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          WING BRAIN メールマガジン第71号
          
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★目次★



■  ひょうたんから駒              むーんらいず
■ わすれぐせ                  MUSICA
■ 腑に落ちない話               mogurin
■ 連載 第38回 年をとるのは自分で決めること ロクスケ
■ ○編集後記○

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■ ひょうたんから駒


 最近、いろいろなことがありました。

まずその1

 日刊スポーツに連載をされている、月崎 時央さんというフリーライターの方とお会いして、発達障害の当事者として、取材を受けてきました。

 取材に至る経緯なんですけど、ぼくが月崎さんの本「精神障害者サバイバー物語」を図書館から借りてきて読んで、その裏表紙にMLを発行しておられることを知りました。
んで、ぼくもそれを講読するようになって、それに対する意見をメールで送ったりするようになり、そうしたやりとりの中で、ぼくのほうから、「発達障害について取材してみま
せんか?」と持ちかけたことからなんです。

 そのやりとりから約1ヶ月して、取材依頼があり、10/13に地元で取材を受けました。
取材時間は2,3時間だったかな?とにかく、当事者として今までの自分がどうであったか、障碍を知ったことや、これからの希望はどうか、など、いろいろ話してきました。

その2

 その月崎さんとの取材のあと、時間が空いていたので、どこかで話をしようと言うことになり、市の商工会議所が設けている、パソコンを自由に使える施設があるので、そこで、自分のHPや、発達障害についてのおすすめサイトを紹介したりしていたのですが、話をしているうちに、仕事を手伝ってくれる人が欲しいという話を聞き、ぼくにそれをお願いしてもいいだろうかと打診されました。詳しく話を聞いたら、自分でもできそうだったのでOKする事にしました。

 一応、10/20より仕事に行く予定でいたのですが、打ち合わせと言うことで、10/16から事務所に通っています。デイケアのない、水曜日と土曜日の週2日、市川の事務所に通うことにしました。
 
 仕事の内容としては、取材資料の検索や本の注文、名刺や取材費の整理とパソコン入力、コンピュータ回りの保守などをすることになっていて、フレックスタイムで5時間、今の連載が12月までなので、約2ヶ月半の仕事です。
 
 まあ、そのあとにまた仕事の依頼があればぼくも手伝う予定でいますが。仕事の内容的には、パソコンを使った仕事が多いので、場合によっては、事務所に行かなくても自宅で検索などをしてメールで返す形でもいいということになっていて、ほんとにいい仕事に出会ったという感じです。

 ライターの月崎さんは、メンタルヘルスを専門に執筆されている方なので、ぼくの障碍というか、不都合なところを良く考慮してくれています。仕事の段取りもよく間違えちゃうぼくですけど、それも全部書き出して壁に貼ってくれました。

 実は、ぼくが手伝う以前にも、精神障害者の方が、お手伝いに来ていたことがあるそうですが、パソコンのことが全くわからなくて、パソコン教室のようになってしまったと、苦笑されていました。そんな具合なので、職場恐怖があって、自信を喪失していたぼくが仕事をする気になれた訳なのです。

その3

 これもずいぶん前なのですが、(7月ぐらいだったかな?)地元のミニコミ誌に「みんなと生きる」というコラムがあって、そこには障害者や障害者と共に生活している人の事が掲載されるのですけど、それに投稿していました。その後音沙汰なしだったので、選から漏れたのだなと思っていたら、突然電話があって、写真を撮らせて欲しいのと、原稿を1200字ぐらいにまとめて欲しいと言うことでした。 10/17日にミニコミの編集者の方がみえて、企画の内容説明と、ぼくの写真を撮って行かれました。

ぼくは、ウィズエブリワンという障害者と健常者の交流のためのNPOに入っているのですが、どうやら、ぼくのところに取材が来たのは、その会長さんの紹介だったようです。

by むーんらいず




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■ わすれぐせ


 私は、物を必ずどこかに忘れてくる癖がある。もちろん、AD/HDにより注意散漫で、かつ短期記憶が悪いので仕方がないのだが、子どものころからこの忘れ癖には自分でも本当にほとんど毎日のように苦しんだ。

