WING BRAIN メールマガジン第55号
 ★目次 ★

 ■ この度のメルマガ記事の内容における無断転載についての謝罪  はるか
 ■ カンチュウハイ飲んで                    MUSICA
 ■ 思考停止実験                        mogurin
 ■ 自分の言葉遣いについて                   ナオニャム
 ■ 連載   第22回   羨み見栄を張りやせ我慢をする     ロクスケ
 

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■この度のメルマガ記事の内容における無断転載についての謝罪

 この度、私はるがが所属するWingBrain委員会のメルマガに「アットマーク・アイティ」(以後@ITと記す)に過去に掲載された、須藤 陸氏のお書きになった、「オレオレ詐欺に学ぶソーシャル対策」の文章を無断で転載してしまったことに関しまして、関係の皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。
 
 これまでも、私がメルマガを執筆する場合、はるか個人の責任のもとに、参考文献の収集ならびに管理などの処理を進めておりましたが、今回のケースでは、文献の管理の不行き届きとPC操作のミスにより多くの皆様にご迷惑をおかけする事態となってしまいました。
 
 このことが、メルマガを執筆するという観点に立ち返ったとき、不適切な手段であったものと深く反省しております。
 
 メルマガ読者の皆様には、はるか個人ならびにWingBrain委員会への信頼を著しく損ねたことに対しまして、改めて心よりお詫びを申し上げます。
 
 今後は、参考資料をはじめとする情報の管理に万全を期すため、原則としてネットに接続をした状態での執筆ならびに返し読みをせずにメールの送信を行うことはしないこととするとともに、改めて、参考資料及びメルマガ本文に対して情報の管理の徹底を図り、読者の皆様への信頼回復に全力で取り組んでまいりたいと考えております。
 
 なお、お知らせくださいました読者の方にはこの場をお借りして改めてお詫びを申し上げます。
 
 最後に、今回の件につきまして、WingBrain委員会のメンバー各位及び読者の皆様、@IT関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしました。ここに重ねてお詫び申し上げます。

平成16年3月10日 
はるか



追伸:
本件との関連はありませんが、はるかはWingBrain委員会の内規により除名処分となりましたので、ここに謹んでお知らせ申し上げる次第です。

読者の皆様には、今まで私のつたない文章にお付き合いいただきましてありがとうございました。ここに重ねて御礼申し上げる次第でございます。

(はるか)
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この文章を当方で受け取ったのは3月16日です。10日に受け取ることが出来れば前回のメールマガジンに掲載出来たのですが、何らかの理由で届かなかったようです。

また、はるかさんの除名については私たちとしては公表するつもりはなかったのですが、本人が書いたままを掲載いたします。除名は今回の盗用とは別の理由によるものです。ただ、はるかさんは真剣に活動に取り組んできたメンバーであり、他のメンバーも非常に残念に思っていますし、個人的なつながりは断ち切れているわけでなく、今後は外からWingBrain委員会を支えてくれるものと思います。

メールマガジン編集担当
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■カンチュウハイ飲んで
 
 このところ、ずっと忙しい日が続いている。そのせいか、リタリンが過剰に働いているらしく、切れたときのギャップは、異様だ。もう動くのも辛い。しかも、疲れは確実に翌日に持ち込み、翌朝は起きたつもりでいても、ふと気がつくともう昼近くなっていたりする。
 
 ソーホーならなんとかなるかもしれないが、常勤となると、休暇との戦いになる。すでに非常サイレンは鳴っている。なぜこんなに忙しいか。異動するつもりだからだ。
 
 課長は「君は異動希望ということで、先方のほうとも話してみる」と言った。その言葉を額面どおり受け取ると、私は異動対象者リストに載っている。ただ、希望の部署にいけるかどうかは定かでない。
 
 少なくとも課長は、私の病気後の仕事ぶりには、一定の評価をしていると私は思っている。誰も手をつけられなかったことに今着手している。こちらも、かなり権力的に動いているが、相手も結構危ない相手であって、本当に身の危険を感じるくらいだ。
 
 でも、もう始めてしまった。私がやらなければ、新しく来た人ができるわけがないだろう。それを、3月までに終わらせたい。すでに1件は、もう強硬手段に出ている。向こうが悪いのだ。仕方がない。もう一件の案件は、ほぼ固まっている。あとは相手方に知らしめるだけだ。最後の件が一番大変だ。何箇所かが同じことをしているので、まとめて裏をとって、あとは強行手段にでる。法で裁くのだ。

