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未成線(みせいせん)とは「未完成の路線」のことで、計画段階のまま着工に至らなかったか、着工には至ったが工事が途中で中止となり、開業することなく放棄された鉄道路線のことをいいます。
また、計画は中止となってはいないが進行が停止している路線や、用地買収や工事が中断されたまま長期間放置されている路線も「未成線」に含む場合があります。
なお、厳密には「未成線」とは、私鉄を監督していた鉄道省や運輸省などが私鉄の未完成路線を指す部内用語として使用していたものであり、国鉄の未完成線は「予定線」と呼ばれていました。しかし現在では、国鉄・私鉄等の区別なく未完成の鉄道路線を総称する言葉として一般化しています。
ここでは、立ち消えとなった構想も含め、広義の意味での秋田県内の未成線について詳解します。

法定路線

新幹線
  路線名 :奥羽新幹線 
  区間 :福島市〜山形市付近〜秋田市
  根拠 :全国新幹線鉄道整備法第4条第1項、建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画(昭和48年11月15日運輸省告示第466号)
  記事 :福島市を起点とし山形市を経由して秋田市に至る約270kmにわたる新幹線路線として定められた基本計画です。 最終的には、福島駅で東北新幹線から分岐して秋田駅で羽越新幹線に接続し、新青森駅で再び東北新幹線に接続させることになっています。 平成9年に秋田新幹線として盛岡〜秋田間が標準軌化され東北新幹線に乗り入れていますが、これは基本計画で定められた奥羽新幹線とはまったく異なるものです。 同計画は現在も有効ですが、採算性に問題があるためJR東日本はまったく乗り気ではなく、国にも具体的な動きは見られないことから、実現の可能性は皆無に等しい状況です。

  路線名 :羽越新幹線 
  区間 :富山市〜新潟市付近〜秋田市付近〜青森市
  根拠 :全国新幹線鉄道整備法第4条第1項、建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画(昭和48年11月15日運輸省告示第466号)
  記事 :富山市を起点とし秋田市を経由して青森市に至る新幹線路線として定められた基本計画です。 このうち、富山〜上越間は北陸新幹線として、長岡〜新潟間は上越新幹線として開業していますが、それ以外の部分についてはまったく動きがありません。 フル規格での建設がほぼ絶望的ということもあり、何度かミニ新幹線やフリーゲージトレインの導入が模索されましたが、いずれも具体的な段階には至っていません。 ちなみに長岡駅の新幹線ホームには、羽越新幹線用のホームやスペースが確保されています。

国鉄予定線
  区間 :青森県三戸〜毛馬内 <路線図 
  距離 :51.5km
  根拠 :鉄道敷設法別表第5号(1987年(昭和62年)4月1日廃止)
  記事 :もともとは私鉄の秋田鉄道が十和田湖への連絡線として計画したものですが、大館から毛馬内(現:十和田南駅)まで延長したところで資金難により挫折しています。 その後、同区間は昭和6年に国鉄に買収され、青森県三戸を起点とし十和田湖付近を通って陸中花輪駅(現:鹿角花輪駅)へ至る鉄道として改めて計画されます。 しかし、毛馬内〜陸中花輪間が開業したところで工事は中止され、以後着工が再開されることはありませんでした。 なお、計画区間に先行する形で国鉄バスが三戸〜十和田湖休屋間(十和田東線)と十和田湖休屋〜十和田南間(十和田南線)を結んでいましたが、ともに現在は廃止されています。

  区間 :生保内〜鳩ノ湯付近 <路線図 
  距離 :30.6km
  根拠 :鉄道敷設法別表第14号(1987年(昭和62年)4月1日廃止)
  記事 :生保内線生保内駅(現:田沢湖線田沢湖駅)を起点とし、田沢湖東岸沿いに旧田沢湖町の鳩ノ湯付近へ至る路線として規定されていました。着工はされませんでしたが、昭和10年から昭和38年まで同ルートで森林鉄道が敷設されていました。なお、鳩ノ湯温泉はその後、水害で移転して「新鳩ノ湯温泉」となり営業を続けていましたが、平成19年に廃業しています。

