2009.11.11 | 啐啄の機 |
「啐啄(そったく)」とは、雛鳥がかえるとき、雛鳥が内側からつつくことを「啐」、母鳥が外からつつくことを「啄」という。(大辞林) 私がこの言葉を聞いたのは、人の育成に悩んでいるとき、先輩から聞いた一言である。「人の育成は、焦ったらいかん。じっくり、その人の良いところをみて、その能力を引き出す切っ掛けをつかむことだ。まあ、”啐啄の機”と言うことかな。」 最近、この言葉を思い出す体験をした。私は、若いエンジニアに仕事文書の作成技法を教えている。私流の文書作成手順と技法(構造化やパラグラフライティングなど)を基に、2日間演習を入れじっくり取り組んで貰う内容である。先日の研修会でのことである。受講生のひとりの男性が、最初のうち文章が書けないでいた。研修カリキュラムに沿って真剣に取り組んでいた。そして、1日目の総合演習に取り組んで貰った。しかし、時間内には完成しなかった。当然、宿題となった。 2日目の最初の時間は、作成した文書をお互いに交換して評価することを行う。評価方法も1つの教育内容である。その男性は、宿題をきちんと完成していた。そして、評価も良かった。講義が終わった後、私の所に来て彼は、こう言った。「先生、なんだか文書を書く苦手意識が無くなったようです。」 此の男性は、これを切っ掛けに文書を書く苦手意識が克服できたと思う。仕事をする上で、文書は欠かせない情報伝達手段である。おそらく、仕事も旨く進めていることだろう。教育の場は、受講者と講師、いやお互いの「啐啄の機」の場であると思う。私は、これからも「啐啄の機」の場となるような教育が出来るように心がけたい。 |
|
<<生き方の教訓の先頭 へ戻る |
2011.9.24 | 慣れない |
「群れない、慣れない、頼らない」 この言葉は、敬老の日、NHK総合TVの番組で堀文子画家(93歳)が言った言葉である。 私は、これを私自身の戒めとして聴いた。今回は、「慣れない」について考えてみた。 人は、初めての仕事をするとき緊張し全神経を集中させる。そして終わるとドット疲れが出てくる。しかし、何回かそれをくり返すうちに初めほどの緊張感も疲れもなくなり、仕事の出来も良くなってゆく。仕事の質が上がれば、お客様も喜んでくれ、こちらも嬉しくなりますます良くなる。 これは、少ないエネルギーで物事がやれるようにしようとする人間の本能からくるものであると思う。仕事をくり返し行う事により、その手順や技術を学習し記憶している脳回路が成長し、早く仕事が出来るように進化していくのだろう。 しかし、慣れによって引き起こされる問題もある。事故やミスは、仕事に慣れはじめた頃に起きることが多い。私自身もその経験がある。新しい講座をはじめた頃は、緊張する。うまくいかない部分を悩み改善してゆく。段々受講者の評価も良くなる。慣れてくると、自分はうまく講義できたと思っても、受講者の評価は良くないことがある。 慣れによる事故やミスを防止するにはどうしたらよいか。そのためには、注意力を生み出すセンサーを活性化する必要がある。成長した太い脳回路を流れる信号は早く、少ないエネルギーで伝わるが、注意力を生み出すセンサーの回路が置き去りにされているのだと思う。成長した回路以外に、センサーとして新しい別の回路を成長させることが必要なのだ。慣れた講義でも、新しいテーマや目標を加えて行った場合は受講者の評価も良い。 「慣れない」という言葉には、慣れに慣れない工夫をすることが大切だという戒めが込められているのだと思う。 |
|
<<生き方の教訓の先頭 へ戻る |
生き方の教訓
2007.8.13 | 暁は”さとり”の時 |
先輩から「致知」と言う名の月刊誌を借りた。そこで出合ったのが「暁」には、”さとる”という意味があるということである。 暁という文字は、日(太陽)と音を表す尭(ギョウ:明るくなる意)とからなる。太陽の光が明るくなる夜明けの意味を表す。ひいて、”さとる”の意味に用いる。と辞書に書かれている。暁光、暁星、暁天、暁鶏などいずれも夜明けの時に関する言葉である。”さとる”に関する言葉としては、通暁(深く知り抜くこと、be well、be acquainted with)がある。 ”さとる”とは、ほど遠いかもしれないが、これに似たことを感じている。私の一日は、早朝の「To Do List」作成から始まる。私は、老化防止も兼ねて、筆ペンで「今日の仕事」と書き出す。1.コミュニケーション技法講座テキスト作成 2.HP更新 3.庭の掃除と水やり、などなど。昨日解決出来なかったこと、やり残したことも、書いていると何とか出来そうな道が見え出す。不思議なことである。朝の時間は、目覚めた脳が太陽の光から得たエネルギーにより活性化するのを感じる。”暁”に”さとる”という意味を重ね合わせたことに、納得し、実感している。”be well”なんと希望に満ちた一時なんだろう。 そういえば、早朝の庭では草や木々が朝露を受けようと葉を大きく広げ、太陽に向って葉や枝を伸ばし、喚起しているように見える。明け方の太陽には、生物の細胞を奮い立たせるエネルギーがある。 |
