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          WING BRAIN メールマガジン第65号
          
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★目次★



■ 脳に栄養!!え〜よぉ!       みゆき
■ マスコミのイメージ作り     mogurin
■ 障害を持っているという甘え     ナオニャム
■ 涙する女の子           MUSICA
■ 連載 第32回 運動の大切さ     ロクスケ
■ ○編集後記○
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■ 脳に栄養!!え〜よぉ!


 ホスファチジルセリン(大豆セリン)をご存知ですか?検索サイトで「ホスファチジルセリン」と入力するとたくさんHITして驚きました。いろんな会社でサプリメントとして販売されているようです。

 大豆から抽出されるホスファチジルセリンとはセリンというアミノ酸のリン酸塩に脂肪酸が結合した物質でリン脂質のひとつです。各種リン脂質の中で代表的なものは、通常卵黄や大豆から抽出・分離して得られるレシチン(ホスファチジルコリン)ですが、これは生物の細胞膜を構成する成分であり、脳の神経細胞の主要構成成分です。ホスファチジルセリンは人体細胞を構成するレシチンをはじめとする各種リン脂質の中では微量脂質で、通常全リン脂質の3%程度の割合ですが脳神経細胞ではその占有率が10%程度あり、日本においては認知の浅い素材ですが、アメリカでは、「脳を蘇生させる健康素材」としてとても有名だそうです。大豆セリン(ホスファチジルセリン)は、一般の食品には極微量にしか存在しないため、食事から十分量を摂取することは、大変難しいとされています。近年、大豆を原料とした高純度の植物性ホスファチジルセリンを作り出すことが可能になりました。ホスファチジルセリンは体内に摂取すると約30分で血中に現れ、さらに数分後に肝中への取り込みが始まり、その後血液脳関門を通過して脳へ到達します。脳内では細胞膜の構成成分として神経細胞膜や、その他の細胞の機能に深く関与して、老化などの脳の機能の低下を改善・維持するうえで重要な役割を果たします。

 多くの学会発表・研究論文でもその作用が科学的に解明され、アルツハイマーの患者の症状を改善する、脳の老化を抑制して機能を促進する、不安感を解消しストレスに負けない精神をつくる、といった効果が確認されています。脳の中でも特に重要な大脳の活動を維持させるので、ストレスからくる身体への悪影響を正常化させることも可能なのだとか..ストレスによる不眠、うつ傾向などにも効果があると言われています。

 AD/HDにもこのホスファチジルセリンが有効!

 アメリカでホスファチジルセリンの大量投与が有効であったという研究例もあります。脳の機能障害に対する決定的な治療薬はいまだ確立されていません。症状はそれぞれ違うし、複合型が多いため薬でうまく調整するのは難しいのかもしれません。毎日の食生活で脳に十分な栄養を補うことで症状を軽減できるものなら積極的に摂取していきたいと思います。安易ですがサプリメントで簡単に摂取することが、無理なく摂り続けていける方法ではないかと考えています。

 by みゆき
 
 
大豆食品は昔から脳のみならず体のために非常に良いと言われています。日本は、昔から味噌、醤油、納豆、豆腐、湯葉、枝豆、などなど沢山の大豆食品を摂ってきてこれが日本人の長寿命の一つの要因と言われています。アメリカなんぞじゃ、大豆は家畜飼料にしか使ってませんしね。もっとだいずにすべきだったんです。

大豆には確かL-トリプトファンが含まれていて、これがセロトニンの材料になるとかなんとか言われていると思います。とにかく、大豆食品は毎日食べるのがよいと思いますよ。大概の日本人は味噌醤油を摂っているでしょうけれど、それに縁のない生活をしている人もいるようです。やはり大豆は食べた方が良いですよ。

レシチンやトリプトファンとは違いますが、昔船乗りはビタミンC不足で壊血病になり死ぬことが多く、経験的に欧米の船乗りはリンゴを大量に持っていきましたが、腐ったりしぼんだりで限度があったとのこと。

日本の遠洋航海をする船乗りは大豆を持って行き、必要に応じてもやしを作ってビタミンCを補っていたとのこと。これも経験則で知っていたんでしょうが、確かに大豆だと何年でも保存が利き、かさばらず、そして効率よくビタミンCを補えたでしょう。生食はまずいとはいえ、腐ったリンゴよりもましだったと思いますしね。

戦争中、日本軍のスタミナ源は納豆で、これも必要に応じて作ることが出来、肉の加工品を大量に運んでいた欧米の軍隊よりも効率が良かったと言います。各種の栄養を含み、消化が良くそれを同盟国だった日本から教えてもらってナチスも納豆の研究をしていたとのこと。まあ、どうしても食習慣が変えられず、効果が上がらなかったと言います。いま、新しく納豆を研究している海外の機関はかなりあると聞いています。

