私自身の体験からV

そして開口一番「あなたは他の人とは違う」とおっしゃい
ました。
また、初対面であるのに「あなたはこういうところへ行
っているでしょう。」と、私でなければ絶対にわからない
ことを言い当てるのです。「ああ、きっと私の守護の神
霊とお話しなさって、言い当てているのだ。」と恐縮しま
した。その後一時間ほど色々お話しくださいました。私
はこれまで「生命の実相」・「丹波哲郎さんの霊界の本
」等々が、いつも3年くらいすると次ぎのものに移っていっ
た経緯をお話しし、なぜ最終的な救いの道に行き当た
らないのかをうかがった。先生は「それは、前世で勉強
したところまで一気に行かないから」とご説明ください
ました。「学校と同じで、前世で小学校の程度まで勉強
して死んだら、次ぎの人生ではまず小学校の一年生の勉
強から始めて前世を思い出すのです。思い出したら今
生では中学校の勉強をするのです。貴方は、高校くら
いまで勉強をして死んだのです。ですから思い出すま
でに幾つもの階段を踏んだのです。」と教えてください
ました。最後に五井昌久先生著の「神と人間」を薦めて
くださったのです。相談前より随分心が軽くなって、帰り
道に「神と人間」を買い、その日は帰りました。
 8.「白光」・「世界平和の祈り」と出会う
「神と人間」には、業のこと、この世とあの世、守護霊守
護神の働き、世界平和の祈りのこと、等々今までわか
らなかったことが、総合的に詳しく書かれてあり、すぐに
読んでしまいました。本にはさみ込まれていた葉書に、
「月刊 白光を希望します。」と書いて返送すると、ほどな
く「白光」誌が届きました。不思議なことに、この「白光」
誌が届くと同時に「白光真宏会」へ何が何でも行ってみ
たい、と言う気が強くしてきて、年末年始の休暇が終わ
った平成2年1月4日に、当時千代田区平河町にあっ
た「東京道場」を訪れたのでした。
他の方と一緒に、当時講師をしていらした「中川先生」に
お浄めをしていただきました。そして、五井先生、昌美先
生がお書きになった「新年の指針」をいただき、読んでみ
ると「人生はいつでも今日只今から始まる。世界平和の
祈りがあなたの人生を新しく作る」と書かれてあり、まさに
そのときの自分を言い表しているのだと感心しました。ずっ
と後になって聞いたところ、新年の指針は守護霊守護神か
らのメッセージであり、伝えたいメッセージの入った指針を
人間に取らせるために、守護霊守護神は人間と一体となっ
て、手を動かしているとのことでした。誰に聞いても「新年
の指針」は当たっている、といいます。すごいことを体験して
いるのだな、と思っておりました。
 これで、私は完全に「白光真宏会(五井先生)」と繋がり救
われの軌道に乗ったのです。
当時は市川市の「聖ケ丘道場」で各種行事が行われていまし
た。私も、統一会のある日なぞ熱心に通ったものです。知ら
ず知らず私の目には見えない五井先生からの救世の大光明
に洗われ、私は浄化されていったようです。統一会へ行った
日は本当に浄められ、気持ちが良かったものです。
色々な行事をした「聖ケ丘道場」も時期がきて、移転すること
になり現在本部の置かれてある、静岡県富士宮市に移転し「
富士聖地」と名前も変わりました。全ての組織が富士聖地に
集結したかっこうです。
 9.印(いん)・マンダラとの出会い
全てが富士聖地に揃い、この頃から白光真宏会の働きもそ
れまで以上に強力になったような気がしました。
「聖ケ丘道場」時代の終わり頃、昌美先生のご指導の元「我即
神也」の印がおろされたのです。富士聖地でおろされ一生懸
命練習をして、程なく組めるようになりました。
それから数年して今度は「人類即神也」の印がおろされました
。これも練習により程なく組めるようになりました。
更に1999年「神人養成課題」というのが与えられました。
勿論強制ではありません。課題は@人を見たら心の中で「人
類即神也」と唱えること。これを七万人に行う。ただし、同じ人
に重複しては行わないこと。A「我即神也」及び「人類即神也」
のマンダラをそれぞれ作成すること。以上を20世紀中に完了す
ること、でした。私は1999年中に完了し、墨痕鮮やかな五井先
生からの「神人認定証」をいただいた事でした。でも、自分が
神人だなぞとはどうしても思えませんでした。結局自分の内部
の進歩と言うのは、急激にきた場合はよく認識されますが、緩