 学校時代は笛、絵の具、鉛筆、消しゴム、下敷き、ノート、教科書、下手をしたらランドセルを開けると空っぽだったこともある。私の周囲には、常にブラックホールがあちこちに開いていて、物は吸収されてしまうのだと、いい加減なわけを作って自分を正当化していた。今考えると笑ってしまう。

 それで、その忘れ癖が治ったかと言うと、全然である。もちろん経験的に忘れないように注意はするのだが、お風呂で自分用のタオルを必ず干すのだが、よく忘れてそのままにしてしまう。それに、片付けていて、大事なものがなくなってしまって、せっかく片付けたところまでぐちゃぐちゃになってしまう。あれもこれもともって歩くから、かばんは普通の人の倍にはなる。で、絶対持っているのだが、ものがかばんに多すぎるからさがせないという、あほらしさである。
 
 今入院していて、始めはナースたちもわからなから「忘れっぽいわね」くらいだったのが、あまりにも頻回にあちこちに物を忘れてくるのでいまや全員が忘れ物を見つけるといの一番にわたしのところへきて「MUSICAさんの?」と言われてしまう。で、そうだと「ご、ごめんなさい。す、すみませんっ!!」となり、違うと「あーよかった。私のじゃないで〜〜す。」るんるんとなる。情けないばかりである。

 私は、人生の半分を忘れ物の捜しだしに費やしていると言っても過言でない。病院の予約も忘れてしまうし、友達とのお約束も忘れてしまう。情けない・・・・。AD/HDから痴呆に向かっているとしか自分では考えられない。私の脳は半分ゼリーなのかもしれない!! 
 
by MUSICA

 忘れ癖には色々あり、覚えているべき物事を忘れる、品物をどこかに忘れるの二つに分けても良いでしょう。前者は、基本的に覚えなければならないときに意識が明後日に行っているために覚えないと言うことだと思います。
 
 何かをしていてふっと自分が何をしていたか忘れたり、何をしようとしていたのかを忘れたり。
 
 ものを紛失するのも何かを何処に置いたという意識をしないで置くからそうなるのであり、基本的に何かを使用し終わったとたん、それが意識から消えてしまうと思われます。私ももの探しにどれだけの時間を費やすかいやになるほどで、それも使うものに限って見つからず、探すのをあきらめると出てくるという有様です。時に、あきらめた振りをしてみますが、駄目ですね。
 
 両方とも、瞬間的に意識が飛んでいるのが原因と考えられ、それは治りません。解決するのは、とにかくメモ、落書きそして整理整頓に尽きるようです。何を何処に置くかを無意識に出来るようにくせにすることも必要です。それでかなり改善されるとは思いますが、完全に治ることはありません。
 
 まあ、あまり焦ったり自分を責めないことで落ち込みを防ぐしかないですね。
 
from ロクスケ


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■ 腑に落ちない話


 今日は、喫茶店でどうもわけのわからないことを言われました。
 
 松山市の郊外、国道11号線沿いにしゃれた造りの喫茶店「K」があます。一見すると木造りの山小屋ふう、広い駐車場を持ち、茶色い屋根に白い壁、エントランスには花壇が配してあり、きれいな花が道ゆく人をさそいます。店内にはいると高い天井と、天窓からの自然光が開放感をかもし出し、いつも軽快な音楽が流れています。客席は多くのブースに分かれており、木のテーブルにはシェードランプが置いてあります。
 
 他のグループの視線を感じずに個室感覚でお茶が飲め、落ち着ける雰囲気があります。しかも実家からゆっくり歩いて15分、散歩がてらにいくのにちょうどいい距離、つまり僕にとって、なかなかすてきな喫茶店なんです。そういうわけで、先々週と先週、今日と3回足を運びました。
 