大豆食品はとにかく食べた方が良いですね。

from 大豆屋の回し者ロクスケ

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■ マスコミのイメージ作り


 昨日は日本テレビでモーツァルトに関する番組をやっていました。それを見て少々言いたいことができたので、書いておきます。
 
 僕はモーツァルト大好きで、レクイエム、フィガロの結婚、ピアノ協奏曲、クラリネット協奏曲などなど時々聞いています。番組ではモーツァルトの神童、天才ぶりをことさらに持ち上げていました。
 
 彼が、天才であることは万人が認めるところですが、一度聞いたポリフォニーの楽曲を正確に再現したとか、生涯六百数十曲の譜面を書き残したとか、妻と談笑しながら作曲したとか、曲想に1/fゆらぎがあるとか、譜面に書き残しの跡がほとんどなく、一気に書き上げたとか、彼の曲は自閉症児の治療に使われているとか、トマトを甘くしたり、乳牛の乳の出をよくするために使われているとか、音楽性とはまるで関係のないところばかりを番組では取り上げていました。
 
 本質的に重要な部分でなく、枝葉末節にこだわっているんです。マスコミというのは、いつも物事をそういったふうに解釈するものだと思いました。いともやすやすと、一気呵成に作り上げるほうが、苦しみながら修正に修正を重ねてつくりあげるより、かっこいいではありませんか。
 
 後者の例としてベートーベンの譜面が紹介されていましたが、その取り上げ方は見ていて少々腹が立ちました。世間というのは、どうしてこうも、神童や天才が好きなんですかね。ああいったものは大道芸や見せ物と同じで、人を驚かせはしても感動はさせないんです。芸術作品はその作品そのもので判断するべきで、作品が作られた経過や作者の私生活などどうでもいいと思います。作品自体がくだらなかったら、どうしようもない。
 
 テレビには○○の達人とか天才□□とか、しょっちゅう出てきますが、そういった目新しい芸をする人間、タレントを消費しつつ視聴率を稼いでいるメディアなんだから、これはテレビの宿命なんでしょうか。マスコミはそういった突出した部分、エキセントリックな箇所だけをことさらに取り上げ、全体がそうであるかのように断定するのが常ですが、対象が巨大なもの、難解なものである場合には、群盲ゾウをなでるの結果になるのがオチです。
 
 今、思い出したんですが、台の上に積み上げられたモーツァルトの譜面、25000枚ほどあったでしょうか。一日8時間労働で、1人の人がただ譜面をそっくり書き写したとして28年間かかります。1人の人間のできる仕事の限界に近いと芸大の教授が言っていました。
 
 しかし、バッハの曲はBWV(バッハ作品番号)で千数十番まであります。バッハのほうが長生きしたとはいえ曲数からしたらモーツァルトを上回っています。同時代のヘンデルも多作な作曲家ですが、なんとテレマンという作曲家はヘンデルとバッハの曲をあわせたよりも多くの曲を残しています。つまり数だけだとモーツァルトの数倍か?いったいどうやって作曲したんでしょうかね、ベッドの上でもトイレの中でも作曲したんでしょうか。謎です。
 
 モーツァルトが妻と世間話をしながら、何の不都合も感じずに作曲を続けたというエピソードで思い出したのは、フランドルの画家ルーベンス。彼は手紙の口述筆記をしながらキャンバスに向かう手を一時も休めなかったし、ダンテの詩を朗読させたりもして同時に複数の仕事をこなした、と史実にあります。
 
 これは言語脳の左脳とイメージ脳の右脳が完全に独立分化して働いていたせいではないだろうか。古今の天才的人物は一般人と脳の使い方が違うのではと思われます。
 
 ちなみに僕は全然ダメで、絵を描いているときは言葉が出てこない、文字が書けない。突然電話がかかってきてもまともな受け答えができない。これは右脳が左脳の働きを抑制しているせいではないか、脳のキャパシティがもともとあんまり多くなくて、その少ないメモリーでいろんな仕事をこなそうとするから無理が出る。そして時々フリーズもします。

 by mogurin 


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■ 障害を持っているという甘え


 先日、こんな光景に出会いました。それは、駅のホームへ降りるエスカレーターに乗っているときに、誰かがホームで「すいませーん!」と叫んでいるのが聞こえました。何事か!とパタパタ降りていくと、他にも何事か!と声の主に近づいていっている人たちがました。

