私の音楽遍歴(16)<毛遊びとエイサー−沖縄の夜(2)>
♪「エイサー」とは、沖縄の盆踊りの事です。本土で盆踊りと言うと真中の太鼓やぐらを中心
に老若男女が踊りながらその回りをまわるというイメージです。(地方によって違うのかな?)
踊る曲も「炭鉱節」、「東京音頭」やその地方特有の盆踊り歌、後は子供向けに「XXXちゃん
音頭」といった所です。(これも地方によって違うのかな?)本土で盆踊りは、「誰でも参加で
きる」、「踊りが同じ型の繰返しなので覚えやすい」などが特徴かと思います。本土の盆踊りは、
(調べた事がないのでわかりませんが)、無事に盆を終えた喜びを体で表現するという事が
発祥の理由でしょうか?
♯沖縄の盆踊りである「エイサー」の場合は、男性は、ベストのような形の黒や青の服(袈裟
が省略された形)に太鼓を持ち、女性は絣に鉢巻で踊るの一般的です。(地区毎にそれぞれ
特色があります。)太鼓は、大太鼓2名〜6名、パーランクー(手持ちの太鼓)は、残りの男性
全部です。隊形は、縦形や円陣と曲によって縦横無尽に変形して行きます。パーランクーを持
った男性は、飛び上がって打つ、パーランクーをぐるっと回す等の少々アクロバット的な型で打
ちます。女性は、小道具として手拭いや扇子(日の丸)も使います。
♭「エイサー」の曲は、メドレーで5,6曲から10曲以上の場合もあり、演奏時間も15分から
30分以上と長帳場となる場合もあります。1曲目と2曲目は、「仲順流れ(ちゅんじゅんながれ)」
、「久高マンジュウ主(くだかまんじゅうすー)」で始まる事が多いです。共に、ミディアムテンポの
曲で「念仏踊り」として形ができた頃からこの曲順なのかもしれません。歌詞の内容は、「仲順
流れ」は、生き別れの親子の話や仲順(地名)に住む果報者の老人が歌われたりします。「久高
マンジュウ主」は、妾をもった生臭坊主の話から始まりいろいろな事を歌っています。
♯その後の「エイサー」メドレーの曲選びに、地区毎の特徴が出てきます。「テンヨー節」、「いち
ゅび小節」(いちゅびとは苺の事でいちゅび小というあだ名の娘に恋したという内容の歌です)、
「サウエン節」、「スーリー東」等が歌い踊られます。「エイサー」の最後は、お決まりの「カチャー
シー」です、これは、見物人も参加できます。踊り手の若い女の子が誘いに来るので、へたくそ
ながら私も踊ってしまいます。
♭「エイサー」を踊る日は、盆の最終日のウークイ(お送り)の時です。昔は、村頭の家から
順々に村々の家を回って最後に、村の広場で踊り納めをしていた様です。私も妻の実家のある
宜野湾(ぎのわん)で盆のウークイ(お送り)の晩に聞こえて来る「エイサー」の音にひかれて
村の広場に「エイサー」を見に行きます。親戚のアメリカ人と一緒に行った時に、彼も「とても
エキサイティングだ!」と言っていました。そう「エイサー」は、お盆に帰ってきてくださった先祖
に対するお礼の心と明るくお送りしようとする気持ちが、若者達のあふれるばかりの熱気で踊ら
れるのですからエキサイティングでない訳がありません。
♯「エイサー」の原型は、「シヌグ」という踊りであり、慶長の薩摩入りの後から普及した「念仏
踊り」に吸収されていったという説があります。曲の方は、「おもろさうし」(沖縄の万葉集の様な
書物)の中の「エサオモロ」にも収められている事からすると十五、十六世紀以前から歌い踊ら
れていたと考えられます。その後、「浄土真宗の僧・袋中上人」や「京太郎(チョンダラー)」の影
響を受けながら一般大衆が育て上げてきたと考えられます。「エイサー」の名は、そのハヤシ
「エイサー、エイサー、ヒヤルガ、エイサー、スリ、サーサー、スリ」から来た説と、「エサオモロ」
(前出)からきたという二つの説があります。
♭「エイサー」は、今では沖縄を代表する民族芸能として本土や世界で活躍する沖縄の人の手
でその地区のイベント等で踊られています。ちなみに、保育園、幼稚園、小学校等の運動会の
定番メニューとしても定着しています。踊るのはもちろんそこの生徒達です。
♯沖縄本島では、8月に「全島エイサー大会」が那覇市と沖縄市で開かれ、沖縄の代表的な地区
エイサーを一挙に見る事ができます。この「全島エイサー大会」に合わせて沖縄に来られて、「エ
イサー」に直に触れられたらいかかがでしょうか。
(2002年3月3日掲載)