|
<<生き方の教訓の先頭 へ戻る |
2007.7.22 | 耳 順 (じじゅん) |
2007年7月22日朝日新聞の「水/地平線」で「六十にして耳順(みみしたがう)」の言葉に出会った。 耳順(じじゅん)とは、論語「為政篇」の章にある言葉であり、人は六十にして、他人の言葉を素直に受け取る心の余裕ができるという意味だと辞書に載っている。孔子の、「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」そして「六十にして耳順」と言うことか。 私はどうだろう。還暦をとうに過ぎた今、「耳順」の言葉通りだろうか。まだまだほど遠い気がする。先月の 「つれづれエッセイ」に採りあげた、「我以外皆師也」(注)を胸に未だ修行の最中である。 耳順には、他人の言葉を素直に受け入れる心の余裕があるということであり、「それを鵜呑みにするということではない」という意味も感じられる。60有余年の経験から身に付いた考えを基に、人の考えを的確に判断し、採り入れるか否かを判断出来る年齢であるということ。 「我以外皆師也」、「耳順」いずれも、共通したところがある。 (注)脳耕房の「お客様」に移動 |
|
<<生き方の教訓の先頭 へ戻る |
2013.3.20 | 夢は目標を立て実現するもの |
2013年3月15日のNHK「あさいち」で三浦雄一郎氏(80歳)が語っていた。 今年5月3度目のエベレスト登頂を目指すという。成功すれば最高齢登頂者となる。 エベレスト登頂を目指したきっかけは、家族からの刺激である。34歳の時、富士山での直滑降を成功させたのを皮切りに、エベレストなど世界七大陸最高峰すべてスキーによる滑降を成功させたプロスキーヤーであり登山家でもある。しかし、60歳代の頃は暴飲暴食の生活がたたり、体脂肪率45%や糖尿病などを抱えていた。そんな状況下で、活躍する父・敬三さん(当時99歳)や、息子・豪太さんのオリンピック選手として活躍していた姿を見て一念発起したという。 |
|
<<生き方の教訓の先頭 へ戻る |
2013.4.5 | 別れと出会い |
物事の流れからいうと「出会いと別れ」であるが、春先の今の時期は「別れと出会い」の言葉が似合う。卒業と入学、卒業して就職、旧年度から新年度へと人が成長してゆく節目でもある。そしてこの時期に欠かせない花が桜であろう。俳句で花とは桜を指すそうであるが、花を待ち、花の期間心高揚し、花が散って落ち着いた日々に戻り、新年度の暮らしに入っていく。 人生には大きな節目が幾つもある。私の場合その節目は、故郷を後に勉学のため東京に来た時、卒業して会社に入り職に就いた時、独身から結婚して家族を持った時、そして会社を辞し自営業を始めた時である。古代インドで言われた生涯を「学生期、家住期、林住期、遊行期」の4つに分けた節目と似ている。人にはそれぞれ果たすべき道があり、その頂上に向かって歩むとき大きくジャンプする必要がある。それが節目だと思う。 |
|
<<生き方の教訓の先頭 へ戻る |
Cultivation & Communication
Essay 生き方の教訓
2008.1.1 | 足るを知る |
先日、NHKのドラマを見ていたら、”我、未だ足るを知らず”とつぶやいた武士の言葉が頭に残った。 このドラマは、2007年10月18日~12月6日(毎週木曜日)に放映された木曜時代劇「風の果て」(原作:藤沢周平)である。鶴岡藩の下級武士の家に生まれた隼太は、ある日、農政の達人桑山孫助に見込まれ桑山家の婿養子となる。「太蔵が原」という荒れ地を開墾し、藩に貢献した桑山又左衛門(隼人)は、藩主に認められ主席家老にまで出世する。 しかし、主席家老の地位に上り詰めた隼人のつぶやきが”我、未だ足るを知らず”であった。更に上を求めたのであろうか。そうではない.。彼の”足るを知らず”とは、青年時代一緒に剣術修行した友人達に対する、ある事件を切っ掛けとする「負い目」に対し、未だ報いていない事を指しているのである。 「足るを知る」は老子の言葉のようだが、辞書には、「身の程をわきまえて、むやみに不満を持たない」(大辞林)とある。 私は、「足るを知る」とは、「現状を受け入れ、先ず己が今あることに感謝する」、と受け取っている。そうすると、「次に自分は何をやるべきか」から、目標が出てくるのである。不満から出てくる目標ではなく、自分の置かれた立場で何を成すべきかから出てくる目標である。そうありたいと常に思っている。 |
