★目次 ★ ■ リタリンと省エネ musica ■ ADHD障害者の痴呆老人介護 V (投稿) いっこ ■ AD/HDの息子を持つ母親です (投稿) みゆき ■ 生きる期間 ナオニャム ■ 細切れ時間の使い方 ロクスケ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ---------------------------------------------------------------------------- ■ リタリンと省エネ リタリンと省エネと言う言葉は、私の主治医の基本的な考え方です。リタリンを飲むと、があっと仕事などをやってしまう。そのリバウンドを避けるために、なるべくやらなくてよいことは切り捨ててしまえ、ということである。引き受けられない仕事は引き受けない、やらなくても他の人がやってくれるものはやってもらう、というようになるべく自分の仕事を減らすことを考える必要があるというのである。 また、休みの日はなにか、趣味をもってリフレッシュすることが必要だとのこと。 しかしながら、私の職場は毎日残業であり、とても自分の仕事を減らすことはできない。そうすると、省エネできるのは、家事だけである。家は散らかり放題、足の踏み場もなくという状態になってしまう。 「〜しなければならない」という概念を捨てること、とドクターに言われるが、女性の有職者は、家へ帰ったとたんに料理、洗濯、片付けが待っている。そして、お風呂に入って寝るだけである。子どもが小さければもっとたいへんだろう。 私は、家事を捨てることにした。最低限しかしない。仕事の手を抜くことはできない。多大な波及効果があるからだ。 そして、料理もほぼ捨てることにした。出来合いを買ってくるのだ。それでも、日曜日は食べるものがなくておなかをすかせながら、料理をするか、がまんするか、天秤にかけてしまう。その上で、息子に「めし」とか言われると、かなりむっとしてしまう。 リタリン服用者の省エネは相反することなので、非常にむずかしい。名案があれば、誰か教えて欲しいくらいである。 by musica ----------------------------------------------------------------------------- ■ ADHD障害者の痴呆老人介護 V 車の中は、息苦しい空気に満ちていました。これから一体何が起きるのか、誰も、何も口には出来ませんでした。病院に着き、エレベーターを待つ間、逃げ出したい衝動に駆られました。 教育入院に至った理由が、解りました。3ヶ月程前より、血糖値が異常に高くなり始めたのは、痴呆症状により、のべつ幕なしに食べたい物を食べた結果だったのです。後に家の片付けに行った際、近所の方から、尋常ではない数々の話が出てきました。そして、何と、日赤に転院後、脳梗塞を起こしていた事も、判明。梗塞が前回と同じ、物を見て判断する視神経を司る箇所だったため、違う物に見えてしまった事も、痴呆に拍車をかけたようでした。 実際に姑を前にし、話をすればするほど絶望的なものを感じ いよいよ大変な事になったと思いました。病院側の説明では、まだ脳の腫れが引いていない為、痴呆がどの程度進行しているのか、判断しかねるとの理由で、摂り合えず、しばらく入院し、脳の腫れを診ていくとの事。今のままでは、退院は、当分の間、出来そうもないと言う言葉に、ああ、少し、考える余裕が出来たと言うのが、私の正直な思いでした。先の対策を練る為に、私達は一旦帰宅しました。 幸い、最初に入院した病院が、姑の状態をよくご理解くださっていた事が、私達の救いになりました。担当医が既に公的機関に介護認定の申請をしてくださっており、即効で、介護申請中のサービスを受けられる事になったのです。しかし、この介護認定が、後々、私達の気持ちを大きく揺さぶる事となるのです。 介護認定は、市派遣の面接員が、家族と本人に聞き取り調査を行い、1〜2ヶ月の間に審査され、認定が降りるシステムです。派遣員は、医療系の方と、福祉系の方といらっしゃいますが、私のような障害の場合、充分理解して頂くには、やはり、医療に携わってらした、医療系の面談員が好ましいです。1回目の申請は入院中の病院から関西の都市に出され、最初に入院していた病院のしっかりとした「痴呆」のお墨付きでした。 帰宅した私達は、一体何から始めて良いのか途方に暮れました。まずは市の福祉課に出掛け、「老人福祉課」と書かれたカウンターに向かいました。担当の「伊藤さん」は、まだ20代前半の若い女性。個室に通され、それはそれは親身になって話を聞いてくださいました。 そして何より、彼女がADHDを認識してくれていたのが、救いでした。退院時に各施設に提出する診断書を、用意する事。介護認定診断員に示す私の診断書を用意する事。それから、早急に特養(特別養護老人施設)と老腱(老人保健施設)に入所申し込みをする事など、私達がしなければならない事柄を、羅列してくださいました。ADHDの私にとって、今にも混乱し、爆発しそうになる気持ちも、伊藤さんの見事な対処で、一つに何とかまとめる事が出来ました。こうして、私達は、私の障害と共に、新たな「痴呆老人介護」いう難題に立ち向かう準備を始めたのです。 by いっこ ---------------------------------------------------------------------------- ■ AD/HDの息子を持つ母親です 私たちにいただいたメールを、ご了承の元に掲載させていただきました AD/HDの息子を持つ母親です。