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          WING BRAIN メールマガジン第72号
          
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★目次★



■ 将来の計画               ナオニャム
■ 2004年10月15日文部省を訪ねて  みゆき
■ 一部の人格障害者との疲れるやりとり   MUSICA
■ 記憶力 1               mogurin
■ 連載 第39回 結晶メモリー       ロクスケ
■ ○編集後記○
★目次★


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■ 将来の計画


 先日行ったコーチングでのセッションの会話です。
「ナオニャムさん、人生の計画と週末の計画はどう立ててますか?」とコーチに聞かれました。

 この質問内容は、とても自分を明るくさせるものでした。
週末の予定は短期的にしなければならないこと、
今の自分が出来る範囲のしたいこと。を行動するように、
平日勤務中空いた時間に私は考えます。
人生の計画は漠然としていることに気づかされました。

 人生の計画は、自分がたとえば10年後どうしていたいか、そのためには5年後の私はどうしていればよいか、5年後の理想の私に近づくためには3年後どうしていればよいか。
どんどん近い未来を想像していくと、1年後、半年後、3ヵ月後、週末することも、もっと自分の理想の自分になるための行動がしていけます。今の想像している10年後の自分は、その都度修正をしていけばよいのです。少しずつ生活を含めた自分の精神が回復していくのが私の目標です。

by ナオニャム

 結局、人生のタイムテーブルを作ると言うことでしょうね。計画には短期計画、中期計画、長期計画があります。長期になればなるほど動かない目標を立て、短期、中期はそれを成し遂げるための手段と考えればイメージが湧くとおもいます。
 
from ロクスケ


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■ 2004年10月15日文部省を訪ねて


『文部科学省で話をする事ができる!』こんな朗報が飛び込んできたとき、正直私は迷った。
身に余る光栄である。現段階でお会いして、何を話せばいいのか。我々の主張に耳を傾けていただけるのか。

そもそも、我々の活動エネルギーは、学校でのトラブルや、世の中の不条理さから生まれてくる
のである。そんな中、板橋区教育委員会の方と話をした結果、想像通りの複雑な枠組みと、我々の無力さに、モチベーション低下もさることながら、目的自体を失いつつあったからである。

しかし、冷静に考え、この様なチャンスが再び巡ってくる事は無いだろうと思い、期待と不安を抱えつつ文部科学省へと足を運んだ。ファッションビルの上というロケーションには驚かされたが、警備員のセキュリティチェックが入念であり、なるほど、官公庁の施設である。

大臣クラスの部屋は非常にきれいであり、床面積も広く感じた。打ち合わせは、特別支援教育課の方々も同席していただき、メンバーとしては充分すぎる顔ぶれである。板橋区教育委員会の方に聞いていただいた文書を元に、これまでの活動内容と、日々、困っている事を話した。

40分程度の短いセッションではあったが、我々の話を大変熱心に聞いていただき、これからの板橋区の取り組みについては、全国の推進モデルとして、特区や特別予算を組んででも、取り組んでゆきたいと語っていた。また、我々、保護者の会としてどうあるべきかといったご指示も頂き、更には、教育問題の対策は、子供の成長を考えると時間との戦いであるといった、切羽詰まった状況までも理解して頂いた。

今回の訪問を振り返って、当初、迷っていたこと自体が危惧であったと感じた。更に、大変、勇気付けられ、これからの活動の為の動機付けを頂いた様に思える。これからは、板橋区の代表としてだけではなく、違った視点で活動してゆきたいと強く感じた訪問でもあった。 S・O

緊張しました〜(何も話していませんが。)
でも、何かを動かせる‥といった手ごたえのようなものを感じました。
小さな力でもあきらめずに行動することが大事なことなのだと思いました。同行 K・T

by みゆき


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■ 一部の人格障害者との疲れるやりとり


私はまだ、入院してます。おととい、私とカラオケに行くことになったMさんは、私がお金などをとりに行っている間に、Sさんに「あの人とあんまり付き合わないほうがいいわよ。」「第一私と一緒なら全部おごりじゃない。」「あー。でももう約束しちゃったから。」と言うことがあったそうで、タクシーの中でMさんにそう言われました。で、二人で塩タンを食べながら「なんで、彼女と行くとただなの?」と聞いたら、「彼女はもともと閉鎖恐怖症があるらしくて、(これもうそ)訓練のためにカラオケボックスに言っているのだって。だから、どうせ自分のために行くし、私は障害者年金だけで子どもも育てているからとのことで、おごってくれるのよ。」ふーん。障害者年金だけで暮らしている割に、ビトンのバッグ、最新の携帯かあ?

