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          WING BRAIN メールマガジン第74号
          
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★目次★



■ 鬱鬱的日常         mogurin
■ 愛される理由?        小町
■ 開放病院の恐怖         MUSICA
■ 思ったことを何でも言う子 他     ナオニャ
■ ADHDの色々なタイプ。これからも増える?

■ 
○編集後記○
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■ 鬱鬱的日常


 どうも、まずいらしい。長期間、実家に戻っていたのがである。のんびり田舎で仕事しながら、肉体と精神のリハビリをしようと、計画をたてていたのである。
 
 まずは朝の散歩、朝六時に起きてすぐ出発、Tシャツ一枚の軽装で、携帯とデジカメを持って早足で歩く。携帯は時間を計るために時計がわりに持っているのだ。一度など、発奮して五時過ぎに出発したこともあった。
 
 その時間だとまだ薄暗い、街灯もあまりない松山の郊外では、足元の判別もおぼつかない。国道沿いに歩いて、時折すれちがう車のヘッドライトが地面をなめるときに、まだ自分が歩道を歩いているのを確認するしか手がないのだ。
 
 これではあぶないので、時間をずらすことにした。肌寒い朝の空気の中、早足で歩いているとだんだん温まってくる、朝日が山の端からさし始め、空がいちだんと明るくなってくると、一日の始まりを感じ、なんだかいい気分だった。
 
 「規則正しい運動と食事、休息を取ること。陽の光をあびることがとにかく大事」僕のかかりつけの医者の忠言である。国道11号線沿いに毎朝一週間ほど歩いたあと、ルートを変え、川沿いの山道や田んぼのなかを縫う道にチャレンジしてみた。
 
 途中、柿の実がたわわに成っている農家の庭先であるとか、道端に咲き誇るピンクや白のコスモスとか、朝顔、パンジー、芋の葉、つる草、飼い犬、廃屋など、目に留まるものは何でも写真に撮った。
 
 小川で餌をあさるサギなどはいい被写体だった。白いやつと灰色のサギがいた。こわれたトラクターにつる草がまとわりついている光景も、面白いと思った。
 
 朝の7時ごろ、せせらぎの音を聞きながら山道を歩いていると、農家の主人が田んぼで作業をしていた。干草を集めて野焼きをしているのだ。白い煙が、稲を刈り取ったあとの田んぼから立ち上り、風に吹かれてたなびいている。老人は向こうをむいてクワを片手にたたずんでいる。遠景はわらぶきの民家、その後方に黒々とした愛媛の山々がつらなり、太陽が山頂から顔を出した瞬間、オレンジ色の陽光が天に走り雲の端をかすめる。雄大な光景にみとれ、思わずシャッターを切った。
 
 これらの画像はあとで、絵に描くための資料として保存しておくのだ。ひととおり歩いて写真を撮り、家に戻ってくるのが9時前後、ちょうど腹が減っている。玄関を上がってすぐにシャワーを浴び、着替えをして台所にいくと、朝飯が用意されている。メニューはいつも決まっている。味噌汁と納豆、漬物に梅干二個、それにごはんだ。
 
 時々前日の夕飯のおかずの残りが出ることもある。しかし朝はそれほど食えないので、残すこともある。うちの味噌汁はただの味噌汁ではない。野菜やきのこ、海草がたっぷり入ったうえに玉子がまるごと一個はいった、ごった煮とでもいうようなものである。それ一杯でたいがい腹がふくれる。
 
 母は合理主義というか、間に合わせ主義というか、あんまり躊躇しないタイプである。掃除洗濯料理と、とにかく何でも作業が早い。一日中、常に何かしている。「お前は何にもしない」とよく文句をいわれるが、僕が部屋のかたづけでもしようか、と思う端から母の手がのび、片付けてしまうのである。ゴミ箱が一杯になったから捨てにいかなきゃと思っていると、その瞬間を計ったように母が登場し、ごみをゴミ袋に移し変え、風のように去っていくのである。こちらが動くいとまがないのである。
 
 料理に関して言うと、早くてまずいのである。一度など、晩飯にシシャモが出たが、解凍したあとレンジで暖めたものらしく、生焼けで、さすがにもう一度焼いてくれと頼んだこともあった。でも作ってもらっているのだからそうそう文句は言えない。
 
