弁護士 大平光代さんの「だから、あなたも生きぬいて」

大平光代さんは、「だから、あなたも生きぬいて」(講談社)という涙涙なくしては、読めない本を書いた方です。
中学生の時に、いじめが原因で割腹自殺。高校に行くこともなく、若くして暴力団の組長と結婚しました。その後、離婚。苦労して、司法試験に合格し弁護士になりました。(1997年に大阪弁護士会に所属する)中学もろくに行ってないので、漢字の勉強から始めたそうです。

もうひとつの涙なくしては、読めない物語

感動しちゃった大平光代さんが、現在の夫、川下 清 弁護士と交際し始めて間もない頃の話です。

法曹公正会の大平光代さんの特別寄稿より

京都まで歌舞伎を見に行く電車の中で、川下から突然「おふくろと親父に会う?」と聞かれました。突然の事でどう返事をしてよいかわからず、「私を連れて行ったらびっくりしはるんとちがう」と言うと、川下は「かめへんやん」と涼しい顔で言いました。

翌週、大阪市東住吉区の実家を尋ねると、ご両親とも最初はとても驚いた顔をしておられましたが、帰り際、お母さんは私の手を握りながら「清のこと、よろしくお願いします」そう言って下さったのです。

その時のお母さんの表情を見て思いました。お母さんにとっては大切に大切に育ててきた自慢の息子です。再婚相手に選んだ相手が、14歳で割腹自殺未遂、その後暴走族に入り挙句の果てに極妻になって背中に刺青まで入っている。大阪市助役在任中は喧嘩が強いなどと散々言われていて、毎日のようにテレビで見ていた女性が今、息子の再婚相手として目の前にいる。もし私がお母さんの立場だったら、「もっと他にええ人はいなかったの?」と言いたくもなったでしょう。でもお母さんは、私の手をしっかりと握りしめてくれました。そして「清のことをよろしくお願いします」と言ってくださったのです。私はその手の温もりを今でも忘れることができません。その時私は、このご両親に育てられた川下の人間性に間違いはないと確信したのです。

大平光代さんの略歴

  • 1994年、大平 光代さんは司法試験に合格しました。
  • 2000年、「だから、あなたも生きぬいて」を出版。
  • 2003年、関大阪市長に要請され、大阪市助役に就任する。
  • 2005年、関市長の辞任にともない助役を辞任。

大阪市助役時代

大平 光代さんは、助役に就任後、翌年3月まで給料を全額返上して行政の勉強に集中します。睡眠時間は毎日2〜3時間だった、とか。それに対し、「働いていない職員が給料を何千万円も取っている」などと批判されたそうです。

大平さんは、大阪市の職員厚遇問題に対処する為、市政改革に奔走しますが、既得権益を手放したくない市職員や議員の反発に遭います。朝出勤したら、机の上に「おまえは何様や」などと書かれた誹謗中傷の文書が置かれていた事もあるそうです。大平光代wikiより

橋下市長の大阪市の改革

大平さんが助役を辞任してしばらく後、2011年からは橋下市長が改革に取り組みます。橋下さんは府知事時代に、知事給料30%カット・退職手当50%減額、一般職員給料月額カット、退職手当の減額(10%〜5%)などを行っています。

大平光代さんと橋下徹

大平 光代さんの元夫は暴力団の組長です。週刊朝日の10月26日号で橋下市長の父親は暴力団だったと報じられました。

暴力団の元妻のどこが悪いんですか。
父親が暴力団のどこが悪いんですか。

お二人とも、真剣に生きていらっしゃいます。私は恥じ入るばかりです。

「だから、あなたも生きぬいて」の映画化

「だからあなたも生きぬいて」を検索すると、下段の他のキーワードに、「だからあなたも生きぬいて 映画」というのが出てきます。本が出版されて20年以上経ちますが、いまだに映画化を待ち望む方が、いらっしゃるという事なのでしょうか。

徹子の部屋に大平光代さんが出演

徹子の部屋に大平光代さんが出演2008年4月30日

弁護士の大平さんは中学2年の時にイジメを苦に割腹自殺を図り、16歳で暴力団組長と結婚。極道の妻になり背中に刺青を入れるまでに。(暴力団組長と)離婚後、29歳で司法試験を受けて一度で合格するという異色の経験を持つ。そんな大平さんは2006年、弁護士の川下清さんと電撃再婚し、その年の9月に長女を出産した。ダウン症のほかは肺高血圧症・心臓病・白血病を患いながらも明るく育っている娘の悠ちゃんも登場する。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。