WING BRAIN メールマガジン第57号


★目次 ★
 ■ 年下の若い上司に教えられること          MUSICA
 ■ 医療費                      MUSICA
 ■ no music,no life                 小町
 ■ ハルウララ                    ロクスケ
 ■ 連載   第24回   スパイダーグラフのでこぼこ ロクスケ
 
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■年下の若い上司に教えられること

 私は、勤続25年目になる。同じ職場で、よく続けられたものだと思う。ひとえに、3〜5年おきの異動のおかげだと思っている。

 子供たちが小さいころは、その余りあるエネルギーと多動などに悩まされ、本当に仕事はひとつの部分でしかなかった。それが、

 なんとか子供たちの成長に目鼻が着いたところにやっと自分の人生を手に入れたといって良いかもしれない。

 なんといっても、子供たちがそれぞれに成長し、意見を持ち、考え方もしっかりしてきたことが私を心強くさせてくれる。もちろん、今でも子供の相談には乗るし、できる限りの範囲で私の助力が必要とあれば、それは私に課せられた天命と思って対処している。やはり、軽度発達障害のある子供にとっては、援助ということは必要なことなのだと思っている。

 ところで、私は昨今仕事に夢中である。今になってみると、私の同期生は皆一定以上の職につき、昇進をまったく考えずに生きてきた私は今さらながらにその大きな違いに驚いている。

 そうかといって、私がADHD+LDの子供たちの養育に専念しながら、仕事を続けてきたことに後悔はなく、この歳になってもまだまだ血気盛んに仕事に取り組めることが、私にとって何よりのことなのかもしれない。好奇心が旺盛であり、新しい職場でも何かしら改善をしようといつの間にか私は行動している。それを、認めてくれる上司もあれば、気に食わない上司もあった。

 前職場では、同期の男性が上司だったが、最悪だった。何も認めることができない。ひとつあるとすれば、かれが「遅刻は許さない」と発言したことで、30分早く職場に着くことが定着したことくらいだろうか。

 今の職場では、根無し草のような上司が上級庁から派遣されてくる。ある意味で、しがらみがない分、いい面もあり、悪い面もある。

 今年、私の直属の上司となった、若き女性課長はバリバリのやり手である。まだ半月しかお付き合いがないが、もうすでに彼女がやり手であることがわかる。そして、その課長にこの部分は、いついつの法改正により変わっていますとか、この点に問題点がありますとか、率直にお話できるのがたいへんうれしいことである。私にとって、初めての年下の課長!

 私は、直観力で仕事の問題点を見抜くことができるが、彼女は法的根拠を求める。私に欠けている部分をうまく誘導してくれている。

 また、相手方に対する文書もかなり手が入る。しかし、彼女の手が入ると、なんと緻密に計算されていて、やわらかくまとめられることだろう。

 今まで、年下の上司に教えられることというのは、ほとんどなかった。こういう場面は心の中で設定していたのだが、意外にすんなり受け入れられた。「あ、この人ってできるな」と思うと、自然に心が開放される。できる=私を理解できることなのかもしれない。

by MUSICA
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■医療費

 遅ればせながら、昨日、15年の医療費控除の資料を作った。交通費をいれて、なんと73万である。特に2割から3割になった時点で、非常に医療費が高くなっていることがわかった。どうりで家計が厳しいわけだ。
 
 私には、山ほど病気がある。だから、医療費は削れない産物でもある。それでも、一部公費負担があるのだから、公費負担がなくなれば、たいへんな額になることだろう。
 
 ともあれ、社会保険料が毎月給料から山ほど天引きされているが、私の場合、元は取っていると言っていいかもしれない。よく「俺は全然病院も行かないのに、なんでこんなに国保の支払いが高いんだ」と文句を言う人がいる。気持ちはよくわかる。でも、その人も病気になれば、ああ、国保に加入しておいて良かったと思うことだろう。
 
 皆年金、皆保険が叫ばれてこういう制度になっているが、やはり、制度にもおかしな点はあるなあと最近思う。たとえば、1年ビザで入ってきた外国人もなんと介護保険料を払わなくてはならないのだ。
 
 外国人にしてみれば「恩恵がないのに、なんで払わなくっちゃならないんだー!!」と叫びたくなる気持ちもわからなくはない。もっとも、そのまま日本に根付いてしまえば、介護保険のお世話になることもあるのだろうが。
 
