★目次 ★

 ■ 聴覚刺激                  musica
 ■ むーんらいずの受診レポート         むん
 ■ 職活動のその後               はるか
 ■ 燃え尽き症候群               musica
 ■ やれるか        連載  5      ロクスケ


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■ 聴覚刺激

 次男は、言語性が非常に優位なLDである。そしてADHDでもある。彼は、耳で聴いたことは、きちんと大脳皮質の奥までインプットされるらしい。
 
 私はピアノを選考していたので、家には2台ピアノがある。次男は、適当に耳で聞いた音楽を、弾ける範囲内でいろいろと弾いていた。もちろん、私は彼に一度もピアノを教えたことがない。だから、運指はめちゃくちゃであるが、よくまあこれだけ弾ける物だと感心していた。
 
 昨日、久々に私がピアノを弾いていると、俺にも教えてくれよお、と次男がやってきた。それで、坂本隆一のエナジーフロー(うらBTTB)を弾くことにした。彼は、ヘ音記号が読めないので、私が弾いてやりそれを覚えるということで進めていった。もちろん、運指はめちゃくちゃだが、私は何人もの生徒さんにピアノを教えたが、はじめからちゃんと習った人以外は、指の運び方はどうでもいいことにしている。というのは、ピアノの指使いというのは非常に独特で難しいからである。
 
 さて、次男だが、昨日で1ページ目の大きなフレーズをクリアした。ものすごい集中力である。1時間半くらい没頭していただろうか。すっかり見事に弾ける様になった。
 
 今日は、続きを教えてくれというので、和音の部分に入って例示し、彼が耳で覚えてから私は、今こうしてパソコンを打っている。ほとんど弾けている。まったくの度素人が、よくここまで弾けると思うのだが、その集中力にも驚く。
 
 耳がいいというのは、ものすごい特技だと私は思う。私は、どちらかと言うと視覚優位なので、字から入ったほうが頭に入りやすい。でも、耳がいいということは、たとえばギターを与えれば、ちょっといじっている間に和音を弾けて伴奏ができてしまうし、CDを聞けば歌詞をたちまち覚えてしまう。
 
 人の言ったことは決して忘れない。私は、人の言ったことを次々と忘れてしまう。だから、聴覚刺激に強い人はとてもすばらしい贈り物をもらっているのだ。
 
by musica

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■ むーんらいずの受診レポート

今回から、僕の受診記録とそれにまつわることについて、レポートしたいと思います。

 1.福島医大に受診

 えと、硬くなりがちなレポートなので、ラフに書かせていただきます…

 今、TVの取材を受けている関係で、担当記者のMさんから、福島県立医大の岡野高明先生をご紹介していただきました。通常、先生に受診する場合、数ヶ月の予約が必要なところ、M記者の紹介ということで、迅速に対応してもらっちゃったのですが、これってほんとにラッキー!てな感じです。

 7月6日に東京.渋谷で、SOAA主催の講演会&SOAA会員の文化祭イベントが行われました。僕は、M記者のお誘いでこの講演会に出席しました。本当は、母が行きたいと言っていたこの講演会ですが、とにかく多忙、と言うわけで僕が出席した次第です。
 
 今回の講演会、先の岡野先生による、ADHD・アスペルガーについての講演で、「発達障害の未来」と言うテーマで行われました。「成人における脳機能の発達障害についての考え方ADHDや広汎性発達障害だけではないのか…発達と内分泌環境の関係は?」ということについて講演されました。
 
 その中で、僕が一番注目したのが、現在の判断基準では、ADHDとアスペルガーの重複診断は禁止されている中、岡野先生の理論によると、ADHDとアスペルガー、あるいは知能遅滞にはそれぞれのスペクトラムがあり、これらの症状のうち、重複していない部分があって、そこに注目するとそれぞれが違ったベクトルをもつと考えられるという考え方です。当事者においてはごく普通にそのことを感じ取っている人も多いですし、僕自身もアスペルガーであると断言されるよりもその方がごく自然に思えるのでした。
 
