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          WING BRAIN メールマガジン第号
          
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★目次★



■ 若いだけがとりえ                  キャサリン
■ 棚からぼた餅                   みゆき
■ 幼稚な子供                    MUSICA
■ 英会話に浸りまくり                MUSICA
■ 連載 第52回  料理の勧め            ロクスケ

■ ○編集後記○
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■ 若いだけがとりえ


 20代の頃、スナックでバイトしたことがあった。一人だと不安なので年上の友人と2人で応募、面接した。私の目的は専ら、好奇心と金儲けだった。友人は労働組合のようなところで働いていて薄給だったので、もっと、せっぱ詰まっていたはずだった。ところが、ボーイフレンドに反対されたことを理由にドタキャンし、私一人がバイトするはめに。私は、怒り、まともにその怒りを友人にぶつけてしまい、アパートで食事を作ってくれるほど親しかった友人と分れることになってしまった―友人の方が私を許せないくらいに怒ってしまったというわけだ。この類の失敗は、若い頃にはよくやった。

 まっ、というわけで、荻窪駅付近のスナックで働き始めた。裏通りの場末だ。が、4畳半か6畳くらいしかない小さな店にママのほかに数人女性が働いた。ほっそりして、きれいな3・40代の女性がナンバーワンだ。客あしらいといい美貌といい場末っぽくない。もう一人やはりきれいでプロっぽい人がいた。他に、新人らしく地味な衣装で、田舎くさい女性がいた。ニューフェースでカラオケがうまいし、若いということもあって、結構人気があった。歌の点でも、私は太刀打ちできない。

 最初は、若いだけのとりえの私でもフロアに出された。ところが身なりが立派な、いかにも会社役員風な男性二人を接客した時だ。そのうちの一人が、 「やあ、新人か。鼻がでかいね。」と、いきなり言い放った。もちろん、私は言い返した。以来、カウンターの中から出してもらえなくなった。よく、首にされなかったものだ。

 その後は、氷を割ったり、グラスを洗ったりして過ごしていた。 ある日、カウンターにふらりと一人の男がやってきて、ビールと餃子を注文した。金とは縁がなさそうな男だ。女性たちは見向きもしない。後で聞くと、ビール1本でねばるから、もう来てほしくないとのことだった。 その男、私を見てこう言った。 「えっ、こんなかわいい子(私のこと)いつからいたの。」「かわいいな。」と、繰り返した。 その男はその後何度かやって来ては、ビールと餃子を注文してねばった。
 
by キャサリン







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■ 棚からぼた餅


 わたしは自宅で細々とんぼ玉を創っています。
 
 とんぼ玉とは、遥か4500年前の昔からエジプトやメソポタミアなど世界各地で創り始められた色模様のついた穴のあいたガラス玉のことです。古代では、とんぼ玉は宝石以上に人々を魅了し、魔除けや装飾品などとして、高貴な方々に用いられました。
 
 とんぼ玉が欲しくて奴隷と交換したという話もあります。

 日本でも古墳から数多くのとんぼ玉が発掘されており、江戸時代には日本人好みに、あらゆる技法を凝らした玉が創られかんざし・帯止め・根付けなどとして広く用いられました。また奈良の正倉院などにも古代の蜻蛉玉が現存しています。

 現代でもとんぼ玉は、その美しさと不思議な魅力で、装身具や鑑賞用として、人々の心を捉え続けています。今でも職人の手で1つ1つ手創りされているます。わたしがその創りての一人だなんていたら恐れ多いですがわたしなりにど素人と言い続けてはや5年になります。

 今回、島根のある作業所にとんぼ玉を収めていた作家さんが値上げを言い出し、値段の折り合いがつかないと、わたしにその仕事がまわって来ました。1個700円で月に20個ほどで儲けは薄そうですがコンスタントに納入できそうなことと、何より自分の作品が売れること。わたしの作品がどこかで売られて、誰かがそれを買ってくれて、身に付けてもらえたら..なんて思うと、とっても嬉しいです。

