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          WING BRAIN メールマガジン第93号
          
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★目次★



■ 紫陽花(アジサイ)             MUSICA
■ サングラス                 キャサリン
■ 端っこの席            MUSICA
■ 連載 第60回 継続は力なり 2       ロクスケ


■ ○編集後記○
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■ 紫陽花(アジサイ)


 今日、西友にいくと、がく紫陽花を売っていた。大きな青い花が2輪ついていて、なんともしぶい。食べ物を買いに行ったのでどうしようか迷ったが、つい買ってしまった。帰りは大荷物である。

 がく紫陽花は、竹のようなもので編んだ籠の中に、さらに黒いビニールの入れ物に入れられている。家に持って帰ると、早速、玄関の横の畳半畳しかない庭の片隅を掘って籠から出して、ビニールもはずし、植えてしまった。

 うちの庭はこれだけしかない。私は、たったこれだけしかないから、建築士と建築屋から寄贈されたはなみずきの木以外にもいろいろと植えたくて考えていたのだが、元夫ははなみずきの周りを丸く土を残して、後はレンガをおき、レンガの周りは砂利を買ってきて埋めてしまった。しかも砂利は、買ってきたときに重くて一度に運べず、確か3回くらい店と往復して買ってきたのだ。

 でも、あきらめきれず、山に行ったときには20センチくらいのもみじを水に浸しながら持ち帰り植えたら、見事に根づいてくれた。今は高さが1mにも達していて、秋には赤く紅葉してくれる。眺めがなかなかよいのだ。これははなみずきと至近距離にあるので将来がちょっと不安である。また、はなみずきの下には、今はベゴニアを植えている。これが繁殖したら楽しいなと思う。

 紫陽花は、それらとは離して、家の下のほうに植えた。紫陽花が根づいてくれたら、いくつも花が咲いてくれるに違いない。そうしたら、嫌な梅雨の季節もちょっぴり楽しみになるかもしれない。

 それ以外にも、直径が50センチほどしかない円形の土のところにはいろいろな植物が咲いている。前に一度はバラが咲いたのだが、バラとしらない祖母が刈り取ってしまった。また、あちこちから種がふってくるらしくて、土が見えないところにも葉が生えている。私はどうやら緑がないと生きていけないらしい。半畳の庭だが、心の憩いの場所になっている。だから座り込んで暗くなるまでいじっていたりするのだ。

by MUSICA


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■ サングラス

 MIB(Men in Black)という映画をご存知だろうか。その主人公たちやアメリカ大統
領のシークレットサービスたちがかけているあの濃い色のサングラス。これがかっこ
いいと思い、それをかけてよくドライブしていた。夏になると太陽がまぶしくて仕方
ないこともあった。その後、サングラスをかけてばかりいると日光に弱くなると言わ
れて、徐々にサングラスをはずすようにしたら、結構なれてきた。

 現在は、かけないで昼間、運転していると、眠くなるので薄い紫色のをかけてい
る。値段が高ければ、薄くても眩しくない。

 まあ、余談はともかく、主人の実家が富山なので、高速道路を何時間もかけて、高
速道路をドライブすることが多い。関越道は道もきれいでトンネルも少ないのだが、
上越道に入るとトンネルがめちゃめちゃ増える。普通、トンネルに入るとライトをつ
けるのだが、点けて前が見えない。それでも、トンネル2〜3本は、がまんして走っ
ていたのだが、とうとう故障したライトに我慢できず、パーキングエリアに入って、
駐車し、ライトを点検した。ライトは見事に点灯した。その後、初めて、濃いサング
ラスをしたままトンネルを通過していたことに気付いた。

by キャサリン



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端っこの席


 電車にのると、どうも端っこの席はいつも開いてないなあと思う。人間の性質なのか、なぜか端っこの席があくと、座りたくなってしまうのだ。私も、端っこの横に座っているとつい端が開くと席を移動してしまう。
 
 ところが、最近端っこの席は実に座り心地が悪いことに気が付いた。多くの人が座るので、席が凹んで硬くなっているのだ。これには笑ってしまう。
 
 電車によっては、端っこをつくるように工夫しているものもある。全部長い席にしないで、途中で何箇所か柱を入れたり、区切りを入れたりして端を作るのだ。これは、長い席だと7人がけなのに6人しか座らないなどの防止にも役立つようだ。ただ、体の大きな人には少々気の毒だ。

 しかし、なぜ端っこの席がいいのだろう。私などは今職場の席が端っこで、周りが見渡せず、どうも閑職席だと自分では思っているのだが、電車の席だけは違うのだ。よく眠れるということもあるのかもしれない。(爆)

by MUSICA

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■ 連載 第60回 継続は力なり 2


 前号で継続は力なり、だけれども自分には継続する能力がないので、興味の湧いたときに一気に身につけ、もし興味が薄れてやる気がなくなったらそれ以上深追いしない、と書いた。
 
 実は続きがあったのだ。自分でも、それは言い訳ではないのか、逃げではないのかという思いがいつでもあった。人間は何かのプロフェッショナルにならない限り生きてゆけない。自分の売り物になる技術があって初めて収入が得られるのが基本だと考えているからだ。そこで、わたし自身を振り返ってみて、自分が絶対に人より優れている技術とは何だろうと考えて、実は無いのではないかと思い至った。
 
