二 八月の日差しに大気がゆらぎ、そのむこうに富士山が端正な稜線を見せている。紫を帯びて黒い霊峰を背に、再建間もない光子力研究所の壁は白い。そしてマジンガーZの格納庫を覆う貯水槽は、目が痛いほどに太陽を照り返している。 「冷房とは実にありがたいものです」 せわし博士が空調の送風口の下に立った。白衣のすそをひらひらさせて冷たい空気を全身に浴びる。 「この涼しさ、寿命が延びますわい」 ふっさりしたロマンスグレーのひげにも冷気をたくわえて、子供のようにニコニコしている。 「いや、まったく。この炎天下、プレハブの仮設研究室の暑さは、たまったものではなかった。思い出しただけで汗をかく」 もりもり博士が広い額から頭、そして首筋をハンカチでつるんとぬぐう。 「お待たせしました、お嬢さん」 のっそり博士の声とともに扉が開いた。がたっと椅子の音をたててさやかが立ちあがった。いつもの黄色いジャンプスーツの腰でピンクのサッシュが揺れている。 よほどお待ちかねですぞ、そうですねと、せわし博士ともりもり博士がほほ笑ましげに目配せを交わす。のっそり博士はひょうひょうと金属製のスーツケースを作業台の真中に置いた。 「それでは始めますか。お嬢さん、お座りください」 「あら、あたし…」 さやかが照れた微笑を浮かべて腰をおろした。のっそり博士は少し眼鏡を持ち上げて、ケースの「生地見本」と書かれたラベルを今一度確認してふたを開く。 「これとこれが、今回お嬢さんのために作った生地です」 のっそり博士の手元をさやかがじっと見守る。博士はえんじやオレンジ色の布の下から二種類の布を取り出した。 「まあ、真っ白、こっちはきれいなローズピンク」 お嬢さんの歓声に、横で聞いているせわし博士の頬もゆるむ。 「のっそり博士、これで足りますか」 「ああ、もりもり博士、すみませんね。では、こちらに…」 「いやいや、なんの」 もりもり博士がさやかの前に水を張ったバットを置いた。 「さてさて、お嬢さん、色ばかりではありませんよ。いいですか」 のっそり博士が二枚の布片を水底に沈めて、手を離した。布はバットの底からゆっくり浮きあがり、花筏(はないかだ)のように水面を漂う。 「あら」 さやかが身を乗り出してバットをのぞきこむ。 「そうです」 なで肩で痩身の博士はあいかわらずのどかな口調だ。 「この布は比重が水より軽く、しかも特殊な防水加工をしました」 「ああ、だから浮くのね」 「水中に投げ出された時のことを考えたわけです。なにしろお嬢さんは、海でも湖でも緊急脱出を経験ずみですからね。いやはや無事だったから良かったものの」 「でも、これって」 さやかは驚きと心配が半々だ。 「もちろん超合金Z繊維です」 のっそり博士がにっこりうなずいて説明する。 「スチールプレートが入った重い防弾チョッキなんか足元にも及ばないほど丈夫で、爆発や火災からもお嬢さんの全身を守ってくれますよ」 「のっそり博士は防御力を落とさずここまで軽くするために、大変な苦労をしたんですぞ」 早口だからきびしい口調に聞こえるが、せわし博士も満足そうに目を細めている。 「この新しい超合金Z繊維で、お嬢さんのガードスーツを作りますぞ」 力強いもりもり博士の言葉にさやかの瞳が輝いた。水の入ったバットから布を取り出して、のっそり博士がおっとり言う。 「お嬢さんにも、しっかりしたガードスーツを作らなければならないと、われわれもずっと気になっていたんですよ。ところが、なかなか手が回らなくて」 ドクターヘルの侵攻が始まってから、さやかも何度となく命の危険にさらされてきた。幸い今日まで跡に残る傷はないが、打撲や青あざは日常茶飯だ。 「なにをさておいても、マジンガーZの戦力強化が最優先でしたからね」 もりもり博士が言うと、さやかが「ええ」とうなずく。 「おかげでマジンガーZは海にも潜れるようになったし、空だって自由に飛べるようになったわ」 背中で手を組んでそのへんを歩き回っていたせわし博士が、急に立ち止まって言う。 「マジンガーZばかりではありませんぞ。アフロダイAだって大改修に次ぐ大改修。この八か月、手足がちぎれるなんてマシな部類でしたからな」 「だって、機械獣が来たら知らん顔はしていられないでしょ」 「それでも、ものには限度があります。アフロダイAは本来は戦闘用ロボットではない」 もりもり博士の正論にさやかの頬がちょっとふくらむ。 本来はそうでも、現実にはアフロダイAだって立派に光子力研究所を守っているのよ――。 のっそり博士がじゃじゃ馬娘の無言の抗議をなだめる。 「いやいや、アフロダイAも、いろいろな制約が多い中で、できる限りの装備強化を尽くしました。その上で、今度はいよいよお嬢さんのガードスーツというわけです」 「だけど、まさか…」 さやかが頬に手を当てて小首をかしげる。 