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          WING BRAIN メールマガジン第62号

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★目次★

 ■ AD/HDをもつ母親のAD/HD児の子育てについて   MUSICA
 ■ 言葉考 無駄な言葉が多すぎる         mogurin
 ■ 悩みの解決法としての方法           ナオニャム
 ■ 未だに根強い偏見               みゆき
 ■ 連載 第29回 ADHDの知能が高いというのは本当か
   そうではない                 ロクスケ
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■AD/HDをもつ母親のAD/HD児の子育てについて

 私は、自分がADHD児の母親でもありましたから、子どもたちが落ち着けるように自分で考え、工夫しました。もちろん、その為にたくさんの本を読みました。最終的には子育ては母親の腕にかかっているといっていいと思います。子育ての専門家は母親だと思います。もちろん、医学的なことは医者が増えればそれに越したことはないでしょう。でも、子どもの発達障害を扱う医者は確実に増えています。

  人からアドヴァイスを受けることも大切ですが、やはりケースバイケースです。自分の頭で考えて実践する教育というものは、軽度発達障害を持つ子どもの親にとっては、課せられた使命だと思います。

  例えば、私は子どもたちが右左がわからなかったり、セルフエスティームが低下することを防ぐために、何か他の人にできないことをやらせようと思いました。そして、ヴァイオリンを保育園から中学の半ばまでやりました。ヴァイオリンは左右の動きが違う楽器です。次男は、間違えて持つと音が違うのですぐ間違いに気づくことができ、右と左の概念がわかると、すべての右左の区別がつくようになりました。また、ヴァイオリンという楽器が弾けるというのは、結構都会の真ん中に住んでいても珍しく、学校の音楽の時間に特別に弾かされたり、道端で会った級友に「弾いて」と言われて、道端で弾いたりとそれはおもしろいことでした。また、小さいころから始めたので非常に音感がよいのです。彼らの心には、これは他の人よりすごいぞ、という確信がもてたようです。ですから、劣等感は持っていません。今、子どもは「俺に子どもができてADHDだったら、おかあの教育方針を俺も真似するぜ」と言ってくれます。

  音楽によるADHDとLD併存児に対する療法例として、このことは昔に日本音楽療法学会でも学会発表致しました。まだ当時はADHDやLDについての見識も浅い時代でしたが、 先駆けて私が発表し、今はそういう事例を重点事項として募集する段階になっています。

 私はずっと働いてきましたが、子どもをちゃんと育てることを第一に考えて勤めてきたので、今まで昇進試験も一切受けずに来ました。

  でも、子どもたちも高校生になり、もう私をいたわってくれる歳になりましたので、やっと自分の人生を生きれるようになりました。 また、役人だからあるいは頭が固いから理解できないのではないのです。まだ社会自体が、軽度発達障害について関心が低すぎます。そういう意味で、まだ社会的に成熟していないものでもあります。 しかし、教師の中には多くの非常に熱心な先生方がいます。私は、教師を中心とした東京LD教育研究会という会を立ち上げました。その中で、たくさんの熱心な教師の方々と知り合いになりました。これは、とても心強いことです。研修会も200人規模のものになることがあります。その中で、いろいろと教室の子どものことで悩んだり、親との関係で悩んだりする教師と出会うことがあります。私も、親として、またLD教育士としてそういう議論に参加しています。 私も、役人として是非この資格と知識を有効活用して欲しいと人事には頼んでいますが、今年の異動はむずかしい仕事が残されていたのでかないませんでした。 役人がすべて無能ということはありません。19年度までに、特別支援教育を各自治体で実現しなくてはならないことになっています。この間滋賀県の甲西町の教育指導主事さんの講演を聞きましたが、厚生労働省の見解に先駆けて縦割り行政を改革、サスペクトの子どもを乳児期から自立するまでサポートするシステムを作ったと言うことでした。こういうことができる人は、確かに少ないかもしれません。相当なパワーが要ります。でも、やろう!と言う人はいるのです。