 どちらにしても、異動対象者リストに載ったものは、異動しないということがない。必ずどこかへ異動する。時限爆弾のようだ。あと何秒と数えながら仕事をしている。
 
 近頃、すっかりやめていたアルコールが飲みたいと思う。ストレスだ。うちへ帰ったら帰ったで、子どもの友達がうじゃうじゃといて、きゃあきゃあ騒いでいる。その声を聞きながら、洗濯物がたまっていれば洗濯し、食器が底をついて入れば食器洗い機にほおりこむ。
 
 前の日に「米がない!」「トイレットペーパーがない!」「醤油がない!」と子どもに叫ばれては、帰りに重い足取りで買い物をする。やれ、牛はどうの、鳥はどうの、豚もどうのとゆっくり新聞も読んでいないから、正確な情報がなく、しかも、スーパーでは、確実に品数が減っている。
 
 魚は値上がりした。これは、さすがに世事に疎い私でも実感する。金もないと来ている。しかも、私は病気の問屋と来ている。3割負担の重いこと!薬代の高いこと!とうとう、親が生きているうちにいくらか工面してもらった。
 
 私の病気はほとんどが、難治性で、薬も一生飲まなくてはならないものがほとんどである。健康な人がうらやましい。つかれたー。決して病弱には見えない、病弱な私が、こんなに重い仕事をしなくてはならないのは、なんでなんだ!!
 
 元夫の養育費が子ども二人分で3万円じゃあ、塾代にもならない。養育費の値上げを裁判所に提出したい。そんなことさえも、忙しくてできない。さすがに、4車線ある道路に飛び込んで死んでしまおうという気持ちはなくなったが、あっても不思議じゃない。
 
 ADHDをもちながら、サポートしてくれる人もなく、墓穴をほって再度事務仕事をやり直したり、もうそれだけでもうんざりしている。ああ、ADHD!我ながら、なんと愚かなミスが多いのだろう。
 
 幸い、愚かなミスよりも、普通の人がやらないような大きな仕事をこなしていることで、上司の評価は悪くないのだが、自分ではもう本当に自分にうんざりしている。もう、いい若い者と同じ仕事はつまらない。私は、思い立つのだ。この仕事に欠けているものは何か。
 
 この仕事を効率的に行うにはどうすればいいか。この仕事の最低限の知識と抗弁はなにか。上司にも思いつかないことを、直感で思いつくのだ。だから、言われたとおりにだらだらと仕事をやっている若い衆には、嫌気が差す。
 
 おまえさあ、頭使って仕事してるか?と聞きたくなる。ADHDという特殊能力を最大限生かして仕事をすることは、かなりむずかしくもあり、スリリングでもある。でも、実績を作り、周囲の信頼を勝ち取れば、こちらの勝ちだ。ちいさなミスに、重箱の隅をつつく上司は捨て置けばいい。
 
 私は、今日たいへん疲れている。この文章は半分以上愚痴かもしれない。だが、社会に出て、ADHDと知らずに20数年働いてきて、やっと判明して、自分の生き方を考え直そうとしている一人の社会人の真実である。自分を生かそう。プレッシャーに負けるな。医療を受けることは、自分を後押ししてくれる。自分の信じた直感を実現しよう。人にはいろいろな生き方がある。どんな生き方を選択しても、愚痴程度で済むように自分を信じよう。がんばろうぜ!


by MUSICA
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■思考停止実験

 最近僕は、思考を停止する実験を繰り返しています。なんか、ばかばかしいことを始めたとおもわれるかもしれませんが、つまりは、ほとんど不可能なことなんです、思考を停止するのは。
 
 人間の脳は常に活動していて、何かについて思考を巡らしているのが普通の状態です。その考えが建設的、前向き、積極的な内容であれば何の問題もないんですが、鬱におちいった状態だと、てきめんに暗くて消極的な思考のループにとらえられてしまいます。思考はすべてその人の過去の経験、記憶から引き出されます。過去がなければ、思考も始まらない。
 
 そういった意味では、ぼくは完全な記憶喪失にあこがれることもあります。そういった人はきっと思考を持たない。失敗の経験も挫折の体験もない。したがって、それから引き出される暗い想像もありえない。まあ、これはあくまで僕の勝手な憶測ですが。
 