|
<<生き方の教訓の先頭 へ戻る |
PC
2007.9.17 | 私の林住期 |
古来インドの僧の生き方として、”四住期(しじゅうき)”と言う考えがあった。生まれ学び(学生期)、家を構え家族を養い(家住期)、心理を求め出家し修行し(林住期)、心理に目覚めた体験を基に説教して回り(遊行期)、その生涯を全うすると言うものである。 五木寛之氏の書かれた「林住期」には、今の長命の世に於いて、四住期を25年区切りで考えたら、と書かれている。これに依れば、林住期は50歳から75歳と言うことになる。 私の四住期はどうか。私にとっての林住期の始まりは、55歳会社を辞し自営業を始めた時であろう。私は、四住期を次のように考えている。人生の”大きなうねり”として五木氏の言われる四住期があり、林住期以降は、その中に”小さなうねり”としての四住期が生滅し続けているのではないかと言うことである。”小さなうねり”とは、仕事であり、趣味であり、社会貢献活動などであり、同時並行して幾つも存在し得る。”大きなうねり”としては、家族を養うという役割から、社会貢献と言った役割へとその比重が変わり、その中に”小さなうねり”が生まれ、継続し、中には滅するものもある。そのようにして、人は生涯を全うする。 私は、生涯を通して仕事をすることを父から学んだ。父は、大工の棟梁としてその生涯を通した。明治45年生まれ、遊行期は84歳で幕を閉じた。死の直前まで大工として、その年齢に応じた役割を果たした生き様が、私の生き方のモデルとなっている。もう1人、生涯現役の人として尊敬している人がいる。日野原重明医師(聖路加国際病院名誉院長)である。日野原氏は、明治44年の生まれ96歳、まさに遊行期、崇高な考えと日々の仕事の実践が輝いている。 私も、少しは輝けるようになりたい。今、林住期、もっともっと修行を積み、素晴らしい遊行期がやってくる様に頑張りたい。 |
|
<<生き方の教訓の先頭 へ戻る |
2011.10.11 | 足るを知る(続) |
2011年3月11日に起きた三陸沖の大地震は、大津波を発生させ多くの被害を引き起こした。これは、天災である。しかし、それによる福島の原子力発電所のメルトダウン、放射能漏れは人災である。 原子力発電所の停止による電力供給力不足の懸念から、この夏は東日本を中心に節電対策が取られた。その結果、大停電に陥ることはなかった。ある意味で、日本全体が大停電回避の危機感から節電という目的に向かって行動し、一体感を感じたのではないかと思う。各家庭、商店、事務所、工場などが15%を目標にそれぞれが工夫した。毎日発表される電力の需給の数値に敏感になっていた。中でも大口利用者の製造業の節電策の効果が大きいと思う。微力ながら我が家も8月の前年同月比の節電は20%であった。 「やれば出来るじゃない!」というのが感想である。多くの人がそう感じたことであろう。身近では、照明を減らす、電力効率の良いLEDへの交換から、大々的には勤務時間を平日から休日に転換して操業し、電力需要の均等化をする等それぞれの立場で最善の行動を取った。このやり方で多くの人が不便を感じたこともあると思う。特に、休日勤務の企業、その企業を有する地域商店の経済的な打撃もあったにちがいない。しかし、人間にはそういう状態を住みやすい状態にする知恵もある。 冬場に向けてまた電力の心配があるという。原子力発電所の再稼働は難しい。しかし、これまでの節電行動をそのまま続ければ良い。休日勤務の不便さ、不公平さは何とか工夫しなければならないにしても、今を普通と考えれば電力需要は抑えられると思う。今あるエネルギーの中でどうするか、知恵を出し改善してゆくしかない。皆が幸福に暮らすと言うことは、物質的な豊かさを追い求める事ではないと思う。まして、人間は己の制御できないモノを実用化すべきではないと思う。 「足るを知る」という言葉が己の行き方を律してくれるように感じる今日この頃である。 |
|
<<生き方の教訓の先頭 へ戻る |