 単価が安いからとか数が多いからといって私の作品として買ってくださるのですから、絶対に手を抜きせずがんばりたいと思っています。

 今まで創ったり創れなかったり創らなかったり。準備したり片付けしたり..なんて考えるとどうしてもやる気がうせてしまってあんまりやらないから、なかなか上達しない。よくあるパターンですがそれでも、投げ出さず続けてきてよかったと思います。
 
 神様っているのかなぁ?

by みゆき









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■ 幼稚な子供


 長男が、19歳になって父方の祖母のうちに行った。祖母に頼まれたということだが、いっしょに祖母のベッドにはいったそうだ。それを聞いて、私はとても驚いた。常識的に19歳という年齢で、果たして祖母と寝るだろうか。幼稚としか考えられない。いい男が、おばあちゃんのおっぱいを吸うわけではないのだろうが、そんなことをする神経がわからない。

 このことを、長男はおかしいと思わない。私は呆れてしまった。長男は「どーれ、そんなにおかしいことなら電話して聞いてみよう」と私の実家に電話した。すると電話にでた私の父は「それはちょっとおかしいよ。」と答えたようだ。19といえば、父は戦争の訓練に明け暮れていたころだ。私の知り合いも19にはもう自活していた。そういうものだ。

 私の育て方が悪かったのだろうか。しきりに反省してしまう。だが、どうも子供が幼稚化しているようにしか思えないのだ。少なくとも、19には私はもうりっぱに自立していたし、もっとも大学の学費は親に払ってもらっていたが、毎月当時3万円親の家に入れていた。

 それまで居丈高にしゃべっていた長男も、私の父に言われてさすがにトーンダウンした。普段の生活でも長男が擦り寄ってくることがあり、少々心配していたのだが、祖母とこういうことがあると全く持って嫌になる。

 他のうちではどうだろうか。少なくとも次男はそういうことはない。これが、ADHDがらみの後遺症でなければよいのだが・・・。これが、長男に彼女ができない理由のような気がする。

by MUSICA





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■ 英会話に浸りまくり


 ADHDだからこんなにこりまくるのか、いったん始めた英会話にはまりまくっています。一日2レッスンは受けていますし、週2日はフリートーキングのレッスンをそれぞれ3レッスン受けています。一日1レッスンだと物足りないという気持ちになってしまう。疲れていても、億劫でも、眠くても一度レッスンをすると、もう一度レッスンをしたくなってしまうのです。

 だからといって、まだ1ヶ月たっていないので目に見えてすごく会話がうまくなっているとは思えない。第一にボキャブラリーが不足しています。テレビでのレッスンが6月から受けられるので、そうするとボキャブラリーの特訓を受けることができます。それまで、ボキャブラリーは保留。

 昔、英会話をある外人宅で受けようと思ったことがありました。でもそのお宅は、伺ったらなんとなくトイレが臭いんです。で、あ、これはだめだと。そんなの理由にならないのでしょうけれども、要するに決心が固くなかったんでしょうね。

 会社でも英会話のビジネス用の研修を2回も受けさせてもらいました。一回約10日間に渡ってです。まあ、その間仕事を休むわけですから、職場としてはいい迷惑なわけですね。でも、いざ外国人が来ると「頼む!」とヘルプが来るわけです。おまけに自分のセクションでない仕事でも外国人が来ると呼ばれてしまうのです。一度などは、坂を歩いて10分のところに出張していて、ヘルプの電話がかかってきて、仕方がない、隣のセクションのお助けマンではせ参じたら、お金を払いたいから単に請求書を切ってくれということだった。まったく、そこには有名私立K大学の卒業生なんかもいて、「なんでそんなこともわかんないんだい!?読み書きはできるんだろうから、書いてもらえばいいだろうが!」と内心かなり立腹したものである。K大学やW大学なんかあるいは京都の国立K大学なんか出ていても、ちっとも役になんか立ちはしない。レベルの高い大学って卒業しても、なにが役に立っているのかなあ。

