なのは結構だが、長寿なら最も良い生活を長く送りたいと誰もが思うだろうが、何が良い生活なのかは人それぞれの考えることであって、私は体が動き、ネットなどでも普通に続けられるレベルの能力を維持し続けたいと思っているわけだ。あくまで私はそうしていると言うだけだが。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 歩き中毒

前回もそれ以前も書いているが、私は兎に角やたらに歩く。自分ではそれが大きな理由だと思っているが健康的には極めて良好だと思っている。実際に記憶にある限り風邪をひいたこともないし、何かの病気になったことも無い。人間だから日によってはだるいとかやる気が起きない、起きるのがどうも面倒くさいなどもあるが、そんなときにはなおさら外に出て兎に角歩く。2、30分も歩けば、それなりに気分はシャンとするしそれに伴ってやる気も起きる。ということで、単なる健康のための歩きではなく精神的にも確かに効果がある。

それは良いが、精神が高揚したら早速家に戻ってやることをやれば良いのにそのまま歩き続けてしまうのがどうも気になる。天気などにも依るが気がついたら三時間ほど歩き回ってしまったなどはざらにあり、一寸間違ったなぁと思う訳だ。

が、いずれにしても歩くことでおそらく年齢にしてはかなり全ての健康状態が良いし、実際に簡易健康診断でも問題なしとされている。それこそ血液検査、尿検査、各種診断などで良いという結果が出ているのだからそれなりに安心はしている。ただし、健康診断で全ての病気が発見出来るわけでは無い、つまり見落としも多々あるだろうから、油断をしているつもりは無いが精神的には極めて安心しているということだ。

この健康状態の最大の理由が、歩き中毒によるものだと自分では思っているわけだ。言うまでも無いが、食事にもそれなりに気を使っているし煙草は吸ったことがなく酒は多分20年ほど前にほぼ断酒している。今はごくたまにお付き合いで銚子一本位は飲むときもあるが。

それが続いているのもつまりは歩き中毒のためだと思っているので、明日も天気次第だが少し余分に歩いてみようかなどと考えている。近くは兎に角歩き回っているから、電車で少し移動してそこから新しいところを歩き回ってみるなどもよい。歩くために電車を使うのはどうかと思わないでもないが、電車やバスを使わないと歩きたい場所に行けないのだからしょうがない。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 健康診断を受ける意味

私は毎年簡単な健康診断を受ける。今のところ問題は無いと診断されそれなりに安心しているが、ただ知人にこんなことを言われた。どんなに安心していても知らない間に癌に蝕まれて苦しんだり、急にからだが動かなくなった、一気にどこもかしこも駄目になって、ほんの一年位で元気に動けたのが、真面に歩くことも出来なくなる。だからその為の準備はして置いた方が良いと言うわけだ。

まあ、それも一理あるとは思うが、それはそうなったらなった時の話で、今体が動くなら積極的に動かして生活を楽しむことに金を使う様にしている。いくら医師が今は問題が無いと言っても、医師の診断が常に正しいわけではないし、診断ミスも当然あるはずだが、自分でそれを指摘出来るだけの診断技術があるわけではない。

それなら医師の言葉をそのまま事実として自分の生活を楽しむのが本来の健康診断だと私は思っている。実際に知人でも、人間ドックでまず大丈夫だと言われたその一週間後に心不全でなくなった人が居るし、私より若いが普段から極めて丈夫で一切病気の気配がないと思っていた人物が、ある日家族が見つけたのは、彼が居間で倒れて息が途絶えていた姿だった。普段から非常に大酒を飲む人物だったのでそれがたたったのではないかと思うが、それを家族に言ってもしょうが無いし、明日気がついたら私自身が死んでいることもあり得るかも知れない。それを気にしても仕方が無いということで、それなら幸い今の状態で生きていることを事実としてそのように生きて行くつもりだ。だから、最近は色々なところに時間をかけて旅行したりするし、先日も一月かけて旅行をしてきた。

