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WING BRAIN メールマガジン第56号 ★目次 ★ ■ 自分の中にある力を信じること。 ナオニャム ■ 悪あがき MUSICA ■ 障害を受容する事、それに伴う問題 むん ■ 思考停止実験その後 mogurin ■ 連載 第23回 年を取ると弱くなって当たり前? ロクスケ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ---------------------------------------------------------------------------- ■自分の中にある力を信じること。 自分の中にある「力」を信じることはとっても大切なことだと思う。私の周りの人たちで、私のADHDのこと今置かれている境遇について、気の毒に思うのか、「困ったことがあったら、何でも言ってね。」と親切心からか言ってくれる人がいます。 でも、はっきり言ってこういう人たちは本当に頼れません。本当に困って、助けを求めても、自分の立場を悪くしてまで助けてくれる人はめったにいません。大体は逃げていくのではないでしょうか?本当に助けてくれる人はほとんどいない。と言ってもおかしくないのではないでしょうか?はっきり言って自分の家族も頼ることは出来ません。自分が一番誰でも可愛いですからね。 ここで、冷たい態度を取られて傷ついてまたその相手を恨んだりして悪循環に陥るよりも、自分の中にある「力」を信じて、またその「力」を少しずつで良いから強くしていくことに努力をする方がずっと自分を助けてあげる鍵になるのではないのでしょうか? もちろん、本当に心から助けてくれる人は1人はいるとは思います。でも、それは本当に誰かわかりません。最初から、他人からのその親切心は素直に「ありがとう。」と言って受け止めて、あまりその親切心に頼らないで、自分の中の「力」をまず信じてあげたいとおもいます。少しずつで良いので自分の中の「力」を強くする努力が必要だと思います。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ADHDの疑いのある人 最近 仕事上でお付き合いのある人にADHDの疑いがある人がいます。とても仕事の出来る方ですが、思ったことがすぐに顏にも言葉にも出てきて、相手に不快な思いをさせていることに気がついていません。 もしかして、私も自分がADHDと診断される前は相手にこういう不快な思いをさせていたのかな?と反面教師で見ています。 今自分でがんばっていることですが、今後も思ったことを口にすぐに出さず、 一度心に置くように心がけたいと思います。 自分を不利な立場に自分で持っていったら本末転倒です。 by ナオニャム ----------------------------------------------------------------------------- ■悪あがき 大学院の科目履修生になってから、心理学に関するいろいろな本を一度にたくさん読 む機会ができた。 その中で、興味を引く事柄があった。人間の寿命が延びて、昔は40にして惑わず、と言われた物だが、今は中年期において、アイデンティティが再び危機を迎え、アイデンティティが再構築されるという考え方が定着してきた。 確かに、中年期というのは、家庭があれば子供が自立し、世間的にも責任のある役回りが増し、今までの自分の生き方はこれでよかったのだろうかと、立ち止まり、考えることがある時期なのかもしれないと思う。また、日本にあってこのような不況を向かえて、リストラにあう中年期の人は多いだろう。 かくゆう私も、大学院の科目を履修したりとなんとなくあがいているような気もするのだ。中年期の離婚も増えている。一説によれば、中年期になると、子供が自立し、その代わりに夫が子供の代わりに妻に依存するということだ。そんなのは、たまらないと妻は思うだろう。 私も今、自分の人生を見直しているのだ。もう子供の時代は訪れないが、まだ、成長していくことができる。少なくとも、昔のように年寄りは子供のいうことを聞いていればいいというふるい考え方はなくなってきた。人間は、いくつになっても成長することができる。 ボケだけは心配だ。だから、早く痴呆の効果的な治療ができると良いと思う。私の父は今年80になる。かくしゃくとして、元気に陶芸の先生をやっている。母は、トランプの会に入っている。宿題がでて、いつも実家に帰ると、母は宿題に追われている。 長く生きることを考えると、今できること、ということを強く考えるようになる。やりたいことは、リストアップして、今一番重要な課題を選択することにしている。 20代とはやはり違う。