  区間 :矢島〜院内 <路線図 
  距離 :47.3km
  根拠 :鉄道敷設法別表第15号(1987年(昭和62年)4月1日廃止)
  記事 :もともとは横荘鉄道(後の羽後交通横荘線)が、本荘と横手を鉄道で結ぶことを目的に両側から建設しましたが、資金難により途中で中止されます。その後、開業済みだった羽後本荘〜前郷間は昭和12年に国鉄に買収され「矢島線」となり、院内までの路線として鉄道敷設法で規定され、矢島まで延長されます。しかし、その先は工事が再開されることはありませんでした。

  区間 :十文字〜桧山台付近 <路線図 
  距離 :30.6km
  根拠 :鉄道敷設法別表第16号(1987年(昭和62年)4月1日廃止)
  記事 :奥羽本線十文字駅を起点とし、成瀬川沿いに東成瀬村の桧山台付近へ至る路線として規定されていましたが、着工はされませんでした。

免許・特許申請路線

船川鉄道 
  区間 :南秋田郡土崎港町〜船川港町 <路線図
  距離 :17哩60鎖(約28km)
  軌間 :1,067mm
  仮免許取得 :明治30年8月20日
  仮免許返納 :明治32年4月14日
  記事 :現在のJR男鹿線のルートで敷設予定でしたが、期限までに本免許申請がなされなかったとして仮免許返納を命じられています。なお、同区間は大正5年に船川軽便線として全線開通し、その後「船川線」「男鹿線」と改称されて現在に至っています。→[出典]

岩秋鉄道 
  区間 :岩手県黒沢尻町〜横手町 <路線図
  距離 :40哩(約60km)
  軌間 :1,067mm
  仮免許取得 :明治31年10月5日
  仮免許返納 :明治32年10月5日
  記事 :黒沢尻駅(現:北上駅)から横手駅へ至る路線として計画されました。期限内に本免許申請に必要な書類を提出することできず、1年後に仮免許を返納しています。なお、同区間は、大正13年に横黒線として全通し、昭和41年に北上線に改称されて現在に至っています。→[出典]

秋田炭礦鐵道
  区間 :北秋田郡小繋〜阿仁前田〜森吉町(湯ノ澤)、阿仁前田〜阿仁銀山
  距離 :30哩(約48km)
  仮免許申請 :明治32年1月16日
  申請却下 :明治32年3月22日
  記事 :阿仁銀山から産出した鉱石を阿仁川沿いに二ツ井付近まで輸送する目的で計画された鉄道と推測されますが、詳細は不明です。→[出典]

日進社軌道 
  区間 :雄勝郡院内町上院内〜下院内
  距離 :3.3km
  規格 :馬力軌道
  軌間 :737mm
  特許取得 :大正3年3月23日
  特許解除 :大正11年10月16日
  記事 :院内駅(上院内)から湯ノ沢温泉(下院内)に至る軌道として計画された路線で、院内電気株式会社の代表取締役だった鎌田武治氏が個人で運営する予定でしたが、指定期限内に竣工しなかったとして特許が解除されています。→[出典]

羽後交通 
  路線名 :横荘線
  区間 :由利郡東由利町老方〜東滝沢村前郷 <路線図
  距離 :23.1km
  規格 :蒸気鉄道
  軌間 :1,067mm
  免許取得 :大正4年1月13日
  免許失効 :昭和28年8月5日
  記事 :羽後交通の前身である横荘鉄道は横手と本荘を結ぶことを目的に設立された会社ですが、横手〜老方間と羽後本荘〜前郷間が開通したところで資金不足に陥り、結局全通することなく昭和28年に免許失効となっています。なお、計画ルートはほとんど固まっており、途中には「蔵」「大琴」「舘」の3駅が設置される予定でした。 →[詳細]

