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 ★目次 ★

  ■ 「年齢の本と遅咲きの花」        Bunny_Lab 
  ■ AD/HDのホームページの作成     musica 
  ■ ペット遍歴_01            mogurin 
  ■ 年金請求の不条理についてのはなし    むん 
  ■ 連載   第16回   差別や偏見とは  ロクスケ


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■「年齢の本と遅咲きの花」

 わたしが10代の頃は「30歳になる前に死にたい」と思っていた。もともと、わたしが鬱傾向の家系に属していることと、10代にありがちな「うつくしいもの」や「死」への憧れのようなものが、わたしに「できるならきれいな時に死にたい」などと思わせていたのだと思う。愚かだと笑われるかもしれないが、友達とどうしたら一番美しく死ねるか、というのを真剣に話し合ったりもした。

 そんな「死にたがり」だったわたしも、20代後半にさしかかり、30、という年齢もそう遠くない未来となった。10代の頃思ったよりも、25歳、30歳、というのは大人でもなく、10代の頃のほうが考え方がまだ「成熟」していたというか、むしろ、今のほうがまだまだ子供だ、と思うことが多い。40歳以上の友達をみても「老化、老衰、老いて醜くなった」などと感じることはない。むしろ、35歳、40歳と年を重ねるごとに魅力的になっていく人が多い事実に驚いている。

 一般的に、才能が開花したり能力が完成されるのは、乳児期から青年期である、と考えられている傾向にあると思う。わたしたちが、普段見ているメディアの中で活躍している芸能人、音楽家、スポーツ選手などは幼少の時からの才能が青年期に開花し、中年期に引退するケースが少なくない。わたしたちは、必然的に「人生は20?30代をピークに下っていく」という刷り込みがされているのではないだろうか。

 わたしたちの人間としての発達は本当に幼少?青年期に限ってしか行われないものなのだろうか。人は一生に何歳のとき、何をするのだろう。人間の発達をエソロジーの視点から見て、この疑問に答えようとした人物がいる。「年齢の本」の作者モリスである。モリスは「年齢の本」の中で、世界の著名な人物の人生における出来事を年齢によって、1年ごとに並べて見せた。その結果、さまざまな興味深い事実が浮かびあがってきたのである。もちろん、各年齢でみられた典型的な特徴(結婚、出産など)も見られたが、その一方、年齢を超越した驚くべき多様性も「年齢の本」によって示されている。

 モーツアルトのように10歳以前に活動を始めた音楽家もいれば、80歳を過ぎても現役で活躍した人物もいる。さらに60歳をすぎて新たな分野に挑戦した画家の「モーゼスばあさん」のような人もいる。彼女が絵を描き始めたのは、なんと67歳の頃だという。

 このような発達の多様性を知ることによって、ジョージ・エリオットがかつて言ったように「あなたがなるはずだった人物になるのに遅すぎることなどない」ということが事実になりえることがわかった。わたしは鬱などで人よりもかなり遠回りをした。ADDで苦しんでいる人にもわたしのような人も多くいるかもしれない。遠回りをしてもいい。時間がかかってもいい。遅咲きの花は咲きたいときに咲くのである。

 (参考文献:「心理学への招待」梅本崇夫・大山正編著・一部引用)

by Bunny_Lab

ある一定の年齢になってから全く思いもかけない才能を開花させる例は結構あります。伊能忠敬が測量の勉強を初めて幕府の測量方になり、日本地図を作ったのは60を過ぎてからです。当時、50まで生きれば人生を全うしたと言われている時代の話です。芸術的な才能とは違うでしょうが、やはり大きな業績を為したと言えるでしょう。

ポール・ゴーギャンは中年を過ぎてから株の仲買人を辞めて絵を描き始め、バン・ゴッホは27才になってから画家になろうと決心し、アンリ・ルソーも税関職員であり中年過ぎに始めた日曜画家であり、同時代の画家達はルソーの稚拙さを笑ったとのことですが、彼の絵は残りました。画壇とは関係なく、描きたいものを描いていたと言うことです。

