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★目次 ★

 ■ ほくろ                   MUSICA
 ■ 傷ついた羽根                MUSICA
 ■ 病気で仕事を休んだとき           MUSICA
 ■ リタリン飲み過ぎました/私の最近の食事   ナオニャム
 ■ 連載 第14回 障害とはどういう状態なのか  ロクスケ
 

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■ほくろ

私には、顔に17〜8個の大小入り乱れたほくろがある。それがトレードマークのようなようなものだった。

ところで、最近離婚のことをまだ引きずっている自分を感じ始めた。もう離婚して3年もたつのにである。元夫と仲良く自然の中で遊んでいる夢をみたのだった。寝起きが非常に悪かった。元夫は私の元友人とくっついて、離婚別居後1ヶ月で結婚宣言したが、いまだに通い妻として、地域の人々の冷たい視線から逃れて二人は別々に暮らしている。彼女は子供が同じクラスで同じ学童保育に通っていたので知り合った仲である。子供たちは、同じクラスで小学校1年を始め、同じクラスで中学校を巣立った。

初め、私の家から30秒の距離に住んでいた。そこに彼女が通ってくるので、当然会ってしまう。捨てておきながら、やっぱりなんだか言っても、嫌なモンである。元夫は、私の子供同然だった。もういい加減親離れしろよと言う感じで別れた。だから、その後もお友達づきあいはできると思っていたのだが、彼女があまりに私を憎んだためにそれはかなわぬこととなった。私は元夫が父親になれないのが嫌だった。そして、ともに働く同士とし
て家事分担をしないことが嫌だった。それから、気に入らないとすねた子供のように、いつまでも口を利かない(最長1年)のが嫌だった。18年一緒に暮らした。でも、重みがない。元夫は私が彼の言うとおりに動く女であって欲しがった。

でも、私は私。自分の人生を生きたい。当然のことである。そして、片付けられない私に家事も育児も家計も負わせて、自由も取られた18年間を私は捨てた。

ごく最近、生まれ変わりたいと強く思う事件があった。本当に死のうと思ったのだが、意識は戻った。私は生まれ変わる代わりに、自分の顔のほくろを全部とろうと思った。つるんつるんの自分になろうと思った。あかんぼうの時はほくろなどなかったのだ。いつの間にか、私はほくろができやすい体質らしい、顔にたくさん、体にもほくろができている。
今日、4つ目を取った。少しずつだが、私は生まれ変わっている。そして、新しい自分の人生を歩き始めている。


もう、死のうとは思うまい。私は前とは変わるのだから。

by musica
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■傷ついた羽根

子供のころ、父や母は姉をとてもとてもかわいがった。そして、姉にものすごい期待をもっていた。姉はおとなしいいい子だった。片や、私は、やんちゃで父母の喧嘩の仲裁にわって入るような子供だった。そのことで返って、父母からは憎まれた。

母はよく私をひっぱたいた。よく叩かれたと記憶している。でも、小学校の4年生くらいから私の握力のほうが母に勝ってしまって、殴ろうとする母の手を押さえると母はもう動けないでいた。何度かそういうことがあって、母はもう叩かなくなった。だが、よく文句をたらたらと言われた。

私がADHDだったからかもしれない。母にとっては育てにくい子供だったそうだ。私は、母が子供が自分の気に入った髪形、気に入った服をきていないとものすごく怒ることが大嫌いだった。母とは趣味がまるで違ったからだ。私は母の分身ではない。だから、万年反抗期と言われ続けた。

父は姉の結婚式でたった二人しかいない姉妹なのに「子供の中で一番かわいかった」と号泣した。そういうことが、すべて私の心には傷になった。

今子供を育てながら、そういう風にしないように心がけているものの、子供の眼から見てどうなのかよくわからない。母は反面教師であったし、私は彼女のように子育てしないと思って初めて子供を作る決心がついたくらいだから、私なりの子育てはしてきたつもりだった。