 場合によっては、外国人の苦情まで他セクションのものまで聞いてやる羽目に陥るのです。全く持って不条理であります。

 でも、英語ができるっていいなって自分では思うのです。通っていると、高校生といっしょだったりしてがっかりするけれども、それでも彼らは一番下のクラスからだんだん上がってきたのであって、私は今のクラスにすんなり入った。今のクラスはレベルは高いほうで、あと1クラス上に上がるともうその上がまだ開講されていないほどだ。

 楽しみである。こういうことは老後に取っておこうと思っていたけれども、記憶力がまだ衰えていない今のうちにやっておくのもまたよしと思う。それに、講師によっては、その国のADHD事情も教えてくれたりする。非常に興味津々である。


by MUSICA

 過集中タイプMUSICAさんの面目躍如ですね。わたしはとにかく何にでも食いつきすぐに飽きるタイプでうらやましいと感ずるときもあります。わたしも一応は英語が読み書き話し聴き出来ると自負していますが、集中して勉強したと言うより、いつの間にか何とかなったという感覚ですね。もともと好きだったので色々な言語をかじりましたが、何とか仕事でもプライベートでも使えるようになったのは英語だけです。
 
 今でも仕事中はラジオでAFNをかけっぱなしにしていたり、テレビの字幕映画をかけ放しにして観ていないなどを何となくやっていることで耳は慣れているのでしょう。
 
 わたしの場合は集中しての勉強は苦手です。
 
from ロクスケ





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■ 連載 第52回 料理の勧め


 私は時々このメルマガに料理の記事を寄せているが、料理は私にとって趣味というより生きてゆくための必須技術だと言える。むろん、場合によっては趣味として楽しみもするが、なにより外食嫌いの私にとって欠かすことの出来ない要素と言えよう。
 
 いつ頃から料理を始めたか覚えてはいないが、おそらく5才くらいで味噌汁など作っていたと思う。当時は男子厨房に入るべからずと言うのが普通だったかも知れないが、私の母は積極的に私に料理をやらせていたようで、野菜を刻んだり洗ったりなどは結構やらされたし、わたし自身まったく普通にやっていた。もともと好きだったのだろう。
 
 当時は冷蔵庫や電子レンジはむろん、ガスも炊飯器も無いし、食材は自分の家で作る野菜、毎日買ってくる食材が中心で、それを七輪一つでやるわけだ。ご飯は1日一回炊くとしてそれで味噌汁と焼き魚くらいがあれば調理は終り。あとは、漬け物や塩辛い常備菜で食べるのが普通だったから、料理と言ってもそれほど複雑な物はない。
 
 煮物など作るとしても多少味を濃くして保ちを良くして2,3日食べるなどをやっていた。結局、当時の日本人に普通に言えたろうがかなり塩辛いものを食べていた。ところが、何の因果か、わたしは味の濃い物が苦手で、味噌汁は薄目、お浸しは醤油なし、漬け物は私の分だけ水につけて塩出しをしていた。家中普通に塩辛い物を食べていたのに私だけ、どういう訳か薄味で、それは今でもそのままだ。だから、外食をしてもまず味が濃すぎて駄目で、結局自分で薄味の物を作って食べることになる。そんな事をもう50年以上も続けているのだから、かなり手慣れているのも当たり前で、今も毎日自分で作って食べている。夕食でも支度には20分程度以上は掛けないで、5,6品の物を作る。
 
 むろん、極端な薄味で、私の作ったものを食べた人は開口一番、味がない、と言う。そうだろう。お浸し、納豆、刺身など殆ど醤油をかけないか、1,2滴だけだし、味噌汁は透き通ってお椀の底が見える。漬け物も大好きだが、薄塩なので発酵して酸っぱくなっている物を好む。私は十分に味を楽しんでいるのだが、人には味がないと思えるらしい。
 
