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          WING BRAIN メールマガジン第63号
          
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★目次★



■ WingBrain委員会出版第二弾のご案内
■ 新しい形の学校       みゆき
■ 脳のMRI検査を受けました   MUSICA
■ 連載 第30回 個性なら良いのか  ロクスケ
■ 理想の上司       小町
■ ○編集後記○
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■ WingBrain委員会出版第二弾のご案内

 長い間懸案であったWingBrain委員会による本の第二弾が出版されることになりました。

書名はまだ未定です。決定次第サイトでお知らせいたします。

体裁は4x6版のソフトカバーで、おそらく220〜240ページくらいになるでしょう。
価格は税抜きで\1,600の予定で、順調に行けば9月末までには出版の運びになります。

思えば前回の第1弾からもうはやいもので2年が経とうとしています。その二年間で、たしかにADHDの事は一般に知られるようになってきましたが、正しく知られるようになってきたかは疑問です。というより、むしろ誤解の方が拡がってきたような感さえあります。つまり、中途半端な情報が多くなったからではないかと思われます。

やはり、自分たちなりに学んだADHDの真の姿を伝えるには本を出すのが一番効果的なのではないかとずうっと思っていました。

昨年辺りから具体的に考えはじめ、メンバー全員でとにかく造る本にしたいとの願いから、全員がそれぞれ文章を書き持ち寄りました。

できあがった原稿を読んでみるとまだ書き足りない事もたくさんあるようですが、それはまた次の機会に書くとして、今回はADHDの役割に焦点を当てるような形で仕上げました。

出版されるときは改めて詳しくお知らせいたします。是非ご一読戴きたいと思う次第です。

詳しくは下記URLに載せてありますので是非ごらん下さい。
http://addproject.cool.ne.jp/project01.html
WingBrain委員会一同


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■ 新しい形の学校

 湘南にあるライナス学園が、NPOが母体の学校「特区」に指定され学校法人を作って2005年春に別々に小中高を開校する計画がありフリースクールを営む「ライナスの会」と「東京シュタイナーシューレ」がLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)児を対象にした初めての学校を作る準備を進めています。
 
 小中高一貫になるため、小学校に入ると高校卒業までいられるなんてちょっと魅力的ですよね。でも、学校開設については、問題があり当初予定されていた場所では開設できなくなったようです。理由は地域住民の反対にあったためのだそうです。こうやって社会から排除されていくのだろうか?と思うと悲しいです。
 
 普通の?学校なら反対運動なんて起きないのではないでしょうか?なんだかやりきれません。これはこの学校が..というより社会全体の軽度発達障害に対する認識のなさを集約しているように思います。ひと昔もふた昔も前の世間の偏見がちっとも変わっていないのでしょうね。グループホーム設立などでも反対があるようです。事前に何も説明せず建て、できてから所長さんが家の前で花に水遣りなどしながら近所の人たちと自然と親しくなっていったという例もあるようです。障害という言葉にナーバスになったり邪魔者扱いされない世の中になっていくといいと思います。
 
 by みゆき
 
  未だに軽度発達障害を精神障害と同一視し偏見を持っている人は一般に大勢居ます。又精神障害にしても、もちろん偏見の対象にして良いはずはありません。
  
 老人ホーム建設に反対したり、知的障害者の施設建設に反対する人たちなども同じですが、それらが全く自分たちには関係がないと思っているのでしょう。軽度発達障害や知的障害などが異常なのではなく、そういう偏見を持っている人たちの方がよほど私には異常に思えます。
 
 from ロクスケ
 
 

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■ 脳のMRI検査を受けました

 私を始めてAD/HDだと診断してくれたドクターと今かかっているドクターは、私が純粋な混合型AD/HDだということで診断が一致しています。

 前のドクターのときは、山ほどの心理検査と神経学的検査などと脳波・CTをとりました。CTにはそのとき「ちょっと出血したあとがあるけどたいしたことはないね」と言われました。 今の主治医は、問診や前にやったWAIS-Rの結果とCPTの結果と私が持参した自分の資料を提示して、話をしまいた。それから最新式の脳波をまずやりました。脳波の結果は、全体的に「覚醒していない脳」ということと「多少側頭部に時々小さなてんかん波が出る」ということで、発達障害があるか、てんかんがあるかといったところですとのことでした。
 
 それから、今日は外部委託の脳のMRIをやった分を翌日に結果を教えてくれるということで、脳外科に行ってきました。MRIの検査自体は辛くもなんともありません。しかし、結果が思いもよらなかったので、かなりショックを受けて帰ってきました。
 
 まず、第一に、左の側頭葉の部分にのう胞があり、おそらく先天性だと思うが、そこに水が溜まって脳の発達を阻害した恐れがあること(こういうことは良くあることだと言われましたが)、それから、なんとまだ若い(?)私に脳梗塞の痕があるとのことでした。
 
