私の音楽遍歴(6)<氷の世界>


♪私の音楽仲間の先輩・後輩に『日本のフォークシンガーで一番影響を受けた人は誰?
 (ニューミュージックは置いといて)』という問いに一番多い又は必ず含まれる人と言えば‥
 私より前の世代の人は吉田拓郎。私より後の世代の人は長淵剛という答えが返ってきます。
 そして私は井上陽水と答えます。
 井上陽水との出会いは、高校時代。FMでやったアルバム「陽水ライブ」を録音した時から
 始まります。『井上陽水の「傘がない」がとてもいい』と、音楽仲間から聞いていたので期待
 して録音した事を覚えています。『陽水が泣いているぞ!』とオヤジが言いました。「人生が
 二度あれば」のMCの時に、話ながら死んだ父を思い出したのか、本当に陽水が涙声にな
 っていました。

♭アルバム「センチメンタル」のラスト曲「帰郷(危篤電報を受け取って)」は、まさに父の死
 を歌った曲でした。「喉に血ヘド見せて狂い鳴く」−医者になる為の受験に何度も失敗して
 ヤクザな道(「陽水ライブ」でこう表現していました)を歩いている自分に引け目を感じたのが
 涙声の理由かどうかはわかりませんが、伝わってくるものがありました。しかし、陽水が医者
 になっていたら、「心もよう」も「いっそセレナーデ」も「少年時代」もパフィーの「アジアの純真」
 も存在しなかった訳ですから、日本のフォーク界、いや音楽界にとっては大きな損失になって
 いたと思います。

♯高校時代の私には「東へ西へ」のような表現は、身近であり、共感できるものでした。
 「受験地獄への嫌悪」や「父母は何もわかってくれない」と叫ぶだけで終わらず、「頑張れ!
 みんな頑張れ!」と歌う所が、陽水のやさしさだったのかと今になって思ったりします。

♭私は、アルバム「陽水ライブ」の「あかずの踏み切り」(オリジナル版)は、はっきり言って
 駄作だと思います。それがアルバム「氷の世界」の星勝作曲版は、モップス調(?)のロック
 に仕上がり、「帰れない二人」へのメドレーは最高!アルバムの立ち上がりをバッチリ決めて
 くれています。しかし、「氷の世界」の「窓の外ではりんご売り‥」、「毎日、吹雪!吹雪!氷
 の世界」という表現は、私にはピント来ませんでした。進学校でもない高校へ行き、スポーツ
 と音楽に明け暮れていた私の毎日に吹く風は、吹雪という程ではなかったのだと思います。

♯アルバム「二色の独楽」には、はっきり言ってがっかりしました。「これで陽水も終わりか‥」
 と考えたくらいでした。しかし、今考えるとあの頃から陽水は変わろうとしてたのだと思います。
 アルバム「招待状のないショー」、「青空ひとりきり」、「なぜか上海」の頃の陽水の音楽には、
 何か迷いのようなものを感じます。

この続きは、『私の音楽遍歴(7)<いっそセレナーデ>』で書きます。

(2001年12月22日掲載)

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