 おおかためぼしい場所の写真を撮って、朝の散歩は三週間ほどでおしまいにして、あとは日がな一日二階の部屋でごろごろしていたが、それでも三キロちょっとダイエットできたのは、母の手料理のおかげと感謝している。まずいので食が進まず、結果として胃が小さくなったようだ。小食でも満足できるようになった。酒もほとんど飲まなくなった。父が酒を飲むなとうるさいからである。自分は若いころから浴びるように酒を飲んでいたので、酒の害をよく知っているというのだ。といいながら毎晩チュウハイをコップに一杯飲んでいる父である。
 
 お前は40過ぎていつまでもそんなことでどうする。年をとってふらふらしていて情けない。親戚の○○ちゃんはもう結婚して子供ができ、家を建ててりっぱにやっているぞ。それに比べてお前は…小学校からもいいっぺんやりなおしたほうがいいな。そんな両親の小言を聞きながら無言で夕食の箸をすすめるのだ。うーむ、だいぶ鍛えられる。
 
 田舎暮らしの目的は、そうそう肉体と精神のリハビリであった。長期にわたる東京のぐうたら生活ですっかり堕落し脂肪がつき筋力の低下した僕の肉体、鬱と緊張感のない暮らしのせいでまったくアホになった僕の脳みそをもとのレベルにまで引き上げるのが本来の目的であった。
 
 しかし、半分もいかず、30パーセント程度の達成だったようだ。いや20パーセントかもしれない。子供のころからのことをいろいろと思い出してみた。結局、高校時代に考えていたこと、特に趣味嗜好はほとんど今でもかわっていないようだ。若いころ興味をもっていたことは今でも好きだし、興味のなかった対象は大人になった今でも相変わらず燃えないし、そういった意味では、まったく進歩していないのかもしれない。
 
 ウサギの絵をかきためて個展でもひらこうかと、油絵の道具を買い揃え、F4のキャンバスに絵の具を塗りたくってみたが、突然何もかもおもしろくなくなり、途中で筆をおく結果になった。描こうと思えばいくらでも描けるけど何かが足りない。自分独自の視点である。今描いているのはただ対象をかきうつしているだけのコピーにすぎない。単なる現実の絵解き、図解だ。イラストだとそれでもいいが、絵画にはなっていない。肝心のものが足りない。そんな思いがつのってきたためである。
 
 何か、答えが見つかるかもしれないなどと、甘い考えではじめたのがまずかった。現実はそんなに甘くない。荒波さかまく日本海、鉛色の空、小雪まじりの刺すような北風。雄島と雌島に張り渡した一本の綱。その綱の上で綱渡りをしているやじろべえのイメージ。あっちにふらふら、こっちにゆらゆら。ちょっとでも足を滑らすと、奈落のそこへまっさかさま、ドボン。そういえば、僕はカナヅチだった。
 
 結論はこうだった。何か、継続して積み重ねられる価値のある対象物をみつけだすこと。仕事は下手をすると、生活手段の獲得だけに終始してしまうきらいがある。いや、仕事というものはおおむねそうだ。世間の需要に自分の考えを従わせ市場のニーズを受け入れることだ。そうではなく、何か、ライフワークのようなもの。テーマ。小さく言えば、自分だけの創意工夫。

 by mogurin


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■ 愛される理由?


あなたは、動物や子供にじーっと顔を見られたことがないだろうか。あるいは見知らぬ土地や電車の中で、突然知らない人に話しかけられたり、親切にされたりしたことはないだろうか。

 実は、私には結構ある…というか、日常的にこういう事が起こるのだ。例えば、私の自宅のご近所は犬を飼っているお宅が多いのか、通勤の行き帰りに犬を散歩されている方が割に多い。可愛いねーと想いながら目を向けると、あのつぶらな目がじーっと見返すのだ。すれ違ったあと、振り向きながら歩くワンコさえいる。
 
 犬に限らず、散歩中の飼い猫も野良猫でさえ、こちらが見ていることに気付いたら、私の顔を凝視する。警戒のためではないことはその雰囲気からわかるので、しばらく見つめ合ってしまうこともしばしばだ。これは、赤ちゃんや小さな子供にもいえることで、電車の中、街中、ふとした拍子に目があった子供たちは、じっと私の目を見返して、時には手を伸ばしたり笑いかけたりしてくれる。
 
 こちらが笑顔になったり手を振ったりすると喜んでくれるし、もちろん悪い気はせず、とても嬉しい気持ちになるのは間違いないのだけれど。どういったわけか、友人たちの間でも、こういったことは私だけのようだ。自慢ではないが、比較的コワモテと評される私の外観からすると、警戒したりひるんだりしても良いようなものだが、そういったことはほとんどない。

