『猫魔侘剣奇伝』

終章『夢の続き』


 この一件は連日メディアを賑わす大事件になるかと思いきや、なんとも分からないことだらけで想像を膨らませるにも不自由らしく、世の人々の記憶から半ば強引に消し去られた。公式には松岡と石堂良子だけが山奥に怪奇特集の映像を撮りに行き、松岡が崖から落ちた上、体を熊もしくは大型の獣に食われ、そして錯乱状態になった良子の記憶が消えてしまった。特に事件性は無し、事故である、ということになっている。松岡と良子以外のスタッフは、その存在さえ確認されていない。始めからいなかったのだ。しかし車は2台だったが……細かいことはどうでもいい。というか、まだ九州に熊がいるのではないかという事の方が、九州人にとっては衝撃的だったようだ。

 それでも松岡という人間について少々調べた結果―――オカルトを採り上げた番組をいやいや担当して気がめいっていた、松岡の暴力に悩んだ妻と協議離婚していた上、二人の子供の毎月の養育費の支払いも滞り、裁判を起こされて悩んでいたという話等々、いろいろと満たされない思いを抱えていた不幸な人生が浮かび上がってくる。
 そこで松岡は、当日何があったか知らないが、発作的に投身自殺したのかもしれない、という線で話はまとまりがちである。それがどうしてあんな遺体の状況になるのかという点はともかく。
 良子は記憶が消えるのみならず、一時的に人格まで崩壊してしまうほどの恐怖を味わったかわいそうな人、ということでなんとなく触れる事を憚られた。

 そんなありきたりな話じゃ納得できない、もっと真に迫る面白い話を聞かせろというならば、良子の証言する、とうの昔に廃寺となったはずの“猫又寺”とやらで起こった、モノノ怪の話を信じるより他ない。
 そうなると松岡はモノノ怪であったわけだが、モノノ怪がどうしてそんなつまらない、人間くさい生活を送っていたのだろうか。死を恐れる事も無く、人を凌ぐ力を持った存在、それがどうして人間の世界に埋没し、圧迫を受けながら暮らさなければならなかったのか。いろいろと込み入った事情はあるだろうが、一つ言えることは、人間はモノノ怪としての生活に案外馴染めるが、その逆をしようとすると、とても難しいらしい、ということ。
 いやいや、それは夏目又十郎や珠子が特殊な人間だったから馴染めただけに違いない、誰でもそうなれるわけではないだろう、と思われるだろうが、なかなかどうして、意外にすんなりいくものなのだ。人間の慣れというものは恐ろしいもので。
 ちなみに良子はしばらく世間から姿を消すが、最近、怪奇作家としてひっそりとデビューしたと、噂の噂、まことしやかな法螺話。


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