Wing Brain メールマガジン 第424号
2018/05/27(日)発行



目次
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●英語を学ぶ意味 ロクスケ
●うっかりミス等の撲滅(19) なさ
●うっかりミス等の撲滅(20) なさ
●連載 第390回 健康で生活するために 自家製味噌 ロクスケ
○編集後記




● 英語を学ぶ意味
英語に限らないが、外国語については何度か書いている。もう一度整理してみたい。

私としては、日本人が英語を学ぶ必要は基本的には無いと考えている。なにしろ、日本語だけで世界でも特殊と言える独自の文化を築き上げ、歴史を支え、そして近代化を成し遂げ、さらに現代でも先進国として高い技術、経済力を築き上げている。そもそも、日本は開国後急速に発展し、4半世紀の内に世界の強国に列せられている。

それらは全て日本語だけで行われ、そして行われ維持され更に発展している。自国語だけで最高レベルの教育を行える国はざらにはないし、今も日本語だけで世界最高水準の教育を受けられ情報を受けられる。日本人が英語下手なのは世界でも有名だが、必要がないのだから上手になる理由がない。

途上国などでは英語が話せなければ教育も受けられず就職も出来ないから、英語はより良い生活のためには必須なのだ。だから嫌でも英語は短期間に上達する。英語ではないが、日本に働きに来ている途上国の人々は非常に短期間に日本語が話せるようになり、三ヶ月も有れば日常会話には不自由しなくなる。

さて、今日本では英語教育が必須であるかのように喧伝され、小学校から英語教育をすべきだ等との意見があるが、言語とは思考の道具であり、日本語をしっかりと構築しなければならない幼少期に外国語でそれを乱すなど、百害有って一利もない。

私としては、学校教育に英語を取り入れる必要など一切無いとさえ思っている。その分きちんと日本語教育を行うべきなのだ。それでなくとも現代の若い世代の日本語は信じられないほど衰えているし、ライトノベルなどで褒めそやされている日本語の幼稚さは到底読む気にもなれないレベルだ。

とは言いながら、私自身英語はある程度使えるし、実際にネットでYoutubeなどは英語の物をごく自然に観、理解しているつもりだ。が、これは私が仕事上必要になって、社会に出てから自分で学んだのであり、無論学校でも英語は習ったが殆ど役に立つレベルではなかった。必要になってから自分で学び始めても充分英語は身に付く。文法も要らない。発音も不完全だろうが、完全にする必要など無い。とにかく聴き、真似をしそれを繰り返すだけであり、まして外国に一人で行った場合などは嫌でも身に付く。三ヶ月も有れば生活は出来るし、専門的なディベートなどでも一年でおつりが来る。大体が、アメリカ英語もイギリス英語も身につける必要はなく、国際語である英語が身に付けばそれが一番良い。しょせん、アメリカ語もイギリス語も国際英語の方言でしかないのだから。

言い換えれば、そのような必要性がないなら、英語など100年学んでも身には付かない。無駄だからやるべきではない。趣味ならそれでも止めろとは言わないが。

むろん、一度身につければ英語が便利であるのは間違いなくお陰で日本語では得られない情報が得られるなど、その利益は計り知れないが幼少期から日本語能力を犠牲にして身につけるべき物ではない。そんなことをすれば、日本語情報理解が出来なくなるだけのことだ。

さて、外国語の学習にはもう一つメリットがある。言語は思考の基本的ツールであり、外国語を身につければ思考方法に幅が出来る。日本語で、どうやっても他国には訳せない表現があるが、たとえば侘寂(わびさび)等まず外国語に訳すのは不可能だろう。逆に外国語で日本語に訳せない言葉も数々あるだろうが、そもそも日本人にそれを理解する必要性がないからだ。

外国語の本を読んでみて、むろん外国語理解力の不足があるからだろうが日本語で考えることが出来ない場合があり、そのようなときは外国語で考えるしか仕方がない。もともと、外国語を話すとき、日本語で考えてから外国語に訳して口に出すなど実際の会話では不可能であり、外国語で考えているのだ。極めて未熟なレベルだが、それでもフランス語、ドイツ語、スペイン語などはそれぞれの言語で考えている。だから会話が成り立つ。

