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          WING BRAIN メールマガジン第82号
          
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★目次★



■ あわや火事                  MUSICA
■ 友人のホームページ 2           mogurin
■ 気になる言葉遣い              ロクスケ
■ 連載 第49回 長寿時代  100歳以上が2万人を超えた
                ロクスケ

■ ○編集後記○
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■ あわや火事
 
 
 今日は、子供達は誰も帰って来ないので、さーてもう寝ようと、ベッドにするりともぐり込んだ。すると、なんとなく日向臭いにおいがする。なんだかうっすらとするので、「うーん、なんだろう?」と思いながら、布団を掛けて電気を消した。

 「はっ!」と思い出して布団を蹴飛ばして飛び起きた!!。
「そうだ。そういえば、さっき、テレビで映画を見る前に新じゃがを、弱火で鍋に掛けていたのだった!!。もう水がすっからかんになくなっているはず。もしや、火事になっているか?」

 階段を急いで駆け上がっていく。すると2階のほうがやはり、臭いがきつい。やばい!と思いながら台所に入っていく。でも、鍋からは煙もでていない。あら???と思いながら近づくと、それでもやはり鍋は焦げ臭かった。蓋を開けようとすると、くっついて開かない。ふきんで思いっきり力をいれて開けた。すると、これがじゃがいもでなくてさつまいもだったら、ちょうど石焼芋くらいのできあがりになっている。
 
 鍋が何重かの構造になっているものだったので、なんとうまくできてしまった。鍋の中自体は多少やはり焦げてはいるものの、ジャガイモは十分に食べられそうだ。
 
 腰がぬけてしまった。
 
 ジャガイモを食べる元気はもうとうになく、蓋を開けて冷ましてから、階下に下りてきた。火事になっていなくて良かった。使ったコンロのとなりのコンロはてんぷら用でさらに安全設計になっていて、一定の温度以上になると勝手に消えてしまう。こうやって、生活が便利になると、ある日、だらけた拍子に火事に見舞われてしまうのだ。
 
 特に、ADHDの私は、こういうことをすぐに忘れてほかのことに没頭してしまい易い。本当に危ない。今日はいい教訓にして明日からは引き締めて台所を使おうと決意!

by MUSICA

 このようなことはわたしもたびたびやっていました。最近は無いようですが、何度も危ない目にあって火を使っているときは側を離れない事を鉄則にしているからです。どうやら、側を離れるときは無意識に火を消すことが癖になっているようで、こうなるまでに鍋をいくつも駄目にしましたし、火事になりかけたこともあります。
 
 今のガス台は火が消えるとガスが止まるようになっています。しかし、大昔都市ガスだった頃、吹きこぼれて火が消えたままガスが出続けていた事があり、これは命に関わるかねない出来事でした。
 
 今、とにかく火の側を離れない、仮に電話がかかってきたり誰かが来たときでもほんの1分でも離れるときは火を消す。これをくせにするしかないようです。
 
 同居人がいるときは火をつけたまま平気で側を離れ、頃合いになると様子を見に行くのを不思議な思いで見ていたものです。わたしはほぼ100%忘れていましたから。
 
 ところで、わたしは電気炊飯器で煮物を作りますが、これは寝ている間に色々な物が出来ますし、安全ですから、お勧めします。
 
 from ロクスケ

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■ 友人のホームページ 2  
 
   これで月給手取り30万も40万ももらって、年金保険もきちっと会社が払って、年二回の長期休暇にボーナスもあって毎年昇給もあって、慣れた背景描きの仕事をするだけだからストレスはなくて…とこれではやめたくなくなるのも道理というもの。  
 
   彼の同僚など余った金の使い道にこまり、パチンコや風俗にはまったり、ブリキのおもちゃやフィギュア、写真集、古本漫画の収集道に走ってしまい、床から天井までコレクションで埋め尽くされるようになった。別の先輩などマンションを買って外車を乗り回していると聞く。この温室効果によってハングリー精神が摩滅してしまったと見るのが妥当なところではないか。

 つぎに、クリエイティビティーにおける感動の問題。クリエイターは自分の感情、感覚を偽ってはならない。よくものに接してうけた感動を表現しなさいと作文の時間に先生にいわれました。が、しかし、このことはすべての創作の基本ではないかと思う。  
 
   感動ってなにも涙をながすことだけではなくて、自分の気持ちにひっかかること、疑問点、怒り、いらだち、悲しみなんでも同類だと思うけど、なにか問題が解決できないことがあるから絵なり文章なりで表現するわけです。すべて問題が解決済みで、隅々までクリアにわかっていることは表現する意味がない。
 
