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★目次 ★

 ■ 鬱の日々-その2                 mogurin
 ■ 事の顛末                    musica
 ■ 楽な生き方                   こゆき
 ■ 省エネ生活       連載 12        ロクスケ


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■鬱の日々_その2

運動がいいとわかっていても体が動かない。
片づけたほうが気が楽になると知っていても、物をわきへ寄せることさえしない。
どうしようもなくなってからおもむろに活動のエンジンがかかる。
他人からみたら、単になまけているだけにみえる。
自分がみても自分はなまけものだと思っている。
日曜、祭日などぽっかり時間があいたときが特に困る。
前日から酒を飲んで体細胞の末端まで酔っぱらっている状態だ。
起きあがることができない。
地球の引力を振り切って床の上に二脚でしっかりと立ち上がる、これは大変な意志の
力を必要とする。だいだい地球上の生物のうち、陸上のほ乳類は大半が四つ足である。
二足歩行をするのは人類と一部の霊長類にすぎない。二足歩行のおかげで、人類は両
手が使えるようになり、大脳の発達を促し、こざかしい文明を築き上げたが、その代
償として、移動速度の低下と、弱点である腹部を敵にさらすという危険を背負ったわ
けだ。胃腸病と肩こりは二足歩行がきっかけに生まれた人類の業病ではないかしらん。
そんなことを考えながらうだうだ布団のなかでもがいている。
そうこうするうち、膀胱が破裂しそうになり我慢の限界に達する。
おもむろに飛び起き、トイレに駆け込む。
我ながらくだらない人生を送っている。
きょうはビールと麦茶の空き缶を6個、コンビニの袋につめて口をしばった。
食べさしのプラスチック容器は水道水でざっと洗って、したたっているやつをそのま
ま袋に詰め込む。ネギとラーメンの袋もくしゃくしゃにまるめて詰める。びんのふた
も割り箸もなんでもかでも詰め込む。しばった袋がみっつできた。袋の底から割り箸
がつきだして、なにやら汁がぽたぽた落ちている。下に手を添えてそのまま歩く。
玄関の戸を肩でおしあけて外に出る。
地面の反射がまぶしい。
影が短く、正午をすぎているようだ。
階段の下の不燃ゴミ置き場に袋を放り込む。
台所に戻ると流しの隅にまだ生ゴミがだいぶ残っていた。
昨日食ったそうめんとモツ煮の食べさしだ。
まだ臭くないから大丈夫だ。こいつが実際に腐敗し、耐え難い臭気を発するまで
まだ40時間はかかるだろう。
そう思って部屋に鍵をかけ、外に出た。
面倒なことはなるたけ回避する、そんな習慣がついているようだ。
それに、なにごとにつけても自信がないのである。
借りていたビデオを返却した。
一週間レンタルで二本借りていたのである。ハリウッド映画「ネバーセイダイ」と中
国映画「至福の時」の二本。
だいたい僕は借りていたビデオをちゃんと最後までみて返すことが少ない。
一週間の執行猶予があるということで、安心してなかなか見ないので、結果的にみる
時間がなくなり、最後まで目を通さずに返却するのである。
あるいは、見始めたはいいがあまりにつまらないので、すぐに飽きてそのままといっ
た例もある。幸運にも最後まで鑑賞できた一本は、よっぽどおもしろい内容というこ
とになる。
この日は、めずらしく二本とも最後まで見ることができた。
ことに中国映画のほうは感動のあまり泣きながら見た記憶がある。
満足したのである。
そんな顔で店員にビデオを渡した。
茶髪の店員がけげんそうな顔をして「すみませんが…」
僕は、はっとした。もしかして延滞では、いやそんなはずはない、借りたのは先週の
水曜日だ。まだ期限内のはずだ、いや、しかし、しかし自分の記憶ほどあいまいな物
はない、もしかしてまた一日延滞?すると二本で600円?くそ、痛い出費だ!もう二
度とビデオなんか借りてやるものか
「ちゃんと巻き戻してください」
そういって店員はネバーセイダイのビデオのラベル面をこちらに向けた。
「あ、すみません」
巻き戻しを忘れていたのである。
「結構です」
僕はビデオ屋の外に出た。
またつまらないことで動揺した自分にうんざりしながら。

by mogurin


鬱の状態だと、まさにこの通り。わたしもその傾向がありますが、程度はその時々でひどかったり何とかなったり。わたしの場合ですが、ひどい状態が続いていると、かりに多少良くなっていてもどうせ駄目だろうと思いこんでいる場合があるようです。