秋田電気軌道 
  区間 :第1期線(秋田市楢山長沼〜新大工町)、第2期線(新大工町〜壹騎町(現:土崎港))、第3期線(酒田馬口労町〜南秋田郡川尻村大川反)、第4期線(秋田市馬口労町刈穂橋〜秋田駅前)、第5期線(楢山長沼〜土手長町上町)
  距離 :11哩30鎖(約18km)
  規格 :電気軌道
  軌間 :1,435mm
  特許申請 :大正6年6月30日
  申請却下 :昭和3年4月27日
  記事 :秋田市内に広大な軌道路線網を張り巡らす計画で、特に第2期線は、大町付近から羽州街道沿いに寺内村を経て土崎駅に至る6km超の長大路線の予定でしたが、認められませんでした。→[出典]

吉乃軽便鉄道 
  路線名 :吉乃軽便線
  区間 :平鹿郡十文字村〜増田町真人 <路線図
  距離 :4.9km
  規格 :蒸気鉄道
  軌間 :1,067mm
  免許取得 :大正7年7月26日
  免許失効 :大正10年9月8日
  記事 :吉乃鉱山から産出される鉱石輸送を主目的に旅客輸送も行う路線として、現在のJR奥羽本線十文字駅から旧増田町へ至る路線として計画されましたが、期限までに施工認可が申請されなかったとして免許失効となっています。→[出典]

羽後電力 
  区間 :平鹿郡十文字村〜増田町
  距離 :3.4km
  規格 :電気軌道
  軌間 :1,067mm
  特許取得 :大正11年9月28日
  特許失効 :大正13年5月3日
  記事 :免許が失効した吉乃軽便鉄道のリベンジだったようですが、結局は期限までに施工認可が申請されなかったとして特許失効となっています。→[出典]

増田水力電気 
  区間 :平鹿郡十文字町〜雄勝郡東成瀬村
  距離 :16.7km
  規格 :電気鉄道
  軌間 :1,067mm
  免許取得 :大正13年6月4日
  免許失効 :昭和4年3月27日
  記事 :十文字から旧増田町を通って東成瀬村へ至る路線として計画されましたが、期限までに着工されなかったとして免許が失効しています。なお、この区間は国鉄により改めて計画されています。→[出典]

日本水力電気 
  区間 :仙北郡角館町〜大曲町 <路線図
  距離 :15.3km
  規格 :電気鉄道
  軌間 :1,067mm
  免許取得 :大正5年5月27日
  免許失効 :大正8年6月28日
  記事 :当初は、河原田水力電気という会社が軽便鉄道の免許を取得したものですが、大正7年8月27日に日本水力電気に権利譲渡されたものです。しかし、期限までに着工されなかったとして免許が失効しています。なお、同区間はその後国鉄が田沢湖線として開業させています。→[出典]

秋田鉄道
  区間 :鹿角郡錦木村〜小坂町 
  距離 :8.3km
  規格 :蒸気鉄道
  軌間 :1,067mm
  免許取得 :大正6年4月27日
  免許失効 :大正15年4月15日
  記事 :JR花輪線はもともと私鉄の秋田鉄道が開業させた路線で、同社は小坂町を通って十和田湖付近に至る路線の構想も持っていました。そこで手始めに毛馬内駅(現:十和田南駅)から小坂町までの区間について免許を取得しましたが、資金難により着工には至りませんでした。この区間はその後国鉄により改めて計画されていますが、こちらも着工することはありませんでした。

  区間 :鹿角郡錦木村〜大湯村 
  距離 :7.2km
  規格 :蒸気鉄道
  軌間 :1,067mm
  免許取得 :大正9年8月13日
  免許失効 :大正11年8月1日
  記事 :JR花輪線の毛馬内駅(現:十和田南駅)から大湯温泉郷(鹿角市十和田大湯)付近へ至る支線として計画されましたが、免許取得からわずか2年で失効となっています。