 世の中よくわからんね。そして、私たちの行ったカラオケ屋に、何分後かしてSが来たんだよ。なんでー!?人に豆腐頼んでおいて。もちろん一緒にはならなかったけど。

 で、まあその日はSさんに頼まれた、カラオケと反対方向の99円ショップに行って、彼女に頼まれた豆腐3丁とSさんは豆腐一丁、私は買いたかったものがなかったので、つまらないものを買って帰りました。帰る途中,Mさんは吐きそうになり、抱えながらやっとの思いで帰りました。

 そうしたらSさんはもう帰っていました。「あら、悪かったわね」だって。「悪いわよ、あなた、自分のものくらい自分で買いに行けば!?」と内心思いました。

 翌日、Sさんに直接「あの、聞きたいことがあるのだけれど。」と言って「昨日Mさんが(上述)言っていたのだけれど、それってどういう意味かしら?」と聞いたら横を向きながら「あら、私そんなこと言ってないわ。Mさんが確かに言ったというのなら、後で確かめておきますから。」とぶっきらぼうに言いました。

 今日、私が洗濯を終わった後、出そうと洗濯室に行ったら、助手さんが「MUSICAさん、Sさんが間違えて水入れちゃったのよ。脱水するの待つしかないわね。時間食っちゃって、悪いねえ、MUSICAさん。Sさん、なんで洗濯機の中が空かどうか確認しないで入れたのよ。」と言ったら、「だって、名前書いていないんだもん。」とかぐうたら言った挙句、「あのこの洗濯代の150円は誰が払うんでしょう?」助手さんも私も呆れて、「当然間違えて操作した人でしょうね」と言って去ったのですが、そうしたら助手さんが呼びに来て「Sさんが絞っているの、ちょっと来て!!」と言うので行ったら、私の洗濯物を一枚一枚手で絞っているのです。はー。やっぱ人格障害は手ごわいわ。

 「あのね、どうしても150円払いたくないの?」と聞くと「そう」。でも私手絞りなんて嫌だわ。あなたが間違えたんだから、ちゃんと責任とってよ。」と言ったんだが、絞る手を止めない。とうとう、ナースステーションに駆け込んで、手短に事情を話すと、主任さんが飛んできてくれて、「Sさん、なにしているの。自分が悪いんでしょ。あんた金がないからなんて言って、150円が惜しいなんていってカラオケ行っているでしょう。だめよ。非常識です。」と、30分以上に渡ってお説教してくれたのですが、どうもわかってないようで。

 で、私の洗濯は、なんと「雑巾洗い」のバケツに入れられていたので、主任さんがSさんから150円を取り上げ、もう一つの奥の洗濯機で再度洗いました。その後も看護婦さんはかなりお説教していたけれど、自分は悪くない、と思っているようです。

 私の精神状態は最悪です・・・。精神病院で治療するのは、無理かもしれない。

 by MUSICA


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■ 記憶力 1




 小学校の四年生ぐらいのことだったろうか、クラスの授業で伝言ゲームをやろうということになって、男女とりまぜ四つほどのグループにわかれ、戦いが始まった。僕は出席簿の頭のほうだったので、そのグループの先頭だった。
 
 先生に名前を呼ばれたので、行くと教壇の前面に張り紙があって、なにやら長ったらしい文章が書いてあった。「これを三分で覚えてください」そのようにいわれたと思う、いや正確にはどうだったか忘れたが、とにかく制限時間内にその文章を覚え、次のメンバーに伝えなくてはならかったのだ。
 
 僕はあがってしまい、プレッシャーと興奮でほとんど頭にはいらなかった。したがって、僕の次のひとは気の毒だった「あの、…その、…あれで、これで…」なまるでしどろもどろの伝言を順次伝えなくてはならなかったからだ。それに対して、他のグループは一応内容のある伝言を、微妙に変化しながらも伝えていくことができた。その様子にはゲームらしい感覚と娯楽性が感じられた。
 
