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          WING BRAIN メールマガジン第95号
          
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★目次★


■ ほほぉ!                  みゆき
■ 80歳の父の腸閉塞             MUSICA
■ ADHDである私への目           はいじ
■ 連載 第62回 ASとADHDは共存しない?    ロクスケ
■ ○編集後記○
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■ ほほぉ!

 中3娘と中1息子のケンカの内容です。数学の宿題に苦悩する息子に、優しい?気まぐれか??姉が「教えてあげようか?」と声をかけました。大喜びの息子。が..10分もしないうちにケンカが勃発。

 姉の教えてあげると言うのは、もちろん“やり方を教えてあげる”と言うことです。ところが、息子は答えを教えてもらえると思っていました。だから長々とやり方を説明する姉に対し「意地悪をされている」と思ってしまったようです。

 「教えろよぉ!」「教えてるじゃん!」「早く教えろよぉ!」の繰り返しけっきょく「もう教えてあげないからねぇ!!」と言うことになり数学の宿題は暗礁に乗り上げてしまったのでした。

 AD/HDの独特の感じ方の顕著な例に思えました。今までも迷子になっても、みんながいなくなったと思っていたり「知らない人について行っちゃいけないって教えていたのに自分から「怖いから一緒に行って」と声をかけていたりおいおいと突っ込みを入れることが多かったのですがまだまだこれからも続くんだなぁ。と感じた瞬間でした。


みゆき


 息子さんの状態がADHD故なのかどうかは私にはピンと来ません。もちろん、私が判断は出来ませんが、診断も一度だけではなく機会があるなら他の先生に違う時期に診てもらうなども有意義ではないかとおもいます。子供の内は、自分で対処もできないし、親や学校が正しく認識する必要がありますから、一度の診断で判断してしまうのはどうかと思う次第です。
 
from ロクスケ




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■ 80歳の父の腸閉塞

 さて、父のことですが。
 
 今日22日手術でした。腸閉塞で、がんも念頭にあり、さらに80歳と言う歳、タバコの吸いすぎで肺気腫と昔の肋膜炎の痕から肺機能が非常に悪く、通常この状態で手術はありえないと言われておりました。しかし、今まで本来だったら在宅酸素療法が適応されるくらい悪かった呼吸機能で普通に生活していたので、大丈夫かもしれないとの見通しで、手術に踏み切りました。

 大体手術自体は3時間ちょっと。他にいろいろと時間をくいまして、朝7時ころ実家を出て、帰ってきたのは16時半ころです。何事も同意書なくしてはできないとのことで、例えば、手術後、中心静脈栄養の管の入れている部分が赤くなってきていて、放っておくと化膿する可能性があるので、首にしたい、ということを理由を細かく説明し、サインをもらうといった具合です。また、首に一旦針を刺して、レントゲンをとって、ちゃんと静脈に入っているかいちいち全部確認をするので、えらく時間がかかります。でも、事故を防ぐと言う意味から、杏林ではそういうことを、細かくやっているらしいです。

 また、術後ICUに入りましたが、全室個室で、昼間は一部屋に一人の看護師、夜間は二人に1人の看護師がつきます。個室といっても、患者の足の側が大きなカーテンになっていてその向こう側には、看護師やら医師やらが忙しそうに働いていました。新しい建物なので、そういう工夫があちこちにありました。

 父の腸閉塞は、もう癒着しきって葡萄の房のようにくっついている腸が一部αのような形になっていて、その中心にさらに小腸が入り込みポケットのようになってねじれていたため、内容物が先に進まなかったからだそうです。おかげで、腸の剥離術だけですみ、切除はなかったので、侵襲が小さくて済みました。父も命拾い。毎日絶水食で「刺身が食べたい」の「もつが食べたい」の「納豆が食べたい」のとあれこれおなかがすくと叫んでいましたが、腸を切らなかったので、おそらく思ったよりもずっと早く流動食が始まると思います。

