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          WING BRAIN メールマガジン第73号
          
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★目次★



■ 充電中                 MUSICA
■ ガラスの世界              みゆき
■ 記憶力 2               mogurin
■ 連載 第40回 ADHDは治るのか    ロクスケ

■ ○編集後記○
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■ 充電中                 MUSICA
(少し古い記事になったが、MUSICAさんが入院に至る前の出来事)

今年の2月から、実にハードな仕事だった。本当はまだ、解決していない部分もたくさんあるのだけれども、2億と言うお金をめぐって、業者ともやりとりしたが全然反省の色なく、結局1/3の額を支払った。業者は、実にずるがしこい。いざとなると、廃業してしまう。また、その業界の会長らとの話し合いの席でも「私らの生活もあるし」と言われたので、「申し訳ありませんが、私たちは、業者の方の生活を考えて仕事していません。適切な制度に基づいて、正当な支払いをすることしか考えていません。」と突っぱねた。業者仲間では、私は「鬼」と言われているらしい。あいつさえ居なければ、「こんなことにならなかった」ということらしい。一時は、殺されるかと思ったほど緊張関係が続いた。

 毎日、毎日残業が続いた。4月になって、私の経常業務をやってくれる人を付けてくれた。でも、ちっとも楽にならない。前例がないから、何事も手探りだ。法律の類もすべからく目を通した。4月から上級庁のキャリア組みの課長が転任してきて、私より年下なのだが「この人は仕事できるぞ」と思った。課長と私がこの問題に取り組んでいることが他の職員の妬みを招いたりした。女の多い職場は得てしてそうである。課長にも「みんな、課長に自分のこと見てもらいたいんですよ。だから、なるべく私も課長とはパソコンでのやり取りを主体にと思っています。みんなの目を引きますからね。」と言った。

 だが、そのうち、とうとう庶務のお局様に「徹底的に」意地悪をされるようになってしまった。もう、精神的にも肉体的にも限界に来ていて、休日出勤の代休は認めないの、出張へ行けば「そんな1日かかる仕事なんですか」と言われてしまうわで、とことん疲れてしまった。ここまで、露骨にやる人も少ない。そもそも、課長の命令がなければ、休日出勤も出張もいけないのだから、何の文句があるのだろう。

 さすがの私もへこんだ。同じ職場で、しかも縁の下の力持ちのはずの庶務に、抵抗勢力がいるのは、本当に仕事がやりにくい。

 この仕事は告訴や訴訟になりかねない問題だった。だから、私も必死だった。でも、業者が逃げている現段階ではもう襟首をつかんで警察に突き出すしかないのかもしれない。子供たちにも、多大な迷惑をかけた。毎日残業で3食職場で食べていたからだ。

 でも、とうとう私の中の電池がなくなってしまった。血圧が普段より30も下がり、十二指腸潰瘍になっていると思われ、鬱がすすんで、医者から言わせると「今にも自殺しそう」と言うことで、4週間休めと診断書を出された。

 でも、そんなに休んではいられない。ワーカーホリックだと言われようが、自分で発見した不正は最後まで自分で処理したい。次の人にはこんな思いはさせたくないのだ。そのために、いろいろと整備していかなくてはならない。課長もかなり勉強してくれているが、私の頭の中のデーターベースには追いつかない。課長はいろいろなほかの仕事もあるからだ。私がやらなくては、誰がやる??

 あと半年、ですべての制度的なことや、不正の調査などを行い、今年いっぱいで終わらせようと思っている。

 今は少しだけ充電期間だ。充電が終わったら、またフル稼働になるが、仕方がない。私は、仕事には「おしゃれでありたい」のだ。ただ、言われたことや従来のことをそのまま繰り返していたのでは、不正は横行する。

 by MUSICA
 
 
 


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■ ガラスの世界              みゆき
 わたしは趣味でとんぼ玉を作っています。とんぼ玉の歴史は古く、遥か4500年前の昔からエジプトやメソポタミアなど世界各地で創り始められた色模様のついた穴のあいたガラス玉のことです。古代では、蜻蛉玉は宝石以上に人々を魅了し、魔除けや装飾品などとして、高貴な方々に用いられました。

