・永代橋 (一人息子)

永大橋と言えば江戸捕り物時代劇などによく登場する、あの永大橋です。初代永大橋は元禄11年(1698年)だそうです。
現在の永大橋は昭和3年生まれと言う事ですから、え〜っと今年何歳でしょうか、かなりの高齢ですね。

清洲橋から隅田川下流に歩くこと15分、次第に大きく見えるこの永大橋。
橋に着くなり一番見たかったのは映画でのアングルでも映し出される橋の上部のアーチ形の鉄骨部分でした。

映画の中で信州から上京した母親を一人息子が東京観光に案内しますが、二人の乗ったタクシーのフェンダーあたりに備えつけられたられたカメラから、仰ぎ見る様にして写されるのがこの永大橋です。上部真ん中の2枚の写真が一番映画のアングルに近いでしょうか・・・・・・・。

「これ これ この感じ・・・・・・」橋の歩道から車道に顔を突っ込み、橋を仰ぎ見る様にして管理人はシャッターを何回もきりました。

小津さんはこう言うアングルが好きでした。やはり車に備え付けられたカメラから仰ぎ見る様に東京のビル群を映し出します。
そうすると、その映されたビル群はニューヨークの摩天楼っぽくなったりしてかっこ良かったりするのです。
晩年のローアングル パン無し 移動無しの、無い無いずくしの撮影方法ではありませんが、やはり小津さんが撮ると美しいのです。
下から仰ぎ見るこの橋の、なんて言うか剥き出しにされた鉄骨の幾何学的な美しさ・・・・・・管理人程度のボキャブラリーでは言い現わせません。
まぁ、故に映像として表現するのですが・・・・・。

小津さんは撮影用の対象としてだけでなく実際にこの橋をよく利用しました。

1933年 2月22日 全日記 小津安二郎より

「東京駅から宵のうちに深川に永大を渡って帰るときはいつも侘しくなるのは何故か 永大の橋梁から見た浅野セメントの外廓 川に向つてたつた亜鉛茸の倉庫・・・・・・・」

この日の日記ではバスで東京駅から帰った用ですが、小津さんは歩いてもこの橋をよく渡ったようです。

小津さんにとって永大橋とはロケーションの対象としてだけでなく、実際にこの橋を利用して下町深川の自宅から都心へと利用していた馴染みの橋だったようです。