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          WING BRAIN メールマガジン第81号
          
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★目次★


■ 自殺願望と長生き願望           MUSICA
■ 友人のホームページ 1          mogurin
■ 漬け物色々                ロクスケ
■ 連載 第48回 心の体操          ロクスケ
■ ○編集後記○
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■ 自殺願望と長生き願望


 最近、よく書店で「自殺したい人をどう救うか」と言った類の本がよく売られている。事実、インターネットを通じてひとりではなかなか実現できない人が集まり自死を遂げる人がの記事を新聞で良く見かけるようになった。
 
 私などは、ADHDの人生の中にやはり内包されているセルフエスティームの低さ、あるいは親からの愛、あるいは友人との関係などなど数え切れない場面での自己否定が存在していて、普段何気ないときは顔を出さない「生きるのに疲れちゃった」現象というのは、時に本当に衝動的に私を襲う。すでに身についてしまった、内なる抑うつ状態というのは、自分でもコントロールに余りあることがある。
 
 だから、自殺する人の気持ちがわかると言うものでもないが、こんな世の中では暮らしにくいよなと思うものである。 ところが、全く逆に「死にたくない。老齢化を防ぐためには何でもする。」と言って止まない人も片やいるわけで、そういう人たちには、テレビの1000歳まで生きられるようになるだの、長生きの物質発見だの、こういう食物が老化を防ぐと言った情報収集に余念がない。
 
 死ぬのが怖いから、ご飯なんか長生きするためのものしか食べない、と言う人もいるのだ。癌も早くなくなればいいと思うが、老衰を越えてまで生きようとするには、それなりに人類の世界全体の設計が必要になるはずだ。
 
 病気で遺伝子操作ができるようになって、難病の人が長く生きられるようになるのはすばらしいことだ。長く生きても、痛くてつらいのでは意味がない。 なんだろう。死は生と同じに、等しく人々に与えられたものだと信じて来たことが、何十年か先には違ってきてしまうのかもしれない。
 
 そう考えると、私は時折ふと消えたくなる自分の身の置き所がなくなってしまうように思える。 昔、手塚治虫の「火の鳥」の中の一冊に、悪いことをして絶対死なない体になった男性がいて、その人は大人になり年をとりまた若返って赤ちゃんとなることを永遠に繰り返しするという話で終わっていて、赤ちゃんになって自分で動けなくてのどが渇こうが、海に転落しようが絶対に死なない不死が罰として与えられた一説を思いだす。
 
 その男性を愛した女性が志願して、その惑星の死なない樹となり赤ちゃんの時のその男性の世話をすることにしたのだが、死なないというのもとても怖い気がする。 せいぜい、自分に与えられた人生の長さをまっとうするくらいのつもりで、「死」も考えていかなくては、科学の進歩で生きながらえるだけというのも、私には辛い気がする。

 by musica
 
 
 さまよえるオランダ人というワグナーの歌劇があり、元々はハイネの小説を基にしたとのことです。しかし、その小説も元々は中世ヨーロッパの伝説だとか。主人公のオランダ人は神の罰を受け永遠に生きなければならないのですが、これが罰として与えられているところがみそです。
 
 永遠の時間に耐えられるほど人間の精神はタフではないと言うことでしょうか。仮に肉体の若さが保たれても精神の若さを保てるものか、仮に保つとしたらそのために多くの物を捨ててゆかなければならないはずで、それなら長く生きている理由がないとも言えます。
 
 死を理解し恐れるのは人間だけですが、だからこそ人間は限られた人生を価値のある物にしようと努力するのではないでしょうか。
 
 とにかく、長生きするのはすばらしいですが、健康に長生きし天寿を全うしたいとは思います。
 
 from ロクスケ


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■ 友人のホームページ 1


 友人が「漫画家アシスタント物語」というホームページを開設した。gooホームページのトップからキーワードで検索すれば、すぐに出てくる。
 
 彼は某有名漫画家のアシスタントをしている、しかもかなり長い。どのくらい長いかというと、本文中にも彼が書いているが26年である。完全に漫画制作プロダクションの社員として働いている。
 
 そのアシスタント生活26年の思い出を、写真やイラスト、文書でおもいのたけを綴ったものである。けっこう面白いので、興味のあるかたは覗いてみてほしい。本人のことは、僕もよく知っている。漫画家志望でずっときて、そのままプロダクションに居座ってしまった。自分はどうして漫画家になれなかったのだろう、そういった思いを書いている。いってみればぼやきである。
 
 映画は僕の10倍くらい、本は僕の5倍くらい、ゲームにいたっては僕の20倍くらいやっているだろう。なにしろ40代で、ゲームのやりすぎが原因のてんかんをおこして救急車のお世話になったくらいの男だ。好奇心旺盛で凝り性、睡眠時間は僕の半分、知性も教養も僕の数倍はあり、経済観念もしっかりしていて、漫画に対する情熱は人一倍、そんな男がなぜ漫画家になれなかったのか?
 
