WING BRAIN メールマガジン第59号
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★目次 ★ ■ 文書で意志を伝える難しさ          ロクスケ ■ お医者さん                 musica ■ 15分の運動で気分が爽快になる!?      Bunny_Lab ■ ベジタリアンは長生き!?          Bunny_Lab ■ わたしの知人の場合             みゆき ■ 連載   第26回   完全無欠の人間    ロクスケ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

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■文書で意志を伝える難しさ

 私たちWingBrain委員会はネット上の組織であり、メンバー同士が顔を合わせることは滅多にありませんし、海外にいるメンバーとは一度もあったことがありません。つまり連絡はもっぱらメールのやりとりで行います。
 
 しかし、普段から顔を合わせたこともない人同士がメールで意志の疎通を図るのは結構難しいものです。距離の取り方を誤ると、とんでもない誤解を生じたり感情的な食い違いが生じます。
 
 よく私はいちいち細かいことを言う、口うるさい、厳しいと反感を買うのですが、やはりWingBrain委員会は組織です。組織である以上そこにはルールがあり、そのルールを守ることで連絡をなめらかにしているわけです。また、メンバーとして遵守すべき規約もあります。
 
 しかし、そのようなルールがあるからと言って、誰もがすぐそれを守れるわけではないでしょう。各人それぞれが他の人たちとメール交換をやっているし、そこでは意識しないルールをWingBrain委員会では守らなければならないので、ついつい忘れることもあります。
 
 わたしも細かいことを言ってうるさがられたくはないし、好きでいちいち言うのではありませんが、しかし黙っていると全員が納得ずくで決めたルールがないがしろになり、結果としてメールが受け取れない、メールの確認がとれないなどの実害が生じているのです。
 
 わたしも一応WingBrain委員会では発起人ですし、ルールを忘れている人にはそのたびに注意をします。したがって、おおむねルールが守られ、先に書いたような実害が減っていることはメンバーの何人かも言っているので、うるさいとは思ったけれど言ってもらう必要はあると思う、と最近言われるようになりました。
 
 まあ、私の注意の仕方もあるかとは思いますが、子供のような毎回の注意はするなと言うことでしょう。ここは大人の集団ですが、現実に注意をしないで放っておくとたちまち連絡がうまくとれなくなるので、いいわいいわと放っておく訳にもいかないのです。
 
 一般論ですが、このような注意をするからと言って別に叱っているのでもないし責めているのでもありません。注意を喚起しているだけのことで、それはメンバーもわかっているようです。
 
 大体がミスは人間である以上避けられません。わたしもミスを繰り返します。だから、ミスを指摘してもらえば気が付いて改めることが出来るのに、メンバーは大体はそういう注意は私にはしてくれません。注意をすることが失礼だとか、ぎくしゃくするからと気を遣っているのでしょう。
 
 注意をするとき私は大体はその人個人宛の私信で行います。大声でみんなの前で言うことでもないと思うからですが、最近その考えは間違っていたかと思います。みんな私信で私の注意を受けるので、自分だけ厳しく言われると思っているらしいとわかったからです。
 
 べつに誰かに特別厳しくしている、というより誰に対しても厳しくしているつもりはありませんが、ミスが繰り返されれば全員に迷惑がかかるからミスを繰り返す人には注意も繰り返します。
 
 基本的には、このような場ではメールでどのようなことが書いてあっても相手が自分にたいして悪意を持っているわけではない、という前提をしっかり認識しておけばあとは注意を受けてもそのまま受け止められるのではないでしょうか。そのほうが、自分にも得です。ミスを指摘されたからと言ってべつに謝る必要もありません。基本的に私は不必要に謝ることは要らないと思っています。要りもしない謝罪をされると負担に感ずるからです。
 
 ミスを指摘されたら改めればいいし、またミスではないのに相手が勘違いで指摘してきたら自分で反論すればいいのであり、謝る必要も反発する必要も言い逃れをする必要もありません。
 
 いま、メンバーの例で書きましたが、何処の誰とメール交換をしてもあり得ることです。もちろん団体としてのルールがあるわけではありませんから一切注意などしませんし、要するにメンバー以外のことであればルール違反(ネチケットなど)があっても気にしません。いやならその相手とメール交換をやめれば良いだけのことですから。
 
