Wing Brain メールマガジン 第416号
2018/02/04(日)発行



目次
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● パソコンを活用 ロクスケ
● うっかりミス等の撲滅(3) なさ
● うっかりミス等の撲滅(4) なさ
● 連載 第382回 健康で生活するために 記憶力改善 ロクスケ
○ 編集後記




● パソコンを活用
今の私の生活はパソコンがないと成り立たない様になっている。聞くところに拠ると、若い人のパソコン離れが進み、殆どをスマホで行うために就職しても仕事でパソコンを使えない人が増えているそうだ。私もスマホは持っているが、パソコン代わりにはならない。たしかにスマホは便利だが、パソコンほどの能力もないし、文書もまともに書けない、図形もかけないなどなど、到底パソコン無しでは何も出来ないと言っていい。図面を描いたり複雑な文章を書いたり、表計算をしたり動画を観たり情報を集めたりなどなど、使い方はいくらでもあるし、現実にテレビも見なければ新聞も取っていない私にとって、パソコンだけが情報収集源だが、むろん、ネット情報の大半は嘘であり、まともに受け取る訳にはいかない。が、圧倒的な情報量があり、しかも英語など他国語の情報源を合わせると無限と言っていいほどの物を付き合わせて整合性を探れば、自分なりに情報の真偽を判断出来るようになる。

情報源として採り上げても、今までのような限られたマスコミ報道などと比べる意味さえないと言える。ただし、自分で真偽を判断出来る能力がなければ良いように騙されるだけだが。

今では私はブログを開設し、HPを開設し、動画発信もしている。かつては全く考えることも出来ない事がパソコンとネットで出来るようになった。

また様々な書籍を探したり、著作権の切れた古い書籍や音楽ををダウンロードしたり聴いたり古い映画を観たりで、どれほど昔に比べて情報の選択肢が増えたか分からない。今、私は語学を再学習しているが、これもネットにどれだけ助けられているか分からないし、昔意味も分からずに聞いていた歌などが、改めて感動をもたらしてくれるなども、それなりに語学学習が効果を上げているのだろう。

私の同年輩の人達でネットやパソコンが全く駄目という人が多いが、私は仕事柄初期から親しんでいたことで今も自分で必要な使い方は十分出来ている。本当に幸いだったともうが、もし今苦手なら少しでも使い方を身につける努力はした方がよいと思う。

by ロクスケ




● うっかりミス等の撲滅(3)
前回までに、小生のようなドジ、おっちょこちょい、或いはいわゆる「天然」と言われるタイプの人に共通する短所的特性として以下の点を挙げた。:

  ・うっかりミス
  ・忘れっぽさ
  ・勘違い、思い込み

これらを(人間工学・認知心理学的な観点から、)以下の3つに分類した。

  ・情報のインプットの過程におけるエラー
  ・情報の保持・加工の過程におけるエラー
  ・情報のアウトプットの過程におけるエラー

今回はこのうち「情報のインプットの過程におけるエラー」について考えたい。



インプットの過程におけるエラーとは、厳密にエラー箇所を分類するならば、目や口などの五感、センサーの役割を果たす器官自体のエラーによる場合、またはセンサーの器官自体は正常だが、そこから脳に信号が送信された後、脳内での情報処理においてエラーとなる場合とに大別できよう。

ただし、脳内の情報処理と言っても、ある程度複雑高度な思考を伴うものは「情報の保持・加工の過程におけるエラー」に分類されるべきとの観点から、比較的単純で簡単な、条件反射的な認識プロセスのみに限定するものとする。



例えば、実際には実在しない物体の幻覚が見えたとする。その場合、目というセンサー自体に何らかの異常があって、脳に実在しないはずの物体の画像に関する信号を誤って送信してしまう場合の他、目というセンサーから脳への信号は正常でも、実在しないはずの物体が居るとの誤った情報(信号)が脳内で勝手に発生してしまう場合も考えられる。

このような場合、センサー自体の異常であれば、本記事のテーマである「うっかりミスの撲滅」を自助努力で行う範囲を超えていることになる。また、脳内での誤った情報の発生という場合でも、何らかの病気や薬の副作用等によって起こるのならば、それも同様に自助努力による解決の範囲を超えている。よって、それらのようなケースはここでは割愛させていただき、発達障害者にありがちな、いわゆる「認知の歪み」に相当する場合のみを対象とさせていただく。

(次の記事(4)に続く)

by なさ




● うっかりミス等の撲滅(4)
ここでは、前記事(3)で述べた「認知の歪み」に起因する「情報のインプット過程におけるエラー」のメカニズムと対処法について考えてゆきたい。



まず、発達障害者に特有の認知の歪みの場合、例えば興味のある好きなことに対しては細かく深い洞察力、観察力を発揮できたりすること等を踏まえると、エラーが起こる直接の原因は興味や注意力の偏りにあると考えられる。言い換えれば、それらは上手に訓練や工夫を重ねることで補正できるはずである。

この点については異論も少なくなかろうが、小生自らの経験からしても、十分可能であろうと確信している。昨年までのシリーズ記事「先延ばしについて考える」でも、興味対象や喜怒哀楽の感情を臨床心理学、脳神経科学的な観点から上手にコントロール、意図的に補正できることを述べた。

ここでは、それらの大前提に立って、具体的にどのように認知の歪みを補正し、その上でエラーを防止してゆくかについて考えてゆきたい。



まず、情報のインプット過程自体をどのようにモデル化するかが課題と言える。発達障害者を含め、そもそも人間がどのように五感というセンサーから情報を得ているかを的確に説明し、その上で健常者と比べて発達障害者がどのような点でどの程度ずれているのか、足りないのかという歪みをつぶさに分析解明しリストアップする。ここまででも非常に壮大な、大きな話だが、抜本的な解決のためには不可避な道ではないだろうか。