 「ま、まずい!」と叫んだら「そうですね。まあ、まだ治療するほどではありませんが、経過観察が必要です。」と言われてしまいました。脳の萎縮などについては特に問題なく、年齢相応とのことでした。しかし、脳梗塞の痕があるので、来年また検査に来てください、とのことでした。
 
 かなり、がっかりしてしまいました。それに、このところ、血圧がいつもは75−110くらいなのですが、先般やった職場内検診でも脳外科で測ったときも、いずれも下が45−58で、上が74−97でした。低血圧になっているのです。これも、「今まで平均でよかったのに、低血圧になってしまうのは、脳梗塞に悪いんですよ」、と言われてしまいました。 ショックです・・・。MRIってすごいんですねえ・・。やっぱりCTではわからないことまでわかる!私は、3枚とったのですが、1枚だけMRIのフィルムを買ってきました。1枚1050円でした。
 
 なお、来週はSPECTの検査に行きます。またご報告いたしますね。
 
 by MUSICA

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■ 連載 第30回 個性なら良いのか

 個性の時代と言われ、昔だったら非常識と非難されることでもいまはそれぞれに個性だからと認められるようになってきた。ファッションでもライフスタイルでも自分が好きでやっているならそれぞれの個性だと認められるようになってきた訳で、これ自体は喜ばしいことだと思う。
 
 何しろ本来人間には多種多様の価値観があり、多種多様の個性があってしかるべきなのに、日本ではとかく横並びがよしとされ、出る杭は打たれ、特別な行動を取るものはすぐにグループからはじき出される事となったから、親はとにかく子供にみんなと同じにしなさいとう口やかましく言っていた。
 
 日本人は団体行動を取らせると世界で一番効率的に動くとは長い間の外国から見た日本観であり、それは賞賛というより、むしろその裏に没個性のまるで蟻の社会のようだという揶揄でもあった。
 
 それが、今はとにかく若者を中心に個性を主張し始めたのであり、この2,30年の日本の変わり様は目を見張るものがある。わたし自身は横並び教育を受けてきたがそれに当て余ることが出来ず、いつも自分だけの価値観で動いてきていたから、むしろ今の社会の方が居心地が良いとは言える。だから、顔に靴墨を塗りたくったヤマンバギャルも、金ぴかに飾り立てたピーコック親父も別に何とも思わないし(自分でやろうとは思わないだけで人は人)回転寿司で隣に座ったカップルが持参のマヨネーズをトロに塗りつけて食べていても無視出来る。しかもコーラを飲みながら! 少なくともお茶をぶっかけたくなる衝動も最近は起きなくなっている。
 
 個性を発揮するのは良いことだ。ただし、すこしはき違えが目立ってきたのが気になる。個性の発揮は、基本的に個人は自由だから何をしても良いというルールの上に成り立っている。つまり、個性は自由という裏付けがあって認められる。しかし、この自由とは同時に責任をも伴っているのであり、自由と責任は切り離せないのに、その事は一切念頭に無い自由を満喫している人間が増えているのが目に余る。
 
 電車の中でウォークマンをがんがんならしたり、携帯電話を使うのは自由なのではなく自分勝手なのだ。自分が自由を謳歌出来るように他の人間にも自由が保障されて初めて自由だ個性だと言っていられる。社会ルールの基本中の基本なのだが、どうしてその部分が抜けて自由と個性と無責任と自分勝手の区別が付かなくなってしまったのだろう。
 
 ヤマンバギャルもピーコック親父も別に人に直接の迷惑はかけていない。顰蹙を買おうが称賛の的になろうが、別にどうと言うことはないから個性で良いが、車内のウォークマンや携帯電話、ゴミのポイ捨てと同じ事では決してないのに区別が付いていないようだ。
 
 さて、ずいぶん前振りが長くなったが、個性と責任の概念が頭にしみこんだところで言いたかったのは、時々テレビで取り上げられたりBBSなどで見かけるADHD当事者の発言に、時間が守れなかったり人の話が聞けなくてもそれは自分の個性だからと言う人を聞いたり、そしてそれを容認する放送番組に出会ったりしたからだ。
 
 ADHD自体は個性で全くかまわないが、時間がルーズだったり約束を守れないなどは明らかに他に迷惑をかけている。自分の障害のためだから個性だと言うことにはならない。相手にしてみれば、被害は被害なのであり、理由はなんであれ二度と当てにしないし一人前にも扱わないと言うことになる。
 
 ADHDは個性だから、そこから生ずる不具合も個性だと考えることがあっては絶対にならないと思う次第だ。
 
by ロクスケ

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■ 理想の上司

今日、私の直属の上司の送別会がある。今の部署に来てから、約7年間、彼女の下で働いてきた。今思えば、子供っぽいところもある人だったが、未診断とはいえADD/ADHD傾向の甚だしい私を、上手く使ってくれていたと思う。