 それと、老人の保険だ。医療はめちゃくちゃ老人の医療費で占められているのに、ほとんどが安い保険料で、負担も1割か2割だ。90歳になって、1千万稼いでいようとも、2割の負担だ。
 
 私は、老人も普通の成人と同じにすればよいと思う。稼いでいる人には、応分の負担をしてもらいたいなあと常々思う。あとは、扶養している人をもっている人は、独身の人より保険料が多くても良いと思う。私も二人扶養しているので、自分の首を絞めることにもなるが、扶養されている人が結構に保険料をくっているのだ。
 
 これは、結構大きいなあと思う。これは年金にもいえる。サラリーマンの妻はなぜお金を払わないで年金がもらえるか。(3号被保険者)前からなぞである。こんなことをしているから、保険財政やら、年金財政が逼迫するのだ。私は、今年、いっぱい還付を受けよう。おかしなことに、医療費が掛かると、医療保険のほうから返ってくるのではなくて、国税のほうから返ってくることだ。これもなぞである。

by MUSICA

確かに医療保険、年金とおかしな制度がまかり通っている。グリーンピアとか、各種の無駄遣いに浪費して、今や運用が保証されない可能性さえある。まあ、基金が無くなれば税金から補填するんだろうけれど。

MUSICAさんの言うとおり。老人なら無条件に医療費が安く、無条件年金が支払われるのはおかしい。老人が無条件で弱者なのではなく、長年の実績で働かなくともがっぽがっぽと収入を得ている老人は、対象外としても良い。国会議員の年金など、とんでもない。連中は終生払い続けるべし。

まあ、とはいえ、アメリカなどには健康保険制度がないから、貧乏人は病院に行けない事を考えると、無いよりは良いんだが。でも、おかしい。

年金など、国がやるのはお節介ではないかと思える時がある。民間にやらせてはどうなんだろうねぇ。日本が少子化高年齢化で負担する人間と受給する人間の比率はどんどん代わってくるのは分かり切っていながら破綻してゆくままにして置いたのは、無能な役人が無為無策で無駄遣いをしていたからだとしか思えない。きちんと使われるなら、払うのにも文句は言わないんだけれどねぇ。

ロクスケより
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■no music,no life

 …音楽なしじゃ生きられない。これは、某有名CDショップの名コピーである。これは、かなり私自身の生き方を表していて…尤も、すべての音楽を愛している人のキャッチコピーでもあるのだけど。
 
 私の場合、もっといえば、ライブなしじゃ、生きられない・・・である。音の刺激、リズム、グルーブ、体を揺さぶられるのと同じ衝撃でやってくる感動。ロックやパンクは、その中に身を浸していると、脳の回路がかちりと繋がる音を感じる。これは、もちろん感覚的なもので、実際にそうかどうかは解らないけれど、血流が激しくなり、脳の隅々にまで血液が行き渡り、ある種の興奮と快感、そして、異常なまでの集中力が自分の身に宿る。絶対に、自分が生きていく中でなくせないもの。むしろ、その中に生があり、そのためだけに生きているとさえ感じることもあるほどに。ライブとは、まさにLIVE。生きているということそのものかも知れない。
 
 すべてのロックアーティストが、それを私達に与えられるワケじゃない。しかし、確実にそれを・・・いともたやすく、惜しげもなく、与えてくれるごく少数のカリスマがいて(そんな言葉もふさわしくないかも知れないが)、それを享受することに堪らない悦びを覚える。それが、ライブである。実際、そんなことを冷静に考える暇はない。飛び、踊り、必死でその音に耳をそばだて、リズムを体感し、グルブに身をゆだねる。時にステージの上の彼らの一挙手一投足を見逃すまいとし、瞬きすら許さない自分がいる。
 
 ロックやパンクは、全天候型のすべての人に受け入れられる音楽ではないのは重々承知だけれど、本物を音にするステージの上の彼らは、その思考、思想、想い、メッセージ・・・それらを物語に乗せて、あるいはストレートな言葉で、届けてくれるのだ。もし、まだ、音楽に身をゆだねたことのない人は、特に若い世代の人には上質の本物のロックを聴いてほしいと思う。自分のすべてを預けてしまうのではない。ただ与えられるものを受け止めて、その中でだけ生きていくのではない。音と言葉から物語を紡ぎ、自分の脳のフィルターを通し、想像し、再構築し、自分自身と照らし合わせ、振り返り、すべての思考という脳活動を最大限に行うことで、自分と世界を見つめる子とができるのではないかと思うのだ。