「ひらめきすぎる人々」を読ませていただきました。 自分を反省すると同時に、自分を見つめることができました。つい叱ってしまうわたし。わかっていてもつい..ついって..AD/HDかな?って思いました。子供のことで精一杯で十分のことなんて考える余裕がありませんでした。だからと言って、対人関係に問題があるわけではないので特にカウンセリングを考えているわけではありませんが自覚することで、子供への接し方が変わるかな?と思いました。元来、わたしはうぬぼれ屋なのでしょうか。けっこう自分が好きです。f(^^;息子にもそうなってほしいと思っています。 息子は小さい頃から、なんというか、他の子とどこかが違っていました。すぐ迷子になるし、迷子だと自覚せず「まわりがいなくなった。」と思い込んで一生懸命探そうとするから、よけいに見つけられない。人なつっこくて、「知らない人に声をかけられてもついていってはいけない。」と言ってあったのに、知らないおじさんと手を繋いで歩いている。どうして?と聞いてみるとお友達と約束している公園にひとりで行くのが怖くて自分から「一緒に行って。」と声をかけたのだとか。自分からって。(^^;でも、そんな息子が憎めないというか、かわいくてしかたありませんでした。(今も)親戚の人たちからも可愛がられています。 でも、小学校生活は甘いものではなく..いろ〜んなことがありました。息子は情緒障害児学級に通っています。板橋区に住んでいますが、区内小学校に3校、中学は1校しかありません。通常学級に籍を置き、週に1度通っていますが、息子の通っている学級は先生が3人。だいたいひとりの生徒にひとりの先生の体制なので単純に考えても週5日で3人=15人しか通えません。先生がうまくやりくりしても、手のかかる子もいるため20人も通えないんです。通えない子、週に1度ではどうにもならない子は必然的に5組に行くか、通常学級でがんばるしかありません。幸い?息子も激しく荒れていたことがあるためスクールヘルパーが週に3時間ついていますがスクールヘルパーも数が足りず、ついてもらえない子がほとんどだと思います。 去年、理解して欲しくてNHKの「にんげんゆうゆう」に出演しました。でも、結局「何で5組に行かないの?」というような事を言われたりして難しさを痛感しました。普通に見えるからと「親が無関心だから。。」とか「過保護。」陰口を言われ障害だというと5組に行けば..みたいな理解の無さ。そういう心の貧しい社会において、息子はどう生きていくのか、とても不安でした。本を読ませていただいて、AD/HDとうまく付き合っていけるようにサポートしていこうと思いましたし、息子自身が切り開いていってくれるかな?と思えるようになりました。少し気持ちが楽になりました。また、多くのお母さん達に呼んでほしいと思いました。AD/HDに関す売る本はよくありますが、どう付き合うか。という内容がほとんどで将来を見ることができないように思います。子供がAD/HDとどう付き合うのか、また将来を感じることができてよかったです。 情緒障害児学級に通っている子の保護者や先生にも本を読んでもらおうと思います。また、HPで紹介させていただいております。文章がまとまらず、長々とごめんなさい。 でわ。。 ゜☆・.*★*。゜☆・.*★*。゜☆・.*★*。゜☆・.*★*。゜☆・.*★*。 鈴 木 美 由 紀 URL:http://members.jcom.home.ne.jp/hanyimiyuki MAIL:hanyimiyuki@jcom.home.ne.jp ---------------------------------------------------------------------------- ■ 生きる期間 先日、仲良くしていただいていた私よりずっと年上の友人が突然亡くなりました。あまりにも突然のことだったので涙も出ないくらいの衝撃を受けました。 この事が起きてから、前から自分の中で感じていた生きることへの定義が前よりもずっと明確になりました。その定義とは、「本当の人生の長さは、他人もその本人も予想することが出来ない。だけど、みんな100%死ぬという経験をする。」この定義は、もちろん、あくまでも自分の定義なので、他の人には押し付けることは出来ません。ただ、私にとってそう強く感じたことです。 人生の長さは判らない。人によって長くもあれば、短くもある。そう思うと、1日、1日を大切にして生きたい。と、感じます。私自身、鬱になったり、対人恐怖に陥ったり、今 それを克服しようとしたり、普通の人と同じに楽しんだり、色々な経験をしていっています。つらいことも、色々あります。でも、それも1つづつ、大切な経験で、良くも、悪くも出来るのも自分次第。与えられた期間の中でより楽しく過ごして、過去の自分よりもさらに楽しんでいる未来の自分にしていってあげたいと思い始めました。 by ナオニャム ---------------------------------------------------------------------------- ■ 細切れ時間の使い方 ADHDの特徴の一つに時間管理が苦手というのがある。これは、私にとってはまったく迷惑な特徴であったがぴったりと当てはまり、それを克服するためにずいぶん時間を費やしたがなにしろその費やす時間もあまり管理できなかった。 