とにかく、やってみる事にしていますが、案外出来るときはそれがきっかけで精神的にも楽になります。やってみようとしてその気にもなれないときは、まあ死んだ振りですね。

mogurinさんも自戒しているように、怠け者に見える時と、本当に怠け者になっているときがあった、やっかいな事に自分でもその区別が付かない。だから、とりあえずやってみようとして確認する作業が有効だと気が付きました。確認する気にもならない・・・死んだ振り。

from ロクスケ

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■ 事の顛末

次男との会話の中で、子供たちが元夫の恋人と会っていることが判明し、私は、彼女を心から恨みました。そもそも「自分の子供(娘)に近づくな」と内容証明なんか送ってきたのは向こうで、私は「じゃあ、あなたもうちの子供に近づかないでね。」それから元夫には「父親として、一人で子供と会うよう」内容証明をお返ししておいたのですが、全く無視されていたようです。

 長男が小学校1年の時から同じクラスに彼女の娘がいて、いっしょの学童保育に通い、兄弟のようにして3年間過ごした後も、大勢の学童仲間とともにいっしょにキャンプに行ったり、スキーに行ったりする仲でした。でもそれでも、後半、彼女が元ダンにかなり入れ込んでいるのはわかっていたけれども。でも、中3で卒業まで同じクラスだった子供の母が、子供を置いて毎晩私の元ダンの家に入り浸りというのも、けっこうげんなりな話で、彼女に離婚別居後1ヶ月で「プロポーズされたの〜うふっ」なんて告白された仲間は「体中が鳥肌たった」と嫌がっていました。まあ、私に捨てられた元ダンは、新しいお母さんが必要だったのだろうけれども。

 で、何が嫌かって、元ダンには全然未練はないし、もう絶対にいっしょになんかなりたくないし、もともと稼ぎも悪かったので、いなくていいのだけれども、子供たちが会うときに、なんで彼女がいつもいっしょなのよ!!!!!!!!!という、苛立ち。

 しかも、次男に言わせると「彼女は普通の人だね。ま、お母さんとお父さんは人格破壊者だけど。」とその言い草がまた、もうどうしようもないくらいに、ハラがたつんです。

 わかった、もう、このうち売ろう、ね、もう私たちは別々に住もうよ、彼女とのんきに会って話している子供となんていっしょに暮らしたくないからさ、と私が切れると、今度は、この家にものすごい愛着のある次男が切れる。ののしりあい、攻撃の応酬、最後は、私は消えたくなる。

 薬に手が伸びる。今回の次男は泣きながらこう言った。土下座してね。「おかあのさあ、自殺、見なかったことにするからさあ、それでいいよ。大きくなるまでそだててくれてありがとう。もう、自由になっていいよ。じゃあ。」って。家出て行った。手のひらに押し出した薬が行き場を求めている。無性に少量に思える。がばと飲んで、また残った薬をだかだかと飲んだ。

 頭が朦朧としている。そのうちに次男が戻ってきた。なんだあ?その時、偶然にも、友人が電話を寄越した。「ちょっと、あんた、おかしいよ。なにやったのさ。こどもは?え?電話教えて、子供の。早く」電話がかかってきた次男は、教師に叱られたように、救急車を呼ぶ。

 意識がだんだんとなくなっていく。救急隊のおじさんが「この薬全部飲んだんだね」と聞く。もうあとは覚えていない。

 次男からのメールで長男が私の親友に電話する。親友は「間に合わないかもしれないから、言ってきて見て頂戴。」と私たちの仲間に頼む。次男と仲間の一人が救急車で病院へ。親友のほうは、後ろの車でと言われて、それに乗って病院へ着いたら「さて、何があったんでしょうか。話していただけますか?」と相手は覆面刑事。はあ?と思ったそうだ。

 親友にだって、その晩の出来事なんかわからない。

 ともかく、親友が私の実家に電話して両親と姉を呼んだ。

 私は意識がない。ただ、何年か前の胃洗浄のように地獄絵だったような気がしない。多分、今は技術が進歩して胃カメラで、吸引したんだろうと思う。水でやる原始的な胃洗浄は、死ぬより辛い。胃袋にぱんぱんに水を入れて、うつぶせにして、喉に手を突っ込まれて、上から押すのだ。髪の毛はびしょびしょ、おされた背中が痛いこと痛いこと。もっとも、今回は死ぬという大きな危険よりも意識がもどらないかもしれないとか、自発呼吸ができなくなる可能性のほうが高かったらしい。私は、大事をとって(と言うよりも、その日は満ち潮だったのか、大勢の重症患者が運ばれてきたらしい)挿管された。今も右唇の端っこが割れていたい。喉も焼けるように痛い。そうだ、ラインが入らなくて、7箇所刺されてやっと一箇所確保したのは覚えている。相当に痛かったのだろう。