 声の主は、目の不自由な方で電車の乗り口がわからなかったので、それを教えてもらうために、大声で「すいませーん!」と言ってました。で、彼は近寄ってきた人達に誘導されながら大きな声で「もう!誰も助けてくれないんだから!なにやっているんだよ!」と愚痴っているではありませんか。

 そばに彼を誘導してくれる人がいなかったので、ちょっと時間がかかったし、せりもあって愚痴ってしまったのかもしれない。でも、私はその光景を見て、ちょっとどきっとしました。彼は、目が見えないという障害を持っていて、今回の愚痴は助けてもらって当然という甘えから出たもの?と私の心に思い浮かびました。

 自分もADHDを抱えています。障害を持っています。目の見えない彼の場合は本当に助けが必要な場合が多いと思います。ただ、助けてもらって当然という感覚はちょっと違うと感じました。手を貸してもらったらやっぱり、感謝しなくちゃいけないんじゃないかと感じました。

 私にも「ADHDなんだから、助けてもらって甘えちゃえ!」ということをして良いとき悪いときあるはずです。そして感謝しなくちゃいけません。

 こんな例と私のADHDのことを同じにするなんてと感じる人もいると思います。ただ、私は、障害を持っている。ということで助けてもらって当然という考えから生じる甘えは自分を成長させないな。と感じました。

by ナオニャム


 わたしも、このような甘えというか権利意識はいやですね。何か卑しい。というより、障害の有無によらず人間は人の助けが要ります。人を助け、人に助けられるのは当たり前なんで、ここに描かれている人はちょっと違うなぁと言う気がします。
 
 もちろん、目が見えず、そのために人の助けを要するのは当たり前であり、またそのような人に手を貸すのも当たり前です。もっと当たり前に、無意識にやれないかと思う次第です。
 
 ちょっと思い出しました。いぜん、車いすの人が駅の段差を乗り越えられず駅には入れないのを見ました。少し遠回りをすればスロープがあるのですが、おそらくその人はそのくらいの段差は乗り越えられると思ったのか。いずれにせよ、わたしはそれに気づいてその人の車いすを押し、段差を乗り越えさせました。その人はわたしに会釈をしただけでそのまま行きましたが、非常に自然でさわやかな感じがしました。
 
 時々そのような経験はありますが、あまり大げさにお礼を言われると却って恐縮してしまいます。逆に何かの関係でナオニャムさんの見たケースのようにすぐに周りの人が手を貸せない場合に、愚痴を言われるのもそれ以上にしらけてしまうでしょう。わたしはそのようなケースは経験していませんが。
 
 もっと自然に、本人も周りの人も無意識にやれるのが一番良いのではないかと思います。
 
from ロクスケ




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■ 涙する女の子


 公衆電話をかけながら、若い女性が泣いている。彼女は、私より後に入院してきた。まだ二十歳前後とおもわれる。こんな所に、いても治らないと、しきりに訴えている。薬のおかげで眠れてはいるけれど、だからってなんなのよ、ばからしくってやってられないわ。腹が立つのよ、と、だんだん号泣に近くなっている。

私は家にいると、干乾しになりそうだったから、希望して入院してきた。そうしたら、医師の診断は思ったより重かった。彼女もそうだろう。親もほとほと困って入院させたに違いない。つづく。

 彼女は、電話の相手にされないと、しばしノートに殴り書きをして、今度はどうやら患者の声係ー東京都ーに電話をかけなおしている。任意入院ならば、勝手に抜け出して入院費用は保証人が払えばいいことも知らないらしい。
 
  どっちにしても、自分がどういう状態かわかっていない、というのが最大のネックだ。見ているだけでも気の毒だ。
 
  己を知ることには、人生の経験と、客観的な自己判断が必要だ。
 
  私も、重要な仕事があったので、他の人でもできるところまでがんばって、後はある意味で捨ててきた。

 捨ててきたのは、仕事だけでない。私の評価も、給与が一年半上がらなくなることも、ボーナスが減るのも、有休が20日から始まるようになるのも、職場の職員に迷惑をかけるのも、全部だ。
 
by MUSICA

 MUSICAさんは仕事上の無理やその他のストレスが重なり、現在某病院に入院しています。そこからおくられてきた記事です。いつ頃退院出来るかは不明ですが、一日も早く帰ってこられることをメンバー全員待っています。なにしろ、MUSICAさんがいないと、WingBrain委員会の雰囲気がいまいちですので。    ロクスケ



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■ 連載 第32回 運動の大切さ


 脳は大体1400グラムであり、おおざっぱに言えば体重の3%位ですが、体が取り込む酸素の20%を消費してる。つまり、脳は極端に酸欠に弱く、何らかの原因で3分以上血流が停まると脳は壊死してしまうと言われているのだ。
 