小説なども中年を過ぎて名作をいきなり書き始める人もいるようです。

臨界期(脳のスペックが固定する年齢)以前に開発しておかなければならない才能も確かにありますが、様々な経験から改めて見いだせる才能もあります。

いくつになっても、可能性はいくらでもあり、あとはそれを見つけようとする自分自身の目と、意欲の問題ではないでしょうか。

from ロクスケ

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■AD/HDのホームページの作成

 私は、いままでホームページのHTMLについて多少は知っていたが、自分のホームページを作るなどという元気が全くありませんでした。ところが、必要に迫られて、自分のホームページを作ることになりました。ジオシティで、既成の簡単ホームページを作ったのですが、まあ使い勝手の悪いこと。それに既製品だから、なんにんも同じパーツでつくっているのです。だから、同じ壁紙でタイトルだけ違うホームページが山ほどあるのでした。  AD/HDはそういうのは大嫌い。と私は思うのです。だから、アドヴァンストエディターで作り直し始めたら、なんと、思っていたよりもずっとたいへんだったのです。ジオシティのファイル構造が良くわからないし、どうやっても、うまくいかないので、とうとう、助け合い広場に「ホームページを初めて作るときはわからないことがいっぱいあります。でも、恥ずかしがらないでわからないことは聞いてください。」というスレッドに飛びついて、「うまくいかないんです」と書いたら「そんなことくらい勉強してからいらっしゃい」とか「ホームページビルダー使えば」とか「はじめから作り直したほうが早い」とかお返事が来てしまい、私は逆上してしまいました。

 わからない人は「聞いてね」というから聞いたのに、「そんな返事ならいりません」とレスしてしまいました。すると、ほうぼうから「お前は何者だ」とか「お前のはHTMLの基本的なところが違ってるだけだ。礼を言え。」とか、全くひどいもんでした。しかし、逆上しながらも、いろいろな返事の中から自分の間違いに気がつき、修正することができましたので、そのひどいレスをくれた人々にお詫びとお礼を書きました。  そうしましたら、やはり言葉だけでつながっているというのは怖いことですね。お礼をすれば、心もなごむ、発端となった相手の方からも「いや、ついきつい言葉での発信になってしまっていました。」と返礼を頂き、なおかつ「私でよければ、サポートしますよ。」という方まで現れました。

 本当に、ありがたいものです。その中に「悪い言い方は無視する。良いことだけを良いほうに受け取るのが、インターネットで失敗しない方法ですよ。」と教えてくださる方もいました。そうですね。いちいち逆上していてはこちらの精神状態にもいいことはありません。

 それから、ホームページを作るためのたとえばホームページビルダーを使えば、簡単にできるのでしょうけれども、HTMLを使って、タグをうちました。HTMLの本も3冊買いました。無料のレンタル掲示板などをいくつか借りて、リンクしました。レンタル掲示板も同じのだと面白みがないので、全部違うところのを借りました。

 レンタル掲示板も、かなり加工ができるものから、色指定くらいしかできないものまで、いろいろとありました。いろいろとインターネットサーフィンしてみて歩きました。それは、たいへんでしたが、たいへんおもしろかったです。

 画像もフリー素材を探して歩きました。かわいくても色が薄くて、視覚的にAD/HDに不向きなものはありました。画像もたくさんダウンロードしました。直し直し、作っている間にも、覗いてくださる方がいて、もうじき1000人にもなろうとしてます。

 おとなのAD/HDや軽度発達障害者と家族のためのサイトですが、私のセカンドライフでもある音楽療法関係のホームページも作ってリンクしようと思っています。こちらはまだ工事中ですが、またあたらしい概念のMIDIなどを勉強しなくてはなりませんね。楽しみやら、うんざりやら。(*^^*)

 でも、既成のものに頼らないで、HTMLを使ってホームページを作ったので、なかなか自信になりました。もちろん、デザイナーが作ったようなすてきなものはできないのですが、私らしいものができたかなあと思います。もちろん、掲示板なども自分で作れるようになればいいのですが・・・。

 よかったら、遊びにいらしてください。http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Gemini/5398/です。ゲストブックに足跡残していってくださいね。

 また、音楽の癒しの森のサイトができましたら、宣伝させていただきます。ここ何週間か、ホームページに入れ込んで、過集中のわたくしでした。 
 by musica
 
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■ペット遍歴_01

動物とは動くもののことです。

あたりまえだけど、僕はことに動くものにひきつけられる。子供のころからずっとそうだった。近所の農家のにわとり、ひよこ、犬、猫、トンボ、バッタ、セミ、クモ、サカナ、小鳥…何でもひきつけられる。ペット遍歴を書くときりがないのでここでは「もぐりん」と「とびまる」について書くことにする。

「もぐりん」はオスのモルモットで、ネーミングはその当時女の子がつけてくれた。色は全身黒で、手足の先に少し茶色が混じっていた。体重は1キログラム強、体長約20センチ。頭や背中をなでてやるとポヨポヨとかわいい鳴き声を発した。モルモットはおとなしい動物で、製薬会社の新薬開発で実験動物にされている。運動能力はあまり活発でなく、狭いケージの中でも一日じっとしていることが多い。暑さ寒さにも強く、繁殖力もあり、人になつきやすい、かわいくて飼いやすい小動物だ。