来年は春にほぼ日本のメイン地方を2月ほどかけて歩き、秋には地方都市を二週間ほどかけて歩き、その間にも近郊を歩き回るつもりでいる。確かに疲れるけれど、歩けるうちに歩く方が良いと自分では決めている。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 文章書き

何度か書いているが、私は頭の体操の意味で様々な文章を毎日書いている。日記などは、毎日の記録という意味より、好き放題時にはフィクションなども書いている。それがおそらく毎日1000文字程度、同様毎日のブログは1500文字程度、そしてそれこそ好き放題を書き散らす小説などを思いつくままに書いているが、今までで長編で30作余り。最大で四百字詰め1300枚程度だし、そして短編は400字詰めで2、3枚程度で800作程度。これは気が向いた時は数百文字を一気に書く。

以前は自分専用の四百字詰め原稿用紙を作ってそれに書いていたが、今はPCで好きなだけ書くようになった。そして書きかけというか途中まで書いている小説などは今ざっと数えてみたら短編は数百、中長編で10作ほど有るようだ。

繰り返すが、別に小説で生活をするつもりは更々無く、単に頭の体操の意味で、つまり小説だから好き放題どんなでたらめでも嘘でも書けるわけで、それが頭を刺激していると自分では信じているから、まさか自分で書いたフィクションを信じているわけではない。それが、今では上記の日記にも同じやり方で書いているということだ。ただし、この様に外部に読んで貰う文章は、むろんでたらめなどは書かないが。

だから、文章は好きなときに好きなだけ書いているが、本来書くだけなら自動的に頭の中の文章を指先に移せば良いだけだから、それこそ好きなだけ書ける。本来それが職業なら、好きなだけ書いた文章を自分でチェックし練り直し書き直すことで本当の文章になるのだが、わたしの場合は仕事ではないので書き散らしてそれでお終いと言うことだ。

頭の体操という意味では、実生活で使う事もほとんど無い外国語も学んでいる。幸い今ではネットで教材にも困らず、それなりに自分の実力が分かるのだから、その意味で頭の体操の効果がどれだけ上がっているかよく分かる。

私にとって文章書きは生活を支えるためではないので、嘗て仕事上で書いていた文章とは意味が異なるからこそ、今は出来る頭の体操だと思っている。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 外国語の学習

私自身は嘗て仕事のために英語を話さざるを得ず、その為にかなり力を入れて英語を学んだおかげで、それなりに英会話は出来たし、仕事分野では専門知識を英語で話し合ってそれなりの契約なども出来た。場合によっては英語でかなり激しい口論も出来た。今は当時の英会話能力は無いと思っているが、ネットの発達で通常の日常会話などをいくらでもネットで見たり聞いたり出来る事で、日本語だけでは得られない海外事情なども知ることが出来るようになったのは、思いがけない利益だった。

その為もあるだろうが、もう使う事も無いと思っていた英語を今はネットを使って積極的に学び直すようになり、かつて苦労した時期よりも楽に会話能力が上がっていると思う。

またかなり前から他の言語、例えばフランス語、ドイツ語、スペイン語なども学び直しこれらは嘗てはまあ日常会話位はなんとかなったレベルだっただけだが、今はそれにも及ばないものの確かにレベルはそれなりに上がっていると思う。

日本人は日本語だけで全く生活や修学に不自由しない珍しい国で本来外国語を学ぶ必要は無い。それでも私が外国語を今になってもマイペースで自習しているのは、一にも二にも頭の活性化のためだ。

人間は頭の中で言葉を使って物を考える。その意味で言語を学ぶとは身体を動かして鍛えるのと同じように脳を動かして脳を鍛えるのに非常に都合の良い道具だと言って良い。もちろん、趣味に没頭するとか友達を作るとか、読書をするとか脳を鍛えるための方法は沢山有るし、私もそれなりにそうしているつもりだが、それは基本日本語を脳の中で使ってしている事であって、鍛えられるのは限られた脳の部署だ。外国語は日本語とは違う場所を使うのでその意味で脳を鍛えるには良い方法なのだと何かで読んだことがある。まあ、そのような理屈はともかく、自分が楽しめて、確実に成果を確認出来るなら語学学習も良いかと思う。そしてネット時代、日本語だけでは得られない情報が得られるならそれもまた大きな利益だろう。確かに自動翻訳機能などもネットにはあるが、時にとんでもない誤訳があるし、やはり自分で理解出来るならその方が良いのだが。

