★目次 ★
 
   ■ 鬱の状況
       mogurin    ■ 家族の愛情        こゆき    ■ 癌かもと言われたとき   musica    ■ 忘れるべき事  連載  9   ロクスケ   

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   ----------------------------------------------------------------------------■ 鬱の状況
 
鬱症状が悪化すると夜型になる。午前中の活動がだめで、お昼近くまで寝床でうつらうつらぐずぐずして、外部からの電話でおこされる。
この電話は仕事の催促の場合が多い。仕方がないので、ゆっくり起きあがり、顔を洗って、着替えをし、昨晩回していた洗濯機を開いてベランダにしめった服を干す。台所のゴミのはいった袋を二つばかりつまんで外に出る。
太陽がまぶしい。地面の照り返しが目をつく。
ポリバケツにゴミを投げ入れて、なぜだかうんざりする。
玄関の鍵をかけて出勤する。
ウェストポーチの中から抗うつ剤デプロメールを取りだし、なめながら歩道を歩く。
毎日のおきまりだ。
この日常がずうっと続くのだと思うとまたやりきれなくなる。
僕の住居は代々木公園の近くにある。
公園の近くとは行っても山の手通りのすぐそばで車の通行はひっきりなしにある。
だからでけっこううるさい。
その通りの歩道を地下鉄の駅まで歩くのが日課だ。
いつもなにやら工事をしている。引っ越した当初は大きなクレーンや赤いブルドーザー、原色のレモンイエローに塗った巨大な建設機械が珍しく、デジカメでさかんに写真を撮ったが、最近は全く興味がない。
今日も地面を掘り返す鉄のシャベルのカクカクした動きを、金網越しにつまらなそうに見ていた。
「青になりました。左右に気を付けて渡りましょう」突然歩行者用信号機が話す。
僕は、横断歩道を渡った。
ジーパンを穿いた白いTシャツの若い女がへそをみせながら反対側からやってきた。
右手で携帯を持って高い声で話をしている。
あいつ車に轢かれて死ね。
そう思った。
むしょうに腹が立つ。
駅の近くの小さな本屋に立ち寄った。
昼食を取るのに、何か読むものがないと物足りないのだ。
村上龍の「すべての男は消耗品である」を買った。タイトルが気に入ったのだ。
角川文庫480円。
ラーメン屋に入った。
たどたどしい日本語を話す、背の低い中国人ウェイトレスがやって来た。
ネギラーメンをひとつ注文した。
店内はすいていたが、奥のテーブルに建設工事関係の労働者と思われる男たちの集団があった。
四人かたまって昼間からビールを飲んでいた。
気になるので、興味もなく見ないという振りをした。
「ブスと貧乏人は論外である」本を開くといきなり過激な言葉が目に飛び込んできた。
「才能もなく、金もなく、きれいでもない哀れな牡たちはどうしようもない」僕はますます落ち込んだ。
本を閉じようと思ったが、抗しがたい文章の吸引力に負けて読み続けた。
「芥川賞なんて二十代で簡単にとって、億単位の金のかかった映画をサラツと撮って、スクーバダイビングとテニスをして、一年のうち六十日は南の島へ行って、速いヨーロッパ車に乗り、無数の女とうんざりするほどいいセックスをしていないと、いい小説は書けない」「才能がない人間に愛をもとめる資格はない。世界は厳しいのである。
誰だって、ひとつや二つ傷を持っているし、乾いている。
いま時、心が潤っているような奴は、智恵遅れだけだ」いやな奴だなと思った。
本当のことを書きすぎる。
描写がストレートすぎるのである。
40すぎて鬱でADHDの僕はどうすればいいのだ。
借金もある、女もいない、頭もよくない。
顔もよくない。肥満と運動不足で体調もよくない。
締め切り前のおもしろくない仕事が山のようにたまっている…。
どっと疲れが出てきた。
駅のホームの自動販売機で缶コーヒーを買う。
地下鉄に乗るときはいつもカプチーノを飲むのだ。
昼時の地下鉄はすいている。
一列だれも腰掛けていない処女ベンチをみつけると、
その端っこに座った。列車が動き出す。
苦くてちょっぴり甘いカプチーノの味が舌に回っていきた。
乗り物はいい。乗り物に乗っていると、停滞した自分の人生もつられて動く気がする。
このまま永遠に乗っていたいと思った。
 
  by mogurin
 
  -----------------------------------------------------------------------------■ 家族の愛情
 