自分の生き方は、慎重に選択して決めていきたいものだ。 by musica ----------------------------------------------------------------------------- ■障害を受容する事、それに伴う問題 障害を受容するという事について、あなたはどのように思われるでしょうか?ADHDや脅迫性障害、各種のLD(学習障害)、軽度の自閉症を認識した人は、かなりの割合で一旦はその事に安堵の感情を持ちます。それは、その人の人生において、パーソナリティーや、家庭環境、生育環境によって生じたと考えられ、自分の過失であったと思われていたことの原因がそれらの障害によるものであったという事を知るからなのですが、その時点においては、過去の自分の過ちに対して赦免されたという意識が強いのです。しかし、それが障害を受容したという事にはならないと思うのです。障害を知り、しばらくすると、自分がなぜ障害を負うことになったのか、障害を負って自分が失ったものが少なくなかった事に気づいてしまうからです。 僕自身のことを言えば、27歳の時に自分の行動に違和感を感じて精神科に通院しました。しかし、その時点では発達障害についての認識も一般的でなかったので、うつ病と診断されました。しかし、当事者としてはその診断に対して納得も行かないわけで、それ以後通院はしませんでした。本格的に診断を受ける事になるまでその後10年の歳月がかかりました。ADHDであるとの確信と共にうつ病の療養が始まり、通院するうちにアスペルガー症候群であるという診断を受けました。その後になって、脳の精密検査を受ける事になって始めてADHDである事が確定しました。気持ちの上では、未知の障害によって人生が閉ざされていたのが、障害が確定した事によって先の見通しがついたと言う安堵感が大きかったのです。しかし、そう思えたのも永くはありませんでした。発達障害は行動やコミュニケーションに制約を与えます。思い通りの行動ができないのです。診断を受ける前からその制約の為に犠牲にしてきた事も多いので、コンプレックスを抱えているわけで、それに伴う悩みはなかなかなくなるものではありません。うつ病を2次障害として抱える事も多く、劣等感を感じやすい発達障害者は、診断がついた後もなかなか先の展望が持てない事も多いのです。ぼくもうつ病があり、自閉の症状もそれにつれて発現したりすることがあります。未来への展望が持てず、自己実現に対して失望感を持ってしまいがちで、期待する出来事と違う場面が現れたときにかんしゃくを起こしたり、泣き叫び、地団駄踏んでしまうことすらあります。ですから、障害の受容という面から行けば、いまだその境地には達していないというのがぼくとしての正直な気持ちなのです。 受診が確定してしばらくの間は、生活が安定しない例も多く、経済的なことから情緒不安定になる事も多いのです。職業に就いたまま受診している場合には収入があるので、それほどダメージはないと思われますが、多くの場合療養の為に無職の事が多いので、必然的に障害年金などに頼る事になります。これも、重度発達障害者の場合は、知能障害も抱えているので療育手帳による自治体の補助金があったりしますので、経済的にはあまり問題ないと思われますが、一番問題になるのが、軽度発達障害者の場合だと思います。働く事もできず、障害年金の基準に満たない軽度発達障害者は経済的な不安からうつ病を重くしてしまう事も多いのです。そのため、生活補助を利用せざるを得ない人も多いのです。 障害の受容とは、障害をそのまま受け入れ、その特性に合わせて生活の設計をしていく事だと思います。多くの人が健常者の基準に自分を合わせようとして挫折を味わう事になります。しかし、ADHDやアスペルガー症候群の人には、健常者にも勝るとも劣らない才能があります。ADHDの人は発想が豊かで、おそらくブレーンストーミングをさせて新しい考えを生み出す事にはかなりの威力を発揮するはずです。また、アスペルガーの人なら、健常者とは違ったアプローチですぐれた発想を出す事ができるでしょう。何も、世間に自分を合わせる必要はないのです。障害があり、不自由な自分をわざわざ標準のプロセスにはめ込むことなく自分にあった方法でアプローチするのです。職業選択もそういった見方から洗濯していけば、おのずと自分にあった仕事を見つけ出せるはずです。 未だ、ぼくにはそういった実感を持つに至りませんが、多くの先人が克服してきた方法を自ら取り入れてやってみるのもいいかもしれません。幸い、デイケアプログラムに参加して、創作活動の中で自分の才能を見出す手ごたえを感じ始めていますから、意外と障害の受容をする日も近いかもしれません。 