  区間 :鹿角郡錦木村〜大湯町
  距離 :7.3km
  規格 :蒸気・内燃鉄道
  軌間 :1,067mm
  免許取得 :昭和5年12月8日
  免許失効 :昭和9年6月15日
  記事 :大正11年に免許が失効した区間について、区間と運行方式を変更して再度免許を取得していますが、結局夢が実現することはありませんでした。

小坂鉄道 
  区間 :鹿角郡小坂町〜毛馬内町
  免許申請 :大正6年4月27日(→却下)
  記事 :小坂鉄道の小坂駅から毛馬内駅(現:十和田南駅)まで延伸する計画でしたが、免許は同じ日に申請した秋田鉄道に下付されました。しかし、結局は秋田鉄道も実現できませんでした。→[出典]

大館馬車軌道 
  区間 :北秋田郡大館町松木境〜長倉町 <路線図
  距離 :4.1km
  規格 :馬力軌道
  軌間 :737mm
  特許取得 :大正7年4月1日
  特許失効 :大正8年10月2日
  記事 :大館駅付近から市役所付近に至る路線として計画されましたが、わずか1年半で特許が失効となっています。ちなみに大館町は昭和26年4月1日に市制を施行しています。→[出典]

大館軌道 
  区間 :北秋田郡大館町松木境〜長倉町 <路線図
  距離 :4.0km
  規格 :馬力軌道
  軌間 :737mm
  特許取得 :大正9年4月9日
  特許失効 :大正10年10月14日
  記事 :大正8年に特許が失効した区間について、ほぼ同じ条件で再度特許を取得していますが、またしても1年半で夢が潰えています。→[出典]

阿仁鉄道 
  区間 :北秋田郡鷹巣町〜阿仁合町 <路線図
  距離 :31.0km
  規格 :蒸気鉄道
  軌間 :1,067mm
  免許取得 :大正9年3月13日
  免許失効 :大正11年12月14日
  記事 :阿仁からの鉱石輸送を目的に、当初は北秋田郡七座村前山から阿仁に至る路線として計画され、大正6年に起点を鷹巣町に変更して免許を取得しています。しかし、建設資金を調達できないまま免許が失効となっています。なお、この区間は大正10年に「鷹角線」として国の承認を受け、昭和11年に国鉄阿仁合線として開業し、昭和61年には秋田内陸縦貫鉄道となり現在に至っています。→[出典]

矢島鉄道 
  区間 :由利郡由利町黒沢〜矢島町 <路線図
  距離 :13.9km
  規格 :蒸気軌道
  軌間 :762mm
  特許取得 :大正10年9月13日
  特許失効 :昭和10年8月8日
  記事 :旧由利町黒沢から旧矢島町(いずれも現由利本荘市)までの馬車軌道として鳥海軌道が計画し、その後、矢島軌道(大正15年に矢島鉄道に改称)に譲渡された路線です。大正11年に横荘鉄道西線が前郷まで開通したのを受けて着工しましたが、資金不足により何度も竣工期限の延長を繰り返し、並行して省線(旧国鉄)矢島線の建設計画が進んでいたこともあり、建設を断念しました。なお、建設断念の原因は並行して省線を建設することとした国にあるとして国に損失補償を求めたが認められず、行政訴訟も提起しましたが、却下されています。→[出典]

角六電気軌道 
  路線名 :角間川線 
  区間 :仙北郡飯詰村〜藤木村 <路線図
  距離 :2.5km
  規格 :電気・ガソリン軌道
  軌間 :1,067mm
  特許取得 :昭和3年2月15日
  特許取消 :昭和11年3月26日
  記事 :奥羽本線飯詰駅を起点として西側の角間川付近へ至る路線として計画されました。現在の県道116号線との併用軌道とする予定だったことから、同県道が路線予定線ということになります。期限までに工事が竣工しなかったとして特許が取り消されています。→[出典]