   昨日、あまりにも鬱がしんどかったので、私は妹の携帯にSOSの電話をしました。一人でいると気がめいって、そのうち自殺願望なんかも出てくるし、それを紛らわしたくて薬をたくさん飲んだり、お酒をたくさん呑んだり、こういう日はろくな事をしでかさないというのは、もういやと言うほど自分でわかっていたからです。そんなとき、二人っきりの姉妹の妹と過ごすのが、一番リラックスできるのです。
 
   頼むから遊びに来てーと言いましたら、妹は隣の県の実家に帰っていたので、遅いお盆休み中の父と、母と、妹、その子供で一歳半の姪、愛犬ダックスフント、家族総出で昼からきてくれたのです。

 私はずっと両親と上手くいっていなくて、一方的に避けてきました。子供の頃からの両親からのストレスで、ひどい解離性健忘を起こし、両親に逢うことを拒み続けて来ました。ようやくここ数ヶ月で少し、逢えるようになったのです。ADHDの診断が出た頃からです。先日かかりつけの心療内科でADHDとわかった時、私の場合、家族や友達にすべて話しました。というのは、私は以前から解離性健忘症やパニック障害や鬱で、仕事や家事もできないような状態が何年も続いていたので、ADHDの事も、わかった時点でみんなに話しやすい環境にあったからです。すると両親は、「ひらめきすぎる人々」を読んでくれましたし、HPでも色々調べて、理解してくれたのです。そのため私は、今までとても潔癖症な母に、愚図だ、怠け者だ、やる気が無い、かたずけられない、ミスが多い・・・と言われつづけたことに対する心の傷もだいぶ楽になり、ようやく逢えるようにもなったと言うわけです。今考えてみると、ADHDであるという事が子供の頃にはわからなかったため、親も私を理解できず、私も私を理解できず、やりきれない気持ちが心の病気を引き起こしたという事だと思います。それが自分で理解でき、両親も妹も、「なるほどそうだったのか」とわかってくれたので、お互い楽になり、あえるようになりました。
 でもそうするとこんどは、すごい勢いで両親からのアプローチがあるようになって、ちょっと辟易している部分も実は内心あることを告白しておきます。妹に、もうそろそろ両親も年だから、好きにさせてあげたらと説得され、今のような状態ですごしているのですが。まあそんなわけで、昨日も全員で来てくれたわけです。ありがたい話なのです。

 で、話は戻りまして、昨日家族総出でやってきたのは、無類の片付け好きの妹が、私の家、正確に言うと私と、婚約者のY君の住んでいる家を、大々的に片付けようという計画を立てまして、その第一弾として、収納家具を色々持ってきて、ちらかりにくい家にしうようという事になったからでした。私は片付けができないやつだし、Y君は研究者なので、とても忙しくて家の掃除にかまっているヒマも無く、荒れ放題の家だったんです。そんな家にやってくるたびに、妹は、アレをこうしてこうやって・・・と片付けたくてうずうずしていたようです。
 
 昼過ぎにやってきた家族は、妹の旦那も加わって、台所に収納家具を次々に組み立て、私が乱雑に詰め込んでいた乾物類、食器、引き出物、タッパー、等などを、どんどん収納してゆき、次に居間になっている六畳和室の押入れから、地層のように積み重なって押し込まれていた、私にもわからなくなっている色々を全部出して、収納家具を魔法のように詰め込んで、きれいサッパリ収納してしまい、Y君の書斎の、スーツなどを掛ける家具も大型の物に取り替え、ゴミ袋6つ分ぐらいのゴミを捨て、夜にはすっきりした部屋で、みんなでお寿司を頂いていました。
 