「まさか、なんですか、お嬢さん」 すかさず、せわし博士が確認する。 「まさか三博士がおとうさまに、あたしのガードスーツの提案をしてくださるとは思わなかったわ」 さやかのガードスーツの製作が遅れた理由は、非常事態が続いたためだけではなかった。 アフロダイAはあくまで「平和の使者」だ。今は機械獣対策として光子力ミサイルを搭載しているが、それも書類上は「地質調査用ミサイル」となっている。 その「平和の使者」の操縦者のために、ガードスーツという名の戦闘服を作るのはいかがなものか。誰にとっても正面切って言い出しにくい懸案だった。 けれども、ドクターヘルが「一年以内に世界征服する」と宣言してから半年余、ジェノサイダーF9の爆撃で光子力研究所が壊滅した。 「所長、機械獣との戦いの矢面に立っているお嬢さんのためにガードスーツを作りましょう。まさかの研究所壊滅、この非常事態にあっては、もう建前ではすみますまい」 昼夜を問わず研究所の再建工事が進む中、プレハブの仮設所長室でせわし博士を筆頭に三人の博士が弓教授に進言した。 「確かに建前ですまない状況ではあるのだが…」 弓教授の口は重い。光子力研究所長としては無理もない。それも承知で、三博士は重ねて要請した。 「所長でさえ白衣や背広ばかりで過ごせない。これが光子力研究所の現状なんですぞ」 その時期、弓教授の日々の仕事着は、建築現場用の作業服だった。 「ここは戦場、最前線なんですよ、所長」 たまりかねたように、せわし博士が弓教授の机をたたいた。弓教授は机上の工事現場用のヘルメットを見つめた。しばしの沈黙の後、言葉少なく、だが明確に了解した。 「わかった。三博士、頼みますよ」 そして詳細な相談をする暇もなく所員に呼ばれ、弓教授はヘルメットを手に、急ぎ足で研究所の再建現場へ向かった。 せわし博士は蒸し風呂のようなプレハブでの直談判を思い出し、「ふむ」とひとりで大きく首を振る。ずいぶん前のような気もするが、つい先月の出来事だ。 「所長の承諾が出たからにはすぐにも作業に取りかかりたかったのですが」 「研究所の再建中にもドクターヘルの攻撃があって」 「やっと再建したと思ったら」 「お嬢さんたちが放射能汚染の疑いで強制入院」 「いやそれでも、グラナダE3に飲みこまれてよく無事だった」 「と安心したのもつかの間、所長の負傷に」 「ジェットスクランダー爆破未遂」 「そうそう、言い出したらきりがありませんわい」 三博士のテンポの良いやりとりは掛け合い漫才のようだ。さやかは、つい笑ってしまう。 「本当にきりがないわ」 博士たちも笑い出す。 緊急対応に追われて三博士の手が空かない。さやかも従来のジャンプスーツでなんとかその場その場をしのいでいる。そんな現実の前に、さやかのガードスーツの製作計画は立ち消えも同然になっていた。 「ところがミネルバXの出現で、兜博士もマジンガーZを補佐するロボットの製作を予定していたことが判明した」 もりもり博士の言葉を、せわし博士が引き受ける。 「さよう。本来は戦闘用でなくても、今のわれわれにはアフロダイAしかありませんからな。そのためにもお嬢さんのガードスーツは重要な意味を持ってくる。 いや、だからと言って、お嬢さん。ガードスーツが出来たら、アフロダイAでどんなにむちゃをしても良いというわけではありませんぞ」 「まあ、せわし博士、あたし、むちゃなんかしませんわ」 お嬢さん言葉で言い返しながら、さやか本人がこみ上げる笑いを抑えきれない。あははと四人の笑いが広がる。 「さてさて」 のっそり博士が話を引き戻した。 「作れる時に作ってしまいましょう。また、いつなんどき機械獣が来るかわからない。まず、現在、お嬢さんが着用しているジャンプスーツ…」 一同の視線がさやかに集中する。さやかの表現では、 「穏やかな春の日差しの中の菜の花の色」 甲児に言わせると、 「見ただけで酸っぱいとわかるレモンの色」 のツナギだ。 資料を手に、のっそり博士が説明する。 「これは合金Z繊維の実用実験ということで作りました。目的用途はアフロダイAの操縦。具体的にはロボットの操縦テストや地質調査を想定し、言うなれば作業着です」 「さよう」と、せわし博士が大きくうなずいて補足する。 「形状は、お嬢さんが気に入っていたバイクのライダースーツを参考にしたわけですな」 「ジャパニウム合金繊維の実用実験としては大成功だった。この技術を開発していたから、所長から要請があった時、すぐに超合金Z繊維で甲児くんのガードスーツを作れたわけで、しかも、ジャパニウム合金繊維のメンテナンスも研究していた」 もりもり博士が言葉を切ってガラス張りの隣室を指差した。