 さらに、とても気さくに話しかけれられたりするのは一体どういう訳なのか。例えば数人で遊びに出かけていて、シャッター押してください、といわれるのは何故か決まって私だし、新幹線の中で突然隣の人に話しかけられるのも私である。

 動物や子供に好かれるのは、きっと同じ生き物だと思われているからだとか精神年齢が低いのがばれるのだとか口の悪い友人たちは冗談を言うが、全く不思議で仕方がない。嫌われるよりはずっといいしもちろん嬉しいのだが。よく、動物も子供も自分に向けられる愛情に敏感だと言うが、一概にそれが理由とも言い切れないから、いよいよ不思議である。

 何故か私の面識のあるADD/ADHDの方には、私のように小さな子供や動物に愛されるタイプの方が意外に多い。これは、ADD/ADHDの方のある種の特殊能力ではあるまいか、と最近半ば冗談で疑っている次第である。

 by 小町

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■ 開放病院の恐怖


 AD/HDによる過集中により、半年にわたって月々50ー100時間も残業し、ダウンしてあちこちとたらい回されて、ある精神科開放病棟に5ヶ月おりました。

 開放病棟では、突っ張り棒は、本人の治療より不必要なものだったらしく、あとで、外しておいたのに、気が付かないばかりか、そのために、強制退院となりました。

 ついでにAD/HDということで、きちんとした知識もなく、退院云々の話が出てから、看護師長から「あなたの部屋(個室)時々臭いのよね。」との発言があり、これは、私の人格を傷つけました。「どんなにおいですか?」と聞くと「納豆の腐ったようなにおい」・・・・。「あのー、私納豆食べてますけど。今度からビニールに包んで捨てます。」要するに、「納豆か何か食べた?」と聞かないところを見ると、私が何かを腐らせていると初めから先入観をもって話しているわけです。

 AD/HDの私の大の苦手とする片付けも、私としては、このくらいで何とかいいんじゃないかと思っていましたが、看護師たちの毎日の「片付けろ攻撃」、看護師長の「AD/HDと聞いたから、一緒に片付けましょう。」が面白くなく、当然のことですが、顔が暗くなってしまうことにより「あなたって、時々ぷいと顔を背けるのよね。そうすると、看護婦だって人間だから、あなたに対して、不愉快な思いをするのは当然ですよ。」と、私のせいになる。
 
 洋服を買ってくると、「物を買ってこない」「捨てなさい」「物が多すぎるから部屋が片付かないのよ」といろんな看護師に毎日のように脅迫的に言われる。
師長に「こんな汚くちゃ、生活衛生上とても許せないわ。退院してもらうほかないわ」

 仕方がない、じゃあ、洋服を突っ張り棒でハンガーでつろうと突っ張り棒を取り付けると、看護師長が、真っ赤な顔で怒鳴り込んできて「あんた!!何考えてんの!!ここはあんたの自宅じゃないんだからね。こんな、勝手なことしてもらっちゃあ、こまるのよ。なにこれ!あたしはここに14年勤めているけれども、こんな患者初めてだわ。これを取らないかぎり退院だわ」私も「あんた」呼ばわりした看護婦は初めてですわ。

 ということで、先生は特に取れとも言わなかったけど、「師長に病棟の管理は任せてある」と言っただけ。だから、師長にそういう権限があるならお任せします。」と言ったら、次の面談で私の方から退院を申し出たところ「私は師長の言っていることが正しいと思います。」とのこと。所詮、医師など病棟の師長と喧嘩をしたら、損なわけで。

 で、「十分な看護ができずに申し訳ない。」と謝っておきながら「退院はいつ?」と聞くと「いつでも」と言うので、散々考えた挙句に「今日退院します」というと、看護師が「あのー、もう先生帰っちゃったので、先生と面談しないで退院って訳には行かないので、明日一番に先生と会えるようにしますから。明日退院にしてください。」「今日の面談でもう退院は許可されました。明日までいると言うことは、部屋代の9450円また払うと言うことですよね。嫌です。任意入院であり、主治医の退院の許可もあり、そちらの都合で多くのお金を払いたくありません。」と無理やりに退院。どうせ強制退院のようなものですからね。「でも、会計が・・・」何は忘れても金は忘れない。「そんなもの、払いに来ればいいでしょう。」