  路線名 :六郷線 
  区間 :仙北郡飯詰村〜六郷町 <路線図
  距離 :3.1km
  規格 :電気・ガソリン軌道
  軌間 :1,067mm
  特許取得 :昭和3年2月15日
  特許取消 :昭和11年3月26日
  記事 :奥羽本線飯詰駅を起点として東側の六郷町付近へ至る、県道116号線との併用軌道として計画されましたが、こちらも角間川線と同様に特許が取り消されています。→[出典]

秋田市街軌道 
  区間 :秋田市楢山長沼〜大町二丁目
  距離 :63.4鎖(約1.3km)
  規格 :電気軌道
  軌間 :1,067mm
  特許申請 :昭和3年3月12日
  申請却下 :昭和3年6月25日
  記事 :秋田駅前から秋田市大町二丁目に至る路線として計画されましたが、同時期に特許申請があった秋田電気軌道(後の秋田市交通局)と区間が重複・競合するとして却下されています。→[出典]

秋田電車 
  区間 :秋田市土手長町上丁〜末町
  距離 :0.5km
  規格 :電気軌道
  軌間 :1,067mm
  特許取得 :昭和3年4月27日
  特許失効 :昭和8年8月17日
  記事 :秋田市千秋矢留町付近を起点として計画された市内軌道で、その後秋田市電として復活しています。

  区間 :秋田市新大工町〜南秋田郡寺内村
  距離 :2.0km
  規格 :電気軌道
  軌間 :1,067mm
  特許取得 :昭和3年4月27日
  特許失効 :昭和8年8月17日
  記事 :秋田市保戸野鉄砲町と旧寺内村(現秋田市)とを結ぶ市内軌道として計画された区間で、既に開業していた日吉〜新大工町の延長線という位置づけでした。

  区間 :秋田市新大工町〜大町二丁目
  距離 :0.8km
  規格 :電気軌道
  軌間 :1,067mm
  特許取得 :昭和3年4月27日
  特許失効 :昭和14年10月7日
  記事 :秋田市保戸野鉄砲町と大町とを結ぶ市内軌道として計画された区間です。

  区間 :南秋田郡土崎港町地内
  距離 :1.3km
  規格 :電気軌道
  軌間 :1,067mm
  特許取得 :昭和3年4月27日
  特許失効 :昭和8年8月17日
  記事 :既に開業していた秋田駅前〜土崎間の路線を、さらに延伸させようと計画されましたが、実現しませんでした。

男能鉄道 
  区間 :南秋田郡脇本村〜山本郡能代港町 <路線図1路線図2路線図3路線図4路線図5路線図6
  距離 :37.2km
  規格 :蒸気鉄道
  軌間 :1,067mm
  免許申請 :昭和11年7月14日
  申請却下 :昭和12年4月2日
  記事 :船川線(現:男鹿線)の脇本駅から八郎潟の西側を通り五能線の能代駅へ至る鉄道計画です。船川・能代間の鉄道構想は大正時代には既にあり、帝国議会に請願も出されていました。そして昭和11年に正式に免許が申請され、途中駅として「寒風山・潟西・本内・野石・五明光・浜口・鵜川・浅内」の設置も予定されていました。しかし、ほぼ全区間にわたり既にバス路線があり、急設を要しないとして却下されています。→[出典]

構想・請願・陳情路線 

陸羽中央鉄道
  岩手県の山田から大槌・釜石・遠野・宮守・花巻・川舟を経由して大曲へ至る鉄道として明治28年に会社が設立されましたが、翌年に発生した明治三陸地震の影響で頓挫しました。→[参考サイト]

陸羽鉄道
  岩手県の釜石から黒沢尻(現:北上市)を経由して船川(現:男鹿市)へ至る鉄道として明治29年に会社が設立されましたが、同年に発生した明治三陸地震の影響で頓挫しました。→[参考サイト]

