武蔵野線元E38編成追跡・広島編

 

 お待たせしました〜、武蔵野線元E38編成を追う旅の映像・広島編をこちらにUPしました。
今回は本編だけで51枚の映像を用いると言う「出血大サービス」(単に絞り切れなかったとも言う)となりました。今回広島を訪れて驚いたのは、103系をはじめ、関西、関東で以前に活躍していた車両のオンパレードとなっていたことで、ラッシュ時の運行は1編成当りの長さは短いものの、運行間隔や乗車率には目を見張るものがありました。
元E38編成のクハ103-821、828も朝・晩のみの限定運用ながら、元気に活躍している姿を見ることができ、その姿をカメラに収めることができましたので、他の103・105系などと共に公開いたします。
また、私が1981年に広島地区を訪れた際の映像を紐解き、その一部をこちらからのリンクページにUPしましたので、そちらもよかったら是非ご覧ください(11/25現在、コメント部分は準備中です)。
いつものお願いとなりますが、2005年版・1981年版共に私、吉01が撮影し所有する映像となりますので、無断使用は固くお断りいたします。

 

約3ヶ月ぶりの再開となった、クハ103-821他の広E-04編成4連です。編成が短くなり、塗装も変わっているせいもありますが、スカートが着いているのもイメージを変えた理由の1つかなと感じました。
中間車は従来からのE-04編成の車両なのですが、やはり戸袋窓があるかないかと言うのは、随分印象を変えてしまいますね。これまで毎日のように戸袋窓ありの車両を見てきた私としては、戸袋窓がない103系と言うのは、かなり違和感があります。でも、広島や大阪の方は戸袋窓がある103系って違和感あるんでしょうね・・・と言ってもそんなところを見ているのは「てっちゃん」くらいしかいないでしょうけど(^^;
こちらは偶数(広島地区では下関・可部方向)向きのクハ103-828です。広島地区の103系は正面の方向幕は使用せず、白い板で塞がれています。恐らく同じ区間を走っている113・115系などには正面に電動方向幕を持っていないので、それに合わせたのかなと思っているのですが、非常にもったいないですよね。今回、山陽本線・呉線・可部線などに乗車しましたが、いずれの路線にも同色の103系が充当されており、編成も短いことからホームに降り立って、列車を前後から見るケースがあったのですが、側面の方向幕を見るまで行先が確認できない怖さがありました。記憶が確かなら約20編成も配置されている訳ですから、是非、前後の方向幕を活用してして欲しいですね。
転籍する前のクハの屋根については、かなり痛んでいたのですが、転籍後、吹田工場入場時に補修されて出場しています。この映像からも屋根の縁だけが光って見えるので、補修の様子がよくわかります。
よく見るとわかるのですが、クハ103-828の側面方向幕は前面方向幕同様、白い板で塞がれて使用していません。ただ、となりのM’車の3・4エンド側(偶数向き側)にある方向幕とTc車の3・4エンド側にある方向幕はとなりあって存在しているので、これは塞がれていても何ら不便はありません。201系辺りからの新製車は偶数向きのTc車の方向幕は1・2エンド寄りに付くようになり、形式も変わっているのですが、103系の場合、奇数向きも偶数向きも同形式ですからねぇ・・・しかも両側引き通しでどちらにも向けられたし・・・並んで付いているのはもったいないけど、仕方がないですね(^^;
クハ103-828のサイドビューです。ふと気が付いたのは、クーラーキセが変わってる・・・確かAU−75G、ステンレスの未塗装キセだったように記憶していますが・・・まぁ吹田で全検受けてますからねぇ、別の予備品に交換されたんでしょうね。と言うことは、予備品加修した後、別の車に搭載されてるんでしょうか。連結面の外幌といい、細かいところで他車への付け替えが出ていますね(外幌についての詳細は大阪編で)。
