小津さんの松阪在住時期の日記で一番多く登場する人物の名前”乾”。 彼こそが神戸村(現松阪市)に在住していた小津さんの宇治山田中学の無二の親友”乾 豊” その人でした。 小津さんの大正10年の日記を見るとほとんど毎日と言って良いほどお互いが徒歩で行き来しています。 小津さんの自宅から徒歩20分〜30分程の所でしょうか、金剛橋の一本上流の杉の森橋のそばに彼の自宅はありました。 最も、当時この場所にこの橋(杉の森橋)が架かっていたかどうかは分かりません。 この場所は松阪の小津安二郎青春館の資料を元に特定しました。 現在に残っているものと言えば乾家で利用していた井戸らしきものが二つ残っているだけです。 写真奥に見えるのは金剛川の堤です。 大正10年1月2日(日)日記より 志村の自転車で乾を呼びに行って継松で屠蘇を祝ふ。 大正10年4月29日(金) 昼から乾が来た。サボッたそうだ。 大正10年5月3日(火)日記 昼頃乾来る。 乾宅に赴く途中に下駄の鼻緒が切れた。羊羹をよばれてのち帰る。 大正10年5月9日(月)日記 昼からねた。 乾訪れて遊んだ。 大正10年5月13日(金) 午後乾の家に行ってフィルム貰って来て、それをシヲリにした。 大正10年5月23日(月)日記より 昼家でめしを喰って乾の宅に行ったら雨が降り出してきた。初雷で大いになったがすぐに止んだ。乾にモーシュン・ピクチューワを貰ふ。 大正10年5月25日(水)日記より 昼から乾がやって来た。学校をやすんでやって来た。随分のんきな奴もあったものだ。 ←乾旧宅近くの杉の森橋から金剛橋方面を見る。 大正10年2月28日(金)日記 徳和下車、乾を訪れた。 川のはたでベストで写真うつして帰る。 |
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大正7年12月15日の日記より。 ・・・・寺西 雪公と金剛岸と神戸学校間で口論した。・・・・・・ 大正10年5月28日(土)の日記より。 ・・・・・昼寝して入浴して乾の宅へ行く。 星を眺めて金剛川をあるいて家に帰ってプロの交換を出した。 ←乾旧宅近くの杉の森橋から金剛橋、神戸学校(現松阪市立第五小学校)を見る。左奥に見えるのが神戸学校(現松阪市立第五小学校)。 大正7年1月1日(火)日記より 昼よりは始球式をす。第二学校は度々硝子を割ると云って中止されたから神戸学校にて球を失ふたから乾の家に行って歌留多をす 帰路甚だ面白し。 |
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