それにしても、私は大人になりきれない大人なのかもしれない。子供のころの傷は去りがたく、いまだに私は父母を受け入れることができない。鬱の私に「もっと元気な声を出せ」と怒鳴る父に「鬱の人にそういうこと言うと、死ぬよ」と言ってしまう。

だが、子供に反逆されると自分の子育てが間違っていたのではないかと、私は自信を失ってしまう。父母たちは何を言われても「またか」くらいに受け流してしまう。私には受け流しができない。まともにくらってしまうのだ。子供を育てるなんてしなければよかったのかもしれない。所詮、傷ついた羽は戻らないのだ。

ADHDがあったから育てにくかったのだろう。そして、今、ADHDをもち、ADHDの子供を育ててみると、なんと辛いことであろう。仕事でかかえてくるストレスと子育てのストレスで私は、もう半分はひしゃげている。傷ついた羽はもうほとんど取れそうなくらいに壊れている。

by musica

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■病気で仕事を休んだとき

甲状腺機能低下症になって、鬱状態で仕事を休むことになった。朝、ごみだしすると、また11時半くらいまで寝てしまう。なんともはや、時間がもったいないものである。そして、午前中やおきてからも当分おなかがすかないのだが、夜寝る前になると、猛烈におなかがすいてしまう。しかも、甘いものが食べたいのである。

はじめ、痩せてきて「しめしめ」と思っていたが、どうやら元に戻ってしまった。これでは、復帰しても「だいじょうぶそう」と思われて、仕事がどっさりと来そうである。

鬱のせいか、夜は元気だ。夜元気なせいで、朝眠いとも言える。体内時計が狂っているのだろう。もちろん、仕事に復帰すれば、夜は早く寝て朝起きられるようにしなければならない。

昼間は何をするかといえば、パソコンをいじっていたりする。この休暇でホームページなぞ作ってしまった。(^^;;;;こんなことではいけないのだが、かと言って、寝てばかりと言うわけにもいかない。自宅療養とは実にむずかしい休養である。しかし、疲れれば昼間もごろっと横になって眠れるのが至福の幸せかもしれない。復帰すれば、ごろっとなどできないからだ。

あとは、病気休暇の間も、結構病院へ行かなくてはならない。これが結構たいへんなのだ。私など、紹介された病院が結構遠いので、タクシーでいけば3700円くらいかかってしまう。でも、まだ、電車でいく元気がないので、仕方がない、身銭を削っている。

甲状腺の機能低下による鬱とはいえ、内科の内分泌の医者だけでなく、やはり神経・精神科の医者にもかからなくてはならない。しかも、普段からペインクリニックに通っていたり、このところ蓄膿症っぽかったりして、また、免疫力が弱っているのか、婦人科系まで問題ありで、かつ、アレルギーによる眼科、喘息と皮膚科など、病気のオンパレードなので、1日おきに医者にいっている状態だ。

しかし、仕事に復帰してしまえば、またベルトコンベアーのように平静な毎日が待っているのだろう。サラリーマンとはつくづくつまらない商売である。しかし、病気休暇がとれるのは、特権でもあるかもしれない。

by MUSICA
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■リタリン飲み過ぎました

先日 リタリンを飲み過ぎてしまいました。自分では最初はいつも鬱と思って、死にたい感情を持って日々を過ごしていたのですが、こういうときに今まで使っていた対処方が効かなくて、「あれ?」と思い、自分のここ数日の生活を振り返ってみて思い当たったのがリタリンでした。1日、1錠のところを2錠ほど飲んだ日が続いていたのです。リタリンは、人によって鬱の症状を更に悪化させ自殺を誘発させるとも聞いていたのに、自分にもそういった状況に持っていってしまっていました。

