1992年(平成4年)9月23日建立。(1)
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なお、第十五号掃海艇を雷撃したのは、アメリカ潜水艦「タイルフィッシュ (Tilefish)」である。
第十一掃海隊は第十三号型掃海艇6隻で編成された掃海隊である。
年月日 | 履歴 |
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1933年(昭和8年)9月30日 | 第十三号掃海艇、第十四号掃海艇で編成。 呉防備隊所属。 |
1934年(昭和9年)8月31日 | 第十五号掃海艇を編入。 |
1934年(昭和9年)9月29日 | 第十六号掃海艇を編入。 |
1936年(昭和11年)1月15日 | 第十七号掃海艇を編入。 |
1936年(昭和11年)4月30日 | 第十八号掃海艇を編入。 |
1941年(昭和16年)5月15日 | 第十七号掃海艇および第十八号掃海艇は第三十掃海隊を新編、第三艦隊第二根拠地隊に所属。 |
1942年(昭和17年)1月12日 | ボルネオ攻略作戦。 タラカン泊地掃海中、第十三号掃海艇および第十四号掃海艇がオランダ軍陸上砲台の攻撃を受け沈没。 |
1942年(昭和17年)1月31日 | 第十三号掃海艇、第十四号掃海艇を除く。 |
1942年(昭和17年)3月10日 | 解隊。 |
日本海軍が最初に機雷戦を経験したのは日露戦争の時で、このときは艦載艇や徴用漁船などが用いられた。 1913年(大正2年)になって旧式駆逐艦を掃海艇に改装することが要求され、6隻が改装された。 本格的な新造掃海艇は、1920年(大正9年)の八八艦隊完成案で計画された第一号型掃海艇6隻である。 本型の艦型は当時建造中の吹雪型駆逐艦に類似したもので、構造そのものも類似していた。 主機は製造費の安価な往復動機関とし、缶は燃料国策上から石炭専焼とされた。 兵装は、12cm単装砲2門、8cm単装高角砲1門、爆雷投射機2基、爆雷18個を装備した。 掃海兵装は単艦式大掃海具1組または機雷50個(「第五号」、「第六号」は単艦式大掃海具2組または機雷50個、対艦式大掃海具2組)を装備した。 尚、既成艦の実績により改正を加えた「第五号」および「第六号」を第五号型掃海艇に分類する場合もある。
第十三号型掃海艇は第五号型掃海艇の改正型で、昭和6年度の第一次補充計画で6隻が計画された。 艦型をいくぶん小型化し、必要な兵装を装備し、居住性を改善したものであった。 主機は往復動機関であったが、缶は混焼式とされた。 兵装は、12cm単装砲2門、13mm単装機銃2門、爆雷投射機2基、爆雷18個を装備した。 掃海兵装は単艦式大掃海具1組または八六式機雷26個(五号機雷の場合50個)、対艦式大掃海具2組を装備した。 しかしながら艦の割には重兵装で上構の大きな、トップヘビーな艦となった。 このため「第十三号」および「第十四号」の2艦は、1934年(昭和9年)に発生した友鶴事件により性能改善工事が実施され、艦橋を1甲板低め、煙突と前檣マストも短縮、艦底にバラストキールを装着するなどの改装を施した。 「第十五号」および「第十六号」は同様の改正を施し竣工した。
「第十七号」および「第十八号」は第十三号型掃海艇の5、6番艦として計画されていたが、友鶴事件などにより、未着工だった2隻について再設計したものである。 このため、第十七号型掃海艇にに分類する場合もある。 艦型的には大差はないが、線図そのものは新たなものとなっている。 艦は混焼式のままであったが、主機はコストの低下してきたタービンに改められている。 兵装は、12cm単装砲2門、13mm連装機銃1基2門、爆雷投射機1基、爆雷36個を装備した。 掃海兵装は単艦式大掃海具1組または八六式機雷26個(五号機雷の場合50個)、対艦式大掃海具2組を装備した。(5)
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