 人生経験を積むほど、人生の諸問題にうまく対応でき、幸福に生きられるか、というと、まったくそんなことはなくて、失敗を積み重ね、その傷を背負って逆におしつぶされる人もいる。生まれたばかりの赤ん坊のほうが幸せそうだ。きっと過去を背負っていないからだ。そう思った。だからといって、成人した大人が赤ん坊のまねをするわけにもいかない。
 
 じゃあ、諸悪の根元であるこの思考の連鎖をどうすればいいか。自分の思考を観察することから始める。今、何か考えている自分を第三者の目で観察する。今、こういったことを考えているな、ああいったことをほじくり返しているな、そういった視点にたつ。これはできるんです。
 
 常にではないけど。それをやっていると、時々ふっと何も考えていない時がある。この瞬間を引き延ばせないか。そういうことです。少なくとも、思考の嵐にほんろうされるよりはずっといい。幸せな経験も、次の瞬間には不幸をまねく。とある本にかいてありました。
 
 その幸福体験に執着し、それを失いたくない恐怖が生じる、あるいはそれをもう一度体験したく思う。その考えが不幸をまねく。一番いいのは、幸福な体験をして、その時点で終わらせる。ジエンドにする。それ以上求めない、追求しない。ところが、幸福は善、不幸は悪として順序づける。これがまちがっている。幸も不幸も善も悪もない、経験はただの経験、たんなる自分にふりかかった出来事。そういった並列的な目で人生を静観すれば、幸不幸を超越できるのではないか。
 
 この考えは、禅の思想に近いと思います。思考というのは、脳でおきる精神活動すべてのこと、つまり自己のこと。思考を停止するのは、自己について考えなくなること。自己をなくすこと。これは仏教や禅でいう無我の境地かな。
 
 ちなみに、仏教では無我の境地を経験すると、「梵我一如」つまり大宇宙の真理である梵天(ブラフマン)と、本当の自分自身である真我(アートマン)が同じ存在であることがわかるそうです。これぞ東洋思想って感じなんですが。だいたい西洋思想は、あれとこれが違う、その個々の物どうしの差違をきわめることで発達してきたように思われます。
 
 分析と総合、比較と分類。サイエンスはその最たる物で、精神医学も患者を細かく分類し、さまざまな病名をつけて現在にいたっています。新しい病気は毎年のように発見され、新薬もどんどんできる。それはいい。ただ、患者である人間は一個のトータルな存在で、ばらばらに切り離すことはできない生命体です。精神の状態にそんなに多くの病名をつけるということじたい、まったく人間の心がなにかをわかっていない証拠ではないかと思う。それはともかく人生の幸不幸の超越というのにすごくあこがれます。

by mogurin

 結局幸不幸を全く超越するもっとも完全な方法は死でしょうね。つまり自殺です。多くの人がその方法をとっています。
 
 次善の策が睡眠です。つまり、ただひたすら寝ることです。起きた後のことを考えなければかなり有効ですが、問題は寝ている間の時間経過を認識出来ないということです。起きたときは時計を見ない限り自分が何時間寝ていたのか何分間寝ていたのか解らない。けっきょく、幸不幸を超越は出来ても、その恩恵を実感出来ないわけです。と言うより、不幸の解決のチャンスを先送りしてしまったわけで、不幸がより大きくなるケースがままあります。わたしも散々後悔しています。
 
 人為的に記憶を消去する方法は消去する以前の時間が存在しません。したがって、記憶を失った時点から再出発するわけで、そこからまた幸不幸の葛藤が始まります。結局解決にはなりません。人為的ではなく、強いストレスに晒されたりすると人間は防衛手段の一つとして記憶を失うことがあります。結果は同じ事でしょう。
 
 他に、不幸を他人事にしてしまう解離性同一障害(離人症)、解離性健忘症なども自己防衛から生ずると言われています。いずれにせよ、非常に強いストレスが原因で、これは幸不幸の超越などというより、これで苦しんでいる人が大勢居ます。
 
 幸不幸を超越するとは単に忘れたり感じなくなることではなく幸を正当に評価し、不幸を克服することだとわたしは思います。ただし、幸不幸は大きく個人の価値基準により変わりますから、その価値基準の見直しも含まれるとも思う次第です。
 
