-------『Five Years After』 2



「遅ぇよ。」

・・・・・・・・・・なんか、今、声がしたよね・・・。
後方の暗闇から声がして、驚きのあまり涙なんて吹っ飛んでしまった。
おそるおそる声のした方向を振り返る。
・・・もしかしたら幻聴かも・・・。ずっと鷹村君のこと考えていたから。

「まったく、今何時だと思ってやがる。」

しばらくその暗闇を見つめていると、確かに大きな人間がドアの陰から街灯の下に出てきた。
相変わらず不機嫌そうだけど。

「・・・どうして、いるの?帰ったんじゃ・・・」
まさか彼がまだいるなんて思ってなかったから、うまく言葉が出てこない。
「なんだよ、帰ってほしかったのかよ」
不機嫌だけど、学校で会ったときのように怒ってはいない。
「そういうわけじゃ・・・」
とりあえず、待たせてしまったことを謝らなければと思うのに、まだ喉が固まってしまっていて、
声がかすれてしまう。


鷹村君は私の前に立つと、私の顔をしばらくまじまじと見てから、その場にかがんだ。
と、思った。

「っっ?!きゃあぁぁぁっ!!」

ものすごい勢いで視界が反転する。
気がつくと、彼の肩に担がれていた。

「ちょちょちょちょっと、何?降ろして!た、鷹村く──!」
「お前なぁ、遅れるなら電話くらいしやがれ。ジムの電話番号くらいわかってるだろ。」
私を軽々と担ぎながら、彼は淡々と話す。
その口調からはほとんど不機嫌さが無くなっていた。
「ったく、お前が約束破るなんて事はねぇだろうから、待っててやったんだよ。
そんな疲れ切った顔して、何があったのかと思ったぞ。」

私が歩いてくるのを、彼はずっと見ていたんだ。
ジムの入り口で、独り言をつぶやいていたのも全部・・・と思うと、とてつもなく恥ずかしくなった。

「や、やだ、鷹村君!いるなら最初から言ってくれればいいじゃないっ!
いるなんて、思わないから!私っ──」
「いねぇ方が良かったか?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・遅くなってしまって・・・ごめんなさい。」
「ま、いいけどよ。オレも無理矢理約束させちまったからな。」

担がれたまま、しかもすれ違う人の視線を思いっきり浴びながらも、彼に謝れただけで
私の気分はかなり軽くなっていた。
長かった今日一日がまだ終わりそうもないのはわかっているけれど。
彼と一緒にいることの方がずっと、うれしかった。

「学校出ようと思ったら、クラスの生徒が階段から落ちちゃって骨折しちゃったの。病院連れて
行って 家に送り届けたら、もう時間間に合わなくて。
ごめんね。電話しとけば良かったって気づいたの、ついさっきなの。」
先生も大変だなぁ〜。」
ガキども、チャンなんて呼んでやがったぜ、と鷹村君は笑いながら言った。
「階段から落ちたなんて言ってるけど、どうもケンカらしいのよね。
あ、そういえば、昔の鷹村君にちょっと似てるかも、その子。」

自分でも持て余してしまう腕力とイライラをケンカで満たそうとする矢野君の姿が、初めて会った
頃の鷹村君と重なって見えた。私達が通った高校ほどではないにしろ、ウチの高校にはそういう
子が他にもいたから、生徒同士のトラブルは意外と絶えなかった。

「ねぇ、今度その子、ジムに連れて行ってもいいかな。少しは落ち着くんじゃないかと思うの。
何か、こう、ぶつけるものがあれば」
あの頃のあなたのように。
「そりゃあかまわねぇけど、保証はできねぇぞ。まあ、まずはオレ様が鼻っ柱へし折ってやるよ」
鷹村君が楽しそうに言うので、ついクスクス笑ってしまった。
「ありがとう。・・・それと、鷹村君・・・」
「あぁ?何だ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・降ろして?」
「だめだ。」
うっ。即答されてしまった。




結局、逃げ出さないようになのか(もしかしたら単なるトレーニングのつもりなのかもしれない)、
私を担いだまま鷹村君はランニングし始め、そのまま私は荷物のように太田荘まで運ばれてしまった。
アパートの階段を駆け上がり、部屋のドアを開けると、やっと彼は私を降ろしてくれたけど、
さすがにずっと不自然な体勢だったので、少しふらつくのを鷹村君が支えてくれた。
彼が部屋の電気をつけたので、私は部屋を見回した。

最後にこの部屋に来たのはいつだろう。
鷹村君が学校を辞める前だから・・・。
「5年ぶりかぁ・・・」
思わず口から零れていた。

散らかった部屋も、男性特有の雑誌がたくさん散乱しているのも相変わらず鷹村君らしくて、
それを少しバツが悪そうに押し入れにしまうのも相変わらずだった。
でも、鷹村君、押し入れの中もすごいよ?
くすくす笑いながら、変わってないね、と言うと、苦笑いしながら、うるせぇ、と返された。


「お茶でいいよな?」
とりあえず散らばっているモノ達を簡単に片付けて部屋に座ると、彼が冷蔵庫の中からペット
ボトルの緑茶を取りだして渡してくれた。
「ありがとう。」
受け取りながら、私がお茶を好きなコトを覚えていてくれたのがうれしくて、つい顔がほころんで
しまった。


「会長と話したんだってな。」
壁にもたれて座りオレンジジュースを飲みながら、鷹村君が不意に言った。
「あ・・・うん。少しだけどね。」
会長さんと話した事をきっと聞かれると思っていたから、そんなに驚かなかったけど、やっぱり
言いづらかった。

「オレも話した」
「え?」
「ボクシングに女は厳禁だとか、ありきたりのコト言い出すのかと思ったらよ、違った。
普通に引退できればまだしも、パンチドランカーにでもなって、最悪普通の生活も送れねぇよう
になったら どうすんだって言われたよ。世界には強ぇヤツがいっぱいいて、これからどんな
パンチもらうかわかんねぇ。

オレみたいにボクシングしかできねぇ男は、のように普通の人生送る女には向いてないんだ
とよ。」
そう言って、鷹村君はペットボトルのジュースを飲み干した。

彼にしては珍しく真面目な顔。そして少し苦い顔。

だから、私もちゃんと答えなきゃ、と思った。

「・・・そうだね、そういう話は、したよ。ほとんどは昔の鷹村君の話だったんだけど。
あ、そんな変なコトは話してないから大丈夫。」
昔の、と聞いて一瞬彼が「何話したんだよ」と顔をしかめたから、笑いながら付け足した。
鷹村君は、変なコトって何だ!変なコトって!とぼやいている。

「会長さんにも言ったことだけど、私、鷹村君がボクシング始めて、ホントに良かったって思ってる。
鷹村君、いつもはそんなにしゃべらなかったのに、ボクシングのこと話してくれるときは、すごく
楽しそうで、幸せそうで。
全身で突っ張ってたそれまでがウソみたいだったよ。

やっと自分の居場所を見つけたってうれしそうに話してくれたとき、ああ、きっとこの人私の手の
届かない所に飛んで行っちゃうんだろうなって思った。でも、それでいいんだって。」

今でもおんなじ。私、鷹村君がボクシングに向き合ってる姿が好きだから。
自分がそこに入り込もうだなんて思ってない。だから・・・。

「・・・ジムに出入りして、気を散らす存在にはなりたくなかったから、辞めたの。
もともとスクールの話だって、達に付き合ってOKしただけだし、そんないいかげんな気持ちで
ジムにいられたら 迷惑なだけじゃない?みんな真剣なのに。
会長さんに何か言われたから辞めた訳じゃないよ?

・・・・・・・・・・・鷹村君の大切な場所だから。だから・・・汚したくなかったの。」






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