 わかっていることをさもわかっていないように表現するのはハリウッド映画的一種のごまかしで、見る人がみたら見透かされる。よくリメイクの映画作品が駄作なのはこのことが原因です。
 
 この自己を偽るのは第一の罪として、そのあと、いくら表現技法に凝っても砂上に楼閣を築くような悲惨な結果になる。素人の作品がときに驚くほど説得力があるのは、かれらが無知で、新鮮で、感動が本物であるから。
 
 こんなに下手なのになぜこんなに売れているのだろう、という疑問は、作者の内面を見せてもらえば納得いくと思う。彼らは本気でそれを作っているはずです。その情熱がみるものに伝わる。へたに知識があると、創作の足を引っ張る。批評家の自分がしゃしゃりでてきて、作っているそばからああでもないこうでもないと、ぶつぶつ言い出す。すると創作家の自分は萎縮していやになってしまう。
 
 創作においてはだれかが何か魔法の方程式をもっていることなんてないんです。編集者は雑誌の売り上げを上げることしか考えていない。読者は電車の中でおもしろい憂さ晴らしをすることしか考えていない。作家がある時偶然いい作品が描けても、次に同じことをしたら駄作になる。つまりそのつど新しいことをしなくてはいけない。感動を発動させるために。
 
 といったいろいろな原因が考えられるけど、まず彼は「漫画家アシスタント物語」なるホームページを開設し維持するエネルギーと根気があるのなら、その力を自分の漫画作品の制作に注ぐべきではないかと思う。本人には耳の痛いことかもしれないけど。

 by mogurin


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■ 気になる言葉遣い

 言葉というのは時代により少しずつ変化をしてくるものでそれ自体は自然と考えて良い。時代が進むに連れ、新しい概念が出来てくるし、沢山の外来語が入ってくる。したがって、その理由により日本語が変化してゆくのはきわめて当然だし、また自然に言葉が変化してゆかなければその時代感覚に沿った表現が出来なくなる。
 
 ただし、でたらめに言葉が変化して良いとは思わない。まず多く指摘されるのが敬語の使い方が最近はでたらめで、きちんと教育されていないということだ。何処の国の言葉にも乱暴な言い方と丁寧な言い方の区別はあるが、日本語のように罵倒後から尊敬語、謙譲語などさまざまなバリエーションがある言語は無い。しかし、例えばきちんと敬語教育を施されていると思われるメーカーの相談窓口や苦情処理係の敬語でも時々何を言っているのか分からないひどい言い回しがある。
 
 「お名前様をうかがってもよろしいでしょうか」、などはまだかわいい方で、「その信号の方がマシンの方にうまく伝わっておられないと思われますので、もう一度コネクターをきちんと差し込んであげて、試してみてください。」などと言われると、あんた何人?と訊きたくなる。ちなみに、正しくは「その信号がうまくマシンに伝わっていないと思えますので、もう一度コネクターをきちんと差し込んで試してみていただけないでしょうか」位だろう。
 
 前に、大学の卒業生から教授に礼状が来て、その末尾に「草葉の陰から先生のご冥福をお祈りいたします」と書いてあったという話を聞いたことがある。今はまだ正しい敬語の使い方を知っている年輩者がいるからこういう言葉遣いがおかしいという話題になるが、もし今後何十年も経って全員が敬語の使い方を知らなくなったら、おそらく敬語は消え去り、日本語の一つの美しさが失われるのだろう。敬語は身分社会の遺物だとか、形式に縛られた悪しき言葉だという人も確かにいる。しかし、敬語は礼儀であり、人と人との関係をなめらかにする。言葉には思いがこもっている。敬語は要らないと言う人に、敬語を使いこなす、そして敬語を聞き慣らすことでどれだけ日本語が豊かになっているかを感じて欲しいと思う。
 
 あと、無意味なカタカナ言葉。これは虫酸が走るほど嫌いだ。もちろん、そのまま日本語になりにくい言葉はやむをえないだろう。デジカメ、パソコン、クーラーなどはもう外来語とも言えない言葉だが、これを無理して日本語にする必要もないだろうし、デジカメをデジタル写真機と言い換えても、デジタル自体に日本語がない。
 
 100年ほど前、日本が盛んに欧米から新知識を取り入れたとき、福沢諭吉や西周などは新しい日本語を沢山作り、それが今では普通に使われている。経済、経営、会社、経理、資本、株式などなど、現代生活でそれらがなければ会話が出来ないほどだ。そしてそのような漢字で表した日本語が中国に輸入され現代中国語の70%が日本語からの外来語になっている。中華人民共和国のうち、人民、共和国(共和は古い中国の年号とたまたま同音だが意味が違う)が日本語だ。同じような事が今の日本ではおきないのだろうか。せいぜい、自動車がカーではないくらいで、ボンネット、ハンドル、クラクション(全て和製英語)エンジン、クラッチ、ブレーキと全てカタカナだ。何とかならないかと思うし、CMなどを見ていると純日本製と思われるのは海苔、うどん、味噌、醤油しか思いつかない。
 