 おかげさまで塩分過多はなさそうだし、それと子供の頃からの食習慣でほぼ和食しか食べない。過剰な動物質脂肪のとりすぎはまず無い。なにしろ、肉類は月に一回食べるか食べないかであり、タンパク質は魚か大豆タンパクが主だし、毎日発酵食品をとり、結果として菜食が主であり、糖尿病や高血圧にはならないようだ。肥満はどうしてか悩んでいるが、菜食主義者のジャイナ教徒にも肥満は多いし、結局食べ過ぎなのだろう。
 
 話が大分逸れたが、自分で料理をすることで外食に多い脂肪や塩分のとりすぎを防ぎ、野菜不足を免れ結果として大いに健康に役立っていると自分では思っている。それに、支度に大体20分くらい、後始末に10分くらいだから、外食をするより時間の節約も出来る。例えば今日の夕食で、私はご飯(むろん20分の調理時間中に小鍋で炊いた)、自家製漬け物3種、コンニャクとワカメのぬた、マグロの照り焼き、小松菜の炒め物、切り干し大根と油揚げの味噌汁を食べた。昨日はお焼きを食べた。
 
 豪華絢爛のディナーなど食べることは無いが、結構充実した食生活だと自分では思っている。体が覚えているので、殆ど何も考えずにこのくらいの物は作れる。やろうと思えばかなりの物でも2,300のレパートリーはある。
 
 主婦の皆さんは毎日やっているだろうけれど、もし一人暮らしなどで外食に頼っている方がいたら、ぜひ自炊に切り替えることをお勧めする。ストレス解消になる。一番のメリットは、栄養バランスやカロリー計算などを十分に取り入れた食事が出来る。
 
 
by ロクスケ


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○編集後記○

 ■ 編集後記と言っても毎回何を書いて良いのか迷うことが多々あります。むろん、単に書くだけなら私は子供の頃から習慣にしていますので別に何の抵抗もなく、ごく自然に頭の中に浮かぶ文章のままに手を動かせばそのまま書けます。しかし、何かの目的を持って書く場合は、ただ書き散らせばよいと言う物ではなく、それなりに考えなければならないわけで、それが難しいところです。

 ■ 実は今回も例のように思いつくままに書いた編集後記があったのですが、読み返してみたら単に私の健康管理の話で面白くも何ともなく、書き直すことにしました。で、ここまで書いてみて、じゃあ、書くということを取り上げてみようと思いつきました。

 ■ 先に書いたように、わたしは子供の頃から書くことが好きで文字を覚えた頃から何かを書き付ける習慣がありました。おそらく母がそのようにし向けたのでしょうが、当時は新聞の折り込み散らしなどを母が綴じてくれて、それに鉛筆で文章や絵を描いていたのが今に続いているわけです。

 ■ 書くというのは最近ではさまざまな効用があると知られてきていますが、私はそんな効用など意識もせず好きで書いてきて、たしかに大きな効用があると実感しています。まず、元々考えをまとめることが苦手な私が、自分の考えをまとめるのに文章を使う方法がじつに効果的で、それをずっとやってきたことがあります。文章のうまい下手はそれこそ才能にもよるのでしょうが、書き慣れることで苦にもならずまとめることも出来るようになります。

 ■ 短い文章でも常に書く習慣をつけてはどうでしょうか。わたしは、例えば日記をずっとつけていましたが毎日の記録ではなく、毎日何を考えていたか何に感動したか、あるいは全くの創作などをノートに書いていましたし、父親に数年間にわたって毎日裏表にびっしりと書き込んだ葉書を送っていた時期があり、父が亡くなったとき遺品を整理したら私の葉書が日付順に整理されていて、全部で2400通あったのを、自分でも驚いたものです。しかし、そういった習慣が何かしら私の頭の老化防止に役立っていると信じています。

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