値段も安く、ゴールデンハムスターとたいして変わらない。1500?3000円といったところだろうか。実はハムスターと一緒に飼ったこともあった。ひとつのケージに二匹いれていたがなんの問題もなかった。餌も仲良く半分こして暮らしていた。ハムスターはケージの天井を前足を使ってモンキースイングするのが好きで、ある日僕が糞の掃除をしている間に天井の出口から脱走してしまい、戻ってくることはなかった。

「もぐりん」も逃げたことがあった。しかしすぐに見つけることができた。こいつは狭いところが好きでどこでももぐりこむ癖があり、それで「もぐりん」なわけだが、このときは大変だった。なにしろ140キロあるオフィス用のコピー機の下にもぐりこんでしまったのだ。もちろんコピー機はキャスターがついていてどの方向にも転がすことができた、が、たとえ一センチでも持ち上げることは不可能だった。

「もぐりん」はコピー機の底に挟まっていた。どうやら狭くなる方向に突進していったらしい。バカなやつ。しかし飼い主の僕としてはこのままほうっておくわけにもいかず、コピー機を押してずらそうとした。「もぐりん」はキーキーと悲鳴をあげた。天地の空間にまったく余裕がないようだ。へたに動かすとやつがつぶれてしまう。

しかたがない。僕は床の上にはいつくばって手を伸ばし、やつの後ろ足をつかむことに成功した。さいわいこの部屋はすべてフローリングで、ものを引きずるのにそれほど抵抗は生じなかった。でも「もぐりん」はかなり硬く挟まっていた。引きずり出すのに苦労した。悲鳴は号泣にちかい音に変わり、僕はなんだか動物虐待をしている気になった。お前が悪いんだぞ、そんなところに勝手にもぐりこむせいだ。幸いケガはなかった。

「もぐりん」と暮らしたのは一年ほどだった。7月の暑い日、帰ってくると動かなくなっていた。うっかりケージをベランダに出していたのがいけなかった。ケージの床に伸びている黒いかたまりを見て、一瞬心臓が止まった。取り出すと柔らかいただのかたまりだった。もぐりんの頭は僕の手の中でぐらぐら動き、ただ地球の中心に向かって引っ張られ、目は閉じたままだった。

またやってしまった。絶望。暗黒だった。ほんとに一緒に暮らしてきたペットが死ぬときほどつらい瞬間はない。人気のない深夜の公園に埋葬した後、空になったケージが寂しかった。ペット愛好家が何度も動物を飼うのは、空のケージを見るのが耐えられないからだ。

僕はそう思う。その空間にはなにか主となる生活者が存在しなくてはならない。その空間にいて、その空間をなわばりとして、命のあかしを証明するごとく、常に動き回り、餌を食って寝て糞をする生き物が存在しなくてはならない。ケージは中の生活者と一心同体で、ただ空のケージはあってはならないのだ。で僕もその例にもれず、ケージの胃袋を満たすべく、また僕自身の喪失感を癒すべく、次なる小動物を飼い始めたのだった。しょうこりもなく…。

以上今回「もぐりん」のことを書きましたが、「とびまる」の章は次回

by mogurin

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■年金請求の不条理についてのはなし

僕は、1964年6月9日生まれ39歳です。現在、看護婦を退職して、7年になる母の年金で生活しています。(母は現在は自宅および、公民館でのパン作りの講師をしています。)

障害年金の申請状況についてですが、今年7月末に木更津社会保険事務所において、障害厚生年金の請求をしました。しかしながら、今月になって、厚生年金の対象ではないので、国民年金での申請をしなおすようにと大量に提出した書類をすべて送り返されました。その後、社会保険事務所へ出向き問い合わせてみたのですが、厚生年金の審査部門での見解では、広汎性発達障害という病名では厚生年金の対象にならないという一方的な見解が帰ってきました。

 僕が精神科にはじめて受診したのは27歳のときでした。そのころ、僕は東京、新富町の広告制作会社で、雑誌広告や、電車の中吊り広告、某国営企業の広報などの版下製作をしておりました。もともと手先は器用ではなかったのですけど、校正の入った版下の直しがきて、訂正したものの、訂正個所の見落としがあったり、上手く直しができていなくて、同僚に指摘されることがたびたびありました。そんなことがきっかけで、地元の某大学病院の精神科に受診したのがはじめでした。  それから約12年経ち、昨年の8月に自分がADHDであると確信して、病院に受診しはじめました。始めの診断は抑うつ神経症でしたが、後にアスペルガー症候群(知能や言語に障害のない自閉症の一種)と診断され、今年の8月には、福島の大学病院で脳の精密検査をしていただく機会があり、診断名はそれに加えて、(ADHDの要素を持ち合わせた)アスペルガー症候群と注釈つきの病名になりました。