 私は意識が2日もどらなかった。朦朧と父母や姉の顔は見えるのだが、自分の意思とか自分の考えとか自分の声とか全くない。

 意識が戻った時のことも覚えていない。ただ、ふと小さな病室に寝ていた。前のように、ベットの柵をおろしてはいけないとか、トイレに一人で行ってはいけないとか、うるさい看護士がいない。ただ、げろげろとオムツに中和剤とともにでるものがでていくのだ。ものすごい異臭とともに。

 3日目には、もう歩いていた。4日目に、神経科に移った。これが最悪だった。その病院の神経科はものすごくレベルが低かったのである。見ただけでもわかる、弱い抗不安薬、主にパニック障害に効く薬のみが日に6錠も出された。そして、夜も弱い睡眠剤のせいで、夜中に1時間おきに「眠れません」と薬の追加をお願いに行く。そして、最悪なことに夜中の3時過ぎになって、信じられないほどの強い向精神薬がばーんと出るのだった。

 私は、ドクターを捕まえて、「もう自殺念慮はありませんから」と懇願して、さっさと退院した。ドクターからも、その日職場に行くと言ったけれども「自宅療養の必要性」などの文句は一言もなかった。7階から階段でおりたら、ふらついた。

 タクシーで自宅にもどり、タクシーで出勤した。ところが、こんどは課長さまさまだ。母が何か言ったらしい。課長は「今日の出勤は認めない。明日までの間、病欠をとって休むように。」との仰せ。30分やりあった。「顔色が悪い」「そんな、病院でろくに化粧品もなくて化粧したからですよ。」「いや、目つきが変だ」「それは、病室が毎晩いびきの大合唱で全然眠れなかったのでそりゃあ、眠いですよ。でも、仕事はできます。」「いや、もう他の人にもできるように体制を整えている」「課長、この仕事は手馴れてないとできないんです。1円でも違っていれば、新聞に載ることもある。その時責任取らされるのは課長ですよ。それに、職員も手一杯だ。片や夜残業のできない高卒君と31歳君の2人ではできません。」「いや、できる。責任なんか俺が取ってやる。」・・・・あ、そうですか。じゃ、休みましょ。

 気が抜けると、気力も抜ける。現場の人たちは明らかに私に仕事をやって欲しがっていた。だから、13時に行って、16時までは質問やら、整理やら、進捗状況を見ていた。今日までの仕事が終わっていなかった。もう、あえて言う気にもならなかった。

 夜7時に医者に行くために、その間職員保健室で休ませてもらった。その間に、携帯メールが何通か来た。友達も顔を出した。

 医者は驚いていた。まだ、知り合って浅いのだから仕方がない。だが、話はかいつまんでしたあと、その病院の情報提供書にかかれていた薬が、本当だと知ると「もうちょっと、??って思ったんで、さっさと出てきたんです。」と言ったら、医者も「本当にねえ。他に出しようもあるだろうに!」と言うことで、いつもの薬が出された。でも、1週間後に再度行く。

 ケーキを買って帰ってきた。子供にメールを「ケーキ買って来たぞー」と送るとわらわらと帰ってきた。見舞いになど一度も来ない。おっかーがわりーんだよ。わかったか。とあっけらかんとしている。その後で「おっかあの気持ちもわかる・・・。」としおらしいことも言う。まったく百手観音だ。

 生きているから、喉が痛い。

 もう、自分で死ぬのはやめよう。後が辛い。自分が。死んでしまったら辛くないのだろうが、子供が辛いに違いない。

 むなしいだけで、徒労だったような一週間だった。母が疲労で下血した。別れた夫の母も先達胃潰瘍で大出血したばかり。罪をつくっているのは私なのか。

 ADHDの衝動性には、十分な注意が必要なようです。そうは言ってもね・・・・。私も生身の人間だから。誰もブレーキをかけられなければ、こうなるしかない。でも、少しずつ、おりこうさんになるのよね。こんな歳とっても。今回死滅した脳細胞が、悪いところだったろよいのにね。あー、馬鹿なことばかり。脳みそ、腐っちゃったかもしれないわ。

by musica

少し重い話ですが、考えさせられる内容です。誰も故意に相手を傷つけようとは思っているのではないでしょうが、想いが相手に通じなければ傷つける結果になってしまうでしょう。もちろん、相手の言葉がその時は理解出来なくとも基本的に相手に自分を傷つける意志はないと信じていれば、つまり相手を信じていれば傷つく事はないはずです。そうは分かっていても、出来ないのが衝動性を抱えた人間の問題の一つでしょう。