 先生はモデルを使って説明してくださいましたが、原点から、アスペルガーの軸、ADHDの軸、あるいは知能遅滞の軸があって、原点をごく平均的な状態と考えた場合、アスペルガーの3(便宜上3とします。)までは障害として認知されないが、それ以上になると障害と感じるようになる、あるいはADHDの3までなら社会生活で不具合がないのに、3を超えるといろいろなトラブルが出てくる、といったように、立体的にさまざまな条件の人がいて、その段階が健常者にまでつながっていると言う考え方なのです。
 
 この考え方で、やっぱり自分の考えてたことは間違っていなかったんだと思えるようになり、診断名よりも生活のうえでの障害を取り除くことのほうが重要だということを考えられるようになりました。また、2次障害のメカニズムの説明もあり、どうして今の自分が悩んでいるのかということの認識もできました。

 7月18日、M記者に予約を取ってもらい、主治医の先生にも紹介状を書いてもらって、初診の日になりました。最近数ヶ月は、睡眠障害が出ているようで、早朝2時半に目がさめてしまったので、パソコンのメンテナンスや、そろそろくるHPの更新の仕事の準備などしつつ、持っていく荷物の準備なども始めました。なにせ、出かけるとなると、1度では済まないんです。何度も2階の自分の部屋に行ったり来たりして、それでさえ忘れ物のある始末…。なので、2時半と言う時間もそれほど早すぎると言った感じはなかったですが…。
 
 家を5時半に出発。街まで20分ほどかかるので、その時間に出ないと新幹線に間に合わないんです。東京までも、本来は普通電車で行くところを特急に乗っていきました。東京駅でM記者と待ち合わせて、東京駅の始発の新幹線で福島へ…福島9:00着。病院の受付は9:45まで何とかタクシーで乗付け間に合いました。窓口で32条の事を聞いたら、申請先は1箇所のみで病院が変わると移動しなくちゃ行けませんし手続きが面倒で時間が掛かりますとのこと。仕方ないのですが、普通の保険診療で受診することにしました。

 外来に行き、問診表などを書いていると、予診と言う部屋に呼ばれました。中に入ると、若いインターンと思しき人がいて、今までの経緯や、どんなことで悩んでいたか、育成暦などについて1時間ほどの問診があり、事細かに自分の状態や思っていることを説明しました。前の晩、母に誕生から子供時代の僕の様子について書いてもらい、それをワープロで清書していったところ、ここまで克明かつ丁寧に資料を作ってくる人は珍しいと言われました。アスペゆえのこだわりでしょうか…?
 
 その後、15分ほどで名前が呼ばれ、岡野先生の診察室に入りました。そこでは自分がどのような障害で悩んでいるのか、どう対処してきているのか等を聞かれ、紹介状に添付されていた、昨年9月のWAIS―R知能検査のデータを見せてくれ、どのような特徴があるのかを解説してもらいました。
 
 僕の場合は、言語性、動作性とも正常範囲ではあったのですが、下位検査の結果、数唱、算数、符合という項目が低く、ADHDの特徴も出ており、また、理解の項目ではかなり悪い数値が出ていました。
 
 質問の理解も悪く、答えが出るまでかなりの時間がかかってしまうこと、制限時間を過ぎても先に進もうとしていたところ、意味はわかっているのにどう答えていいのかわからないことがしばしばあり、周りの状況を感じ取れず、マイペースでしか物事に対応できないのでトラブルが多いのではないかと言う所見も見せてもらいました。
 
 そして、今後の治療の目標として、ADHD、アスペルガーの精査と言う方針が決められました。そして、今後の予定を決定し、診察は終わりました。次回は8月の6日、7日の2日間かけて検査をすることになり、その後14日には検査結果についての説明があるという事でした。
 
 9月にも1日、来てくださいとのことで、都合4回、5日間の診療になりますね。実は、今回受診できたのも、取材の一環ということがあったからであって、診察も1番でやって頂けたし、予約だって本来なら数ヶ月待ちのところ、2週間ぐらいで手配していただけたんです。本来なら、僕の自力ではとても福島の病院で何度も診察して貰えたりはしないでしょう。いやはや、感謝、感謝につきますね。