これは脳の言語中枢を中心にかなり刺激しているのだろうと思っている。その点で、語学の勉強は終生役立つと思っているから、私は未だに学んでいる。が、そうでないなら、日本人が英語も他の言語も学ぶ必要など無いし、まして貴重な若年の学習期にそんなことで時間と知力を無駄にすべきではないと信じている。

仕事などで使うのでなければあとは趣味としてやる分には問題もないだろうが、趣味としての語学など絶対に実用にはならない。

by ロクスケ




● うっかりミス等の撲滅(19)
本記事は、うっかりミス、忘れっぽさ、勘違い・思い込み等の短所的特性、特にいわゆる認知の歪みに起因するエラー撲滅のために考察と実践を行うものである。

これまでに、それらの特性を人間工学・認知心理学的な観点から3つに分類した。そのうちの1点目「情報のインプットの過程におけるエラー」を採り上げ、その過程をいかに的確にモデル化し、具体的に何がどう歪んで、ずれているかをつぶさにリストアップする必要があると述べた。その上で、そのエラーを五感(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)の観点から分類し、視覚から順に考察を始めている。

これまでに、様々なエラーを効率的、体系的に整理する必要があり、それに有効な方法としてラベリング分類を挙げた。例を用いてその方法を実践した上で、手順のマニュアル化に取り組んでおり、その手順を回を分けて説明してきている。421号からは、エラーの整理を超えて、そもそも日々のエラーを防止するための手法についても触れてきた。今回もその続きを説明したい。



(10) 一つ一つの言動を分解して意識する

この手順も、前回までに挙げた(5)〜(9)、特に「(8) 途中途中で何かエラーが無いかと意識する」と併せて行うようにすると効果的であろう。むしろ、(8)を単独で漠然と大丈夫かと自問自答するよりも、この(10)を組合わせることで大丈夫か否かの検証対象がより具体的になる効果もあると考えられる。

炊飯器のタイマーをセットする、かかってきた電話に応対する等々、日常のあらゆる時々刻々の自分の言動につき、419〜420号の(2)〜(4)で述べた文節に分解する要領で、徹底的に細かく分解して意識してみるのである。自分の発した言葉について、何という言葉を何秒かけて、どのような言い方(速さ、イントネーション等)で発したか、あるいは手足や視線等の動きならば、右手をどの位置からどの位置にどういう動きで移動させたか等、時系列で可能な限り細かく意識(可能ならば記録)する。いわば、自分そっくりの精巧なコピーロボットを製作するために自分自身の言動を模写するような感じである。



(次の記事(20)に続く)

by なさ




● うっかりミス等の撲滅(20)
ここでは、前記事(19)で述べた手順の続きを説明したい。



(11) 日々の計画を事細かく立て着実に実行する

これは、これまでに述べたすべての手順を計画倒れにならず着実に少しずつ実行してゆくための最も根本的かつ必須の手順である。

いくら事細かく理屈で手順が必要と論じても、それを実行しきれなければ机上の空論に過ぎない。理屈で述べたことを体現、実行しきってこそ説得力もあるというものである。一般論として、手順が多岐に渡り、事細かくなるほど、全てを日々欠かさずに実行しきるのは容易なことではない。途中で一部または全部を忘れてしまう、または分かってはいるがやる気スイッチが入らず挫折してしまうこともあろう。



そこで、毎日朝から晩まで、ある程度細かくこなすべきタスクをリストアップし、できれば時系列で予定表に計画を書いて、できる限りその予定・計画通りにこなしてゆくことが必須でないかと改めて考える次第である。

なお、「改めて」と言ったのは、もうかれこれ7〜8年前になるが、2011年頃のある時期、ふと一念発起して、一日の予定表を事細かく書いてその通りに実行してみたことはあったからである。当時は数日続いて段々と挫折してしまったが、7〜8年ぶりに改めて挫折対策の上で再度実行してみようということでもある。

これまでに述べたすべての手順だけでなく、日々の小生の仕事の各タスク、さらには、このメルマガの原稿執筆・編集作業自体もその計画の中に組み込み、着実に実行してゆきたいと思う。