次に、そのリストアップされた歪みを一つ一つ補正する方法論、あるいは訓練のカリキュラムを組み、それを実践する。実践した結果をフィードバックしてカリキュラムや方法論をより精緻化してゆく。いわゆるPDCAサイクルに基づく流れだが、ここまで完璧に実行できれば、理屈の上ではより完璧な認知の歪みの補正ができるはずである。



今回はここまで。次回から上述の流れを具体的に細かく論じ、実践してゆきたい。

by なさ




● 連載 第382回 健康で生活するために 記憶力改善
誰でもそうだろうが、ど忘れと言うことが間々ある。元々私はそのど忘れが結構激しい方で、メモをつける習慣が出来たのも一つはそれが理由だ。が、本当のど忘れの時は、メモに書こうと思った瞬間に忘れているなどと言うことがある。

一般の記憶力はそれほど悪い方だとも思っていないが、これは生まれつきであり直しようがない。そもそも、人間の記憶には短期記憶と長期記憶があり、まず脳の中の海馬という場所に記憶され、その後大脳の記憶中枢にその記憶が移ることで長期記憶になるのだが、その記憶を長期記憶にするためには何度も繰り返して記憶をし直す必要があるという。

試験前の付け焼き記憶は、試験が終わると消えてしまうが、真剣に繰り返し勉強したことは生涯残る記憶になる。と、それは理屈では分かっているのだが、覚えなければならないことが覚えられずに忘れてしまうなどは日常的にある。

また、子供の記憶力は大人の想像を超えたもので、一度見聞きした物を完全に覚えてしまうなど普通にあるが、誰でも昔は子供だったのであり、誰もがそのような記憶が出来たからこそ、今普通に言葉が話せ、文字を読め、新しい物事を理解することが出来るわけだ。

さて、前置きが長くなったが、私自身ど忘れは何とかメモなどで補うしかないが、年齢と共に長期記憶も怪しくなってきている。誰もが加齢に伴って記憶力が落ちるのは当然だが、当然だから仕方がないと言っていては生活に支障が出る。

しかし、考え方を変えてみると、年を取れば記憶力が衰えるのは仕方がないと諦めるのは一寸違うと思う。近くには大きなスーパーやホームセンターがあり、頻繁に行くが、そこで働いている人の多くはパートであり、更にかなりの年輩者が多い。無論体力に自信があるからパート勤めが出来るのだろうが、感心するのは彼らが広い店内の何処に何が置いてあるかを極めて詳細に記憶していること、商品についても良く知っていることだ。

仕事なのだから当たり前というのは簡単だが、例えばある人が勤め始めてから2,3ヶ月で客の問い合わせに的確に答えられるようになるのは、仕事なのだから当たり前と言うだけでは済むまい。つまり、責任感がそれらの記憶を達成させているのであって、実は誰でも自分の仕事関係では意識しない間にかなり細かいことまできちんと記憶している例が多い。

私もそうだったし、そうでなければ同業者達との話も協力も協議もろくに出来ない。さらに、英語などは中学校から習ったが殆ど身に付かず、社会に出てから英語が理解出来なければ仕事にならない状況になって、かなり急速に身に付いた。初めて一人で海外に行ったとき、不安で一杯だったが、一週間もしない内にそれまで学んでいた英語が自然に口から出たし聴き取れるようになって自分でも驚いた。要するに必要が有れば記憶出来るのだ。

アジア諸国から日本に働きに来ている人達なども、2,3ヶ月で本当に日本語が上手くなる例など、今では普通に見聞き出来るのではないか。

子供の頃と違い、大人になれば必要のない物は記憶出来ない、が必要のある物は子供以上に系統立てて記憶出来る。

老化に伴い記憶力が衰えるのは、ある程度仕方がないのかも知れないが、だから記憶力が衰えるのに任せてはならないと思う。生活に必要な情報として取り入れる意識が絶対必要なのではないだろうか。

by ロクスケ




○ 編集後記
■ 年が明けて、早くもこれが2回目のメルマガです。日本でも世界でも本当にいろいろなことが立て続けに起きてめまぐるしいばかりですが、私自身どれほどの変化が去年起きたか、今年起きるのかは分かりませんが、波瀾万丈にはならないと思います。むろん、そう願っているだけのことで、実際はどうなるかは分かりませんが。。

■ 幸い、去年一年全く病気もせず風邪も引かず、年末に受けた健康診断では全く問題がないとの結果でした。ネットで診断してみるとかなり健康年齢が若く、気を良くしていますが、むろん油断出来ないのは言うまでもありません。
(この項までロクスケ)

■ この編集後記を執筆しているのは1/25(木)ですが、年が明けたなと思ったら、もう1月もあと1週間で終わり、2018年も12分の1が終わってしまいます。隔週で記事を執筆・編集している本メルマガが時間経過の良いバロメーターになっていますが、仕事に追われていることもあり、前号の執筆・編集・発行が完了したかと思えば、もう次号の準備時期になってしまいます。

■ とはいえ、どんなに仕事に追われても、本メルマガは小生にとって必要不可欠です。ロクスケ委員長を見習って、ライフワークとして精力的に取り組んでいる活動であり、もはや小生の人生の一部と言っても過言ではありません。隔週発行のペースは小生にとって短すぎず長すぎず丁度良いと実感しています。
(この項、なさ)



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