by むん ----------------------------------------------------------------------------- ■思考停止実験その後 最近、自分の心の動きについて考えていて、ある種の発見があったので書いておきます。 これはあくまで僕の個人的経験から引き出された結論で、世間一般のひとが僕と同じように考えるかどうかはわかりません。自分の意識の中では、常にもうひとりの自分がいて、いつもそいつと会話をしているんですが、不思議とその時は何のこだわりも、苦しさもなく、きわめて自然体なんです。 子供の時は、そいつは赤い服を着た少年のかたちでイメージされました。いまではもう少し年を取り自分の分身にふさわしい格好をしています。そいつと心の中で言葉を使って会話しているとき、心理的な圧力、マイナス感情はありません。ことばで会話するとは、心の中でぶつぶつ独り言を言うように、ことばのキャッチボールをすることです。 そいつは意外といろんな返事をしてくれます。ときどき僕が思ってもいなかったような回答をしてくれることもあります。 問題は、彼ではなく、友人、知人、親兄弟など、自分と別の人格と心の会話をしているときです。その時はことばにいろんな感情の重みが付け加わっているのです。反感、共感、好意、敵意、嫉妬、愛着、尊敬、軽蔑などなど。その感情の重みは、他者と会話している状態だけでなく、他者を意識するだけでも、即座にうまれてきます。動植物、自然について思いを巡らしたり、単なる論理を考えているときは、そんなことはありません。 これはやはり、自分の心の中で勝手にこしらえた他者の人格、これが諸悪の根元なのではと思い至りました。他者と会話するのは、他者と実際に会って会話しているときだけにすればいいのに、他者と別れたあともずるずる会話している。つまり現実には存在しない他者と会話するというのは、リアルではない虚構の世界にどんどん入っていくということで、最も身近な存在、自分自身からは、ますます遠ざかっていく。ここに問題があるのではないか。 「他者との会話」だが、会話が言葉のキャッチボールであるという定義にしたがうなら心の中で「他者」と会話するのは、現実には不可能で、この場合心の中で「他者」の「イメージ」をふくらませているにすぎないのではないか。ことばを使わないイメージ思考、右脳思考とかいうのがちまたではやっているようですが、僕にとってはこれはマイナスで、イメージをうまくコントロールしないと、他者の人格に圧倒されて心のエネルギーがどんどんなくなっていく。 むしろ言葉をつかった左脳思考「いちたすいちは、に」といった制限された思考法のほうが心の健康にとってふさわしい。脳も肉体の器官のひとつ、手足と同じようにその使い方を学ぶ必要がある。人間ならだれでも歩くことを学習するように、自然に脳を使うようになるが、巧く使うかどうかはその人次第。その方法は他人に教えてもらうわけにはいかない。自分の身体は自分で使うしかない。 おのおの最も疲れない歩き方、効率的で気持ちのよい脳の使い方を発見しなくてはならない。僕にとってキーワードは「自分の分身」と「はっきりした言葉」を使って会話する。「他者の人格」と会話をしない。これはつまりいつも自分自身とともにいるということです。 以前思考停止の実験をしていたことがありましたが、非常に難しいことがわかりました。何も考えないことがこれほど難しいとは。ほとんど不可能に近い修行でした。唯一できる瞬間は排便をするとき。ウンコをする、りきむ瞬間そのときだけは何にも考えていません。 by mogurin 脳のどの部位を使っているかは意識してコントロール出来ないと思います。ただ、頭の体操をしておくことで、理論的、あるいは情緒的な部位のどちらを重点的に使うかはある程度鍛えられるとは言いますが。 それと、思考停止実験ですが、わたし個人としてはあまり勧められませんね。ただでさえADHDは覚醒レベルが低いと言われており、それが衝動性の原因とされています。つまり、きちんと思考していないからです。思考していなければ、あとは本能で行動することになり、ひどい場合は犯罪につながりかねません。 思考はいつもクリアにしておく努力をし、その思考を可能な限りプラス側に持ってゆく方が、思考停止よりよほど効果的ではないかと思います。 from ロクスケ ----------------------------------------------------------------------------- ■連載 第23回 年を取ると弱くなって当たり前? 人間誰でも年を取ると衰える一方でそれはもう避けられないことだと思われているようだ。老人になればもうまともな思考も出来ず、惚けるのもやむをえないという人が実際にいるのも知っているし、わたしは年寄りだから何も分からなくて・・・と言う年輩者のなんと多いことか。 惚けの事は明らかに誤解だ。