 今回の年金の申請にも、初診は12年前である旨、はっきり書いて、その当時の通院記録を確認して、証明書類を添付しました。わざわざ、本籍地の東京まで戸籍抄本も取りに行き、福島での診断の関係書類まで添付して申請を出しました。  その後、初診以前はどうだったのかという問い合わせの書類がきて、そのときも詳しく書いて送りました。

 でも、それがいけなかったんです。僕はその詳しく書いた書類のせいで、厚生年金での年金受給(正式な審査さえも)を拒否されました。

 僕は納得がいかなかったので、母と社会保険事務所に出かけて問い合わせてみましたが、社会保険事務所の人が厚生年金の審査を行っている厚生年金の中央に問い合わせて聞いてくれたところ、中央の判断では、広汎性発達障害は先天的な障害であるから、初診の時点ではなく、幼少時からの障害であると判断されるということでした。(電話での問い合わせでは病名だけ聞いて駄目と言ったらしいです。)

このままでは埒があかないので、市役所の障害福祉課の人と連絡を取り、(アポイントは取っていました。)その日のうちに基礎年金の申請に市役所に行ってきました。

 とても悔しくて、現在通っている、デイケアのスタッフの人に、(現在は千葉県精神保健福祉センターでのデイケアプログラムに仮入所の形で参加しています。)聞いたら厚生年金では審査の途中で問い合わせがあった場合、その書類によって、受給になるかどうか振るわれるらしいです。しかも、詳しく丁寧に書いてあるものほどその傾向が強いらしいです。なんとあこぎな事をするんでしょう。

うつ病や、ストレス性の人格障害、パニック障害などの後天的障害出もなかなか年金の受給は難しいようですが、自閉やADHDなど先天性の障害の場合、また、保険受給の審査途中で、初診以前のことなど詳しく書くように書類の再提出を求められたときは、注意が必要だと言うことを知りました。(あんまりくわしいことは書かないほうがよいようです。)

便宜上、国民年金による申請を出しましたが、場合によっては、人権委員会に申し立てたり、役所に陳情に行く必要もあるかもしれません。病名だけで判断する能率主義、お役所主義的な審査がまかり通っているようなので、いずれにしても、申請を出したからといって、安心できる状況ではないようです。

不許可の説明を受けに木更津社会保険事務所を訪れたのが、今月12月3日でしたので、2月までは不服申立てができると思います。国民年金と厚生年金では審査基準が違うようですが、一応は不服を申し立てておいて、どちらの制度のほうが自分にとって最も得になるのか見極めたいと思います。

あこぎな厚生年金の判断には頭に来ています。(恐らく、判例主義によって審査はなされていないと思われます。)ただ、主治医が、年金の受給について弱気な発言をしているのが気にはなりますが、来年3月にまた福島県立医大の医師(発達障害研究の第一人者です。)の診断を受けますので、その際に新たに診断書を作成してもらってもいいかとも思います

by むん

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■連載   第16回   差別や偏見とは

 ADHDに限らないが、目に見えない障害は気づくのが難しい。周囲から見ても分かりにくいだけではなく、本人も障害だと気づかない場合がかなりあり、これがまた事態を悪化させている。単なるわがまま、不注意、怠け者と思われるし、自分でもそう思いこんでしまう。

 確かに人間の社会は助け合うことで成り立っているのだから、協調性を乱す人間は嫌われる。人と協調せず、約束を守らず、一方的に全体に負担をかける人間はその意味でどうしても嫌われるし、場合によっては全体の利益のために排除されてしまう。これが、やっても出来ないとはっきり分かっているなら、勿論そんなことはない。彼、彼女の出来ない部分をカバーしてやれば他の分野で能力を示すし、かりにそうでなくともそれは本人の責任ではないのでやはり自分たちの仲間として認知出来る。はっきりと目に見える理由、つまり、目が見えない、耳が聞こえない、歩けない、あるいは知的障害がある、総合失調がある等の場合の話だ。
 
 一方、五体満足で頭も悪くはないのにどうしても協調しようとしない人間はもう排除するより仕方がない。なにしろ、本人にその気がないのだから。

 排除される本人はむろん自分なりに努力しているのに出来ないのだから、自分はどうしようもなく怠け者なのであり、人目にはどう見えようと頭が悪いのであり、わがままなのであって、親の躾が悪かったのだと思うようになる。その結果、最後には自分自身を排除してしまう。