 彼女の、私への指導の仕方はこうだ。まず、何よりも仕事が期日に間に合うこと。翻っていえば、期日までに間に合えば、その間どんな進め方をしても良いということだった。これは、一つのことに集中できない、Aという仕事をやっているうちにBの仕事での案が出てきたり、全く別件で趣味のネタを思いついたりして、その場で手をつけてしまう私にとっては、本当にありがたいやり方だった。
 
 これが、きちんと計画立てて、一つのことをやっている間はこつこつとそのやり方を遵守しなければならない…なんて四角四面の上司の下では、著しいストレスになったことだろう。実際、私用についてもほとんど叱られることはなかった。その代わり、仕事はちゃんとやってね。というのが彼女のいつもの言葉だった。
 
 また、期日が近づいてくれば、段階をおって、あれは出来た?これは大丈夫?と、確認してくれた。おそらくは、私の仕事の能力にある程度信頼をおいてくれていたので、こうした方法をとってくれていたのだろう。
 
 要するに、クオリティの面では信頼しているから、期日までにきちんと仕上げて欲しい、と言うことだ。それさえ守ればいいというシンプルで解りやすい指示。それにはずいぶんと助けられた。
 
 彼女は、時々私の机の散らかり具合に閉口している様子で、実際、そろそろ片づけなあかんよ、とやんわり注意されることがあった。しかし、それも、優先順位の高いものではなく、今のその仕事が終わったら、手が空いたら、時間が出来たらゆっくり片づけなさい。ということだった。
 
 時には、片づけ方を教えてくれることもあった。あっちこっち向いている書類やものを真っ直ぐに揃えるだけでいい。机の横の辺と平行に並んでいれば、ある程度は片づいて見える。また、ファイリングは2種類「未処理」と「処理済み」のファイルをつくって、その中に入れてさらに、買える前に机の中に入れて置くといい。それは「整理整頓」されていなくて良いから、片づいてみえるようにしなさいということである。
 
 私は、出来るだけそれを守るようにした。そうすると、帰る際には机の上が空になるので、片づいているように確かに見えたものだ。私と目の前のノートパソコンを取り囲むようにうず高くなっていく書類や資料の山が限界直前になると、いらないものはそろそろ捨てたら?と助言とも苦言ともつかない風に、注意をしてくれていた。
 
 彼女の中では、私を含むADD/ADHD傾向のある脳みそでは想像もつかないような、敢然とした優先順位があるのだろう。だからこそ、何が一番大切で、何を守らなければならないか、と言うことだけを指示することが出来たのだと思う。
 
 杓子定規のただ几帳面なだけの人ではなかったことが幸いだったのかも知れない。ちょっとした失敗や態勢に影響のない些細なことで落ち込むことの内容、かなり配慮してくれていたのだと思う(彼女自身がおおらかだったかも知れないけれど)こんな上司には滅多と会えないだろう。
 
 彼女に教えてもらった「片づけ方」を実践しながら、さて、どう上手くやっていくか。ひとまずは「美観」と「使い勝手」と「ADD/ADHD者の工夫」のせめぎ合いに、なんとか折り合いをつけるところからだ。
 
    by 小町  

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○編集後記○

 ■ 去年から計画を立てていたWingBrain委員会による出版がようやく決まり、いま最終段階にさしかかっています。あと2ヶ月あまりで新しい本が書店に並ぶことになると思いますが、その2ヶ月が長いのか短いのか。
 
 ■ 記録を見ると、去年の11月16日に初めて具体的な本の出版が検討課題として持ち出されました。むろん、それに至るまで漠然と次の本を出すことも考えなくてはと思ってはいましたが、WingBrain委員会として正式に活動目標としたのが11月だったわけです。
 
 ■ その時からメモを取り始め、テーマに沿った短文を書き貯め、そのための資料を集め始め、2月に大まかにまとめて練り直してから全体をまとめて再度文章を書き直し、膨大になった文章を今度は整理して、とにかく原稿となりうるものを作り上げたのが4月でしょうか。5月くらいから出版を手がけてくれる出版社に当たり始めたわけですが、運良くこの度受けてくれる明石書店さんと巡り会えたわけです。
 
 ■ 出版まで、プランを立ててから9ヶ月ですから、思ったより早かったと思います。それでも、第1弾である「ひらめきすぎる人々」の場合は、1年かかっているのですから、やはり本を出すというのは簡単ではないと痛感しましたが、それだけに私たちでもやれば出来るという達成感は非常に大きな物があります。
 
 ■ 今回の本も内容には自信があります。当事者として、全く同じ目の高さから見つめた、そして内側から見つめたADHDに就いて書いてあります。ぜひ、みなさんに読んで戴きたいと思います。
 
 
 
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