 自宅の二階に閉じこもって仕事をしていると、気が滅入ることがあるので、気分転換です。図書館で借りてきた本とノートパソコンを持って、2時間から3時間ほど使いました。朝から2時のあいだはモーニングタイムで、ドリンクと軽食セット料金が安くなります。また6時から8時の間はイーブニングタイムで同様の割引があります。僕はダイエットをしていることもあり、何も食べる気はないので、3回ともそのサービス時間帯をはずして行きました。
 
 そうはいうものの、ブレンドが一杯税込み460円。今日はダージリンティーを注文して530円。けっこういい値段です。店内にはほとんど客がおらず、話し声も聞こえません。今日は4時から6時までいました。ノートパソコンで文章を打っていたんですが、バッテリーがなくなり、その続きは、スケッチブックを開いて、鉛筆で思いついたことなど書き込んでいましたた。
 
 で、レシートを持ってレジに行き、お勘定ということになったんですが、ここからが本題です(前置きが長くてすみません)ひげを生やし、長髪で40代くらい、痩せた体型の店長が、いらいらした口調で「あんた、ここでコレやるのやめてくれんか?」そう言って両手を広げ手のひらを下にして、痙攣発作がおきたてんかん患者のように、指をひょこひょこ動かしたのです。
 
「あの、パソコンってえの、うちは事務所じゃないんやからね。あんたがあれやって
ると本当に雰囲気悪いんや」僕は一瞬あぜんとしたんです。いままで喫茶店でそんなこといわれたことが一度も、なかったからです。「ガキじゃないんやからね、言わんでもわかってると思ってたんやが、はっきりいわんとあんたはわからんようなので言うんや」わかるわけない。店内にパソコン持込禁止の張り紙でもしていれば別だが、僕はそう思った。何もうるさい音をたてているわけではないのに、何が問題なのだろう。しかしこの男には何を言ってもむだなような気がした。要は嫌われているのだ。「はあ、じゃあ、読書はどうなんですか。本を読むのは」

 僕がそう切りかえしたのは、この店長の考えている常識とやらが知りたかったからだが「本や雑誌ならそこになんぼでもおいてあるやろう、あれなら全部よんでもかまわへん」そういって店長が指差したところには、週刊誌やスポーツ新聞、マンガ単行本が山と積んである棚があった。
 
 僕はバッグからフロムの『資本主義社会における人間』にしおりが挟んである、8ポイント上下二段組み全557ページの活字がぎっしり詰まった、中央公論社の世界の名著第76巻を取り出し、「僕の読みたいのはあんなしょうもないくそ雑誌じゃなくて、心理学や、哲学、芸術に関するこういった本なんです。といってもあんたの腐った頭では理解不能でしょうがね」と、のどから出掛かったその言葉をぐっと押し込みこらえ、「はあ」と気の抜けた返事をした。
 
 「とにかくパソコンやったり書き物したりやめてくれんか。そんなんやりたかったら、この辺には店がなんぼでもある」そう言って店長は右手を大きくぐるっとまわし、かなたにある別の店を指示しました。僕は千円札を渡し、おつりをもらうと右手に握り締めたまま「わかった」と小学生のガキのような返事を発して、茫然自失状態で店を出ました。
 
 以上がいきさつです。
 
 田舎の喫茶店では、一人で長時間ねばる客は、得体の知れない存在として感じられるのだろうか。この店長の常識では、パソコン持込禁止、本持込禁止、常に二人もしくはそれ以上で来店して世間話を談笑し、店内常備の週刊誌、スポーツ新聞などを読んで時間をつぶし、きりのいいころで勘定を済ませて出て行く、それが客だ。
 