 その間私は、姪の遊び相手と、愛犬の世話をして、ただただ茫然と、素晴らしい魔法を見つづけている状態でした。こんなに片付いたのに、妹と母はまだ気がすまないらしく、もっともっと、お姉ちゃんでも散らからないように、細かな引出し収納物を持って、またやってくると言っています。その際、シールを持ってきて、この引出しは「郵便物」とか、「工具類」とか書いて引出しごとに分類して張ってくれるそうです。そうすればパニックにならずに、これはここへ・・・と、ひとつひとつ拾ってでも片付けられると、ADHDのどなたかのHPに書いてあったそうです。確かにそうしておけば、どうやって片付けていいかわからなくてほうけてしまったりしなくて済みます。私はなんて恵まれてるんだろうなぁと、感謝感謝の一日でした。
 
 そのおかげで、鬱はだいぶ解消されました。薬も確かに鬱には効きますが、やはり愛情が第一、そして、散らかった部屋がすっきりしてストレスが減る事が大切なんだと身にしみてわかった一日でした。そしてこのきれいな状態を一日でも長く保つ努力をしようと、心に誓ったのでした。その誓いが何日もつかは、わかりませんが・・・。
 
by こゆき

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■ 癌かもと言われたとき 2003/09/23   (BBSよりご本人の了承を得て転載)
 
  先日の人間ドックで、肝臓癌の疑い、および乳房種瘤の疑い、の2点が出ました。肝臓癌のほうは、内科の主治医がすぐに検査をしてくれて、大丈夫だったのですが、乳房のほうは、今度の水曜日に検査を受けに行きます。
 
 そんな時に、不安な気持ちを追いやっても内面的には、消化できないですね。
 
 友人が、こんこん咳をずっとしているので、病院行けば、と勧めたのですが「忙しいから」と先延ばしにしていて、病院へ行った時はもう余命3ヶ月と宣告されました。
 
 そして、本当に3ヶ月で亡くなりました。
 
  どんな言葉をかけていいのか、わかりません。自分もどんな言葉をかけられたらいいのかわかりません。
 
 でも、少なくとも心配してくれる人がいるということだけでも、心の不安定さを補ってくれるのではないかと思うのです。
 
 自分も追い詰められている時は、人に何も言えないかも知れない。
 
 先日、久々に会った元主治医から、その先生の後釜でいらした先生の行方を聞きました。後釜の先生は、すごくいい主治医でしたが、だからこそ緩和ケア病棟に抜擢されて私の元から去っていきました。でも、「自分には向いてなかった。毎日辛いよ。」とおっしゃっていたから、どうしていらっしゃるかなあと思ったら、やはりギブアップしてしまったそうです。
 
 いろいろなことが、交錯して、混乱します。
 
 主治医を責めたり、自分を責めたり、助けを求めたり、はぐらかそうとしたり、いろいろなことをしてしまいます。
 
 それでなくても、精神が不安定なのに。
 
by musica
 
 上記の結果についてです 2003/09/25
 
 今日、乳がんの検査に行ってきました。いたいマンモグラフィーをまた撮って、超音波で検査しながら、医者はしきりと首をかしげている。「どっち?」と聞かれたが、人間ドックの結果には、どちら側か書いてなかった。
 
 結果的に、両側を丹念に調べてくれて、医者は言いました。「あのね、大丈夫だよ。他の病院のドックなんか、受けないでいいよ。うちの病院で年一回で十分だからね。」
 ふうー。セーフ。
 
 でも、ドクターの言うことは当たっています。おかげで13600円かかったし、心配料も含めて、人間ドックやったところに「返してくれー!!!」と叫びたい。
 
 でも、癌かもしれないと思った時に、いろいろなサイトを当たりました。結構自助会のようなものがいっぱいありました。
 
 乳がんの自助会はなんとうちのすぐそばにあって、乳がんと言われたら行こう、と心に決めていたりして。
 
 人騒がせな人間ドックでした。疲れました。

by musica
 
 しかし、定期検診はやはり有効だと思われます。たしかに、かつてわたしが勤めていた会社の社長は人間ドックで大丈夫と言われた直後に心筋梗塞で急死し会社は身売りしましたし、わたしの友人は人間ドックで大丈夫と言われ、ただし皮膚の一部がただれているので専門医に行くように言われて皮膚科に行き、(と言っても忙しさにかまけてずうっと時間が経ってから行ったらしいですが)そこで大腸癌が見つかって改めて癌専門病院に行き、かろうじて死を免れた経験を持っています。長生きをしたけりゃロクスケよ、皮膚科に行け、と見舞いに行ったとき述懐していました。それにしても、大腸癌は発見しやすいはずなんですが。
 