 とんぼ玉が欲しくて奴隷と交換したという話を聞いた時は胸がキュンとなって熱いものがこみ上げてきました。

 日本でも古墳から数多くの蜻蛉玉が発掘されており、江戸時代には日本人好みにあらゆる技法を凝らした玉が創られかんざし・帯止め・根付けなどとして、広く用いられました。また奈良の正倉院などにも古代の蜻蛉玉が現存しています。現代でも蜻蛉玉は、その美しさと不思議な魅力で、装身具や鑑賞用として、人々の心を捉え続けています。今でも職人の手で1つ1つ手創りされています。昔は今のような便利な道具はなかったでしょうから
その技術たるや大変なものだったと推測されます。

 小さなガラスの中に大きな夢や思いを封じ込めていきます。ガラスは生き物と同じです。そう簡単に言う事を聞いてくれません。ガラスを溶かすバーナーの火も然り。ガラスとバーナーに合わせていくしかありません。

 ご機嫌を取り損ねると、ガラスが解けすぎで歪みが生じ、後で割れの原因になったり透明なガラスの中に煤が入ってしまうこともあります。作る前にある程度のイメージは描いていますが、創っているうちに変わってしまったり また、アイデアがどんどん浮かんできて止まらなくなったりします。

 ガラスは創る時はとっても熱いです。真夏はアゴにアセモができます。なのにできた物は、どこか涼しげな冷たい印象さえ受けます。微妙な温度の違いや歪みで置いておくだけで、パキンと割れてしまうのにきちんと出来上がった作品は、落としたくらいじゃ割れません。本当にガラスって不思議です。

 わたしは子どものころから、ガラスが好きでした。これもこだわりのひとつなのでしょうか?これからもずっと好きだと思います。

by みゆき

 昔、仕事でニューヨークを訪れたとき、裏町を歩いていてトンボ玉だけを扱っている店を見つけました。そのころはトンボ玉のことを知らなかったので、何だろうという興味だけで入ったのですが、それほど大きな店ではないもののおびただしい種類のトンボ玉があり、しばらくずうっと眺めていました。
 
 知識がなかったので、いつ何処で作られたものかも判りませんでしたが、かなり古いものがあったし、おそらく日本や中国やヨーロッパで作られたものもあったと思います。また陶器製のものもあったと思いますが、もしかしたらそれもガラス製だったのかも知れません。
 
 値段が付いていたような気がしますが(当然ついていたんでしょうけれど)価格がどのくらいか全く記憶がありません。
 
 おそらく、わたしがトンボ玉に接した初めての事だったと思います。それ以前にももしかしたら見たかも知れませんが、意識していなかったのでしょう。なにしろ、数千種類とも思えるトンボ玉が並んでいるのは壮観でした。今もその店があるかどうかは判りませんし、店の名前や場所も覚えていません。
 
 あと、ヨーロッパで同じような店を見かけたと思いますが、その時は時間もなくまた他に気をとられていて良く覚えていません。あとから、じっくり見ておけば良かったと思います。
 
 私の住んでいる近くにビーズを大量に扱っている店があり、それこそガラス、プラスチック、金属、瀬戸物、角や骨、木や竹などありとあらゆる材料の大小のビーズがあり、用もないのに買ったこともあります。小さなビーズは今はやっているらしいですが、その店にはまるでトンポ玉のようなビーズもあり、結構良い値がします。いつも大勢の客でにぎわっていますが、ネットで調べてみると、トンボ玉というのはかなりフアンが居るようですね。でも、なぜトンボ玉と言うんですかね。トンボの目玉に似ているからかな。
 
from ロクスケ




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■ 記憶力 2               mogurin
 しかし、話かわって人類の記憶力の歴史をひも解いてみると、信じられないような記憶の超人たちが跋扈している。
 
 ギリシャ時代の詩人シモニデスは、大広間で大勢の観客を前に抒情詩の朗読をしていたが、私用で外へ出ることになった。ところが自分を呼び出したはずの男は来ていない。しかたなく朗読の続きをしようと広間にもどってみると、屋根が崩れ、みんなその下敷きになって死んでいた。ギリシャの建築だから石のかたまりが天から降ってきたことだろう。人間などひとたまりもない。死体の損傷がひどく、誰が誰やらわからなくなった。ところがシモニデスはその日来ていたすべての人の名前と席を記憶していたので、身内の者に正しい死体をひきわたすことができたという。
 
