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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

要目(1)(2)(3)(4)

新造時1944年9月1日現在
艦種掃海艇
建造所藤永田造船所
基準排水量 ※1500トン
公試排水量 ※2560トン
垂線間長69.00m
水線長72.00m
全長74.00m
水線最大幅8.20m
喫水2.00m
主機直立式3段膨張レシプロ式蒸気機械2基、2軸
主缶ロ号艦本式水管缶(石炭・重油混焼)2基
出力3,200馬力
速力20.0ノット
燃料石炭:53トン、重油:23トン
航続力12ノットで2,600浬
乗員98名
兵装45口径三年式12cm単装砲2基
九三式13mm単装機銃2基
八一式爆雷投射機2基
爆雷投下台4基
爆雷36個
単艦式掃海具または八九式機雷26個(五号機雷の場合40個)
45口径三年式12cm単装砲2基
九六式25mm連装機銃1基
九六式25mm単装機銃5基
八一式爆雷投射機2基
九四式爆雷投射機1基
爆雷投下台4基
爆雷36個
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン

艦歴(5)

年月日履歴
1933年(昭和8年)4月6日藤永田造船所において起工。
1934年(昭和9年)2月14日進水。
1934年(昭和9年)8月21日竣工。 呉鎮守府籍に編入。
1937年(昭和12年)〜1938年(昭和13年)支那事変。 中支および北支作戦に参加。
1941年(昭和16年)6月10日第三艦隊第二根拠地隊に編入。
1941年(昭和16年)12月1日佐世保発。
1941年(昭和16年)12月4日馬公着。
1941年(昭和16年)12月7日比島アパリ上陸部隊の船団護衛、前路掃海。
1941年(昭和16年)12月17日高雄発。 リンガエン湾に向け船団護衛。
1941年(昭和16年)12月31日高雄発。 船団護衛。
1942年(昭和17年)1月5日ダバオ着。
1942年(昭和17年)1月7日ダバオ発。 ボルネオ攻略作戦タラカン攻略部隊の船団護衛。
1942年(昭和17年)1月21日バリックパパン攻略部隊の船団護衛。
1942年(昭和17年)2月24日ジャワ攻略部隊の船団護衛、前路掃海。
1942年(昭和17年)3月10日第二南遣艦隊第二十二特別根拠地隊に編入。
1942年(昭和17年)3月24日ボルネオ島方面で船団護衛に従事。
1942年(昭和17年)7月1日シンガポールで入渠修理。
1942年(昭和17年)7月24日シンガポール発。 バリックパパンで船団護衛に従事。
1942年(昭和17年)9月29日バリックパパン発。
1942年(昭和17年)10月10日ラバウル着。
1942年(昭和17年)10月23日ショートランド方面で船団護衛に従事。
1943年(昭和18年)3月15日第八艦隊第一根拠地隊に編入。
1943年(昭和18年)4月18日ブイン発。 山本五十六連合艦隊司令長官救難本部着。
1943年(昭和18年)4月20日救難本部前で山本長官遺骨乗艇。 ブイン着。
1943年(昭和18年)4月21日ブイン方面で船団護衛に従事。
1943年(昭和18年)7月18日ブインで敵機の攻撃をうけ損傷。 第二十二号掃海艇に曳航されてラバウル着。 応急修理。
1943年(昭和18年)8月7日ラバウル発。
1943年(昭和18年)8月28日呉着。
1943年(昭和18年)9月1日入渠。
1943年(昭和18年)9月8日出渠。 整備作業。
1943年(昭和18年)11月25日佐世保防備戦隊に編入。
1943年(昭和18年)12月6日佐世保発。 上海間の船団護衛に従事。
1944年(昭和19年)4月17日佐世保発。 沖縄方面への船団護衛に従事。
1944年(昭和19年)6月17日高雄発。 マニラ方面への船団護衛に従事。
1944年(昭和19年)8月30日佐世保発。 台湾間の船団護衛に従事。
1945年(昭和20年)3月5日南西諸島近海でアメリカ潜水艦「タイルフィッシュ (Tilefish)」の雷撃を受け、諏訪之瀬島西岸に擱座。
1945年(昭和20年)5月10日除籍。

参考資料

  1. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p28
  2. 日本海軍護衛艦艇史.東京,海人社,1996,p54,世界の艦船.No507 1996/2増刊号 増刊第45集
  3. 山本義秀,吉原幹也.日本海軍艦載兵器大図鑑.東京,ベストセラーズ,2002,179p
  4. 福井静夫.日本補助艦艇物語.東京,光人社,1993,p369,軍艦七十五年回想記,第10巻.(ISBN4-7698-0658-2)
  5. 雑誌「丸」編集部編.写真日本の軍艦 13巻 小艦艇.東京,光人社,1990,p213