いやはや。気をつけないと。「もう、絶対に自殺なんてしない。絶対に生きてやるんだ。」って決めたのですから、こんな薬ごときに負けてなんかいられません。





最近の私の食事

引越しを機に食材の宅配サービースを受けるようになりました。

このサービスの私にとってありがたいことは、食材を選ばなくて良い。ということです。私はいつもスーパーに行って何を買ってよいのか判らないでとりあえず買ってみて、使わなくて、腐らせて捨てる。というパターンが多かったのですが、このサービスを受けるに当って嫌でもある程度の種類の食材が送られてくるので、その食材を調理するようになりました。作り方が判らない場合の方が多いのですが、ネットで調べてなるべく簡単なものを作るようにしています。そして、素材が良いのか、なかなかの味になってくれて、食べる気にもなるのです。

単価を考えると同じ食材サービスの生協や、スーパーよりもちょっと高いのですが、なんせ食材を選ばなくて良いし、買い物に行く手間も省けます。スーパーに行くのは少し足りない食材を買いに行くときです。今までは、スーパーに行くと気が散ってあれもこれも見てしまっていて、結局余計なものを買ってしまっていたのですが、今は、目的の物が決まっているので、それのみを購入し、他はいままでの半分くらい時間でチロチロ見て楽しめるようもなり、無駄買いがなくなったので、お財布にもやさしいです。少しこのペースになれてきたら、食材の保存方法や、あ、冷凍していたのでこんなものがあったから、混ぜてみようとかも考えられるようになりました。

今までの私の食生活は、きっと怒られると思いますが、スーパーに行ってもいろいろ回って結局弁当&お菓子とか最初にも話したように食材買ってみて腐らせる、ファーストフード、ピザ、寿司など、栄養も偏っているし、割高なものばかりでした。スーパーに行っても、レシピの本を見ても食材も種類も沢山ありすぎて混乱していました。でも、今は半強制的に食材が送ってきてくれるので、送られてきた食材を使ったレシピを選ぶことが出来る様になったので混乱しなくなりました。また今までなら買ったこと無い様な食材の美味しさも知ることが出来、総体的に良かったと思っています。あと、スーパーに行っても、「あの食材が残っているから、これは買わない。」と自分に言い聞かせることも出来るようになりました。

あとは、食べすぎで太らないようにしないとね。

by ナオニャム

ナオニャムさんはスマートで美しい女性です。おそらく現時点では食べ過ぎは心配ないのでしょうけれど油断は確かにしない方がよろしいでしょう。私自身、食べ過ぎの自覚はないのですが、肥満の自覚は深刻で、おそらく自覚していないだけの食べ過ぎなのでしょう。こわいものです。

ロクスケより
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■連載   第14回   障害とはどういう状態なのか

この連載は日常生活の改善を目的として書いているが、一寸基本的なことにも触れて置いた方が良いと気が付いた。そもそも、ADHDであろうがLD、ASであろうが本人がそれから生ずる問題に気が付いていなければそれを何とかしようという気にはならないだろう。たまたま、最近それらが障害だと言われているからもしかしたらと自分の状態から思い当たった人も大勢居るのではないだろうか。

もともと、人間には様々な個性があり、能力の違い、価値観の違いなどがある。人が出来ることが出来ない、人が出来ないことが出来る、人が望むものには興味が無く、自分が欲するものを人は価値が無いという。それが当たり前だから、たまたま自分が非常に移り気でも、非常にこだわりが強くても、非常に偏った能力を持っていてもそれは人の個性だ、と思えば当たり前だと言える。

世の中には100メートルを10秒で走れる人もいれば、30秒かかる人もいるだろう。人間がライオンなどの肉食獣と生存競争をしながら生きていた時代なら、おそらく足が遅いとか走れないのはそのまま生存に関わる。しかし、現代の世界に生きている我々にとって、足が速い遅いは生存には殆ど関係がない。速いなら徹底して他の生活を犠牲にして磨きをかければあるいはオリンピックに出られるかも知れないが、それほどの能力がないからと言って嘆く必要はさらさら無い。大昔は足が遅いことは致命的な障害だったろうが、現代では別に問題にはならない。逆に、足の速さを追求するあまり他の日常生活が犠牲になるならその方が大きな問題とも言える。

