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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

要目(1)(2)(3)

新造時
艦種掃海艇
建造所藤永田造船所
基準排水量 ※1500トン
公試排水量 ※2560トン
垂線間長69.00m
水線長72.00m
全長74.00m
水線最大幅8.20m
喫水2.00m
主機直立式3段膨張レシプロ式蒸気機械2基、2軸
主缶ロ号艦本式水管缶(石炭・重油混焼)2基
出力3,200馬力
速力20.0ノット
燃料石炭:53トン、重油:23トン
航続力12ノットで2,600浬
乗員98名
兵装45口径三年式12cm単装砲2基
九三式13mm単装機銃2基
八一式爆雷投射機2基
爆雷投下台4基
爆雷18個
単艦式掃海具または八九式機雷26個(五号機雷の場合40個)
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン

艦歴(4)

年月日履歴
1931年(昭和6年)12月22日藤永田造船所において起工。
1933年(昭和8年)3月30日進水。
1933年(昭和8年)8月31日竣工。 呉鎮守府籍に編入。
1937年(昭和12年)〜1938年(昭和13年)支那事変。 中支および北支作戦に参加。
1941年(昭和16年)6月10日第三艦隊第二根拠地隊に編入。
1941年(昭和16年)11月26日佐世保発。
1941年(昭和16年)11月29日高雄着。
1941年(昭和16年)12月7日高雄発。 バンダ島攻略に参加。
1941年(昭和16年)12月17日高雄発。 リンガエン湾に向け船団護衛。
1941年(昭和16年)12月22日リンガエン湾入泊。 前路掃海に従事。
1941年(昭和16年)12月31日高雄発。 船団護衛に従事。
1942年(昭和17年)1月5日ダバオ着。
1942年(昭和17年)1月7日ダバオ発。 ボルネオ攻略作戦タラカン攻略部隊の船団護衛。
1942年(昭和17年)1月10日タラカン着。 泊地掃海、移動哨戒。
1942年(昭和17年)1月12日タラカン泊地掃海中、オランダ軍陸上砲台の攻撃を受け沈没。 船体の一部が海面に露出していたため、第4予備掃海艇として在籍。
1945年(昭和20年)11月30日除籍。

参考資料

  1. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p28
  2. 日本海軍護衛艦艇史.東京,海人社,1996,p54,世界の艦船.No507 1996/2増刊号 増刊第45集
  3. 山本義秀,吉原幹也.日本海軍艦載兵器大図鑑.東京,ベストセラーズ,2002,179p
  4. 雑誌「丸」編集部編.写真日本の軍艦 13巻 小艦艇.東京,光人社,1990,p213