Wing Brain メールマガジン 第415号
2018/01/21(日)発行



目次
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● 目的を絞る ロクスケ
● うっかりミス等の撲滅(1) なさ
● うっかりミス等の撲滅(2) なさ
● 連載 第381回 健康で生活するために やはり徹底した掃除は必要 ロクスケ
○ 編集後記




● 目的を絞る
私は昔から様々なことに興味を持ち、その時その時に興味をそそられたことに取り組み、あっと言う間に飽きて次の事に取り組むことを続けてきた。おかげさまで、広く浅い知識は持っていると思うが、深く掘り下げた知識や技術は無いと思っている。ただし、場合によっては興味の対象に異常な集中心をそそいで成果を得ることもあり得るので、深い専門知識を持つ事もあり得るが、それが仕事に生かせない限り、仕事一般で極めて大きな問題になることが間々あった。

今現役を離れ、自分なりに興味の赴くままに生活をしているが、これは結構楽しい。年齢の割にパソコンやネットについてはかなり詳しく、また新しい技術が日々生まれているが結構それを取り入れることも出来る。自分の要求に合わせて自分のパソコンを設計し作ることもやっているが、ネットもそれなりに使ってかなり生活に役立てている。

語学は、現役を離れてからは使うこともなくなりかなり能力が衰えたと思っていたが、ネットで使うようになってからはそれなりに能力が回復したと思っている。今数カ国語を折に触れてブラッシュアップしているが、やはり進歩したと自覚出来れば楽しいし、何度も書いているが現実の仕事などでは殆ど使うことなど無くとも、語学を学ぶことはその特質上かなり優れた脳トレになっているのではないかと思う。

また電子工作や木工などにも打ち込み、今では工作室を持って様々な物を作りそれをホームページに掲載したり動画を作ってアップロードしたりしている。

結局、実際の仕事に役立つことはなくともそれらが生活を豊かにしているなら十分に打ち込むメリットはある。今はそれに目的を絞ってそれらをやっているわけだ。到底テレビなど観ている時間はないし、だからとうの昔にテレビはお払い箱にしている。

結局、興味のままに色々やるのも、最後には絞って生活を豊かにするために好きなことをやる。これで得られる物は極めて多いと思う。

by ロクスケ




● うっかりミス等の撲滅(1)
前号記事「今年の計画(1)〜(2)」の宣言通り、今回から重点的に考察と実践を進めてゆきたい。まず、理詰めで、理論的に考察してゆくにあたり、撲滅対象、即ち以下の3点について、具体的に指す意味について考えてみたい。いずれも、小生のようなドジ、おっちょこちょい、或いはいわゆる「天然」と言われるタイプの人に共通する短所的特性ではなかろうか。

  ・うっかりミスの撲滅
  ・忘れっぽさの撲滅
  ・勘違い、思い込みの撲滅

この3点とも、上述のタイプの人の実際の日々の言動の中で、厳密に区分されるものではなく、複雑に入り組んでいる、もしくは意味の区分があいまいであるように思う。なぜなら、勘違いや思い込みがあるからこそ、結果的にうっかりミスをしてしまうこともあれば、そもそも、勘違いという現象自体がある意味ではうっかりミスであるとも言えるからである。



そこで、心理学、特に人間の脳の情報処理的な面を説明する学問分野である認知心理学・知識工学といった観点から人間を機械やコンピュータになぞらえ、その上で上述の3点を考えてみたい。

まず、五感(目・鼻・耳・口・手足や顔・胴体などの皮膚の触覚など)は外界から何らかの情報を得るセンサー、すなわち情報をインプットするポートの役割をしている(因みに、口などはエネルギーの注入口、即ち機械などになぞらえれば電源への接続口の役割も果たしている)と言える。

同様に、手・足・口などは外部に情報を伝える、またはアクションを起こすといった、いわばアウトプットのポートの役割をしていると言える。特に、口などはインプット・アウトプット両方の役割を兼務しているとも言える。

さらに、脳は、上述のインプットのポートから得た諸々の情報を集約し、記憶したり、それらの情報を基に思考する、言い換えれば情報を保持・加工する役割をしていることになる。

以上のように人間の各器官は情報の流れという一面から3つの役割に分類できる。上述の短所的特性3点は、この3つの役割に沿って意味をいわば再構築することで、厳密に区分することができると考えられる。

(次の記事(2)に続く)

by なさ




● うっかりミス等の撲滅(2)
前記事(1)で挙げた3つの役割、即ち

  ・情報のインプットの役割
  ・情報の保持・加工の役割
  ・情報のアウトプットの役割

という点から、改めて3つの短所的特性、即ち以下の3点を捉えてみる。

  ・うっかりミス
  ・忘れっぽさ
  ・勘違い、思い込み

まず、忘れっぽさや勘違い、思い込みというのは、情報のインプット、または保持・加工の過程におけるエラーとモデル化できる。なぜなら、情報が的確に人間の脳内にインプットされ、正しく保持・加工されていれば、忘れたり、勘違い・思い込みを起こすことがないと言えるからである。