 どうも人間ドックはおざなりで見落としが多いのではないか、とはちまたの噂です。また確かに金もかかりますしね。で、わたしの場合、胃の具合が悪い、吐き気がする(仮病)と言うことで総合病院に行き、あそこも大丈夫ここも大丈夫と色々な所で検査を受け、胃カメラや心臓のモニタリング、負荷運動、心電図、MRIなどを数日掛けてやりました。この方法の方が確実だと、大きな声ではいえませんが、やっている連中が居ます。
 
from ロクスケ

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■ 忘れるべき事
  連載  9
 
  無駄なデータはさっさと捨てる
 
 いつも言われる事だが、ADHDは整理整頓が下手で、掃除が苦手だ。これはものに限った事ではなく情報についてもいえる。つまり、頭の中で情報がきちんと整理されていないと言う事だ。
 
 ADHDの中には、雑学を持っている人がかなりいるようだ。むろん、好奇心が旺盛という面があり、一つの事に執着しないですぐに興味が移り変わるという面もあるからだろう。雑学自体は決して悪いものではない。雑学を収集する事で脳が鍛えられ、思考のバックグラウンドが拡がり、脳の老化が防げる。いつも若々しく柔軟な脳を持っている事は豊かな人生を築くためにも大切な事だと思う。
 
 ただ、問題は、雑多に蓄えた知識が雑多に脳みそに詰め込まれている事だ。まるで乱雑な部屋のように、脳みそのあちらこちらに脈絡無く雑学が詰め込まれ、時に音を立てて崩れ落ち、何か必要なデータを探し出そうとしてもがらくたの山に埋もれた状態では引き出せない。無理をして引き出そうとすると、よけいなデータまで飛び出してくる。
 
 まるでその様子が目に見えるようだが、ADHDが雑念に悩まされ、一つの事に注意を集中していられない原因の一つになるのだろう。とにかく、頭の中に乱雑に詰め込まれた情報を掃除し、整理しなければならない。
 
 それは、ちょうど部屋を掃除するのと同じ事だ。まず、要らないものを捨てる。情報の中にも古くなった、あるいは間違っていたなどの理由で不要になっているものがたくさんある。これらの不要な情報は、情報を蓄える段階では役だっても現在は積極的に捨てる必要がある。
 
 幸いな事に、人間には忘れるという能力がある。ちょっと脱線するが、物忘れを嘆く人は多いし、年とともに物忘れが激しくなったと言う人も多い。だが考えてみよう。もしものを忘れる事が出来なくなったらどうだろう。
 
 辛い思い出にいつまでもとらわれ、必要な情報と不要な情報が入り交じり情報自体が役立たなくなる。人間の頭にも限界があり、すべての情報を理解する能力が当然無くなる。世の中には、グラフィックメモリーという能力を持っている人たちがいて、見聞きしたものをまるで写真でとるように記憶してしまう。だが、それら記憶したものをすべて意識していると脳が保たないので、記憶しながら意識をしないのが普通だ。
 
 一方サバン症候群という状態が知られていて、一部知的レベルの低い人たちに極端な記憶能力を持っている人たちがいる。2万年分のカレンダーを記憶している人、一度聴いた音楽を記憶し、練習した事のないピアノですぐ弾ける人、数千冊の本を丸暗記しながらその一ページも理解していない人などなど。
 
 ものを忘れる事が出来ないと、このような事が起こりうる。従って、まず、不要な情報は積極的に忘れる事を心がける。
 
 次に整理する。ある関連した情報はそのグループに分け、グループごとにまた大きなグループに入れて整理する。パソコンの中にフォルダーを作って、その中にファイルを整理しておくようなものだ。
 