 と言うわけで、次回2日間にわたって検査をしますが、その様子はまた追ってお知らせします。

By むーんらいず(むん)
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■職活動のその後

みなさま、ごぶさたしております。はるかです。

前回の「就職活動」でもお伝えしたように、就職に際しては不況のおり、各社とも選考がさらにきびしくなってきているのを痛感させられた次第です。

自分がするべき、与えられた仕事があることは幸せだなあと感じています。

しかし仕事が見つからずにいるのに「若いもんが、暢気なもんじゃのー」などとハラの立つ一言をかけてくる年長者の方もいらっしゃいます。正直、私だってあせっているのに…あせると、なおのこと結果が出ないからなのですもの。

世間では公務員試験のシーズンですね。民間でも、公務でも「現場第一主義」なのは同じですものね。その気持ちを忘れずに課題に取り組みたいと思います。


まずは夏を乗り切らないと…ガンバレ自分!

それでは、また。

by はるか
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■ 燃え尽き症候群

 昨日、試験が終わった。それまで、何度も本を読み直し、家事をさぼり、とにかく払った授業料の元をとろうと、必死でがんばってきました。でも、終わってみたら、2教科は全然できていない!終わったことは、もう取り返しがつかないので仕方がないのだが、試験準備が悪かったこと反省しきり。そして、待っているのは、たまった家事。
 
 あまり疲れてしまったので、夕寝をしたら、自分が責められている嫌な夢を見てしまいました。仕方なく起きて、炊事場にたまった食器を一気に洗う。洗濯も同時進行である。夕食は何にしようか、と考えては見るものの、体が動かない。精神的に、疲労している感じがする。
 
 何のために、試験を受けたのか。私はいったい何がやりたいのか。なんで、子供たちは汚す人で私は片付ける人なんだろうか。あれこれと、頭に浮かんでは消えていく。
 
 そういえば、発達心理学に45から55歳は、人生の再構築のときだと書いてあったっけ。
もうそんな年だ。バーンアウトしていられないが、半ば燃え尽きている。昔は50歳まで生きればよかったのに、まだまだこうして元気に生きているのは、食生活と治安のおかげかもしれない。だからこそ、悩むのかもしれない。これを乗り越えて、元気に陶芸の講師をやっている80の父がうらやましい。

by musica
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■やれるか        連載  5

 再三書いているが、ADHDには完璧主義者が多い。その結果、とにかく完璧な掃除、完璧は金銭管理、完璧な時間管理、完璧な人間関係にあこがれるのではないだろうか。もちろん、それぞれすべてが完璧に出来るわけはない、と知ってはいる。知ってはいるが、それでも自分の状態はあまりに完璧からほど遠いので、出来ない事を望んでいないか。いわば、それが強迫観念にまでなり、本来必要のないレベルまでの完成度を求め、当然実現できないことからこれまた必要のない落ち込みを背負い込む。
 
 そんなことを何度も何度も繰り返してゆけば、結局は自分には何も出来ないという思いこみが生じ、特別困難な事でもないのに完成出来ないことになる。一度このような状態になると、自分に対する評価は低くなる一方だし、そうなると、今度こそきちんとやろうとなおさら無理な事に手を出しまたへこむ・・・というデフレスパイラルの様な状態に落ち込む。
あるいは、どうせ自分には出来ないと、簡単な事でもやろうとしなくなる。

 むろん、いずれであろうと強いストレスの原因だし、それが高ずると鬱にもなる。また、様々な二次障害の原因にもなるだろう。
 
 これは前回の記事にも重なる事なのだが、多少ニュアンスが違うし肝心な事だと思うので念入り書く。
 
 前回はとにかく100%を目指さないことが必要とかいたが、そもそもどれだけやれば100%かと言う事も考えておかなければならない。そのような基準は自分の満足度と人との比較で決まるのだが、まず:
 