 何とかならないものだろうか。
 
ばい カタカナ嫌いのろくすけ


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■ 連載 第49回 長寿時代  100歳以上が2万人を超えた


 日本人の平均寿命は11年連続で82才で世界のトップであり、これは大変なことだ。世界にはスワジランドのように平均寿命が35才のところもある。単純に言えば日本人はスワジランド人の2倍半の人生を生きていることになる。むろん、平均寿命と言っても、国によっては乳幼児の死亡率が異常に高かったり5才まで生きられない子供が20パーセントもいることがその短さの主原因だが、それにしてもやはり高齢で健康な人間の数もやはり日本の方が桁違いに多い。
 
 高齢者が増えた事で高齢者特有の疾病が増えてきた。骨粗鬆症やそれに伴う骨折、そして寝たきり、白内障、認知障害などが問題になっており、実際に年輩者の多くが、長生きをしたいのではなく死ぬまで健康でいたいと思っている。わたしも、高齢者の自覚はないがやはり死ぬまで自分で何でも出来る状態でいたいし、自分で判断出来る状態でいたい。
 
 昔は年をとったら心身共に弱るのが当たり前、と考えられていたが最近は考え方が変わってきた。心身共に鍛えることでその年代の最良状態を維持出来るのであり、不健康な30代より健康な60代の方がよほど体力も知力も上だと言える。
 
 人間の体とは貯金のような物で生まれたときのままから単に使うだけだと一方的にへるし、無くなるときもある。しかし、補充しながら使えばその減り方は極端に遅くなるし、場合によっては増やすことも可能だというのだ。
 
 今までになんも書いたが、体の健康を保つには適切な運動、適切な食事、睡眠、呼吸、姿勢などを心がけるのと心がけないのでは長い間にはとんでもない差がつく。例えばタバコを吸うのと吸わないのでは癌にかかる確立が年齢と共にその差が開き、20才からのヘビースモーカー50代も過ぎる頃にはすわない人に比べ癌にかかる率が3倍以上になると言う。同じく、深酒を何十年も続けた人の健康状態は適度な量の人に比べやはり極端に落ちるし肉食ばかり続けた人も同じ事が言える。
 
 知力も、長い間本も読まず物事に興味を持たず学ぶ姿勢や好奇心を持たないで居た人の頭の固さは、学び続けた人と比べれば大人と赤ん坊(がんこな赤ん坊)ほどの差が出る。
 
 だから、仮にからだが健康で寝たきりにならなくとも頭の状態が寝たきりになるのならやはり同じ事だ。
 
 前号で心の体操の事を書いたが、やはり精神力や喜びを感ずる心、感動する心もそれを心がけてきた人と、漫然と過ごしてきた人では大きく違うだろう。やはり、寝たきり心の人は居るようだ。
 
 結局、人間の健康とは、体、知力、そして心の三つがそろっていなければ不十分だろうし、一つ欠けていれば他の二つがあっても喜びや幸せを感ずることは出来ないだろう。つまり、長寿を楽しむなら若い内からこの三つを向上させる努力は欠かせないという結論だ。
 
 
by ロクスケ


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○編集後記○

■ 毎回同じ事を書くようで気が退けますが、本当に月日の経つのは速いですねぇ。今年ももう3分の1が過ぎようとしています。考えてみれば昨年末中越地震があり、今年に入ってインド洋自身と大津波があり、そしてつい先頃福岡地震がありました。
 
 あまりに色々な出来事が重なっておりその印象が強いので時間が経っていないような気がしますが、やはりそれなりの時間が経っているのです。
 
 ■ この時期に今年の反省をするのはいくら何でも早すぎるとは思いますが、しかし、毎年年末になってから反省してもそれは遅すぎるのであり、やはり折に触れて反省することは大切であり、いまこの3分の1年を振り返るのも無駄ではないかと思います。
 
 ■ もっとも、今までの3分の1年は冬から春にかけてであり、多くのADHD当事者にとってあまり良い季節ではありません。わがWingBrain委員会メンバーも春はどうも不調のようですし、わたしもそうです。なんとか、春が過ぎこれからやっと1年が始まるかなという気もします。
 
 ■ 正月も晦日もいわば人間が決めた区切りであり、出発や開始はいつでも良いはず。そう言う意味では、今日までの事を考えまとめ、明日から始めるのも当たり前に出来るはずで、結局はいつも反省、いつも出発という事でしょうか。
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