 ひとりでふらっとやってきて、わけのわからない本を読んだり、パソコンをテーブルの上に広げてキーをたたいたり、他の客と違うことをしながらも、そのことをまるで気にも留めず、没個性的な作業に没頭するやからは客ではない。店の雰囲気をぶち壊しにする、なにか理解不能の魑魅魍魎のたぐいだ、ほってはおけぬ、許しておけぬ、警察に通報しなくては。そういうことになるのだろう。
 
 皆さんはどう思われます?僕はけちがついたあの店には、もう二度と行きませんが。

by mogurin

 私も喫茶店でそんな訳のわからん文句をつけられたことはありませんね。私も昔喫茶店でノートパソコンをぱたぱたやっていたことはありますが、そんな馬鹿なことを言われたことはないですよ。

 喫茶店とは、単にソフトドリンクを飲みに行く場所なのではなく、時間と空間を買う場所です。他者の迷惑にならない限り、粘るのは別にかまわないと思うんですが。むろん、門前市を為して客が押し掛けているような喫茶店で何時間も粘るのは遠慮した方が良いでしょうけれど、空いている時間に空いている席で時間をつぶすのはかまわないと思うんですが。

 思うにその髭親父は

1)自分がパソコン使えないのでパソコンをやる人間を生意気な奴だと反感を持っていた
2)パソコンアレルギーで医者からパソコンの3メートル以内に近づくなと言われている
3)mogurinさんに似た男に、昔彼女を寝取られた。その男はパソコンを教えると言って彼女に近づいた。
4)女房が朝から晩までパソコンに夢中でかまってくれない。
5)髭親父は、全日本喫茶店内パソコン使用禁止連合会長だ。
6)むかしパソコン販売店で働いていて、客の質問に何一つ答えられず、店長にいつも怒鳴られていた。
7)道路を通行中、ビルの屋上からパソコンが落ちてきてもう少しで死ぬところだった。
8)喫茶店組合の寄り合いでパソコン会計をやっていないただ一軒の店だと知られ、みんなに馬鹿にされている。
9)なにがなんでもパソコンが嫌い。

のいずれかが理由として考えられます。

まあ、行かないに越したことはありませんね。

from ロクスケ


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■ 連載 第38回 年をとるのは自分で決めること


 第23回 年を取ると弱くなって当たり前?及び第36回で脳の老化を遅らせるというテーマを取り上げた。今回はそのまとめのような意味で書いてみたい。
 
 まさか年をとると知能が衰えるとか判断力が衰えるのは当たり前と信じている人は今はあまり居ないだろうと思う。しかし、一昔前ならそんな考えが当たり前で、年をとったら耄碌をするから何もさせず縁側でネコでも抱いて一日過ごさせるのが幸せだ、くらいに考えられてきた。年寄りを働かせると、あの家では年寄りをこき使っている、大切にしないと陰口をたたかれる場合さえあったと聞く。
 
 しかし、本来人間がここまで進化し文明を築き上げてこられたのは知識を共有する事が出来、しかもその知識を老人が蓄えてきたからだ。天寿を全う出来る動物は人間と一部のペットだけであり、普通の野生動物は年をとって動きが鈍くなると外敵に襲われて食べられたり、あるいは餌をとれなくなって飢え死にするのが普通だ。
 
 人間だけが天寿を全う出来るのはむろん老人の価値が認められているからだ。人間の人間たる所以はその知恵だが、老人の知恵が一番その中でも価値のあるものとして尊ばれ大切にされるから、老人が天寿を全う出来る。普通の健全な社会はそうなっており、老人を軽んずる社会は荒廃すると言っていい。
 
 日本では昔大名の家臣で一番上位の位置にいるものは家老であり、幕府でも老中、年寄りと呼ばれていたし、相撲でも年寄りという地位がある。これらはむろん、たんなる年老いた人というのではなく、経験を積んだ尊敬すべき人という意味だ。若年寄りという言葉さえあるし、中国語でも相手を尊敬する場合老師と言う。
 