たとえば、人並みはずれて集中力があって一つのことを最後までやり遂げる人もいれば色々なことに目移りして何かをまとめてやり遂げるのは苦手でも新しいアイデアを思いつくことが得意だという人が居て、その両極端のどこかにいるというのが普通の人なのだろう。
どちらに過ぎていても生活上困るがどれだけ困るかはその人の生活環境や価値観による。

単純にADHDを新しいアイデアを思いつく能力としての話だが、誰にでもADHD的な要素はありまた、あるからこそ生きていける面もある。ADHDが障害だというなら、ADHD的要素が全くない人間も重大な障害を持っているといえる。新しいアイデアを思いつけなければつまり学習能力がないと言うことにもなるからだ。現実にはむろん、そんなに簡単なことではなく、概念としてイメージしていただきたい。

つまり、ADHD自体は障害ではなく、それを使いこなせないために生ずる状態が障害だと考えるべきではないだろうか。もし、ADHD的要素が全くないことを自覚したら努力をしてその要素を身につける訓練をしなければならない。さもないと、そこから生ずる状態も障害であるはずだ。

そんなふうに考えてみると、障害の種類は無限にあり、誰も彼もが障害を持っている。その程度をどれだけに感じているかはともかく、自覚していればその障害を克服しようと努力をするだろうし、自覚しなければそのままだろう。平気で人に迷惑をかける、無責任、人を傷つけて何とも思わないなども深刻な障害だと思えるが、本人はその自覚がないケースが目に付く。自覚して克服しようとしている障害よりなお深刻な障害と思える。障害は生まれつきであろうと、後天的なものであろうと問題であることには変わりない。

今普通だと思っている人も、一度位本当に自分には矯正すべき障害は無いかを見直してみる必要があるのではないだろうか。

by ロクスケ
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★編集後記★

 ■今回はまるでMUSICAさん、ナオニャムさん特集のようになってしまいましたが、記事のストックの関係です。ストックもタイミングを逸すると古くなってしまうこともあり、あまり長い間置いておくべきでは無いと考えた次第です。
 
 ■もう12月です。あっという間に今年が終わり、また私としては思うだけの進展が無い一年だったと思っていますが、細かく考えればそれなりの進歩もあったようです。細かいことに一喜一憂せず、とにかくしっかりとした目標をイメージとして持つ努力をしています。やるべき事が見つからなければ努力のしようも無いと思っているからです。
 
 ■さすがに12月でめっきり寒くなりました。それでも、昼間は暖房を入れることもなく、今年は暖冬だと言うことです。暖冬なのは過ごしやすくて嬉しいですが、冷夏につながり、農業には被害が出やすいとか、また年々地球が温暖化してきている結果だとすれば嬉しいとも言っていられません
 
 ■私は北国の育ちなので寒さには強いはずですが、東京暮らしが長いためにか、結局は年齢のためか結構寒がりになっているようです。それでも、兄弟などに会ってみると、かれらが北国に住んでいるにもかかわらず私以上に寒がりなのに驚きます。子供時代は一緒に暖房のない隙間だらけの部屋で寝ていたし、襟巻き一つでマイナス10度くらいの戸外で転げ回っていたのが、いまは夏でも雨の日や朝夕など暖房を入れ、冬は車でしか外に行かない、部屋の中は30度をはるかに超える温度にしているなど、私には想像外です。
 
 ■慣れとはそんなもので、より快適な生活を目指すのは当たり前ですが、耐えることが出来なくなってしまうのは問題ではないでしょうか。子供でしたから確かに運動量も今より多く新陳代謝も盛んで今ほど寒さを感じなかった面はあるでしょう。また、寒いとは思っていても冬だから当たり前だとしていた頃は、寒さは今ほどのストレスにはならなかったようです。快適な生活を目指すほど、ストレスは増えるのではないかと思った次第です。積極的に寒さに耐える訓練も必要かな、と思いながらやはり寒いときはエアコンのリモコンを手元に引き寄せてしまいます。
 
 ■今号の画像はとびまるです。




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