  どうかすべて役人や教師が悪いと思わないでください。親にも改革するためのパワーや知識が必要なんです。また、当事者がどんどんと社会に発信していく必要性を私は感じております。少なくとも、社会で有意味に軽度発達障害が認められるように働きかけることは、当事者やその親にしかできません。国がいくら音頭をとろうが、国民の熱意に勝るものはないはずです。

 by MUSICA




■言葉考 無駄な言葉が多すぎる

 メルマガ 61号、ロクスケさんの「言葉による意志の疎通」を読んでいて僕の場合はまた別な観点から感じるのもがありました。

 乱暴で、文法破綻の日本語ではなく、丁寧で必要にして十分ではあるが、その場にそぐわない不自然な表現が多すぎる気がします。居酒屋などで必要以上に声をはりあげ「いらっしゃいませ」と言う。いっせいにこちらを見て礼をする。注文のために声をかけたら「はい、よろこんで」とこれまた力んだ声ですっとんでくる。
 
 友人と人生の微妙な問題について歓談しながらちびちび酒でも飲もうと思ってはいったのに、店員の声が大きすぎて相手の声が聞こえない、客も声を張り上げる。こいらも負けじと声をはりあげ、店内はまるで新宿の駅前でやっているロックのライブ会場みたいになってくる。こんな店では落ち着いて飲めない。
 
 なかには古本屋で同様の店もあり、ゆっくり品定めしたいのに「いらっしゃいませ」これでは万引きを心配して客の監視でもしているのかと思ってしまう。おまけに店内は昼間でもこうこうと照明をつけまぶしくて目がくらみそうな明るさ、立ち読みは許さないぞ、はやくブツを持ってレジに行けといわんばかりの雰囲気。
 
 テレビなどでも映像と音声で事件の内容を十分表現しているのに、なおかつテロップを流して文字でうるさいほど強調する。もうそういった番組ばかりなので、なれてしまったが、やはり不自然。
 
 外食系のフランチャイズ店などはマニュアルが完璧にできあがっていて、「いらっしゃいませ。お飲物は何になさいますか?」「店内でおめしあがりですか?お持ち帰りですか?」「はい、○○○一つお願いします。お会計○○○円になります。」などと次に言う言葉がすべて決まっている。
 
 この流れからは「ユミちゃん最近きれいになったね。だれかいい人でもできたんじゃない?」「まあmoguさんだってちょっとおやせになっていい男になったみたい」などという会話がはいりこむ隙間はまるでない。
 
 それは冗談ですが、西洋風プラグマティズム、効率第一主義に汚染された日本文化は、かつての芭蕉の時代につちかわれた”わびさび”のおくゆかしさを失ってしまった。いわなくてもいいことは言わないでおく、言外の意味を想像させる表現、行間の意味の読める読者が極端に減ってしまった。
 
 だからなんでもかでも描写する、説明する。そこには間とか沈黙とかはない。俳句や短歌の精神は日本画にも端的に現れていて、墨絵のあの余白は塗り残しではない。縦長の掛け軸一枚があったとして、右上の空間に藤の花がかいてあれば、左下はたいてい何も描かずに白く残す。あるいはそこに落款を押す。これは空間の広がりと描かれた対象物の重さのバランスをとるための余白で、これがないと息苦しくなってしまう。
 
 これが西洋絵画なら、その余白に、奥に伸びる透視図法のラインと遠景にある家や山を、それらしく描き込む。全体がひとつの三次元空間を切り取ったものになってしまう。物と物との関係は数学的に割り出され、空間は測られる。その視点から見える物すべては関連づけられ、説明されつくす。しかし、これはうまくやらないと混乱をまねく。
 
 西洋の油絵でも下手な画家が描いたものは、ごてごて塗って描き込んで、これでもかという押しつけがましさを感じるだけだ。こういった画家は空間認識があまく。描写技術が稚拙なため、見える物すべてを画面に描き込もうとし、主題と副題との強弱、近景と遠景の対比をつけられず、すべてを同じ強さで描き込み、その結果破綻する。
 
