ミラー対フォーリー 1917.7.17 フォーリーの死亡記事


 NATIONAL LIBRARY OF AUSTRALIA(オーストラリア国立図書館)のAustralia Trove(豪州の宝庫)というウェブ・サイト
http://trove.nla.gov.au/newspaper
で見つけた、古い新聞の記事をご紹介します。

Barrier Miner Tuesday 17 July 1917
http://trove.nla.gov.au/ndp/del/article/45408227
(中頃から始まる部分を抜粋。)

THE LATE “LARRY” FOLEY.
DEATH DUE TO HEART
FAILURE.

故「ラリー」フォーリー。
心不全のため死去。


 Although a remarkably clever boxer, Foley up to this time had always fought under prize ring rules, and had never fought with gloves. His next big fight, however, was a glove contest, his opponent being Professor Miller, a 15.0 man. The pair met in May, 1883, at the Academy of Music Hall in Castlereagh-street, near where the Tivoli Theatre now stands. The fight went 40 rounds, and then the crowd, seeing that Foley was getting the worst of the contest, rushed the ring, and the referee declared the contest a draw.

(前略)
 優れて器用なボクサーだけれど、フォーリーはこの時まで常にプライズ・リング・ルールの下で闘って来ており、グローブを着けて闘った事がなかった。彼の次の大勝負は、しかしながら、グローブ競技で、その相手はミラー師範、かっきり15ストーン(※210ポンド、約95kg)の男であった。二人が立ち合ったのは1883年の、5月、キャッスルリー通りの音楽学校講堂においてで、そのそばにはチボリ劇場が現在建っている。闘いは40ラウンドに及び、それから群集が、フォーリーがその競技で敗勢を増していると見て、リングに殺到、しかして行司は競技の引分けを宣した。

 This was Foley’s first and only glove contest, as he subsequently devoting his energies to promoting fights and teaching boxing. Peter Jackson, Griffo, Bob Fitzsimmons, Jim Hall, and a host of lesser pugilistic celebrities all received their first lessons in the pugilistic art from the genial Larry, who at the time was the licensee of the White Horse Hotel and Gymnasium in George-street.


 これがフォーリーの最初にして唯一のグローブ競技であったのは、彼がその後その精力を拳闘競技の振興とボクシングの教授とに捧げたからであった。ピーター・ジャクソン、グリフォ、ボブ・フィッシモンズ、ジム・ホール、そして多数のより劣るが名のある拳闘家達皆が拳闘術における最初の教えを親切なラリーから受けており、彼は当時ジョージ通りにおいて白馬亭と体育館の営業認可を得ていた。
(後略)



Cyber Boxing Zone
 "Professor" William Miller
http://www.cyberboxingzone.com/boxing/WilliamMiller.htm
 Laurence "Larry" Foley
http://cyberboxingzone.com/boxing/LarryFoley.htm

BoxRec
 Professor William Miller
http://boxrec.com/list_bouts.php?human_id=40388&cat=boxer
 Larry Foley
http://boxrec.com/list_bouts.php?human_id=40389&cat=boxer

 プロボクシングの記録サイト「サイバー・ボクシング・ゾーン」、「ボックス・レク」のいずれにおいても、この試合は豪州ヘビー級選手権とされています。

title search Australian Heavyweight
http://boxrec.com/title_search.php?title=AU&division=Heavyweight&SUBMIT=Go&pageID=5

 ただしこの一戦をチャンピオンシップと明記した新聞記事は少ないようです。当時フォーリーの他に豪州王者を名乗っていたビル・ファーナンと、フォーリー、ミラーの両者は微妙な関係にあったようです(別ページ「1883〜1886 豪州拳闘太平記」に書きました。)公式な結果は引分けですから、いずれにせよミラーはボクシングの豪州王者にはなっていないでしょう。

 1887年、サン・フランシスコでミラーはジム・コーベットと闘い、敗れました。コーベットは1892年、J・L・サリバンをKOし、第2代世界ヘビー級王者となっています。
 1886年時点では、レスラー仲間のアンドレ・クリストルに「J・Lの前で4ラウンド立っていられる唯一の男」と称された(「オタゴ・ウィットネス」より(1)クリストル大いに語る)ミラーですが、残念ながらサリバンとは闘わずに終わったようです。



追記2011.9.20

 サリバン対コーベット戦の記事を見つけました。

ニューヨーク・タイムズ  September 8, 1892
http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F00715F6345D17738DDDA10894D1405B8285F0D3
(「View Full Article」というボタンでPDFファイルが開きます。)

 最後尾にコーベットの経歴が書いてあり、勝った相手の記録の中にミラーの名もあります。試合の長さは3ラウンドとなっています。


さらに追記2011.9.23

 フォーリーの体育館で、プロレスの試合が行われた記録があります
 1887年11月19日の、ジョン・コナー対トム・キャノン戦で、フォーリーは勝者にカップを贈っています。
 その記事はこちらのページ「1887.8.15, 11.19 コナー 対 キャノン」に書きました(ただし“Foley”を「フォーリー」ではなく「フォーレイ」と日本語表記していました)。




メニューページ「1883.5.28 W・ミラー 対 L・フォーリー」へ戻る