 つまり僕のグループは、先頭の僕のせいで惨敗、まるでお話にならなかったわけだ。ぼくは、その授業中、机にうつぶせになって、ぐったり疲れ寝たふりをしていた。記憶力に問題ありと自覚したのは、そういう事件があってからのことだ。
 
 高校の同窓会の通知が時々届く。僕は一度も出席したことがない。高校時代のことなどほとんど忘れてしまっているからだ。クラスメイトの顔や名前も数人しか思い出せない。懐かしい話が盛り上がって、あのときこんなことがあった、あんなことがあった、などという場の雰囲気に溶け込めないであろうことは目に見えている。
 
 実は、その時代にはやっていた歌や、歌手、タレント、テレビドラマの記憶もあやふやだ。よく自分の青春時代のことは昨日のことのように懐かしく感じると人は言う。それは記憶の想起とともに感情が揺り動かされるからだろう。ともかく、記憶力が悪いから同窓会に出席できないとも言えず、仕事が忙しくて時間が取れないといつも断っている。
 
 家族と話をしていても、おまえはあの時旅行に行ってああしただろう、こうしただろうといろいろ思い出を語られても、大方忘れているからぴんとこない。その点母親の記憶力は抜群で、ほかの者の記述の誤りをつねに指摘し、指導権を握っている。
 
 僕は、そのような、ていたらくであったため、高校生になって受験勉強を始めたとき、英単語や、歴史年表をなんとかうまく記憶できる方法がないかと、あれこれ思案してみた。正攻法ではお手上げだったため、当時はやっていた連想記憶術などといういかがわしい本に手を出してた。
 
 bewilder(ビールだぁ!と一杯すすめてマイカーの客を当惑させる)とある。ああ、bewilder=当惑させる、か。indulge(インドあるじヨガにふける)とある。インド人の男がターバン巻いて、足を首の後ろで交差させ、ヨガの修行にふけっているのである。つまりindulge=〜にふける、だ。かなり難しい単語にもかかわらず、これらは今でも覚えているからたいしたもんだ。調子に乗って、僕も自作でいくつか作ってみた。at all events(あっ、通る、いいベンツ)と覚える。あなたはその高級車ベンツに近づき、手に持ったマジックでドアに、へのへのもへじを落書きする(戸にかく落書き)と続く。そしてベンツから降りて来たサングラス、パンチパーマの怖いお兄さんにぼこぼこに殴られるのである。戸にかく→とにかくである。at all events=とにかく、ともかく。これで覚えた。このように回りくどい方法ではあったが、受験英語はクリアすることができた。しかし記憶力はいっこう向上せず、妄想力が向上したのであった。
 
 
ー次号へ続くー
 
by mogurin 


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■ 連載 第39回 結晶メモリー


 結晶メモリーあるいはメタメモリーなどと言うが、これが結局人間の脳の最高の機能だと言えるのではないだろうか。記憶力は脳の働きとして一番判断し易いものの一つであるから、記憶力の善し悪しがそのまま頭の良し悪しと考え得られる嫌いがある。
 
 折から今号にmogurinさんの記事で記憶力に関したものがあるが、やはり記憶力が悪いことで非常に苦労したという話だ。むろん、記憶力が悪いよりは良い方が便利だとは思う。しかし、記憶力だけでは役に立たないとも言えるのだ。
 
 誰にでも共通のことだが、10代を過ぎると記憶力ががた落ちになり、記憶力が駄目になったと嘆く。しかし、子供の頃の記憶力は、とにかく見聞きするものを何でも記憶する時代の事であり、例えば5,6才の子供の記憶力は大人がどんなに逆立ちをしてがんばってもかなうものではない。これは、脳の発達に大いに関係していることであり、5,6才の頃の記憶能力を大人になっても持っているとしたらそれこそ恐ろしいことだと考えられる。
 