奥羽中央鉄道
  盛岡から大館へ至る鉄道として明治29年に盛岡市に会社が設立され、翌年に仮免状が下付されましたが、着工には至りませんでした。

鹿角鉄道
  盛岡から大館へ至る鉄道計画で、明治33年の帝国議会において鉄道法に位置づけるための法律改正案が衆議院で可決されましたが、貴族院は通過せず、実現しませんでした。翌年以降、沿線市町村が帝国議会に対し再三にわたり請願書を提出しましたが、国が動くことはありませんでした。そのため私鉄の秋田鉄道設立へ舵を切ることになり、昭和6年の国鉄花輪線全通へとつながることになります。→[参考サイト]

陸羽横断鉄道
  大曲から長信田村川口(現:大仙市太田町長信田)付近を経て岩手県和賀郡澤内村猿橋(現:西和賀町澤内猿橋)付近に至る鉄道計画で、明治42年に帝国議会に請願が出されていますが、実現しませんでした。→[出典]

中秋軽便鉄道
  大曲から長野(現:羽後長野駅)へ至る鉄道計画で、大正3年に秋田県に敷設認可願が出されましたが、認められませんでした。→[参考サイト]

大生鉄道
  中秋軽便鉄道が認められなかった後、大曲から生保内(現:田沢湖駅)へ至る鉄道として改めて計画され、大正5年に秋田県に敷設認可願が出されましたが、またしても認められませんでした。 なお、同じ年に河原田水力電気(後の日本水力電気)が同区間に軽便鉄道免許を取得しています。→[参考サイト]

曲岩線
  大曲から羽後岩谷駅へ至る鉄道計画です。曲岩鉄道期成同盟会が結成されたと大正10年9月28日付けで秋田魁新報が報じています。その後、しばらく動きがありませんでしたが、昭和30年代に「国鉄曲岩線」の実現に向けて動きが活発となり、昭和33年には「曲岩線開通の期成同盟」が設立され、同年9月7日には大内町・南外村境の矢立峠に関係者が集まって現地調査が行われたと、広報大内(第19号)で報じられています。しかし、その後の動きはなく、結局実現しませんでした。→[出典:大内町史]

本荘臨港線
  本荘港から羽後本荘駅へ至る鉄道計画です。子吉川河口に位置する本荘港は、流砂の堆積による河口閉塞が進行しており、港の再生を図るため臨港線が計画されたものです。大正11年3月22日付けで秋田県に対して請願が出されましたが、実現しませんでした。→[出典:本荘市史]

奥羽本線ルート変更(能代付近)
  奥羽本線の能代駅(現:東能代駅)は、明治34年に開業しましたが、市中心部から大きくはずれてしまいました。明治41年には、奥羽本線の支線として市中心部に近い位置に能代駅が開業しましたが、東能代駅での乗り換えの不便は残りました。これを解消すべく奥羽本線を引き直して能代駅経由に変更するよう、大正12年以降に何度か帝国議会に請願が出されましたが、国が動くことはありませんでした。なお、能代市では今でもこの問題は尾を引いており、秋田新幹線の能代延伸や奥羽本線との直通列車運行などの要望が出されています。→[出典]

一米線 <路線図1路線図2 
  官営鉄道のルートからはずれた五城目町は、不便解消のため、五城目町長の米田貞治を中心とした町の有力者が、一日市(現:八郎潟駅)から沖田面を経て米内沢へ至る鉄道計画を立ち上げました。 大正11年には五城目軌道として一日市〜五城目間が開業し、計画では米内沢から先、阿仁前田を経て花輪線の宮川(現在の八幡平駅付近と推定)に至るという壮大な構想もありました。 しかし、計画は遅々として進まず、開業した五城目軌道(後の秋田中央交通)もモータリゼーションの波に押されて乗客が減少し、昭和44年7月11日に全線廃止となり、延伸構想の夢は潰えました。→[出典]

能代港臨港線
  貨物取扱量が増加していた能代港に臨港線を敷設して円滑な貨物輸送を行うべく、昭和2年に衆議院から内閣に対して建議が出されました。内閣の決定は「五能線の全通をもって考慮するのが適当」というものでしたが、昭和11年に五能線が全通しても臨港線が敷設されることはありませんでした。→[出典]