クハ103-821の少し寄った映像です。こちらもクーラーキセに変化があります。それと、ジャンパ栓が装着されていますね。広島地区の103系は3連ないし4連で、併結する可能性があるので奇数向きのTc全車(私が見た限り)にはジャンパ詮が装着してあるようです。これで武蔵野線在籍時はただの飾りだったジャンパ詮受も役に立ちました。
こちらの屋根も修繕されて綺麗になりました。前は傷みがひどくて、痛々しい感じでしたからねぇ。(その時の映像があるページはこちら
前面方向幕が使われていないのでわからないと思いますが、ここまでの映像は可部線梅林始発2754M広島行だったのですが、客扱い終了後速やかに広島運転所へ引き上げて行き、まだ8時前なのですが、これで午前中の運転は終了します。
この後、19時頃まで『昼寝』に入り、19:53発可部行799Mで運転を再開します。
これでしばしのお別れと言うことで・・・また夜に再開します。
この映像を見て「こんな色の103系もあるんだ」と思われた方・・・残念ながら「ハズレ」です(^^;
確かに「元」103系ですが、改造されて105系になっています。種車は松戸電車区に配置されていたクハ103-11で、1984年に広島工場で改造され、その後可部線で活躍してきました。東日本ではこのようなスタイルの105系は仙石線の陸前原ノ町電車区(当時)に配置されていたでしょうか。
でもこの顔の105系に前面方向幕を付けるなら、何で103系にも付けないんじゃ〜!。
この列車に乗って、いざ可部線へ・・・いやぁ24年と7ヶ月ぶりですよ・・・干支が2回りもしてるじゃん(^^;
撮影場所は中島〜上八木で太田川に架かる鉄橋の東詰(中島寄り)になります。
このクモハ105-11ですが、恐らく可部線に配置されたオリジナルのクモハ105だと思われます(昔は朱色)。側窓を見る限りでは随分体質改善が進んだ車です。クーラーはJRでは西日本オリジナルの分散型で、個人的感覚ですが、どうもこのクーラーを見ると私鉄の車両を思い浮かべてしまいます(^^;
しかし白昼に可部線の広島行ですか・・・随分変わったもんですねぇ・・・昔はほとんど横川止まりでしたから。
前述の太田川に架かる鉄橋を渡る105系クハ104-11可部行です。(上の映像と同一編成・・・前後してました。すみません)
しかし、この鉄橋は昔と較べて塗装で色こそ違うものの、手すり(若干補強されてるか?)から架線柱、保守用の渡り板までほとんど変わってませんね。下の写真は24年前の1981年のもので、ほぼ定点で撮影していますが、変わっていないのがよくわかります。(あっ、車両は変わってますけど・・・笑)
現地に立って、随分開発が進んだなぁと思いましたが、この角度で見た風景では1981年当時から林だった部分が補強された法面に変わっている程度で、あまり変わってなかったんですね。しかし写っていないこの写真とは逆側の芸備線下深川駅方向はものすごい勢いで開発が進んでいました(確か1km程度しか離れていない)。
1981年当時のなつかしの73系4連のクハ79です。何てったって103系をはじめとした通勤型車両の前面デザインの原点ですから・・・しかし改めて見ると塗装が派手じゃのう(笑)。

73系をはじめとした広島地区なつかしの映像はこちら
(左の映像をクリックしても、別ページがポップアップしますが、かなり重たい(「1トンくらいか?」とか言わないように・・・笑)ので、覚悟の上ご覧あれ・・・
(でもブロードバンド利用してる人には関係ないんだろうな・・・ボソ)
(11/25現在、コメント部分は準備中です)
クハ103-1016改造の105系クハ105-1です。どうも最近、和歌山から転属されたようですね(もしかしたら5月に和歌山で見てたカモ)。しかし、1981年当時はまだ地元の松戸電車区に配置され、常磐緩行・営団千代田線を走っていた車両が、24年後、この地を走ることになるとは夢にも思っていなかったです。
上の映像のつづきです。
屋根上にクーラーキセが見当たりませんが、和歌山でよく目にした「簡易冷房」(勝手に名付けました(^^;)ではないかと思います。効きがよくないので、あまり評判がよろしくないとも聞いたような気もしますが・・・。でも冷房改造前の103系1000番台を見ているようで、懐かしいですね。
上の車両(クハ105-1)の可部折り返しを中島駅で撮影したものです。
いやぁ、間近で見るとピカピカですね・・・新車みたい(ぉぃ)・・・でも方向幕は変色してますが(^^;
この列車に乗り、一度可部線を離れます。また夜には戻って来るんですけどね。
今度立ち寄ったのが、山陽本線瀬野駅です。
左の写真は、瀬野駅北側(広島に向かって右側)の現在の映像です。駅に降り立って、余りの変貌振りに目を疑いました。下の写真と比較するとよくわかりますが、昔はホームのすぐとなりに小ぢんまりとした瀬野機関区があって、その裏は林というか山があったのですが、大きく切り崩され駐車場や住宅地に変わっています。中島がそんなに変わってなかったので、機関区跡はなくても、雰囲気は残っているかなと想像してたんですけどねぇ(^^;
ところで駅の改札を出てウロウロしていたら、駅員さんに「何か私にお手伝いできることはありませんか」と声をかけて頂き、大型時刻表10月号をバックに載せてあるのを見て、「11月号をあげよう」と言って探してくれたものの見つからず、代わりにポケット時刻表を頂きました。でもコレがその後大変役に立ち、ホント助かりました。他のお客さんがいたので、ろくに話やお礼も言えず瀬野を後にしてしまいましたが、本当にありがとうございました。
この映像は1981年当時の瀬野駅ホームから撮影したものです。ホームの隣に瀬野機関区があり、瀬野から八本松まで(いわゆる「セノハチ」)の上り勾配に挑む貨物や荷物列車を「後押し」していました。通常補機は本務機の前に連結されることが多いのですが、このセノハチでは後部に連結され、勾配を登り終えると走行したまま空気圧で連結器を開放し、切り離しを終えて単機(と言ってもEF59は重連だが)で瀬野まで降りてくるような運転をしていました。デッキ手摺付け根の下辺りに空気圧で連結器の開放をする装置が付いているのが解ります。
ちなみにこの機関車の逆側はかなり派手な塗装になってます(笑)。
その映像を含むなつかしの広島地区映像はこちら。左の映像をクリックしてもそのページがポップアップします。(11/25現在、コメント部分は準備中です)
今度は呉線です。呉線では4連と3連(ワンマン)の運用があり、この映像はクハ103-35他4連の普通広島発広行で、水尻にて下り列車の交換待ちで停車しているところです。
こちらは呉線の103系3連でワンマン運転されているようです。この列車は快速「安芸路ライナー」広行なのですが、上の列車が呉でこの快速の待避と時間調整で約20分停車します。ただし、快速と言ってもこの呉からは各駅停車になる訳で、何のための待避なのかよくわかりません。この先に結構長いトンネル区間があって、かなり飛ばして走るのですが、何か武蔵野線のトンネル区間を彷彿とさせるようなシーンでしたね・・・つまりはやかましいということですが(^^;
今回呉線に乗車した理由は、この後の元E38編成の夜間撮影場所を探すためだったのですが、ほぼ絶望的とわかり、広に着いた後、何もせず広島に舞い戻ったのでした・・・(^^;
広島駅構内以外に夜間撮影できるような場所は可部駅しかないと確信し、799Mの先行列車に乗り可部へと向かいましたが、到着番線が3番線と知った時はかなりショックでした。
理由はこの映像を見てもらうとわかると思うのですが・・・「真っ暗」(爆)。少しでも良い条件で撮影しようと、改札を出たところにある今は使用されていないと思われた踏切内で撮影を試みようと駅員氏に交渉したところあっさり拒否され、こんな映像になってしまいました。
ただ、駅員氏の判断が正しかったと思われたのは、使ってないと思ってた踏切警報機が列車接近時に作動するではありませんか(・_・;。可部から先が廃止されても車止めも設置されていないもんだから、過走を警戒して警報機が作動するようになっていたとは・・・恐れ入りました。
この列車が到着してからがまた大変です。何が大変って、折り返しの時間がたったの4分・・・それも撮影後乗って帰ろうってんだからさぁ大変!。15〜30秒露光で4枚の撮影が終わったら、三脚を折りたたまないのカメラとバックを抱えて一目散に改札へ走り込み、駅員氏から車掌氏に発車の「待った」をかけてもらって、息も絶え絶え何とか乗車できました。
しかしまぁ、なんて迷惑な客なんでしょうねぇ・・・でも乗れていなかったら、以下の映像はこの世に存在してないことになった訳ですが・・・いやぁ、ホントに申し訳ないことをしましたm(_ _)m
「申し訳なかった」と思いつつ、乗せてもらえたのだから・・・と言うことでデジタルビデオの静止画撮影機能で細かいところを撮影してみました。
この映像は乗務員室の上部、前照灯の裏のカバー部分を撮影したものです。一部白く塗装された部分がありますが、以前ここには右上にあるような記述がありました(携帯でたまたま撮影してあったものですが写りが悪くてスミマセン)。内容は「冷房編成のため青梅線には入れません」だったのですが、さすがに広島で使用するのにそのままとはいかないので消してありました。
運転台部分を停車中、車掌氏がホームに出ていて不在の際に撮影しました。
変化のあった部分は、まず行路票差が「E電用」から「M電用」に変わっている。さらに京葉線停車駅通過防止装置の撤去(当たり前じゃ)、そしてブレーキ弁が交換されている・・・と言ったところでしょうか。ブレーキ弁は武蔵野線時代、ME48でしたが、これをME49W1という物に交換してあります。しかしはずされたブレーキ弁は使い道があるのでしょうかねぇ。同じものを西日本管内で使用しているようならば、加修して予備品に編入するんでしょうが・・・。「ST」って何だと思ったのですが、「吹田」ですね。今までOMとかOY(今はTK)、KKくらいしか日常見ることはなかったもので・・・(^^;
見るのを忘れてましたが、ATS−P関連の機器(記録器)などは撤去されたんでしょうね。ユニットランプは一応「3」まであったような気がしますが、ここでは「1」しか灯らないので、加減速時は少し寂しいですね。
E電用行路票差を取り外した部分に、手書きで編成の内訳とMGの発電容量が書き込まれています。これはこの編成に限らず、他の103系でも同じように手書きで書き込まれています。アットホームな感じがして悪くはないと思うのですが、編成の組み換えが発生すると塗装し直すんですかねぇ(^^;
列車交換で停車の際、車掌さんに後ろからのフラッシュ撮影を申し出て、了解を頂いてから撮影したものです。
撮影した駅を記録するのを忘れてしまい撮影地不明です。この列車(824M)が交換するのは梅林か緑井、古市橋なのですが・・・後ろにある映画館の名前から調べると、どうも緑井のようです(^^;
クハ103-828の前面は元々黒Hゴムだったのですが、方向幕のHゴムが随分劣化してたんですけど、入場時に交換されたようですね。
列車の前方の方が空いていたので、前方に移動して車内の撮影を行いました。
この映像は客室と乗務員室仕切りの右上部分のです。号車札はもちろん抜かれていますが、右側にあったはずの東京近郊区間路線図がはがされています(当たり前ですが)。その後がくっきりと残ってますね。でも未更新車窓上のアルミデコラってこんなに白かったんですねぇ。
JR西日本の「優先座席」を示すステッカーは目立ってよいですね。どうも関東のものは余り目立たないような気がします。それにシートもわかりやすいプリント柄で、好感が持てます。
あと、「優先座席」以外のシートですが、広島地区の2両は以前のものがそのまま使用されているようです。それからこの映像からわかることは、下部の窓開閉つまみが撤去され、固定されたままになっています。
この映像からはわかりませんが、この2両については消毒済み票が入っていませんでした。さらに、武蔵野線特有なものとして座席下に避難用はしごが格納されている位置を示すシールがカーテンカバーに貼られているのですが、それも見当たりませんでした。
クハ103-821の側面方向幕です。関東の人では「安浦」って言われてもピンときませんよね。刑事さんの名前ならピンときますが(ぉぃ)。この駅、呉線のほぼ中間にある駅で、呉市のはずれに位置し、その先は東広島市になる場所です。広島運転所の103系は呉線内に停泊する運用が多くありますが、この824Mも広島から1970Mで呉線に入り、安浦に終前で到着後そのまま停泊し、明けて安浦2番列車(5923M)として通勤ライナー五日市(山陽本線)行となります。
「広ヒロ」:広島運転所の電略です。このクハ103-821と相棒の828に刻まれたこれまでの電略は、西トタ、東トタ、千ツヌ、千ラシ、(東トタ→)八トタ、千ケヨ で、この広ヒロが7つ目となると思われます。
形式・車号表記の色はこの映像だと黒に見えますが、実際は帯の色と同じ、紺色になっています。よく見てきた形式・車号だけにちょっと違和感があります。
広島に着くまではガラガラだったんですけど、広島からは様相が一変し、家路に就くための通勤電車に様変わりします(列番もここから1970M)。
この21:14発安浦行1970Mを見送って、この日の撮影は終了・・・これでやっと晩飯にありつけます(笑)。
明けたこの日もよく晴れてくれました。いやぁ、しかしねむ゛い・・・と言ってもまだ序の口。大阪編では暗いうちから撮影ですから(^^;
1番線に停車中の広島7:20発山陽本線五日市行です。広島までは呉・広島間を矢野のみ停車の快速「通勤ライナー」として運転されていますが、「ライナー」と言っても東京近郊のような定員制の列車ではありません。あくまでも「愛称」ということで・・・(103系で定員制って言われてもねぇ)。7:18入線で7:20発車ですから時刻表上ではあまり撮影時間がないように見えますが、この日は先行列車のベタ遅れがあり、3〜4分程度停車していたでしょうか。ただ、これはこの日の話ですので、今後撮影をされる方はあくまでも時刻表通りに動かれた方がよいと思います。
クハ103-821の側面方向幕です。武蔵野線時代にも種別「快速」の幕を持っていましたが、広島でも持ってましたねぇ。それも区間表示が入っているところも若干似ています。ただ色違いで、種別と区間表記が逆なのが残念!。
行先も五日市というのは因縁がありますね。豊田電車区での10連時代、入線はできないものの「武蔵五日市」って幕は持っていたかもしれませんし・・・(ちょっと強引か)。
こちらはクハ103-821を前面から撮影したものです。朝日が眩しいっすねぇ。
撮影場所を新井口駅の下関方に移動しました。私もハマったのですが、駅名は「あらいぐち」ではありません、「しんいのくち」ですから・・・。
いきなりですが、列番・行先とも不明です(^^;。やっぱり前面方向幕を使用していないってのは、こういう時に困りますね(ぉぃ・・・「てつ」の都合だろうが)。ただ編成番号はわかるので、車号がわかるのがGoodですね(なんでここだけ英語なんや?)・・・大阪では環状線を除いて、こうはいきませんから・・・。
映像ですが、上り列車のクハ103-35他4連です。いきなり広島配置のクハ最若番を引き当てました(って、昨日も撮影してるじゃん!)。
上の列車を反対側から・・・ちなみに車はクハ103-199です。
編成が短いとは言え、かなりの乗車率です。運転間隔も短いし、かなりの乗車人員があると思われます。広電との競合区間だと思いますが、広島駅や横川駅周辺に向かう人ならば、やはり「軌道」の広電」より早いのでJRを選択する人も多いのでしょうね。
おっ、やってきました、となりの五日市始発クハ103-821他4連の広島行です。これぐらい明るいところで編成全体を見渡すとクハと従来からのモハでは車体の色が違うのがわかりますね。
反対側のクハ103-828です。今頃気づきましたが、乗務員室扉の下部の取っ手は東日本オリジナルなんですねぇ。広島の乗務員さんが「これは便利だ」とばかりに他の車にも広がってくれると、広島にやって来た甲斐もあったというものですが・・・そんなことはないっすね・・・きっと(^^;
私が今回の旅で最後に見た広島の元E38編成車の姿です。もう出会うことはないかもしれないけど、末永くがんばって欲しいと思います。
115系の原型ライトを持つクハの編成が入ってきました。クハ115-139だと思われます。原型ライトの車を見たのは、何年ぶりでしょうか。
走り去っていく方の編成がクハ103-95他4連、接近してくる方の編成がクハ103-151他4連です。どちらも103系低運転台車同士のすれ違いなんて、なんか微笑ましいですね。
ちょっと「毛色の違う」103系が現れました。うぐいす・・・いや、マスカット色のクハ103-210他8連の列車です。ただ、このE-06編成が8連なのではなくて、別の4連編成を併結して運転しています。確かこの列車も五日市行だったような気がします。
この「マスカット」色の編成、岡山電車区配置だったのは知っていましたが、恐らく最近広島へ転属したものと思われます。
配置区所の表記ですが、岡オカの上に広ヒロのシールが貼られています。最初見た時は、ガムテープかと思ったのですが、さすがにそれはないですよね(笑)。
先ほどのE-06編成に併結されていた編成は、クハ103-183他4連のB-01編成でした。この8連と115系クハ115-317他4連とのすれ違いです。
クハ103-172他4連のB-10編成です。
女性の車掌さん、足の疲れでもほぐしているのでしょうか?。やっぱり立ってる時間が長いですからねぇ・・・疲れると思いますよ。がんばってくださいね!
先ほどのB-01編成+E-06編成の8連が戻ってきました。
103系の8連ですか・・・武蔵野線と同じですね。8連以上の長い編成を見られるのも、ここと阪和線くらいしか残りそうにないですね。
撮影場所が変わって、再び広島駅です。
先ほど新井口で撮影したクハ103-95他のB-04編成4連です。
呉線到着列車のクハ103-267他のB-14編成4連です。
B編成は14編成のうち、今回の旅で7編成撮影できました。
網干から広島へ貸出中の編成で、F-21編成を名乗っているクハ111-5276他4連です。しかしグロベン(グローブベンチレータ)を乗っけているクハ111を久しぶりに見ましたよ。
E-04編成(クハ103-821他)などと共に予備運用に就く事が多いようです。確か前日(10/26)824M乗車時、横川で時間調整中に可部線ホームに入線してきた記憶があります。
F-21編成下関方のクハ111-5392です。湘南色のクハ111の原型ライトですよ・・・いやぁ、しびれちゃいますね(笑)
回送で広島運転所に引き上げていきました。
昨日呉から広まで乗車したクモハ103-2502他3連のD-03編成編成です。この日も快速「安芸路ライナー」の運用に充当されているようです。しかし、改造でないシールドビームを持つクモハっていうのも何かアンバランスですねぇ。
時刻表11月号の表紙にも出ていた「瀬戸内マリンビュー」です。この映像は広島10:06発瀬戸内マリンビュー1号、呉線廻り三原行が発車するシーンです。
しかし、快速でここまでやるとは、ちょっと驚きです。車両はキハ47で、先頭は自由席用のキハ47-7001、後ろの2号車は指定席用のキハ47-7002です。来年の3月まで運転されるようですが、その後この車両どうなるんでしょうね?

Last update 2005.11.25

   


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