by ロクスケ
























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健康で生活するために アルコールは一滴も飲まない

実は私は嘗てはかなりの酒飲みだった。仕事の付き合い上場合によっては毎日かなり大量に飲んでいたし、その為か一升酒とかウィスキーを丸々一本開けるなどもあった。その時期にもアルコール中毒の人間をかなり見たし、自分もこのままでは危ないかと不安になった事もある。

知っている人達が飲み過ぎで肝臓障害だけではなく、心不全などで死ぬケースが多かったし、更にアル中をこじらせて家庭崩壊をしたなどもよく聞く。いや、私が本当に世話になった恩人が、ある日家族の知らない間に心不全で亡くなっていた等を知って、自分はどうなるのだろうと不安になった事もある。またネットなどでもアルコール依存症は大きな社会問題になっていて、その対策のための団体なども全国にあるそうだ。

さて、私だが昔は仕事上、付き合いでかなり飲んだが、上に書いたように、前日まで普通に健康だった人が、次の朝亡くなっていたと知って、それを機会に断酒をしたわけだ。本当に出来るだろうかと不安だったが、自分でも信じられないほどあっけなく出来た。なにしろ前日まで大酒を飲んでいたのが、次の日から一滴も飲まなくなり、別にそれで苦しんだとか我慢をしたなども無かった。体質なのだろうがそれまで聞いていたアル中の人の苦しみが、自分にもあるだろうと思っていただけに、自分で信じられない思いだった。

多分それ以後十年以上全く酒を飲まず、これなら大丈夫かと試しに付き合いで飲んでみた。とは言え別にむさぼり飲んだわけではなく、お付き合いでビールをコップ一杯あるいは酒を徳利一本程度で別になんともなかった。

そしておそらく去年辺りから一滴も飲んでいないし、別になんとも感じない。よくまああれだけ飲んでいたのにこんな事が出来るもんだと自分でもあきれている。今のところ健康診断でもアルコール関係の問題も含めて何も無い。

だから絶対に大丈夫ということではないのだろうが、今のところその関係の不安は無い。そして考えれば当たり前だが、その分の金も例えば旅行などに回せることが本当に良かったと思っている。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 詐欺メール

最近ネットでは詐欺メールが話題になり、また警察などは詐欺メールにはくれぐれも注意するように繰り返し呼びかけている。メールだけではない、電話にもいわゆるオレオレ詐欺などが近年巧妙化し、特に高齢者などが被害を受けているようだ。

それに対し私は対策を執っている。まずメールだが、会費が滞っているので連絡しろ、等と言うメールはタイトルだけで直ぐに消却しているし、如何しても疑問ならメールに応えるのではなく、そのメールを寄越したという会社などのHPをチェックしたりしている。またSNSやブログなどに私自身の個人情報は一切載せていない。ましてカード番号や銀行口座番号など載せるわけがない。

またネット上に私の個人情報を載せるなどは絶対にしないことにしている。SNSで個人情報を掲げるなどもってのほかだ。

それでも詐欺の手口は年々巧妙になっているので、私個人がいくら頑張っても完全な対策がとれるわけがない。なにしろ、専門スタッフが居るはずの大手企業がランサムウェアなどの被害に遭うことが最近話題になっているからだ。

ということは仮にわたしがネットを完全に止めたとしても私の乏しい銀行預金が盗まれたり、カードが使われることはあるのかもしれない。それならむしろ積極的にメールを自分でしっかり管理した方がましだとは思う。例えばカードを使うと、いつ何処でいくら使ったという確認がメールで知らされてくるが、それは毎回しっかり確認している。今のところ、幸いにも覚えのないカード使用被害は無いが、絶対無いと断言出来るわけではない。