 私は色々な物に興味もを持ち、その意味で好奇心は子供の頃と同じと言っていい。全く衰えを見せず、色々な物に飛びついてはすぐに飽きることを繰り返してきた。短期間に集中してやる物だから、そこそこ覚えてしまい、覚えてしまう頃には飽きるのだが、あくまでそこそこにしか身に付いていない。素人としては器用と言うレベルだろう。
 
 ただ、主として人間関係を作るのが苦手だったのが理由だが別に飽きっぽいという理由でずいぶん転職した。また転職しても新しい仕事を割合早く覚えることが出来たからだとも言える。
 
 しかし、どう考えてもこれだけは人に負けないというレベルに達した技術がない。それでも飯が食えてきたし、今でもなんとか食えるのは何にでも首を突っ込み非常に多くの物を少しづつ身につけてきてそれらを組みあわせる能力が身に付いているためだろう。
 
 わたしは新しい機械を作ったりしているが、試作品だと全部自分で作らなければならない。その為には金属を削ったり磨いたり切断したり、そして組み立てる技術が要るがそこそこ出来る。むろんそれだけを何十年もやってきたベテラン職人の足下にも及ばないが、試作レベルでは何とかなるし、どうしても自分で出来ないところだけを外注すれば済む。その前に設計し、図面を引かなければならないがそれも出来る。今ではCADを使うが、必要に応じてCADの操作を自分では全く苦労した記憶のない内に覚えた。
 
 電気関係の設計もするし、電子部品を組みあわせての設計もやれば製作もするし、それを動かすコンピュータソフトも自分で組める。ただし、最先端の技術ではないし、むろん専門家と比べるレベルではないが、試作には十分だ。原理的に確認出来れば、あとは量産時に正式に専門家がやることだからだ。試作にこそ最先端技術と思われ勝ちだが、そうでもない。実用品は鉄を使う部分でも試作品ならプラスチックや木材を使う事もありでそのような製作技術もある。
 
 通常、これらはその専門家が分業でやるし、また量産する場合の型の起こし方、修理の仕方、既製品をいかにうまく使うかなど生産効率を立てて作る。型を使うのは量の多いとき、量が比較的少ないときはNC加工、鋳造にするか切削にするかなど同じ物を作るにしても要求される数量や性能により作り方を変えるがこれもそれらに対する技術がなければ設計出来ず、以上のことを私は一人でやる。
 
 大口を叩くようだが、それぞれが専門家の足元にも及ばないレベルながら、一応出来、そしてどう組みあわせればよいかが分かるのも、私が様々なことに手を出し、少しづつ身に付け、そして今でも新しい問題を苦にしない質だからだ。これは、わたし自身はADHDによるものだと思っている。
 
 私は一芸に勝れた職人にはなれなかったが、それも私の特性故だと思っている。場合によっては、継続は力と考える必要もないと思っている理由を今回は詳しく書いてみた。

by ロクスケ


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○編集後記○


■ 私はおそらくこのメルマガを読んで下さっている方々より年輩だと思います。それは購読申し込み時の年齢もさることながら、ネットやコンピューターそのものに対する見方の違いからそう思うわけです。別の言葉で言えば諦めているのでしょう。
 
 ■ 仕事関係でも友人関係でもつきあいの多くは大体私と同年齢ですが、パソコンを触ると言う人に会ったことがありません。ネットなど怠け者のやることだと公言してはばからない親父などに出会うと、同年齢でありながらなんだこの糞親父、と反発を感ずる次第です。パソコンを学ぼうという意思も持てない怠け者のくせに、と内心思いながら、まあ、面倒くさいですからねぇ、とお茶を濁しています。
 
 ■ おそらくそう言う人たちは、パソコンやネットなど全く概念的に受け入れられず、なにか大変なことを覚えなければ入り口にも立てないと信じているかのようですが、むろん、とにかくやってみようという気持ちが、もうその年になれば湧かないのかも知れません。ようするに、好奇心が枯渇してしまっているのでしょう。
 
 ■ わたしは幸い仕事柄エレクトロニクス関係に抵抗はないし、性格上完全に覚えてからやろうなどという気にはなりません。とにかく手を出してみて、分からなければそこで調べると言うやり方であり、それで十分です。パソコンを使いこなすなど、この地上では誰にも出来ないことであり、多機能電子レンジを使いこなすなど考えもしないけれどちゃんとチンするには使っているので良いと割り切っています。そうやって使って入れば、やはり次第に知識が増えてきますし、ますます抵抗無くつえかます。
 
 ■ 嫌いなことを無理してやることはありませんが、無いと生活が成り立たないほど便利な物ですから、使わないのは大損なんですが。やはり同じ年齢でも好奇心を持っているか失っているかが若さの基準だとは思っています。そうやって考えると、私も結構若いのかな、と自負はして居るんですが。それにしてはがんこ親父だという声も聞こえてきます。
 
★目次★


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