 と、いうわけで、今日自転車を取りに行き方々、会計を預かり金から返してもらって(預かり金以下だった)、4階病棟に行くと、主治医に遭遇。私のことは無視。主治医に、AD/HDはこういうことで、セルフエスティームが落ちる、従って、看護師長がやっていたことは、鬱の患者に対して、「がんばれー」と声援していることと同じ、精神的には、ここの入院はマイナスになった。ここの病院は、開放とはいえ、精神病院だから、看護婦達が上から患者を見下ろして、ああしろ、こうしろ、という構図になっており、たいへん非近代的な治療であるとしたためた手紙と、保険同人誌にのった「おとなのAD/HDーA44枚」を主治医と看護婦に渡す。

 主治医が無視したことで、やはり看護師長をなんとか上級機関から指導させることを決意。

保険屋から、AD/HDは精神疾患だから保険は一切出ないとの連絡あり。

精神科開放病棟はかように怖いところでございました。

by MUSICA

 大変な目に遭いましたね。わたしの持論ですが、病院という場所は病人にとって最悪の環境であり、そのもっとも悪しき例がMUSICAさんの体験ではっきりしたと思います。
 
 それにしても保険屋の「AD/HDは精神疾患だから」というのは大変なことです。一般の認識とはこんな物だとつくづく思いました。AD/HDは精神疾患ではなく、脳の機能障害です。いわば、脚が悪い、目が見えないようなものです。
 
 折から発達障害者支援法が国会を通過しました。まだまだ不完全で、これから充実してゆくことを望みますが、基本的に発達障害についての知識の普及にもっと力を注いで欲しいと考えます。
 
from ロクスケ

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■ 思ったことを何でも言う子


 先日来年社会人になる子と話をする機会がありました。
 
 その子はとにかくハイテンションで自分の心の中で思ったことを何でも口に出す子でした。それが、自分のエゴのことばかりや人を批判するものだったり・・・。周りの人たちは閉口してしまう子です。

 学生の時は好かれもしないだろうけど、親の保護のもとにいる上に、まだ子供だからとなんとか社会生活が出来るだろうけど、社会人になったら大変だろうなぁ。と思いました。
彼が何かの発達障害を抱えているのかは知りません。ただ、年齢的には心に思ったことを口に出すのがギリギリ許されるかもしれない年齢です。年を重ねるごとにだんだん変わっていくのでしょうか?いつか彼も気が付く日がくるのでしょうか?

 そんなことを思い、また自分自身がADHDと知る前、通院を始める前はどうだっただろうか?今でも思ったことが結構口にすぐ出てしまうときがあります。でも、一度心の中でワンクッション置いていることを意識できることもあります。でも、知らなかったとき、私自身、彼と同じように他人に不快な思いさせていたかもしれません。心がマイナスの時はマイナスな言葉しか出てきません。これは他人に不快にさせます。傷つけます。

 今後、自分が思ったことを何でも発してしまい今以上に留めることが出来なければ、心の状態を良い状態に保ち、人が聞いて嬉しくなるような言葉を発して生きたいと思いました。

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 今年を振り返って来年の目標を立てる

 私には一回りとちょっと上のライフコーチがいます。年末になると、今年の目標の達成度と来年の目標を立てることをします。とはいえ、気の変わりやすいADHD、目標はいつでも更新されます。
 
 1年を振り返ってみると割合と進歩している気になって来ます。このとき、鬱になるような題材は頭の中から忘却するのを忘れずに。そして、来年チャレンジしたいことや達成したいことそしていつまでにするか。これを考えてゆくのは案外楽しいものです。

 自己啓発系の本には結構こういうことが書いてあります。別に、最初は計画を立てなくて良いんです。したいことを書いていって、一番夢に近いことに注目して、その夢の一歩手前の状態になるにはどうするかを考えていき段段現実に近づけていくと、結構可能かも?と思えてきます。手順がわかるからですね。

 私の来年の目標はまだ出来ていませんが、今年の目標はいくつか達成できていました。その達成できたことに注目すると自分が成長したんだなぁと実感できて、心も軽くなります。お勧めの心の療法です。

by ナオニャム

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■ 連載 第41回 ADHDの色々なタイプ。これからも増える?