同様に、うっかりミスとは、情報の保持・加工、またはアウトプットの過程におけるエラーとモデル化できよう。なぜなら、例えば誤って別のスイッチを入れてしまうといったうっかりミスは、正しくはどのスイッチを入れれば良いかという情報を脳内で的確に保持されていれば、もしくは別の情報から的確に加工されてその正しいスイッチの情報を得られ、かつその上で、脳から手足に正しく指令が伝わり、その正しいスイッチを入れる動作が適切に実行されれば、うっかりミスにならないからである。

短所的特性は、細かくは上述の3つに限らずもっと挙げられるかもしれない。いずれにせよ、上述の3つに類する短所的特性とは、以下のように厳密に分類することができると言える。

 ・情報のインプットの過程におけるエラー
  ・情報の保持・加工の過程におけるエラー
  ・情報のアウトプットの過程におけるエラー

よって、うっかりミスをはじめとする諸々の短所的特性の撲滅にあたっては、今後はこの3つのエラーの撲滅と読み替えて取り組んでゆくことにする。次号以降、これら3つのエラーについて順に掘り下げて考察してゆきたい。

by なさ




● 連載 第381回 健康で生活するために やはり徹底した掃除は必要
世の中には私などさえ想像も付かないほどゴミをため込み、或いは汚部屋というほどすさまじいゴミ部屋で生活をしている人がいるらしい。時々ネットなどで見聞きするが、中には部屋にゴミが1メートル以上も積み重なり、その隙間で寝ている人などもいるとか。そうなると、到底理解出来ないが、実際にゴミ屋敷などが話題になるし本当なのだろう。

食べ物などが腐って酷い匂いがしたりハエやゴキブリが無数にいる部屋で生活するなど到底出来ないが、そうしている人がいるのは事実だ。

さて、私は掃除が苦手だが、だからと言ってゴミの中で生活するのは到底我慢が出来ないから、それなりに掃除はする。掃除の手順をマニュアル化し自分でそれに従って掃除をするようにして、ある程度成功しているつもりなのだが、気が付くとやはりゴミが溜まっているような有様だ。

昨年暮れ、自分なりに徹底した大掃除をした。多分一月くらいかかったと思うが、まだだだ完成にはほど遠い。それでも呆れるほど捨てる物が出てきて今のところ物置にまとめてある。集積ゴミに出せる物は出すが、それでは出せない物が無数にあり、それが今までゴミが溜まった理由の一つだ。物置も無限に貯められるわけではないので、業者に依頼してまとめて処分して貰うために、もっと出せるゴミを次の掃除で出すつもりでいる。

むろん、それらが最初からゴミだったわけではないが、使わなくなった家具、電気製品、衣類、寝具、本、食器などなど、もし方法が有れば他では使える物が無数にある。が、今の時代、そんな物を引き取ってくれるところもないし、結局捨てることになるのだが、またゴミの占めているスペースも結構もったいない。

人によっては断捨離でありとあらゆる物を捨ててしまう人がいるが、私はそこまでは出来ない。ある程度は必要なのだが、恐らく今持っている物の10分の一も要らないはずだ。絶対に使わないと分かっている物がたくさんあるのだ。

今回の大掃除では、例え新品でも高かった物でも、二度と使わないと決めた物は全部捨てるつもりで掃除をした。そうしたら結構沢山残っていて、次の掃除ではまた悩みながら多くを捨てることになるのだろうと思っている。なにしろ、パソコンを数えてみたらノートブックも含めて7台あった。今使っているのはノートブック以外デスクトップ2台のみで、他のは捨てても良いはずなのだが、どうしても捨てられない。使えば使えるからだが、使うことは絶対にないだろう。

いずれにせよ、かのうな限り少ない物で豊かな生活が出来れば、それが健康な生活なのではないかと思っている。

by ロクスケ




○ 編集後記
■ 年が明け、また新しい一年が始まりました。昔は一年とは極めて長かったと思っていますが、今の一年の何と早いこと。あっと言う間に一年が過ぎてしまいます。おそらく、来年の正月にも同じ事を感じ、ここに書いているのだろうと思いますが。

■ 正月と言っても一年の365分の1日から精々七日間。本来特別な日ではないはずで、あくまで精神的な物でしかないのですが、近年その精神的な特別性が感じられなくなっています。昔と違い、正月でも殆どの店が開いているし、正月らしい雰囲気が感じられないせいでもあるのでしょうが。
(この項までロクスケ)

■ この編集後記を執筆しているのは1/11(木)ですが、早いもので新年が明けてから10日以上経ってしまいました。本号が発行されるのは1/21ですから、既にその時点で1月も3分の2が終わっていることになります。1週間、1ヶ月、1年とあっと言う間に過ぎてゆきますね。ロクスケ委員長のおっしゃる通り、気が付けば次の年末になっていそうです。

■ 年末ギリギリまで仕事に追われていたこともあり、この年末年始は気が抜けてついついダラダラしてしまいました。本当は年始からの山積みの仕事を一部前倒しで始められれば良かったのですが、気が付けば正月休みも終わってしまいました。本当に時間が過ぎるのが早く、時間がもっと欲しいです。1日48時間くらいあると良いのですが。
(この項、なさ)



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