 ここでひとつ定義をしたい。漫画家、小説家、画家、などいわゆるクリエイターとよばれる仕事は実は職業ではない。それはサラリーマンや弁護士や医者、役人、公務員といった肩書きのある職種とくらべてみるとよくわかる。虚業、実業といった分け方をすればあきらかに前者のほうである。○○会社の製品管理部門の鈴木ともうします。といえば名刺を渡された人は、ともかく納得してしまう。○○会社という六本木にある高層ビルと鈴木さんがイメージの中で同一視されてしまうからだ。
 
 しかし漫画家です、と言えば、そのひとがいつもテレビに出ている顔の売れたタレントでもない限り、そうですか、どんな作品をおかきですか?とくるだろう。会社というバックがないので、肩書きだけでは何の実在感も感じさせないのだ。クリエイターは作品を作らないと、しかも作り続けていないとクリエイターとはいえないのだ。
 
 よく自転車操業という言葉があるが、これがじつによく当てはまる。自転車はこいでいるあいだはスイスイ動くが、こぎやめるととたんに失速して倒れてしまう。つまり作品を作り続けることがクリエイターとしての必要条件なのだ。そして作った作品が世間に認められることが十分条件であるといえる。だから「なぜ漫画家になれなかったのか?」は「なぜ漫画を描き続けること(クリエイターとしての必要条件をみたす)ことができなかったのか?」といいかえることができる。

 ひとつは彼の勤務するプロダクションの、待遇の良さに原因があるのだろう。「うちは、世間の冷たい雨風をしのげる避難所、いつもぽかぽかと居心地の良い温室のようなところだ」と本人も言っていた。彼の同僚などは「いやあ、今週は忙しかったよ、週に四日も働いちゃったよ、いつもは三日なのに…」「世間は週休三日で驚いているけど、うちはずっと前から週労三日だからね」といった具合であった。昼頃に出勤して、食事をとり、あとは銘々の分担のページをもくもくと仕上げるだけ、テレビをみたり、ラジオをきいたり、ジュースを飲んだりしても自由。徹夜はなし。その日のうちに出来るぶんだけやって、あとは翌日回し。食事はすべて支給される。


ー続くー



by mogurin





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■ 漬け物色々


 なんと言っても冬は漬け物の季節であり、わたしが子供の頃は冬になると母と祖母が大量の漬け物を作っていました。当時は冬にはあまり野菜がなく、漬け物が重要な保存食だったのです。
 
 寒冷地だったので塩分はかなり少なく、時には漬け物がかちんかちんに凍っていましたが、それをお茶請けにしておやつにすることもありました。とにかく薄味なので大量に食べても塩のとりすぎにはあまりならなかったのかも知れません。
 
 量も半端ではなく、大根など100本、200本単位で買い、荒縄で梯子状に編んで軒下に吊しているのは何処の家でもそのころはやっていました。白菜も車に一台二台とまとめて買って近所で分配したり大人数の家ではそっくり買うことをしていました。つけるのは当時は専ら四斗樽という木の樽で、それをいくつも納戸に持っている事があったようです。
 
 さて、前置きが長くなりましたが冬につけていたのは、大根の鉈漬け、つまり軽く干した大根を鉈で刻み、つけ込んだ物で、鉈の切り口のギザギザが漬かりを良くしたようです。
 少量のニンジン、昆布、スルメ、唐辛子などを入れますが、少しだけ取り分けて塩鮭や身欠きニシンを入れていました。切り込み漬けで、これは非常に美味でした。先日紹介したものです。
 
 あとは白菜漬け。単に塩で漬けた物で、真冬はかちかちに凍っていました。
 
 いまはせいぜい白菜反玉を刻んで、薄い塩、鷹の爪、昆布、ショウガと混ぜ、漬け物容器でつけて食べています。わたしの場合、発酵した物しか漬け物と認めていないので、最低3,4日おいて酸っぱくなってから食べます。乳酸は腸の中で悪玉細菌をやっつけ、町内環境を整えますので、食物繊維の摂取と相まって、是非発酵した漬け物をとってもらいたい物です。
 
 あとは、大根を良く洗い、皮付きのままスライサーで2mmくらいの厚さに切り、1%未満の塩、鷹の爪と混ぜて漬け物容器でつけます。一時間もすれば水が上がってきますが、食べようと思えば食べられます。そんな状態の時は少しだけ取り出し、良く水を絞ってからサラダオイル、酢、胡椒で味付けをし、なんならお湯で戻したワカメなどと混ぜてサラダ感覚で食べるなどもいけます。3,4日経ってちょっと酸っぱいかなぁと思う程度が一番歯ごたえも良く、塩分の殆どが水分に出てしまうので、塩分の摂り過ぎもあまり気にしなくて良いでしょう。
 
 大根葉、大根の皮を刻んで塩でもんで食べるのはポピュラーですが、わたしはあまり好きではないので、やりません。しかし、大根の葉を刻み、塩でもんでから電子レンジで軽くチンし、炊きたてのご飯にシラスなど、あるいはおかかでも良いですが、混ぜると、緑色が綺麗な大根菜飯が出来ます。
 