インターネット自体、近年急速に進化しているが、そのネットを使う人間一人一人がその進化に対応するように知識を増やす技術を向上させるなどあり得ないのだから、結局はインターネットは現在は必要不可欠になっていても、しかし絶対安全という根拠は無いとの意識も常に持っている必要があると思っている。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 余り神経質にならない

自分の健康のために、私はそれなりに色々調べたり自分の健康のためには何をするのが良いかを可能な限り調べているつもりだ。が、私はその筋の専門家ではないし、例えばネットなどで色々調べても様々な事が書かれ何が正しいのか分かる筈が無い。

また専門家、医師などの記事を読んでも同じやり方について真っ向から反対のことを書いている専門家、医師達が居る。となると、専門家でもない私に誰の言うことが正しいのかなど判断出来るはずがない。

となると、結局試してみて自分の体がどの様に反応するかで確認するしかないだろうし、そもそも人間の身体は一人一人が違うのだから、誰かがやって効果があったとしても同じことをして同じ効果があるとは限らないだろう。

以前書いたが、嘗て私はかなり飲酒量が多かったが、今は一滴も飲んでいない。しかし、一方酒は百薬の長等と言う言葉もあるし、また酒を適量飲めば精神的なストレス解消に繋がり健康にも良いとの説もある。それも尤もだと思う。が、私は一滴も飲まないことに決めた。そうする前から、殆ど飲まない、精々月に2,3回缶ビール一本あるいはお銚子一本位を飲む程度だったが、それも今は全くしていない。

あるいはウォーキングは身体に良いとされ、一日7000歩位を急いだりゆっくりで歩けば身体に良いが、歩きすぎると体を壊す等とも言われているようだ。が、私は自分の体がそれにきちんと反応しているのであれば時間の有るときは長距離の早歩きをしている。

最長25Km位を殆ど速歩で歩くなども結構やっているし、今のところそれで体調がおかしくなったという自覚も無い。

食事にしても、味の濃いものは食べないしそもそも外食は殆どしない。

これらは最初は健康のためとして始めたことだが、今ではやれるからやって、逆効果がないならそれで良いだろうと言うだけのことだ。つまりあまり神経質になっても余り意味は無く、あくまで自分の体の反応で何を如何するか決めれば良いと思う。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 歩きすぎは駄目か

前にも書いたが私は毎日よほどの悪い天気出ない限りかなりの距離をかなりの早足で歩いている。少なくとも5000歩ほど、歩くときは20000歩ほど歩くときもある。確かに健康維持、体力維持の為に歩いている面もあるが、むしろ歩くことで体がシャキッとするのが確認出来るからだし、そうなると頭もシャキッとする。

私と同年齢で、移動は本当に近い距離でも車を使い続けることで歩くことが真面に出来ずよたよた歩いている人も結構居る。そういう人達から見れば、私の歩く速さは理解出来ないのだろうと思うし、まして私が走ったりするのを見ると本当に驚いているようだ。走ると言っても精々数十メートルを走るとか、広い横断歩道を点滅している青信号が赤になる前に渡るためだ。

だから、今も歩道橋の階段を駆け足で上り下り出来るが私よりかなり若い人でもそれが出来ない人も居るようだ。ということで、私は歩くことで体力を維持していると思っているし、20年ほど、覚えている限りインフルエンザは無論、通常の風邪もひいたことがない。

万々歳だと自分では思っているが、ネットなどを見ると歩きすぎで急速に運動能力が落ちる、体力が落ちるなどと言うのもあるようだ。自称医療専門家の記事などにもあるが、それはそれとして今のところ歩くことで体力的にマイナスになっていると言う自覚はないから、今のペースで歩くことは止めないつもりだ。まあある日突然駄目になるかも知れないが、その時はその時だ。

歩くのは家の中でも歩いているが、それは意識もしていない。外歩きは大体一時間から二時間位だろうが、唯途中で買い物をしたり立ち話をしたり景色を眺めたりその写真を撮ったりで正確に歩いている時間はそれなりに短い。

今はスマホに歩数計があり、それなりに歩数を記録しているが、この歩数もかなり実際とは違っているのは知っている。がそれでも良いとしている。歩数確保が目的ではなくあくまで身体の反応に従って歩き方を変えている。