 これは普段から言えることで、血流が停まらなくとも弱ければどうしてもその部分の脳機能は衰えるだろう。従って、ADHDの発見には血流の強弱を調べる手法が重要視されている。
 
 昔から血の巡りの悪い奴という言葉があるが、きわめて正確な形容であるわけだ。したがって、脳に積極的に新鮮な血液を送り込めば脳の状態を若々しく保て、高い機能を発揮出来るだろうとは容易に想像出来る。もっとも、いくら血液を送り込んでもきちんと鍛えないと、脳は発達しないが、血液量を増やす必要があるという事実には変わりない。
 
 筋肉も前提として血行が良くないと鍛えられない。そのばあい、筋肉を適度に動かし、あるいはマッサージなどで血行を促すわけだが、脳は動かない。脳をマッサージすれば命に関わる。
 
 あとは全身の血行を改善し、その勢いで脳の血行も良くしようという作戦が考えられる。重ねて言うが、血行をよくしても無駄な血行は脳自体が抑えてしまうので、脳が必要とする血流を大きくする方法もあわせて行わなくては効果が上がらない。
 
 とにかく、全身の血液をより良く流れやすくするにはどうしたらよいか。第一、血液だけが流れても肝心の酸素が十分に含まれていなければ、酸素を送り込むという目的も果たせない。
 
 そのために有効なのが、有酸素運動であり、少しだけ心拍数が上がり、筋肉を適度に動かす運動が良いとされている。それも短時間に集中してやるのではなく、軽くしかし長時間やる方が良い。となると、普段の行動を機敏にする、少しばかり意識して運動量を増やすという事で目的は果たせる。
 
 わたしも今年の夏は猛暑続きでかなりばて気味だが、それでも駅などでは階段を一段飛びに上り下りするし、意識して歩くようにしている。ただし、炎天下では歩かないようにしているが。また、長時間パソコンの前に座っていることが多いので、気が付けば離れて台所仕事をしてみたり、ちょっとした掃除などをしている。特に運動という事でもないが、座りっぱなしの時に立って動き回ることで体はかなり楽になる。
 
 気が付けば深呼吸をし、気が付けば背伸びをする。あまり大げさに考えず、気が付けばの程度でよいと思うが、その気が付くにはやはり日頃の習慣づけが大切だろうと思う。
 
 ただ、ここに書くほど積極的に全身の血行をよくするほどの運動にはなっていないと思う。したがって、頭の働きが格別良くなっているわけではないが、それでも動かないときと動いた後では気持ち的には頭の動き方が違うようだ。第一、何かのアイデアに行き詰まったとき、立ち上がって深呼吸をし、伸びをするだけで他のアイデアがひらめくなど結構ある。
 
 脳にほんのちょっぴり酸素が余計にまわったためではないかと想像している。
 

by ロクスケ


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○編集後記○
 ■ わたしは東京の人口密集地に住んでいるので、まわりにまとまった緑がありません。余所のお宅の庭や、ちょっとした生け垣くらいですが、田舎育ちのためか、長時間緑に接しないと欲求不満が高じてくるようです。
 
 ■ 少し歩けば小さな公園があり、かなり大きな木が生えていますし、もう少し歩けば神社やお寺など結構緑があります。前々から面白いと思ったのですが、欧米の教会、これは日本でもそうでしょうが、緑とは全く無関係ですし、おそらくモスクもそうのようで、写真やテレビでも緑に囲まれた教会、モスクを見たことがありません。
 
 ■ 一方神社やお寺は必ずと言っていいほど豊かな緑を有していて、おそらく日本人の心の中には緑に対する宗教的な感覚があるのかも知れません。もっと、教会やモスクはその発生した場所が緑のない地域だったので当たり前の話も知れませんが。
 
 ■ 別に宗教感などどうでも良いのですが、やはり緑があると無条件でほっとしますし心が安らぎます。東京は23区に限れば公園面積が他の国の都市に比べて少ないとよく言われますが、神社や仏閣を公園と考えれば、そして事実公園の機能を果たしていますし、東京はまれに見るほど緑に恵まれた都市だと思います。同じ東京でも多摩地区などは緑が非常に豊かで、首都に国立公園が含まれているのも外国ではあまり聞いたことがありません。
 
 ■ その公園の緑も、外国の場合芝生が主であり、樹木が主である日本の公園とは全く異質です。日本文化は木の文化と言われ、国土の70%が森林です。先進国でこのような国はあまりありません。話が大分散歩してしまいましたが、緑を豊かに持ち、しかも緑にたいしてごく自然に親しみを持っている国民性はやはり大きな財産と思った次第です。
 
 
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