 新宿のアルタ前交差点の雑踏になってしまう。言葉でも同じことが言える。なんでもかでも言おうとすると、一番大事なことが伝わらない。枝葉末節をそぎ落とし、残ったエッセンスに自分の感情をのっけて発言すれば、伝わるんじゃないか。そう思う。いずれにせよ訓練ですね。
 
by mogurin




■悩みの解決法としての方法


 最近、自分を元気つける為に、昔読んだ、デールカーネギー著の「道は開ける」を読み直しています。悩みの解決法について書いてありました。
 
 その方法は、まず、悩んでいる事柄を詳しく書き出す。そして、それについて自分ができることは何かを考える。その後、どうするかを決断し、実行する。というものです。なるほど。と思いました。
 
 私は、3月に信頼している人に少しだまされ、わずかな貯金(でも、これが私の全ての蓄え)を失い、家計が赤になる損失を被りました。4月はまだカードの請求がドカンと来なかったのでしのげました。5月悶々と悩んでいました。
 
 で、ずっと前に自分がADHDだって知ったときに、読んだ本を読み返して、悩みの解決法を実行しようと思いました。時給は安いですが、週末、中華料理店でウエイトレスのバイトをすることになりました。でも、凹んで、そう実行するのに、1ヶ月以上もかかりました。
 
 悩んでいる事柄を詳しく書き出すと、案外そんなに大きな問題として捕らえなくても良いかもしれないぞ。この悩みを解決できたら、自分の自信にも繋がるぞ。がんばろう。実行しよう。そんな気になってきます。そして、心が軽くなります。実行することお勧めします。
 
 過去の失敗、未来への不安に囚われている自分
 
 色々なことを考えていて、悶々をとしている自分を考えてみると、そういう考えていることは、過去に起きたもう変える事の出来ないことに後悔して凹んでいたり、まだ起きていない未来に不安を抱いて凹んでいたり、そんな感じです。
 
 過去は変える事ができないので、過去での失敗を起こさないよう自分を鍛える、未来はそうならないよう、準備する。そのために、今をちゃんと生きることに専念すべきなんですよね。そして、こうやって前向きなことを書いていると、元気が沸いてきます。自分を凹ませるのも、元気にさせるのも、自分次第。実感してきます。
 
by ナオニャム


■未だに根強い偏見

 先日のasahi.comや週刊新潮(雅子様関連)の記事などを題材にしました。

 先日、雅子様が鬱病だから愛子様が自閉症の危機!というような記事が出て愛子様が自閉症で雅子様が鬱になってしまったと言うなら、まだ理解もできるけど..と社会的な認知?知識でしょうか?ないことにがっかりしましたが親がテレビやビデオ、ゲームに子守りをさせるから子供が軽度発達障害になるというような記事もありました。
 
 まるで軽度発達障害を持つ人は愛情を受けられずに育った。と言っているようで腹が立ちました。心ない言葉で、どれだけの涙が流れたことか。無神経!と言うか、失礼!!と憤慨しました。
 
 また『自閉症は脳障害が原因とされている。今は200人に1人で、40年前の25倍という異常な増え方だ。増えた分の多くは実は治る可能性が高い「言葉遅れ」で、やはり急増中の「注意欠陥・多動障害」(ADHD)や「学習障害」(LD)の児童の大半は、その軽いものと考えている。』には、なアホな!とあきれました。
 
 急増したわけではなくて概念が広がったからか、医者たちに認識が広まったからか、様々な議論があるのに乱暴な言い方です。研究者の発表にはそれなりの訳はあるとは思います。でも学会の定説でないものをあったりまえのことのように書かれると、それは待って!と言いたくなります。全部の意見(強いて言えば少数派)じゃないって事をはっきりして欲しいです。

 また、都内には「自閉症でも10人にひとりは治す」と言っているクリニックがあるようです。ビタミン剤を処方したり、できるだけ外部と接触しないように家の中にいるように言われるそうです。そして少し続けても変化がないと「治る見込みがないから」と辞めさせられるそうです。なんだか変ですよね・・・?
 