 世の中には無知な人間もいるから、身体的、精神的、知的障害をもつ人を差別する者もいるが、普通の知性を持っている常識的な人間は、そのような目に見える障害を持った人々を差別するなどしないし、むしろ保護しようとする。だが、怠け者、自分勝手な者などを保護しなければならない義理はないし、嫌われのけ者にされるのも本人の責任なのだから、改めない限り社会に迎え入れる必要はない。

 もちろん、世の中には本当にわがままで怠け者で躾の悪い人間も大勢居る。やろうと思えば出来るはずのことまでやろうとせず、うまく行かなければすべて人のせいにする鼻持ちならない人間も大勢居る。そういった人間は私も嫌いだし、今までもつきあわないようにしてきた。ただ、私が今まで嫌い、つきあわないようにしてきた人間達の中に、考えてみれば私によく似た者達も大勢居て、それがまた憂鬱の種だったのだ。

 最近になって、というより広汎性発達障害、軽度発達障害の事を知るに及んで、私は自分で一番してはならない無知からの差別をしてきた可能性があると思い至った。今まで私が嫌い排除してきた人たちの中に、本人のせいではない障害のためだったと思われるケースが確かにあると思えるからだ。本人がそういってくれたらならあるいはその時気が付いたのかも知れないが、まさかそんなことがあるとは思わなかったし第一本人自身も知らなかったのだろうから、それが障害だとは夢にも思わなかった。なにしろ、自分で一番痛感していた事だったのでなおさら人の場合も許せなかったのだ。

 目に見える障害を持っている人たちを差別するのは言語道断であり、する方が100パーセント無知なのであり、間違っている。だが、目に見えない障害の場合は、普通の人たちが差別をする。なにより、その障害を持った本人が自分自身を差別し、排除する。

 脚の悪い人を、早く歩けないのはおまえが悪いからだ怠けているからだなどと責めるまともな人間は居ない。だが、注意を集中する機能が無い人をそうやって責めるまともな人間はいるし、むしろまともであれば腹立たしいだろう。あるいは、人の感情を汲み取る能力の無い人を、無神経だと責め、頭が悪くないのに文字を覚える機能だけが弱い人間を怠け者だと責める。それが差別だ等と、責める方も責められる方も思わないとすれば、意識してする差別より何倍も罪が深いと言えないだろうか。

 世の中には確かに根っからのわがまま、怠け者、無責任な人間が大勢居る。だが、そう見える人間が全部そうだというわけではないのだということを、社会は理解する必要があるのではないだろうか。

by ロクスケ

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★編集後記★

 ■平成16年の最初のメルマガです。おそらく、今年中に100号の大台に乗るでしょう。とにかく、途切れることなく毎回出し続けてゆきたいと思います。みなさまも今年ともよろしくお願いいたします。

 ■平成16年正月。みなさんはどのような正月を迎えているでしょうか。北部の方ではかなり雪が降っているとのことですが、それでも例外的な暖冬で、元旦以来関東では毎日暖かい日が続いています。

 ■油断したせいか、暮れに忙しくて不規則な生活が続いたせいか、年末のどん詰まりになってひどい風邪を背負い込みました。長引かせるわけには行かないので、すべての作業を中止してとにかく直すことに専念しました。今日、およそ一週間かかりましたが何とか回復したようです。その間、殆ど毎日寝ていました。

 ■私の場合、風邪でも腹をこわした場合でも基本的には絶食です。最初の3日間は完全絶食、その後は軽いものを摂るようにして、昨日辺りから普通の食事にしましたが量は少なく、というより食べられませんが、基本は一日一食です。なるべく間食を摂るようにして居ますが、なにしろ最初の3日で6キロ以上痩せてしまったので、そのままにしておく訳にはいきません。 
 
 ■まあ、正月から病気の話で申し訳ありませんが、何も悪いことばかりとは限りません。ゆっくりと考える時間がとれました。日頃何かとせわしなく色々なことが頭の中に打ち上げ花火のように拡がるのが常ですが、何もしない、何を思いついてもやらないと決めてかかったせいか、結構まとめて考えられたようです。

 ■今年はとにかく次の具体的なプロジェクトを実現させたいと前々から思い、メンバーで話し合っていました。その手順、準備の仕方など、いろいろ考えることが出来ましたし、私自身何をしていこうということもそれなりに考えたようです。病気はするべきではありませんが、まとめて考える時間がとれたことは、むしろ正月に当たって良かったのではないかと思った次第です。
 
 今号の画像は年賀状です




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