 前回の「ADHDは治るのか」にもちょっと関連がある話題。

 もともとADHDの出現率は定説がない。男女とも1,2%位というのが本当のところだろう。しかし、この統計もアメリカでとられたものであり、日本ではまだはっきりしたことは判らないのが現状だ。なにより、ADHDに対する取り組みの歴史が違う。おそらく日本はアメリカより20年は遅れているのではないだろうか。
 
 日本でADHDのことが知られ始めたのはせいぜいこの3,4年来のことだろうが、それもアメリカからもたらされた情報であり、そのころはADHDに就いての本と言えば殆どアメリカの本の翻訳物だった。
 
 そのアメリカでの統計がまだ様々な結果になっていて、ADHDの出現率がはっきりしないことになるのだが、取り敢えず全人口の1%位と言うのが本当ではないかと思える。むろん、全人口と言うことは年齢性別に関係なしと言うことだ。
 
 しかし、日本ではまずADHDの診断が出来る専門家が殆ど居ないことから、誰がADHDで誰がそうではないかを区別出来ず、したがってADHDの出現率などの正確な統計が取れるような段階になっていないと言うことだ。
 
 アメリカの統計がそのまま日本に当てはまるかどうかは判らないが、常識的にはそれほど違わないのではないかと思える。従って、日本でも1,2%程度くらいかと思うが、日本の場合様々な数字が出ていて、1,2%、5,6%そして20%位という専門家も居るらしい。
 
 なぜこんなにばらつきが出るのだろうか。ひとえにADHDの診断が難しい事が理由に挙げられる。ADHDといえば、本質的な障害として注意の集中が出来ない、意識が瞬間的に飛ぶ、周囲の刺激を遮断出来ないなどが挙げられるが、その結果、時間を守れない、人の話をきちんと聞けない、物事をやり遂げられない、金銭管理が出来ないなどの社会生活上の困難が生ずる。
 
 この社会生活上の困難が有るからすなわちADHDだとは言えない。約束を守れない、人の話を聞かない、金銭感覚がだらしない人など世の中には沢山居るし、それも程度の差であって全くこういった問題とは無縁な人も居ないだろう。
 
 こういった、いわばだらしなさは躾、環境、性格、トラウマ、鬱など様々な原因で生ずるのであり、ADHDが原因とされるケースはそのうちの一部であるはずなのに、経験のない専門知識のない医師であればこういった問題を抱えている人をADHDだと診断してしまうことになりかねない。
 
 また、近年少子化で子供時代に人間関係の作り方を身につけられなかった人、ゲーム、テレビ、パソコンにかじりついてやはり社会生活の技術を学べなかった人、子供をきちんと躾られない親などがふえ、これらの問題を抱える人が増えてきていることが指摘されていて、それがADHDは増えてきているという見解にもつながっているのではないかと思える。
 
 結論として、ADHDが増えるという事はないだろう。正確にどのくらいの割合でADHDが居るのかは知らないが、時代と共に、また文化や国によってADHDの出現率が変わることはあまり無いと思える。
 
 何が原因で社会生活上の困難が生ずるのだとしても、それを自覚したら治すしかないのであり、ADHDであるかどうかなどはあまりこだわることではないと思える。それを踏まえた上で、正しくADHDと診断がつくのであれば、それの対処方法もより明確になるので、診断が無駄だと言うことではない。

by ロクスケ


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○編集後記○

 ■ おかげさまでとにもかくにもことし一年メルマガの発行を途切れることなく定期発行が出来ました。これもひとえに購読をしてくださる方々のおかげと、WingBrain委員会メンバー一同心より感謝しております。本当にありがとうございました。
 
 ■ ことし一年を振り返ってみると、とにかくついこの前正月だったのになぁという感慨が先に来ます。そして様々な異常気象や地震など、日本にとってはまさに厄年だったようです。世界的にもイラクやアフガニスタンなど様々な問題が持ち上がり、明日はどうなるのかますます見えにくくなってきました。
 
 ■しかしそれでも明日は来るのであり、今日よりも良い日にするためには今日の内にその準備をしておかなくてはなりません。来年も必ず来るのであり、そのためにもことしどれだけのことが出来たかを考え直して見る価値は十分にあります。
 
 ■来年になったら季候の良い時期を選んで、一度オフ会でも開いてみてはどうかなどと考えています。もしみなさんにオフ会について何か良いアイデアが有ったらメールでお寄せ下さい。
 
 ■とにかく、ことしも後少しです。みなさん、ことしも良い締めくくりが出来ますように、そして良いお年を迎えられますよう。
 
 
 今号の画像はメンバーのBunny_Labさんの処で生まれた子猫です。 Bunny_Labさんの処の子猫 でご覧下さい。

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