場合によっては相手と時間的空間的距離を置く必要があるでしょう。一人になって相手と自分の事をじっくりと考える時間があった方が良いようです。わたしはそうしています。その時間が少し長すぎるとは思いますが。

from ロクスケ

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■ 楽な生き方

 私は二十代の後半ぐらいまで、とても緊張するタイプでした。それは、たとえ長い間付き合っている恋人の前でも、親兄弟の前でも、同じでした。自分がどう見られているのかが気になって気になって、いつもびくびくしていました。その上プライドが高いので、失敗を見られることを恐れて、自分を出来た人間に見せようと、やたらと自分自慢をする、うざったい奴でした。
 
 自分の中に芯が無くて、蟹みたいに外側ばかり強化して着飾っていました。
 
 ところが、この一年くらいの間に、なにがあったのか自分でもわかりませんが、すっかりそういう鎧が取れてしまいました。そうなると、とても心が楽です。人の視線が殆ど気にならいので、DAHD特有の、聖徳太子の様な、いっぺんにたくさんの声や音を聞いてしまう現象にも、ぼーっと浸っています。
 
 その時面白いと思う事を、他の人がいても楽しんでできるようになりました。そんなことしたら、変な人と思われる!!と、以前はひどく気にしていましたが、実際やってみると、人はそんなに他人を意識していないという事がわかります。それに、ちょっと変なやつだなーと思っても、個性として大体は理解してもらえるもんなんだ、ということもわかりました。
 
 取り越し苦労に押しつぶされそうになりながら歩いていたんだなぁと、軽くなったこの頃は、思います。どっちかと言えば、今までの変に緊張して、いつも落ち着かなくて、自分の話ばかりする私のほうが、よっぽど変な奴でした。
 
 家の中なんかも、すごーく散らかっているのに、それを人に言えなくて、「私、整頓された家じゃないと落ち着かないの」とか言う友達の前では、私もそうなのー、と言う態度でいたので、いつばれるかとひやひやしてましたが、最近は、そんな見栄を張らなくても自分に安心できるようになってきました。
 
 「こいつは今まですごい優等生みたいな事言ってたくせに、実はそんなぼけーっとした、だらーとしたやつだったのかー!」と、周りに思われたとしても、「そうだったのよー、見栄はちゃってて〜!ごめんね〜!!ほほほ。」という気分で、楽チンです。

by こゆき

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■ 省エネ生活       連載 12

エネルギー配分を決める

たまたま昨日ある人にお会いしたのだが、その人はADHDであり、またパニック障害を持っているとの事だった。

パニック障害とは、何の前触れもなく動悸、めまい、息切れなどの発作におそわれ大体30分くらいで収まるもののその発作に対する不安が高じてそれを何度も繰り返すようになる状態を言う。統計的には大体3%位の人がかかるそうだが、認識が広まってくればもうすこし発生率が高くなるだろうと思われる。

いずれにせよ、ありふれた障害でありきちんと治療をすれば完治するが、放置しておくと慢性化するおそれもある。

ただし、上記のような発作状態は人が不安に駆られたときなどおきるのが当たり前であり、誰でも経験しているだろうし、それだけなら単なるパニック状態であってパニック障害とは言わない。

さて、パニック障害については、思い当たる方は詳しく調べて見る事を勧めるが、とにかくADHDの場合、パニック状態に陥る事がけっこう多い。わたしも自分では気づかないでそのような状態に陥っている場合がかなりあるようで、後から冷静になって考えてみると、早い話があわてふためいて何も考えられない状態になっている事が分かる。その状態に陥る段階を更に考えてみると、ADHDとしては普通の状態と言えるのだろうが、何かの考えていたりしている最中に全く関係のないアイデアが浮かんできたりする。

いわば雑念だが、それが無視出来るときは良い。だが、時としてその雑念に思考が移ってしまい、そうなるとそれまで考えていた事がスポンとどこかへ飛んでいってしまう。当然、新しく浮かんだアイデアを実行し始め、そのうちにまた全く別な考えにとらわれてその方に興味が行ってしまう。こんな事が続くと、次第に雑念のわき出す頻度が上がってきて、あれもこれも考えなくてはならなくなり結局は何をして良いのか何を考えればいいのかが分からなくなり、いわゆる頭の中が真っ白状態になるわけだ。当然やる事なす事失敗だらけで、なにひとつまともに出来なくなる。