脳の中に時計がない、という結論に達した。これは結婚してみてわかったのだが、台所で鍋を火にかけていて真っ黒にするとか、出かける時間を過ごして待ち合わせに遅れるなどを何度も繰り返していたのに、配偶者はそれを一つ一つ意識していて私に注意してくれる。「そろそろ時間だよ」と言われて台所に行き、ちょうどよく火の通った鍋を無事にガス代からおろすことができたし、大汗をかいて遅刻のいいわけをすることも格段に減った。 時間管理のためにも結婚する価値があったが、残念ながら離婚してからまた元の木阿弥になった。また鍋を焦がし、待ち合わせに遅刻する様になり、これはいかんと時間管理のために生活をともにする相手を見つける様になった・・・これは嘘だが、誰かがそばにいると確かに時間がきちんとしてくる。 だが、私といえども会社勤めをしていたときは遅刻などしたことがなかったし、寝坊もしないし洗顔や服装を整えるなどの日常作業にかかる時間が日によって違うなどと言うことはない。つまり、自分の体にある作業をある決まったった時間内に行う作業をする癖をつければだいぶ改善されると気づいた。また、誰もそばに居ないときは、時間を知らせてくれる道具、つまり時計があるのだからそれを最大限に利用することを工夫すれば効果があるはずだ。 まず、今私が日常的に行う作業にどのくらいの時間がかかっているかをチェックしてみた。すると、洗顔、食後の歯磨き、風呂、着替え、トイレなどかなり決まった時間でやっている事がわかった。ただし、仕事や買い物、読書、飲酒、調理などはかなりバラバラになっている。内容が毎日変わるからだがアラーム時計やタイマーを複数使ってホワイトボードやポストイットと併用してかなり時間を意識できる様になる。そのような工夫をすることで人との待ち合わせに遅れることは、今は全くないと言っていい。 ただ、就寝時間、食事時間、仕事の時間などが今でも極端にバラバラなので、これはある程度決める癖はつけなければならないと思っている。 それとは別に、次の二つの工夫と取り組んでいる最中だ。 1)時たまできる細切れの時間を利用する。何かの時間待ちや思いがけないときに、5分10分の時間ができる。のびをするのも良いが、気を緩めてしまうと、その5分10分が30分1時間になってしまう。 そこで、日頃から5分できたらこれをやろう、10分あったらこれをやろうという項目を決めておく。周りを見渡しゴミを拾って捨てる。お茶を入れ替える。湯飲みやコーヒーカップを洗う、テレビやPCモニタを磨く、引き出しを一つ整理する、メモパッドを眺める、ペン習字をするなどなど。 大きな紙にちょっとしたことでやるべき事を書き出しておいて壁に貼っておく。 手元にタイマーを置いて、何かを始めたらすぐセットする。 2)ながら仕事を活用する 洗濯をしながら掃除をする、歯磨きをしながらメールチェックをする、買い物に行きながらエクササイズをするなどいくらでもあるだろう。ながらの内少なくとも一つは体が覚えていて意識しなくてもできることにしておくなどの注意は必要だ。 まあ、とっくにやっているよ、とおっしゃる方も多いだろうが、私は意識してそうすることで、それなりに成果が上がっていると思っている。 by ロクスケ ---------------------------------------------------------------------------- ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ★編集後記★ ■ 最近、暑くなったり寒くなったり気温の変化が激しいですね。こんな時は体調を崩しがちなので、お互い気をつけましょう。私もちょっと今日あたり鼻がむずむずしているようです。 ■ 仕事で、正確なサイズの合板製の箱を入れ子の形になる様に2こ作ることになり、まあ、それほど難しい作業ではないので、鼻歌交じりで仕上げ塗装をするために並べてみたら、片方が予定の仕上がりと大きさが違うんです。簡単な仕事ですから図面など描きませんが、今までこの程度の事で間違ったなどなかったですし、たんなる誤差の範囲を超えて、一目でわかるほどの違いです。 ■ 寸法を確認してみたら、むろん一方の箱が完全に間違っていました。カッティングのために機械にセットしたとき間違ったのでしょう。ちょっと確認すれば間違うはずのないことなのですが、一ヶ所の板の寸法を間違え、そのセッティングに合わせてほかの板を切ったで、組み立てるときにはちゃんと組あがってしまったのがさらなる確認をしない事につながってしまいました。 ■ 人間誰にでも間違いがあり、もちろん私もさんざん作業上の間違いをしましたが、このような種類の間違いはあまり経験がありません。今回はいつでも手に入るベニヤ板で、すぐにやり直しができましたが、これがかけがえのない材料だった場合はとんでもない損失と遅れにつながります。それでも、慣れた仕事で確認をしないなど、ものを作ることを職業としている人間にはあり得ないと、自分でも思っているのですが。 ■ よく考えてみると、自分ではセッティングの時に確認をしたと思いこんでいたのではないでしょうか。慣れた仕事にはこんな事が起こりがちです。慣れは必要ですが、気をつけなければならないと思った次第です。 『WING BRAIN 第33号』でまたお会いしましょう♪ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ |