★目次 ★ ■ 年金問題やイラク問題の裏に隠れていたこと  (1)小町 ■ 言葉は言霊                    ナオニャム ■ 僕の現状                     むん ■ 「発達障害者支援法案(仮称)」の成立への動き   みゆき ■ 連載 第27回 努力をする能力           ロクスケ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

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■年金問題やイラク問題の裏に隠れていたこと  (1)

 今国会でも、様々な法案が可決されようとしています。そのすべてを、国民全員が知ることもなく、数の論理で決定されていく法案の数々。これは、そんな法案を巡る一つの出来事。

 アタシが、その法案が提出されていると知ったのは、5月に入ってからのこと。「著作権法の一部を改正する法律」その時、すでに参議院を通ったあとで、これを知らせてくれたのは、とある音楽ファンのサイト。

 要約して説明すると、邦楽アーティストのアジア輸出盤が逆輸入された際(これを還流盤と呼びます)かなりの安価で販売されている現状を鑑み、還流盤の流通を阻止したいという意向から始まったとされるこの法案が実は、よくよく法案の解釈を読んでみれば、やりようによっては、すべての輸入CDが規制される可能性がある法案だったのです。これにより大きく弊害をうけるのは、実は消費者・リスナーであり、一番儲かるのはメジャー流通をしている大手レコード会社、と言うことになります。ちょっと、掻い摘んで報告するには、問題点が複雑で入り組んでるので、関連サイト(ヤフーなどで検索すればすぐに出てきます)を見ていただきたいのですが。

 じつは、アタシ自身は、そんなに輸入盤を買うことはないです。わりと国内でライセンスとって発売されたものを買います。(理由の一つは歌詞。どうしても意味を知りたいので)でも、この法案が通ってしまうと、国内盤が発売されないものすら、手に入らなくなる可能性が高くなります。なぜなら、発売はないだろうと思って輸入していたCDが、国内盤が発売されることになると、CD・レコードショップは輸入したCDを破棄しなければならず、CDショップのリスクがかなり高くなるため、輸入に踏み切らないお店も増えると予想されるからです。それは、良いもの…アタシにすばらしい悦びを与えてくれた、邦楽アーティスト達が影響を受けたり、愛情をかけたりしてきた海の向こうのアーティスト達の音を、耳にする機会を奪うものであり、現存する海外アーティスト達の音を、耳にする機会を著しく奪うものです。いわゆる洋楽と言われるポップスやロックばかりではありません。民族音楽も、クラシックもジャズも、何もかもすべてが対象です。音楽は自由だ、なんて、言い古された言葉でしょう。でも、多くの選択肢の中から、自分の嗜好で選んでいく音楽を、よく訳解ってない人間が可決する法案によって、何らかの規制を受けることは許せません。アタシは、洋楽だけではなく、アジアからの還流盤でさえ、規制すべきじゃないんじゃないかと思っています。
 
 これって、海賊版のことじゃないんです。アジア向けに正式に発売された日本のCDが、向こうの物価にあわせて安く売られてて、それが逆輸入されるとかなりの安価なわけで。それがCDを売っているレコード会社としては、今後大きな打撃になる…と予想されるという調査結果があるそう。ただ、これも、割合いい加減なものというか、信頼が今ひとつ置けないものである、という認識です。アタシも、この法案を知ってから、色んなサイトで勉強した口で、ホントにえらそうなことは言えません。でも、安いものと高いものを並べられて、その高いものに高いだけの付加価値があれば、高い方を買う人はいるし、全く同じものが並んでいたら、安いのを買うこともある。その辺は企業努力だし、より良いものを提供していくしかないと思います。価格競争できないから、輸入盤を規制してくれって言いだしたのかしら??

 大半は、こうした理由で反対されているようです。が。アタシ自身は、もう一つ気になることがあります。

ー以下次号ー

by 小町
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■言葉は言霊

 もう、そんなの知っているよ。と私自身に対しても、沢山の人も思うと思いますが、

 「ことば」はそれを言う人によってすごく意味が変わってくる。

 私は最近、「困ったことがあったら何でも言ってね。」と同時期に二人の年上の女性から言われました。私はこの言葉を言われたときに、片方からはすごい嫌悪感というか恐怖に似た感じを受け、この人を心から信用してはいけない。と思うようになり、もう片方から同じ事を言われたときは、そういって貰えたのがとても嬉しく、安心感さえ抱くことが出来ました。同じ言葉でも、どうしてこう違うのかと言えば、答えは簡単ですよね。その言葉を発した人の心の中身が全く違うからですよね。

 最初の私が恐怖感を覚えた人をAさんとします。Aさんと私の間柄は、私はAさんのお店のお客さんでした。つまり私はAさんにお金を落としていく人です。Aさんは私をお客さんとして繋ぎとめて置きたいが為に、その言葉を発したのでしょうか?お客さんとの間に秘密を持つと引き止めておけるからでしょうか?でもそれは私にとっては逆効果でした。人の噂話もよくする店員さんでしたが、更にこんなことを言われてしまって信頼すると、私の噂話も他でもっと色々話されてしまう。と思ってしまいました。その言葉を、そのお店に行くたびに言われるようになり、私は、距離をおくように今はなっています。品物は素敵なのですがその人に会いたくないからです。

 次に私が安堵感を与えてくれた人をBさんとします。彼女は私のいとこのお嫁さんです。彼女の言葉1つ1つが私にとって、とても暖かく感じられます。彼女の言葉の裏にはAさんのように計算高い感じを受けないのです。本当に本心から言っているのが分かります。彼女とはまだ深い話こそはした事がありませんが、彼女の言葉には利害関係を孕んだ裏も無く、心からそう思って言ってくれて安心したました。

 私は人よりも感情の起伏が激しいです。それに、他人の感情も一緒に影響を人一倍受けてしまいます。他の人からの言葉に含んだ感情を無意識に読み取って影響を受けてしまったと後から思う事が沢山あります。

 言葉は本当に「言霊」なんだなぁ。と思った出来事でした。

by ナオニャム
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■僕の現状

 今日もデイケアでした。いやはや、今日は帰りの電車で不覚にも居眠りをして木更津まで行ってしまった・・・。手持ちのお金も交通費ぎりぎりしかなくて、結果としてどこにも寄り道するわけでもなく、千葉駅に直行して電車に乗って帰ってきたというのに。どうも、昨今の「遅寝早起き」(3時に寝て5時半には起きてしまうようなことがよくあるので。)のせいかもしれないなぁ。

 ぼくは、よく自分の観察をしている。すると、いろんな部分が見えてきて、なんだか面白い。最近、特に自分の特異な部分がわかるようになってきたふうに思うのね。たとえば、時間に無頓着だし手元しか見ていない僕だから、デイケアの通所時間ぎりぎりになるまでパソコンをやってて、身支度に時間がかかるから、おろおろしていて、家を飛び出していっても、バスに一歩及ばず、しかたがないから1時間後のバスに乗って行ったり、徒歩で最寄駅まで行って、高運賃で名高いK鉄道に乗っていく羽目になったりしてるし、休みになれば、日ながパソコンに向かってるんだけど、パソコンをやってる最中だって、思い立てばはんだ付けが始まったり、粘土を取り出して何か作り始めたり、TVを見始めちゃったりしてる。台所に行ってアイスを食べてみたりもして、ほんとに気が散り放題といった感じ。まさにADHDの本領発揮なのです。
 
 でも、そうかといえば、立体物の造形に興味を示し始めて、それがまた何とか形になっちゃうのも発見だよね。こちらは過集中とアスペルガーのこだわりの成せる業だと思うなぁ。

 ここしばらく―というか、約1年もの間、障害年金の請求に時間やお金、情熱までも注ぎ込んできたけれど、3度の審査の結果はすべからく却下になっちゃった。ぜーんぶダメ。なんだか、心底疲れちゃったんです。年金のことばかりにかまけてたから、やるべきこと、というかやっておきたいことが疎かになってしまっていたように思います。年金のことは、自分の生活が切羽詰ってるからいずれまたやらなきゃいけないと思うけど、今はとりあえず忘れることにして、自分探しの旅にまた戻ろうと思います。
 
 僕の周りでは、社会復帰の可能性とかが語られているけど、今の僕にはまだ無理だから、ゆっくりあせらずに、でも前向きに考えなくちゃいけないと考えています。

 僕がデイケアにいくことが時間とお金の浪費だという意見もありますけど、僕自身、デイケアへの通所には満足しています。
 
 家にいるとどうしてもセルフエスティームは悪いほうに向かってしまうので、よく言えば訓練のため、悪い言い方をすれば、家での不整合を避けるシェルターになっています。
 
 作業や行事の中で自分のいい点を見つけ出したり、対人関係を訓練したりしています。 
 周りから見れば道楽し放題のように見えるかもしれませんけど、陶芸の作業をしてみて、立体物の造形をすることが僕の特性に合っていることを見つけ出すことができましたし、アスペルガーとしてのこだわりの部分を満足させることができています。ただ、発達障害なりの訓練という面からみればまだまだ不十分です。回避性人格障害ともいわれている僕のことですから、会社恐怖や対人恐怖があり、フラッシュバックも伴うので社会復帰には時間がかかりそうです。
 
 とはいえ、主治医からも言われているのですけど、とりあえずはあせらず落ち着いてというのが今の僕に求められているスタンスです。

 今、この原稿はデイケアの帰り道のバス停でバス待ちしながら書いています。僕の文章はまったく脈絡もないところがあって、読んでくださる方には、恐縮しだいもありません…。

 アスペルガー+ADHD混合タイプのσ(⌒▽⌒;) ボクですのでそこのところはご勘弁願いますね。m(_ _;)m ゴメン!!

By むーんらいず(むん)
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■「発達障害者支援法案(仮称)」の成立への動き

「発達障害者支援法案(仮称)」の成立を目指す超党派の議員連盟に所属する議員さんとお会いしました。同法案は、自閉症などの障害者への支援を国や自治体に義務付け、乳幼児検診や就学時検診での早期発見や教育上の支援などを提供する態勢の整備、警察や司法関係者の理解の促進、障害の特性に応じた就労の確保、地域での生活支援、発達障害者及びその家族への支援、発達障害者の擁護、選定医療機関等、専門的知識を有する人材の確保等。などです。

 *就労の確保では1、就労を支援するために必要な体制の整備に努め、公共機関や民間団体の連携を確保し特性に応じた適切な就労の機会の確保に努めなければならない。2、就労のために適切な準備が行えるよう、職業生活において自立することを促進させるための支援を学校において行うよう努めなければならない。(短くしています。)

  就業の難しさは理解されているようでした。障害があるなしに関わらず就職、就労は難しくなってきている今の時代において、どれくらいの事ができるのかは見当もつきませんが、何とかしなければいけないという認識があるということは救いだと思いました。

 *生活支援では本人の意志に応じて、自立した生活が営めるよう社会生活適応のために必要な訓練を受ける機会の確保、共同生活を営むべき住居の確保等、必要な体制の整備に努めなければならない。

 グループホームなどのことを言っているようでした。また、年金等の問題を含め、愛の手帳ではなく精神障害者手帳の該当であることが間違っていると言っておられました。今までの怠け者といった間違えた認識のもとで作られたものであることや手帳を管理するところが違うということにも問題があると考えておられるようでした。かといって1冊にまとめることも難しいらしく課題はたくさんあるとのことでした。精神障害者手帳を持っていると就職に有利になり、辞めさせられることも少ないが、障害者として就職するとお給料を下げられてしまうというデメリットが発生する。そういったことも含めて整備する必要があるとのことでした。

 ただ、すべてにおいて、お金が絡んでくると..と歯切れが悪くなったので「人の未来を「予算がない」で切り捨てる。日本はそんな国なのでしょうか?無駄な穴掘り、カラ出張、警察の裏金、年金基金の無駄使い。それに何億もとれてている事が情けなくてたまりません。」と申し上げました。わかっていても..と言う状況のようでした。社会的な理解や認知についても、母子手帳に載せてはどうか?という話が出ましたが、となると軽度発達障害だけという訳にはいかず、かなり分厚いものになってしまうため、母子手帳と一緒に配布する形でいろんな病気や障害に関することを書いた冊子を一緒に渡すようにしたいと言っておられました。時間をかけていい物にして欲しいという思いもありますが、今苦しんでいる子供達を救うには、一刻も早く!という思いもあり複雑な気持ちで帰ってきました。何時になったら軽度発達障害児とその親の涙が消えるのでしょう?また、成人してからの苦悩も多々あると思います。多くの人達に理解していただけるよう、草の根的な地道な活動をしていきながら、法案の成立や、その後の動向を見守っていくしかないと思いました。こういう動きが出てきたことだけでも進歩と捉えるべきなのでしょうね。

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 今日は区議会議員さんとお会いしました。国会議員の先生は国の法律を作るのがお仕事なので「自治体との交渉には区議会議員を。」と紹介していただきました。正直言って理解があるのかどうかつかめませんでした。とりあえずはお話を聞いてもらって教育委員会とのパイプ役になっていただけるそうなのでそうした活動の中で理解を深めていただければと思います。

by みゆき
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■連載 第27回 努力をする能力

 「為せば成る、為さねばならぬ何事も」とはよく言われる格言だ。石の上にも三年、一心岩をも通す、コケの一念、継続は力などなどこの手の言葉では枚挙にいとまがない。西洋でも、天は自ら助ける者を助くなどと言われる。つまり、努力をすれば何でも出来るし、努力をしない者は文句を言う資格はないと言うことなのだろう。
 
 才能の有る無しは勿論関係があるだろうが、仮に才能が無くとも同じ努力を絶え間なく続けてゆくことが成功の秘訣だと言うわけで、むろんそれは正しい。したがって、世の中努力さえすれば何でも出来るとの認識が普通になり、努力をしないのは怠け者という単純明快な判断基準ができあがってしまった。
 
 しかし、その判断基準が普通になってしまったために、そこからはじき出される人間達が出来てしまった。たとえば、鬱病の人たちは努力が出来ない。努力をしようとすればするほど自分を追いつめてしまい、最終的に自殺に追い込まれてしまうなどの場合もある。励ましも気晴らしも禁物であり、直そうという意志があれば治るとか、気持ちの問題だから頑張れなどと言うこともその言葉とは裏腹に当人を追いつめ悪化させてしまう。
 
 結局、努力をしてはならない人たち、努力の出来ない人たちが実際にいるのだが、努力をしないのは怠け者という単純明快なルールのために努力の出来ない人たちの居場所が無くなってしまう。
 
 この努力が出来ない人たちというのは、鬱病患者ばかりではない。たとえばADHDやLDなどの軽度発達障害の場合も同じようなことがいえる場合がある。ただし、正確に言うなら、正しい努力が出来ないという意味だ。
 
 注意を集中出来ないことから同じミスを繰り返す障害を持っている場合、それが原因で周りから責められ、もっと注意をするように、慎重になるように努力しろと言われ、本人も勿論そのような努力をする。だがうまく行かない。たとえば中学生くらいになって見る見る成績が落ちるのは、本人が怠けるためではなく勉強を続ける能力に欠けているからだが、結果として、あいつは努力もしようとしない怠け者、どうしようもない奴だとの判断をされてしまうし、自分でもそう思い、落ち込む。
 
 これは努力をしないのではなく、通常の努力をする能力がないと判断すべきであり、他の手段を講ずる努力をすべきなのだ。LDで文字を覚えられない障害を持っている場合は、他の人と同じような努力で文字を覚えようと努力を続けても思わしい結果にはならない。文字の形を基本に感覚的に植え付けてゆくような訓練をしなければ覚えられないのであり、そのためには専門の知識を持った教育者の存在が不可欠になる。
 
 こだわりが強くて人の話が聞けないASにはやはりそれなりの専門教育が要る。それもしないで、努力をしないと責めるのは明らかに間違いなのに、それが理解されているとは言い難い。
 
 どんな人間でも努力さえすれば何事も成し遂げられるはずなのに努力をしないのは基本的に怠け者なのであり、何も言う資格はないとされてしまう社会で、上記のような理由で努力をする、正確には通常の方法での努力をする能力にかけている状態が、まさか障害のためだ等とは理解されがたいし、多くの場合本人も理解していない。そのような障害を持っている場合は、それを正しく判断し、それにそった努力をすべきなのであり、普通の人が期待するような努力は無意味に近いのだ。
 
 その気になれば努力は誰でも出来ると思われている。しかしそう断じてしまう危険性をもっと社会的に知って欲しいと思う。

by ロクスケ

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★編集後記★

 ■ 6月です。メンバーから来たメールにも、今年ももう半分が過ぎようとしているんですね、とあリましたが、全く時間の経つのは速いものです。
 
 ■ ゾウの時間、ネズミの時間と言う本があり、なかなか面白いのですが、ゾウは7,80年ネズミは1,2年の寿命で生きている間同じ長さに感じているというのです。ゾウにとっては物事はゆっくりと変化し、ネズミにとってはめまぐるしく変化しているのですが、それぞれ同じテンポで感じているから結果として全体の長さは同じ時間として感じられるということです。
 
 ■ これは人間でもいえることですが、確かに思い出してみれば子供時代の時間の経過は非常にゆっくりとしていました。当時の1年は今の2,3年に当たるような感じがあったと思います。実は、人間は一生の間に時間感覚が変わる例外的な生物なのだそうで、年齢とともに時間の流れる速度がゆっくりになってゆくのだとのことですが、確かに自分の体験として事実です。
 
 ■ 時間感覚の年齢による変化は、時間評価の変化だとも言われています。同じ時間内に多くの認識がある場合、その時間を長く感ずるのだとのことで、具体的に言えば感動が大きければ大きいほどその時間を強く認識し評価が高くなるので時間の経過を感じにくくなると言うことです。
 
 ■ 子供の頃は何もかもが新鮮ですべてを吸収してゆく時期です。花を見ても鳥を見ても人に何かを言われてもとにかく一つ一つを強く印象づけてゆくのですが、大人になればそれらが目に入っても意識しなくなってきます。それは成長の結果として当然なのですが、言い換えれば感動することが少なくなり、そのために時間を評価しにくくなると言うことです。
 
 ■ ADHDの場合、時間感覚が普通の人とずれているとよく言われますが、興味の対象や継続の仕方に非常にむらがあるからではないかと私なりに思っているのですが、どうでしょうか。



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