不安が高じて発作の起きるパニック障害とは違うのだが、結果として同じような状態になるわけだ。そこまでひどい状態にいつもなるわけではないが、頭の中が混乱するなどはよくあるし、目の前にあるものが目に入らなくて探し回ったり1秒前に考えていた事を忘れたりは日常茶飯事であり、これは自覚出来ていないにしてもパニック状態になっているからと言えそうだ。

パニックに陥っては何も出来なくなる。無駄なエネルギーばかりを費やしあれにもこれにも手を出し、結局何も出来なくて自己嫌悪に陥るというようなことを繰り返す。

これは、考えてみると大変なエネルギーの浪費だと言えないだろうか。パニック状態になって良い事は一つもない。ならば、なぜパニック状態になるのか、どうすればパニック状態にならないように出来るのかを考えておかなくてはならないと思う。

1 自分がパニック状態に陥っていないかを自覚する。自覚出来なければ対処のしようがない。

2 パニック状態になっていると自覚したら、とにかく今やっている事を全部止める。考える事も止め、何かを思いついてもすべて無視する。

3 深呼吸をする。これでたいがい落ち着けるが、パニック状態に陥ってしまっているときは深呼吸は思いつかない。したがって、ふだんから深呼吸を繰り返しくせにしておく。

4 日常的には優先順位をつける事をくせにする。そのためには、思いついた事はすぐにやろうとしないで、とにかくメモをする。それだけで、飛びつく事が大分減る。

5 メモにしたリストがかなりたまってからそれをじっくりと眺めてみると、別に自分がやらなくとも良い事が多数ある。それらを消去する。次に、自分でやった方が良いとしても別に今すぐやらなくても良い事がたくさんある。それらは後回しにしてもよいし、時間が経ってみるとやらなくても良かったということもある。

6 とにかく、何をしなければならないのか、何を継続しなければならないのかをはっきりと見定め、それをしっかりと意識に植え付ける事で、その作業中にまったく別のアイデアが浮かんでくる現象も減ってくる。

7 どうしてもパニック状態が頻発するようなら、取り敢えずは新しく思いついた事はすべて無視をする。これは、せっかくのADHDの才能を殺すようなものだが、いまはとにかくパニックにならないようにするのが先決なので、割り切ること。

わたしにとってはこれらの事が役だったように思える。とくに、to do listを作って、時間をかけて再考する方法は有効なようだ。これにより、相当エネルギーの無駄を省けると考えている。

ただし、これで冒頭に挙げたパニック障害が治るわけではない。本当のパニック障害の場合は、専門家の元でカウンセリングや投薬などで本格的な治療をしなければならない。

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★編集後記★

 ■ 最近我がWingBrain委員会のメンバーオフがありまた。普段、メールの交換などで意見のやりとりをしているのですが、たまに顔を合わせるとやはりまた連帯感も新たになるようです。残念ながら、東京圏に住んでいるメンバーだけになってしまい、関東以外や海外のメンバーは顔を合わせられませんが、その分、頻繁なメール交換などで親睦を深めるようにしています。
 
 ■ 普段のメールのやりとりからメンバー各自それぞれ色々な問題を抱え、悩み、希望を見いだし精一杯生きている様子が分かります。それらの人たちが顔を合わせ、日頃心配していながら元気そうに見えるとほっとします。これもまた顔を合わせることの良さでしょうか。
 
 ■ ADHDの場合、どうしても人間関係をうまく築けず孤立している人が多いようですが、たまには積極的に人と交わり接することも心がけた方がよいでしょう。なんと言っても人間は社会生活を営む動物であり、仲間と一緒にいる事で精神的な安定が得られるように出来ているのです。
 
 ■ その人間関係をうまく築けない人がどうも増えてきているようで、これはADHDとは無関係に人との心の交流を欠いた人が多く育ってきているのではないかと気になります。人間をまるでものとしてしか感じていないような冷酷な犯罪が増え、自分に都合が悪くなれば想像外の残酷なやりかたで殺してしまったりする事件が多くなったような印象があります。
 
 ■ 自分と同じように、他の人も当然様々な感情を持ち、価値観を持ち精一杯生きているのだという当たり前の事を感じていれば、人を傷つけるなど出来ないと思うのですが。
 
 ■ それを更に一歩進めれば、人と接する事でいやされる事も大いにあるし、また自分が人をいやす事も出来るのだと分かるのではないでしょうか。そんな関係を築ける他の人を傷つけるなどとても出来ないはずなのですが。
 
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