鳩ノ湯〜花輪間
  国鉄予定線として決定していた生保内〜鳩ノ湯間をさらに延長して花輪線に接続すべく、生保内村などから帝国議会に「生保内、花輪間鉄道敷設速成ノ請願」が出されました。昭和4年の衆議院請願委員会では採択されましたが、生保内〜鳩ノ湯間そのものが実現しませんでした。→[出典]

湯本線 <路線図 
  省線矢島線(現:由利高原鉄道)の矢島駅と雄勝鉄道の梺駅間に連絡線を建設し、本荘〜湯沢間を結ぶよう、沿線自治体から昭和9年以降、何度か国に請願・陳情が出されましたが、採択には至りませんでした。→[出典]

青秋横断鉄道 <路線図1路線図2
  青森県の尻内(現:八戸駅)から五戸・十和田湖畔を経て秋田県の毛馬内(現:十和田南駅)へ至る鉄道として、八戸市や五戸町から昭和11年以降に何度か帝国議会に請願が出されましたが、いずれも採択されませんでした。 なお、尻内〜五戸間は五戸電気鉄道(後の南部鉄道)が開業させていますが、昭和44年に廃止されています。→[出典]

一湯線
  岩手県の一ノ関から湯沢に至る鉄道計画の実現を目指す期成同盟会が組織されたとして、昭和11年4月14日付けで秋田魁新報が報じていますが、その後の動きは不明です。→[出典]

一ノ関〜十文字間
  岩手県の一ノ関から須川温泉を経由して十文字に至る鉄道計画の請願が沿線自治体から出ているとして、昭和13年3月1日付けで秋田県知事名で鉄道大臣や内務大臣宛てに請願書が出されましたが、採択には至りませんでした。→[出典]

十鳴線
  十文字から宮城県の鳴子に至る鉄道計画です。増田町(現:横手市)で「十鳴線期成同盟会」の発会式が挙行されたと昭和13年11月7日付けで秋田魁新報が報じており、帝国議会にも何度か請願が出されています。測量も開始されたようですが、日中戦争の激化により計画は中止され、幻となっています。→[出典]

田代〜沢目間 <路線図
  旧鉄道敷設法では、青森県の弘前から田代(現:西目屋村)までが予定線として規定されており、これを五能線の沢目駅まで延長させようとした計画です。同法の予定線に追加するよう求める請願が秋田県沢目村から出ているとして、昭和14年1月4日付けで秋田県知事名で鉄道大臣や内務大臣宛てに請願書が出されました。しかし、弘前〜田代間の鉄道計画そのものが実現しませんでした。→[出典]

石湯線(石院線)
  宮城県の石越〜細倉間には栗原鉄道(後のくりはら田園鉄道、平成19年廃止)がありましたが、これを延伸させ、秋の宮を経て院内に至る「石院線」が計画されました。その後、皆瀬・稲庭・三梨・川連を経て湯沢に至る「石湯線」計画に変更され、昭和21年6月20日付けで帝国議会に「石越駅から細倉鉱山へ至る鉄道を広軌・国有化し、花山村・秋ノ宮村・湯沢町を経て院内駅に至る鉄道」を敷設するよう請願も出されましたが、資金の目処がつかず挫折しました。→[出典参考サイト]

羽後境〜角館間
  東北新幹線が盛岡まで建設されることが決定したことに伴い、秋田からのアクセス時間短縮を目的に、奥羽本線の羽後境駅と田沢湖線の角館駅間に短絡線を建設する運動が始まったと昭和46年10月1日付けで秋田魁新報が報じています。昭和48年には「男鹿・秋田(羽後境〜角館)盛岡間短絡線建設促進期成同盟会」が結成され、秋田市長が会長となり、秋田・岩手県内20市町村が加盟していました。昭和54年5月に「男鹿・秋田・盛岡間短絡促進期成同盟会」に改称されましたが、その後の進展はありませんでした。→[出典]

