船江公園
宇治山田中学校跡 @




大正五年四月、三重県立宇治山田中学校入学。寄宿生活を始めます。

ここで過ごした5年間の経験が後の作品に特に反映されているのが「父ありき」「秋刀魚の味」と言われています。
特に「父ありき」の脚本については驚く程この時期のエピソ−ドが投影されています。
船江公園
宇治山田中学校跡 A


碑が二つ立っていました、これも生誕100年を記念したものの様です。



中学校の同級生との友情は終生絶えず、映画でも繰り返し同窓会が登場します。
小津作品のほとんどが「親子」「家族」を描いていると言われています、そこにもう一つ「友情」といれて見たいですがどうでしょう。
船江公園
宇治山田中学校跡 B


碑の裏に晩年、宇治山田中学の同級生へ宛てた有名な手紙の一文が書いてありました。


「無常迅速 もう一度中学生に度いなあ 会ひ度い会ひ度い もう一度中学生になり度いなあ。」
船江公園
宇治山田中学校跡 C




こちらの碑には、手紙についての解説がされています。


小津さんが志摩半島を舞台に描いた「浮草」をロケした直後に、東海地方を伊勢湾台風が襲いました。

その直後の昭和34年九月二十八日に伊勢にいる旧友へ宛てた・・・・と記されています。
宇治山田中学校寄宿舎跡 @



寄宿舎は渡り廊下で学校と隣接していたそうです、現在は某電機メ−カ−の寮になっています。

当時から残っているのが唯一、炊事場の煙突です。


宇治山田中学校寄宿舎跡 A
宇治山田中学校寄宿舎跡 B


小津さんばりに煙突を撮るアングルを変えてみました・・・・・どう?

宇治山田中学には”絞り”と称する上級生の下級生に対する 体育系的気合入れがあったと言います。
小津さんの7年後輩の手記によると、山中には代々小津の逸話が語りつがれていました。

「・・・・・亡くなったあの有名な映画監督の小津安二郎さんも寄宿舎の大先輩であった。小津先輩には、一年生が入ってくると部屋の畳の目数を数えさせるという悪趣味があったという・・・・(自分は)遅れて入舎してよかった、と思ったことであった」


この頃のヤンチャな小津さんの行動が目に浮かびますが、その頃より舎監に目をつけられていた小津さんは、やがて五年生の頃に素行が悪いとの事で寄宿舎から追い出されるのでした。

しかし、自宅松阪からの通学生活になって、逆に自由の身になった小津さんは自宅近くの映画館「神楽座」へ入り浸るようになり、急激に映画の世界へとのめりこんで行くのです。
まったく何が幸いするか分からない。

因みにこの相性の悪かった舎監こそが「秋刀魚の味」の中学時代の恩師”瓢箪”のモデルと言われています。