年月日 | 船歴 |
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1897年(明治30年)10月18日 | John Brown and Company(Clydebank、United Kingdom)において、第二号甲鉄戦艦として起工。 |
1898年(明治31年)3月12日 | 横須賀鎮守府に仮入籍。 一等戦艦に類別。 |
1899年(明治32年)3月31日 | 進水。 |
1900年(明治33年)3月 | 公試中、サウスシー海岸で座礁、竣工が3ヶ月遅延。 |
1900年(明治33年)7月31日 | 竣工。 |
1900年(明治33年)10月23日 | 横須賀着。 |
1900年(明治33年)11月〜1901年(明治34年)5月 | 横須賀工廠で船体、機関修理。 |
1901年(明治34年)5月22日 | 常備艦隊に編入。 |
1901年(明治34年)7月29日 | 佐世保発。 北清、韓国方面行動。 |
1901年(明治34年)8月22日 | 佐世保着 |
1901年(明治34年)9月〜1902年(明治35年)3月 | 横須賀工廠で船体、機関修理。 |
1902年(明治35年)8月23日 | 室蘭発。 韓国方面行動。 |
1902年(明治35年)9月8日 | 舞鶴着。 |
1902年(明治35年)11月8日 | 第一予備艦。 |
1902年(明治35年)11月〜1903年(明治36年)2月 | 横須賀工廠で船体、機関修理。 |
1903年(明治36年)7月1日 | 常備艦隊に編入。 |
1903年(明治36年)9月28日 | 佐世保発。 韓国南岸方面行動。 |
1903年(明治36年)10月4日 | 今福着。 |
1903年(明治36年)12月28日 | 第一艦隊第一戦隊に編入。 |
1904年(明治37年)2月6日 | 日露戦争に際し、佐世保発。 |
1904年(明治37年)8月10日 | 黄海海戦に参加。 |
1904年(明治37年)10月26日 | 左舷後部に触雷。 |
1904年(明治37年)11月10日 | 呉帰投。 修理工事。 |
1905年(明治38年)5月27日〜28日 | 日本海海戦に参加。 被弾6発、戦死者8名、戦傷者23名。 |
1905年(明治38年)7月18日 | 横須賀工廠に入渠。 |
1905年(明治38年)12月12日 | 戦艦に類別変更。 |
1905年(明治38年)12月20日 | 第一予備艦。 |
1906年(明治39年)5月10日 | 47mm砲4門撤去。 |
1908年(明治41年)3月3日 | 伊良湖水道で触礁。 |
1908年(明治41年)3月13日 | 横須賀工廠で入渠修理。 |
1908年(明治41年)9月22日 | 第一艦隊に編入 |
1908年(明治41年)9月25日 | 伊勢湾で検定射撃中、三番8cm砲が早発、死者4名、負傷者7名を出す。 |
1908年(明治41年)11月20日 | 第一予備艦。 |
1909年(明治42年)9月1日 | 第二予備艦。 |
1909年(明治42年)12月13日 | 機関部改造訓令。 |
1910年(明治43年)6月30日 | 横須賀工廠で機関部改造完成。 |
1910年(明治43年)12月1日 | 第一艦隊に編入 |
1911年(明治44年)12月1日 | 第一予備艦。 |
1912年(明治45年)4月1日 | 第二予備艦。 |
1913年(大正2年)4月1日 | 練習艦。 |
1914年(大正3年)11月1日 | 練習艦兼警備艦。 |
1914年(大正3年)12月13日 | 第三予備艦。 |
1916年(大正5年)7月〜1917年(大正6年)3月 | 横須賀工廠で船体修理工事。 |
1917年(大正6年)3月1日 | 第一予備艦。 |
1917年(大正6年)4月1日 | 第三艦隊第五戦隊に編入。 |
1918年(大正7年)1月13日 | 横須賀発。 ウラジオストック方面作戦に参加。 |
