『猫魔侘剣奇伝』

第四章『因果』


 住職の話に松岡と良子は聞き入っていた。
「その後、又十郎と珠子は全国を旅して、モノノ怪の親方を次々に退治して回ったのですが、最後に残ったムジナの親方だけがどこにいるのか判らなかったのです。しかも、人吉に戻った又十郎は、師匠である小田夕柳軒が何者かに闇討ちされていたのを知ります」
「ほほう……それはまた、お気の毒な……」
 松岡が調子良く相づちを打つ。
「そして、又十郎と珠子は師の菩提を弔うために寺を建立しました」
「それが、この猫又寺の由来なんですね?」
 良子が言うと、住職は頷いた。
「そうです」
「猫又が建立した寺だから、猫又寺……ですか? 私は、猫又を退治した祈念に建立したのかと思いましたよ」
 松岡が何やら皮肉っぽく言った。
「いいえ、違います」
「でも、最後に残ったムジナの正体はわからずじまいだし、師匠も何者かに殺されてしまっていた……ってことは、その猫又になった又十郎という侍はどうなったんでしょう?」
 松岡のものの言い方は、伝説について淡々と話している住職に対して、何か含むことがあるような口ぶりだったが、しかし、住職はまったく気にしていない様子だった。
「彼は待つことにしたんです」
「何をですか?」
「ムジナが現れるのを……ですよ」
「えっ、何で、ムジナが現れるんですか?」
「師匠を殺したのがムジナだからですよ」
 住職が淡々と話すのを聞いていた松岡が、急に苛ついた顔になった。
「なっ、何で、ムジナが師匠を殺したんですか?」
「師匠が又十郎に鵜ノ首陣内の心の一方の破り方を教えたからです」
「そっ、それが、どうしてムジナが師匠を殺す理由になるんです? 意味が解らない」
 松岡は恐慌に陥っている様子だった。良子は何がなんだか解らない。ふと気づくと、照明や音声のスタッフが、皆、押し黙ったまま石像のように動かない。
(そういえば、このスタッフの誰も一言も口をきいていない?)
 良子は何やら背筋が寒くなってきた。
 そして……。

「それはですね。鵜ノ首陣内の正体がムジナだったからですよ」
 住職がそう言った瞬間、松岡が白目を剥いて口から泡を噴いて卒倒してしまった。まるで何かの発作を起こしたようだった。
 良子がびっくりして立ち上がろうとするのを、後ろから住職の奥さんが肩を掴んで押さえた。ただ軽く乗せているだけなのに、凄い力でまったく抵抗できない。
「貴方は見ていなさい」
 奥さんから言われて良子は力が抜けてしまった。
 照明と音声のスタッフがゆらりと立ち上がった。俯いていた顔を上げると、目も鼻も口もない“のっぺらぼう”のようになっている。
 良子は、小泉八雲の怪談ムジナの一節を思い出した。ムジナは、のっぺらぼうに化ける妖怪なのだ。
 住職が立ち上がると、どこから持ち出したのか、いつの間にか日本刀を持っている。
 のっぺらぼうがフワリと空中に浮かんで、住職に向かってスーッと滑空する。一人が手にするマイクは先端から刃が突き出ている。もう一人の持つライトは住職の顔めがけて強烈な光を浴びせる。しかしそんな目くらましが通用する相手ではなかった。金色の瞳がなおいっそう、輝きを増すばかり。襲いかかるのっぺらぼうが、住職と交叉したと思われた次には、床の上に狸と言われれば狸のような、生臭い湿り気を帯びた毛の固まりが、どさりと転がるのが見えた。
 住職が抜刀一閃で二匹を両断してのけたのだ……が……その住職の顔もまた、獣の顔に変わっている。
 良子が悲鳴をあげようとするが、声が出ない。現実に起こっていることなのかも判らない。逃げようとしても背後から“あの女”に抑えられていて動けなかった。
 カメラマンとADだった“のっぺらぼう”が、一匹は住職に、もう一匹が奥方に襲いかかってきた。が、住職の刀に両断され、奥方の“爪”に切り裂かれて、またも狸のような死骸に変わってしまった……。
 良子が奥方と目が合うと、奥方の両目は赤と青の宝石のように瞳が輝いている。そうだ、この夫婦が、いま話に聞いた夏目又十郎と珠子、そのものだったのだ。
 良子がそう悟った瞬間、卒倒していた松岡の身体が糸で吊られるようにギコチナク立ち上がった。
 失神している顔がコキコキッと関節の鳴る音をたてて正面に向き、白目がグルンッと回って、別の生き物が入り込んでいるように眼球だけが不規則に蠢いて、獣の顔に変わった住職を見た。
「よう、夏目又十郎。まだ、俺を狙っていたのかい?」
「それはお互い様かもしれんな」
 良子は動けないまま慄然としていた。さっきまで住職が話していた長い長い猫又の話は、住職自身のことだったのだ……。そして、彼が狙う最後の相手が鵜ノ首陣内ことムジナであり、そのムジナが松岡だったとは?
 脈絡のない悪夢を見ているように良子には思えた。