将来どうなるか確信はないとして今のところは歩くことがマイナスになっているとは思わない。

by ロクスケ
























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健康で生活するために テレビを観ない

わたしはテレビを全く観ない。前は観ていたが、何かの番組をついつい観ていると、その間他のことが全く出来ないし、昔と違い別にテレビを楽しむという気が無くなっているからだ。楽しむならわたしは色々な物作りをしたり外歩きをしたりパソコンで色々なことをしたりしているし、その間付けっぱなしにしているラジオならBGMで、聴こうが聴くまいが問題も無いからだ。つまり時間の無駄をそれなりに省ける。

そしてテレビを観なくなってから、テレビ番組は案外つまらないと思うようになった。周囲の高齢者など仕事をしなくなってから何か動くのも面倒くさくなってついテレビを一日何時間も観るようになったという人が結構多いようだ。そしてわたしが散歩などでかなりの早足で歩く、時には走る等を見て驚いているそうだ。

むろん、テレビを観る観ない、歩く歩かないはそれぞれの人が自分で決めることの筈だが、現実にはそんな選択を考えたことも無く、ただ動くのが面倒くさくなったからテレビを観ていると言う人が居たのにはなんとも応じかねた。

わたし自身はテレビを観ないことで精神的にも体力的にもそして色々やりたいことが出来る事もずいぶん得をしていると思っているが、それは人それぞれ、わたしがそうだから他の人もそうしなければならないとわたしが考える理由も無い。だから、上記の様に殆ど歩かず外に出るときはほんの近くへの買い物でも車で行く人にわたしが何かを言う理由も無いということだ。もし、本人がテレビを止めてその代わりに歩くとは物作りでもをした方がシャキッとすると考えたら、誰かにとやかく言われるまでもなく自分でそうするだろう。

昔テレビが無かった頃などは、高齢者でもそれなりに外歩きをして買い物などにも歩いて行っていたと思う。色々な理由で当時の平均寿命などは今よりも短かったろうが、今は医療技術の進化などで寿命が延びたとされるし、確かに昔よりも元気な高齢者は増えている。が、歩くのに苦労している人もかなり多い。

が、それでもテレビを観るだけの人が結構多いような気がするし、そういう人でかくしゃくとしている人は観たことが無い様に思うのだが。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 誰でも年をとる

十年前に比べると私は当然ながら十歳年をとっている。年代にもよるが私のような年代だと、一年一年でみるみる体力が衰えるのだそうだ。確かに同年配の知人友人達でも暫くぶりに会ったりすると歩き方一つ見てもかなり弱っているようにしか思えない場合があるし、姿勢、話し方などなどどれもこれもかなり変わって来ている人が多い。本人達は年をとるのだから仕方が無いと思っているようだが、どうもわたしにはピンとこない。

むろん、十代二十代どころか三、四十代の頃よりも運動能力は落ちているのだろうが、私自身の自覚ではそれほど体力が衰えた気がしない。五キロ位ならほぼ毎日それなりの速歩で歩いているし、場合によっては数十メートル位ならかなり速く走ったりする。実際はどうか分からないが自覚している感覚では三、四十代の頃よりもむしろ速いんじゃないかと思うときもある。というよりその頃は歩くと言うより移動は交通機関や車を使っていたから実際に歩いていた距離は現在の十分の一も無いのではと思う位だ。

誰でも年をとる。これは当たり前だが年をとるから衰弱するというのは人によって違うだろう。むろん、私がいつまで今の体力を保てるか、いや何かの病気で一気に駄目になったりすることはないかという心配が無いわけではないが、それを考えても仕方はない。幸い毎年受けている簡易健康検査では、問題ないとされている。

体力だけではなく、たとえばネットをやったりサイトを運営したり動画を作ってみたり等、そして前にも書いたとおり現在は生活上使う事の無い外国語を学び続けたりしている。曾て使っていた外国語能力を失うのが惜しいのと、なにより頭の訓練になるからで、その意味で文章書きをしたりするのもずいぶん精神的な若さを保っている理由だと思う。あと、様々な物作りを楽しんでいるのも同じ理由だ。あくまで私はそう思っているだけのことだが。

