Wing Brain メールマガジン 第411号
2017/11/26(日)発行



目次
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● 語学学習の奨め ロクスケ
● 先延ばしについて考える(99) なさ
● 癖付けに関する経過報告(50) なさ
● 連載 第377回 健康で生活するために 耐寒能力を付ける ロクスケ
○ 編集後記




● 語学学習の奨め
以前にも書いたことがあるが、私は仕事の関係で英語はまずまず話し聴き読み書くレベルは身につけている。とはいえ、どれだけ身につけていれば充分なのかなどは基準が有るわけではなく、要するに仕事上で後々の誤解が生じない程度に使えるレベルであり、日常会話には不自由は感じなく、映画などでも日本語字幕は要らない、まあその位のレベルだ。何しろ、日本語だってどんな日本人でも完全無欠に話せるわけではないのだから、完全マスターなど不可能であり、私としてはまあこれでよいかと思うレベルで、むろん日本人でもそれこそ私が到底及びもつかないレベルの人は無数にいる。むろん、外国育ちなどのバイリンガルはまた別だが。

ただし私自身は、日本人が英語を学ぶ必要があるとも思っていないし、特に貴重な幼少時英語教育で時間を無駄にするべきではないと思っている。言語とは思考の道具であり、しっかりとした日本語を身につけなければしっかりと思考が出来ず、その日本語能力がまだまだの幼少期に他言語でそれを混乱させる事があってはならないと思うからだ。そもそも、日本では日本語で十分に最高レベルの教育を受けられ、仕事が出来、情報を得ることも芸術を楽しむことも十分出来るのであり、一部の国のように英語が出来なければ教育も受けられないのとは違う。つまり、必要性がないから、日本人の英語は上手くならないのだと言われている。

とは言え、外国語、特に英語を身につけておくと非常に便利である事は事実であり、だから興味のある人や仕事などで必要な人は自分で勉強すれば十分に身に付く。私も仕事で本当に必要になってから自分で学び、充分実用レベルになる英語を身につけたと思っている。大人になってから身につける英語が母国語並みになる事はないだろうが、それで全く問題はない。

これは別に英語に限ったことではなく、どんな言語でも同じで興味があるなら自分で学べばよいし、そしてそれが仕事などで必要になれば嫌でも身に付く。

語学を学ぶことが役に立つ理由は、むろん仕事によっては役に立つ事以外に、言語とは物を考える道具だ、とは先に書いたとおりだが、言語を学ぶとは思考能力を磨くことでもあると思う。英語で考えるときと日本語で考えるときは明らかに思考の内容が異なっていることを自覚しているからだ。

日本では日本語だけで教育も仕事も情報も文化も何一つ不自由しないから、義務として外国語を学ぶ必要はないが、ただ身につけておくと極めて便利なのは事実であり、その意味で外国語を学ぶことはおすすめしたい。が、必要性がないなら、身に付くことはほとんど無いと言えるので、学んでも成果が上がらないと思ったら、止めた方がよいとは思う。

by ロクスケ




● 先延ばしについて考える(99)
2009年10月に小生が執筆したWing Brainメルマガ198号〜199号の記事「先延ばしについて考える(1)〜(2)」について、特に原因の6つ目、即ちシミュレーション力の欠如について一貫して再考察を行っていますが、今回もその続きです。



370号において、シミュレーション力を養うための訓練のあり方について考察を行い、普段から観察力、記憶力、特に知識・経験などを連想的に結び付けて頭の中で整理する能力の3つを普段から地道に鍛える必要があると述べた。その上で、371号からは観察力の鍛え方について考察を始め、まずは観察力の構成要素(色合い、輪郭、大きさ、位置)について考察している。

これまで、色合い・輪郭・大きさに関して鍛える方法を、実践結果も交えながら考察を行っている。396号までに、顔等の特徴を大げさに描く似顔絵に着目し、人間の頭の中での顔の輪郭等の捉え方についての考察を行ってきたが、397号からはさらに進め、顔の各パーツ等への注意力の配分度・興味関心度という面に着目している。特に、興味関心の凹凸が観察力の凹凸にもつながっていると考えられることから、観察力を偏りなく適正にするため、根幹要因と思われる興味関心の偏りを是正する方法を模索している。