因みに、このメルマガの小生担当箇所、即ち小生自身の原稿の考察・執筆、ロクスケ委員長から頂戴した原稿や編集後記を挿入させていただく形でのメルマガの下案編集とロクスケ委員長への提出(最終段階のメルマガ発行自体は、ロクスケ委員長に一貫して行っていただいている)につき、前号発行日には次号分を提出する流れで来ているが、ここに来てズルズルとずれ込み、本号の提出は前号から1週間も遅れてしまい、委員長にご迷惑をおかけした。

ここ最近続けて仕事に追われ、残務を終えるのが午前0時を回ることも少なくなかったが、睡眠時間も十分に確保できておらず、全体的にもっと効率的にこなすための改善の必要を強く感じていた。そのためにも、この(11)の体現は必要不可欠と言える。



今回はここまで。次回以降は、特に(11)の実施状況を中心に、(2)〜(10)の実現の進捗をできるだけお伝えしてゆきたい。

by なさ




● 連載 第390回 健康で生活するために 自家製味噌
味噌は日本独自の調味料であり、日本食には醤油と共に欠かせない物であろうが、その味噌も日本各地で、それぞれ独自の風味がある。嘗て仕事のために日本各地を歩き回り、各地の食事をしたが、醤油や味噌のそれぞれの土地独自の風味の違いに興味を持った。

私は北海道で育ったために北海道独自の白味噌が未だに基本となっている。昔は流通が発達していなかったし人の交流も盛んではなかったから地方独自の味噌が発達したのだろうが、今は流通も人の交流も発達しているので、全国どこの味噌でも、全国どこでも手に入る。が、私は、自分で味噌を造っている。

ほぼ2年に一度くらいだが、大体25kg位ずつ造り、2年ほど寝かせて完成する。ごくたまに失敗するが、大体は非常に旨い味噌が出来る。一度完成すると、小分けにして冷凍保存し、熟成を止めることで、大量に造ることが出来るようになった。それまでは精々毎年7,8Kg造るのが精一杯で、食べ終わる前に熟成が進みすぎて食べられなくなるからだ。北海道の白味噌は塩分がとにかく低いのが特徴と言える。麹の甘みが適度に有って、体にも良いと言える。

むろん、北海道味噌も今はどこででも買えるが、自分で作った味噌とは比べられない。それほど、自家製味噌は旨いし、なにより無添加であることは保証済だ。

自分なりに何度も経験してそれなりのノウハウを持っているつもりだが、今ではネットなどで簡単に材料も買えるし作り方も分かる。自分が育った味の味噌を自分なりに造るのはかなり楽しいし、かなり簡単に出来る。それに、安い。なにしろ高級味噌はかなり高いが、自家製味噌は量にもよるだろうがかなり安上がりだと言っていい。

糠漬けなどにも言えるだろうが、自分の味覚にあった発酵食品は自分で作るなどすれば、同時に身体にも優しいのではないだろうか。 

by ロクスケ




○ 編集後記
■ 今年は気候が不安定で、3月に初夏の陽気になったり5月に3月並みの寒さになったりで体調を崩す人が多いようです。しかし、このくらいの天候不順は毎年言われているのであって、つまり気象庁の発表する平均気温や天候はあくまで平均。気候が安定しないのは自然現象である以上当たり前ということでしょう。

■ ということは、気候が不順であれば体調も不順であろうというのは当然であり、春はかったるく、夏ばてをし、秋はけだるくて冬は寒さに縮こまり風邪を引くのも当たり前と言うことになってしまいます。その上で、そうならないように身体を鍛えておくのが必要なのであって、体調不良を季節のせいにしても始まらないと、最近つくづく思うようになりました。
(この項までロクスケ)

■ 連休も終わり、5月も後半になりました。本号が発行される頃には5月ももう終わりになります。本当に早いものです。関東では5月は真夏日が続いたかと思えば、急に春先並みに肌寒い日に戻るなど、相変わらず気温の変動が激しい日が続いています。今月に入りうかつにも風邪をひいてしまいましたが、改めて、体調管理には万全を期したいと思います。

■ 小生の原稿でも触れましたが、7〜8年ぶりに1日の中で時間割というか予定表をある程度事細かく立ててその通りに実行してゆくという取組みを改めて再開したいと思っています。1日24時間をできるだけ有効に使うため、物事の要領の悪い小生には必須と思っています。計画を立てること自体は好きなのですが、果たしてその通りに実行できるかどうか。経過は追ってお伝えします。
(この項、なさ)



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