 時間が限られている。若い頃、やり直しは何度でもきく、時間は無限にある、そう思っていた。でも、実際はそんなに多くの時間は存在しない。生き急ぐことはないけれど、この有限の中でいかに自分と見つめ合えるか。その上で、人生が変わるほど楽しいことを見つけてほしいと思う。
 
 
by 小町
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■ハルウララ

2004年3月22日、高知競馬場の競走馬ハルウララが106連敗となった。これだけ負け続けてなお人気があるのは、あるいは日本特有の現象かも知れない。この日はかの天才騎手武豊が鞍上の人となったが、やはり勝てなかった。それでもハルウララの券を買った人が多数居たというから、もし勝ったら大穴になったろう。

だが、実際の所、武豊が乗ったからと言ってハルウララが勝つと思って馬券を買った人はあまり居ないのではないか。テレビで見ていたら、一瞬耳を疑ったが、60万買った人が居た。むろん、本人の自由だが、奇特な人がいるものだ。

日本には判官贔屓という言葉がある。弱い方を応援する心理だ。相撲でもあまりに無敵に強いと却って人気が落ちるらしい。適当に弱い力士がたまに強い相手に勝ったりすると、もう大騒ぎで座布団が飛び交う。負けた方は良い面の皮だが、お客には逆らえず、すごすごと土俵を下りるしかない。

判官贔屓はどうも日本だけらしい。外国では強い方がより多くの声援を受け、そして予想通り勝つともう完全なヒーローになる。負け犬は用はない、というのが他の国では普通のようだ。

アメリカ人に訊いたことがあるのだが、判官贔屓の意味は理解したものの、なぜ弱いものを応援するのかが分からないと言われた。もちろん、彼等にも弱者をいたわる気持ちは十分持っている。だが、こと勝負事では、弱者にはかなり冷淡で、勝者だけをたたえる。弱者の健闘は、励ましの意味でよくやったと言うが、基本的に判官贔屓で日本人が弱いものに勝てばいいと望むのとは違うようだ。

わたしは日本に生まれ、日本文化の中で育った。そして、それがどれだけ幸運なことなのかが分かってきた。判官贔屓があり、ハルウララが人気を博すやさしさがどれだけ日本人の心を豊かにしているか計り知れない。世界の殺伐たる現状を思うに付け、日本は本当に別天地なのだと思う。日本の中にいれば勿論様々な問題がある。だが、その問題だらけの日本並みに世界がなってくれたら(文化をまねしろと言うのではない)世界から戦争はなくなるのだろうと思った次第だ。

ただ、その日本で、判官贔屓が廃れてきたような気がするのが一つ心配だ。

by ロクスケ
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■連載   第24回   スパイダーグラフのでこぼこ

 すべてに優れた人間は存在しないが、どうしてそう言えるのかには分かり切った理由がる。優れた人格という定義が無いからだ。現在でも国によっては敬虔な信仰心を持っていることが優れた人間の絶対的条件であり、女性は男性に慎ましく従うのが優れているのであり、事実がどうであれ討論で勝った方が利益を取るのを社会ルールとしていることから、とにかく説得力のある人間が優れているとされる。

 時代的に考えてみても昔は日本でも女性は三従と言われ、若くては親に従い、嫁して夫に従い、老いては子に従うのが美徳とされていたのはつい最近までのことであり、今でも年代によってはそう考えている年輩者もいる。社会的に尊敬されていても心の奥底では女性の進出を苦々しく思っているわけだ。年輩の女性で、女は男に任せておけばよいと実際に言う人が私の身近にも居た。私から見ても十分に教養のある優れた人格の老婦人だったが、ごく自然にそう思っていたようだ。

 今の私たちから見れば、そのような女性観は間違っているし、あからさまにそのような女性観を口にすると敬遠される。

 つまり、優れた人格とは時代や社会により、そしてそれを見る人の価値観によって大きく変わる。たとえば即断即決をする人が好きで、ぐずぐずといつまでも結果を出さない人を見るといらいらして来る人は結構居るだろう。だが一方なんでもすぐに決めてしまう人を衝動的だと嫌う人もいる。即断即決も慎重居士も人により好悪が出てくるだろう。また、誰でもそうだが、接する相手によって判断基準も態度も変える。肉親家族と友人と会社の同僚とで人格を使い分けるということだ。相手によって好ましい人格が違うからだ。