それなら私もいずれ死ぬときは来るのだろうがその時まで自分のことは自分で出来る状態を保っておきたいといつも思っている。いまはそれが生きがいになっているのかも知れない。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 山菜を食べる

以前も書いたが私はよく山菜を食べる。ネットなどには、どこどこの山に行けばこんな山菜が採れるなどの記事があるが、わたしの場合それこそ町歩きをしながら公園や道ばたなどにある山菜を採ってきて食べるだけで、わざわざ山菜採りに山に出かけるようなことはしない。

普通歩いていて目にしているはずの道ばたの雑草、公園の雑草、川縁などにある雑草のうち、実は普通に食べられる物が殆どだと言って良い。ただし、食べて旨いかまずいかは別の話で、わたしの場合は自分が気に入った物しか食べない。

例えばイタドリの若芽、タンポポの葉や根、土筆、ノビルなどなど季節に依るがいくらでも採れる。また季節になればキノコも採れるが、以前はキノコも食べられる物を取っていた。が今は採らない。手入れが大変だし、今ならキノコは普通に安く買えるからわざわざキノコ採りに行くなどもしない。

わたしの場合別に趣味で山菜を採っているのではなく、それなりに味わいが有るからであって、野菜を買いたくないからでもない。食べ慣れると、これらの山菜は結構旨いからだ。

ただし、当然ながら中には毒を持つ植物もあるので、絶対に自分で確認出来る山菜だけを採るのには気をつけている。水仙やアジサイ、キョウチクトウなどもよく見かけるかも知れないがこれらはとんでもない毒を持っているので、間違って食べる事のないように気をつけるのは当然だ。

山菜を食べることが健康で生活するために役立つかは本当は別の話だろうが、あくまで好奇心を満足させるみたいな事で言えばまあ関係があるだろうと、自分では思う。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 山菜を食べる

以前も書いたが私はよく山菜を食べる。ネットなどには、どこどこの山に行けばこんな山菜が採れるなどの記事があるが、わたしの場合それこそ町歩きをしながら公園や道ばたなどにある山菜を採ってきて食べるだけで、わざわざ山菜採りに山に出かけるようなことはしない。

普通歩いていて目にしているはずの道ばたの雑草、公園の雑草、川縁などにある雑草のうち、実は普通に食べられる物が殆どだと言って良い。ただし、食べて旨いかまずいかは別の話で、わたしの場合は自分が気に入った物しか食べない。

例えばイタドリの若芽、タンポポの葉や根、土筆、ノビルなどなど季節に依るがいくらでも採れる。また季節になればキノコも採れるが、以前はキノコも食べられる物を取っていた。が今は採らない。手入れが大変だし、今ならキノコは普通に安く買えるからわざわざキノコ採りに行くなどもしない。

わたしの場合別に趣味で山菜を採っているのではなく、それなりに味わいが有るからであって、野菜を買いたくないからでもない。食べ慣れると、これらの山菜は結構旨いからだ。

ただし、当然ながら中には毒を持つ植物もあるので、絶対に自分で確認出来る山菜だけを採るのには気をつけている。水仙やアジサイ、キョウチクトウなどもよく見かけるかも知れないがこれらはとんでもない毒を持っているので、間違って食べる事のないように気をつけるのは当然だ。

山菜を食べることが健康で生活するために役立つかは本当は別の話だろうが、あくまで好奇心を満足させるみたいな事で言えばまあ関係があるだろうと、自分では思う。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 習慣を見直す

今回は先に手帳を使わなくなったという記事を書いているが、私自身他にも生活習慣を常に考え、変える物は変えるようにしている。分かりやすく言えば曾ては思いついたことを手帳に書くのが習慣だったが、今ではスマホのメモに書き込んだり、PCのそれぞれの分野に書き込む。つまりメモの習慣を変えているわけだ。同じように、曾ては自分専用の400字詰め原稿用紙などを作っていたが、今は使う事も無く大量に残っている。