 新生児の脳は大体800グラムであり、成人の脳は平均1400グラムだから、脳は大体2倍弱大きくなることになる。一方脳細胞の数は生まれてから死ぬまで減ることはあっても増えることはない(現状での認識、実際は増えることがあるらしいと言われ始めている)。つまり倍近く増えるという脳の増える部分は脳細胞ではなく、脳細胞同士をつなぐ軸索の増加が主なのだ。人間の記憶は、脳細胞同士をつなぐ軸索が増えることで形成されるので、成長期にはとにかくありとあらゆる情報を吸収しそれにより軸索が増え結果として脳が成長する。
 
 そのあと、環境や学習の違いによりその脳が扱う分野が決まると、それまでに蓄えた記憶の内、不要なものを捨てる過程があり、あとは必要な情報だけを選択して記憶してゆく用になる。この切り替えの時期を臨界期と言い、8才頃がそれにあたる。
 
 例えばある音を聴いてその音階を当てる絶対音感は4,5才までに訓練しないと身に付かないし、言語を母国語として身につけることが出来るのも8才頃までが限度なのも、この臨界期が関係している。
 
 つまり、臨界期までは誰もが脅威的な記憶力を持っており、言語や人間関係、周りとの交流方法などありとあらゆる人間としての基本能力を記憶出来るが、その時期を過ぎるとあとは磨きをかける段階にはいるわけだ。
 
 もし何らかの理由で臨界期が無くいつまでも際限ない記憶をする状態が続くと、蓄えた知識に人間は磨きをかけることが出来ず膨大な情報に押しつぶされてしまう。幼少期の記憶力が大人になると無くなる必要性がわかる。
 
 大人になると、必要な記憶を補足して覚えるだけになり、むしろ記憶した情報を整理し理解し、利用する段階にはいるのであり、つまりこれが今回のテーマの結晶記憶なのだ。
 
 むろん、大人といえども新しい情報を付け加えてゆく必要はあるし、その能力はある。ただ、子供の頃は無条件に無意識に記憶していたものが、大人になると必要な事柄が意識しなければ記憶出来なくなる。結局、大人になってからの記憶の差は、意欲と集中力の違いと言って良い。むろん、元々の個人差もあるだろうが、大きな差異はやはり意欲(好奇心)、集中力と言っていいだろう。
 
 大人の記憶力は放って置いては身に付かない。努力が必要だと言うこと、そして何度も記憶した情報を使う、つまりリフレッシュすることで記憶が固定されてくる、そのためにには記憶した内容を理解し応用し、なにより呼び出す能力が伴って大人の記憶力と言える。
 
 ただいたずらに若い頃の記憶力が失われたと嘆かず、集中して必要なことをいかに効率よく記憶し、整理し、理解し、応用するかを考えた方がよい。
 
by ロクスケ


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○編集後記○

 ■急に寒くなりました。わたしも風邪を引いているのか居ないのか判らない状態で、寒気がしたりくしゃみをしたりし、あわてて着込むと治る状態を繰り返しています。季節の変わり目は誰でも体調を崩しますが、みなさんはいかがですか?
 
 ■今年は台風のせいで野菜が高値ですが、それでも一時の異常高値よりは落ち着いて来たようです。促成栽培、変形野菜の出荷、そして大量の輸入によるものでしょう。考えてみれば日本は私たちが考えている以上の経済力があるからこそ、このような回復が出来るのでしょう。
 
 ■未だに新潟中越地震の被害者は大変な思いをしていますが、幸い少しずつ回復してきているようです。昔は地震や台風というと千人、万人単位の死者が出てその影響は何十年も残っていましたが、今は比較的早期に回復します。これもまた日本の経済力によるものでしょう。やはり豊かだと言うことは良いことです。金さえあれば何でも出来るなどとは言いませんが、金さえあれば不幸を小さく出来るというのも事実であり、また精神的にも余裕を持てます。
 
 ■風邪気味で鼻水をすすり空の財布を眺めながら、ながら、なんとなく経済的に余裕があることは本当に大切なのだなぁと思った次第です。金は目的ではありませんが、手段としてはやはり大切です。生活の目標の中に経済的に豊かになることを欠かすわけには行かないとつくづく思ったわけです。ただし、その程度問題があり、またあくまで手段であることを忘れない必要はあるでしょう。 ★目次★


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