 見込みのない人を切り捨てるから10人に1人なんでしょうか?と言うより治るの意味が理解できません。治せるものなら治していただきたい!せめて治ったという人に会わせていただきたいものです。不安をかきたて、悲しみをあおるのはもうやめて欲しいです。藁をもすがる人の心をもてあそんでいるように思えます。頭では治らないとわかっていてももしかしたら...に賭けてしまう気持ちはよくわかります。弱みに付け込んでお金儲けしようとするのが本当に許せませんね。

by みゆき

 未だにADHDや自閉症、LDなどに根強い偏見があるのはみゆきさんが嘆くとおりで、テレビなどでもきちんと生活をしないとADHDになるなどとの一般人の発言が取り上げられていました。テレビ局は、そんなことはないと知っているのかも知れませんが、まったくコメント無しにそのような発言を取り上げると、それが見る人に印象づけられてしまいます。テレビ局としては、それはその人の発言ですから・・と責任を取らないのでしょうが、やはり不特定多数の人が観る番組を作る立場としては、簡単でも良いから、実際はそのようなことはありませんというテロップの一つも流すべきではないのでしょうか。実際、一般人の誤解をそのような形で訂正しているケースもあるようですし。
 
 軽度発達障害が増えてきたという意見は、みゆきさんの言うとおり医師の技術が向上して発見する率が高くなったという面もあるでしょう。ただし、医師にも誤診がかなりあり、紛らわしい症状を軽度発達障害に入れてしまっているケースも多々あります。
 
 ゲームのしすぎやテレビや携帯の普及などが人間関係を希薄にし、人間関係を築けなくなった子供が増えているのは確かなようです。しかし、彼等がすべて軽度発達障害であるはずはないのに、それらを自閉症や注意欠陥多動性障害と診断してしまう医師がかなり居るのが問題になっていると聞いています。結局、昔に比べて増えたというのは医師の技術の向上とそれに追いつかない未熟な医師の増加が双方関係しているようです。また、マスコミなどが、正しく理解していないので誤解が広まっていて、何でもかんでも軽度発達障害にしてしまう風潮もそれを助長しているでしょう。
 
 また、自閉症自体は治りません。ただ、教育により社会に適応出来るようにするわけで、そのようにして十分社会に適応し活躍している自閉症の当事者は沢山居ます。治すという言葉が誤解を生むのでしょう。矯正すると言うべきです。それにしても、ここに書かれているクリニックは基本的に無責任な金儲け主義という感じがするのは否めません。
 
from ロクスケ



■連載 第29回 ADHDの知能が高いというのは本当か そうではない

 ADHDは基本的にIQ値が高いと言われる。実際に会ってみても、BBSやチャットなどで接してみてもそのような印象を受ける場合が多い。自分でも、決して頭が悪いわけではない、むしろ頭は良い、と自覚している当事者も案外多いようだ。
 
 頭が良いのは結構なことだと一概には言えない。頭がよいはずなのにその特典をちっとも感じない、人が普通に出来ることが出来ないと嘆く当事者もまた多いのだ。
 
 頭がよいとなまじ思われると、仕事を馬鹿にし、人を馬鹿にしているから仕事も出来ず友達も出来ないのだと散々言われれば誰でも萎縮してしまう。自分では努力をしているのに思い通りにならないのは、やはり自分は心の奥底で頭の良いことを鼻にかけ仕事や人を馬鹿にしているのだろうか、怠けているのだろうかと自責の念に駆られる。
 
 しかし、基本的な問題をもう一度考え直してみる必要があると思う。頭がよいとはどういうことなのかだ。物覚えがよい、判断力がある、推理力があるなどなど頭がよいとされる条件はいくつもあり、IQテストはそれを数値化して判断するものだ。だが、現実には頭がよいとはどういう事なのかの基準はない。生理学者、心理学者などが基準を探し続けけて100年以上も経つが、見つかっていない。
 