曾ては仕事の関係などで外食が多くお付き合いで酒もかなり飲んでいたが、今では外食は殆どしないし、酒は今は一滴も飲まない。曾ては気になってやたらに掃除をしていたが、今は必要な場所は掃除をするが纏めての掃除は計画して時間を作ったとき以外やらない。

曾ては仕事上それなりに身なりに気を使っていたが、今は兎に角動きやすく簡単に洗濯のできる作業服、作業シャツしか着ない。曾て着ていた背広などは大半処分した。作業服、作業シャツならいちいちクリーニングに出さなくても良いし、頻繁に洗濯機に放り込んでボタンを押すだけで良い。

曾てはテレビも観ていたが、知らない間に時間が経ち、しかも観ていた内容が殆どつまらないので、今はテレビは全く観ない。同様新聞もとらない。全てネットで事足りる。

年齢体力の関係もあるが、時代がそれこそ気がつけばとんでもなく変わっていて、しかも人間はそれが当たり前のように感じている。曾て町中に公衆電話があったが、今では探さなければ見つからないし、第一公衆電話を使う事は全く無い。曾てはことある毎日本を買っていたが、今はネットで読める本が安く簡単に買えるし、ネットなら文字のサイズなども好きなように変えられる。また読書端末があれば、数百冊でも持って歩ける。つまり紙の本を買うことはほとんど無くなったし、どうしても読むなら図書館で借りれば良い。自宅の書庫の本は、大部分処分してスペースを確保している。

つまり時代が変化し、自分では気がつかないうちに曾て自分の習慣としてやっていたことが今は別の方法に切り替えた方がよほど良く効率的だということが無数にあるのだから、常に自分の習慣はこれで良いのかどうかを考え見直した方が良いと言うことだ。

人間年をとると時間経過が幾何級数的に早くなり、自分の能力は幾何級数的に落ちる。それなら常に自分にとって何をどの様にすれば一番効率が良いのかを常に考える必要があるということだ。

by ロクスケ
























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健康で生活するために 絶対断酒

曾て私はかなりの大酒飲みだった。なにしろ仕事で接待などがあると、それなりに飲むし、同僚と仕事帰りに飲み屋に行くとか、自分で酒を何本も買い込んで置いてほとんど毎日飲んでいたような有様だ。

しかし、今は一滴も飲まない。酒は百薬の長だとよく言われていたし、また確かに緊張感をほぐすなどのために良い面もあるのかもしれないが、実際は色々考えてみて酒を飲むことで得るものは無いと思う。確かに仕事上の付き合いで飲むことはあるのかもしれないが、昔はそれが普通であり、今は若い人などで殆ど飲まない人も増えているという。

実際に酒を毎日飲んでいてある日ぽっくり逝ったとか、アル中になったとか、酒を飲まないと何も出来なくなる人なども居るようだし、確かに昔は周りにそれこそ酒浸りになっている人はそれなりに居た。そして大体生活が真面とは思えなかった。また、大酒と直接関係あるかどうかは分からないが、非常に健康だと自慢していた知人がある日突然心不全で死んでしまった。彼は毎日主として焼酎をかなり飲んでいた。

私が酒を一滴も飲まないと決めたのはほぼ一年前で、それまではお付き合いなどで時に缶ビール一本あるいはお銚子一本の酒位は月に一、二回飲んでいたと思うが、今はそれこそ一滴も飲まない。それも理由の一つだと思いたいが、食事にそれなりに気をつけていること、毎日かなり歩いているなど身体を動かしていることもあって、それなりに体調は良いし、毎年受けている簡易健康診断でも問題なしとされている。

考えて見ると、曾て大酒を飲んでいたときは殆どただ飲んでいたというだけで酒自体を楽しんでいたという感覚は思い出せない。今はやりたいことが沢山有って、酒など飲む気にはならないというのがほんとうだ。飲むと集注しなければならないことにも集中出来ないからだ。

酒を減らせば良いというなら、完全に止める方がよほどすっきりするし、様々な事で利点があると思う。

by ロクスケ
























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