 そんなわけで気軽に漬け物を楽しんではどうでしょうか。わたしはキムチや粕漬け、蕪の糀漬けなども以前はやりましたが、今は時間のかかる物はやりません。ぬか漬けも挫折したままです。いまは五月になると出来合のぬか床にキュウリや大根、ナス、キャベツ、蕪、ミョウガ、ニンジン、セロリ、ピーマンなどを漬けて食べていますが、秋になるとぬか漬けは食べなくなりますのでぬか床もそこで処分します。
 
 あと、鰯のまとめ買いをしたときは、塩漬けにしておいてからぬか漬けにしてもう10年以上保存してある物があります。ものすごくしょっぱいですが、お茶漬けにするとまことに美味です。
 
by ロクスケ




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■ 連載 第48回 心の体操


 最近頭の体操がちょっとしたブームで、100枡計算とか音読の為の本などが非常に売れているようだ。それはそれで非常によいことであり、従来年をとれば頭の働きが弱くなるのは当たり前と考えられていたのが間違いだと分かってきたからだろう。
 
 実際加齢とともに判断力や記憶力が衰えるように見えるのは、諦めて鍛えることをしていないからであり、頭は体と違って年齢に比例して機能が向上することはあっても一方的に衰える物ではない。体だって、鍛えることで運動能力や各種機能を若いときと同じように保ったり若返ったり出来る。頭は体以上に鍛えることで能力アップ出来るのだ。
 
 さて、次に考えたいのは心の機能UPだと思う。
 
 世の中には常人にはとても想像のつかない苦労を克服して偉業を成し遂げた人が居る。ヘレンケラー女史やスティーブン・ホーキンス博士などは大変なハンディを持ちながら大変な業績を上げているのだから、多少のハンディキャップで不平を言っていては罰が当たるという訳だ。しかし、現実にはそれは精神力の問題だろうと思われる。
 
 体力に人それぞれのレベルがあるように精神力も人それぞれだ。100メートル歩いてへたる人もいればトライアスロンで優勝する人もいるのは日頃の鍛錬が違うからだ。かつてわたしは長期入院をしていたことがあり、退院した直後は100メートルどころか10メートル歩くのも大変だった。しかし、それではまともな生活が出来ないので毎日歩き、最終的には毎日数キロのランニングをやるようになって、当時は本当に体力の黄金期だった記憶がある。
 
 精神力も同じ事が言えるのではないだろうか。自分の心の強さを無視してあまりに負荷をかけると萎えてしまい、失敗し、そしてどうせ自分には出来ないとまた自己嫌悪に陥る。
 
 やはり、心も鍛える必要があるのだと思う。若い内の苦労は買ってでもしろと言われるが、それは若い内は心も柔軟であり苦労を乗り越えやすいのだから、苦労を積極的にして多少のことではへこたれないようにすべきだと言うのだ。
 
 苦労をわざわざするのが良い心の体操になるかどうかは分からないが、なにか方法があるのではないだろうか。体の体操だって、なにも体をいじめて負荷をかけるのが良いのではなく、適度な休憩と十分な栄養をとる必要がある。だから仮に心の体操があるとして、やはり適度な休息と栄養分が必要なのではないかと考えられる。想像だが、良い栄養分とは、音楽や文学など心を豊かにする物ではないだろうか。それから達成感、安心、幸福感などがあると思う。そのためには、趣味なども必要だと思える。
 
 休憩とは何も考えないことなのだろうか。どうもそうではないような気がする。どなたか、心の体操として有効な方法を御存知かあるいは思いついた方はご連絡いただければ幸いである。

by ロクスケ


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○編集後記○
 ■ それにしても、日本は本当に災害列島ですね。つい先日中越地震があったと思ったら今度は九州の大地震で、時間が経つに連れその被害が報じられてきました。今の所は無くなった方も一人で、中越地震などに比べれば被害は小さいと思いますが、それでもその少ない被害にあった方々にすればやはり一生を左右する災害であったわけで、心よりお見舞い申し上げます。
 
 ■ 日本に住んでいる以上、同じような災害は明日にも来るかも知れません。わたしは東京在住ですが、やはり東京近辺で大型地震が明日起こっても不思議ではない等の報道もあり、心配になります。地震が来るとすればそれはどうにもなりませんが、そんな災害でもどれだけの確立で生き残れるかが問題でしょう。それが昼間のことか夜のことか、家にいるときか出かけているときかでその危険性が大きく変わります。半分以上は運なのかも知れませんが、よほどの事がない限り死にはしないだろうと言うのが結局納得しているところです。備えは必要ですが、あまり心配のしすぎもどうかと思いますし。
 
 ■ 今年に入って一度ひどい風邪を引き、治ったと思ったらすぐに又弾き直しました。つくずくからだが弱くなっているのだと痛感した次第で、自然災害で命を縮めるより病気の方がよほど体に悪いと思い直しています。
 
 ■ 体を鍛えなければならないとはいつもいつも思っているのですが、明日になったら始めようと思うのもいつものことです。やれやれ・・・
 
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