1918年(大正7年)4月4日 | 横須賀着。 |
1918年(大正7年)8月20日 | 第一艦隊第二戦隊に編入。 |
1918年(大正7年)11月2日 | 8cm砲2門を8cm高角砲に換装(翌年3月10日完成)。 |
1918年(大正7年)12月1日 | 第一予備艦。 |
1919年(大正8年)4月1日 | 砲術学校練習艦兼警備艦。 |
1919年(大正8年)8月1日 | 警備艦を解く。 |
1921年(大正10年)9月1日 | 一等海防艦に類別変更。 |
1921年(大正10年)12月1日 | 練習艦を解く。 第三予備艦のまま横須賀海兵団練習艦。 |
1922年(大正11年)10月14日 | 第四予備艦。 |
1923年(大正12年)4月1日 | 除籍。 練習特務艦に類別変更。 第四予備艦。 |
1923年(大正12年)10月10日 | 特務艦への改造訓令(翌年3月10日完成)。 |
1924年(大正13年)3月1日 | 第一予備艦。 |
1924年(大正13年)4月1日 | 砲術学校練習艦。 |
1924年(大正13年)12月1日 | 第三予備艦。 |
1925年(大正14年)4月 | 横須賀工廠で潜水艦救難設備工事竣工。 |
1925年(大正14年)6月1日 | 呉鎮守府籍に転籍。 第二予備艦。 |
1925年(大正14年)8月1日 | 第一予備艦。 |
1925年(大正14年)8月11日〜14日 | 横須賀で旧ドイツ〇一潜水艦(U125)および〇二潜水艦(U46)を用いて、救難実験を実施。 |
1925年(大正14年)12月1日 | 予備艦のまま呉海兵団練習艦。 |
1925年(大正14年)12月 | 呉に回航。 |
1927年(昭和2年)1月27日 | 飛行機射出機実験装備工事訓令。 |
1927年(昭和2年)4月1日 | 救難設備改造工事着手。 |
1927年(昭和2年)10月30日 | 救難設備改造工事完了。 |
1928年(昭和3年)2月10日 | 試製呉式一号射出機を搭載。 実験実施(5月16日完了)。 |
1928年(昭和3年)9月18日 | 潜水艦救難予備実験実施。 旧ドイツ〇一潜水艦(U125)および呂号第一潜水艦を用いて実施。 |
1928年(昭和3年)11月1日 | 観艦式参加。 |
1929年(昭和4年)6月11日 | 潜水艦救難実験を公開。 |
1933年(昭和8年)11月8日 | 呉警備戦隊附属。 |
1934年(昭和9年)7月1日 | 呉警備戦隊附属を解く。 |
1934年(昭和9年)12月28日 | 呉防備戦隊附属。 |
1937年(昭和12年)8月11日 | 呉工廠に入渠。 工作艦改造に着手。 |
1937年(昭和12年)8月16日 | 呉防備戦隊附属及び呉海兵団練習艦任務を解く。 呉第一港務部附属。 工作艦に類別。 |
1937年(昭和12年)8月17日 | 呉工廠を出渠。 |
1937年(昭和12年)8月18日 | 呉発。 |
1937年(昭和12年)8月22日 | 泗礁山泊地着。 同地で工作任務に従事。 |
1937年(昭和12年)12月 | 支那方面艦隊上海根拠地隊附属。 |
1939年(昭和14年)11月 | 上海方面根拠地隊旗艦。 |
1940年(昭和15年)10月 | 上海発。 内地帰還。 |
1940年(昭和15年)11月15日 | 聯合艦隊附属。 |
1941年(昭和16年)12月7日 | 仏領インドシナ・カムラン湾に進出。 |
1942年(昭和17年)3月13日 | シンガポール着。 5月12日まで艦船修理に従事。 |
1942年(昭和17年)5月25日 | カムラン湾南東でアメリカ潜水艦「サーモン (Salmon)」の雷撃を受ける。 |
1942年(昭和17年)5月26日 | 沈没。 |
1942年(昭和17年)6月15日 | 除籍。 |
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