 古代ギリシャには弁論術というものが盛んで、デモステネス、クインティリアヌス、キケロなど著名な弁論家を輩出したが、聴衆の面前でいっさいメモを持たず、長文をよどみなく滔々と謳いあげるという厳しいものだったという。きっと、鈴木健二が特別番組の司会をするみたいに、客席をみながら身振りたっぷりに話したことだろう。
 
 当然、話す内容はすべて記憶していなくてはならない。そのために発達したのが、記憶するための技術だという。つまり、古代人は現代人よりもはるかに記憶力が優れていた。すかしガラスのモニターを見ながら、それに映し出される政策を棒読みする、今の政治家たちには逆立ちしてもできない芸当だ。
 
 グーテンベルグが活版印刷を発明するまで、書物というのは貴重品で、それを手にできるものは一部の特権階級に限られていた。聖書やコーランなどの聖典も筆写するか、頭に記憶するしか情報を伝えるすべはなかった。
 
 人々は大事なことは復唱し、暗唱し頭に刻み付ける、そういう習慣をもっていたことだろう。そういった人々の中には、聖典の内容をすべてそらんじ、次世代に伝えるという役割をになった聖典の生き字引がいたといわれる。彼らのおかげで古代の知恵は文書を介さず、口頭で受け継がれたそうである。グリム兄弟が童話を収集したときも、子供のころ親や親戚から聞いた話を、昔話として語ることのできるある女性の協力をあおいだらしい。彼女は数百の話をそらんじていたという。こういった記憶の達人は日本にも存在した。昔話や語りをなりわいとする語り部である。
 
 視点をかえて美術の世界では、1839年にダゲレオタイプ・カメラが発売されるまでは、映像データを保管するには紙にデッサンするか、頭に記憶するかしかなかった。17,18世紀のヨーロッパの画家たちはこぞってイタリアに遊学し、ルネサンスの巨匠たちの絵画や彫刻をデッサンして頭に刻みつけ、その形態を本国に持ち帰り、独自に発展させていった。
 
 西洋美術史の流れの中で、17世紀のイタリアは素描の超絶技巧の時代であるといわれている。つまり自然描写の能力が頂点に達したのだ。素描力はまた映像記憶力の問題でもある。映像の記憶力が弱いと、素描は上達しない。現代の画家、イラストレーターはリアリズムのスタイルで描く場合、写真を下敷きにトレースするものが多い。これでは記憶力の向上など望むべくもない。ミケランジェロの最後の審判の大壁画や、ルーベンスのマリー・ド・メディシスの生涯を描いた一連の作品など、あの信じられないほどの複雑さは、超絶的素描力と映像記憶力に裏打ちされたたまものだと思われる。結論を言えば、現代人の記憶力は古代中世の人々と比較してかなり低下している、そう思えるのだ。

by mogurin

 確かに記憶力が発達していると便利だとは思います。世の中には人間離れした記憶力の持ち主がおり、数分間眺めただけの景色を細部まで正確に画に描く人、10万年分のカレンダーを記憶している人、15才以降の毎日の天候を記憶している人等々。
 
 しかし、大抵は自閉症だったり、知的障害があったり頭部に怪我をしたりしたケースが多く、専門家によればそれらの状態により本来記憶をブロックしている脳の部分が壊れて、記憶が出来るようになったのではないかとの事です。つまり、人間の頭はわざわざ記憶を抑え、そして忘れる能力を備えたと言うことです。
 
 子供の頃の記憶力が大人になると失われるのは万人に共通の現象ですが、これは脳が衰えたのではなく、脳が発達するプロセスだと言うのであり、つまり高すぎる記憶力は人間の脳の正常な発達を妨げるという事でもあります。
 
 病的な物忘れは問題ですが、まあ日常生活にそれほどの支障がなければ、あまり気にしない方が良いのではないでしょうか。
 
from ロクスケ




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■ 連載 第40回 ADHDは治るのか    ロクスケ
 ADHDが知られ始めた頃、これは子供だけの病気であり、思春期になれば治ると言われることが多かったし、実際にそのように言う専門家も多かった。今では多少認識が変わり、生まれつきの脳の仕様であって、生涯治ることはないということが知られてきた。それでも未だ、子供だけの問題だと考える人は、一般だけではなく専門家の中にも居るようだ。その名残なのだろうが、ADHD対策と言っても子供対象が殆どであり、子供の教育をどうするかという問題がいつも前に出てくる。
 