 今のWingBrain委員会のメンバーは互いに非常に大切な存在ですし、だからこそメール交換を重用視しています。それでも文書による意志の疎通の難しさを時々痛感しています。
 
 メール以外に定期的にチャットを行い、出られる人が出るようにしていますが、そこでも意志の疎通のうまい人苦手な人がいます。その人の癖が理解出来てはじめてより正確な意志の疎通が出来るので、やはりメールの交換には対面して行う意志の疎通以上の神経を使う必要があると思っている次第です。
 
 
by ロクスケ
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■お医者さん

 私は病気の問屋のように、たくさん病気を持っています。いろいろなお医者さんに掛かりました。 喘息で4人、精神科ないし神経科ないし心療内科で8人、内分泌は1人、薬による副作用の排尿障害で泌尿器科に1人、循環器系で2人、眼科は4人、ペインクリニックは当番制なので10人くらい、顎関節症で6人と数限りなくお医者さんには出会っています。
 
 ところで、長く続くお医者さんはそう多くありません。やはり、その先生のお人柄によって気持ちよく診察が受けられるかどうかにかかっていると言ってもいいでしょう。

 例えば、喘息の例をあげると、子どものころは近所のともかく苦い粉薬を出す先生でした。でも、あまりに発作が多く、高校生のときに、駅前の小規模な病院へ通いました。そこでは、今考えるとずっとステロイドを飲まされていました。その病院には、風邪からきた大発作で入院したこともあります。また、当時としては、まあまあの投薬(予防吸入薬:粉状のカプセルにプチと穴を開けて吸い込むものでした)もありました。
 
 就職して、ひどい発作が起きるようになったので、就職先の経営している直営病院へ行くことにしました。そこでは、レベルの高い治療を行ってもらえていると思っていましたが、一度、心身症による吐き気・下痢・食欲不振で入院した際、ドクターが消化器系のドクターに回してくれなかったために、原因がわからず、長いこと入院することになりました。
 
 その後、喉元がひゅーひゅーいって夜中苦しくなるので再度入院しましたが、呼吸器のドクターは「あなたの場合は心身症だよ。これは本当の喘息じゃない。」と言い出して、東京女子大の耳鼻科に行かされたり、都立駒込病院の呼吸器科に行かされたりしました。
 
 結果的に、どの病院でも喘息でしょう、とのことだったのですが、呼吸器のドクターは納得せず、挙句、気管支鏡をやって結核菌の一種が検出されたからと隔離され、何週間もかかって、結核菌はないことになって開放、もうすっかり嫌になりました。でも、当時は呼吸器では腕がいいと思っていたので「僕を主治医からはずしてください。」と言われても、「嫌です」と言っていました。でも、大手某病院の心療内科の担当医が「あの先生から何度も電話かかってくるんだけど、なんか治そうという意思が感じられないよ。あの先生では君を治せないよ。僕の隣に呼吸器のいい先生がいるので紹介してあげるからこっちの病院へいらっしゃい。」と言われ、やっと決心がつき転医しました。

 そうしたら、本当にすばらしく良い先生で、今はその先生を慕っております。そうすると、なにか魔法のように良くなってしまうんですね。その先生に代わってから、もちろん処方も最新の薬に変わりましたが、一度も夜中の大発作はなく、本当に良い状態を保つことができます。

 心療内科も精神科もとても気持ちがすっきりする先生と、この人とは相性がいまいち合わないなあ、返ってストレスになるという先生に分かれます。やはり、心の部分を扱う先生には、打てば響くようなやりとりがしたいものです。いい先生に当たっても、異動があったりします。そのせいで、いろいろな先生のところを渡り歩くようになってしまいました。こちらは、今は開拓中です。

 基本的に、患者の話を聞き、状態像や処方について患者によく説明し、自分で手に負えないものは他の先生をキチンと紹介してくれる、やさしい先生がやはりいいかなと思います。医者も人間ですから、相手との相性のよさ、悪さはあるでしょう。でも、その前に患者を思いやることができるかどうかが、医者として一番大事なのでは、と思います。 

by MUSICA

医師の選び方によっては命取りになることもしっかりと認識しておく必要があります。卑近な例では、テレビ報道で見たのですが、ある女性が乳房にしこりを感じてベテランの内科医に相談し、その医師は触診とX線撮影で、たんなる乳腺炎だから心配はない、と診断しました。

しかし、その後その女性は1年後ほどに乳癌で亡くなりました。小さな乳癌は触診やX線撮影では見つからず、そのためにマンモグラフィという専門の診断機械があります。最初のベテラン医師が、自分でははっきりしないと認めて専門医を紹介してくれていたら、彼女は死なないで済んだでしょう。

慢性の疲れがどうしても抜けず何軒もの医師をまわって、色々検査を受け何ともない、異常はないから気にしない方がよい、と言われていたのが、最後の病院で大変な病気と診断され危うき命拾いをしたケースもあります。

だれでも自分が重大な病気を持っているとは考えたくなく、医師から大丈夫と言われればそれで安心してしまい勝ちです。医師が誤診さえしなければ助かった命が失われるケースは多々ああるのに、医師の誤診率はどんな名医でも50%以上あると言われています。素人は胃が痛ければ内科や消化器科にかかり、歯が痛ければ歯科医にかかります。そこで治療を受ければ良いと思うのが当然です。しかし、胃や歯が痛いのは狭心症のためかも知れず、心筋梗塞の前兆かも知れません。消化器科の医師がそれを見つけてくれればいいのですが、時として見過ごされてしまいます。

患者としては医師を信じざるを得ないでしょうが、最終的には自分の命は自分で守らなくてはなりません。一人の医師にかかっていて回復が思わしくないときは他の医師にかかることもやはり自分の責任でしなければならないのでしょう。医師も人間であり、すべてを知っているわけではありません。専門以外の病気について全く無知で、しかも勉強をしない医師が問題になっています。たとえば、一時殆ど姿を消したはずの結核にかかる人が今になって多くなったと言いますが、経験がないために結核を見つけられない若い医師が大勢居るともいいます。

医師の人間性も問題になっていますが、むろん人を救いたいという志で医師になった立派な人たちが大半であり、問題となる医師は一部でしょう。その上で、すべての医師が医師としての要素をもっているわけではないという事実を認識して置かなくてはならないと思います。

from ロクスケ
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■15分の運動で気分が爽快になる!?

たった15分の中くらいの強度の運動が気分を良くし、元気なムードにしてくれる、ということがアイオワ大学の最近の研究でわかりました。

研究者が被験者の29人にトレッドミルでの15分のウォーキングの後と前にどういう気分かと質問すると、被験者の殆どが気分が穏やかになった、ハッピーな気持ちになった、元気が出てきた、などの前向きな感想を口にしたそうです。あなたも今日から15分の散歩をして、気分を爽快にしてみませんか?

by Bunny_Lab

「ADD/ADHDという才能と」言う本だったと思いますが、激しい運動をたまにすることを習慣づけることでADHDが改善されたという報告があります。鬱状態も改善されるとか。結局、運動をすることで脳内物質が旨く働くなるようになると言うことらしいので、気分が良くなるという事も十分裏付けがあります。

わたしも、散歩を習慣づけることで精神的な状態改善にも役立つと思っていますが、少し汗ばむくらいの速度で歩き、そのかん周りの景色を楽しみ、そして明るい光を沢山浴びることが効果を上げる秘訣です。光は運動とともに鬱状態改善のキーワードです。

from ロクスケ

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■ベジタリアンは長生き!?

最近は日本でも海外でも、食べ物、特に牛肉や鶏肉が危険だとされる風潮にあるようです。狂牛病、鳥インフルエンザなどと続いたので、「ベジタリアンになろうかしら?」と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ほとんど肉なしの食生活は寿命を約3年半長くする、ということが”American Journal Of Clinical Nutrition”の6つの研究の結果により報告されています。ただ、これの
結果を出すためには最低でもベジタリアン生活を20年続けなくてはいけないそうです。長くベジタリアン生活をしようと考えている人は、充分な蛋白質と鉄分を取るように気をつけましょう。豆腐などの大豆製品やその他の豆類、栄養強化されたパンやシリアルなどを意識して取るようにすると良いでしょう。

by Bunny_Lab


和食が塩分さえ控えれば理想的な健康食だと言われています。和食は、長い間四つ足を食べない習慣があり、どちらかと言えば菜食に近いですが、むろん魚は食べるのですから完全菜食ではありません。ただ、一般庶民にすれば魚は高いので勢い菜食にならざるを得ず、それが現在も和食の基本になっている訳です。

ただし、日本でも長寿県の沖縄は小魚や豚肉を非常に沢山食べます。元々人間は雑食性であり、植物性も動物性も食べ消化吸収出来る体になっていますので、完全菜食が長寿の条件ではないと言われても居ます。Bunnyさんがいうように、殆ど肉なし、ということで完全に肉を排除するということではないようです。

菜食に重点を置くか肉食に重点を置くかを選択するなら、菜食の方が長寿健康を得られるのは疑いありません。ただし、全く動物性を摂らないのは却って良くないとも言われています。

from ロクスケ

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■わたしの知人の場合

 わたしの知り合ったアスペルガー症候群の成人男性のお話をさせていただこうと思います。

 彼がアスペルガー症候群だとわかったのは6年前のことだそうです。今は自分のことをたくさんの人達に話したいと言っているそうで、わたし達情緒障害児の保護者の会にお招きして、お話していただきました。そして、その公演の様子を撮ったビデオをお母さまにお見せして「どうでした?」と伺うと「みんなはどう思ったのかしら?」と反対に質問されてしまいました。「自分の息子がたくさんの人の前でいろんな話をして、それを聞いていた人達がどう感じたかが、とても気になる。」という事でした。わたしにはそのお気持ちがとってもよくわかりました。

 彼は外国人です。イギリス人の時もあればアメリカ人の時もあります。生まれてからお父様のお仕事の関係でイギリス、フランス、アメリカで暮らし、そして今は日本に住んでいます。去年、日本人女性とご結婚されました。
 
 その披露宴の招待状には『わたしの結婚披露宴をしますので来てください。わたしの奥さんとお母さんも来ます。』と書いてあったそうです。

 これは外国的な考え方なのか?障害ゆえのことなのか??結婚式なんだから新郎新婦がいて当たり前なのに、「わたしの奥さんも来ます。」は何か違うように思いましたが、当のご本人は「どうしておかしいの?」と理解できなかったそうです。

 彼は「一人一人それぞれ違う。」と言われるとフラストレーションを感じるそうです。問題を抱えているという意味で言っていると思うそうです。家族には「そんなことない。普通だ。」と言われるけれど、結婚した彼女は違っていたそうです。わかってくれていると思えるそうです。

 アスペルガー症候群の人と付き合う時は「こうだろう。」と決め付けて見て欲しくない。「こう思っているの?」「こう望んでいるの?」と聞いて欲しいと話してくれました。

 奥さんに「聞いてないのね。」と言われる事がある。でも、「聞いていないように見える。と言うべきだ!憶測せず質問してくれれば説明できる。そこでコミュニケーションがうまれる。」と言っていました。確かにそうだと思います。障害に関係なく話し合うことは大事な事ですね。

 彼は「こだわりすぎると両親は心配している。でも、人に害を与えていないなら、何かの役に立つかもしれない。特に辞めることはない。」「他人がどう考えているか知ることは大切。自分の経験を話して役に立ててもらえることはうれしい。」と話してくれました。

by みゆき


 ASの人たちの場合こだわりが強く、理解されにくい面が確かにあります。ただ、こう訊いて欲しい、決めつけないで欲しいというのは誰でもそうだろうし、いっぽう相手にしてみればなぜ自分を理解しようとしないのかという不満をASの当事者にぶつけてしまい勝ちです。
 
 社会の一員としては、相手に理解されることだけを望むのではなく、相手を理解することも必要なのであり、それがASのリハビリの目的といえるでしょう。単に理解してあげるべきだというだけでは足りないと、わたしは日頃から思っています。
 
from ロクスケ

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■連載   第26回   完全無欠の人間

 この記事は、前々号の「スパイダーグラフのでこぼこ」の補足のような意味がある。前に書いたのは、完全な人間を目指しても属する社会、文明、時代、環境により要求される望ましい人格の定義が変わるので、普遍的に完全な人間など存在しない、というような事を書いた。
 
 主君に忠節を尽くすことが家族を守ることより重視されたのは江戸時代のことだろうが、今の一連の企業不祥事を見ると、一概にはそう思えない。会社が命ずるままに犯罪を犯し、そのために破滅してゆく人のなんと多いことか。私は、それはどう考えても間違っていると思うが、そう思わない人も沢山居る。
 
 これはほんの一例に過ぎず、つまりは自分なりに完全な人間を目指しても他の人から見れば完全な人間から遠ざかっている結果になっているわけだ。価値観が各人違うことを考えればきわめて当たり前のことであり、先に属する社会、文明、時代、環境と書いたが、それすら非常におおざっぱな基準でしかない。
 
 完全な人間を目指す事は意味がないとして、よりよき人間を目指すことはやはり続けるべきだと思う。なぜそんな当たり前と思えることをここで繰り返すのかは、ADHDが何を目標とすべきかに関係しているからだ。ADHDはとかく自己評価が低く、自信を失い、何を目標とすべきかを見失い勝ちなのが結果として大きな問題になっているからだ。
 
 良い人間というのもとらえどころのない曖昧な言葉だが、最低限の条件、すなわち社会、文明、時代、環境に関わらず望ましい要素があるだろう。弱者に優しく、他者を思いやり、正直で・・・等々が考えられる。ところが、掘り下げて考えてみると、弱者に優しくとは、弱者とは誰が判断するのか、どのような状態だと弱者なのかなどなどきりがない。
 
 良い人になろうなどはなから無謀な努力かと考えてしまいそうだが、それもどう考えてもおかしい。結局は自分でなりたいと思う人間像をイメージするしかないし、そのためにも日頃から何が望ましい条件なのかを自分なりに考え続ける必要がある、としかいえない。
 
 ただ、その基準自体が幼い頃からの環境で決まってしまっていることもまた自覚しなければならない。子供のうちは育てられた環境で価値観が決まってしまいそれに従って行動するのはやむをえないし責任は無い。だから、子供の頃から身につけている価値観は、本来自分が持つべき価値観と異なっているという認識から価値観の再構築につながる。
 
 大人になって改めて自分の価値観を組み立て直さない限り、そこから生ずる問題に対してはすべて自分で責任を負わなくてはならない。つまり、望ましい目指すべき人間像を自分で決めなくてはならないから、価値観の再構築が必要不可欠ということだ。その作業は、生きている限り続けてゆかなくてはならない。ADHDに限ったことではないが、日頃からセルフエスティームの低い問題を抱えているADHDとしてはよりいっそう深く考えなくてはならない問題だと思う次第だ。
 
by ロクスケ

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★編集後記★

 ■ この数年、いつも同じ事を言っているような気がしますが、天候が不順です。あるいは今の季節そうなのかも知れませんが、これを書いている5月23日未明、かなり冷え込みます。台風が過ぎた後で、当然でしょうが、その前が夏日だっただけにちょっとした冷え込みが応えます。まあ、寝不足のためもあるんですが。
 
 ■ メンバーの定例チャットがあり、そこではいつでも出られる人が出られる時間に出せる話題をしゃべり合うのですが、そうやってしゃべり合うことで結構日頃メールのやりとりだけではわからない相手のことがわかったりします。その意味で、わたしはこの定例チャットを大切にしています。
 
 ■ 閑話休題。前回のチャットでも4人が入れ替わり立ち替わりチャットルームに立ち寄ったのですが、最近色々なことで調子が良くないという話題ばかりです。当たり前のように自殺願望が語られ、人にだまされた話が出てきて、今どうも調子が良くないという事で盛り上がります。やはり、天候不順だと心身共に不順になるようで、単なる気のせいでは片づけられないようです。
 
 ■ 不調だと言っても、何か特徴的なのは過眠、意欲の減退など。食欲不振、慢性疲労などなど。もし思い当たる節があったら、気のせいと片づけない方がいいかと思います。
 
 ■ それにしても寒い。カーディガンとジャンパーを引っかけたのですが、まだ足りません。寒いなら寒い方が暑いより良いんですが、扱ったり寒かったりめまぐるしく変わるのが応えるのです。気を付けなくては。

 今号の画像は、目先を変えて私が製作途中のコンピューターグラフィクスによる人間の顔です。製作途中で何度もイメージを見るのですが、そうしながら修正を加えてゆきます。わたしはアニメキャラはやりませんが、リアルに近づけていければと思っています。
CG画像ー途中
完成したらまた載せせますよ。

『WING BRAIN 第60号』でまたお会いしましょう♪



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