 貧乏であることが不幸だと感じる人と、金のために煩わしくて不幸だという人を(このようなことを言ってみたいものですが)同列には考えられないし、どちらが優れていると言う問題でもないし。梵我一如を持ち出すとちょっと宗教問題に踏み込みそうなのでこれ以上は触れません。
 
from ロクスケ
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■自分の言葉遣いについて

 昨日、表参道の美容師の友人から「カラーリングのモデルを探しているんだけど、誰かカラーしたい人いませんか?」とメールを貰ったので、自分の友人数人にメールを出してみました。で、その友人たちからの返事で「一つのことに対しての答えは同じでもこんなに違う言葉があるんだ。」と感じました。

 「その日は都合が悪いので残念ながらいけません。もし次もあるならよろしくお願いします。」と言う返事。「カラーはヘナ以外は痛むのでしません」と言う返事。どっちが、自分の運をあげているだろうか?前者のほうだと私は思います。前者は今回は出来なかったけど、また次無料でカラーのものがあったら誘ってあげようと私は思いました。後者は、私が誘ったのもどうでも良くて、「ヘナ以外は痛む」と言っていて、私の友人の美容室のことも暗に「悪い」と言っている?と私にとられてしまいました。そして、今後なんだか誘いたくないなと思いました。だって、なんか自分の美容師の友人もけなされた感じがしたんですもの。これは私の極端な感情もあると思います。でも、これによってよく本に書いてもありますが、1つの事に対しては無限に返す言葉があって、その言葉によって人間関係も、自分の運も良くしたり、悪くしたり。言葉遣いには気を付けないといけないな。と実感しました。

 by ナオニャム
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■連載   第22回   羨み見栄を張りやせ我慢をする

 今回のタイトルは、日頃人間としてやってはいけないとされる事だ。やせ我慢は場合によっては男の美学、などと言われるかも知れないが、それは小説のこと、普通は少々揶揄の響きをもつ。なぜやってはいけないのか。
 
 人は人、自分は自分ではないか、人のことを羨み、自分の実力も考えずに見栄をはれば早晩破綻する。まともな収入もないのにブランド品を買いあさってカード破産をする人のなんと多いことか。それはすなわち人をうらやんでその人がそこに至った理由、すなわち努力や才能の事を考えもせずに同じようなことをしようとした結果だ、と思われるからだ。
 
 特に日本では、身の丈にあった、という言葉が勧められ、分相応という言葉もよく言われる。
 
 だが・・・だ。本当にこれらはマイナス面しかないのだろうか。そうは思わない。ある人を見て自分もそのようになりたいと思うこと自体よくあることだし、自分が向上するモチベーションになる。これはその人をうらやむということと表裏一体だろう。
 
 見栄をはるというと聞こえは悪いが、とにかく背伸びをしてみると言い換えたら納得出来るのではないか。勿論、無理をして他のものを不必要に犠牲にしてまで背伸びをするのは良くないだろうが、出来る範囲で普段より一つ上を実行してみる。そうした上で、それが普段の状態になるなら、結局は自分のレベルが一つ上がったわけで、背伸び、ある意味では見栄をはることはレベルの向上につながる。これが、そう出来るようになったらそうすると言っていれば、現実には絶対にそうならない。最初は無理でもやってみなくてはならないのだ。
 
 やせ我慢をする。つまり武士は食わねど高楊枝のことだろう。自分が希望するだけのものを手に入れられないからと言ってみっともなくがっついてはいけない。もしそのことだけに気をとられて他のことが留守になれば、結局は無理が過ぎて躓くよ、という教えだと思えば良い。
 
 つまり、具体的なイメージを持つために誰か目標となる人を見つけ、多少無理でも見かけ上その人に近づく。そうしている内にその人と自分の違いが分かれば自分なりの方法を見つけることが出来、たんなる見栄ではなく自分の価値基準でレベルを挙げることが出来る。
 
 言い換えれば、自分の価値基準を無視して見栄をはってもぼろが出るから、無理な我慢をしないで住むやり方を見つけられると考えてみる。
 
 これらは元々の羨む、見栄をはる、やせ我慢をするとはかなりニュアンスが違うのだが、何も四角四面にとらえることはない。それらに間違いだから目をつぶるのではなく、自分流に都合良く解釈すれば応用の利くルールだと言うことだ。
 