 なぜこのような認識が長い間、そして一部には今もあるのだろうか。ADHDとは注意欠陥多動性障害の事であり、多動が一番目につく状態だからだろう。確かにこの子は少しおかしいのではないかと最初に親や教師が気にするのはその多動性故だろう。授業中でもうろうろ立ち歩きをしたりきょろきょろ落ち着かない様子が目を引くのだ。
 
 しかし、子供の頃そのような多動性を示した人達も思春期になればそのような多動性は影を潜める。実際私は大人になって会議中にうろうろ立ち歩きするような人を見たことがない。わたし自身そのようなことをしたことはない。
 
 ちなみに私の子供の頃は、授業中によそ見をしたり立ち上がったりすれば容赦なく教師のげんこつが飛んできたし、廊下に正座させられた。当時は教師の児童に対する体罰など当たり前だと思われていた時代だから、さすがにそう言う目に遭えば授業中の立ち歩きなどしないし、今問題になる学級崩壊なども無かった。教師の体罰が良いのではないが、子供のADHDが近年増えてきたという説があるのもそんなところに原因があると思われる。
 
 それはさておき、ADHDは知能には問題がないから、自分の問題を自覚することが出来、少しでも周囲との摩擦を無くする努力はする。必然的に大人になれば子供の頃のような多動性を自分で押さえ込むことが出来る。つまり、注意欠陥多動性障害の多動性とは自分をコントロール出来ない子供の頃の症状なのであり、それが無くなることでADHDが治ったわけではない。
 
 ADHDのもっとも基本的な問題はむしろ思考能力に関わっている。注意が集中出来ず、外界の刺激を排除出来ないという問題がADHDの本質なのだ。多動性はその結果の一症状に過ぎない。見た目にわかりやすい多動性が収まったからと言って、ADHDの本質が治ったわけではないことは、当事者が一番良く知っている。
 
 だからもし、自分のお子さんがADHDと言われても、大人になれば自然に治ると思っている親御さんが居たら、それは大きな間違いであり、どうしても子供の内に対策を立てておく必要があることを主張するものだ。
 
 ADHDは生涯治らない。ただ、自己規制により問題を抑えることはあり、その程度は人それぞれ、そして環境によりそれぞれだ。子供の頃ADHDで大人になってもその問題を持ち越すのは70%だと言われている。仮にそのデータが正しいとして(疑わしい根拠はたくさんあるが、ここでは触れないでおく)30%は問題を解決したように見えるわけだ。また、大きな才能に恵まれていたり環境に恵まれていてADHD的要素を負担に感じないで済む場合もあるだろう。しかし、70パーセントは生涯問題を抱え続けて行くことになる。

 問題を自覚しても十分改善出来るが、もし子供の頃に正しく対処していれば大人になっての改善も非常に楽になる。もし、これをADHDが治ったと言うのであれば、確かにADHDは大人になれば治るとも言えるだろう。
 
by ロクスケ


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○編集後記○
 ■月日の経つのは本当に速いもので、特に年輩になってからの時間の速さは驚くばかりです。ついこの間正月だと思っていたのに、もう師走です。時間の経過はむろん時計で表示されているようにいつでも何処でも同じはずですが、人によってその感じ方が極端に違うことは実感としてみなさんも感じているでしょう。
 
 ■例えば今日私はあさ起きて何をしたかと考えてみると、確かに色々なことをしているのですがそれでもあっという間に夜になったという感覚しかありません。色々なことをしていたときはそのことに集中していたのでしょうけれど、本当に意識していたかどうかは別です。むしろ、自動的に身体が動いていたのであり、意識レベルは低いのではないかと思われます。
 
 ■年輩になると時間の経過が早くなるのは万人共通であり、それは経験を積んだ結果色々なことが経験済みなのでそれほど意識を集中しなくても出来るようになった、そして新しいことに感動しなくなったために、意識レベルが下がっているからだという人が居ます。
 
 ■意識レベルが下がっていると言えば大変ですが、むしろ感動が少なくなっていると言うことでしょう。そういえば、今日朝起きてから何か感動することがあったかと思い返してみて、何も無いなぁと思い至りました。昔、子供の頃は何を見ても聞いても感動していたのですが。
 
 ■時間をもっと充実して感じられるように、感動する心を持たなくてはいかんとつくづく思った次第です。

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