 満足度は当然ながら人により違う。ここまでやれば何も言う事がないというレベルを100とするわけだろうけれど、それを達成することは至難の業であり、自分の本業などひとつにしか出来ない。したがって、誰でも妥協するのだが、これも慣れという問題がある。妥協したレベルで慣れる必要はあるがそれが気にならなくなるということでもあり、知らない間にその妥協点が下がってくる可能性がある。つまり、本来なら満足すべきではない妥協レベルで満足するようになってしまう可能性があるということ。結果は目に見えている。掃除などを例にすれば、最初は妥協したレベルが、取り敢えず床が見え、ゴミが目に付かず必要な物が必要な場所にあると言う状態だったのに、知らない間に必要な物は無かを覆うゴミの間から探し出すようになっていて結局元の木阿弥になってしまう問題がある。
 
 人との比較はちょうどこの逆で、比較する対象がきちんとしていればいるほど、そして大抵目標はそんな状態だろうから、振り返って自分の妥協したレベルを見るにつけ、不満が募り、もう少し妥協点を上げようとする。すると最終的には終わりのないゴールを目指して悪戦苦闘がはじまり、精神的に落ち込むと言う事になる。
 
 とすれば、自分の満足度と人との比較を丁度良いだけミックスして基準を作る必要が出てくる。人と比べれば満足は出来ないけれど我慢しておいて、それでも慣れてくればその妥協点も知らず知らず上がってくるという調整が出来れば良いのではないかと考える。
 
 結論。妥協とは不満を残していて、だが無理をしないと言う事。不満がストレスとならないレベル妥協点を目指せばよいのではないかとおもう。そして、人との比較も、知らない間に妥協点が下がるのを防ぐためにも必要と思われる。
 
 蛇足。テレビなどで映し出される人様の家は特別掃除をした結果であり、本当ならもっとごたごたしていると知るべし。それと比較してもしょうがない。
 
 参考。自分のある時点の妥協点をデジカメなどで撮っておき、半年に一回でも眺めて妥協点が下がっていないかどうかをチェックすると良い。

by ロクスケ
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★編集後記★

    シーズンの花  私の家の玄関先に咲いてました。小さな花で帰化植物紫カタバミです。そういえば、在来種の黄色いカタバミはカタバミのせまい思いをしているようです。
http://addproject.cool.ne.jp/katabami.html

 ■今年は異常気象や自然災害が多いようです。九州の集中豪雨や、宮城県の地震などで多数の方が被災されました。被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。みなさんの地方ではどうだったでしょうか。私は東京住まいで、幸いな事に大きな災害に遭う事もなく、やはり昔から一番災害の少ないところに首都を作ったのか、と感心しています。
 
 ■上京する前もそれほど大きな災害は無かったようですが、それでも台風で1500名以上の人々が亡くなったり、地震で多くの建物が被害を受けたりしていました。東京も、今の所大災害からは遠ざかっていますが、それでも直下型地震が心配されているなど、全く安全な場所はありません。
 
 ■自然災害は、人間の力ではどうしようもありませんが、被害を最小限にとどめるには、日頃からの準備が大切なのでしょう。緊急持ちだし袋をいつも用意しておく、中にはラジオ、電池、懐中電灯、蝋燭、ライター、非常食、薬、飲料水、シートなど入れておく必要があるでしょう。どうも、ADHDにはそのような準備が苦手そうです。私も準備していたのですが、いつの間にかどこかに見えなくなって、探し回った記憶があります。
 
 ■電話も携帯も通じなくなるおそれがあります。家族の連絡方法の確率なども考えておかなければなりません。傾斜地などでは土砂災害も考えられますから、自分の家の安全性の確認、早めの避難準備などの確認も欠かせません。結局は、自分や家族の命は自分で守る意志の問題でしょう。
 
 ■ 家具の転倒防止策、火を出さない準備および初期消火、避難場所の確認等々、日頃から準備して置かなくてはならない事が沢山有ります。わたしも改めてそれらを確認しなければと思っている次第です。




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