金剛橋と金剛川


大正7年12月15日の日記より。

・・・・寺西 雪公と金剛岸と神戸学校間で口論した。・・・・・・

大正10年2月18日(金)の日記より。

・・・・証明書貰って二時で帰る。マ−キ−によく似た子がゐた。徳和下車、乾を訪れた。
川のはたでベストで写真をうつして帰る・・・・。


大正10年5月28日(土)の日記より。

・・・・・昼寝して入浴して乾の宅へ行く。
星を眺めて金剛川をあるいて家に帰ってプロの交換を出した。



小津さんの日記にたびたび登場するのが、徳和駅 金剛川 。
近くに、親友”乾”の自宅があったため、山中からの下校の際にはよく松阪駅の前駅”徳和”で途中下車し、この金剛川を渡って帰宅していました。
金剛川は、小津さんの自宅から15分〜20分位の所でしょうか。 
この川畔は荒木野とも呼ばれる野原に続いていました。小津さんはその野原で野球などをしていた事が日記から伺えます。
公園や神楽座などの映画館と共に小津さんの最もお気に入りの場所だったようです。
・金剛川より自宅への道


大正10年1月15日(土)の日記より。

・・・・・第一限歴史の時に腹が痛いので早引した。
九時汽車に乗る・・・・。
車掌は波田であった。面白かったので腹痛も忘れてしまった。
徳和で下りてぶらぶらと帰る。寒風に当たりながら。


ここで注目すべき記述は、車掌は波田であった。面白かったので・・・・・と言う所です。
登下校の汽車の中で何やら小津さんが悪さをしている姿が目に浮かんできます。

小津さんが余りの素行の悪さで宇治山田中学校の宿舎を追い出され、通学へと変わったのは有名な話ですが、登下校の途中で色んな所で悪戯を繰り返していたのではないでしょうか・・・・。(爆)