 頭の良い人が必ずしも幸福になっていない事実があり、何のために頭の善し悪しを決めなくてはならないのかという問題もある。また、俗に馬鹿になれる人間が偉いのだと日本ではもっともらしく言われているが、基本的に利口ぶる人間は本当は利口ではないのだと言いたいのだろう。ひどいのになると、正論が通る思うと大間違いだと言う場合さえある。正論が通らないとすればその状況が間違っていてそれをただすのが本当なのだが、正論よりその状況を理解する方が価値があると言いたいのだろう。馬鹿になるとはそういう意味なのだろうが、裏を返せば状況を読めるだけ頭を使えという意味にもとれる。
 
 頭がよいとは、結局自分に得になるように状況を読みそれを利用する能力なのだと考えると、そこから導き出せるのは幸福に結びつかない知力は、結局は頭がよいという事にならないという結論だ。たしかに、犯罪者の中には頭の良い人間がかなり居るし、色々な詐欺師なども、よく思いつくものだと妙に感心する手合いもいる。ただし、もともと人をだまそうという発想がなければ思いつかないのだから感心はしても軽蔑もする。
 
 ADHDが時に頭がよいと言われたとしても、実は幸福に結びつかない頭の良さなのではないだろうか。もちろん、ADHDではあっても最大限に本来の能力を発揮し生活を物心ともに豊かにしている人たちもいる。そうなって初めて頭がよいと言えるわけだ。
 
 古今、偉人天才達の多くがADHDの可能性があり、ADHDだから頭がよいなどと思っているととんでもない落とし穴に落ちる。頭が悪いと思う必要はないが、その頭をどう生活の向上に役立てるかを真剣に考えた方が良いし、さらに生活の向上とは具体的にどうなればよいのかを、自分の価値観の確率という形で明確にする必要がある。
 
 
by ロクスケ
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○編集後記○

 ■ 今年に入って、体力が落ちたのではないかと気になっています。どうも疲れが抜けず、意欲が落ちスッキリ目覚めることが出来ません。
 
 ■ 原因を色々考えてみたのですが、もう年だというのは取り敢えず省いて、今年は気候が例年になく不規則だというのがあるようです。とにかく寒い日が続いたかと思うと翌日は真夏日になってみたり、かと思うと次の日は暖房が欲しくなったりで温度が大きく変わった印象があります。
 
 ■ 貧乏暇無しで時間が不規則になったのもあるかも知れませんが、失敗が多くなって無駄な時間が増え、さらに精神的に余裕が無くなってまた失敗が増えるという悪循環に陥っている気がします。時間がなくなるので、まとめて熟睡する睡眠がとれず、また食事も手抜きになります。どこかで断ち切らなければますます悪化しそうな気がします。
 
 ■ 悪いことに最近悪女に捕まり(?)、まあCGですがいわゆるはまってしまって気がつくと数時間以上パソコンに向かっているような有様で、ますます時間がなくなります。CGの途中経過は前号でも紹介しましたが、もうじき完成です。そうすればゆっくり時間がとれるかと思うんですが、事実はそうではないでしょう。ますますのめり込む感じがします。
 
 ■ 過集中も私の特徴の一つで、このおかげで短時間にCG技術を大きく向上させることが出来ました。これはありがたいのですが、心身共に負担が大きいのも困ったものです。途中できちんと止めることが出来れば良いのですが。
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 今まで届いていたのに届かなくなったというメールをときどきいただきます。
 また、購読申し込みをしたのに届かないというメールもときどきいただきます。
そのような場合、一度ご自分のメールアドレスを確認してみていただけませんでしょ
うか。配信不能で帰ってくる場合があります。

今回もまた何人かの新しい方々へとどけさせていただいております。もし、
このメールマガジンがご迷惑の場合は、まことに申し訳ございません。
その場合は、一言メルマガ不要とだけ入れてaddproject@cool.ne.jpへお送り
下さい。

    次回、WING BRAIN 第63号』で07月18日にまたお会いしましょう。

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