そこにはドラム式の洗濯機や乾燥機が並んでいる。 「超合金Z製のドラムを装備した洗濯機。世界中であれ一台ですぞ」 「その上、超合金Z繊維のための特殊洗剤も開発済みで」 「むろん環境汚染などない洗剤で」 「だから、どれだけ汗をかこうと、光子力燃料がつこうと、泥をかぶろうと」 「甲児くんのガードスーツは上から下まで丸洗いできる」 ふたたび漫才のような掛け合いがはずみ、研究室に陽気な笑いが広がる。 「甲児くんは戦闘が終わると一キロや二キロは体重が減っていますからね。それだけ汗をかいている」 「四キロも減っていたこともありましたぞ」 うなずき合う博士たちにさやかの顔が少し曇る。 甲児くんのガードスーツは赤っぽい生地だから目立たないけど、戦闘の後は切り傷、すり傷の血がついているなんて、しょっちゅうよ。口の中を切った血を袖でふいちゃったりするんだもの――。 「どれ、お嬢さんのガードスーツに話を戻しましょうか」 もりもり博士の言葉で、のっそり博士の説明が再開する。 「この黄色いジャンプスーツは一部に合金Z繊維を使用しています。だから、それなりに衝撃にも耐えられる。とはいえアフロダイAが大破するような事態は想定していない。また、それ以外にもいろいろと不都合が多い」 のっそり博士がバインダーにはさんだメモを見て、さやかに確認する。 「着がえやすく長時間の着用が楽な形状という希望が、お嬢さんから出ています」 「そうです。このジャンプスーツを作った時は一日中着ることになるなんて、考えもしなかったわ。せいぜい二、三時間だろうと思っていたのよ」 せわし博士がうんうんとあいづちを打つ。 「ましてや、敵襲による緊急の出動は誰も予想していなかった」 緊急出動となれば、甲児は自宅からマジンガーZのもとに飛ぶ間に、パイルダーの中で着がえたりもする。そのためにパイルダーには予備のガードスーツが一揃い備えてある。 さすがに、さやかはアフロダイAのコクピットで着がえる気はないが、それでもジャンプスーツの扱いはいささか手間だ。 「アフロダイAも合金Zから超合金Zになったんですもの。あたしのガードスーツも超合金Zにしなくちゃ」 「ただ、残念ながら」 のっそり博士がメモを手に話を進める。 「これまでのジャンプスーツと同じ色にしたい、というお嬢さんの希望にはそえません」 せわし博士が首をひねる。 「どうしたことか、超合金Z繊維は黄色がうまく発色せんのじゃ。合金Z繊維との発色の違いが不可思議といえば不可思議」 のっそり博士が「よろしいですかな」と、さやかを立たせてサッシュのはしを右手でつまんだ。 「実はこの新色は、お嬢さんの今のリボンと同じ色に染めたのです」 左手で新しいローズピンクの見本布をサッシュに重ねる。 「しかし、できあがってみると、これだけ違う」 さやかが、「ええ、全然違うわ」と見おろす。 「それでもピンクはまだ色が出せるのですが、いやはや黄色は」 のっそり博士が白いひげを引っ張るように考えこんだ。 「プロテクターとかベルトやボタンの素材にすると、黄色にも染められるのだが」 もりもり博士も思案顔で言う。 「痛たたた」 のっそり博士の悲鳴だ。もりもり博士の言葉に大きく首を振ったはずみに、ひげを引っ張りすぎたらしい。 「おそらく」 白いひげをいたわるようにさすり、 「超合金Zを特殊延伸してフィルム状にするせいでしょう。今の段階では理由はわからないのだが、特殊延伸した超合金Zを使った繊維は、黄色にしようとしても濃い目のオレンジ色になってしまう」 もりもり博士も栗色のひげに手を当て、 「それでいてプロテクターやベルトの素材に加工すると、逆にピンクや白系統の色が出しにくい。おまけに靴やヘルメットの素材にすると、また発色具合がちがってくる」 「かといって、発色の研究をしている余裕がわたしたちにあるかと言えば」 のっそり博士が腕組みをすると、他の博士たちも一斉に「ふうむ」と考えこむ。 「三博士、あたしはこの白とローズピンクで充分ですわ。どちらもとてもきれいな色ですもの」 「そうですか。それではこれで作りますね。それで形は」 のっそり博士が、楕円のふちなし眼鏡を持ち上げてバインダーのメモを見直す。 「セパレートのライダースーツでよろしいですかな」 「はい、よろしくお願いします」 お嬢さんの温順な返事に、せわし博士がニコニコ顔で人差し指を立てたこぶしをふりまわす。 「つまり、長そでの上着に長ズボンですな。お嬢さん、とびきり上等のガードスーツ、上着とズボンを作ってみせますぞ」 さやかもとびきり上等の笑顔だ。 「とっても楽しみだわ」 |
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ミネルバのフクロウは宵闇の訪れを待って飛び立つ