404号までに挙げた手法、即ち脳の記憶の仕組みの原理を応用して、好きなものと嫌いなものとの同時想起を繰返し、それにより好き嫌いを是正・克服する手法に関して、405号でいくつかの疑問点を挙げた。その疑問点の1つ目、即ちこの手法を用いることにより、人間の生物としての根本的な欲求(食欲など)が完全に湧かなくなることはあり得るかについて、406号で小生なりの仮説を述べはしたが、実際にそうなのか裏付けをとれないか試行錯誤している。

その裏付けの方法として、食欲などの欲求の程度を一定頻度に繰返し自問自答、チェックする方法が考えられる。「今の食欲はどうか?」と漠然とした質問よりも、「今、〇〇を食べたくないか?」とより具体的な形の方が効果的と考えられるため、そのように実践している。

以下の疑問文で自問自答し、単純に「はい」「いいえ」ではなく、できるだけ多段階的な回答を得ることを試みており、今回も前回に引き続き欲求の変動について追跡調査を行ったので、報告したい(なお、本記事の執筆は11/12(日))。:

 (1)「今、ビール(発泡酒)を飲みたくないか?」
 (2)「今、栄養ドリンクを飲みたくないか?」
 (3)「今、台所の籠の中にあるポテトチップスを食べたくないか?」

(1)について。前回以降の自問自答の結果は、風呂上がりの直後は前回までよりも少し上昇し、ほぼ「とても飲みたい」であった。寝酒は健康的に良くないとの観点から前回は下がっていたが、このところ精神状態があまり良くなかったことから、その寝酒にストレス解消を求めたところがあったように思う。

(2)について。前回までよりも朝晩の平均気温は低下したが、それでも(1)と同様にストレス解消の観点からか欲求度はやや上がったように思う。

(3)は、ここ最近風邪を引いたことに関連して精神状態を崩したこともあり、買い物に出かける機会がやや減り(家族に任せていた)、スーパー等で菓子類を目にしにくくなったこともあり、その点で実際の摂取頻度は下がったものの、家族が気を遣って菓子類を買ってきてくれることもあり、正直に言ってそれに甘える自分も居たため、欲求度はあまり変わっていないように思う。

引き続き追跡調査は行ってはゆくが、考察は先に進めてゆきたい。



…今回はここまで。次回も引き続き、本記事の考察の続きを書きます。

by なさ




● 癖付けに関する経過報告(50)
361号まで「先延ばしについて考える」のシリーズ記事の中で述べてきた癖の付け方に関する経過報告を、2016年始後の362号から独立して別のシリーズ記事として執筆しています。本号でも引き続き、経過報告を行います。



361号までに述べてきたように、感情モニタリング法のセルフチェックを頻繁に行う癖を身に付けるべく、数か月前から継続的に取組みを行っている。毎時00分にスマートフォンのアラームが鳴るようにセットし、アラームが鳴ったらチェックを行うようにしてきた。きっちり毎時00分にチェックができたかを記録するまでには至らなかったが、頻繁に思い出してチェックを行うことはできるようになり、目標とした毎時1回よりもはるかに多い頻度にまでなった。手前味噌ながら、2015年末までにほぼ癖付けとしては成功したと言える。

2016年始からは、より一層の癖付けのため、常時セルフチェックを行いながら他のことを行えるように訓練をしてゆくと宣言したものの、年末までに一度は身に付いたセルフチェックの癖付けの頻度が落ちてしまったことから、再度2015年末までの状態に戻せるよう立ち返って癖付けを再度行うことにした。

2016年末頃からセルフチェックの頻度が再び飛躍的に上がったことから、その頻度を今後も永続的に維持するよう努めつつ、さらに別の癖付けも身に付けるべく、同年末頃より新たな取組みを始めている。今回もその経過報告を行いたい。



この部分を執筆しているのは11/12(日)だが、この2週間の精神状態はあまり良いものではなかった。仕事上の課題が特に多かったこともあり、結果的に睡眠時間が短かったこともあるが、家族への接し方もその時々の精神状態によりかなり変動があった。家族も(今に始まった話ではないので、慣れはしているだろうが、)困惑している面もあったと思われ、その点を申し訳なく思っている。

前回までに述べたチェック頻度については、結果的に前回までとあまり変わっていなかったように思う。今回は、一念発起して、チェック項目を全て一度復習して記憶し直し、完ぺきではないが、特に休日などにアラームを当初の通りの間隔でかけ、一定頻度で繰返し想起するようにした。