 その整理の段階で、新たに捨てるべき情報が出てくる。そうやってはっきりと捨てるべき情報を見つけだし集中して捨てる事を、つまり忘れる事を積極的にすべきではないだろうか。一方、常に新しい情報を獲得して行く事も必要なのだが。
 
 具体的に忘れるにはどうしたら良いか。情報の上書きをすればよい。これもパソコンと同じだが、ある事柄に関して忘れるべき情報を意識しながら新しい情報を強く意識して記憶すると、新旧の情報が入り交じらなくなり、うまくすると古い情報を忘れる事が出来る。仮に忘れられなくとも、新しい情報を思い浮かべる事が出来るので、間違いが減るし、時間が経てば古い情報は忘れられて行く。
 
 考えてみれば、意識しなくとも同じ事を人間は日常的にやっている。それを意識して、技術として取り入れればよいと言う事なのだ。 

by ロクスケ

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   ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ★編集後記★
 
   ■ また北海道で大きな地震がありましたね。つい先日宮城で大地震があり、ついつい先日東京で震度4の地震があって、なんか多いなぁと思っていた矢先でした。 みなさんの中に被災された方はいらっしゃいませんか?被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
 
 日本は世界でも有数の地震国で昔から地震による被害が続いていますが、この国に住んでいる以上地震は避けられません。地震が来てもその災害からどうやって自分を守るか、という意識を持つしかないようですし、また昔は何万人も亡くなったのに今は防災意識が普及し、また技術的な進歩もあり、100人も死ぬ事は無くなりました。(阪神大震災は痛ましい例外ですが)
 
 やはり、日頃から常に準備をしているかいないかが生死を分けるようです。
 
 ■ おれおれ詐欺の被害が続いていて、被害者は年輩女性が大半です。やはり、現在高齢になっている女性は社会経験が少なく警戒心が弱いのと、やはり判断力が弱くなっているようです。今現役の女性は昔と違い十分社会経験を積んでいるケースが多く、今の高齢者とは違うでしょうけれど。でも、男性でも身に覚えのないアダルトサイト閲覧やアダルトビデオ購入の請求書を送られて、後めたさから払ってしまう人も結構居ます。どうも、思いこみの強い人が引っかかりがちじゃないでしょうか。自戒せねばと思った次第です。
 
 ■ 前回ご紹介した時計を少し充実して、焼き板でケースを作った時計を作ってみました。

http://addproject.cool.ne.jp/tokei/tokei.html

 に載せてありますので、興味のある方は覗いてみてください。和風の焼き板ケースの時計はとても100円で出来た(わたしの場合ですが、あり合わせの材料を使えばそのくらいの費用かと思います)とは思えない見栄えです。作り方も簡単で、ちょっと手を掛ければ何処にでもある道具で作れますよ。もし、時計を作ったら画像を送って紹介していただければ嬉しいですね。サイトに載せてみたいと思います。
 
 具体的な根拠はありませんが、わたしの私見として時計によらず、物作りはADHDにとって好影響があるような気がします。わたしも色々作っています。電気スタンド(これは簡単、誰にでも作れます)、キッチンワゴン、パソコンケース(あり合わせのベニヤ板で)、真空管アンプ、鉋やノミなどの刃物(仕事用の道具)などなど。また、つい思いつきで作った竹製鉛筆ホルダーがえらく気に入って今や手放せません。この鉛筆ホルダー画像を、ついでと言っては何ですが、上記の時計画像に入れます。つまり、簡単に作れても愛着がわけば作る価値が非常にあるという事を言いたかったわけです。
 
 ■ やっと秋が来て、色々な食べ物がおいしくなる季節です。せっせと食べるようにしていますが今まであまり食欲がなかったのに不規則な生活をしていたために腹が出てきてしまいました。
 
 エクササイズをするように運動メニューを作っています。メニューを作って、実行出来ればいいんですけれどね。しばらくは過ごしやすい気候が続きますし、せいぜい運動をしようと願っています。
 
 ■ 当WingBrain委員会にも新メンバーが加わり、そろそろ次の具体的なプロジェクトにかかっても良いかと思い始めているところです。最近、定例チャットもやってますし。  
  


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