 昔であれば私も老人の部類に入る年齢だ。なにしろ、古典落語に出てくる横町のご隠居は大抵50代くらいだし、岡本綺堂の半七捕物帖を読んでいて50才くらいの老人という記述を読んで愕然とした記憶がある。
 
 たしかに、江戸時代は平均寿命が40代そこそこで、50と言えば老人だったのだろう。
私の仕事関連でもまた友人関係でも同年輩が多い。そして昔10代、20代だった頃はそれほど差があるとも思えなかったのに、今になってみると年の取り方が大きく違う。大きく分けて、ますます好奇心旺盛になり色々なことに挑戦し、新しく勉強を始めるグループと、とにかく毎日毎日決まったこと以外をしようとする気持ちが無く、新しいことは面倒くさいからしない、もうそんな年ではないというグループだ。前者は話題も豊富で表情も活き活きとしており、受ける感じは2,30代そのものだ。一方後者は話していてもつまらなく、単に相づちを打つにとどめるし、積極的に会いたいとも思わない。老人という印象なのではなく、まったく魅力がないのだ。10代20代からの4,50年間のあり方がかくも大きな違いを生んでいる。

 先日ある人と話をした。その人は私より10歳以上若い人だが、それでも昔より今の方がよほど良いと言っていた。昔解らなかったことが今は解るし、昔とは違った深い感動も出来る。今の方がより良く生きていると言っていた。私も同感だ。今の方が若い頃よりよほど物事に深くコミット出来る。

 30代半ばの頃だったか、会社の同年輩の男が、「たまに早く帰ってもやることが無くて退屈でよ〜」と言っていたのを聞いて心底驚いたことがある。私は時間が足りなくてやりたいこと、行きたいこと、見たいこと、読みたいことが山積みでどう時間を作ろうかと四苦八苦していたからだ。私の勝手な想像でしかないが、おそらく今は全く魅力のない親父になっているのではないかと思う。
 
 気になるのは、今20代、30代の人たちに、まるで覇気が無く好奇心が無く感動のない人がたまにいることだ。年をとるということを考えてみたとき、生理的な年齢はむろん、生まれてから経過した年月に比例してとるのだが、人間のあり方としての年は本人が決めるのだろうと思う。どうせなら、死ぬまで年をとらないでいたいし、それは当たり前に出来ることだと思う。
 
 
by ロクスケ


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○編集後記○
 ■ 今年は日本にとって全く厄年としか言えない年でした。記録破りの猛暑の夏で体調を崩した人が大勢出てまた作物や漁獲などにも大きな損失があったと聞いていますが、その夏が一段落したと思ったら、今度は記録破りの台風襲来でした。
 
 ■ 毎週のように大型協力の台風が来て、特に23号は日本列島がすっぽり入るような大型台風であり、強風と大雨で、それまでの台風で痛めつけられていた各地にかつて無いような爪痕を残し、多数の人が亡くなりました。そしてまた、ごく僅か残っていた野菜が大打撃を受け、店によってはレタス一個が1500円とのこと。この影響は年内続くとのことです。
 
 ■ そして最後が(最後であって欲しいですけれど)新潟中越地震で、10万人以上が被災し、30数名の方々が亡くなりました。本当に、私の記憶でもこのような災害の多い年は無かったような気がします。被災された方々の一日も早い復興を願うものです。
 
 ■ 台風も地震も自然災害で、人間の力ではどうしようもありません。明日は我が身かも知れないのです。しかし、そのような災害に遭っても立ち直れるか直れないかは日頃の準備にかかっているのではないでしょうか。災害はどのように努力をしても来るときは来ますが、それをどう克服するかは物質的な準備と同時に、あきらめずに立ち向かう気力を普段から用意して置くしかないと思います。
 
 これほどの災害ではないとしても、交通事故、火災、病気など思いがけない災難はいつ降りかかってくるかわかりません。物質的そして精神的な備えはいつもして置かなくてはならないと、今年ほど思った年はありませんでした。
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