相変わらず、所々で抜けがあるのは悔しいところではあるが、この繰返し想起を粘り強く続けることで、抜けを完璧にゼロにしてゆきたい。なお、前回の最後に述べたチェックリストの項目については、改めて自分自身が完璧に暗記できるようになったため、ここではやはり割愛させていただきたい。



…今回はここまで。次回も引き続き、本記事の考察の続きを書きます。

by なさ




● 連載 第377回 健康で生活するために 耐寒能力を付ける
私は夏冬同じ服を着ていることは何度も書いているが、以前札幌の雪祭りに同じ服装で行ったことがある。即ち、アンダーシャツと作業シャツのみであり、その時は比較的札幌としては暖かかったが、確かマイナス8℃だったと思う。夜はもっと気温が下がったが、私としてはあまり寒さも感じず、方々を歩き回った。確かに人目は引いたと思う。季節に合わない服装をしていると認知症が疑われるそうだが、どう思われたかは知らない。

しかし、この様に寒さに慣れておくと、確かに風邪を引かないようだ。昔、私は常に風邪を引いていて、一度引けば2,3ヶ月治らず、咳やくしゃみ、鼻水、節々の痛み、頭痛と散々だったが、忙しくて医者に行くこともろくに出来ず、といって薬も嫌いだったので飲まず、とにかく治るまで我慢をしていた。よくまあそれで無事だったと思うが、酷いときは一度治っても直ぐに次の風邪を引いて年がら年中風邪の状態だった。

インフルエンザはかからなかったと思うが、もしそうだったら多くの人に伝染していたのかも知れない。当時はそれが当たり前のような気にさえなっていたが、今思えば良くもあれで我慢をしていたと思う。

風邪を引かなくなってからおそらく10年ではきかないと思うが、周りではいつも引いている人がいるし、インフルエンザワクチンを必ず摂取する人もいる。私は、ワクチン摂取はしたことがないが、幸い今のところ何ともない。

むろん、過信して引くことはあり得るのでそれなりに注意はしているが、一番効き目があるのが、耐寒体質を作っていることだと思う。また、別にやせ我慢をしなくとも寒さを感じることはないし、何時のもの様に早足で歩くと、体も温まる。

小学生などを見ると、中には半ズボン、スカートに半袖シャツの子までいる。親によって着せる服装が違うのだろうが、一度真冬にランニングシャツの子を見てびっくりした。が当人は寒そうにも見えず元気いっぱいだった。確かに子供は新陳代謝が大人より激しい分寒さを感じなくても済むのだろうが、同じ季節、縫いぐるみのように重ね着をした子もいる。やはり親の考え方の違いだろうと思う。

今の私は自分の考えで薄着をしているが、寒くないのかと訊かれれば、まあ動けば大丈夫です、と答えている。おかげさまで風邪も引きません、と言ってもじゃあ自分もそうしようとする人はいない。確かにいきなり私の真似をしても大変だろう。

何年もかけてならしてきたから出来る。そしてそう出来るようになったことが非常に良かったと思っている。

風邪を引かない、これだけでも計り知れない恩恵だと思っている次第だ。

by ロクスケ




○ 編集後記
■ 今私がメインに使っているパソコンは、Windows7であり充分役立っていますが、もう一方の作図に使っている方はwindouws10です。が、こちらは極めて使いにくい。ゲームや買い物、音声認識などどうでも良い機能がかさばるだけではなく、ハードウェアが一寸古いと反応が遅いなど。前にも書いたように、ネットに繋がずにXPを使っていてかなり使い勝手がよいパソコンもあります。

■ 新しくなれば便利になるわけではなく、要らない物が増えてくるだけのことで、これも古い物が使える間は取り替えたくありませんが、なにしろメンテが出来なくなるしウィルスにも弱くなるので少なくともネットにはつなげないのが問題です。新しいのも結構だけれど、売らんかな意識が強すぎるのではないかと思いますね。
(この項までロクスケ)

■ 前号で風邪をひいたと申し上げましたが、何とかようやく治癒しました。今回は風邪をひき出してから2週間程度かかりましたから、我ながら回復力のなさにガッカリしました。ロクスケ委員長のお体の丈夫さを改めて羨ましく思った次第です。

■ ロクスケ委員長からのお話を伺うに、今現在の小生は日頃の生活習慣の面でやや(だいぶ)不摂生な面があるように思います。改めて健康的な生活が送れるよう、食生活などを今一度見直してみようと考えています。
(この項、なさ)



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