 そもそも、人格を決める要素とは何かと考えると、これが難しい。ここに挙げた決断の早さは、実は性格や癖、あるいは考え方であって、人格の判断要素にはならないとも言えそうだ。

 スパイダーグラフという表示方法がある。一点から六方あるいは八方などに軸が出ていて、同心円上に目盛りが付けられる。栄養素や成分表などでよく使われるグラフで、出た結果が円に近ければ近いほどより完璧な状態に近いことを見るわけだ。この方法で人格をグラフにしてみた場合、八本の軸を想定して、たとえば、知識量、決断力、包容力、正義感、柔軟性、好奇心、責任感、ユーモアなどを挙げてみる。だが、先に書いたように、従順さや信仰心、忠誠心などが重んぜられる社会ではこのグラフでは人格を表せない。古い基準では、義理や人情も欠かせないだろうし、現代でもこれらが全く無くても良いと言うわけではないだろう。大体が、人格を表す要素は6つや8つどころか無限に考えられ各々の重要度は人によって変わるから、仮に自分なりの理想人格用スパイダーグラフを作ってみても、絶対的理想人格とはほど遠い。

 つまり、円満完全な人格を表すグラフは作ることが出来ず、けっきょく自分で自分の価値観に従ったスパイダーグラフを作ってそれに沿った人格になるように努力をするという事になるのではないだろうか。むろん、自分が生きている社会、時代にマッチしたグラフを作った方がより生きやすい事は言うまでもないし、それ以前に人間として必要とされる普遍の要素、つまり正直、慈しみなどの要素が欠けては反社会的人格ができあがる。
 
 結局、出来ることと言えば、その人なりの理想のグラフを想定して作ってみるしかない。それでも、かなりでこぼこになるのではないだろうか。
 
 ADHDやASなどのばあい、どうしてもグラフ自体がうまく作りにくいしでこぼこになるだろうが、それでも目標として自分なりのグラフを作ってそれを目指して努力をすればよいだろうという事になる。結局は反社会的にならない自分なりの価値観が確立していれば、自分なりのグラフを作ることが出来るはずだというのが、今回の結論。

by ロクスケ

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★編集後記★

 ■つい最近のことですが、日本人が相次いでイラクで拉致され、それについて様々な意見があちらこちらから出てきました。自衛隊の海外派遣や今の政権の方策などについてはここはそれを論ずる場所ではないので触れませんが、ただ一つのテーマとして、自己責任という言葉がクローズアップされた事を取り上げてみたいと思います。
 
 ■日本は自由主義の国であり、法に触れない限り何をしても良いという事になっています。それは非常に優れたシステムであり、だからこそ人はそれぞれに異なる価値観に従って様々な目的を持ち、その実現のために努力をすることが出来ます。もしこれが、法で許されたこと以外してはいけないと言うのであれば、おそらく日本の今の繁栄はなかったでしょう。たとえば、徳川幕府は新しい科学技術の研究や発明発見を禁止しました。したがって、日本では工芸は進歩しましたが技術は停滞し、それがどれだけ日本の近代化を妨げたか想像に難くありません。
 
 ■しかし、だれもが感じているように、この自由を保証されている前提として、責任を果たすという事が求められます。自由は責任と対であり、権利は義務と両輪です。それなのに、今の一般的な風潮として、どうも自由と権利だけが強調され、とうぜん果たさなければならない責任と義務が忘れられているような気がします。
 
 ■大人は子供に許されない自由と権利を認められていますが、それは子供が科せられない責任と義務を負わされているからです。
 
 ■なぜ、こんな事を言いだしたかというと、どうもADHDを認めろという声ばかりが耳につくからです。ADHDという状態を認知するのは大切なことです。また、それ故に権利や自由が阻害されるようなことがあってはなりません。ただし、それに見合った責任と義務を果たさなければならないと言う自明の理が有ってのことです。
 
 ■そして、ADHDであろうと、十分その責任や義務を果たす能力はあります。やはりその面にもう少し目を向けた方がよいのではないかと思う次第です。



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