東北新幹線(西回りルート)
  東北新幹線の盛岡以北については、大館・弘前を経由する「西回りルート」と二戸・八戸を経由する「東回りルート」が検討され、秋田・青森両県で激しい誘致合戦が繰り広げられました。 秋田県では、弘前を中心とした津軽地方の市町村と連携して「秋田津軽ルート期成同盟会」を結成するなどして誘致運動を展開しましたが、沿線人口や岩手県との交流経済圏で東回りルートが優位に立ち、さらに決定的だったのが、むつ小川原巨大開発による経済効果で、西回りルートにはこれらに勝るほどの材料はありませんでした。 最後は政治決着として、当時の田中角栄首相が「東北新幹線東回りルートと日本海新幹線(羽越新幹線)を同時完工する」と秋田県知事に確約したのを受けて、昭和48年に誘致運動の終了と期成同盟会の解散が決定され、合戦に幕が下ろされました。 しかし、確約は反故にされ、羽越新幹線は着工どころか実現可能性すら皆無に等しい状況にあります。→[参考サイト]

秋田市広小路モノレール
  秋田市電の廃止間近となった昭和39年頃に、市内百貨店業界で持ち上がった構想で、秋田駅2階のステーションデパート−木内−協働社−新秋田ビル−本金のそれぞれの屋上をモノレールで結ぼうというものだったようです。 昭和41年の着工計画であると、昭和39年6月16日付けで秋田魁新報が報じていますが、技術的な問題などにより頓挫したようで、その後の進展はありません。→[参考サイト]

秋田空港軌道系アクセス
  現在の秋田空港は、昭和56年に秋田市新屋町から移転したものですが、そのアクセスの悪さの解消が課題となっていました。その中で生まれた軌道系のアクセス手段としてモノレール等の新交通構想が持ち上がりました。 国・県・秋田市が課題の洗い出しのための調査に動き出したと昭和59年2月13日付けで秋田魁新報が報じています。それによると、秋田市中心部の道路混雑緩和、秋田空港へのアクセス、将来的に2万人規模になると見込まれる秋田臨空港新都市(現在の御所野ニュータウン)の生活圏交通の確保が目的とされ、そのルートは、農協ビル前臨海バイパス交差点−仲小路−秋田駅東−経済法科大学(現:ノースアジア大学)−秋田臨空港新都市−秋田空港の22.6kmと想定されました。 また、輸送方式は、モノレールにこだわるものではなく、デュアル・モード・バスなども比較検討するとされました。 しかし、採算性や実施主体など課題が多く、調査自体も、あくまでも将来の都市計画の際にルートを配慮した計画とする余地を残すのが狙いであり、着工が前提ではありませんでした。 結局、構想が具現化することはなく、その後のバイパス道路や空港アクセス道路の整備によって構想時の課題は解決され、秋田市の人口も平成17年の33万人をピークに減少に転じるなど、現在では軌道系アクセスの必要性が低くなっています。

秋田臨海鉄道北線延伸
【秋田北港〜大王製紙工場】
  愛媛県四国中央市に本社を置く大手製紙メーカー「大王製紙」は、平成元年、秋田市飯島地区に紙パルプ工場を建設すると発表しました。 製品などの輸送手段として、秋田臨海鉄道北線の利用が検討され、秋田製錬所で止まっている同線を延伸させる計画が持ち上がりました。 そのルートは、秋田製錬所の東側を大きく迂回して県道秋田天王線を高架で交差し工場へ至る、というものでした。 しかし、住民の反対運動などにより進出時期が何度も延期され、結局、平成12年に大王製紙は進出を正式に断念、延伸計画も幻となりました。

【秋田北港〜秋田港外港】
  国土交通省が提唱した「シーアンドレール構想」により秋田港外港地区のコンテナヤードまで路線を延伸し、荷揚げした貨物を鉄道で輸送しようとするものでした。 何度か実証実験が行われましたが、想定していた北上線の貨物輸送が平成22年に廃止となり、北線も平成27年に休止されました。そして令和3年に秋田臨海鉄道そのものが廃止となり、構想は頓挫しました。

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