_________________________________
          WING BRAIN メールマガジン第94号
          
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★目次★



■ ADHD猫 ー チロ         MUSICA
■ 又やってしまった           キャサリン
■ ADHDと環境による判断基準     はいじ
■ 連載 第61回 オーラとは。自信、確信? ロクスケ
■ ○編集後記○
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
_________________________________
■ ADHD猫 ー チロ


 私の実家には3匹猫がいる。一匹はもう老猫であり、この子は食い意地が張っていて人間が食事を始めると、自分はもう食べたのにテーブルの下でぐるるぅ〜とないている。しかも、目を合わせるとたいへんだ。大きな瞳で「お願い!ボクにもちょうだいよ〜。」と言わんばかりに見つめられてしまう。
 
 いつもは人間様は嫌いだよーんというふてぶてしい態度なのに、食べ物のこととなると良く知らない人にも擦り寄ってしまう、意地汚い猫である。だが、普段はおとなしいおデブ猫だ。
 
 あとの二匹は姪が来た時に連れてきた。二匹は双子である。連れてきた時も、別々の籠に入れたら鳴きまくってうるさくて、ためしに一つの籠に二匹入れたらおとなしくなったと言うほど仲がいい。いつも二匹は身体のどこかをお互いにくっつけて寝ている。まだ子どもだ。
 
 それにしても、ゆきちゃんという白が多い猫の方は聞き分けがよく、そこはのっちゃだめ!と一度叱ると「はい。もう二度としません。ごめんなさい。」と言う感じで確かに二度としないのだ。テーブルの上にも乗らないし、キャットフード以外に欲しがったりもしない。
 
 それに引き比べて、黒が多いチロのほうは、何度ダメ押しをしてもテーブルには乗るわ、人間の食べ物は狙うわ、洗濯乾燥機から落ちて下にある化粧品をすべてひっくり返すわ、人間が来ると「遊んで遊んでー」と言わんばかりにおなかをだして前足でちょっかいを出してくる。袋があると中に入ってしまうし、丸めた袋があると早速サッカーである。
 
 一日中、多動であれこれと楽しいことはないかなあと目を光らせている。あんまり退屈すると、老猫にちょっかいを出して本人は遊んで欲しいつもりなんだろうが、老猫は本気で怒ってしまう。
 
 チロを見ていると、本当に疲れてしまう。まるでうちの子供たちが小さかった時のようである。猫にもIQの低い高いがあるだろうが、チロは頭が悪いと言うよりも、多動と言う感じがする。めまぐるしい動き、とんでもないいたずら、逃げ足の速さ、そして人なつっこさ、何度言われても忘れてしまう短期記憶の悪さなど、これは猫のADHDに違いないと本気で思ってしまう。(爆)
 
 
by MUSICA


 私も猫好きで近所の猫とはつきあいがありますが、付き合ってみると猫にも本当に様々な性格があります。人なつっこさなどは年齢や飼われ方により違うのでしょうが、それ以外にも猫によって個性が違うのは人間と同じです。虫や魚に個性があるとも思えないので、個性があると言う事はそれだけ知能が発達していると言う事でしょう。
 
 私の姉の家に猫が2匹居て、あんずとみかんと言いますが、今は二匹とも死んでしまいました。みかんはのんびり型でとにかく警戒心が全くなく、見知らぬ人でもよばれるとよっていきますが、あんずは家族が呼んでも隠れていてでてこない事があります。餌をおいて放っておくといつの間にか食べているのですが、かといって家から出て行く事もなく、どこかにいて家族の様子をうかがっています。人間の知らない内に子猫の頃なにか人間を恐れるような経験をしたのかも知れません。そう考えると可哀想で最後まで面倒を見なくては、と言っていましたが、いつの間にか居なくなってしまい、それからしばらくして物置の床下で死んでいるのが見つかりました。3歳になっていなかった頃です。
 
 みかんは家の中で死んでいて、最初寝ているのかと思ったとのことです。横になっているのは気がついていましたがいつもの事なので気にしていなかったところ、いつまで経っても動かないので見たら死んでいたとの事。6歳くらいだったはずですが、原因は分からず、医者に言わせるとなにかの病気だったのではないか、とのこと。いつも動きが緩慢でゴロゴロしていたので家人は気がついてやれなかったと悔やんでいます。
 
まあ、私の子供時代猫を沢山飼っていました。というより、猫が勝手に住み着いていて、私も同類だと考えられていたようです。じつに様々な性格の猫が居ましたが、今から考えると私は親猫から子猫として扱われていたようです。

from ロクスケ








★目次★


■ 又やってしまった


 数日前、T駅でO線に乗ろうとしていた。せこくも降りた駅の階段へ少しでも近い車両にのろうと、出発まで1〜2分しかないというのに私は前の車両へと向かって走っていた。と、その時、カチャッという音。首からホルダーでぶら下げていためがねが電車とホームの間に落ちたのだ。 私はとっさに近くにあるKIOSKコンビニに駈け込んだ。 「駅員を呼んでください。」すると、店員はにべもなく答えた。
 「呼べません。」