65歳以上の年輩者で惚けが認められる12%だそうだ。いわゆる老人性痴呆症だが、血管性痴呆症とアルツハイマーが主だと言われる。これらは明らかな病気なのである面避けられない要素もあるが、明らかに自分のせいだと思われる惚けがある。これは正確には惚けなのではなく、正常な衰えと言うべきなのだろう。つまり、好奇心を持たず、積極的に人と交わらず、知的な刺激を求めず、学ぼうとせず、そして怠惰な生活を送っていれば、脳は勿論衰えるだろう。年齢を重ねればその衰えは正常に脳を使い続けてきた人は大きな開きが生ずる。 これは医学的な意味では痴呆症ではないのだろうが、傍目から見れば惚けているとしか思えない。 このような人は、仕事人間に多いようだ。趣味も持たず、とにかく仕事一辺倒で家庭も顧みなかった人は、定年になって時間が出来ても何も出来なくなってしまう。本を読もうと沢山買い込んでも、読書習慣が身に付いていないので集中出来ず読み終えることが出来ない。何か新しい趣味をやろうとしても、どうしても夢中になれない。結局毎日テレビを観ながらゴロゴロし、それまで家庭の中で立場を作ってこなかったので邪魔にされるだけ。 結局毎日無駄に過ごし惚ける。これは男性の場合。女性はとにかく子育てや家事をし、暇が出来るとソファに寝そべって煎餅をかじりながらテレビ三昧。なにしろ、家電製品が良くなっているから家事をするにしても時間がかからず、暇があるのだ。 そんな生活をしていれば、政治にも経済にも興味を持てずパソコンなどを触ろうなどと夢にも思わず、外国旅行はいやだが、友達と温泉になら行く。一人でプランを立て、一人で予約をし、一人で外国に行って来るなどとんでもない。 それでは惚けるのはやむをえないだろう。 体力にしてもそうだ。人間の体は使わなければ衰える。歩くのが面倒だと100メートル先に行くのに車を使い、とにかく重い物も持たなければ運動もしないのであれば、筋肉は誰でも衰える。一方、80才でもきちんと筋肉トレーニングをすれば筋肉が鍛えられ、転びにくくなるし怪我もしにくくなる。なにしろ、活発に動くことで精神的にも活発になる。 体も心も、鍛え続けなければ衰えるのだ。それも何も努力をしない時間が長ければ長いほど、衰えは加速度的に積み重なり取り返しがつかなくなる。 むろん、いくら鍛えても20才の人間と80才では運動能力は比べ物にならない。ただ、人間の生活では不自由のない程度の筋力は80才でも保てる。脳も記憶力や瞬発力が大きく落ちてくるだろうが、鍛えてさえいれば代わりに判断力、推理力などは伸びてくる。人間が人間たる所以はその知力なのだし、その知力は生涯のばし続けられる。つまり、人間として、年を取ったら衰える一方だというのは大きな間違いだ。 現実に政治家や芸術家などで80代で頭脳明晰で気力の充実している人は大勢居る。それは決して一部の運の良い人だけのことではないのだ。 by ロクスケ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ★編集後記★ ■この号が出る頃には東京ではもう桜は終わっているでしょう。今年は咲き始めるのがかなり早かったのですが咲き始めた頃に急に冷え込み、花はながもちしているようです。折から拙宅近くの古いお宅の庭に桜の老木が2本あり、毎年見事な花を咲かせ、張り出した枝の下を通ると風によってはまるで吹雪のように花びらが舞い踊っています。 ■昔から桜は狂気の趣があるとして色々な文学作品などに取り上げられていますが、たとえば坂口安吾の「桜の花の満開の下」には、山賊とさらってきた女の怪しい成り行きが描かれています。また、梶井基次郎の「桜の樹の下には」という作品で、桜の樹の下には死体が埋まっていて透明な液を滴らせているというくだりがあります。古くは、西行法師の「ねがわくは花の下に春死なん その如月の望月の頃」という句の中で花とは桜のことだと言われています。 やはり夜くらい中にぼうっと浮かび上がった満開の桜は何か怪しい雰囲気があるようです。 ■桜も春の花ですが、春は一般に昔から狂気の季節と言われているようで、春になると人間は精神的な乱調を来すようです。WingBrain委員会のメンバーも、また見聞きするおおぜいの人たちも春はどうも鬱が高じるとか憂鬱だ、精神状態が不安定になると訴えています。わたしもそうです。春は明るい希望の季節、などと一般では言われているようですが、どうもイメージとは違うようです。 ■精神的な健康だけだけじゃなく、肉体的な健康も春に崩す人が多いようです。寒さが続いて三寒四温の不規則な天候が続き、それが影響するのではないでしょうか。花粉症や風邪に苦しむ人も多いようですし。みなさん、くれぐれも体調の管理に気を付けてください。 ■早く秋にならないものでしょうかね。 『WING BRAIN 第57号』でまたお会いしましょう♪ |