松阪市の小津旧宅へ



大正二年三月、小津十歳の時に三重県松阪町(現松阪市)へ転居しました。
住所は松阪町垣鼻七八五番地、現在の松阪市愛宕町です。



松阪駅から15分程歩き、愛宕町にさしかかった所でこんな看板を発見しました。
小津旧宅 @



小津さんの旧宅は、青春館と言う名で現在公開されていますが、旧宅自体は松阪の昭和の大火事で全焼して、今はありません。土蔵だけが残ったようです。
最近残った土蔵から保管されていた、小津さんの当時の日記がみつかり、「若き日の小津安二郎」中村博男 著の本にもなりました。日記は燐宅だった佐野家が保管されていた様です。


小津さんの日記を読んでいると晩年まで寛一と言う名前が良く出てきますが、これは松阪時代の隣家の二歳下の子供であった、佐野寛一の事の様です。

小津家と佐野家の子供達は仲がよく、小津さんが監督として帰松した時も一緒に和田金に行ったり、佐野家へ泊めて貰っていた様です。

現在は、隣宅は佐野家では無い模様。
小津旧宅 A



本日は休日の為、休業。

中には小学校時代の学習ノ−トや手紙が展示されています。

小津旧宅 B



旧宅跡(青春館)の裏庭です。
ここにある、みかんの木で年1回ジャムを作り。表の青春館にて販売されています。
管理人も、それを購入し食しましたが・・・まぁ、あたりまえですが普通のジャムですね。(笑)

この、みかんの木は小津さんの居住時代からのものであり、松阪の大火事で一時衰えたものの復活し今でも毎年実を作ります。


兄、信一が当時の裏庭を描いたスケッチが残されていますが、灯篭など当時の庭の面影は充分残っているものと思われます。
五十鈴公園
松阪町立第二尋常小学校跡


松阪の昭和の大火事は、実は小津さんの母校となった、ここ第二尋常小学校が火元でした、親から聞いた話ですと、政治的意図があっての放火とも言われているそうです。


昭和二十六年 日記より

「松阪大火の由 朝 森から電話かかる 旧宅も焼けたらしい」



小津さんは四年生に転入しました。現在は公園になっています。
旧宅から歩いて5分程の所です。
神楽座跡の通り



小津さんが初めて映画を見、中学校時代にたびたび通った映画館跡です。
映画監督 小津安二郎の原点かもしれません。


「麦秋」完成後、脚本家の野田高梧とともに松阪を訪れた小津さんは神楽座の前を通った際に、

「この映画館がなければ、ぼくは映画監督にはならなっかたと思う」

と述べたそうです。

小津さんが帰松後、すぐに松阪大火事となり、神楽座も消滅しました。
旧宅から歩いて5分程の所です。
愛宕山



神楽座のほぼ向かい側にあります。
小津少年の良い遊び場だったようです。