 めがねが電車に轢かれてしまうのではないかという恐れと、この電車に乗って帰りたいという気持ちが入り混じり、混乱した私はわけもなく、KIOSKと逆方向へ走り出した。たしか、このホームには事務所はない。頭に浮かんだのは「物を落としたら駅員に声をかけて下さい。」という表示。そのそばにインターホンでもあったような気がしたが、見つからない。探しているうちに目に付いたのは「非常停止ボタン」。これは柱1本に一つというほどふんだんに取り付けられている。これを押してしまった。

 ブーブーというブザー音が鳴り始めたが、しばらくはなにごとも起こらなかった。ただ、電車は出発時刻を過ぎても発車しない。出来ないのだ。

 その後、駅員が1人かけて来た。私は手を挙げた。ボタンを押したのは私ですと。その後、次々と駅員が駆けつけ、最終的には5〜6人になった。

 話しかけてくるのは、制服の違う鉄道警察の腕章をつけた目つきの鋭い30前後の男だ。事情を説明すると、電車が出てから探すとのこと。このボタンを押されると電車が出発できないので、押さないで事務所に来てほしいと、丁重に注意された。

 さて、電車が出て駅員5〜6人で探すもなかなか見つからない。線路脇に落ちたように思えたのだが、線路脇からホーム下へ向かって、台形状になっているため、落下物はホーム下の暗い方へ転がってしまう構造になっている。真新しいメタリックピンクの靴だのめがねケースだの、いろんな物が落ちているが、私のめがねはない。駅員たちは膝をついてホーム下を探している。

 「この辺ですね。」とか、めがねの色などを何度か確認され、つい私も膝をついてホーム下を探し始めるが見つからない。しかも、もうここしかないだろという場所に70がらみのじいさんが居座っている。そのじいさんは何度も駅員に 「下がっていてください。」と注意されているにもかかわらず、しゃがんでいっしょになって探しているのだ。仕方なくそのじいさんの横にしゃがんで探す。めがねのつるらしき物、発見。駅員にライトで照らすようにお願いすると、やはりその近くにあった。
 「ありました。」というと、駅員は
 「あっ、これですね。」と、安物の銀縁のサングラスを指す。たくっ、なんども金縁の高級品だといってるのに・・・。
 ともかく、拾ってもらった。めがねはなぜか霧吹きで噴いたように濡れていたが、それ以外に損傷はない。
 「割れてませんね。」と駅員にやさしく確認され、 「今後は事務所に来て下さい。お気をつけて。」と、丁寧に挨拶された。

 次のO線に乗らなくては、後2分しかないのに別のホームだ。私は走った。やっと、O線に乗って、しばらくしてやっと腰掛けることが出来た。でっ、前を見るのあのじいさんが真正面に平然と腰掛けているではないか。最後の最後まで、めがね探しに付き合って、ホームや階段を走ってこの電車に乗ったのか。何者だ
 
 
by キャサリン




★目次★


■ ADHDと環境による判断基準


 私は医師に直接ADHDであると断定された訳ではありません。それでも本人が思いあたるのはADHDという症状でしかないので、ADHDと定義付けてます。

 基本的なADHDの判断基準は皆様ご存知でしょうが、私の解釈的にいくつかあげておきます。

注意力が無い
持続性に欠ける
色々な事が同時に行われる
片付けや整理整頓が苦手である
突発的である
時間の概念が抜けがちである

 こんな所をあげてみて、本題に入ります。

 ADHDを判断する時、育った環境や性格その他の考慮の重要性ですが、ADHDとADHDに限りなく近い人々とが居ると思うのです。アスペルガー等も近いと私は感じますし、ADHDと診断されても実はADHDじゃない方もいらっしゃるでしょうし、こだわる必要ないと私のように我が道を行く人も居るでしょうし。

 ではここで私の育った環境の特に生活の部分に重点をおいてみます環境により(親の躾等)形成された性格により、私がADHDだと思いこんでるのかそうではないのか。まず、私は養女です。両親は4人居て、そして4人兄弟の3女です。基本的に私は幼少時代は両親4人が自営業していたので学校から帰ると、すぐに両親が働いている会社兼実家へ行かなければなりませんでした。そこでの生活と躾も根付いています。

 しかし親の仕事が終わると家に帰るわけです。こっちの方が根付いて居ると思います。週に2回ほどは向こうの家で泊まって過ごしたりもしてましたが。あの頃はそういう事を何も意識してなかったですね。(笑)どっちの親もうるさいって事はわかってましたが。

 そういう特殊な環境の下で育ったので中々判断が難しいと思ってましたが、最近色々と気が付きはじめました。

by はいじ






★目次★


■ 連載 第61回 オーラとは。自信、確信?