 私は、手術が終わって母と姉と三人でご飯を食べてから実家に帰り、どっと疲れが出て寝てしまいました。それも9時過ぎまでです。(爆)今も眠いです。大(爆)。手術を待っているだけでも相当疲れましたが、始めの見立てが「五分五分」の成功率ということだったので、やはり精神的に疲れました。でも娘として、父にはできるだけのことはしてやれたし、まあ、また元気になって「うるさジジイ」に戻るまでは看病してやろうと思います。

 ICUでは、朝も昼もないので、高齢者はICU呆けになる人も多いそうです。ですから、予め、暴れた時などに抑制(縛る)することの同意書をとられました。それでなくとも、高齢の人は病院で呆けてしまうことが多いので、頻繁に面会に行ってやろうと思っています。面会はICUは親族の場合は24時間いつでもOK.これは私のごひいきの聖路加の一般病棟と同じです。

 父は、鼻から管を入れた際に、あまり苦痛だったので、免れたい一身か、少し呆けました。淡々と言うので、あれ、なんか変?と思いつつもテレビのイヤホンを4本も買わされたり、あまりあるテレビカードをさらに買わされたりとなんだか、後で考えるとおかしいです。

 ICU呆けも多分なると思います。(爆)まあ、せいぜい通って、話をいっぱいして少しでもボケ防止に努めたいと思っています。

by MUSICA







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■ ADHDである私への目

 幼稚園から小学校から中学校、高校と私は何が理由というわけでもなく、学校へ行く事が時々に嫌になってました。というかほぼ、学校へ行ってない状態の時もありました。(高校は単位制なので必死で、年間30日程しか休んでないと思います)その事で母も何度も何度も学校に呼び出される始末でしたが何故か問題児は先生からはウケがいいんでしょうか?私は案外に楽しく学校では過ごしていました。

 そういう私を産みの母も、育ての母も[学校へ行けない子・続かない子]という認識でした、卒業しても何をしても続かない子。という認識です。勿論卒業後も働いたりもしてましたし、必死なんです、皆と同じじゃない自分が悔しくてそれでも1年も続かない自分が不甲斐なくて何度も涙をのみました。

 が、そういう部分を中々他人には見せない様な性格に育っていたので(捻くれもの?!)むしろ一部を除いての周りからは「あの子は何も考えてないな〜」という認識でしょうし(今現在も)親のすねかじって色んな事させてもらい楽しそうだし幸せなヤツだと映ってる様子です。

 言われても、ハハーンって感じで気にしてない私が余計そうさせてるのでしょうが(笑)だけど、どうしてもやはり私は私で在りたくて、「こう(ADHD)だから無理なんだよ。」と言い訳にはしたくないのです。出来ない事を。

 そういう「駄目なヤツ」という批判を常に受けつつ(周りの友人から)過ごしてきました。けれど案外にタフに育っていたので、(養女事件や、弟が身体障害者になる事件等で鍛えられたとか?)今は言われてもそこまで劣等意識を持たなくなってきています。やっとやっとですが。(苦笑)私も否定されるのはやはり辛いのです。特に身内からは本当に辛いですね。

 最近産みの母に「忍耐力がない」と台所からこっそり噂されていたのをPCを打ちながら片耳で聞いてました。流石に私も忍耐力ないと言われれば納得をせざるを得ないのかもしれないし、だけど聞こえない所(聞こえてないと思ってるらしい)で言うかあ〜?(怒)でした。

 そして敢えて「この前私の事忍耐力ないって陰で言ってたよね?聞こえてたんだけど」と切り出しました。産みの母と2人で色々な事を話しました。彼女は私の言う事を理解したらしく、案外何も考えてない訳ではないのだとやっと気がついたらしいです(これは嬉しいですよね)今まで書いてあった私の手書きのメモ帳やらを見ては涙ぐんでました。

 案外ADHDの人達は、色んなことを同時にしている為、聞いてないように思われがちです。「ちょっと人の話聞いてないでしょ?」と言われることが多いと思います。私も友達とかによく言われますが、答えたり頷いたりしてないだけでちゃんと聞いてるので、そのまま言われた事を繰り返して、それに対しての返事をします。

 学校の授業でもそうでした。そして、問題を聞いているので、問題も復唱し、ちゃんと答えまで答えると先生は怪訝そうな目でこっちを見ては(そんな目は良くないでしょ〜!笑)「よろしい。」等と言うのです(苦笑)こっちは何がよろしいんだか?です。

 案外ADHDの人間もそういう部分じゃ見た目で判断されてるんだなぁというお話でした。

by はいじ




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■ 連載 第62回 ASとADHDは共存しない?