 そのようなことは他にも色々ある。頑固であることはたとえば職人の誇りのように言われ年輩者の見識のように言われているが、もともと頑固とは老化現象であり惚けの一種でしかない。守るべきものは守りながら、常に新しい知識に目を向ける必要がある。
 
 ADHDの場合、これはかなり有利な立場にある。わざわざ目を向けなくても新しい知識は向こうから飛び込んできてくれる。
 
 散々失敗を繰り返していれば、羨む見栄をはることが自分の間違いの元であり、新しい知識に飛びつけばろくな事はないと臆病になり勝ちだが、自分なりの解釈で正しくそれらのルールを使いこなせれば、後はADHDの有利性を遠慮なく発揮出来ればよい。
 
 その意味で、大いに羨み、見栄を張り、やせ我慢をすればよいと思う。

by ロクスケ

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★編集後記★

 ■今回はちょっと目先を変えて簡単なものを作って食べようと言う企画です。
  加熱時間を除いて10分くらいで出来ます。手早い割に結構いけますので、試してみ  てはいかがですか
  
 ■炊き込みご飯 :1ないし2名分
 
 1)米を一合よく洗い、多めの水とともに蓋付きの厚手の小鍋に入れておく。
 
 2)油揚げ、ひじき、椎茸、切り干し大根、コンニャク、干瓢、ニンジン、などあり合わせの材料を細かく刻み、米に加え、醤油を小さじ半分くらい加える。
 
 3)出来たら1時間ほど置いてから強火にかけ、4,5分で沸騰させる。
 4)火のそばを離れないで湯気の様子を見守る。更に2,3分で湯気が透明になり、かすかに焦げる匂いがしたら火を止める。7,8分で炊ける。
 
 5)湯気が収まったら一度上下をすっかり混ぜ、また蓋をして蒸らす。
 
 補足:ご飯は食べるたびに小鍋で炊いても他のことをやっている間に出来るので私は炊飯器を使わない割合が多いです。炊きたての方がおいしいですしね。
 

  ※応用として、5ミリ角に切ったベーコン、タマネギ、ニンジン、椎茸(マッシュルーム)を具とし、風味付けにバターやオリーブオイルなどを少し加え、固形スープの基または塩で味を付けたものは欧風炊き込みご飯。水を切った米を先に炒めてから具や水を加えて炊いてもいいです。炊きあがってからグリーンピースやゆでた絹さやなど散らしても見た目に綺麗です。  
 ■ロールキャベツ :2人分(一人2個)  10個くらい作ると楽しい
 
 1)キャベツの葉を4枚大きいまま剥がし、軸の固いところをそぎ落とし塩を入れた熱湯で2,30秒ゆで、そのまま上げる。

 2)挽肉150g(適当)にみじん切りにした椎茸2枚、キャベツの軸、タマネギ半個分を加えて、更に全卵一個を入れてよく混ぜる。材料は適当に増減すればよい。
 
 3)すりおろし生姜、塩胡椒で味を調え、適当な大きさに丸めて具を作る
 
 4)具をキャベツの葉に包み、干瓢で縛る
 
 5)出汁、醤油、酒などのつゆ、簡単には薄めためんつゆ、あるいはチキンスープの基を溶かしたスープで煮込む
 
 ■巾着  : 2人分 大きめなら一人一個
  
 油揚げの一端を切り、袋状にしておく。中身は何でも良いが、細切れ肉、椎茸、切り干し大根、ひじき、コンニャク、細切りニンジン、など何でも詰め込み、口を干瓢で縛る。
 醤油味の出汁で煮込み、盛りつけてから煮汁に片栗粉でとろみを付けてかける。
 
 あり合わせでついでに作れる。
 
 ■ まあ、私の場合手のかからないものばかりですけれど、それでもデリカなどで買ってきたものは私には味が濃すぎるし甘すぎたりして食べません。結局自分で作ることになりますが、仕事に疲れて気分転換をしたいときなど、10分くらいでつくります。暖めなおしても結構おいしいですしね。
 
 ■人により好きずきでしょうが、私は調理は好きです。その場で思いついたあり合わせ材料の組み合わせで案外おいしいものが出来ると楽しいですよ。

『WING BRAIN 第55号』でまたお会いしましょう♪


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