 よくオーラが見える人が居ると言うが、私には見えない。しかし、確かに一目でカリスマ性というか、他の人を惹きつける魅力のある人が存在する。結局は言葉の端々、態度、表情で人を納得させる雰囲気を持っていると言う事だろう。
 
 それはまた、本人が信じていると言うことに他ならないのではないか。本人が絶対に出来ると思うからこそ人に対する説得力も出てくると思う。人間の観察力とは案外鋭い物で、言葉の内容で納得する面もあるが、むしろ自分を説得する人間の表情や態度、言葉遣いなどを総合してその人の言葉が本当かどうかを判断している場合が多い。いわば、それをオーラとして感じていると表現出来ないだろうか。勿論本当のオーラが見える人が居るかも知れないが、別の例えとしての話だ。

 話は分からないけれどあんたが言うんだから、あたしは信ずるという言葉は良く聞く。したがって、例えは良くないが、政治家が票を集めるとき、とにかく情緒に訴えるため服装やメークアップ、キャッチフレーズ、土下座と、とにかくイメージで説得することに力を注いでいる。近年テレビがその役割を大きくしてきて、アメリカではかつてニクソンがケネディに負けたのは演説の内容ではなくルックスと話し方で劣ったからだと言われている。日本でもさもありなんという選挙戦が目立つようになった。いかに派手なオーラを出すかと言う事だろう。

 しかし、最低限自分が嘘だと思う事で相手を説得する事はほぼ不可能だろう。これも例えが悪いが、一流の詐欺師は、相手をだますとき自分でもそれを信じ込むそうだ。普通の人間と違うのは、その時信じ込んでいても、その場を離れるとそれがインチキだときちんと認識しているわけで、最後まで自分の嘘を信じていては商売になるまい。天才詐欺師はオーラをも創り出すわけだ。

 ところで、カリスマ性とは自分に対する場合でも大切だと考えられる。つまり、自分を説得するためにはいかに自分で信じ込ませるかが大切かということだ。私などは、実はその点がじつに弱い。何かを始めても熱が冷めてしまう。熱中しているときは具体的にそれが完成した姿を明確にイメージとして思い描けるが、熱が冷めてしまうと、急速に今やっている事が本当に完成するのか、完成したとして意味があるのかなどという否定的な考えが出てくる。そうなると明確な成功のイメージが出てこなく、途中で止めてしまう事が多々あった。

 とにかく私は私に対するカリスマ性を持たなくてはならない事をつくづく感じ(この表現が正しいか否かはちょっと脇に置いて)とにかく紙に書き出しそれを常に目の触れる場所のおき、時にはそれを声に出して読み上げるなどの方法をとってきた。これは結構うまく行ったと思う。つまり選挙戦と同じで、政策を訴える必要はない。とにかく、自分に印象づけ納得させるという事である程度やり遂げられるようになった。

 言い換えれば、それは他の人間に対するカリスマ性とも通じると思うのだが。

by ロクスケ


★目次★


_______________________________
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○編集後記○
 ■ 最近面白い記事を読みましたので、時間つぶしの雑学としてお読み下さい。
 動物としての人について、認識が変わるかも知れないと言う話題です。
 
 ■ 人の生物学上の分類は動物界: 脊索動物門: 脊椎動物亜門: 哺乳綱: 霊長目: 真猿亜目: 狭鼻下目: ヒト上科: ヒト科 : ヒト属 : 学名 ホモサピエンスという事になっており、ヒト科は一種類と思われていました。ネコ科にはライオン、トラ、ヒョウなどが居るし、ウマ科にはウマ、シマウマ、ロバが居るという具合です。従って、ライオン、トラ、ヒョウは交配が可能であり、実際にレオポンやライガー等という混血種が生まれています。
 
 ■ しかし、ヒトには他に交配出来る種は、現在は存在しないと言われています。過去には、ヒト科にはハビリス 、エルガステル 、エレクトス 、アンテセソール 、ハイデルベルゲンシス 、ネアンデルターレンシス などが居たとされており、特にネアンデルターレンシスと現世人は同時に存在していた時期もあり、現実には現世人にはネアンデルターレンシスの血も混じっていると思われています。
 
 ■ ところが、近年遺伝子レベルで生物を分類する方法が進み、従来の分類はかなり修正を余儀なくされているとの事ですが、実は人類も単独の種ではないと言う意見が出てきています。チンパンジーやゴリラは従来はヒト科には入っていませんでしたが、DNAレベルでヒトと比べると精々2%位の相違しかなく、交配が可能ではないか、つまりチンパンジーもヒト科ではないのかと言われ始めているとの事です。
 
 ■ 実際にはチンパンジーと人間の混血児が存在したという正式な記録はありませんが、敢えてそのようなことがされたことがない、とか実際は存在したが闇から闇へ葬られてしまったというのです。もちろん、それを実権で確かめるなど出来ませんが、もしかしたらチンパンジーやゴリラ、オランウータンなどがヒト科であり、ヒトは決して単独の種ではないという説もあり得るとすれば、人間とは何かをちょっと別な角度で見直す機会になるかも知れません。
 
★目次★


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




前へ    次へ
 






戻る