 ADHDとかASとかLDなど色々な障害は、結局は同じカテゴリーに入りひとくくりにして発達障害と言う事になっている。いわばその症状の現れ方が違うと言うことであり、細かく言えばADHD一つとっても、ダニエル・エイメン博士などに言わせれば典型的ADD、不注意型ADD、過集中型ADD、側頭葉型ADD、辺縁系型ADD、「火の輪」型ADDの6タイプに分けられるという。
 
 この中の過集中などは一般に言われるADHDには集中力がないという特徴と背反するようだが、わたし自身そのような傾向がある。興味のもてない事は、必要だと知りながらどうしても集中出来ない。一方興味を持った事にはのめり込む事がある。しかし、そののめりこみが長続きしない。
 
 場合によっては寝食を忘れてのめり込むので結構ある程度のレベルを短期間に物にしてしまう。しかし、たんにある程度のレベルになった頃飽きて、他の事に注意が向いてしまう。そうなると、もうそれまで打ち込んだ事も全く手に付かなくなる。
 
 困るのは、自分で自分の興味の対象をコントロールできないことだ。だから、ある意味自分の興味に振り回されているところがある。結局注意力散漫と過集中は無関係らしい。その意味で、先に挙げた6つの型の分類もまとめ型によっては二つか三つになるのかも知れないし、もっと増えるのかも知れない。昔はLDもASもADHDもとにかく何か異常な状態とひとまとめにされていたのだから。
 
 将来、今一つとされているADHDも幾つかに分かれるのかも知れないが、それはあくまで学術的な分類上の事であり本人にしてみれば実情は全く変わらない。
 
 また、ADHD単独で症状が出る事は少なく、殆どの場合LDやASと共存しているという。というより、ADHD、LD、ASの明確な境界線が無く、ぼんやりとまたがっていてどちらの領域により多くの障害が出ているかでADHD、LD、ASなどと分けているだけだ。
 
 そこで、ちょっと私も理解しにくい点があるが、これ表題のADHDとASは共存しないという言い方だ。私が誤解しているのかも知れないが、両方の症状が認められる場合ASが優先し、共存とは考えないと言う事なのだが、そういうことなのだろうか。
 
 たしかに、ADHDの心にはフィルターが無く、ASの心には壁があるとよく言われるのだが。



by ロクスケ



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○編集後記○

 ■ 継続は力なりと前に書きましたが、わたし自身何か継続している物があるかと思うと忸怩たる物があり、とにかく3年は続けなければ継続とは言えない、と決断しました。(3年は私の基準ですが)
 
 ■ 一つはこのメルマガ発行があります。早いものでもう95号ですから、年25回発行として、もう4年目間近です。もっとも、これは私個人の仕事と言うよりWingBrain委員会の仕事ですから”私個人の継続は力”とはちょっと違うでしょう。
 
 ■ インターネットサイトは私個人の仕事に関する物と、ADHDに関する物があります。ADHD関連サイトはWingBrain委員会サイトにリンクがあります。ただし、更新らしい物をしていないので、継続には入らないでしょう。
 
 ■ もう一つですが、最近始めたばかりでブログがあります。短編小説、いわゆるショートショートを毎日一編づつ書いてブログにUPすると決めました。ショート作品ですから400字詰め原稿用紙換算で4,5枚から多くて10枚程度です。80作品ほどが今の所毎日載っています。ネタを手帳に書き留め、200ほど用意していますが、大抵は何かのキーワードを適当に選んでリストアップしておけば、それを使って書き出すだけです。書き始めれば何とかなる物で、とうぜん上手く出来る場合もあればかなり苦しい場合もありますが、所要時間は20分〜1時間くらいでしょうか。お茶など飲みテレビなど観ながらのんびりやる事でさて3年続くでしょうか。3年続けば1000本の作品を書き上げる事が出来るのですが。
 
★目次★


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