「陣内。お前がムジナだったというのは、随分と後で知ったことだ。お前はあの時、細川家の剣術指南役に入り込んで、それから何をするつもりだったんだ?」
 住職、いや、猫面の剣客、夏目又十郎が、松岡の中に寄生している鵜ノ首陣内に質問した。
「な〜に、あの時は、ちょっと遊んでやろうと思っただけだった。それをお前とお前の師匠が邪魔したからな。たかが人間の分際でな。だから、お前の師匠が人吉に帰る途中で道を迷わせてやって、崖から落としてやったのさ。お前も一緒に殺るつもりだったが、まさか猫又の爺さんに雇われて刺客になっているとは思わなかったんでね。狗神、猿神、蛇神に狐と次々に全国の親方が始末されていると知って、俺は人間の中に隠れることにしたんだ。ムジナの一族は他の連中とは違って、精神寄生することができる。それも無意識にね。だから、寄生された者も気づかない。それでも、どうも、俺がお前をぶっ殺してやりたいという感情が強すぎて、いつの間にか、ここに呼び寄せられちまったみたいだな」
「それは違うだろう。お前は自分の意志でここに私と決着をつけに来たんだ。この手下を連れてね」
 又十郎がそう言うと、陣内は嘲笑した。
「なるほど、そうかも知れん」
 又十郎が、もう一本、刀を差し出す。
「陣内、これを使え。最後の勝負だ」
 陣内が刀を受け取り、鞘を払って構えた。
 又十郎が刀を下段に構える。陣内が中段から真っすぐ剣尖を突き出した。猛烈な突きが連続して繰り出される。又十郎の身体が沈み、反対に剣が浮き上がり、陣内の突き出した剣と交叉する。と、陣内の身体が浮き上がり、後ろに弾き飛ばされた。
 立ち上がった陣内が憎々しげに又十郎を睨む。
「貴様、何をした?」
「これは“合気”という技を剣で使ったんだ」
「昔は、そんな技は使っていなかったぞ」
「長く生きていればいろんな技を覚えるものさ。さあ、もう一度かかってこい」
 陣内が焦って刀を突き出し、気合をかける。秘術、心の一方だった。が、ほぼ同時に又十郎も気合をかけた。陣内がビクっとすくんで雷に打たれたように突っ張って倒れた。
「お前も心の一方を覚えたのか?」
「いや、これは“気合当て”だ」
 又十郎と陣内は、数度、同様の立ち合いをしたが、又十郎は、陣内が何か技を仕掛ける度に、毎回、異なる秘術を遣って封じてしまい、完封してしまった。
「陣内、どうした、もうネタ切れか?」
 何をやっても子供扱いにされてしまった陣内は、刀を捨てて座り込んだ。
「もう、いい。お前が強いのはよく判った。さっさと師匠の仇をとれ」
「勘違いするな。私は仇討ちしたいとは、もう思っていない。師匠が死んだのは、もう二百年以上も前の話だ。それにムジナの一族は、もうお前一人しか残っていないだろう。お前を殺せばムジナはいなくなってしまう」
「何を今更、ほとけ心を出しているんだ。坊主に化けて暮らすうちに仏道に帰依したとでも言いたいのか? 狐や狸が坊主に化けた話はあるが、猫又の坊主というのは聞いたことがないぞ。俺を殺さなければ、お前は人間に戻れないんだろう? さっさと殺れ!」
 陣内がやけくそで言う。
「いや、このままでも別に馴染んでしまえばどうということもない。珠子に教えてもらって、人間に化けることもできるようになったからな」
「なんだよ……おもしろくねえな、おもしろくねえんだよ! このままじゃな! いつもおまえは、俺に差を見せつけたまま、消えちまう。俺を負け犬のまま永遠に放っておくなんて、何て、嫌なヤツなんだッ! チクショウメ!」
 松岡が唐突にダン!と床を踏みならし、良子のいる方に跳躍してきた。
 奥方=珠子がすかさず良子の前に飛び出し、その姿に似つかわしくない剛腕でもって松岡の胴体を両断する。血を噴射しながら勢いあまって珠子の体を乗り越えた松岡の上半身は良子の上に覆いかぶさる形になった。
「ぎゃあああああああああ!」
 良子が絶叫する。松岡の上半身は良子の体にしがみつき、そのメロンカップの乳に歯を立てていた。珠子にその体を切り裂かれることを承知で、目当ては良子、いや、良子の乳だったのだろうか。松岡のエロに対する執着心恐るべし、ということだろうか。それとも……そうだ、生まれ変わりたいと言っていた。生に対する執着か、性に関する執着か。何か達観したような又十郎の佇まいとは全く違う、そのどちらが本来のモノノ怪の本性なのであろうか。
「ああ、ごめんなさい、どうしましょう」
 珠子はうろたえているんだか、冷静に困っているだけなのか、とにかく謝られてもどうしようもない。乳房に鋭い痛みが走る。そして何より気色悪い! 早くどうにかしてほしい。
「仕方ないな」
 近寄ってきた又十郎は迷い無く、松岡の延髄を叩き斬った。
 良子の体は切れていなかったが、大量の松岡の血で濡れていた。

 そこから良子の記憶はしばらく途切れる。わずかな記憶といえば、

 赤と青の目を持つ白い猫と、キジトラ模様の猫に見つめられていた、ような。

 麓の村の近くで、車の中で血まみれの姿でぼんやりしていた、ような。


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